朝鮮民主主義人民共和国23

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677GR1 ◆2owPbUVnzc
鉄道事故は、北朝鮮で頻発しているみたいですね。

以下は、2000年ごろの話みたいです。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/repo2002/chongmi_1.htm
巨次駅前での災難

 空腹を抱えた乗客を満載した列車は、長い間かかってようやく巨次駅に到着しました。
後で聞いてみたら、それでも私たちの列車は他より早かったそうです。
巨次駅は平壌行き列車の集結駅となっています。
 ところが、そんな要所にも関わらず、巨次駅は電力不足のために停電になってしまい、
列車の交差方法〈=ダイヤ〉が大混乱していました。列車の運行は、
場合によってはいたる場所で停電になり、何日か不通になることも多いのです。
巨次駅に着いたすべての列車もまた、満員状態なのに走ることができず、
停まったままの状態でした。私が乗ってきた穏城−平壌行列車のほかにも、
平壌−恵山行13列車、茂山−平壌行列車、豆満江−平壌行列車などが、
駅構内に無秩序に停留していました。
それぞれの列車の乗客たちは、長旅からとりあえず解放されるやいなや、
散り散りばらばらになって、2月初めの酷寒の中、
食べ物を求めて右往左往していました。私はといえば、慣れない列車の旅に疲れていたため、
とにかく休ませて下さいと、近所の民家に頼み込むのが精一杯でした。
678GR1 ◆2owPbUVnzc :04/04/23 23:08 ID:5150oEAE
 ところが、眠ってどれくらい経ったのか、突然、騒々しい爆発音が私を襲いました。
びっくりして飛び起きると、爆発音は次から次に聞こえてきます。
 「戦争が起きた! 早く逃げなければ!!」
私はあわてて外に飛び出しました。時間は、深夜11時から2時の間だったと思います。
外に出てみると、駅前は列車や貨車が折り重なって火を噴いており、
文字通り阿鼻叫喚のありさまでした。空は火の海で、
その洗礼を受けて駅前周辺のすべての物体は炎上し破壊されていました。
私は、無我夢中で拳を握りしめ、駅前に走っていきました。
 駅や列車の部品・破片が周りに飛び散る火の海の中で、人々はお互いに名前を呼び合い、
あちこち走り回っています。まさに映画の一場面を見ているようでした。
事態は大規模な鉄道事故でした。平壌発の列車と平壌行の列車、
合計三台が何かの手違いで衝突したとのことです。爆発が起こったのは、
衝突車両の中に〈ガソリンの〉タンク列車が含まれていたからだと聞きました。
この事故で、衝突した列車の乗客はもちろん、
民家に行かずに列車の周り待機していた人々も巻き添えになり、
多くの人命が奪われました。人々の噂では、死亡者およそ4000名、
負傷者は3000名だといいます。巨次駅前は文字通り血の海となったのです。
 朝になると、駅構内のすべての区域は保衛部や安全部、
赤衛隊などにより徹底的に封鎖されました。
付近の人民委員会や党委員会からも人々が総動員され、死者傷者を処理し、
一方で破壊区域を整理し始めました。
 担架に使えるものは、すべて死んだ人と負傷者を運ぶ道具に利用されました。
周囲はすべてうめき声とわめき声であふれていました。足が折れた人、
身体中を火傷し見分けもつかない人、頭が割れた人……。
車両や人間が焼ける煙と臭いが空まで舞い上がっていたのです。
679GR1 ◆2owPbUVnzc :04/04/23 23:09 ID:5150oEAE
 身分を証明するものがなく身元が確認できない死体は片方に積み上げ、
確認された死体は札をつけて別の場所に移し、負傷者は近所の病院に運ぶ――。
誰も彼もが声を上げて走り回っていました。
 巨次被服工場労働者と赤衛隊員、周辺住民たちも何組かに別れ、
死亡者の服をめくっては公民証と通行証を分類・登録して大きな麻袋に入れ、
死亡者が持っていた現金や貴重品は別の袋に入れて保管するなど、
いろいろな作業を行っていました。
 ところが、次第に口では言い表せないほど悲惨で混乱した状態になっていました。
作業に加わる人々が国家公務執行に没頭するのではなく、
死亡者のポケットの金をくすねたり、腕時計などの所持品を盗んだりし始めたのです。
また、保衛員や安全員たちがこれをやめさせようとして、現場で銃を取り出し、
空砲を撃って捕まえようとするなど、
この世のものとは思えない事態になってしまいました。
 私も含めて、幸運にも被害に遭わなかった人々は、
あまりの悲惨さと恐怖心で現場の状況を直視することはできませんでした。
とはいえ、運行再開の見通しが途絶した状態ではどうすることもできず、
呆然として座りこむか、現場の作業に加わるしかなかったのです。
 この事故によって、国家的に非正常な状態が一ヶ月もの間続きました。
今もなお、当時の混乱した巨次駅前の惨状が、そのまま思い浮かんできます。
 後にさまざまな筋から聞いたところでは、この事故で主に被害を受けた人たちは、
13列車に乗っていた、全国農業大会帰りの農民活動家たちと乗務員、
そして部隊移動訓練に出動中の兵士たちだったといいます。その多くは死亡し、
集団火葬されたようです。
 原因はもちろん、電力不足によって鉄道体系が混乱していたこと、
そうした状況が長く続いたことによる列車乗務員の志気の低下です。
ところが、国家はこの問題を隠すため、南朝鮮安企部の仕業であると国内世論を操作し、
人民たちをごまかそうとしました。