>>47 “日本海海戦当時の主力艦12隻に命中した砲弾130発の中で、4分の1の32発が三笠に命中されたが,30分足らずでロシア艦隊を撃滅したのです。”
日本ではその海戦を ‘対馬沖合海戦’として呼んだが、何時からかこっそりと‘日本海海戦’へ名前を変えた。 露日戦争は韓国の立場では侵略戦争だったし,大韓帝国の主権を侵奪した戦争だった。
海戦を控えて日本政府は独島を日本領へ不法編入して望桜を築き、無線電信基地を設置した。 また日本艦隊は鎭海湾を不法占拠して韓国人達を追い出し、三ヶ月間、艦砲射撃を実施した。
しかし展示室の何処にもその様な話は捜して見る事ができない。 どこまでも‘日本の防禦戦争’,‘偉大な日本民族の大叙事詩’という点だけ強調されているだけだ。
展示室には、その年の12月の連合艦隊解団式に於いて東郷提督が読んだという記念辞がある。
“神功皇后が三韓を征腹して以来、韓国は400余年間、私達の支配下にあったが,一度海軍が衰退すると直ちにこれを失って....” 当時の日本人達がどれだけ歪曲された韓国観を持っていたのか知る事ができる記述箇所だ。
戦艦三笠はその後のストーリーも劇的だ。 露日戦争終戦直後である1905年9月 11日,佐世保軍港で火事で沈んで 339名の水兵が死んだ。
また、引き上げた三笠は2次大戦敗戦後に米軍に接収され、大砲とマストが撤去されたまま米軍専用ダンスホールと水族館として利用された。 日本人達には恥辱だった。
米軍政が終わるとまた復元運動が起き、1961年に復元記念式を行った。 その後、久しく関心を引く事もできなかったこの古い‘歴史の遺物’は、最近、歴史歪曲の動きと共に捻れた国粋主義の歴史教育場として蘇っている。
(横須賀=鄭権鉉[チョン・グォンヒョン]特派員)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=023&article_id=0000139541§ion_id=104&menu_id=104 先日、大江健三郎氏への訴訟で危機感を煽っていた特派員さんの記事。