【ソウルから】黒田勝弘 総合スレ3【ヨボセヨ】

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784マンセー名無しさん
産経朝刊(2004/12/28)
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◆【2004−5 転換の時代】金鍾泌 左派全盛、保守復活なるか
 今年四月の韓国総選挙で落選した金鍾泌氏(78)の政界引退は、
韓国政治を三十年以上にわたって支配してきた「三金時代」の終わ
りであり、世代交代と左派全盛という韓国社会の転換期を象徴する
出来事だった。
 「三金」のうち金泳三氏と金大中氏は大統領になったが、金鍾泌
氏には大統領の座はついに回ってこなかった。

 金鍾泌氏は故朴正煕大統領(一九六一−七九年在任)の“革命の
同志”としてナンバー2で政治人生をスタートし、首相二回、国会
議員九期の「不死身の政治家」だった。しかし、民主化や左派・革
新政権の誕生という韓国社会の流れのなかで金氏に象徴される保守
本流は傍流となり結局、ナンバー2のままで政治人生を終わってし
まった。

 四月の総選挙は新人議員が70%を占め、世代的にも四十代以下が
40%と大きな変化を見せた。しかも史上初めて社会主義政党の民
主労働党が議席を確保した。学生運動出身者など親北朝鮮の左派が
政界の前面に登場し、盧武鉉政権も当然、その影響下にある。

 政治的に見る限り韓国はもう反共・保守国家ではないし反北朝鮮
でもない。大統領自ら「北朝鮮の体制変化は望まない」という独裁
擁護(?)と北朝鮮支援の国なのだ。「六カ国協議」の図式も今や
「日米韓対北」から「日米対南北」に変わりつつある。韓国は対北
朝鮮包囲網から脱落してしまったといっていい。
785マンセー名無しさん:04/12/29 08:23:53 ID:bAf2Y7G8
>>784
 今から考えると金鍾泌氏の失敗は、一九九七年の大統領選で宿敵・
金大中氏と手を結んで金大中政権誕生に決定的役割を果たしたこと
かもしれない。ナンバー2の首相の座を手にし、金大中政権下の韓
国社会の左傾化、親北朝鮮化を牽制(けんせい)しようとしたが、
流れを止めることはできなかった。

 金大中氏と約束し合った議院内閣制への転換も反故(ほご)に
終わった。結果的には利用されただけだった。そして次の盧政権
下では長く自らの支持基盤だった出身地の忠清道も盧政権に奪わ
れてしまった。

 金鍾泌氏は最近、故朴大統領の遺児で長男の朴志晩氏(45)の
結婚式に姿を見せた。故大統領の長女、朴槿恵さんは野党ハンナラ
党代表として次期大統領を狙っている。金氏は保守の復活、そして
果たせなかった“ナンバーワン”の夢の実現を朴槿恵代表に託すの
だろうか。

 残る二人の金氏は引退はしたものの政治的動きはやめていない。
金大中氏が在任中の金正日総書記との南北首脳会談を看板に相変わ
らず北に“秋波”を送っているのに対し、金泳三氏は逆に金正日独
裁体制批判に孤軍奮闘している。二人は現役時代の“両金対立”の
延長戦をやっているのだ。

 金鍾泌氏は、韓国政治の左傾化、親北朝鮮化の流れにギブアップ
してしまったのだろうか。「左右対立」「保革対立」で大揺れする
韓国でひとり金鍾泌氏の音無しは寂しい。(ソウル 黒田勝弘)