>>784 今から考えると金鍾泌氏の失敗は、一九九七年の大統領選で宿敵・
金大中氏と手を結んで金大中政権誕生に決定的役割を果たしたこと
かもしれない。ナンバー2の首相の座を手にし、金大中政権下の韓
国社会の左傾化、親北朝鮮化を牽制(けんせい)しようとしたが、
流れを止めることはできなかった。
金大中氏と約束し合った議院内閣制への転換も反故(ほご)に
終わった。結果的には利用されただけだった。そして次の盧政権
下では長く自らの支持基盤だった出身地の忠清道も盧政権に奪わ
れてしまった。
金鍾泌氏は最近、故朴大統領の遺児で長男の朴志晩氏(45)の
結婚式に姿を見せた。故大統領の長女、朴槿恵さんは野党ハンナラ
党代表として次期大統領を狙っている。金氏は保守の復活、そして
果たせなかった“ナンバーワン”の夢の実現を朴槿恵代表に託すの
だろうか。
残る二人の金氏は引退はしたものの政治的動きはやめていない。
金大中氏が在任中の金正日総書記との南北首脳会談を看板に相変わ
らず北に“秋波”を送っているのに対し、金泳三氏は逆に金正日独
裁体制批判に孤軍奮闘している。二人は現役時代の“両金対立”の
延長戦をやっているのだ。
金鍾泌氏は、韓国政治の左傾化、親北朝鮮化の流れにギブアップ
してしまったのだろうか。「左右対立」「保革対立」で大揺れする
韓国でひとり金鍾泌氏の音無しは寂しい。(ソウル 黒田勝弘)