【過酷な労働条件にあった丁稚どんどん=下層大阪人の祖先】
11歳、12歳の「丁稚」は子供と呼ばれ、住み込みで徹底した「企業内教育」を施される。
習字にそろばん、証文や帳簿のつけ方などを約5年間、先輩から教えられる。
その間に、商売に不向きだったり、体力的に続かなかったり、という丁稚は店から消えていく。
同期が5人いるとすると、20歳ぐらいで「手代」になれるのは1人か2人です。
また30歳の手前になると、「手代」から「上座」になれるかどうか、
さらに30代半ばになると「上座」から「組頭」と呼ばれる管理職になれるかどうか、 ふるいにかけられます。
ピラミッド型の人事は現代の企業と同じですが、
丁稚と平手代は一種の試用期間で、いつでも解雇できました。
そのうえで出世の階段ごとに解雇か雇用更新か選別されていったんですね。
そうやって江戸の大店は無駄な人件費コストを背負わないようにしつつ、
競争力をつけようと努力していた。
ttp://jinjibu.jp/GuestIntvw.php?act=dtl&id=3 161 名無しさん@八周年 2007/06/13(水) 21:01:12 ID:Pe97OWST0
>>156 それWEのとき読んだよ。
江戸時代の丁稚は、50人入れば半分は病気になって死んだりする苛烈な仕事
1日12時間以上労働で超低賃金なのだから成人前に沢山死ぬ(死ぬ前にお払い箱ね)
そんな丁稚制度を賛美する猪瀬はアホ。そんなにいい制度なら猪瀬の子息が丁稚やってみろ
1日で脱走するわwwww
丁稚は正月と薮入りのときしか休みがなかったのですが、その薮入りの時の話でした。
映画の中で川柳なども紹介されて当時の丁稚の生活がわかります。
http://fine.ap.teacup.com/applet/takezumi/200703/archive