弥生民族は韓半島から移住した2【翻訳ミス】

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715一応指摘を
何度も何度も話がループしているのでとりあえずここらではっきりさせておきます.
以前もどこかに於いて同じようなことを書いたのですが,一応念のために.
天皇家が朝鮮の末裔というのは今では否定されているし,徳川が天皇家から分
かれたというのも,今では完全に否定されている.そもそも源氏自体が,皇族
の系図と生年月日が全く合わないため,それ自体怪しまれている.
徳川が遠戚だったから島津を助けたというのは大間違い.真の源氏の子孫であ
る足利が同族の新田を皆殺しにしたわけでありますし.
というのはまあ置いといて,そういった個々の歴史的事実を一度捨象したうえで,
"仮に"天皇家に百済の人間の血が混じったとします.しかしその仮定で言っても
天皇家に最後にその血が交わったのは80代も前のこと.どれくらい『鮮人』なの
か計算してみればよいでしょう.しかも百済人であって,現在朝鮮半島に住んで
いる『朝鮮人』ではない.百済の血という言い方をしたところで,遺伝学と連なる
近交係数を考慮すれば血の一滴にも満たないといえる.常々見られる韓国・朝鮮
の方々あるいはそれに同調する方々の言説をそのまま解釈し論理として展開する
ことが出来るのならば,ミトコンドリア・イブまで遡って『天皇家はアフリカ人の末裔』と言う
こともできてしまう.そこまで来れば最早言葉遊びの次元です.
716一応指摘を:04/08/07 21:47 ID:X8zSma0k
まず弥生時代に朝鮮半島や中国から稲作と一緒に弥生人が渡ってきたなんていうトンデモは忘れましょう.
そんな民族大移動はありません.もしそういった民族大移動が2500年ほど前にあったとするならば,言語学
的に日本語と朝鮮語,あるいは中国語は親戚語であるはずです.数千年前に枝分かれした物なら親戚語に
分類されるからです.ですが言語学的に日本語は独立した言語です.よって民族大移動はなく,縄文人がそ
のまま弥生人になった.その証拠に大戦争の後も無く,縄文式土器は弥生時代の初期にも使われていました.
米作りと"弥生式"は緩やかに広まった。
sageておきます.
717マンセー名無しさん:04/08/07 21:49 ID:K35sYA4d
>>716
日本語朝鮮語は兄弟後に近いんじゃなかったでしたっけ?
718マンセー名無しさん:04/08/07 21:52 ID:bi9V2nV1
>>717
文法は同じだが、数詞や基本名詞が全く違う。
719一応指摘を:04/08/07 21:59 ID:X8zSma0k
>>717
全く違います.
これもどこかで書いたことですが,一応最後と.
久米某氏が『言語学者は日本語が朝鮮語だったことを隠したがる云々』等と言って己の無知を
曝け出していますが,ここで指摘したい.朝鮮語と日本語の関係は,文法構造が似ているという
だけで,親類関係は全く証明されておりません.このことは比較言語学の常識であります.また
似ているのは単に文法構造一点であって,音韻体系の類似点は全く有りません.
つまり>>718さんの御指摘の通りです.
日本語には例外を除き子音のみの音素が存在しませんし,いわゆる"アルタイ系言語"に見られる
特徴には存在し得ない性質を有しております.すなわち,南方的な語彙,音韻,文法表現の影響
であり,日本語が一つの祖語をルーツにしたものではなく,南方的な要素と北方的な要素が複雑
に交じり合った複合言語だということです.現在の両言語の共通語彙は,中国語や日本語をルーツ
にしており,古代朝鮮語のオリジナルの語彙と日本語との共通語彙はごく僅かです.またそれら
の音韻対応は現在まで丹念に行われてきましたが,いまだに資料の少なさによって明かるみを見て
おりません.もし両者の言語に親類関係があると主張するのであれば,数詞や身体語彙などの音韻
対応を証明しなければならないのですが,朝鮮側はそれらの満足行くような資料を欠いているのです.
結論としていえることは,日本語と朝鮮語は『文法構造は僅かに似ていると言えるが親類関係とは到
底言えない』『親類関係を証明したくてもそれを示す資料が少なくて難しい』.要するに日本語が朝鮮語
から生まれたというのは,全く現在の言語状況を無視した非科学的な発言であり,単なる暴論珍説に
過ぎないということです.
720マンセー名無しさん:04/08/07 22:08 ID:l9MM7l/I
>>717
近くないよ。言語的には。
721一応指摘を:04/08/07 22:08 ID:X8zSma0k
日本語の祖を朝鮮語とする言説,あるいは日本語と朝鮮語は同祖であるという言説には決まって
一定の傾向が見られます.詳しくは>>719等で詳述した通りですが,文法の類似性一点をとにかく
強調する.しかし,比較言語学に於いては文法の類似性になどたいしたプライオリティは無いのです.
その"文法の類似性"の例として挙げられるのが『翻訳のし易さ』というものです.確かに朝鮮語と
日本語を相互翻訳する際には,文法が似ているのでただ単語を置き換えてゆくだけだという容易
さがあります.しかしそれを以って日本語と朝鮮語を類似語だとするのであれば,ペルシア語もハンガリー
語も満州語もトルコ語も日本語と類似語だということになってしまいます.なぜならば,これらの言語と
日本語との相互翻訳の容易さは朝鮮語と同等かそれ以上であるからです.非常に簡単であるわけです.
その他にも,例えばバスク語などは日本語と語順がほとんど同じであるし(すなわち文法がソックリと言える),
ロシア語などは格変化があるため語順は自由.相互翻訳も非常に容易です.
文法の類似性などたいしたプライオリティを持たない,というのはこういった理由からなのです.
722一応指摘を:04/08/07 22:20 ID:X8zSma0k
平家物語に於ける鐘の音等の哲学的・感性的な部分に類似があるこれは言葉の類似性なのだ云々などと
のたまう言説家も稀にいるわけですが(まあ学会一般からはもうまともに相手にされておりませんが),こう
いった,いわゆる言葉から捉えるフィーリング的な面は言語学的な問題とは別個に論じるべきであるでしょう.
言葉から感じるフィールに限らず,例えば音楽等から感じ取るフィールという点では地理的必然性が全く無いドイツ
と日本に類似性が見られたりもするのです.ですからそれを以って言語間の類似性と結び付けるのは非科学
的であるといえます.
余談ですが,日本語朝鮮語同祖説を唱える韓国の言説家あるいはそれに同調する我が国の言説家の方々は
大抵,同じような致命的なミスを犯しています.そのミスとは,現代朝鮮語で古代を解釈していることです.基本的
な点なのですが,なぜかそこは知ってか知らずか無視されています.そもそも現代朝鮮語なるものは,日韓併
合後近代社会に適応させるべく朝鮮総督府が明治日本の言語教育を下敷きに整備したものです.ですからそ
こを考えれば『日本語と用途的類似性が有る』というのは当然の話であって,それを踏まえずに言語比較を行う
のは,比較言語学の基本を完全に無視した極めて陳腐な言説であると言わざるを得ない.
そういった言説は最早検討する価値すらなく,一見にも値しないと言えます.
>>719>>721などはそういった言説ではなく比較的まともな"同祖説"に対する指摘です,念のため).
また,ここまで言っておいてなんですが,日本語と朝鮮語に於ける『文法の類似性』というのも実は語順くらいの
もので,つまりは文法に於いても類似性などほとんどないと言っていいのです."文法が似ている"というのは
ポーランド語とチェコ語のような関係を言うのであって,日本語と朝鮮語間に於いては実はそのような類似性など殆ど
無いのです.シンタックス(―syntax―)つまり文の曖昧な規則のような点が微妙に似ているというだけであって,まあ
要するに結論としては類似語どころか特別な相関性すら無い,と.そういうことです.
このスレッドの上位に挙げられているような(ネタ半分のようですが)歴史的遷移の御話も学問として紐解けばまた
一段と面白くなってくると思いますので,多角的なアプローチで眺めてみることをおすすめします.