中国は北洋軍閥の時代・日本はレトロの大正時代に
魯迅先生は感情(ガンチン)を説いた。
ガンチンは北京政府(北洋軍閥政府)の安福倶楽部(段祺瑞の安徽派議員・
安徽派軍閥)という議員団と督軍や省長の賄賂腐敗(欧州大戦[第一次世界大戦の
ドイツへの]参戦軍の費用調達という名目の日本からの借金[西原借款?])だが
カントン(広東)のガンチンはペキン(北京)での協力者の
馮玉祥将軍が直隷派を裏切り紫禁城に軍団をなだれ込ませて溥儀を追放した事で
ラストエンペラーの宮廷存在と中国の永い宮廷歴史を終焉させた。
宮廷政治終焉の後に
カントンからクリスチャン−ジェネラルの馮[フォン]将軍は
宣教親であるクリスチャンである孫[スン]先生を北京へ中国内の和平会議で呼ぶが
すぐに老齢になっていたスン先生は「革命いまだならず」と言い残して亡くなり
孫文亡き後に同じ国民党の党首で軍人の次世代の蒋介石が
中国全土へ民衆の革命というガンチンによって北伐という中国統一の運動を生んだ。
そして毛沢東と周恩来が共産党に現れ
共産党と国民党との合作[国共合作]を始め、抗日戦争へと突き進んだ。