>>216 北朝鮮では当時、飢餓などで社会不安が広がっており、金正日政権は「米帝国主義
や南朝鮮(韓国)が侵略戦争の機会を狙っている」「革命の指導部(金正日)の暗殺の
ためテロ分子が送り込まれている」などとして「思想戦」を強調していた。
大量粛清は古い世代を米国や韓国の「スパイ」として権力から排除するかたちで展開
された。粛清を指揮したのは金正日総書記の最側近で労働党組織指導部第一副部長
だった張成沢氏(実妹の夫)で、新しい世代による金正日権力体制を強化するとともに、
国民に緊張感を与え体制動揺を防ぐ目的があった。
手記によると「深化組事件」の象徴は徐寛煕党書記の公開処刑。徐書記は農業担当
の老幹部で、農業政策の不振や個人的不正などを理由に一九九七年九月、平壌で
群衆の面前で処刑されたことが伝えられているが、その“容疑”の核心には朝鮮戦争
(一九五〇−五三年)当時の一部経歴の空白について、この時以来、韓国のスパイ
になったということが挙げられていたという。
218 :
マンセー名無しさん:2005/09/22(木) 23:37:09 ID:1ZY2pb0t
>>217 粛清は過去の経歴を洗うかたちで進められ、引退者を含め多くの老人たちが韓国
や米国とのつながりをでっちあげられ「スパイ」として銃殺されたという。しかし、二万
五千人のうちすべてが処刑されたのかどうかは明らかでなく、家族ぐるみで山奥の
政治犯収容所に送られたケースもある。
ただ手記によると「深化組事件」が逆に北朝鮮社会にさらに恐怖と動揺をもたらした
ため、金正日総書記は後にこれを「社会安全省の横暴」として「深化組」を解体し、
責任者を処罰し社会安全省は「人民保安省」に改称されたという。(09/22)