>>289 日本生まれなんだね。確かにちょっとした事実誤認があったのは
誤る。どうして北朝鮮に渡ったのか?
しかし、在日朝鮮人が海を越えようとしたその背中を最後に押したのは、
「希望溢れる社会主義国建設への夢」ではなく、例えば北朝鮮政府の声明、
「帰国後、彼らの生活安定と子女の教育を全面的に保証する」という言葉であった。
私たち一家をふくめ帰国者にとっては貧困が帰国の第一義であった。
朝鮮人集落の住民の多くは失業もしくは半失業者で、日雇や渡り職人で日銭を
稼いでいたという。光陰や店員など一応生活できる者も、一般日本人にくらべ
低収入であった。このような状態は東京に限らず川崎、大阪、神戸、北九州といった朝鮮人
密集地域に見られる傾向であった。また兵庫県では53年の調べによると県下に住む朝鮮人
のうち13.81%にあたる7565人が生活保護を受給していた。世の中は落ち着きを取り戻して
いたが、朝鮮人の生活は苦しくなっていった。とりわけ朝鮮戦争での特需後、日本を襲った
不況は私たちの生活をますます苦しいものにした。
帰国者のうち4割は「無職」で2割が「土工・人夫・日雇」であったという。
自立した生活基盤を持たないか、もしくは経済的に不安定な人が帰国者の大半であったのだ。
日本は朝鮮戦争を機に戦前の経済水準を回復していた。私が北朝鮮へと移住する頃には、
車の交通量が増えるにともない道路は次第に整備され、また都心ではビル建設が目立つなど、
その後の高度経済成長を予見させる動きはそこかしこあった。しかし、そうした世の中の動きとは
切れた社会の底辺で私たちは棲息していたのだ。
北朝鮮大脱出 地獄からの生還 宮崎俊輔
第1章 貧しさからの離脱
こういう事実が背景にあったわけだ。