テコンドー岡本依子同志は五輪に出場すべき!

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顛末発見。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040402k0000m040161000c.html

 国内テコンドー界の混乱は今に始まったことではない。
戦後、在日韓国人によって組織が設立され、その後、複数
の団体が発足。88年ソウル五輪でテコンドーが公開競技
に採用され、日本でも統括組織が必要となった。

 JOCはこの年、日本連盟(81年発足当初は日本協会)
を準加盟団体として承認。00年シドニー五輪でテコンドーは
正式競技となり、日本は出場権を獲得した。しかし、02年に
運営方針などをめぐって、森喬伸会長(現日本連合会長)と
円山和則理事長との確執が表面化。これが今回の騒動の
発端となっている。

 組織が正常化されないため、JOCは02年9月の釜山アジア
大会への派遣見送りを決定し、反省を促した。12月にはJOCが
仲介に入り、新組織として日本連合が発足。日本連盟の森会長
が連合の会長に就任したが、国内団体は統括されず分裂状態に陥った。

 日本連盟は昨年3月、衛藤征士郎衆院議員を会長に据えた。
しかし、統一には新組織が必要との判断で衛藤氏はすぐに辞任。
6月に国内第3の団体である全日本協会が設立され、衛藤氏が会長に座った。