2005/02/19 産経朝刊から
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◆【緯度経度】国家人権委員会の人権感覚 ソウル・黒田勝弘
ソウルの中心部は市庁前広場で、周辺にはロッテ・ホテルやプラザ・
ホテル、朝鮮ホテルなど一流ホテルがある。さらに南大門や政府総合
庁舎も見える。新聞社もいくつかあってプレスセンターも近くにある。
その市庁前広場に面して以前、韓国最大の企業・浦項製鉄所のビルが
あった。十七階建てビルの最上階には企業ロゴの「POSCO」とい
うでっかい文字が出ていたが、そこに今はハングルで「国家人権委員
会」と書かれている。政府機関つまりお役所にしてはずいぶん派手だ。
政府機関では最も大きな「看板」かもしれない。
人権問題への政府の関心の高さと強い意欲を物語るものだ。民主化時
代で革新政権下の韓国の雰囲気を象徴しているといっていい。国家人
権委員会にはいろんな団体や個人からの訴えなどもあり活動は活発だ。
マスコミにはその動向がよく紹介されている。
たとえば国家人権委員会は最近、日本で原爆被害を受け、終戦後、帰
国した韓国人原爆被害者の健康実態調査というのを発表した。記者会
見での発表資料によると見出しは「原爆一世、一般人より鬱病(うつ
びょう)系九十三倍、造血器系がん七十倍も発生」「原爆二世死亡者
のうち十歳未満が52・2%、過半数が原因不明」などとある。
問題はいわゆる「被爆二世」だが、発表は原爆被害が子孫の健康まで
悪影響を与えているような印象だ。マスコミも二世への遺伝的影響が
あるかのように伝えている。
>>31 しかし資料をよく見ると調査(郵便)対象は被害者家庭千九十二戸の
四千八十人で、たとえばそのうち死亡者は7・3%の二百九十九人、
うち半分以上が原因不明の幼児死亡だったという。
今年は終戦(韓国では“光復”ないし“解放”)から六十年。韓国が
まだ貧しかった当時の時代状況および社会環境などを考えると、二世
の早死の比率はことさら高いといえるのか、さらに「原因不明」が原
爆による父母の肉体的被害と関係があるのかどうかなど判断は難しい
のではないだろうか。
肝心の日本では「被爆二世」はおそらく数十万人以上になるだろう。
原爆放射線の二世など子孫への影響についてはこれまで長期的な調査が
続けられているが、遺伝的影響などはまだ確認されていない。したが
って専門家もマスコミもこの問題での発言は非常に慎重である。「子
孫への影響」は場合によっては社会的差別となって被爆者の人権に悪
影響を与えるからだ。
今回、韓国の国家人権委員会の資料には一部の回答者から「差別が怖
くて被爆二世という事実を隠したり結婚などで難しさがある」との意
見を寄せていると紹介されているが、発表内容およびそれを伝えるマ
スコミ報道にはこの“恐れ”への配慮が足りない。
韓国世論には「原爆被害−被害者の苦痛−日本の責任」という暗黙の
図式があって、この種の問題も日本批判の“情緒”に利用されがちだ。
国家人権委員会の今回のような被爆者調査発表が被爆者(二世を含む)
の人権侵害にならないか気になるところだ。
>>32 人権問題では今週、ソウルで民間団体による「北韓人権・難民国際会
議」が開かれた。今年で六回目になる。世界各国からも参加者があり、
ささやかながら(?)北朝鮮の人権抑圧状況を国際社会に訴える役割
を果たしてきた。
ところがこの会議を朝鮮日報が後援しているのはケシカランと、市民
団体といわれる「六・一五南北共同宣言実現と韓半島平和のための統
一連帯」や「朝鮮日報反対市民連帯」などが朝鮮日報社の前で非難の
デモをやっていた。人権問題で北朝鮮に政治的圧力をかけるのは朝鮮
半島の「平和に反する」からよくないというのだ。
保守派の牙城である朝鮮日報は北朝鮮の金正日体制に対する厳しい論
調で知られる。北朝鮮当局が公然と「爆破」を扇動するほど金正日体
制にとっては目の上のタンコブだ。その意を受けているのかどうか、
韓国では市民運動の名で「朝鮮日報反対」や不買運動が執拗(しつよ
う)に続けられている。
韓国にとって、いや朝鮮半島の民族にとって今、最大の人権問題は軍事
独裁体制下の北朝鮮の人権抑圧だろう。しかし韓国では北朝鮮の人権問
題を議論することに反対デモさえ起きている。そして冒頭の国家人権委
員会は韓国内の過去の人権問題には関心が強いが「同じ民族」の北朝鮮
での現在進行形の人権問題にはきわめて冷たい。
国家人権委員会と朝鮮日報は目と鼻の先にある。片や六十年前の原爆被
害者の健康問題調査を人権問題として発表し、片や北朝鮮の人権問題追
及で市民団体の抗議デモを受けている。