.【歴史】日韓諸問題統合スレッド【環境】part8

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817日本チャチャ ◆KOBE/N7/sc
やや・・楽しみにしてる人が現れた。 書き込み1日経過し、反応がないので
   いよいよ過疎スレ化になったと思ってました。
んで>>815の続き
 実際街頭に出ると、色々な形した麦藁帽をかぶった男が多かったが、特に老人で円筒形の
帽子をかぶって居る者は大勢いた。髭をたくわえる者が比較的少なかった中国人に比べ
朝鮮人の大多数が髭を生やしている事に驚かされた。それも単に頬髭や口髭ばかりでなく
顎鬚はおろか片耳から片耳まで続き、更に胸まで垂れ下がる髭を生やしている者も多かった。
 京城帝国大学では、我々は総長と数人の教授に迎えられた。総長と二人の教授はドイツ留学
した事があり、ドイツ語が話せた。数年前に建てられたこの大学の発展の歩みついての説明を聞いた。
 その後、古代朝鮮書籍の印刷や文字の見本を見せて貰った。陳列された書籍や他の資料からして
朝鮮ではヨーロッパでグーテンベルグによって、印刷術が発明されるおよそ200年前の13世紀に早くも
一部の本が金属活字で印刷されていた事が分かった(中国で最初に印刷された本はこれより更に300年も古く、10世紀に遡る)
 朝鮮文化が如何に中国に依存していたかは、全ての書籍が中国文字(漢字)で印刷されている事からも
はっきりしている。前に訪問した美術館の陳列台や芸術品の説明文も全部中国語で記されていた。
もっとも見せて貰った一部の書き物にはハングルが書いてあった。案内にあたった教授たちの話では
ハングルが使われだしたのは、300年くらい前の事であった。
 京城大学を後にして、我々はその統治中に日本の近代化が進められた明治天皇を祀る丘の上の神社に行った。
この神社は日本の皇室の祖先、天照大神を合祀していた。神社にある高台からの眺めは素晴らしかった。
ソウルの市街は、どの方角も山々によって囲まれており、とがった禿山もあれば山腹に森が茂る山もあった。

今回はここまで そう言えばソウルに天照公園てあったと思いますが、ひょっとしてこれが元かも