【教育】日本の教科書にも韓流ブーム!【洗脳】

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335マンセー名無しさん
小学社会6年上 教育出版より

【 戦争のかげと朝鮮の併合 】

日露戦争が激しさを増すと,国内からは,多くよさの人々が戦場へ送られていきました。
歌人の与謝野晶子は,戦場の弟を思ううたを発表して,戦争に反対する気待ちを表しました。
戦争に反対する意見を新聞で述べる人もいましたが,少数でした。
多くの国民は,リュイシュン(旅順)や日本海の海戦での勝利を喜びました。
しかし,国内では戦争中に2回も税金が引き上げられ,物価も激しく上がって、国民の生活は苦しくなりました。
講和条約では,サハリン(樺太)の南半分と,南満州の鉄道や鉱山の権利を得ましたが,
ばいしょう金を得られなかったこともあり,国民は,各地で譲和条約に反対する大会を開きました。
この二つの戦争で戦場となった朝鮮や中国の人人は,今をうばわれたり,家を焼かれたりして大きな被害を受けました。
さらに,日本は,朝鮮の人々の強い反対をおし切って,1910(明治43)年,朝鮮(韓国)を併合し,植民地にしました。
植民地となった朝鮮では,日本が行った土地調査によって,多くの人々が土地を失いました。
そのため,朝鮮の人々は,日本人のもとで小作人として働いたり、日本や満州(中国の東北部)にわたり、
鉱山などで厳しい仕事につかなければなりませんでした。
また、朝鮮の学校では、日本国民となるための教育が行われ、子供たちは、日本語や日本の地理・歴史を学ばされました。
このような,民族のほこりをうばおうとする日本の支配に対して,1919(大正8)年,朝鮮の人々は独立運動に立ち上がりました。
運動には中学生や女学生も参加して,またたくまに朝鮮全土に広がりました。
一方,このころから,日本人の間には朝鮮や中国の人々を軽べつし,差別するまちがった考えが強まっていきました。
336マンセー名無しさん:04/11/21 00:50:40 ID:LeXCEb7q
小学社会6年上 教育出版より

(コラム)
民族独立の願い1919年3月1日,朝鮮の人々は,ソウルなどで独立宣言を発表し,独立を目ざす強い意志を国の内外に示しました。
「わたしたちはここに,朝鮮が独立国であること,朝鮮人が自由民てあることを宣言する。
・・・・・朝鮮が独立することによつて,朝鮮人の生活が繁栄し,日本があやまった道から出て,
東洋を支えていくものとしての責任を果たせるようになる。
東洋の平和は世界平和の重要な一部であり,人類の幸福への一歩である。」(独立宣言書の一部)
独立運動は,約200万人の人々が参加し,3か月わたって続けられました。
ソウルにあるタプコル公園には,この時の運動をたたえてつくられた碑が建てられています。

(マンガの吹き出し)
日本語や歴史を強制的に学ばされて,朝鮮の子どもたちはどう思っただろう。