なぜ朝鮮人は絶望的なほど戦争が弱いのか?

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775マンセー名無しさん
朝鮮人は、自分たちの住むところがいつも戦場なのは知っているよ。

チームワークは、集団レイプや反日運動をして加害者出るのを被害者に逆転させ
サッカーには結構良い成績で勝つし、集団連携は出来ている方です。

昔の伝承を保てず、生き残れれば良く、今・現在・流行・自慢の話に合わせて
自民族の過去を抹殺・改ざん・捏造するんです。

−−− 朝鮮半島の歴史(略)1 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

BC109−BC108年は前漢武帝が攻め込み郡県を設置した。
コロラド州が設置されたが中にインディアン居留区があるような感じで住んでいた。
一般の社会では、アメリカ合衆国の地図を見ると、州の区切りと州名は知られるが
インディアン保留区の地図が入ったアメリカ地図は念頭にない。
そのような大雑把な歴史認識。

魏晋の時代に帯方郡太守弓遵が戦死したが
崎離営の衛所を攻撃し叛乱した韓族・穢族を滅ぼし半島全土を漢人が再占領した。
またまたサウス・ダコタ州の中にインディアン居留区があるように中国の行政内にあった。

南北朝になると中国の役所を焼き討ちし屯田中国人を虐殺し中国文物を追いはぎし
文物を中国語の真似読みし辰韓族は秦の始皇帝の亡命人で末裔と称した。居住民であって
真番朝鮮という秦の空き地(馬韓の東界・東浜)に住んだと次に来た中国人に説明した。
中国人の役所を憎しみのあまり跡形も無くして中国支配が引いたと思ったら
南と北から攻め込まれた。北は高句麗人が南は倭人が攻め込んできた。
北は中国の北朝に朝貢し
王倹城(平壌)〜遼東〜熱河まで支配する高句麗が南侵を繰り返す。
南は中国の南朝から倭人が「王・都督・鎮東将軍職」を拝命し
加羅(馬韓)任那(弁辰−辰韓)という行政区を置いて北伐を繰り返した。
ある時、倭が満ちた時に辰韓サロ国(新羅)の新羅城の一城しか生き残れなかった。
しかし好太王の句麗(広開土王の高句麗)が大軍で南侵し倭の包囲が解かれ助かった。
776マンセー名無しさん:2005/07/18(月) 17:11:29 ID:XJrwNeg4
−−− 朝鮮半島の歴史(略)2 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

鮮卑族系統の北魏の北朝の隋が高句麗遠征を失敗し、大唐が大遠征し
朝鮮戦争で北の人民軍がプサンに追い詰めたように
新羅の金城(新羅城・現在の慶州)を包囲するまで攻め込んだ。
しかし囲みを突破した間者が松明を包囲軍の周辺の村落にかざさせた上に
滅ぼした百済地区で叛乱が起こって漢人の補給の糧秣を焼いているとデマを流し
あわてて大唐軍を退却させた。
こうして新羅が、いつも圧倒的外的に責められて一城になっても独立を防衛した。

高麗の時は、契丹の遼国に攻め込まれ平壌(西京)を荒され
次に女真族の金国に攻められ
刀伊の乱?の時の南侵で半島南部まで侵攻され、朝鮮を越えて日本の壱岐まで侵攻した。
更に蒙古族の蒙古国・元国に王都を陥とされ
三別抄の乱の平定で蒙古軍に全土を蹂躙され完全降伏し朝鮮半島が蒙古の支配下に置かれ
高麗王家は代々が蒙古族の姫を妃に迎える事になって、日本侵攻の元寇にまでなった。

蒙古の勢いが衰え、中国が明の時代になって李氏朝鮮となったが
前漢武帝の時に中国人が半島の南海岸まで居たのが、平壌まで後退したにもかかわらず
平安道から黄海道北部にかけて中国人部落が多数存在し日帝支配となったあと
北朝鮮の現代まで中国人部落が存続し朝鮮は精神的にも居住的にも中国支配下にある。

李朝には日本の豊臣秀吉の侵攻の最中に
王都・漢城以北は7年間(遼東軍)中国軍の保障占領下にあって
半島南半分は日本軍が撤退した後2年間(広東水軍・福建水軍・四川軍・呉松水軍)中国軍の
保障占領下にあった。
中国領になるのを恐れて中国に二枚舌し日本に平伏した和平交渉をして
朝鮮女性を使った外交しかなく功を奏したか(明軍)中国軍に撤退をしてもらった。
777マンセー名無しさん:2005/07/18(月) 17:13:19 ID:XJrwNeg4
−−− 朝鮮半島の歴史(略)3 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

それもつかの間、明の出兵要請で遼東・南満洲に軍を送ったが負け
遼東の女直族(満洲族)の朝貢支配下に置かされた。
また隙を見て明軍と組んで叛乱したが、元の玉璽を手にして女直族を満洲族と改名し
後金国を清国と改名した得意の内にあった清太宗ホンタイジは
満洲軍20万の大軍を南侵させ、破竹の勢いで侵攻し王都を陥し、王族の逃げた江華島を攻撃し
朝鮮王の一万五千が篭城する南漢山城を45日包囲する。
中国人を裏切り満洲人の皇帝に三田渡の受降檀に額が血だらけになるまで土下座し
朝鮮は満洲の支配下に置かれた。その後、満洲軍は万里の長城を越えると明の玉璽まで手にした。

数百年後に明治新政府の日本軍が攻め込んだ折、王都漢城府を越えて南に中国軍が進軍し
牙山から歓成駅の間に陣取り、朝鮮全土を東学党の戦乱と日清戦争の戦乱で焼いた。
日本軍が戦勝し北上した後の平壌城の戦いで
清軍は敗走するにあたり平安道を略奪し荒廃させた。やがて朝鮮全土は日本の占領下となった。

日本の支配の間に、自分の土地を自分たちの抗日運動や独立暴動で荒廃させ経済が破綻した。
日本が無謀な戦争で負けた後に、日本軍に代わって来たアメリカ軍とソ連軍が現地の朝鮮人に
親日狩り・右翼狩り・共産党狩り・自由主義者狩りで朝鮮半島を荒廃させ
その上に、北の人民軍から朝鮮戦争を引き起こした。

北の人民軍がプサン近くまで侵攻、韓国軍が北部山岳地帯まで侵攻し
自民族同士で、アメリカ軍の虐殺や中国の人民軍の戦闘も手伝って
日帝時代に築いた経済産業を激しく減少させ
拉致で無償援助を引き出す生き方しか出来なく、今でも貧乏でいる。
いまだに南は外国軍支配下にあり、北は中国の属国・衛星国として存在している。