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生粋の名無しさん ◆01PUREGOHc :
同書p7より
#-以下引用
参考資料
瀧々谷火田民事件について
1928年の秋、関北地方(豊山、北青、吉州、洪原、明川、三水、甲山)に大洪水があって
多数の水害罹災民が発生した。この水害罹災民たちは、恵山鎮営林署管内「国有林」に入り、
(引用者注1)~~~~~~~~~~~~~~~
自力でもって火田の開墾に着手して、生きるための希望としたのである。
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この数は1929年4月までに5300人余人に達した。
この水害罹災民たちは、瀧々谷地方に火田の開墾を許可してほしい胸の「陳情書」を
営林署長、甲山郡守、或鏡南道知事、総督にまで提出して、行政手続きも取っていたのである。
日帝官憲は官の方で指定した地域でないというので中止を命令したが、明日の生活に困窮している
罹災民たちとしては、すでに開墾に着手していることだし、またこの瀧々谷地域が火田に
有利な諸条件が備わっていたので、ここでの火田を許可して欲しいと交渉したのである。
しかるに、日帝はこの地域は木材の蓄積が豊富であるので、「森林令」違反を云々sながら、
60余戸の火田民家屋を放火焼却した。普通一般帝には、このような大水害による罹災民たちを
国家的に救済するのが常識であるが、日帝の植民地強圧政治は、種子まきまですませた
火田民もいたというのに、罹災民の救済どころか、ただ「森林令」をかざして暴力で対処したのである。
#-引用ここまで
ええと。まとめると。
「国有林」(つまり、国の土地)に入って森林を焼き払い、種まきをして勝手に住んで
「住んでやるから実質ウリの土地ニダ<`∀´>許可汁!
ウリは災害にあったから被害者ニダ。当然の処置ニダ」
とやったわけですか。
…おかしいな。この本古本屋で手にして初めて読んでるんだよな。
どっかで見た気がする。デジャブかな。
次回は「二 新羅・渤海と日本」 著:高寛敏の章に入ります。