>>67 お茶は中国で秦の時代(紀元前221〜206年)から日常の飲料としてとられていた。
後に仏教との結びつき、修行中の眠気覚ましや元気をつけるために僧侶によく飲まれるようになった。
朝鮮半島には、新羅の善徳女王(632〜646年)に入り、
仏教とともにどんどん広がったこのころのお茶は抹茶と緑茶で入れる煎茶があった。
高麗時代(918〜1392)には、仏教が国教になったので茶を飲む風習がますます発展し一定の形式と格式が生まれ、
高価な茶道具、たとえば高麗陶磁器などが作られ上流階級で流行した。
しかし、李朝時代に崇儒廃仏の政策がとられたことと、上層階級と農民との過酷な戦いが行われたことにより衰退する。
韓国では茶の栽培は南の暖かい地に限られ、良いお茶を作るのに大変な苦労があったようで、
この貴重なお茶を上流階級の人たちは少しでも安く求めようとする。金も払わず栽培させたり無理にお茶摘みをさせたり、
とにかく強制的に献上させた。
高麗中期の詩人李筌報(イーギュホ1168〜1241)はこんな詩を残している。「山また山を踏み分け、茶の葉を摘む、
はるか都まで早う運べと鞭がなる、茶、それは万民の膏血(コウケツ)と肉、茶の木を焼き払うは、民の生きる道」(朝日百科、世界の食べものから)
茶がどんなにうまかろうと、素晴らしい効能があろうと庶民にとってはかかわりのないこと。
農民はわざと茶の木を枯らし、また火をつけて焼き払ってしまった。
そしてお茶を飲む習慣は無くなってしまった。
ソースは毎日新聞(だったと思う)スクラップの時期から見て平成9〜11年頃
Drアライの美食健康倶楽部より
昭和大学医学部各員教授 新居裕久