選挙の度に、挨拶に来る議員に、要望していますw 次は、再入国禁止法案をなんとか。。。
だいたい、引き篭もりが働かないのは引き篭もりだからに決まってるじゃん。 レッテル貼るだけで精一杯か。 煽るつもりなら頭使った方がいいよ。
954 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:45 ID:8MYJLgDD
「朝鮮人の進むべき道」 著者:玄永燮 朝鮮人は、朝鮮語を忘れてしまわなければならない。 朝鮮人が日本語でものを考えたときこそ、朝鮮人が最も幸福になった時である。 学校で朝鮮語を教える必要は全くない。 朝鮮人を不幸にしようとするならば、朝鮮語を永続させて、朝鮮的な低級な文化を与え、 それ以上の発達を阻止することである。
955 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:46 ID:8MYJLgDD
「李完用(イワンヨン)の心事と日韓和合」 著者:李成玉 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つことは出来ない。 亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。 欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はちがう。 日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。 そして、日本人は朝鮮人を導き世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。 それ以外にわが朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を基に考察したのだ。
956 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:48 ID:TCfH5rz0
,. - ─── - 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ',
>>953 のお兄ちゃんどうして必死なの?
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l 傷つけちゃった?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
957 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:48 ID:8MYJLgDD
「心的新体制と朝鮮文化の進路」 李光洙 :韓国の詩人。これは昭和15年9月の作品 戦後、北朝鮮に連行され行方不明) 私は今となってはこうした信念をもつにいたった。すなわち、朝鮮人は朝鮮人であることを忘れなければならないと。 血と肉と骨がすっかり日本人になってしまわなければならないと。この中に真に朝鮮人の永生の唯一の道があるのだと。 したがつて朝鮮人文人ないし文化人の心的新体制の目的は第一に自己を日本人化し、 第二に朝鮮人すべてを日本人化することに全力をささげ、第三に日本文化を昂揚し、世界に発揚する文化戦線の兵士になることである。 朝鮮文化の将来はここにある。このために朝鮮人は民族感情と伝統の発展的解消を断行すべきである。
958 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:50 ID:8MYJLgDD
太皇帝(高宗)(=韓国皇帝)の伊藤暗殺に対する心境 伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言していた。 日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。 実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。 伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。
>>956 あわててAAコピペはいいが変な文章をつけるようなお前こそ
必死なのでは?
960 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:52 ID:8MYJLgDD
「1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表」 日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。 今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。 こうした日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。 アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン 朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している。 その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、 ロシアの植民地になるだろう。伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。 「アメリカ・ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙」 韓国は多年、その自主独立の政治ができなくて、過去数世紀の間、支那の宗主権を承認していた。 日本がこれを、その境遇から救った後は、日露の係争の地であった。 次いで、日本は又々、これをロシアの圧迫から脱けさせるや、財政に行政に日本の忠言指導を受けることになり、外交の事は、挙げてこれを日本に委せた。 それ以来韓国は少なくとも、露、仏、英諸国が、その付属国民に対すると同様の恩恵に浴するにいたった。 けれども近来、韓国は徒らに名を無実の独立国に借りて、陰謀、奸計を弄し、隣国の激怒を招き、威圧、否戦火を蒙った。 これが実に日清・日露の二大戦役を実現したゆえんである。ここでこそ韓国の地位に、根本的な改革を加え、それによって禍根を除去するより以外ない。 ゆえに我々は、日本保護下における韓国に対し、そのいわゆる韓国の独立に永遠の離別を告ぐるものである。
在日チョンは目に涙を溜めてキーボードを叩き続けた。 「俺は祖国の言葉も話せない、だが民族の誇りは忘れていないぞ!」 帰化もしない、帰国もしない、祖国の徴兵に応じようともしない そんな自分に出来ることは、恥ずかしい祖国の事実を紹介するスレを 荒らすことだけだった。 「泣くものか!! 泣いたらチョクバリに負けた事になる!!!!」 心の中で叫びながら 在日チョンはキーボードを叩き続けた。 `、` カタカタカタカタ... ∧_∧ ミ __ __ ;< #`Д´>つ| |\\.| | ( つ ノ | |_|≡| | 彡
962 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:55 ID:8MYJLgDD
アメリカ大統領 セオドア・ルーズベルト・・・日露戦争では金子堅太郎の説得により日本支援を決意。日本側の外交官である金子堅太郎とはハーバード大学時代の学友であった。 のち日露戦争を講和に導いた功績によりノーベル平和賞を受賞。 しかし、第一次世界大戦では「指揮官にしてくれ」とウィルソン大統領に頼むが断られたという事実があり、本当は戦争大好きのタカ派親父だったと思われる。やっぱアメ公はアメ公だ。 「韓国は絶対日本のものである。確かに、条約は韓国が独立を保つべきであると厳粛に誓約している。 しかし、韓国自身は条約を実行するには無力である。そして、韓国が自分自身のために全くできないことを、どこか他の国が韓国のためにしようと試みるなどと想定するのは問題外のことである」
963 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:56 ID:TCfH5rz0
/ , `ヽ.
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ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ',
>>961 のお兄ちゃん
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l いよいよ必死だな( ´,_ゝ`)
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
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_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
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|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
┌─────────────────────────┐ │! 警告 在日朝鮮人を発見しました。駆除しますか? ×.│ ├─────────────────────────┤ │..∧__∧ 駆除しないと、日本人の将来はありません。 ..│ │<、`∀´.> 駆除することを強く推奨します。 ....│ │ .....│ │┌────┐┌────┐┌────┐┌────┐ │ ││駆除する.││排斥運動││強制送還││謝罪要求│ │ │└────┘└────┘└────┘└────┘ │ └─────────────────────────┘
965 :
マンセー名無しさん :04/07/03 23:59 ID:TCfH5rz0
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ',
>>964 のお兄ちゃん
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l ガンガレw
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 ー '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
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|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
966 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:01 ID:q+34Hy50
朴正熙・・・韓国大統領。元大日本帝国陸軍将校にして近代韓国史の英雄 わが五千年の歴史は、一言でいって退嬰と粗雑と沈滞の歴史であった。いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、 統一天下の威勢で以って民族国家の威勢を誇示したことがあり特有の産業と文化で独自の自主性を発揮したことがあっただろうか。 いつも強大国に押され、盲目的に外来文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかったし、せいぜい同胞相争のため安らかな日がなかっただけで、 姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図にすぎなかった。 (中略)第一にわれわれの歴史は始めから終わりまで他人に押され、それに寄りかかって生きてきた歴史である。 /大韓帝国が終幕を告げるまで、この国の歴史は平安な日がなく外国勢力の弾圧と征服の反覆のもとに、かろうじて生活とはいえない生存を延長してきた。 このような侵略は半島の地域的な運命とか、われわれの力不足のため起こったのではなく、ほとんどがわれわれが招き入れたようなものとなっている。 多くの場合、敵と内通したり浮動したりする連中が見受けられるのであった。 第二に、われわれの党争にかんすることである。これは世界でもまれなほど小児病的で醜いものである。 第三に、われわれは自主、主体意識が不足していた。われわれの波乱多き歴史の陰になって固定されることのなかった文化、政治、社会はついに「我々のもの」を失い、 代わりに「よそもの」を仰ぎ見るようになり、それに迎合する民族性に陥らせてしまった。「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。 第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲がなかったということである。われわれが眠っている間に世界各国はいち早く自国の経済向上のため目覚しい活動を展開していた。 しかし、われわれは海外進出は念頭におかず、せいぜい座ってワラを編んでいただけではなかったか
967 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:04 ID:q+34Hy50
参考資料: 金完燮(「親日派のための弁明」の作者) SAPIO 03/02/26より 死亡当時、すべての朝鮮人にとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の殉教者として華麗に復活した現象は、韓国人が直面しているアイデンティティーの混乱を端的に示すものだ。 韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したならもっと今日良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。 特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。 しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。 朝鮮は典型的な奴婢社会であった。全人口の30パーセント以上が奴婢であり、首都漢城の場合は人口の70%以上にも及んだ。 奴隷は物のように売買され、主人のために生涯奉仕しなければならなかった。平民や中人階級は奴婢に比べて若干自由があったが、貴族や官吏たちに略奪される立場にあるのは同じだった。 両班とも呼ばれる貴族たちは無為徒食しながら、下の階級に対し無慈悲に権力をふるった。ある学者はこのような朝鮮を、20%のヒルが残りの80%の血を吸う社会構造だと喩えた。
968 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:09 ID:q+34Hy50
参考資料:Japanese JoongAngIlbo 2003.12.25
(アドレス:
ttp://japanese.joins.com/html/2003/1225/20031225170036600.html )
サッカーのイングランド代表として2002年韓日ワールドカップ(W杯)に出場したポール・スコールズ(29、マンチェスター・ユナイテッド)が、韓国を侮蔑する発言を行い、韓国ネチズンの反発を呼んでいる。
スコールズは英国のサッカー専門雑誌「フォーフォートゥー」(Four−four−two)来年1月号に載せたインタビューで
「2004年欧州サッカー選手権大会(ユーロ2004)の優勝候補はどのチームだと思うか」との質問に、
フランスを挙げ「フランスは(ユーロ2000に続き)もう一度優勝できるチーム」と語った。
彼は続けて「彼ら(フランス)は前回のW杯で好成績を挙げることが出来なかったが、それはW杯を開催してはいけない『馬鹿な国』での一時的不振に過ぎない
(They didn’t do so well at the World Cup、but that was just a blip in a stupid country
where the World Cup should never have been played)と話した。
この内容が国内サッカー専門インターネットサイトに紹介され、ネチズンが続々にスコールズへの非難文を掲載している。
デビッド・ベッカム(レアル・マドリード)とマンチェスターユナイテッド幼年クラブ入団同期生のスコールズは、
2002年のW杯でイングランドが行った5試合すべてに、中央MFとして先発出場した。
イングランドは準々決勝で、ブラジルに1−2で逆転負けした。
鄭栄在(チョン・ヨンジェ)記者 <
[email protected] >
2003.12.25 17:00
※ 2002年WCでフランスは来日していない。したがってワールドカップを開催してはいけない「馬鹿な国」とはどこであるかは言うまでもない。
969 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:12 ID:q+34Hy50
参考資料:何故「三国人」が差別用語になったのか
(アドレス:
ttp://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html )
・下里村役場事件(1951年10月22日)
兵庫県加西郡下里村(現在の兵庫県加西市)において、朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために下里村役場に押しかけ、
村役場職員を吊るし上げ、椅子を振り上げる等の暴挙に出たので、暴行脅迫・恐喝容疑で15名を検挙した
・日野事件(1951年12月18日)
朝鮮人約50名が、自転車隊を編成し、白襷をかけ、「強制送還反対」のプラカードを掲げ、メガホンやスピーカーを所持し、
強制送還反対を叫びつつ滋賀県内を無届デモ行進をした。
警察は公安条例違反として再三中止を警告したが応じなかったので、滋賀県蒲生郡日野町において実力行使に出たが、
石や薪などを持って抵抗したり、拳銃を奪い取るなどして反抗した。
これにより、警察側に25名の重軽傷者を出したので、拳銃を発砲してこれを鎮圧した。35名が検挙された。
970 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:14 ID:q+34Hy50
「東京スポーツ」2002年7月2日クラウディオ・ビッラ(イタリア代表公式カメラマン) 日韓共催は、はっきり言えば失敗だった。私は両国で仕事をしたが多くの点で違いを感じた。たとえば競技場近くの表示一つとっても、日本は整然としているが、韓国は大雑把。(中略) 日韓両国は「友好を深めアピールした」といっているが、統一感のない共催は、むしろ2ヶ国間の温度差を伝えるだけに終わった気がする。最も残念だったのは審判問題だ。その点で、間違いなく今回、W杯の価値は下がっ た。その審判問題に開催国である韓国の試合が多く関係していたのは残念な事だ。欧州各国が持つ韓国のイメージは確実に悪くなった。プレー内容も、一般的なほめ言葉である「スペクタクル」さに欠ける。欧州のクラブは韓国選手を欲しがらないだろう。 (中略) 私個人としては日本の単独共催の方が良かったと思う。いずれにしろ、次回06年ドイツ大会では、この悪いイメージを払拭し、落ちたW杯の価値を高める努力が必要になる。
971 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:17 ID:q+34Hy50
参考資料:アメリカの鏡・日本 著者:ヘレン・ミアーズ・・・この本はマッカーサーから発禁を喰らいました 1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。 パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。 トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」 事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んででいなかった。 「こうしたことから、戦略的に重要な韓国は、力が弱いために基地と土地所有の要求を拒否できないことがはっきりした。 ロシアの領土的近接と満州への急激な進出は韓国にとって脅威だったが、それはとりもなおさず、イギリスと日本に対する差し迫った脅威として受止められたのである。 韓国は中国の「属国」だから、中国に圧力をかけて譲歩を引き出すことができた国が韓国での特別待遇を得られる。 この状況では、イギリスと日本の「利害」は完全に一致していたといえる。 今日、私たちが日本の「奴隷化」を非難するのは、要するに日本の植民地経営が拙劣だったからである。 しかし、一般に「進歩」の基準とされている、病院、学校、官庁(特に現地行政機関)に占める韓国人の割合、通信施設の整備、産業化、資源開発などの分野でみると、 日本の経営は他の植民地主義諸国に比べて劣っていなかったばかりか、むしろ勝っていたといえる。
972 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:21 ID:q+34Hy50
今日、日本の韓国経営を否定する人は、日本の主な目的が韓国国民の安寧福祉より自国の安全保障と経済的利益であったことを指摘する。 しかし、そういう状況はヨーロッパでの植民地では当たり前のことであった。韓国で間違っていたのは日本の経営ではなく、植民地制度なのだ。 1894年にシル在韓国米代表は、日本の改革方針について、「国民に平和、繁栄、開化をもたらすだろう」と好意的に書いている。 彼は日本の韓国経営について「人道的」という表現をつかっているが、恐らく心からそう信じていたのだろう。 日本は韓国国民を「指導」すべき「責任」において、これほどまで悪政に虐げられてきた韓国国民には「独立」国の運営は無理である、と説明してきた。 今日私たちも真面目に同じ事を言っている。当時の日本も私たちと同じくらい真面目だったのだ。 日本からみれば、この戦争(日清戦争)は完全に成功だった。西欧列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。 そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。(日本により韓国は有史以来初めて独立した) (中 略 ) 1904年、日本はロシアに宣戦布告し、再び「韓国の独立」のために戦うことになる。日本が西洋に認められるまで、日露戦争は有益な学習だった。 文明世界は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。彼らは民族衣装のキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだった。 ※1904年10月4日付けのロンドンタイムズの記事が、当時のイギリス人の反応を物語っているが、それはほとんどのアメリカ人が感じたことであった。 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から中国、そしてロシアと戦った。
973 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:23 ID:q+34Hy50
※1904年10月4日付けロンドンタイムズの記事 「極東のこの戦争を取り巻く状況には注目すべきことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。 我々は不本意ながら、日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。 ・・・・この力はいったい何なのか。その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。 ・・・勇気は西洋にとっても珍しいことではない。・・・が、これは単なる勇気ではない。その背後にもっと違う何かがある。 もし西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったろう。 そういう何かである。これは何か。これは何か・・・」
974 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:29 ID:q+34Hy50
参考資料 : 「現代韓国人の国民性格」 著者:李符永(ソウル大学教授) (1)依頼心が強い (2)すべきことをせず他人に期待し裏切られると恨んだり非難する (3)相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思う (4)せっかちで待つことを知らず「今すぐ」とか「今日中」とよく言う (5)すぐ目に見える成果をあげようとし効果が出ないと我慢せず別の事をやろうとする (6)計画性がない (7)自分の主張ばかりで他人の事情を考えない (8)見栄っ張りで虚栄心が強い (9)大きなもの・派手なものを好む (10)物事を誇張する (11)約束を守らない (12)自分の言葉に責任をもたない (13)何でも出来るという自信を誇示するが出来なくても何とも思わない (14)物事は適当で声だけ大きくウヤムヤにする (15)綿密さがなく正確性に欠ける (16)物事を徹底してやろうとしない (17)“見てくれ”に神経を使う (18)「世界最高」とか「ブランド」に弱い (19)文書よりも言葉を信じる (20)原理・原則より人情を重んじ全てを情に訴えようとする
975 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:32 ID:q+34Hy50
参考資料: 金満哲(韓国済州島出身の韓国評論家) 同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。 韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。 「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。 ごくごく一部の抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。 「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。 「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。 「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。 現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。 このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。 これが恥でなくてなんであろうか。
976 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:36 ID:q+34Hy50
参考資料 : 朴泰赫(パクテヒョク)(韓国人評論家) 「醜い韓国人」光文社 【中国のホテルで見た韓国人の醜態】 また中国でもこんな光景を目撃した事があった。一九九七年の夏のある日、あまりに暑かったので喉を潤そうと繁華街のホテルのコーヒーショップに入った。 するとそこは超満員の客でごった返していた。 ところがいちばん隅のテーブルで、ホテルの警備員と何人かの客が英語を使って口喧嘩をしていた。 客の姿格好や英語の発音からして韓国人であることは明らかだった。 おそらくコーヒーショップのウェイトレスをからかったために警備員が駆けつけたようであった。 警備員が注意すると、赤いポロシャツの男が「アイ・アム・ジャパニーズ!」と英語で喚き、 いっしょにいた仲間たちも大声を張り上げては相槌を打った。そのうち眼鏡をかけた男が「この中国人野郎、俺達が日本人だってことがわかってるのか?」 と韓国語のソウル言葉を口にした。 やはり思った通り、本当は韓国人であった。私は一瞬、同じ民族として顔がまっ赤になるほど恥ずかしくていたたまれなかった。 自分が明らかに過ちを犯しても、その愚かな韓国人は「名分」を守るために、躊躇することなく他の民族だと偽って責任を回避したのである。 まったく醜悪極まりない行為だとしかいいようがない。
977 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:44 ID:q+34Hy50
参考資料 : 韓国大統領 朴正熙(パクジョンヒ)・・・韓国には極めて珍しい(一応は)親日派大統領。 日韓併合時代は、日本の創始改名に呼応して「高木正雄」という日本名を名乗り、敗戦時には中尉にまで昇進。 戦後は韓国軍少佐へ昇進し、やがては大統領に就任。キューバ危機直前の1961年当時、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディと会談し、親米進路を固める。 日韓基本条約によって日本との国交を復活させ、独裁政権を取りながらも韓国の近代化を徹底した。 このときの経済成長が無ければ、韓国は北朝鮮に滅ぼされていたと言われている。しかし反日派の反感を買い、1976年10月26日金載圭中央情報部長に射殺され死亡 享年62歳。 中曽根元首相との対談より 「私は貧農の生まれで学校に通うなど思いもよらなかったが、日本人の役人が両親を説得して小学校に行く事が出来た。 そしたら学校の教師がお前は頭が良いから無料の師範学校に行った方が良いと推薦してくれた。 師範学校では更に優秀さを認めてくれて陸軍士官学校に推薦してくれた。 その結果士官学校首席として日本人同期生のトップで卒業し、陸軍将校に成る事が出来た。 今の私が有るのは清廉で誠実な日本人達のおかげである。」
978 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:47 ID:q+34Hy50
参考資料:朴鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳、韓日文化研究所 昭和四十二年十月) 「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。 日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」 「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。 平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。 最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。 それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。 日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。 彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。 日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。 ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、 しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
979 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:51 ID:q+34Hy50
参考資料: タイ人新聞記者 ククリツト・プラモート(後のタイ国首相) 「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。 十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」 参考資料: ソムアン・サラサス(タイ側交渉団) 「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。そして、皇族も華族もいなくなり、 有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。 アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」 「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。 けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」 ※ 大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていた。しかし、タイは日本に同情してくれたため、 2500万ドルにまで値引きしてくれた。
980 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:53 ID:q+34Hy50
参考資料: 一九五一年九月、サンフランシスコ対日講和会議の席上 セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相の発言 「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。 それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、 日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。 往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。 私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、 ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」。 ※ セイロンは日本への賠償請求権を放棄。セイロンに続き、インド、ラオス、カンボジア、アメリカも賠償請求権を放棄している。
981 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:55 ID:q+34Hy50
参考資料: ミャンマー(旧ビルマ) ビルマ独立義勇軍 アジア人の前衛たる日本人は、自らの社会経済的進歩と教育の発達のみを求めて闘いを進めたのではない。 インド・ビルマ・チャイナ・フィリピン・スマトラなどにおいて、政治的にも経済的にも足かせをはめられて抑圧されていた人々のために闘ったのである。 参考資料 : ビルマ外相 ウー・ヌー 1943年8月1日独立時の演説より 「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。 そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」 参考資料 : 初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』 「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、 真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」 参考資料 : 初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』 「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。」
982 :
マンセー名無しさん :04/07/04 00:58 ID:q+34Hy50
参考資料 : バーモウ (ビルマ元首相 独立宣言)より (一問に百答 日下公人 PHP研究所) 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。 英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。 ・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、 さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、 これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。 ・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。 ・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」
983 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:02 ID:q+34Hy50
参考資料 : 「ロンドンタイムス図書週報」1968年5月23日号 「ビルマを長い植民地支配から解放した者は誰か。それはイギリスでは1948年、アトリー首相の労働党内閣だということになっている。 しかし、バー・モウ博士はこの本の中で全く別の歴史と事実を紹介し、日本が第二次世界大戦で果たした役割を公平に評価している」 参考資料 : フィリピン独立記念での演説 パルガス フィリピン大使 「しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。 帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。 大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。 日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した」
984 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:05 ID:q+34Hy50
参考資料 : フィリピン ジョジョ・P・マリグ(フィリピン人ジャーナリスト)SAPIO(小学館) 2000年12月20日号「PHOTO & REPORT 神風特攻隊はフィリピンで英雄だった/井上和彦氏」より 「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。 とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は尊敬すべき”英雄”だと思います。またカミカゼ・アタックを決断した大西瀧治郎中将も本物の”武士”です」 ※ 平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、 「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が挙行された。この慰霊祭には、特攻隊員の遺族ら日本からの参加者に混じって、 フィリピン空軍将校やアメリカ人らも参列したのであった。 参考資料 :フィリピン ダニエル・H・ディゾン画伯・・・1974年(昭和49年)、特攻隊の生き様に感動したディゾン画伯は、 神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言。マバラカット飛行場跡地に慰霊碑を建立した。(引用は同上) 「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。・・・こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。 同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを”誇り”に思っています」
985 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:06 ID:q+34Hy50
参考資料 : 地元通訳 マリオ・ピネダ氏(2000年当時 73歳) 同上より引用 「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。 これは日本が統治下で施した”教育”の成果です。・・・・ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、自分たちでモノを作ることを学ぱせてもらえなかった。 人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」 ※ フィリピン人はアジア人でありながらその多くがスペイン風の名前を持ち、かつては英語を強要されていた。 英語はたしかに役に立つが、やはり強制的に欧米化されたことはフィリピン人には苦い歴史となっている。 「英語が母国語なら英語の勉強をしなくてもいい」と考える日本人もいるが、大切なものは失ってはじめて気が付くのである。
986 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:09 ID:q+34Hy50
参考資料 :在比邦人何けテレビ局「WINSチヤンネル」のキャスターでウインズ・インターナショナルの社長・水島総(51) 「フィリピン人は日本で伝えられているような”反日”などではなく、むしろ親日的ですよ・・・。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりも”リアリスト”です。 戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは思っていません」 ※ フィリピンでは日本軍の将軍が祭られていることもある(例 特攻隊の生みの親 大西中将など) 神風特攻隊を例に出して愛国心を教育するフィリピンの先生は少なくない。 参考資料: 中華民国 『三民主義』 著者 孫文(中国革命の父) ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、 その提案に耳を傾けた。白人人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。 アジアには強い日本があるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。 日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、アジア全民族の地位を高めた。
987 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:13 ID:q+34Hy50
参考資料 : 中華民国 汪兆銘(孫文の第一後継者にして中華民国南京政府主席) 「(日露戦争に対して)中国国民のこぞって願ったのは、日本の勝利だった。 今日の現状をみて中日両国はとうてい心から相和することはできないという説をなすものがあると、私はその度に、 昔東京で過ごした日露戦争当時のことを想い起こす」 ※ 蒋介石は汪兆銘の墓を爆破している。支那人にとって死者を冒涜することは日常茶飯事ではある。 このようなところに日本人には理解できない支那人の残虐性が見え隠れしている。 参考資料: 1928年 「日本論」 戴天仇(中国人) 清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と南下政策を続けた。 もし日本が北進に努力しなければ、ロシアは必ずや朝鮮を侵略したであろう。腐敗せる朝鮮王室と両斑ががどうして露国を一掃し得たであろうか。 故に日本の北進はやむを得なかったのである。日清・日露の両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の存亡を賭した戦いであった。 中国とロシアはともに世界の大国である。小をもって大を抗す、しかも十倍の大に抗するのである。 日本人が気狂いでない限り、一歩退いて考えざるを得なかっただろう。<前進は生路であり、後退は絶路である> ということを彼らはよく承知していたのである。
988 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:14 ID:q+34Hy50
参考資料 : インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチの歌詞 “アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす 連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ 古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…” 参考資料 : インドネシア アラムシャ第三副首相 日本軍政時代の3年半については、オランダ、チャイナ、アメリカなど、戦勝国の学者や、欧米に留学して日本が嫌いになった人々は、 悪い面ばかりを誇大にあげつらっている。しかしそれでは全体を語ったことにはならない。
989 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:17 ID:q+34Hy50
参考資料:名越二荒之助 「日韓2000年の真実」国際企画 今から十五年前ほどの前、アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時のことだ。 例によってフィリピンと韓国の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。 列席のアジアの親日家たちは「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった。」 と悔しがった。そこで、インドネシアのアリ・ムルトポ准将は韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。 彼はASEAN(東南アジア諸国連合)結成の仕掛け人である。 中略 <日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。 中略 ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、 アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。 中略 もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、 その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等活用することができる。だから企業の成功は容易である。 つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。 インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。 中略 つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい」と考えている。 日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしている、と考えている。 だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、 対等のパートナーとも言えないのではないか>
990 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:20 ID:q+34Hy50
参考資料 :『祖国と青年』平成6年2月号、アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論 中島慎三郎より) インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。 そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、 A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、 汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」 参考資料 : インドネシア オランダが日本に太平洋戦争での賠償を求めてきたことに対しての新聞記事 『祖国と青年』平成7年4月号P、37より 「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、 賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、 オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、 一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。 つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい。」
991 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:23 ID:q+34Hy50
参考資料 : 名越二荒之助著『世界から見た大東亜戦争』展転社刊より 昭和63年(1988年)9月 マレーシア ガザリー・シャフェ外相 謝罪する日本の政治家に対して とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、 責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。 「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。 諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、 負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。 そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。」 参考資料 : 中京テレビ製作のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に対して、英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長のコメント 「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。 こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。 我 々 に は 、 日 本 罵 倒 体 質 の 韓 国 や 中 国 と 違 っ て 歴 史 と プ ラ イ ド が あ る 。 「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。」
992 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:25 ID:q+34Hy50
参考資料 :インドネシア アリフィン・ベイ(ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士) 「魂を失った日本」未央社、57〜65ページより 「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、 技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。 この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。 日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。 その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。 (中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。 この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。」
993 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:27 ID:q+34Hy50
「台湾人と日本精神」 蔡焜燦 2000年 日本教文社(台湾出身の著者は岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に所属していた) 昭和20年8月15日、終戦の詔勅下る。山奥での作業中に年輩の応召兵が『敗けた!』と隊からの伝令を口にしたまま、呆然と立ちすくんでいた。 我々は何が起こったのかさっぱりつかめない。無理もない、玉音放送があることすら知らされていなかったのである。 ただ中隊長の青ざめた表情は自体の深刻さを物語っていた。しばらくして、敗戦の事実が我々「台湾出身生徒」にも正式に伝達されたとき、 悔しさと無念の気持でいっぱいになり、とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。無性に悔しかった。 それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。 他方、「朝鮮出身の生徒達」は、その日から食糧倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。 日本人を殴って、『戦勝国になったんだ』と威張りちらす者もいれば、『独立だ!』と気勢を上げる輩もいる。 敗戦の報は、それまで一つだった”国民”を三つの国民に分けてしまったのである。 「・・・一つだけいっておきますが、日本が台湾に謝罪する必要はありません。それよりも隣の大きな国と戦っている台湾を声援してください」 「日本人よ胸を張りなさい」
994 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:28 ID:q+34Hy50
「台湾人と日本精神」 著 蔡焜燦より 台湾の実業家 許文襲 「台湾の今日の経済発展は、日本時代のインフラ整備と教育の賜物です。当時、搾取に専念したオランダやイギリスの植民地と違い、 日本のそれは良心的な植民地だったのです」 ※ 台湾では今でも「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉が残っており、それは「勤勉で正直で約束を守る」という誉め言葉の意味である。 「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。 戦後の日本政府は深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨てました。 謝罪すべきはむしろ戦後の日本の外交姿勢です」
995 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:30 ID:q+34Hy50
参考資料: マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員 この国に来られた日本のある学校の先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。 私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。 参考資料 : マレーシア マハティール首相 黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より 「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。 日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」
996 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:32 ID:q+34Hy50
参考資料 : 1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にて マレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック 「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。 ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」 参考資料 : マレーシア マラヤ大学副学長ウンク・アジス 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、 今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、 とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」 参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(1941年当時16歳) 「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、 日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、 人々は立ち上がったのです。」
997 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:36 ID:q+34Hy50
参考資料 インド スバス・チャンドラ・ボース(インドの独立運動のネタージ(指導者)) 1944.3.20自由インド放送より 「…大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。 日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。 いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、 共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、 英米帝国主義との戦争の終結もない。」 参考資料 : インド国会議員にしてインド独立運動家 マハンドラ・プラタップ 「(連合国は)日本に対してこそ賠償を払うべきだ」 参考資料 : インド大統領 ラグ・クリシュナン 昭和44年「日本経済新聞」) インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。 驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。 参考資料 : インド 最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ 1997年8月に代々木公園野外ステージで開催された「インドの夕べ」での発言 「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れません」
998 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:38 ID:q+34Hy50
参考資料 : インド S・S・ヤダフ(インド国民軍全国委員会事務局長、インド国民軍大尉) インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。偉大な貴国はインドを解放するにあたって、 可能な限りの軍事援助を提供しました。何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。 インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。 インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。 参考資料 : 1997年8月インド独立50周年式典にてラビ・レイ元下院議長 「日本が日露戦争に勝った事によってインド国民が勇気づけられ独立運動に立ち上がった。」 参考資料: インドの指導者マハトマ・ガンジー 世界を個人の自由にとって安全なものにするために戦っているという連合国側の宣言は、インドやアフリカ が、イギリスによって搾取されているかぎり、またアメリカが国内に黒人問題をかかえているかぎり、空虚 に聞こえる。
999 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:39 ID:q+34Hy50
参考資料: ロンドン大学教授エリック、ホプスバウ 「過激な世紀」より 「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、 日本軍とチャンドラ・ボース率いるインド国民軍(I N A )が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた」 ※ 英国にとってガンジーは脅威ではなかった。英国の脅威は日本軍と、日本軍に触発されたインドの愛国者だったのである。 インド・英国はこれを理解しているが、 韓国・支那はこの事実をなかったことにしたいため、教科書問題などで内政干渉してくるのである。
1000 :
マンセー名無しさん :04/07/04 01:39 ID:q+34Hy50
参考資料: レイキ博士(インド法曹界の重鎮) 「太陽が空を輝かし、月光が天地を潤(うるお)し、満天に星がまたたく限り、インド国民は日本の恩義を忘れない」
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