>>849-850 日本側で対馬を記載した最古の文献である『古事記』(712年)に
「津嶋」と表記されていることからもわかるように、正確な語源は
どうあれ、古来「つしま」の「しま」の部分が「島」と認識されていた
ことは明らかニダ。ただ、『日本書紀』(720年)には「対馬洲」と表記
されているので、一見「つしまのしま」という言い方も普通に存在
したかのように見えるニダが、当該箇所の伝統的な訓(古訓)では
3字合わせて「ツシマ」と訓んでいるニダ。「乾元本」(1303年写)と
いう日本書紀の写本には、ご丁寧に当該箇所の欄外に「私記曰
讀津嶋之嶋者非也(しきにいはく、つしまのしまとよむはひなり)」
という注記までも記されているニダ。それ以外の「壱岐洲」や「佐度
洲」などはひとしなみに「イキノシマ」「サドノシマ」と「〜ノシマ」を
付けて訓んでいるにも関わらずこの状態なわけニダから、「つしま」
に更に「しま」を付けるのは不自然だと日本人が感じていたことは
確実ニダ。結局日本人にとっては「つしまとう」にせよ「つしまじま」
にせよ「頭痛が痛い」「馬から落馬する」「被害を被る」の類という
ことニダ。「対馬島」なんて、所詮は「つしま」から「島」という意味を
感じ取れない非日本語圏の言い方ニダよ。
それよりウリが気になったのは、「対馬」の別名として挙げられて
いる「対州」の読み方ニダ。「つしゅう」なんて言い方、聞いたことも
ないニダ。もともと「対州」は「対馬の国」を漢文系の文の中で中国
風に表記する必要に迫られて作った語(「唐名」という)ニダから、
一般的な漢字音で「たいしゅう」と読まなくては意味のないものニダ。
実際、『ロドリゲス日本大文典』(1604年)というキリシタン宣教師
の作った日本語百科辞典にも、
・Tçuxima(対馬)。‘唐名’(Carana)。Taixŭ(対州)。
とあるニダ。