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746マンセー名無しさん
『中宗実録』の最晩年の記述にあたる1544年10月の36ページ
あたりから「醫女」「女醫」なる人物が登場して、38ページの本文ではない注の部分でその人物の名前が長今だという 事が記されてる。
http://147.46.181.118/IMAGE/kyu04167.PDF

p36)○巳丑傅于政院曰予自咋昨有(?に山)證腹痛姑欲觀勢而議
薬自昨日大小便不如常故不得巳言于薬房而議之其令醫員等聴醫女
傅語議薬傅于左議政洪彦弼(脚注:以内醫院堤調来于薬房)曰今年予?患此疾
今亦欲自内調治而非一二日可差真言病證議薬于郷耳

p36〜37)○内醫院堤調洪彦弼姜顧尹元衡等問安仍啓曰 
上證固為無傷但以冷気至於如此進眼蟠葱敵為當大小便不如常・・・治何如 且醫女雖入診然淺見何能(蝕?)知之請令朴世擧診

p37)○内醫院堤調問安傅曰知道堤調又啓曰聞
上證下道?渋此由積冷之致如此病勢非女医?能(蝕?)知累日未寧擧朝
悶悶請今醫員朴世擧等入診而議薬傅曰朴世擧洪沈其即待命于差備門外
p37)○議政府中枢府六曹漢城府堂上及び大司憲鄭順朋等問安傅曰
知道是日醫女長今出言去夜三更 上入睡五更 又(暫?)入
睡且小便(暫?)通 大便即不通已三日 云醫員朴世擧洪況入診(略)

p37〜38)○辛卯 上不豫政院問安仍啓曰
咋 命王子?馬内宗親外令勿問安而臣等居近密之地故
敢問 安傅曰知道予證大(槃?)即??然大便尚不通故方議
薬耳内醫院堤調問安(脚注:略)傅曰予證女醫知之(脚注:女醫長今言去夜・・・略)

p42〜43)○甲午 上不豫政院問安傅曰
知道(脚注:略)内醫院堤調問安傅曰知道政府問安傅曰知道六曹中枢府漢城府堂上等問
安傅曰勿為問安朝醫女長今自内出曰下気始通極為大快云俄而傅于薬房
曰予今下気如常但気弱耳 堤調及醫員醫女皆来往而醫員勿八真堤調・・・略

p45)○内醫院堤調問安仍啓曰朝廷之議以為醫女雖入侍豈触詳知朴世擧事知醫員請数引見宣當但自