日本人の、憎しみが持続しないという特殊性

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1マンセー名無しさん
大戦に敗れてより60年。
この国の、いったい誰が、あの時、あの都市で焼き殺された人々のために真に怒ったのか。
いったい誰が、あの都市であの時焼き殺された同胞のために腹の底が震え、背骨が歪むほどの怒りを抱いたのか。
いったい誰が「アメ公を同じ数だけ焼き殺してやる!」と絶叫したのか。
いったい誰が日本人という特殊性の中で、日本語でなされた多くの叫びと日本語でなされた多くの絶望とに真に耳を傾けたのかと。
30万の数字の向こうに我々はひとつひとつの悲劇を見出していただろうか?

我々にはおそらく何かが欠けている。
何かを飛び越えて、我々は欺瞞にひたっている。
あるべき過程が、敗戦後の60年には、欠けていた。

我々は絶叫せねばならない。
「アメ公を焼き殺してやれ!」
と。
そして次の瞬間にその憎悪を乗り越えねばならない。
ただ日本人の異常に短気なのも特筆すべき事