1 :
マンセー名無しさん:
戦後60年、薄れる「家族再会」の趣旨
いったいこの”奇妙な支援”は、いつまで続くのだろう? 日本によるサハリン残留韓国人への
総額六十億円以上に上る支援のことである。当初は、冷戦で祖国へ帰れなかった人たちが家族と
再会するための補助金だった。それが、一部勢力の声によって「戦後補償」のように位置付けられ、
支援はエスカレート。戦後六十年近くたち、当事者が減ってしまった今もやめられないでいるのだ。
至れり尽くせり
今年八月未、ロシア・サハリン(旧樺太)に住む韓国人(朝鮮民族)のために、日本が資金を負担した
文化センターの起工式が行われた。総工費は約五億円。センターには、ホテルの機能やレストランも
設けられるという。
韓国では、サハリンから永住帰国した人たちが住むアパートや療養院の整備が続いている。二〇〇
〇(平成十二)年に韓国・安山に開設されたアパート(五百戸)の建設費は約二十七億円。療養が必要
な人の定住施設には療養院があり、現在さらに増設中だ。
(中略)
冷戦などによって、長く帰国を許されなかったサハリンの残留韓国人が家族と再会する事業(当初は
日本で再会)は約二十年前、日本にいる民間人によって始められた。当初は公的な支援もなく、費用は
個人で負担するしかない。少しでも国庫で負担しようというのが、支援の趣旨のはずだった。 だが、一
部の勢力によって起こされた裁判などの過程で、「日本によって四万三千人がサハリンに強制連行さ
れた」「日本人だけがサハリンからさっさと引き揚げ、韓国人だけを置き去りにした」などと、事実とかけ
離れたことが声高に叫ばれ続けていた。
国会でもこうした間違った認識を前提とした質問が繰り返され、日本が支援を行っても、「まだ足りない」
「責任は日本にある」と追及した。これに呼応して韓国側やサハリンの韓国人からも、日本の責任や補償
を求める声が強まり、支援はいつの問にか「戦後補償」のように位置づけられ、野放図に増えていったの
である。
本来の目的はどこへ
問題は他にもある。数年前にサハリンを訪れた産経新聞の記者は、現地の韓国人からこういわれた。
「私たちは戦前、自分の意思でサハリンヘ来た。それなのに日本のお金で韓国へ連れていってくれると
はありがたいことだ」 サハリンにいる韓国人(朝鮮民族)は何も、日本時代に募集や徴用で渡った人
たちばかりではないのだ。支援の対象者を実際に選ぶ作業は、韓国やサハリン側に任されており、日本
側はチェックする手段がないという。
韓国への一時帰国は、すでに何年も前から、本来の目的であった家族再会は隅っこに押しやられ、
付き添い役の二世、三世が主体となった”買い物ツアー化”が指摘されている。
夫とともに残留韓国人の帰還運動を続けた掘江和子さん(七七)は、「本当に祖国へ帰りたかった
お年寄りたちはもうほとんどいない。日本に支援するお金があったら、ほかの困っている人たちに
回すべきではないか」と話している。
サハリン残留韓国人問題について、「日本の責任がまったくなかった」というつもりはない。ただ、支援
はもう十分したのではないか。「理由のない支援」や「実効性のない支援」に多額の税金が注ぎ込まれる
のでは困るのだ。
平成16年10月25日 産経新聞朝刊より抜粋
【サハリン】残留韓国人への支援問題 理由見えず…いつまで続く[10/26]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1098781649/
3 :
マンセー名無しさん:04/10/27 08:41:18 ID:UKB8U2v8
サハリン残留朝鮮人、旧満州地区残留朝鮮人、旧ソ連中西部残留朝鮮人。
これって、日帝時代に日本人と一緒に開拓団に加わって入植した連中なのにね。
しかし、従軍慰安婦、強制連行、残留韓国人、これは全ては日左翼の捏造だ罠。
韓国人が謝罪賠償を求める裏に反日左翼有りだね。
4 :
マンセー名無しさん:04/10/27 08:46:29 ID:4gIL1nOa
サヨク利権は本気で役にたたないなあ
やりたい放題だな。
ここのブログが詳しいわさ。
ttp://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post_14.html 以下、書評・引用文のみコピペ
[書評]サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか(新井佐和子)
戦前、戦中、開拓民として、また戦時動員によってサハリン(樺太)に渡り、
終戦後も同地にとどまらざるをえなかった韓国人を故郷に帰還させるべく、
黙々と運動を続けた日韓夫妻がいた。
昭和十八年末、樺太人造石油の労働者募集に応じて渡樺した朴魯学と、
戦後朴と結婚した堀江和子である。
昭和三十三年、幸運にも日本人妻とその家族の引揚げに加わることができた朴は、
その後半生を同胞の帰還運動に捧げ、和子は献身的にこれを支えた。
だが、昭和五十年、サハリン残留韓国人帰還のための裁判がはじまると、
この問題はにわかに政治的色彩を帯びて、日本の戦争責任、戦後補償問題へと発展してゆき、
夫妻の活動は忘れ去られていった。
サハリン残留韓国人はなぜ祖国に帰れなかったのか。
その責任は本当に日本にあるのか。だれがこれを政治的に利用しようとしたのか。
夫妻の足跡をたどり、ことの真相を明らかにした労作。
上記糞毎日の記事では、
◇サハリン残留韓国・朝鮮人問題
第二次大戦中に日本に徴用され、サハリン(樺太)の炭鉱や軍事施設で働いた
韓国・朝鮮人4万人以上が、終戦時に日本人の妻を持つなどの例外を除き、
置き去りになった。87年、超党派の議員懇談会が設立され、88年に一時帰国が実現。
韓国に受け入れ施設も作られ、現在は永住帰国も実現している。
ttp://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post_14.html より
戦後サハリンには朝鮮族に三つのグループがあった。
ひとつのグループは、先住朝鮮人であった。戦前から入植していたり出稼ぎでやって来た者、
戦時動員で来た労働者が含まれる。その出身地はほとんどが朝鮮半島の南であり、
心情的にはのちの北朝鮮を忌避していることから、現在は自らを「韓国人」または「韓人」と称している。
もうひとつのグループは戦後にやって来た「派遣労務者」である。
朴の手記には彼らののことがつぎのように記されている。
二十一年五月ごろだろうか、北韓[北朝鮮]からの派遣労務者が四千トン級の船で千名もやって来た。
長いあいだ戦争に疲れた耐乏生活のためか、その服装は同じ同胞でありながら恥ずかしいぐらいみじめであった。
他の先住民らはその憐れな同胞を接待してやった。その後何回となく船は着いた。
労務者の数は約五万人。しかしこの人たちは私たちと思想がちがっていたせいか、
常に双方のあいだは不和であったので、たびたび喧嘩が起きたのである。
三つめのグループにソ連系朝鮮人がいる。ウズベキスタン、カザフスタンなどの中央アジアに移住していた朝鮮族のうち、
共産党、軍人、ロシア語のできる者が、先住朝鮮人や派遣派遣労働者を管理し、思想教育をほどこすために派遣されてきたのである。
エンゲーベーの市町村支部にはソ連系朝鮮人の役人がひとりずつ配属されていた。
平成七年(一九九五)三月二十八日、韓国の「連合通信」の報道によって、
朴の手記にあるように、戦後まもなく派遣労働者がやってきたことが証明され
「産経新聞」がこのニュースを伝えた。
9 :
マンセー名無しさん:04/10/27 12:10:40 ID:YG1bHqxq
ほんとかや
10 :
マンセー名無しさん:04/10/27 12:11:42 ID:EN0T2DLt
どいつもこいつも日本のヒモだな朝鮮人。
11 :
マンセー名無しさん:04/10/27 13:07:21 ID:UKB8U2v8
しかし、昔やりあった半穴譲のところに格好の資料が残っとった。
http://www.han.org/a/half-moon/hm024.html#No.191 朝鮮人労務動員数
会計年度 樺太 日本国内 南洋群島 合計
1939 3,301 49,819 − 53,120
1940 2,605 55,979 814 59,398
1941 1,451 63,866 1,781 67,098
1942 5,945 111,823 2,083 119,851
1943 2,811 124,286 1,253 128,354
1944 − 286,432 − 286,432
1945 − 10,622 − 10,622
合計 16,103 702,827 5,931 724,787
(資料出所、39−43年は朝鮮総督府財務局「第86回帝国議会説明資料」
44−45年は大蔵省管理局「日本人の海外活動に関する歴史的調査)
これ見ても、最大で1万6千人程度。
それが、妄想捏造従軍慰安婦訴訟で一躍名をあげた高木健一ら、
活動家の手により一挙に4万人3000人に膨れ上がる。
1990年初頭、従軍慰安婦、強制連行、サハリン韓国人遺棄等々、
将に、やりたい放題の時期だったんよね、サヨ・プロ市民にとっての黄金期。
14 :
マンセー名無しさん:04/10/27 18:15:34 ID:StM2IY2V
ごみのようだ ごみのようだ
朝鮮人のようだ 朝鮮人のようだ
16 :
マンセー名無しさん:04/10/27 21:44:50 ID:RN4AL4Hg
「潮」(潮出版社)2002年9月号
【特別企画】「戦争」を語り継ぐ
サハリン残留韓国人たちの癒えない傷。 粟野仁雄(ジャーナリスト)
仁川にある療養院を訪ねた。99年に日本の支援金で完成した、帰還者が余生の最後を
過ごす施設といってよい。
(中略)
道案内や通訳をしてくれた李周雨さん(68歳)が意外なことを言った。
「この問題は戦後、サハリンから外へ出さなかったソ連政府が悪いんです。決して日本の
責任ではない。戦争に負けて逃げて帰るのに韓国人のことなど考えられないでしょ。
それに強制連行なんて嘘ですよ。商売や募集で渡った人がほとんどです」
さらに、
「韓国政府は反日感情を煽るために利用しているだけで何もしない。帰れるようになった
功労者はペレストロイカ、そして私たちのために尽くしてくれた日本です」
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/08/post_16.html
>>16 潮って層化の雑誌じゃないの?
この話題を反日に持ってかないとは不思議…。
ただ今調査中なので保守しときます。
19 :
マンセー名無しさん:04/11/04 00:18:25 ID:itqLhfdp
保守
20 :
永住外国人参政権反対:04/11/04 18:32:51 ID:W4G6OwBu
永住外国人参政権のことが終ったら取り組む。
ホシュ。
今日も保守。
もしかしてこの件ってムネオが関わってる?
やはり、スレ立てたか。チョンはマジで滅びろ
樺太と呼ぼう。
保守
25 :
マンセー名無しさん:04/11/12 08:25:37 ID:kWV8Ahf+
今、BS11で再放送だけど、サハリンの朝鮮人のことやってる。
朝鮮半島を占領した日本とか、韓国人だけ残されたとか言ってる・・・。
26 :
マンセー名無しさん:04/11/12 08:28:09 ID:xcYTayl8
うーむ、これだけチョンコの皆さんに足を引っ張られてるのに、先進国としてやっていける日本はたいしたもんだ(・∀・)
>>25 電凸スレに書き込んでくださったおかげで後半(33分過ぎ)から見れました。
産経新聞でも特集がありましたが、いまだに続く帰国支援に胡散臭さを感じます。
…全然知らんかった。
実家が樺太から近いっていうのに… il||li _| ̄|○ il||li
BS11の録画したのを、今見ました。
>>7>>8のブログを読むと余計に突っ込みどころ満載でしたね。
ブログの、戦後サハリンの朝鮮人には3つのグループがあったことも触れていないし、
一方的な意見を垂れ流すだけの番組でした。被害者意識がすごかったです。
ソビエト(当時)領になったのだから、帰化を迫られたり、国籍で区別されるのは
当り前じゃないかと思うのですが・・・。
自分達が苦労したのは、戦後日本人が朝鮮人を置いて、自分達だけ帰国したからという主張だけは
一貫性がありました。 「恨(ハン)の気持ちがある」そうです。
すごいなと思ったのは、瑞穂村というところで、8月20日にソビエト軍が上陸してくると伝えられ、
その恐怖と混乱の中、朝鮮人がソビエト軍を手引きしているというデマによって、日本人による
朝鮮人27人虐殺があったとされ、番組の主役の李氏がその朝鮮人の碑を訪ねたところ、
その場所は背丈ほどもある草に覆われ、本体は木の祠が朽ち果てた状態だったことです。
高さ40cmぐらいの小さいものでした。
日本人なら、同胞の魂はきちんと弔い続けますよね。同じ島にいるのだし、行けない場所じゃないし。
そんなことがあったら、なおさらそうすると思うのですが。
彼等はそうじゃなかった。小説家李氏は、朽ち果てた祠を日本人のせいにしていましたけど。
ある意味、ショックでした。
虐殺のことなど知らなかったので、この件は今後色々調べます。
ところで、1995年11月が本放送だったのですが、なぜ今再放送なのか・・・。
NHKに聞くしかないですね。 長文失礼しました。
虐殺じたいも怪しいもので、当時のソ連がシベリアで何をやったかを考えたら、無実の罪を被せられたことも十分考えられる。
当時、ソ連は北朝鮮としか国交がなかったからこそ、ソ連への帰化か北朝鮮への帰国しか許さなかった。
終戦までは同胞だった日本人と朝鮮人を分裂する作戦だった可能性は高いと思う。
32 :
マンセー名無しさん:04/11/12 19:13:32 ID:kWV8Ahf+
私も、虐殺は怪しいと思った。
ただ番組の中でKGBサハリン支部が出てきて、中の人が「1945年8月に瑞穂村で起きた朝鮮人
27人殺害事件に関する裁判の関係記録文書です」と古い記録を持ち出してた。
戦後の混乱の中で無実の罪を被せられて決着をつけられたのかな?
NHKに電話したけど、オペレーターでは突っ込んだ話はできない。
現在は在留朝鮮人に対して手厚い保護>>1
>>2をしているので、そのことを放送の終わりにでも
追加しなければ、視聴者に誤解を与えたままになるので、もう放送しないでほしいと言っておいた。
1995年のものをこの時期に放送すること自体、目的がバレバレだけど。NHKも地に墜ちた。
外国人参政権のことも気になるので、この問題は落ち着いたら調べる。
番組は見てなかったけど、そういうことだったのか!
うちの父親、樺太引揚者なんだけど、ここ何年か向こうに行くようになった。
で、父はそんなこと言わないんだけど、付き合いで同行してた母が
最近、実家でも嫌韓発言するようになった私に諭すように
「サハリンには残留朝鮮人がいて可哀想なんだよ」と語りだすようになった。
向こうで騙されてきたんだな。
ちなみに日本人残留者ももちろんいるらしい。
まぁ引揚船を撃沈してくれた露助のことだから別に驚かないわけだが。
要するにスターリン一味による強盗なんだよね、樺太侵略というのは。
李開成といえば飼っていた犬を隣人の鮮人に食われたとかいう人じゃなかったか?
あと社会主義国の警察裁判の実態は脱北者李順玉の公聴会記録にあるような按配だと思うよ。
保守。
保守
37 :
--:04/11/25 01:01:24 ID:sS1m0QjW
--
永住外国人参政権は継続審議になりました。
このサハリン(樺太)の件は、電凸かメール始めますかね。
日本人なら樺太と呼ぼう
40 :
マンセー名無しさん:04/11/30 15:10:01 ID:j/XOxlew
日本人なら樺太と呼ぼう
42 :
マンセー名無しさん:04/12/06 01:33:07 ID:DvQS1hme
樺太の鮮人なんてほっときゃいいのに・・・
43 :
kinji:04/12/06 01:49:05 ID:NHabIG3E
まあこのサハリンの韓国朝鮮人にはまだ戦争はおわってないのです。
いま釜山にはそういうロシアから戻ったロシア生まれの韓国人がおおいです。
おいしいロシア料理を食べながらも考えさせられました。
なお韓国・朝鮮人は中央アジアにも多くいます。ソ連のスターリンの惨禍
で移住した人たちの子孫です。しかし韓国はそこにもしっかり足場を作ってます
ウズベキスタンは国産の車が増えましたがすべて技術や方法は韓国から
です。車も小回りがきいていいと評判です。逆境にまけてませんね。
そういうのを見ると日本は・・という気分にもなります。
朝鮮人のことは朝鮮人にやらせりゃいい、甘い顔するからたかられっちまうんだよ。
45 :
マンセー名無しさん:04/12/06 02:02:50 ID:RWA/Hikt
一体日本人はこれまでどれだけ朝鮮人に金を取られているのかね。
46 :
日本人なら樺太と呼ぼう:04/12/06 14:22:58 ID:6g52cQA2
侵略者のつけた名前は容認できない。
47 :
マンセー名無しさん:04/12/09 23:41:47 ID:2mdt6eS2
樺太ぬるぽ
48 :
マンセー名無しさん:04/12/09 23:44:22 ID:xJlZ72aQ
>>47 ちょんガッーッ
・・・チョンガーってイクナイ言葉?
>>48 チョンにガッとする行為をチョンガーとす。
つーか、朝鮮起源が概ね捏造の中、珍しく朝鮮語起源の言葉でふね<チョンガー
50 :
1924:04/12/09 23:51:36 ID:oAvbmEw/
>>43 >まあこのサハリンの韓国朝鮮人にはまだ戦争はおわってないのです。
せっかく幸運にも偶然に独立国になれたのに外国に取り残された同胞を助けない韓国・・国家として最低だなw
>そういうのを見ると日本は・・という気分にもなります。
日本人は韓国人と違って ちゃんと同胞を日本まで連れ帰ってきたからな
自国民を放置して足場築いて何が楽しいのやら・・そういう思考って理解できんw
樺太の朝鮮人より樺太鱒がいい。
最近、マス缶って売ってないような気がする。うまーなのに。
52 :
マンセー名なし:04/12/10 05:51:28 ID:USqGtK8W
◆韓国人に聞きたい、条約って何のために結ぶの?
終戦の直前に沖縄から本土へ避難する児童1400人を乗せた船がアメリカの潜水艦に
撃沈され、多くが溺死したという事件をご存知でしょうか。鹿児島に慰霊碑が建っ
ています。サンフランシスコ平和条約を締結する際に、日本政府は賠償請求権を
放棄し、アメリカは日本の戦後復興に協力することで決着が図られました。だから
この問題はもう終わっています。法的にも実質的にも。子供たちがかわいそうだと
思うのなら、慰霊碑に花束でも供えて冥福を祈ってあげればいいわけです。
アメリカが経済的に繁栄しているのを見て、もっと金が取れるはずだと考えて、誰
かが遺族をそそのかして、日米両政府に対して謝罪と損害賠償を求める訴訟を提起
したらどうなるのでしょうか。それに相当することが韓国では実際に起こっている
ようです。特定の活動家たちがその背後にいます。
河野洋平氏をはじめ一部の政治家はあまりにもナイーヴなのに、驚いてしまいます。
こういう動きは、自然発生することはまずないと考えたほうがいいです。上記のよう
な訴訟が提起されたら、アメリカの国務長官は謝罪・賠償するのでしょうか。
>>46 サハリンは「黒竜江の河口にある山」という意味の満洲語が縮まったもの
別にロシア人が名づけたわけじゃない。
ちなみに樺太はアイヌ語KaraptoまたはKarahtoの当て字だが、元は日本語「唐人」からの借用らしい。
54 :
マンセー名無しさん:04/12/13 00:53:45 ID:EMg45TKf
【<資 料>「031回-衆-外務委員会-04号 1959/02/06」(抜粋)】
031回-衆-外務委員会-04号 1959/02/06昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時三十一分開議
http://www.gameou.com/~rendaico/seito_nittyoseizishi_kikokuundo.htm パチンコ屋りで安定した仕事をしておるといっても、パチンコは賭博なのであって、
社会党内閣でもできたならば、パチンコという趣味に対して、それほど寛大でもなかろう、
私は勤労者の内閣ができたときには、そういう賭博場に対してはあまり寛大な政策をとるとは限らないと思う。
あるいはまた特殊喫茶、特殊キャバレー等の経営をしている朝鮮人、
中国人が多いことは、諸君の御承知の通りですが、そういう商売が、所を得た健全な商売であって
隣邦の民としてそれで経済能力をもって日本民族に寄与しておるという解釈は、私は立たぬと思うのです。
そういうような領域における企業に第三国人がはびこることは、私は健全なる日本民族の道義と趣味と、
またレクリエーションを養うために、それはよい影響をもたらすものではなかろうと思います。
そういうものをさらにはぶいて、純粋によき勤労とよき技術とよき経営能力とよき文化を持つ隣邦の民として尊敬され、
日本に寄与しておる移民の数はどれくらいかと言うと、十万をはるかに割るということになる。
そうすると、帰るということの事実は人道の問題であって、何人も関与せざる個人の自由です。
55 :
日本人なら樺太と呼ぼう:04/12/13 17:45:33 ID:l95MkOFV
>>53 そんなことは知っているけど強盗の付けた呼称は不愉快なんだよ。
関係者としては。
56 :
マンセー名無しさん:04/12/13 18:51:05 ID:21syfZBX
たしか北の国籍を持ったチョンはすぐに北に戻れたけど
当時ソ連と国交がなかった韓国系は、かなり後になってから国交結んだから
帰国が遅れただけ。 責任は韓国政府の国交を結ぶのが遅かっただけ。
57 :
マンセー名無しさん:04/12/14 02:46:32 ID:mrl5o0Tr
>>53 >ちなみに樺太はアイヌ語KaraptoまたはKarahtoの当て字だが、元は日本語「唐人」からの借用らしい。
おいおい本当か?。
ぬるぽ
【編集者へ編集者から】 正論2000年5月号
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/reader/05-r1.html ☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から。
四月号、豊中市の辻孝次さんへ。
一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を述べさせていただ
きます。
私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国に集団永住帰国す
るというニュースのなかでの解説とおもわれます。
ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のための移住、という
首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになってしまった背景には、つぎのようなことが
あると考えております。
それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を捏造してしまった
ことが原因です。
その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制連行されて行った人
々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてきた」と主張し、その責任として日本政府から
多額(数十億円)の補償金を拠出させています。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国する
サハリン残留韓国人一世夫婦約千人が三月までに入居することになりました。
しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、前記一部の知識人が
言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労
働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それ
は百人にも満たない数です。
>>59の続き。
終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから彼らは日本人と
区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労
働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。
それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分は一九三〇年代
にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働させられてきた人たちの子孫です。
ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業ですが、その対象となる人は、
終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外
の地にいた人でも一九四五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前か
らこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への一時帰国(里帰り)事業には、
明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の
新聞記事で確認しています。
そこで、ご質問の(二)について考えられることは、現在、大陸に居住している朝鮮族のために置かれてい
るとみられる「ハバロフスク離散家族会」というのがありますが、そこで扱った帰国者のなかに、ソ連による
沿海地方から大陸への「強制移住者」が含まれていたことから、このような誤報がなされたのではないかと
いうことです。
(一)についていえば、以上のようにサハリン在住韓国・朝鮮人の由来が意図的に歪められたり、また他でも
韓国には謝罪と補償を繰り返していることから、朝鮮半島は条約によって日本と併合されたという基本的な認
識がだんだん薄れてきているからなのでしょう。NHKに限らず、あらゆる報道機関で、この「サハリン韓国人
問題」を正しく理解し報道しているところは、いまのところ産経新聞以外にありません。
>>60の続き。
長い間彼らが帰れなかった理由は、冷戦時代の国際情勢によるもので、日本国には
なんら責任はありま
せん。とはいえ、戦中戦前から樺太にいた韓国人でいま身寄りもなく、故郷に帰りたいという人がいるならば、
人道的な見地から援助の手をさしのべるのにやぶさかではありませんが、実際は、その他の人たちにも無制
限に日本の国費で援助しているというのが現実で、そのためいろいろな弊害が出ています。
以上「サハリン韓国人問題」の間違った解釈は、困ったことに「広辞苑」などの辞典や教科書にも書かれて、
既に定着しています。
詳しくは拙著「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)をご参照頂ければ幸いです。
サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980
戦後補償
ttp://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/sengo_hosyo_1.html ≪サハリン残留者帰還請求訴訟(東京地裁)≫1975年(昭和50年)
日本領だったサハリン(樺太)が戦後ソ連領に組み入れられ、戦前働きに来ていた朝鮮人(ほとんどが現韓
国にあたる地域の出身者)たちが取り残された。そこで、日本政府に対し、日本に「帰れる」ようにソ連と交渉す
ることを求めた裁判です。
訴訟については、残留朝鮮人の支援活動をしていた新井佐和子氏が「サハリンの韓国人は何故帰れなかっ
たのか」という著作でレポートしています。裁判の目的が、残留朝鮮人を韓国に帰国させることではなく、日本
を糾弾することにあることに新井氏は途中で気付いて手を引きます。
戦後に日本人は帰国できたのに、朝鮮人が帰国できなかったのは、サンフランシスコ講和条約で彼等が日
本国籍を失ったことや米ソの協定によるもので日本にはどうしょうもなかった。また背景にはソ連が彼等を労
働力として必要としていたことやソ連と北朝鮮との関係もありましたが、原告側、弁護団は「日本が強制連行
してサハリンに連れていったのだから、日本が悪い。責任を取れ」の一点張りだったそうです。
70年安保の活動家たちが訴訟の支援に加わっていたことも明らかにされています。この訴訟の中心人物が、
90年代の「従軍慰安婦」訴訟の中心人物でもある高木健一弁護士でした。
訴訟で、原告側は樺太に朝鮮人が来たのは強制連行されたからだという主張を展開しますが、そのことに
関する証言者が、なんと、あの吉田清治でした。
>>62の続き。
※吉田は「従軍慰安婦強制連行」問題で、「自分は済州島で慰安婦狩りをした」とありもしない捏造証言を
した人物である。
当時彼の嘘はまったく暴露されておりませんでしたから、ストレートに信じられた。サハリン訴訟のいかがわ
しさを象徴しています。そもそも吉田はサハリン問題とは何の関係もありません。証言者としての資格がない
んです。仮に彼が実際に強制連行をしていたとしても、彼が強制連行した朝鮮の人がサハリンに居住したとい
う証拠は何もありません。「日本が強制連行した」というイメージを与えるためだけに証言したのです。
「サハリンの韓国人は何故帰れなかったのか」のあとがきに新井氏はこう書いています「平成四年の宮沢
首相訪韓の前後に、従軍慰安婦問題が持ち上がったとき、私はこの問題の裏にサハリン問題と同一の仕掛
け人がいることを知り、そのことで警告を発したことがあった。知らずに運動に踊らされる人たちに、自分と同
じ轍を踏んでもらいたくないというほどの気持ちからだった。
ところが、宮沢首相訪韓を機に慰安婦問題はマスコミの力を借りて燎原の火の如くいっきに燃え広がり、その
結果は周知のとおりで、こんにち日本の近隣諸国への謝罪外交はほとんど習慣的になり、教科書では間違っ
た歴史を教え、国家が自信と誇りを失った国民を育成するという事態に陥ってしまった。
(中略)
サハリン帰還運動の歴史を正しく捉えていれば、この国が、これほどまでに方向を誤ることはなかったかもしれ
ない。この訴訟は、「戦後補償」運動の原点というべきものであると同時に、その歪んだ本質をも示していて注目
すべきだと思います。結果的に、サハリン訴訟が、従軍慰安婦運動を準備した。
>>1は中略されてる部分があるので、全文を改めて貼っておきます。
サハリン残留韓国人への支援問題
戦後60年、薄れる「家族再会」の趣旨 理由見えず…いつまで続く 特集部 喜多由浩
いったいこの“奇妙な支援”は、いつまで続くのだろう? 日本によるサハリン残留韓国人への総額六十億
円以上に上る支援のことである。当初は、冷戦で祖国へ帰れなかった人たちが家族と再会するための補助
金だった。それが、一部勢力の声によって「戦後補償」のように位置付けられ、支援はエスカレート。戦後六
十年近くたち、当事者が減ってしまった今もやめられないでいるのだ。
≪至れり尽くせり≫
今年八月末、ロシア・サハリン(旧樺太)に住む韓国人(朝鮮民族)のために、日本が資金を負担した文化
センターの起工式が行われた。総工費は約五億円。センターには、ホテルの機能やレストランも設けられる
という。
韓国では、サハリンから永住帰国した人たちが住むアパートや療養院の整備が続いている。
二〇〇〇(平成十二)年に韓国・安山に開設されたアパート(五百戸)の建設費は約二十七億円。療養が必
要な人の定住施設には療養院があり、現在さらに増設中だ。
これだけではない。サハリンに住む韓国人は一定の条件を満たせば家族との再会のために日本の負担で
韓国へ一時帰国することができる。一九八九年の開始以降、ひと通り希望者が一時帰国をしたため、数年後
には二巡目が行われ、現在は三巡目に入っているという。
三年前からは逆に、韓国へ永住帰国した人たちが、サハリンに残っている家族・親族に再会するための「サ
ハリン訪問」への支援も始まった。まさに、至れり尽くせりではないか。
>>64の続き。
≪日本が“火をつける”≫
こうした支援活動は、八九年に日韓の赤十字によって設立された「在サハリン韓国人支援共同事業体」に
よって行われている。
共同事業体とはいっても、永住施設の建設費や一時帰国者の渡航費などを負担しているのは、もっぱら
日本側だ。現在までの日本側の拠出総額は約六十四億円(韓国側は土地代や年金の形で永住帰国者の
生活費などを負担)。日赤国際救援課などによると、「『帰りたい』という人がいる以上、今後も支援は続ける」
という。
冷戦などによって、長く帰国を許されなかったサハリンの残留韓国人が家族と再会する事業(当初は日本
で再会)は約二十年前、日本にいる民間人によって始められた。当初は公的な支援もなく、費用は個人で負
担するしかない。少しでも国庫で負担しようというのが、支援の趣旨のはずだった。
だが、一部の勢力によって起こされた裁判などの過程で、「日本によって四万三千人がサハリンに強制連
行された」「日本人だけがサハリンからさっさと引き揚げ、韓国人だけを置き去りにした」などと、事実とかけ
離れたことが声高に叫ばれ続けていた。
国会でもこうした間違った認識を前提とした質問が繰り返され、日本が支援を行っても、「まだ足りない」
「責任は日本にある…」と追及した。これに呼応して韓国側やサハリンの韓国人からも、日本の責任や補償を
求める声が強まり、支援はいつの間にか「戦後補償」のように位置づけられ、野放図に増えていったのである。
>>65の続き。
≪本来の目的はどこへ≫
問題は他にもある。数年前にサハリンを訪れた産経新聞の記者は、現地の韓国人からこういわれた。
「私たちは戦前、自分の意思でサハリンへ来た。それなのに日本のお金で韓国へ連れていってくれるとは
ありがたいことだ」
サハリンにいる韓国人(朝鮮民族)は何も、日本時代に募集や徴用で渡った人たちばかりではないのだ。
支援の対象者を実際に選ぶ作業は、韓国やサハリン側に任されており、日本側はチェックする手段がない
という。
韓国への一時帰国は、すでに何年も前から、本来の目的であった家族再会は隅っこに押しやられ、付き
添い役の二世、三世が主体となった“買い物ツアー化”が指摘されている。
夫とともに残留韓国人の帰還運動を続けた堀江和子さん(七七)は、「本当に祖国へ帰りたかったお年寄り
たちはもうほとんどいない。日本に支援するお金があったら、ほかの困っている人たちに回すべきではないか」
と話している。
サハリン残留韓国人問題について、「日本の責任がまったくなかった」というつもりはない。ただ、支援はもう
十分したのではないか。「理由のない支援」や「実効性のない支援」に多額の税金が注ぎ込まれるのでは困る
のだ。(特集部 喜多由浩)
>>66の続き。
【プラスα】
■サハリン残留韓国人問題と日本の支援
日本時代にサハリン(旧樺太)へ企業の募集や徴用などで渡った韓国人(朝鮮半島出身者)の多くが戦後、
ソ連(当時)によって帰国を認められず、数十年間、当地にとどめられた問題。当事者の1人であった朴魯学
氏(故人)と妻の堀江和子さんらが昭和30年代に日本へ帰還して、同胞の帰還運動を開始。当時はソ連と
韓国の間に国交がなく交渉は難航を極めたが、ソ連のペレストロイカや冷戦の終結も“追い風”となり、日本
での家族再会や韓国への永住帰国が順次、実現した。
日本政府は一貫して「法的責任はない」と主張してきたが、この問題が関係各国を巻き込んで政治問題化
していくなかで、「人道的な見地からの支援」がふくらんでいく。
在サハリン韓国人支援共同事業体の支援によって、今年3月までに延べ1万4678人が韓国へ一時帰国、
1497人が永住帰国した。また、韓国からサハリンへの家族訪問では今年3月までに1577人が参加。
サハリンではマイクロバスの提供なども行われている。
産経新聞 平成16(2004)年10月25日[月]
凛として サハリンの同胞を救った夫婦 朴魯学・堀江和子(1)
北朝鮮による拉致被害者や家族の報道が今、連日のように新聞やテレビで流されている。
「私たちも同じような立場になっていたのかもしれない」
堀江和子(七七)はそう思うと胸が詰まった。長い間、母国の政府が関心すら持たず、救出に動こうとしな
かったという意味では、拉致被害者もサハリン残留韓国人問題も同じだ。“祖国から忘れられた存在”ほど
悲しいものはない。海を隔てたすぐそこに自分の国があるのに…。
◆◇◆
終戦まで、樺太(現サハリン)には四十万人以上の日本人がいた。酷寒の不毛の地に、日本人が鉄道や
道路を通し、産業を根付かせたのである。
和子は昭和二(一九二七)年、樺太・西海岸の真岡(現・ホルムスク)で生まれた。十一人兄弟の三女。
大正期に樺太へ渡り、製紙会社に勤務していた父が十七年に亡くなるまでは、暮らしぶりも良かったという。
すべてを変えたのは終戦、そしてソ連軍の突然の侵攻だった。和子はその日のことをよく覚えている。
「ぼろぼろの格好の兵隊が行進していた。腕には日本人から奪った腕時計がいくつも巻いてあり、万年筆や
着物を欲しがる兵隊もいた。言葉も分からず、とにかく恐ろしかった」
やがてソ連軍は日本人が築いた施設を次々と接収し、住民には職場復帰を命じた。もちろん、だれも出国
はできない。そして翌年、ソ連が行った人口調査で「日本人」と「無国籍者」とされた朝鮮半島出身者は完全
に区別された。これが“悲劇の第一幕”であった。
>>68の続き。
朴魯学(パクノハク)(昭和六十三年、七十五歳で死去)は大正元(一九一二)年、日本が植民地支配して
いた朝鮮半島の生まれ。新聞広告で見た樺太人造石油の労務者募集に応じて、樺太に渡ったのは昭和十
八年のことだった。
当時、樺太の給与水準は内地(日本)や朝鮮半島と比べても高水準で、それに魅力を感じて、海を渡る朝
鮮半島出身者が少なくなかった。もちろん、「強制」ではなく、自分の意思である。
戦争のために国民の動員を可能とした徴用令が朝鮮半島で施行されるのは十九年九月になってからだ。
ただ、徴用を見越して募集に応じた人もいないではない。朴は後に和子に、「一家のうち、いずれ誰かは(徴
用に)行かねばならない。弟が病弱なので私が行った」と語っている。
終戦を迎えて、朴は真っ先に故郷(現在の韓国)へ帰るつもりだった。妻と三人の子供がいたからだ。だが、
終戦から一年たっても、ソ連当局からは帰国について、何の沙汰(さた)もなかった。そんなとき和子との縁談
話が持ち上がったのである。
当時、兄の家にいた和子にとっても、帰国のメドが立たないまま、兄の世話になっているわけにはいかなか
った。
二十一年九月、朴と和子は結婚する。朴に妻と子供がいることは秘密だった。このことが、後に和子や韓国
の妻、そして朴自身を苦しめることになるのである。
◆◇◆
皮肉なことに、結婚から程なくして、和子は日本人の引き揚げが始まることを知った。二十一年十一月、
「米・ソ引き揚げ協定」が結ばれ、日本人の引き揚げが決まったのである(二十四年までに、約三十万人の
日本人が帰国)。
だが、引き揚げの対象に「無国籍者」となった朝鮮半島出身者は含まれていなかった。当時、米占領下に
あった日本はこの決定に関与していない。というより関与できなかった。だから「日本が朝鮮半島出身者だけ
を置き去りにした」という指摘は事実でない。
>>69の続き。
(中略)
【サハリン残留韓国人問題】 日本時代に、企業の募集や徴用などで、樺太(現ロシア・サハリン=元来、
日本の固有の領土であり、現在も帰属が決着していないという主張もある)に渡った朝鮮半島出身者約1万
人(終戦時)が戦後も帰国を認められなかった問題。そこには、日本人妻約1000人もいた。
冷戦構造のなか、当時のソ連が友好関係にあった北朝鮮に配慮し、国交のない韓国への帰国を認めなか
ったためとされている。サハリンには戦後、北朝鮮地域などから2万人規模の派遣労働者が渡っており、これ
を含めた人数が一部で伝えられたことがあるが、彼らは日本とは関係がない。
日本人妻は昭和30年代に夫や子供とともに日本への帰国を認められたが、それ以外の朝鮮半島出身者
は出国できず、朴魯学・堀江和子夫妻らの帰還運動によって、帰国の道が開かれるまで、何十年もの間、
サハリンに取り残された。
産経新聞 平成16(2004)年9月27日[月]
凛として サハリンの同胞を救った夫婦 朴魯学・堀江和子(2)
(中略)
朝鮮半島出身者には、大きく分けて三つのグループがあった。
(1)大正時代から戦前にかけて樺太開拓のために入植した
(2)戦時中、主に朝鮮半島南部から募集や官斡旋(あっせん)、徴用などで渡った
(3)戦後、派遣労働者などとして現在の北朝鮮地域、ソ連(当時)の中央アジア地域などから移住した−の
三つである。
この問題で日本の責任がないとはいわない。ただ、「四万三千人が強制連行された」「日本人が朝鮮半島
出身者だけを置き去りにした」などという指摘は事実ではない。
まず、約二万人とされる(3)については戦後のことであり、もちろん、日本とは何の関係もない。(2)につい
ては、日本時代に戦時動員である徴用で樺太に渡り、戦後、帰国できなかったケースは確かにある。ただ、
『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかった』を書いた新井佐和子(七四)は、日本、ソ連側の公文書などを検証
し、当事者からも聞き取り調査をした上で、「高賃金に魅力を感じて自ら行った人が多く、樺太の場合、徴用は
少なかった」と指摘している。
ちなみに、朴が昭和四十二(一九六七)年に、同胞の帰還希望者の名簿を完成させたときの人数は、家族
を含めて約七千人だった。
こうした朝鮮半島出身者の多くは、南部地域(現在の韓国)の出身者であったが、終戦後、ソ連当局によっ
て「無国籍者」に分類されたことは、すでに述べた。当時ソ連と韓国は国交がなかった。後にソ連籍や友好関
係にあった北朝鮮籍を取るものもいたが、ごく一部を除いて、サハリンから出ることは認められなかった。
(後略)
産経新聞 平成16(2004)年9月28日[火]
凛として サハリンの同胞を救った夫婦 朴魯学・堀江和子(5)
姿を変えた帰還運動
「当事者が少なくなったのになぜ支援を続けるのか」 消えない複雑な思い
本来の目的失い、政治的な色彩
朴魯学(パク・ノハク)の死から約五カ月が過ぎた昭和六十三(一九八八)年八月、サハリンの残留韓国人
が、日本を経由して、母国、韓国に帰還する「永住帰国」が初めて実現した。韓国がソウルオリンピック(同年
秋)の開催に沸き立っていたころである。
第一号となった韓元洙(ハン・ウォンス)は当時八十歳。日本で親族と再会する一時帰国が始まろうとしてい
たとき、最初にリストアップされた十人の一人であり、朴は、「何としても永住帰国させたい」として、病の体をお
して懸命に運動を続けてきた。「朴の遺言」ともいうべき第一号であった。
永住帰国は、残留韓国人が故郷に帰るという帰還運動本来の姿である。ただ、一時帰国に比べると、解決
しなければならない問題ははるかに多かった。日本とソ連、韓国のスタンスも、それぞれ違い、最後の最後ま
で混乱が続いた。
ソ連の立場は、「(国交がある)日本へ永住するなら出国させてもいい」というものだ。だが、日本はあくまで
永住地は韓国であるとし、「通過するだけなら」という。韓国は韓国で、「日本が(サハリンに)連れていったの
だから、費用面も日本の責任で」と主張し、必ずしも永住帰国には積極的ではなかった。
『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』の著者で、朴と和子の運動を手伝っていた新井佐和子は、
永住帰国の直前になって、東京の韓国大使館の担当者から「韓さんの生涯の生活保障はいったいだれが
するのですか」と聞かれ、あぜんとしたことがある。
新井が、「韓国の家族がするでしょう」と答えると、大使館員は、「韓さんの家族は貧しい。日本が責任を持
つべきだ」と主張し、らちがあかない。結局、新井は「韓さんが生活に困ったら全責任は私が持ちます。
だから入国を許可してください」とタンカを切ることになってしまった。
>>72の続き。
こうした各国のスタンスや思惑の違いが、この問題の支援をめぐって、後々まで尾を引くことになるのである。
韓は、韓国への永住帰国から約三カ月後、家族に見守られて息を引き取った。故郷で暮らしたのはわずか
な期間だったが、それでも韓は「間に合った」のである。長い間、故郷へ帰ることを夢みながら、サハリンの土
になった人がどれだけいたことか…。和子はそれを思うと胸が締め付けられるようであった。
■□■
一時帰国者、永住帰国者はその後もどんどん増えていった。
六十三年八月からは、日本政府から、一時帰国者夫婦や付き添いの子供たちに各四万円あまりの補助金
が出るようになった。和子たちには、喜ばしいことであったが、この善意の補助金をめぐって、事態はその後、
思わぬ方向に向かうことになる。
新井のもとに、「一九八八(昭和六十三)年十二月二十三日来日予定者」と書かれた一時帰国者のリスト
が残っている。リストを見ると、その日だけで帰国者は十六人。本人以外に戦後生まれの三十代、四十代
の二世(子供)の名前も目立つ。
実際、このころになると、日本へ行きたい二世の方が「主」といった帰国者家族もおり、日本に到着後すぐ、
秋葉原の電気街へ行くことをせがんだり、韓国の家族と会おうとしない人たちすら出てきた。新井は当時の一
時帰国者の様子について、「買い物八分、家族再会二分といった感じだった」と書いている。
晩年の朴は、こうした姿を見てやるせない思いにとらわれていた。この時点で戦後四十年あまり。「やはり、
時間がたち過ぎたんだ」と思うしかなかった。
和子は朴の死後しばらくは、帰還運動の支柱となっていたが、やがて距離を置くようになった。運動が本来
の目的を失いかけていることや、考え方の違う別の団体が、同じように帰国者の受け入れを始めたことなどが
理由だった。
>>73の続き。
自虐史観や度が過ぎた贖罪(しょくざい)意識に取りつかれた人々が、この運動にからめて“強制連行”や
日本の戦後責任を声高に叫び、問題は政治的な色合いを濃くしていった。
平成元年には、帰国者の支援を行うために日韓赤十字による在サハリン韓国人支援共同事業体が設立
された。日本政府の立場は一貫して「法的責任はない」というものだが、戦後責任を問う声や韓国側の要求
などに押されるかのようにして、「人道的な支援」がどんどんと膨らんでいった。
日本の支援は現在も続いており、その内容はかなり手厚いものだ。日本がこれまでに共同事業体に拠出
した額は約六十四億円(韓国側は年金の形で永住帰国者の生活費などを出している)。
和子は、「本当に支援が必要だったときはもう過ぎてしまったのに。当事者が少なくなってしまった今、なぜ、
これだけのお金を出すのか」という思いが消えない。きっと朴も同じ気持ちだろう。
和子と新井が平成七年にサハリンを訪問したとき、日本の支援で韓国へ一時帰国をした八十歳を超える男
性は、「私は年寄りだし、帰国は一回で十分だ。でも息子がどうしても行きたいというので、二度目の申請をし
た」と話した。支援の対象者を選ぶのは韓国側で日本側はチェックする手段もないという。
■□■
朴が亡くなって十六年になる。長女、蘭子(五五)の子供たちは祖父の晩年の姿しか知らないが、アルバイ
ト先などで、「おじいちゃんはすごい人だった。誇りに思っている」と話していることを聞き、蘭子はうれしくなった。
朴を知る人はみな、「本当に清廉な人だった」という。朴らの運動に感動した篤志家が、一千万円単位の支
援を申し出たことがあった。この篤志家はサハリンからの帰国者に対しても必要以上のお小遣いを与えるこ
とがあったが、朴は、「彼らのためにもよくない」と断り、支援についても最小限のお金しか受け取らなかった。
>>74の続き。
和子にしてもそうだ。昭和三十三年に自分たちの家族が日本へ帰国した時点で、運動をやめてもよかった
のである。だが、和子は、いろんな思いを飲み込んで、夫を支え、ともに闘った。サハリンに行ったときには、
いろんな人が和子に声をかけてきた。みんなが恩人の名前を知っていた。
何の地位もお金もない一民間人が、各国政府を動かし、重い扉をこじあけたケースは希有(けう)なことだろ
う。もちろん、夫妻以外にもいろんな人たちが闘った。でも、朴らが運動を始めなければ、サハリンの同胞は、
いまだに置き去りにされたままだったかもしれない。=敬称略(喜多由浩)
>>75の続き。
≪在サハリン韓国人支援共同事業体への日本の支援≫
【これまでの日本の拠出総額 約64億円】
・一時帰国支援
【内容】サハリン在住者の韓国への一時帰国支援(往復渡航費および滞在費)
【実績】平成元年から16年3月までに、のべ1万4678人が一時帰国(民間航空機の定期便を使って年間
8便、現在3順目=同じ人が3回目の一時帰国をするという意味=を実施中)
・永住帰国支援
【内容】サハリン在住者の韓国への移住に対する支援 渡航費および移転費▽住宅施設(仁川療養院・安
山アパートなど)建設費▽仁川療養院のヘルパーおよび光熱費▽安山アパート内の福祉会館の運営費▽
仁川療養院の増設
【実績】平成11年3月、仁川療養院開設(収容能力100人)▽12年2月、安山アパート形式集団住宅開設
(同489世帯)、16年3月までに1497人が永住帰国
・サハリン残留者支援
【内容】サハリンに引き続き在住する者に対して、文化センターの建設、マイクロバス提供
【実績】平成15年6月、30人および15人乗りバス提供▽文化センターは今年8月、総工費5億円で着工
・永住帰国者支援
【内容】韓国に在住する永住帰国者がサハリンに残った家族を訪問する際の支援(往復渡航費)
【実績】平成16年3月までに、永住帰国者1577人がサハリン訪問
産経新聞 平成16(2004)年10月1日[金]
アピール 今なお続く「サハリン支援」に怒り
元サハリン再会支援会共同代表 新井佐和子 74 (茨城県つくば市)
産経新聞九月二十七日付朝刊から五日連続で掲載された「凛(りん)として サハリンの同胞を救った夫婦」
を読み、かつてこの運動にかかわらせていただいた私は、改めてご夫妻を思い起こし、感動を新たにした。
しかし、最終回の「姿を変えた帰還運動」を読むに至って、日本政府の施策に対する激しい怒りがこみ上げ
てきた。それはいまだに続けられている在サハリン韓国人支援共同事業体への日本の支援についてである。
これによると、これまでの日本の拠出総額は何と約六十四億円。その中身というのは、サハリンに在住し
ている朝鮮民族が一定の条件さえ満たせば、里帰りと称して韓・露の間をタダで往復できるという、人もうら
やむ結構な制度なのである。
改めて述べるまでもなく、サハリンに取り残された韓国人の帰還について、日本に法的責任はなく、支援は
あくまで人道的なものである。十年ほど前に私はやはり本欄で、この支援金の不必要性、有害性を強く訴え
て警鐘を鳴らしたが、結局、政府は何の検討もせず、一部の偏向勢力に押されてますますエスカレートさせ、
各種施設の建設など、驚くような額の支援を行ってきたのである。
もともとこの支援金というのは、当時国交がなかったソ連(サハリン)と韓国の家族・親族を日本で再会させ
るための滞在費の負担金であって、いわば接待費を国が肩代わりするという意味合いのものであった。
78 :
マンセー名無しさん:04/12/14 07:46:42 ID:iOFOv0kN
>>77の続き。
それを、旧社会党が主導して発足させた「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会」が平成二年前後に、
その支援金を同党の強い圧力によって「戦後補償」のように位置付けてしまった。それを年々、額をつり上げ
て、国庫から引き出させてきたもので、同七年、村山内閣の「戦後五十年の謝罪」政策で、それは頂点に達
した。
社会党勢力が退き、当然、見直しが図られたものと思っていたのだが、産経新聞の記事のおかげで、驚く
べき現状があぶり出された。
今、「戦後補償」裁判という不気味な黒雲がアジアの空を覆っている。その原点ともいうべき「サハリン支援」
の問題に国民はもっと関心を持つべきではないだろうか。
産経新聞 平成16(2004)年10月8日[金]
参考↓
「樺太裁判(1)」
ttp://www.interq.or.jp/sheep/clarex/datsgohsen/datsgohsen08.html ムネオが関わってるんじゃないかってレス有ったけど、自分も同じ事思った。
真っ先に頭に浮かんできたのはムネオハウス。
ムネオハウスと同じようにサハリン残留韓国人への支援に利権構造が有るような気がする。
79 :
マンセー名無しさん:04/12/14 08:51:31 ID:Eff8oQ6w
いんね〜!
パチンコ課税で回収しろ〜!
80 :
マンセー名無しさん:04/12/14 22:05:38 ID:iOFOv0kN
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(2)
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-2.html > この裁判で、原告側はさまざまな証人を法廷に立たせている。日本に帰還した残留韓国人や原告の韓
>国人妻、家族などだ。ある妻は、法廷で「夫を返せ」と絶叫し、裁判官にコップを投げつけた。ナイフで指を
>切り、血を流してみせる人もいた。国会議員や報道陣のカメラの前でも同じようなパフォーマンスが繰り返
>され、ある国会議員は、自分の足にすがって絶叫する韓国人妻の姿を見て、「本当に悲惨なことだ。
>何とか解決してあげたいと思った」と振り返っている。
> ところが、そのうちに、妻たちのみんながみんな、心底から夫の帰国を望んでいるわけではない、という
>ことが分かってくる。「夫を返せ」とさんざん泣きわめいた女性が、いざ夫の帰国が実現する段になって、
>会いに来なかったり、「日本に来られるから(泣きわめいた)」とこっそり本音を漏らす人もいた。年月がた
>ち過ぎたゆえの「悲劇」ともいえるのだが、こうしたパフォーマンスは、間違いなく日本糾弾キャンペーンに
>一役買っていた。先の関係者によると、証言する人たちには必ず、「強制連行でサハリンに連れて行かれ
>た」と主張するように“指導”が行われていたという。
> そして、極め付きが五十七年に二度にわたって証言台に立った“慰安婦狩り”の捏造証言で有名な吉田
>清治氏である。
> この裁判で、吉田氏は、「昭和十八年に済州島で二百四人の若い女を狩り出し、女子挺身隊として軍に
>提供した」などと証言した。吉田氏とサハリン残留韓国人問題とは何の関係もない。“強制連行”を印象づ
>けるために証言台に立たせたのである。このことだけを見ても、この裁判の目的が透けて見えるようだが、
>実際、「吉田証言」を機にこの問題は、“強制連行”や日本の責任が一気にクローズアップされることにな
>ってしまう。
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(3)
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-3.html >昭和六十二年七月、超党派の衆・参国会議員約百二十人によって「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員
>懇談会」(議員懇)が結成された。議員懇の事務局には、「サハリン残留者帰還訴訟」の原告側弁護士も加
>わっていた。
> もちろん、議員らは問題の解決を願って議員懇に参加したのであろう。ただし、一部の議員の主張は、
>裁判で展開された“日本糾弾キャンペーン”そのままであった。「四万三千人の強制連行」など、誤った
>認識を前提とした質問を繰り返し、政府の対応をやり玉にあげた。日本が支援を行っても、「まだ足りない」
>「責任をどう感じているのか」などと再三にわたって、突き上げた。こうした一部議員の行動が、後に日本の
>支援を野放図に膨らませる一因となるのである。
>日本での再会は実現したものの、日本での交通費や滞在費は朴氏らが負担するしかなかった。それを国
>庫からの補助金で少しでも肩代わりしようという趣旨で支援が始まったのである。ところがその後、日本を
>経由せず、サハリンから直接韓国へ行けるようになったのに、日本の支援は減るどころか、逆に増額された。
>その背景に議員懇の一部議員の働きかけがあったことは間違いない。
> 日本が支援を始めたころに、議員懇の中心メンバーだった社会党代議士(当時)が、家族との再会のた
>めに来日していたサハリン残留韓国人たちの前で「来年から補助金の額をアップさせる」と不用意な発言
>をしてしまったことがあった。お金の話にはみんな敏感だ。この話はたちまち、サハリン側に伝わり、その
>結果、それまで関心がなかった人が来日の申請をしてきたり、一度来た人が二度、三度と申請してくるケ
>ースが相次いだ。そのうちに、本来の家族再会はそっちのけで、日本での買い物ばかりに熱心な人たち
>が目立つようになるのである。
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(3)
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-3.html >「日本が悪い」という声が身内から上がるのだから、日本政府の外交姿勢も弱腰にならざるを得ない。
>平成二年には国会での答弁で、当時の中山太郎外相がサハリン問題で韓国に謝罪。四年には、宮沢
>喜一首相(当時)が日韓首脳会談において「従軍慰安婦」問題で謝罪している。六年には、河野洋平官
>房長官(同)が「従軍慰安婦の強制連行」を認める発言をした。
> そして、七年、「戦後五十年記念事業」として、周辺国への謝罪や補償問題ばかりに熱心だった村山富市
>内閣のもとで、サハリンから韓国への永住帰国者が入居する五百戸のアパートや療養院の建設など、計
>約三十三億円にも及ぶ巨額の日本の支援(韓国側は土地や年金などの形で永住帰国者の生活費を負担)
>が決定されるのである。
> サハリン残留韓国人問題に対して、「法的責任はない」としている日本の支援は、あくまで「人道的な支援」
>のはずだった。そして、一時帰国(家族再会)や韓国への永住帰国が実現したのだから、「問題は解決した」
>と主張しても良かった。ところが、一部の政治家・勢力はこれを、まるで「戦後補償」のように位置付け、どん
>どん日本の支援を引き出そうとした。そして、政府の答弁も「歴史的、道義的責任」と微妙に変化し、韓国側
>やサハリンの残留韓国人側からも、日本の支援強化を求める声が強まっていくのである。「(一部の)日本人
>が責任を認めているのだから…」というわけだろう。彼らもまた日本の支援を、はっきりと「補償」と位置付けて
>いた。
> 四年にサハリンの残留韓国人の団体が日本政府宛てに提出した要求書にはこう書いてある。「一、過去、
>日本から受けた肉体的、精神的な損害の補償を日本政府に対し、強く要求する。二、在サハリン韓人の永
>住帰国を韓国政府に促し、帰国に対しての一切の費用を日本側が負担する。(略)」。まるで、「すべては日
>本が悪いのだから、日本側が費用を負担するのは当たり前だ」と言っているかのようではないか。
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(4)
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-4.html > 一時帰国(家族再会)は、「何らかの理由で韓国への永住帰国はできないが、韓国にいる家族・親族と
>会いたい」という人たちのために、サハリン・韓国の民間定期便を使って行われている。平成元年のスター
>ト以降、希望者が一通り、一時帰国したため、数年後には二回目が、そして現在は三回目が実施されて
>いる。往復の渡航費、滞在費はすべて日本側の負担だ。逆に、韓国への永住帰国者がサハリンに残る
>家族・親族を訪問する「サハリン再訪問」も三年前から始まった。
> 韓国への永住帰国者の住居から、たびたび行われる一時帰国の交通費、果ては療養院のヘルパー代
>まで、日本側が負担しているのだ。今年八月末には、サハリンの韓国人のために日本の費用で建てられ
>る文化センターの起工式が行われた。総工費は約五億円。「サハリンの朝鮮民族の伝統保存のため」とし
>て、要望が出されていたものだが、センターにはホテルの機能やレストランも設けられるという。
> 共同事業体への日本の拠出額はこれまでに約六十四億円に達している。だが、政府内に支援を見直す
>動きはないようだ。支援事業を行っている日赤国際救援課は、「『支援を見直した方がいい』という声は聞い
>ていない。日本政府が人道的見地から始めた支援であり、『帰りたい』という人がいる以上、今後も続けてい
>きたい」と話している。
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(4)
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-4.html > サハリンに渡った朝鮮民族には、大きく分けて三つのグループがある。
>(1)戦前の早い時期に、新天地での成功を夢見て渡り、そのまま住みついた
>(2)戦時に、企業の募集、官斡旋、徴用によって渡った
>(3)戦後、派遣労働者などとしてソ連や北朝鮮地域から渡ってきた−の三つだ。
> いうまでもなく、(1)、(2)、(3)のうち、日本政府がかかわっているのは(2)の一部だけである。当初、
>日本側には、「税金を使って支援を行う以上、対象者をはっきり区別すべきだ」という意見もあったが、
>結局はうやむやになった。共同事業体で設定している支援対象者の条件は、「一九四五(昭和二十)年
>八月十五日以前にサハリンに移住し、引き続き居住している者」というだけである。
> この条件なら、終戦までに誕生していれば、一歳でも二歳でも対象者に含まれることになる。実際、韓国
>へ永住帰国した人たちのなかには、「本当に祖国へ帰りたかった」一世だけでなく、当時、幼児だった子供
>たちが多く含まれている。彼らの多くはサハリンで結婚し、新たな家族が出来ていた。韓国には長年待って
>いる家族など、ほとんどおらず、父祖の土地でしかない。その永住帰国まで日本が支援しなければならな
>いのだろうか。
> 一時帰国者の中にも、韓国に縁者がいない「無縁故者」が数多く含まれていたことが分かっている。数年
>前にサハリンを訪れた産経新聞記者は、ある韓国人から「私たちは戦前、毛皮の商売をするためにサハリ
>ンに来た。なぜ、日本が韓国へただで連れて行ってくれるのか」と不思議そうに尋ねられたという。支援の
>対象者が(1)、(2)、(3)のどのグループに所属するのかは問われないのだ。
>しかも、昨年からは、「終戦前サハリンへ渡り、残留を余儀なくされ、終戦後、ロシア本土などに渡った韓国
>人」にも支援の対象が拡大されることになった。こうした複雑な経歴を、だれが、どうやってチェックしている
>のだろうか。
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(4)
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-4.html > また、六十歳以上の一時帰国者については、付き添い一人が認められている。このため、かなり前から、
>本来の家族再会の趣旨は隅っこに押しやられ、付き添いの二世、三世が主体となった韓国への“買い物ツ
>アー化”が指摘されている。
>新井佐和子氏は平成七年にサハリンへ行ったとき、八十歳を超える一世の老人から、「一度一時帰国した
>ので、もう十分なのだが、子供たちが韓国へ行きたがるので二度目の申請をした」といわれた。「飛行機の
>座席の権利を数百ドルで売る人がいる」といった話も聞いたという。
>運賃がかからないため、「一回、韓国へ行き、買いこんだ商品を(サハリンで)売ればいい商売になる」とい
>う人もいる。それなのに、支援の対象者を選ぶのは韓国やサハリン側に任されており、日本側はチェックす
>る手段もない。
> 間もなく戦後六十年になる。夫とともに長く帰還運動を続けてきた堀江和子さんは、「本当に祖国に帰りた
>かった一世たちはもうほとんど残っていない。支援は打ち切るべきだ」と訴えている。実際、現在、支援を求
>めているのは二世や三世が主なのだ。
> サハリン残留韓国人への日本の支援に対して、ある官僚が「元々、それほど大きな予算ではない」と漏ら
>したことがある。“大きな額ではない”予算を出し惜しみして韓国などから、反発を招くのを心配しているのか、
>それとも、一度獲得した予算を手放すのが嫌なのか…。六十四億円はもちろん、小さな額などではない。
>そして何よりも、「理由のない支援」を許していいのか。
> サハリン残留韓国人問題について、「日本の責任はゼロだった」というつもりはない。本当に支援が必要
>だった一世たちへの「人道支援」まで否定しているわけでもない。だが、「すべて日本が悪い」などと“あしざ
>まにののしられた”あげく、日本とほとんど関係のない人たちが支援を受けるのでは、国民も納得しないだろう。
お疲れ様です。強い関心を持っています。
そもそも「戦後補償」という言葉自体高木弁護士の創造で、戦後補償と言う言葉や概念を定着さ
せるために意図的に使いまくったと言っているんだからなぁ・・・・
90 :
マンセー名無しさん:04/12/17 09:08:00 ID:+mExyyDa
ぬるぽ
93 :
マンセー名無しさん:04/12/24 00:31:19 ID:KapqwXo0
おいおい、いつまでたかるんだよ。
94 :
マンセー名無しさん:04/12/27 20:16:54 ID:WnNdu2qj
保守
http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japanese/www.hani.co.kr/section-005000000/2004/12/005000000200412281847244.html サハリン同胞達の永住帰国推進史
[ハンギョレ 2004-12-28]
大規模帰還5年前 きっちり一度事業再開 ‘今なおか、済んだ事なのか’
日本が国家総動員令(1938年)を発表した後に、サハリンへ徴用で連れて行った韓国人は
全部で15万余名に推算される。日本は1945年の第2次世界大戦敗戦直後である1946年 12月、
‘ソ連地区引揚に関する米・ソ協定’が締結された後に自国民30万名を日本へと帰還させた。
1956年には韓国人と結婚した日本人、そしてその子女まで全てで2250名を最終的に帰還させた。
しかし15万名の中で、日本の敗戦直前に日本に引かれて行って生死がはっきりしない韓人同胞
10万余名(二重徴用者)を除いた4万3千名は、殆ど全てサハリンに残され‘無国籍者’となった。
戦争が終わりながら日本の国籍を失ったが、新しい祖国である韓国と朝鮮(北韓)は彼等に国籍を
付与する事が出来なかったからだ。
彼等サハリン同胞達の帰還運動が始まったのは、1958年在日韓国人達が‘サハリン帰還在日韓国
人会’を結成してからだ。韓国では1970年にやっと‘サハリン抑留同胞帰還促進会’が結成された。
しかしその後19年が経った1989年、韓・日赤十社字(?赤十字社)が‘サハリン居住韓人支援共同事業
体協定書’を締結してから、彼等の故郷訪問が初めて成事になった。
>>96 永住帰国は1992年に江源道春川の‘愛の家’に77人の1世代サハリン同胞達が入って来てから始まり、
今年末までに全部で1598人に至った。サハリン同胞の永住帰国が本格化したのは、去る1994年に
日本政府が戦後50年を迎えて‘パイロットプロジェクト’を韓国政府と成したからだ。日本政府はサハリン
韓人達の為に32億円を注ぎ込んで500世帯のアパートと100名規模の療養所を建てて、韓国政府は
その土地と生活費を提供するという物だった。
しかし国内に於いて周辺地域住民達の所謂‘NIMBY’性の民願が相次いで、6年間アパートの敷地を
確保する事が出来なかったり、2000年には京幾安山市常緑区サドンに 489世帯の賃貸アパートを建てて
971名のサハリン同胞を永住帰国させた。2001年以後、これまでに追加で永住帰国した同胞は246名に
止まっている。
*NIMBY=not in my back yard:共益の為には必要だが、自分が属した地域には好ましくない事を反対する
エゴイスチックな行動。
赤十字社によれば、サハリン同胞の故郷訪問が成事になった1989年、サハリン同胞 1世代の数は6千名を
超えるものと推定された。しかし2004年末現在、永住帰国した 1世代1163名(435人は帰国後に死亡)と
サハリン等のかつてのソ連に残った1世代の数は全部で3147名で、全部で4310人が生きている。15年間に
毎年130人余名ずつ皆 2000名ほどが世を去ったのだ。彼等が高齢な為、この速度は更に早まる事に見える。
彼等の帰国を急がねばならない理由だ。
安山/ホン・ヨンドク記者
98 :
マンセー名無しさん:04/12/29 04:49:40 ID:Y0tJTCLa
一応age
残留韓国人の話しの裏で
こんな問題(タカリの件)があるって初めて知った。
意図的に政治問題化歪曲化して
影でフトコロ暖めた日本の政治家って誰よ?
>99
国売って金になるところには大概ヒロムーたんがいるバイ
102 :
マンセー名無しさん:05/01/05 19:17:10 ID:hXBwYFUP
保守
103 :
マンセー名無しさん:05/01/14 17:10:09 ID:GxV0icSd
保守
じゃあ、もし北方四島が返還されたら、そいつらごと来るの?
>>100,101
両方でしょう。
ムネヲのバックにはヒロムちゃんがいる。
テスト
連投失礼
再テスト
107 :
マンセー名無しさん:05/01/23 05:26:56 ID:Wbi0pZ3M
サハリンの朝鮮人、帰国したらしたで差別されるんだろうな・・・
108 :
マンセー名無しさん:05/01/24 20:30:17 ID:XtNF0X/Z
>>107 当然です。それが朝鮮人らしさ、なのですから・・・
109 :
マンセー名無しさん:05/01/26 00:37:34 ID:AGAaY0DA
ttp://kukkuri.jpn.org/boyaki.html#050124 ■アジア女性基金解散へ けじめ果たせたと村山氏
>しかし、償い金の原資が民間の募金だったため「日本政府が公式に謝罪し補償すべきだ」として受け取り
を拒否した人も多い。
あまり知られていませんが、「償い金」については韓国内でさまざまな軋轢をもたらしました。受け取り拒否
の逆パターンもあったんです。
>97年1月「アジア女性基金」は韓国人慰安婦に対する「償い金」の支給を開始した。国家による責任がない
以上、この民間基金が実行できる最大限の措置としか言いようがないのだが、あくまでも日本国家による補償
を求めている「挺対協」(くっくり注:韓国の反日市民団体)はこれに激しく反発。民間基金の支給を受けた元慰
安婦7人を批判する文章を出し、韓国内の基金支給を打ち切った。
そのためにこの元慰安婦たちは「殺す」などの脅迫をひっきりなしにうけることになってしまった。「本人が日本
からのお金を受けとると言っているのだからほっといてほしい」……と元慰安婦は言うが、そもそも「挺対協」の
活動家は「反日」だけが目的でそのためには手段を選ばない。元売春婦のハルモニなんかホントはどうでもい
いというのがホンネなのだろう。
(小林よしのり氏「新・ゴーマニズム宣言第4巻」より)
引用終わり。
なんというか・・・
110 :
マンセー名無しさん:05/01/26 01:38:14 ID:VnEfBuOW
>>107 だって
>>96-97だもの
>しかし国内に於いて周辺地域住民達の所謂‘NIMBY’性の民願が相次いで、
>6年間アパートの敷地を確保する事が出来なかったり
>*NIMBY=not in my back yard:共益の為には必要だが、
>自分が属した地域には好ましくない事を反対するエゴイスチックな行動。
樺太引揚者は、ゴミ焼却場や屎尿処理場、火葬場、斎場の同類ですかと小一時間、いや半万年(
111 :
マンセー名無しさん:05/01/30 11:55:28 ID:cssxr9D+
>>110 在日朝鮮人もこんな扱いなんだろうな、半島では・・・
112 :
マンセー名無しさん:05/02/03 11:16:05 ID:of/bSsOc
今年サハリン同胞120人の永住帰国を推進
大韓赤十字社は今年、日帝時代(日本植民地時代)に強制徴用されたサハリン同胞約120人の永住帰国
を推進する。
韓赤の関係者は3日、「新しく建設中の京畿(キョンギ)道・安山(アンサン)療養院に50人程度を受け入れ
ることができ、永住帰国した同胞が死亡して生じた空き家の収容規模も70人程度に達するため、約120人を
永住帰国させる方針」とし、「今年3月に優先的に約20人を迎える予定」と述べた。
この関係者は「韓日条約関連の外交文書の公開で、サハリン同胞に対する関心が高まっている。今後は
空き家が発生すれば永住帰国できるように、あらかじめ外交通商部に永住帰国申請をする考え」とした。
サハリン同胞の永住帰国が始まった1992年以降に永住帰国した同胞は約1700人で、サハリンで永住帰国
を待つ同胞は約3000人いる。
チョソン・ドットコム
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/02/03/20050203000027.html 日本の支援金で作った療養院か・・・
戦争ビジネスここに極まれり
114 :
マンセー名無しさん:05/02/03 15:16:33 ID:vgmtN7h5
「潮」(潮出版社)2002年9月号
【特別企画】「戦争」を語り継ぐ
サハリン残留韓国人たちの癒えない傷。 粟野仁雄(ジャーナリスト)
戦前、強制連行などで樺太(サハリン)に渡り、半世紀間故国に帰れなかった人たちのうち
約1500人が韓国に永住帰国した。
(中略)
1945年のソ連軍侵攻時に樺太にいたおよそ30万人の日本人のほとんどは帰国したが、
日本政府は、戦時中「皇国臣民」として日本語まで強要した朝鮮半島出身者の4万3000人
を「日本国籍がない」と置き去りにした。大半は半島の分断後でいう「南」の出身者。冷戦
でソ連と韓国に国交がなくなり、彼らは半世紀にわたり肉親と生き別れた。
(中略)
仁川にある療養院を訪ねた。99年に日本の支援金で完成した、帰還者が余生の最後を
過ごす施設といってよい。
(中略)
道案内や通訳をしてくれた李周雨さん(68歳)が意外なことを言った。
「この問題は戦後、サハリンから外へ出さなかったソ連政府が悪いんです。決して日本の
責任ではない。戦争に負けて逃げて帰るのに韓国人のことなど考えられないでしょ。それに
強制連行なんて嘘ですよ。商売や募集で渡った人がほとんどです」
さらに、
「韓国政府は反日感情を煽るために利用しているだけで何もしない。帰れるようになった
功労者はペレストロイカ、そして私たちのために尽くしてくれた日本です」
115 :
疑わしい:05/02/04 13:37:10 ID:l99g+u6c
マジで質問なのだが。
漏れの爺さんが結婚、つまり後妻を貰った訳なのだが。
その人は南樺太からの引揚者で北海道在住。
そんで婚姻の際戸籍がナカナカ取れなかったみたいで揉めてた。
後妻本人の弁だと、後妻一家が開拓の為サハリンへ言ったとの弁。
戸籍制度がシッカリしてる日本ではオカシな話だと思ったのだが、こんな事ってあるの?
移住する前の戸籍は北海道の筈で、本土みたく空襲で焼けたって事も無いと思うし。
なんと無く朝鮮人っぽい気がする、余りに自己主張が強く他人の意見を聞かないんで・・・・
それも後妻系一家全員に言える。
ちなみに戸籍上は私と後妻は血縁関係の無い他人だから後妻の戸籍は取れない。
現在祖父の戸籍に入っていて、その戸籍は取得出来るがそこからは祖父系の内容しか読み取れない。
乱文失礼しました
116 :
マンセー名無しさん:05/02/04 22:51:49 ID:PjFPjELS
日本の在日も永住帰国してくんないかな。
118 :
マンセー名無しさん:05/02/11 15:37:18 ID:iuty8POo
119 :
マンセー名無しさん:05/02/11 15:57:23 ID:m9D6Vsyr
雑誌 正論 の読者の投稿
☆編集者へ = つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から、
四月号、豊中市の辻孝次さんへ。
一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を
述べさせていただきます。
私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国
に集団永住帰国するというニュースのなかでの解説とおもわれます。
ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のた
めの移住、という首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになって
しまった背景には、つぎのようなことがあると考えております。
それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を
捏造してしまったことが原因です。
その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制
連行されて行った人々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてき
た」と主張し、その責任として日本政府から多額(数十億円)の補償金を拠出させていま
す。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国するサハリン残留韓国人一世
夫婦約千人が三月までに入居することになりました。
120 :
マンセー名無しさん:05/02/11 15:58:41 ID:m9D6Vsyr
しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、
前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景
気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用とい
うかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それは百人にも満たない数です。
終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから
彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系
の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年
後には四万三千人にふくれあがりました。
それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分
は一九三〇年代にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働
させられてきた人たちの子孫です。
121 :
マンセー名無しさん:05/02/11 16:10:35 ID:m9D6Vsyr
「サハリン棄民」という本を書いて、サハリンの朝鮮人は日本人が置き去りにした人々だ
という嘘を広めたのは、東大の大沼教授。こいつは学生時代は過激派だったと言われてお
り、学者にあるまじき嘘つき。
日本政府は、さしむけた引き揚げ船に、日本人だけ乗せて、朝鮮人は乗せなかった、
乗ろうとした者は蹴り落としたと書いている。
ところが、ヤルタ会談で朝鮮人をサハリンに残すかどうかはスターリンに任されて、
スターリンは朝鮮人を労働力としてサハリンに残す決定をして、日本人は追い出されたが、朝鮮人は追い出されなかった。その後で帰れなかったのはソ連が帰国を許さなかったから。
122 :
マンセー名無しさん:05/02/11 16:57:25 ID:2DnApPiB
おお、音をたて崩壊したソ連よ!
お前にも罪が有る
お前にも罪が有るんだ!
日本の三十六年は確かに数億倍の地獄だったが
ソ連の三十六年もまた地獄だったのだ−
おお、サハリンよ語れ!
日本統治下の朝鮮人として
蔑視され、蹂躙され、奴隷にされ、
新しいソ連人民政権下の朝鮮人としても
差別され、蹂躙された
長く、語り始めれば終わりのない
悲哀と望郷と闘いの歴史を語れ−
父と母の話をしよう。
遺言は
「日本に墓は建ててくれるな」
「祖国が統一したら故郷に埋めてくれ−」。
http://www.609studio.com/html/sakhalinelegy.htm あまりにも香ばしいな
>>122 > 「日本に墓は建ててくれるな」
> 「祖国が統一したら故郷に埋めてくれ−」。
一族郎党半島に帰るという選択肢はないんだろうか。
「故郷に埋める」のは充分結構。
しかし、梅に行ったついでに、二度と海を渡らないで欲しいですね。
124 :
マンセー名無しさん:05/02/18 13:49:55 ID:Tv9dyjPn
>>122 日本もソ連も朝鮮人の扱いに苦慮していたんだな・・・
125 :
マンセー名無しさん:05/02/22 06:09:38 ID:PlTx5aWi
在日韓国文人協会(韓文協)・・・・何だこの団体?
126 :
マンセー名無しさん:05/02/22 13:22:12 ID:Y7g6mT4Z
韓国人の半減期はどのくらい?
128 :
マンセー名無しさん:05/02/25 15:17:23 ID:N30WO3e3
129 :
マンセー名無しさん:05/02/28 20:00:14 ID:Zd0AZlY0
130 :
マンセー名無しさん:05/03/03 11:59:40 ID:qUckR+RZ
保守age
131 :
マンセー名無しさん:05/03/12 19:47:54 ID:y5BAX4YX
高木〇一弁護士が絡んでる?
132 :
マンセー名無しさん:2005/03/23(水) 19:48:09 ID:NP4It7Gi
保守age
133 :
マンセー名無しさん:2005/03/27(日) 21:11:46 ID:rpoij8Fy
>「日本人だけがサハリンからさっさと引き揚げ、
>韓国人だけを置き去りにした」などと、
>事実とかけ離れたことが声高に叫ばれ続けていた。
----------------------
↑
住んでいる国は違っても、同じ民族ですね〜。
134 :
マンセー名無しさん:2005/04/03(日) 18:30:00 ID:8LPkZ03K
し
135 :
マンセー名無しさん:2005/04/03(日) 18:34:45 ID:ao7UyDtb
どこいってもチョンはチョン
エキノコックスチョン
136 :
マンセー名無しさん:2005/04/07(木) 15:01:29 ID:GPDvBfAc
保守age
138 :
マンセー名無しさん:2005/04/08(金) 18:39:40 ID:L66lx/bH
何回目の支援ですか… orz
もしかして外務省内には専門家っていないの?
139 :
これ:2005/04/08(金) 19:06:01 ID:ixN5lD/2
本当に腹立つわ
140 :
マンセー名無しさん:2005/04/08(金) 19:16:04 ID:3PS4l+F6
>>49 亀レスだが
チョンガーは「総角」と書く。髪型(独身男性の)から来た言葉だ。
というわけで、これも漢語。
>>137 ハンギョレから
http://www.hani.co.kr/section-003000000/2005/04/003000000200504081759128.html 2005.04.08
日本が明らかにした‘人道主義的誠意’
強制徴用者遺骨奉還*・サハリン同胞帰国支援・原爆被害者申請簡易に
日本政府が韓国人強制動員犠牲者遺骨返還など韓日過去史関連の一部懸案に対する
‘人道主義的対応’を強調することで,これらの問題を解く為の協議が早めになる展望だ。
政府内外では独島と教科書問題で腫れ上がった韓日葛藤がこの程度の水準の‘誠意’の
表示に撫摩されることは難しいが,それでもこれを無視する必要も無いという見解が多い。
日本側が言及した過去史懸案は強制徴用犠牲者遺骨奉還,サハリン同胞永住帰国,韓国人
原爆被害者支援等の三種類だ。町村信孝日本外相は去る7日パキスタン・イスラマバードで
開かれた韓日外務長官会談において日帝強制動員犠牲者遺骨返還問題を8月末までに
解決するように努力すると明らかにした。またサハリン韓人の永住帰国を包含した追加支援
方案を検討して,韓国人原爆被害者支援制度も改善すると約束した。
現在,韓国人強制動員犠牲者の遺骨は南韓出身705柱を包含した1136柱が日本東京
佑天寺に保管されている。政府はこの中の南韓出身705位を全て奉還して,日本の他の寺刹,
に散らばっている遺骨に対するの調査も実施するつもりだ。政府関係者は、“これまで韓日
共同調査委員会構成などを通じての実態調査を日本に提案したが,今度、その答弁を聞く事が
できるようになった”とし、“奉還作業が早まるだろう”と言った。
142 :
マンセー名無しさん:2005/04/09(土) 03:12:22 ID:1liw+PqB
>>141(続き)
日本に強制徴用され、解放以後にも本人の意思に反して継続ずして残っているサハリン韓人は
現在約3万6千名に推算される。政府はこのなかに1世代が2千名余に至るものと把握している。
町村外相の明らかにした‘追加支援’は、これらの永住帰国の為の収容施設拡充を示すものと
見える。政府は早ければ来月中に現地の調査に行き、正確な実態を把握した後に日本側と
具体的な方案を協議するつもりの事と見られる。
韓国人原爆被害者に対しては日本政府の支援を受ける為の行政手続きを簡素化する方向で
意見をまとめるように見える。現在、韓国人原爆被害者が日本政府の援護手当てを受ける為には、
日本に直接赴いて申し込みをしなければならない。政府はこのような不便を改善する為に在韓
日本大使館を通じて受付ができるように日本政府に注文している。
▼サハリン同胞永住帰国現況(単位:人)
http://img.hani.co.kr/section-kisa/2005/04/08/00300000012005040802346068.jpg (*訳注:奉還〜国王に返すこと 韓国語辞書より … -_-; )
143 :
マンセー名無しさん:2005/04/17(日) 12:53:44 ID:UnttxzcG
日本政府もイイ加減支援やめろよ!
いくら支援してもコイツ等ズット反日で たかり続けるだけなんだから
144 :
マンセー名無しさん:2005/04/28(木) 12:57:08 ID:Nzwy/ZS6
146 :
マンセー名無しさん:2005/04/28(木) 15:13:43 ID:buPnLmRz
>>144 日本の町村信孝外相はシベリヤに残留している韓国人被害者への支援の意思を示したことが分かりました。
町村外相は先週22日、日本の衆議院外務委員会で、シベリヤに残っている韓国人被害者へ支援を要請した今野東議員の質問に対して、
「シベリヤの韓国人被害者団体の要求を受け入れて、彼らの支援問題を前向きに検討したい」と述べました。
シベリヤでは、1945年、日本の関東軍に強制徴用されて、終戦と同時に旧ソ連軍の捕虜として抑留された後、
シベリヤで強制労役に動員された韓国人が団体を作っています。日本政府はこれまで日本人被害者を対象に被害者の補償についての法案を審議し、
慰霊碑などの支援を行ってきましたが、韓国人については国籍が違うことを理由に支援していませんでした。
ソース KBSワールドラジオ
http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_detail.htm?No=16810
147 :
マンセー名無しさん:2005/05/03(火) 05:32:36 ID:dFgMTT5M
日本で「強制連行」損害賠償請求へ サハリン在住朝鮮人
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1115042717/ タス通信によると、第2次大戦当時に日本領だったロシアのサハリン州に住む朝鮮人の組織
「正義の回復のために」は2日、同州への朝鮮人「強制連行」と「強制労働」に対する損害賠償請求訴訟を
日本で起こす方針を決めた。請求額は4億ドル(約420億円)以上と試算している。
日本は1939年から45年にかけて、朝鮮半島から約4万人の朝鮮人を「強制連行」し、炭鉱などで
酷使したとされる。約6000人が生存しており、約4000人が祖国移住を希望しているという。
当時ほとんど支払われなかった労働賃金は計2億−4億ドルと試算され、これに帰国費用などを
加えて請求総額を決める。
148 :
マンセー名無しさん:2005/05/03(火) 06:39:41 ID:l2/yNh0r
>>147 また、日本の税金で無駄な裁判が行われるね。
>>148 金払ってやるから在日全部引き取ってくれよな
150 :
マンセー名無しさん:2005/05/03(火) 11:00:53 ID:HR2wPSmM
裁判で徹底的に事実関係を争えば、嘘がバレルだろう。
絶対に曖昧な決着にしてはならない。
雑誌 正論 の読者の投稿
☆編集者へ = つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から、
四月号、豊中市の辻孝次さんへ。
一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を
述べさせていただきます。
私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国
に集団永住帰国するというニュースのなかでの解説とおもわれます。
ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のた
めの移住、という首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになって
しまった背景には、つぎのようなことがあると考えております。
それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を
捏造してしまったことが原因です。
その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制
連行されて行った人々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてき
た」と主張し、その責任として日本政府から多額(数十億円)の補償金を拠出させていま
す。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国するサハリン残留韓国人一世
夫婦約千人が三月までに入居することになりました。
151 :
マンセー名無しさん:2005/05/03(火) 11:01:40 ID:HR2wPSmM
しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、
前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景
気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用とい
うかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それは百人にも満たない数です。
終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから
彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系
の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年
後には四万三千人にふくれあがりました。
それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分
は一九三〇年代にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働
させられてきた人たちの子孫です。
152 :
マンセー名無しさん:2005/05/14(土) 10:55:11 ID:29T1aDB0
酋長の狙いは、根元は慰安婦と同じなんです
戦後の日本に対してなにもいいがかりをつけられないので
歴史認識を誇張、歪曲していつまでも言いつづけ圧力をかけています
毎年、憲法記念日には構成員の七割は在日が占める街宣右翼が軍歌を流します
右翼は軍国主義であると言う心象刷り込み活動なのです 拉致については静かなこと
共産勢力、在日などから金銭支援を受けた市民団体、宗教団体などの活動も同様です
その中に洗脳された日本人もいます
また、共産主義崩壊による左翼崩れの知識人達も荷担しています
この知識人は確信犯で特に教育分野で影響が大きく世界市民という観念論、理想論で
日本人の国家意識を破壊しようとしています
現状を見とめる人は、その謀略にとりこまれています
靖国は、その象徴です
A級戦犯を移す意見の人は、謀略の術中にはまっています
戦犯とは何でしょう 極東軍事裁判とは何なのでしょう
太平洋戦争とはいったいなんだったのか見つめなおすべきです
米英の禁油政策などは宣戦布告と同じことだったのです
自らの植民地で産出する資源を日本に売らないということです
日本が立ち行かない事は、だれにでもわかります
日本が好き好んで戦争をはじめたわけではありません
太平洋戦争はマッカーサーが言ったようにアメリカが間違った戦争をしたんです
153 :
マンセー名無しさん:2005/05/18(水) 17:28:55 ID:CAU0Oxhd
154 :
マンセー名無しさん:2005/05/18(水) 17:54:46 ID:EQli71+E
155 :
マンセー名無しさん:2005/05/18(水) 17:58:06 ID:/WVq7o3n
ソ連&日本も
あの法則に苦しんできたんだ
http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY200505180210.html サハリン残留朝鮮人 来日の2世、補償を訴え
サハリン残留朝鮮人2世で現地の「新高麗新聞」の名誉社長、成点模(スン・チョンモ)さん(74)と
妻の金梅子(キム・メージャ)さん(69)が、国際交流団体ピースボートの招きで来日した。
「戦後60年たっても私たちがなぜ祖国に帰れないのか。日本政府は責任を認め、謝罪してほしい」と
訴えている。
日本が植民地として支配していた朝鮮から戦前、戦中に徴用などでサハリンに渡った朝鮮人は
6万〜8万人。終戦後、日本人は大半が帰国したが、約4万3000人の朝鮮人は引き揚げ枠から外され、
日本政府が帰国を支援しだしたのは80年代末になってからだった。
成さんによると、サハリンにいる韓国・朝鮮人は現在2万6000人余。「1世の大半は亡くなり、
3、4世はロシア社会に根を下ろしている。2世が父母の祖国に戻りたいと思っても、それでは子や孫と
新たな家族離散になる」と嘆く。
金さんは「日本が人道国家なら、ロシアの年金では食べていけない私たちの現状も認めて補償すべき
ではないか」と話している。
157 :
マンセー名無しさん:2005/05/18(水) 19:40:24 ID:q9sbvbX4
158 :
マンセー名無しさん:2005/05/19(木) 17:37:11 ID:Pkz6uF+s
これは知らなかった
ピースボートって…キモイ
159 :
マンセー名無しさん:2005/05/23(月) 03:28:11 ID:c/d3RNVM
「潮」(潮出版社)2002年9月号
【特別企画】「戦争」を語り継ぐ
サハリン残留韓国人たちの癒えない傷。 粟野仁雄(ジャーナリスト)
戦前、強制連行などで樺太(サハリン)に渡り、半世紀間故国に帰れなかった人たちのうち
約1500人が韓国に永住帰国した。
(中略)
道案内や通訳をしてくれた李周雨さん(68歳)が意外なことを言った。
「この問題は戦後、サハリンから外へ出さなかったソ連政府が悪いんです。決して日本の
責任ではない。戦争に負けて逃げて帰るのに韓国人のことなど考えられないでしょ。それに
強制連行なんて嘘ですよ。商売や募集で渡った人がほとんどです」
さらに、
「韓国政府は反日感情を煽るために利用しているだけで何もしない。帰れるようになった
功労者はペレストロイカ、そして私たちのために尽くしてくれた日本です」
160 :
マンセー名無しさん:2005/05/23(月) 03:46:40 ID:6hH5/rZ0
もう・・・本当に知れば知るほどイヤになってくる・・・
朝鮮人どもも大嫌いだがこの国の政府・人間は一体どうなっているんだ!?
今までに何度も見た光景だよ!
利権という名の下に不義を犯し、その汚名は子々孫々へと受け継がれてゆく・・
「朝鮮人に悪いことしましたから賠償しましょう」って失われるのは税金だけじゃないんだぞ?
この国の名誉と真実と、そして真実は追究すべきものであるという尊い精神まで侵されている事をなぜわからないのか!?
コイツラ残留朝鮮人とやらは50世になってもニッテイの戦争責任を問い続けるに決まってるだろ!
もう絶望だ・・!
本当に死ね!政治家とクソ左翼!
161 :
:2005/05/29(日) 18:34:25 ID:jM8rVzb1
162 :
マンセー名無しさん:2005/06/02(木) 14:11:16 ID:L/Kgh4IZ
163 :
マンセー名無しさん:2005/06/02(木) 21:15:35 ID:L/Kgh4IZ
164 :
マンセー名無しさん :2005/06/02(木) 21:23:40 ID:vd1C+oOW
165 :
日本人なら樺太と呼ぼう:2005/06/02(木) 23:35:41 ID:au9VUkAN
いい加減に露助の呼称はやめてほしい。
精神的苦痛です。
166 :
マンセー名無しさん:2005/06/07(火) 09:02:26 ID:JE0VV67T
サハリン在留邦人 終わらぬ苦難
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050606/mng_____tokuho__000.shtml 須田さんは塔路で生まれた。朝鮮人夫妻に里子に出され、「金順愛(キムスウネ)」名で
育てられた。十五歳で写真店を経営する十一歳年上の朝鮮人と結婚。「生粋の朝鮮人と
結婚したと思っていた」夫が、須田さんの素性を知ってから激しい暴力が始まった。
「『日本人妻で恥をかく』とむちゃくちゃな乱暴を受けた。翌年生まれた長男にも
日本人の血が入っていると暴力を振るった」
ユジノサハリンスク(豊原)に今も残る加藤波子さん(75)は、七歳年上の朝鮮人に
「結婚しなければ兄貴を殺す」と包丁を突きつけられ、十七歳で結婚したという。
永住帰国している近藤孝子さん(73)=東京都三鷹市=は加藤さんと親交があった。
「波子さんの夫は子どもにアイロンを押しつけて大やけどを負わせたあげく、
売り飛ばしてしまった」と振り返る。
なんて酷い奴らなんだ・・・朝鮮人は
167 :
マンセー名無しさん:2005/06/13(月) 15:49:18 ID:Vdqxzv7J
>>154 ロシア人の年金生活者も補償しろ言うぞ!
旧ソ連?
168 :
サ○リンと言う奴は朝鮮人:2005/06/13(月) 20:17:40 ID:7tgVybNu
× サ●リン
○ 樺太
.
171 :
マンセー名無しさん:2005/06/21(火) 11:44:45 ID:XPUNWh3U
純一郎、きっぱり断わってきたらネ申だったのに。
強制動員被害申請は17万人以上、慰安婦も290人
【ソウル堀山明子】日本植民地時代の強制連行による被害実態を調査するため、韓国政府が
2月から着手した被害申請の第1次受け付けが30日、締め切られた。強制動員被害真相究明
委員会の発表によると、29日現在で軍人、軍属、労働者、慰安婦の被害申請は、韓国国内
集計分が17万5666人、海外集計分が130人だった。今後、個別の調査を経て被害認定を行う。
同委員会は、日本政府に遺骨調査の協力を要請しているが、認定作業の基礎資料に使う
厚生年金や供託金の資料提供でも協力を求めていく方針だ。
調査は、「強制動員被害真相究明特別法」(昨年9月施行)に伴うもので、現段階では追加補償
を前提とした調査ではない。ただ、盧武鉉(ノムヒョン)大統領は韓国政府として被害者に
追加措置を講じる姿勢を示しており、8月にも支援策を発表する見通し。同委員会は秋から
第2次申請の受け付けを検討しており、支援策発表後は申請が急増する可能性がある。
申請の内訳は、軍人3万1035人▽軍属2万886人▽慰安婦290人▽労働者など
12万3455人。海外の受け付けでは米国の77件が最も多く、日本は7件だった。
個別の被害認定とは別に真相調査の申請も受け付け、靖国神社に韓国・朝鮮人約2万1000人が
合祀(ごうし)された経緯▽広島・長崎で被爆した韓国人の被害実態▽サハリンに連行された
韓国人の実態▽京都府宇治市の被徴用韓国・朝鮮人集落「ウトロ地区」の成り立ち−−
など20件について調査することを決めた。
ソース:毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20050701k0000m030066000c.html
>>8 北朝鮮からの派遣労務者やソ連系朝鮮人が嘘付いて
日本から金をせしめようとしているぞ。
174 :
マンセー名無しさん:2005/07/22(金) 20:47:58 ID:D1SCdhWn
イラク復興特集・京都大教授・中西輝政「日本の国防力が目覚めるとき」
第15回・国家としての日本を考える
9年前の阪神淡路大震災直後の救助作業中に、倒壊した家屋の地下からたくさんの武器庫
がみつかったとされる。当時から、消息筋の間の噂話として私自身、耳に挟んでできたが
この事実は、現在、多くの信頼できるソースで語られている。そこ(多数の地下武器庫)
には、2001年の奄美大島沖「不審船事件」で、北朝鮮工作船に搭載されていたものと
同クラスの武器(ロケット砲や無反動砲、機関銃)も多数隠されていた。あのとき工作船
が沈没寸前に放ったロケット弾(や無反動砲)はもし命中すれば、数十人の乗組員を乗せ
た海上保安庁の巡視船を轟沈させるほどの威力をもっている。それほどの破壊力を持つ兵
器が人知れず日本の大都会の一角に大量に貯蔵されている。いまも同じような武器庫が日
本国内に多数存在すると見られている。
ひとたび戦時になればこれら大量の武器庫群から、(ロケット砲・無反動砲、機関銃など)
これらの大量破壊兵器を大量に取り出した破壊分子が日本の大都市を走り回ることは十分予
測できる。しかもその勢力が如何なる外国に結びつくか、その答えは困難でない。この日
本国内、それもまさに我々のすぐ隣に潜んでいる。日本の、それも東京や大阪など大都市
がれっきとした戦闘地域なのである。このことを我々は片時も忘れてはならない。いまや
日本は国内における(重火器による大規模な攻撃)テロ、(本格的に武装した)ゲリラ行
為に文字通り、本格対処すべき時代に来ているのである。
175 :
マンセー名無しさん:2005/07/22(金) 22:04:57 ID:QUnsAG50
☆
@
178 :
マンセー名無しさん:2005/08/22(月) 21:40:40 ID:kS3h5DFg
179 :
マンセー名無しさん:2005/09/03(土) 13:49:54 ID:zArRBIyC
旧ソ連のロシアと韓国政府の問題なのに、なんで日本にたかってるんだ?
180 :
マンセー名無しさん:2005/09/22(木) 14:04:40 ID:EnWqLteK
九郎政宗ってやっぱり、朝鮮批判に必死なんだな・・・・
181 :
マンセー名無しさん:2005/09/28(水) 01:02:26 ID:yATzWtSv
南樺太残留日本女性に見る「戦争放棄」
南樺太には多くの日本女性が残留しています。彼女たちは日本へ帰りませんでした。
帰りたくても帰れなかったのです。それは一体何故でしょうか?
ソ連は日ソ中立条約を破って満州、南樺太、千島に侵攻して強姦略奪の限りを尽くしました。
南樺太には日本人と、日本に移住した朝鮮人がいました(もちろん強制連行ではありませんw)。
ソ連軍侵入後、朝鮮人の男は「ソ連軍に言いつけられたくなかったら俺の言いなりになれ!」と
日本女性を脅して、陵辱の限りを尽くしたのです。その結果、日本本土へ脱出するための船が
来た頃には朝鮮人に陵辱された日本女性の多くが妊娠していて日本へ帰る事が出来ず、
泣く泣く朝鮮人の妻となったのです。
今、日本が『戦争放棄』すれば同じ事が起きるのは確実です。
在日に「お前が右翼だと占領軍に言いつけるぞ!」「差別主義者だと占領軍に言いつけるぞ!」
等と脅されたらそれまで。その時は黙って朝鮮人に股を開くしかないのです。
「自分は左翼だから大丈夫」等と考えている人がいたら、それは間抜けとしか言い様がありません。
金允植、宋治悦、李昇一等の韓国人レイプマンは相手の日本女性が右翼か左翼か確認してから
強姦したでしょうか?もちろん、そんなことはしていません。
金保に至っては自分を教祖様と仰ぐ、可愛いはずの信者の日本人少女を強姦しています。
朝鮮進駐軍も強姦略奪する時、相手がどういう日本人だったかは考慮しませんでした。
美人なら犯され、そうでなければ難を逃れる。ただそれだけのことなのです。
強姦されそうに無いブサイクな御方、もしくは朝鮮人に強姦されたい願望を持っている御方は
マッカーサー9条を支持し続けてください。
ちょっと前レスから時間があきすぎてるので保守レス。
<丶`∀´>。oO(いつまでもたかり続けるニダ)
という考え方は通用しなくなってきてることに気付かないのだろうか。
184 :
マンセー名無しさん:2005/11/28(月) 18:01:25 ID:laE38lCq
あげ
185 :
日本赤十字サイト:2005/12/02(金) 21:18:18 ID:M6wPHluG
186 :
マンセー名無しさん:2005/12/05(月) 22:52:52 ID:m26w5uYv
187 :
マンセー名無しさん:2005/12/05(月) 23:20:55 ID:1L2WL539
日本は残らなかったのに朝鮮人は残ってずうずうしいね。
それを「置き去りにされた」とウソをいって日本を悪く見せる。
これが朝鮮人だ。
これ在サハリン韓国人の家族は韓国に帰国できんのだろ?
189 :
:2005/12/05(月) 23:29:49 ID:hiwGpshu
良心的日本人が本や名前を売る為に事実を捻じ曲げて日本が悪かったという
物語をつくり、それをもとに賠償を求めるいつものやつですね。
いつまでこんなこと続けるのか、ますますナショナリズムが刺激されて
靖国を支持し、中韓と本気で構える人が増えるだろう。
戦争も近いな。
190 :
マンセー名無しさん:2005/12/09(金) 14:44:02 ID:u7g6iWAE
191 :
マンセー名無しさん:2005/12/14(水) 00:25:17 ID:LbOYC8nT
ほしゅ。
とりあえず今回は☆&あげしときますが、反応がなければ、次回は☆しません。
193 :
マンセー名無しさん:2006/01/04(水) 22:54:49 ID:7ATdg41a
上げ忘れ♥
194 :
マンセー名無しさん:2006/01/15(日) 06:03:06 ID:9SqPUMmf
195 :
マンセー名無しさん:2006/01/21(土) 02:05:59 ID:8b11eO1M
いつも思うんだが、「強制」されない徴用や徴兵ってあるの?
196 :
マンセー名無しさん:2006/01/21(土) 02:18:18 ID:uDnpoTrZ
当時は朝鮮人も日本国籍でしょ。
日本では徴用が義務づけられてたんだから当たり前のことなのに。
197 :
マンセー名無しさん:2006/01/21(土) 02:27:17 ID:dzb/bDvm
本当にこいつらは、どこでも迷惑かけて足を引っ張りやがるな。
>>194 ケッ 日本も金やら出して協力している事実を伏せるなぁ
流石だよ腐れチョンは
産経新聞投稿欄2月1日
《国外元ハンセン患者への補償再考を》
元サハリン再会支援会 新井佐和子76(茨城県つくば市)
1月20日付の産経新聞記事によると、韓国、台湾など国外のハンセン病療養所の元入所
者に対し、国内の入所者並みの一人あたり800万円の補償金を支給する改正案を、通常国
会に提出することになったと報じている。
すでに国内では、「元ハンセン病患者の隔離政策は憲法違反」とする判決に基づいて施
行された「ハンセン病補償法」によって補償が行われているが、台湾人、韓国人について
はそれぞれの提訴によって、一審は台湾が勝訴、韓国が敗訴となっている。
そもそも隔離政策を不当とするこの法案そのものに、私は違和感を覚えるのだが、それ
はさておき、韓国が台湾と同等の権利を有すると考えるのは間違っている。
なぜなら日韓の間では1965年の日韓基本条約によって、すべての補償は清算ずみだから
である。ところが、この条約はまず「サハリン」で破られ、以後「被爆者」「慰安婦」な
どの補償実現に続いて、いままたこの補償法案が成立しようとしていて、いまや反故同然
となっている。
そして、この後に待ち受けているのは、朝鮮半島統一後に必ず起きるであろう"一千万人
強制連行"の補償要求である。
ところで、ハンセン病患者の救済には歴代の皇后さまが格別の配慮を示され、内帑金(な
いどきん)の御下賜、親しく入所者を見舞われるなど、今でも財団(ハンセン病について正し
い啓蒙活動を行うという趣旨で設立)初代総裁の故高松宮さまおよび妃殿下の故喜久子さま
を神様のように思っている入所者がたくさんいる。このような「隔離」とは、こういう高貴
な方々の啓蒙活動によって、世間の人々が偏見を持たなくなるまでの保護対策であったとい
える。当然、併合時代の朝鮮においても日本の皇族から嫁がれた李方子妃の庇護の下で過酷
な差別の目から逃れて暮らすことができたと考えられよう。
ところで解放後はどうなっただろうか。「解放後から1957年まで、ハンセン病患者集団虐
殺事件が10件発生した」と、最近韓国の人権委員会が報告している。
200 :
マンセー名無しさん:2006/02/08(水) 01:17:47 ID:kxo3Ds7M
あげ
201 :
マンセー名無しさん:2006/02/11(土) 15:42:27 ID:yyhxDQ6O
2月22日、竹島の日
『嫌韓流2』ついに発売!
45万部のベストセラー『嫌韓流』をまだ読んでないやつは、今のうちに買って読んでおこう
203 :
マンセー名無しさん:2006/03/04(土) 20:05:43 ID:lMgYNJyD
スゲー勉強になる。 ありがとう
刑事である主人公は、ある日消費税を払えと言われた事に
腹を立て人を殺してしまったあるおっさんの事を調べていくうち
実はおっさんがかつてサハリンに強制連行されてきた朝鮮人であり
しかもいま朝鮮人は日本でものすごく差別されている事を知る。
日本人は最低だ警察は最低だ日本は最低だと思い込むようになった主人公は
署長の前でうんぬんかんぬん……
これは島田荘司の「奇想、天を動かす」っていう小説。
こないだつくる会のHPに、「日本人はこれを呼んで反省しなさい」って書き込みがあったらしいね
☆
206 :
マンセー名無しさん:
625 :名無しさんの主張 :04/05/21 18:10
韓国政府は在サハリン朝鮮人を日本に引揚げさせるように日本政府に要請したんだよね。
日本から独立して露骨に敵対外交を繰り広げていて、しかもあの三国人暴動時代に、
ほんと、見当違いも甚だしいよ。
[DOC] サハリン朝鮮人棄民問題について
http://www.shc.usp.ac.jp/kawa/inatsugi/honbun.doc また、当時の日本政府の意識を如実に示す外交文書が2000年12月に公開されている。
それは韓国政府からの在サハリン韓国人の引揚げ要請に対して1957年8月9日付で
外務省アジア局第一課が作成したものであるが、そこには外務省幹部の言葉で「それ以外
の朝鮮人の引揚げは見当違いもはなはだしく、世論の反撃にあう」「朝鮮人は何ら日本人と
差別待遇を受けていたわけでなく、日本人も徴用を受けていた、むしろ朝鮮人は終戦近く
まで兵役免除の特典を受けていた」「戦後、朝鮮人は解放者として威張りだした」などと
記されているという。そこには朝鮮人への偏見が実によく表れている。
慎太郎が三国人と呼ぶのは当然だ!
http://2ch.dumper.jp/0000014415/