慰安婦・靖国など日本が抱える負の歴史スレ総合 4

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928右翼討伐人 ◆PJBNbht6to
>>920
関心ですね。
その通りです。人道の正義の前に、罪を認めず、往生際の悪い右翼どもやネット右翼には困ったものです。
>>910 >>911
ダライ・ラマさんには同情の余地はあるとしても、ダライ・ラマさん、自体イギリスの傀儡で、
チベットの搾取権力者だった人物ですよ。欧米や日本の右翼のプロパガンダだけを見るわけには
いきませんね。

ダライ・ラマはインドの工作員であるという味方もできますよね。

http://taweb.aichi-u.ac.jp/leesemi/ronsyu3/qiyu.htm

>19世紀半ば頃までは問題がなかったが、イギリスはインドを完全に統治した後、
>19世紀の後半から20世紀の頭にかけて中国のチベットと新疆に手を出し始めた。1911年中国では辛亥革命が勃発、
>イギリスは当時の中国が西南国境に手が回らない状態を利用して、チベットを中国から分裂しようとし、
>チベットが鼓吹した中国はチベットに対して主権を有しでないことを承認した。
>1914年シムラ会議を開かれ、いわゆるマクマホウ・ラインをでっち上げた。>でも、中国政府に完全に拒否された
インドが中国からチベットを無理やり奪ったというわけ。
>インドが独立後、インド政府はイギリス侵入者によって占領されたまたは占領したい中国の領土をインドの
>領域に組み入れるつもりだった。50年代初め、朝鮮戦争が勃発して中国も巻き込まれた。
>また、新中国は成立したばかりで、国境まで面倒を見る余裕がなかった。そのチャンスを利用し、
>インドは中国政府が一度も認めたことのなかった、いわゆるマクマホウ・ラインによって分断された
>北部の中国領土にいた中国のチベット地方政府の職員をインド軍の武力によって追い出した。
>1959年8月25日、中国とインドの国境で第一次武力衝突が発生した。
インドは姑息な泥棒、まるで日帝のよう。
ダライ・ラマが事実上、亡命政府を認められ、反中国活動をある程度容認しているのは、将来チベットをインドの影響下におこうと
いう策略に他ならない。カシミールにおけるインドの強引な強奪ぶりをみれば、インドが日帝並の不法国家だということがわかる。
中国を擁護するわけではないが。
この話はここまでにしておこう。