.【歴史】日韓諸問題統合スレッド【環境】part8
翌日の7月2日我々はソウル発の列車で釜山に向かった。いたる所に水田、河川、緑の山丘があった。
日本人同行者の説明によると、朝鮮の山岳は日本が併合するまでは殆ど禿山ばかりであった。朝鮮人は
植林もせずむやみに、森の木を伐採した。朝鮮人がなぜ大量の木材を必要するかと言えば、どこの
家庭でも厳しい冬の寒さを防ぐ為の暖房に木材を使うからである。朝鮮の家にはオンドルと呼ばれる
一種の中央暖房がある。その火元は家の外側にあって、熱い蒸気を床下のパイプに通しそうして戸外に
導かれる。日本人は、日本の政権が禿山に植林した業績を誇っているが、確かにこれは誇るに足りる事だ。
そもそも植林は極東では、大いなる福祉を意味してる。ドイツ政府が膠州湾を領有後この地域に植林した
事は、末永く残る功績である。ドイツの先例は良い手本を示した。ドイツの植林技術が、日本人にとって
大いに参考になった事を各方面の人々が証言してる。
日本人はまた質、量の面で朝鮮の稲作を大いに発展させた。だが日本本土における反響は芳しくなかった。
収穫後、大量に日本本土市場にもたされる朝鮮米と内地米の競争の激しさを本土の稲作農家は痛感した。
日本の農業危機は、一時はこれで起こった。
列車は美しい山地を通り一路海岸に向かい山が直接、海に迫っているとこもある釜山に着いた。
ここから我々は、連絡線に乗った。船は夜に対馬海峡を通り、下関港に着く事になっていた。
日本海海戦で有名になったこの海峡を通る航海は平穏であった。
取り合えず朝鮮編はこれまでです。この文庫本はこの話前後も面白い話が載ってますので興味ある方は
買ってみてください。
ハン板で言われて来た服装は殆どが、白であるとか日本人が植林するまで禿山であった等が確認出来ました。
それに米を搾取したんじゃなく、キッチリと市場に流れていた事も分かりますね。
農業危機まで起こして搾取する国があったら見てみたいものだ。
この様に韓国や北朝鮮が、幾ら喚こうが第三者である当時の様子を描いた文献が有る以上何を言わんのかと言う事ですな