共和国に対する規制は人道上許せません行為

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732道新第2社会面より
高藤さん新たな一歩へ

 テレビで拘束時の映像が流れると、死と直面した恐怖がよみがえる。
胸が押しつぶされるように苦しくなり、体中にじんましんが広がる。
その彼女が、自分を取り戻すきっかけをつかんだのは、イラクの友人から届いた電子メール
千歳市のボランティア高藤菜穂子さん(34)。
イラク中部ファルージャで武装勢力に捕らえられ、9日目に解放されてから15日で3ケ月
事件と、そこから「生かされた」自分のなすべき事を見詰め、今新たな一歩を模索し始めて


■さいなむ無力感
 事件では心身ともに打ちのめされた。拘束時に味わった死の恐怖。
解放後に突きつけられた「自己責任」批判と中傷。だが、何よりつらかったのは、
イラクの人たちが困難に遭遇しているのを知りながら何もできない無力感だったという。
 イラクを初めて訪れたのは戦後の昨年4月。延べ半年間にわたり、
ファルージャに不足の医薬品を運んだり、薬物におぼれ
バグダッドの路上で暮らす子どもたちの社会復帰を支援してきた。
 各地ではまだ戦闘が続いていた。米軍に爆撃された現場を歩き、
無惨な死体やおびただしい血が流れているのを目撃した。
 人質事件は、こうした戦後イラクの惨状について
「目や耳だけでなく身体で知るんだ、知ってくれ」と激しく迫っているように感じた。
だが、何か行動を起こそうにも身体が言うことを聞かない。恐くて家を出られない。
 ファルージャ付近で頻発した人質事件では殺害された外国人が少なくなかった。
「私は生かされた。それなのに、この命をどう使ったら良いのだろう」。
自分を責め、落ち込む日々が続いた。
 電子メールが届いたのは5月末。バグダッドで建設会社を経営する
スレイマンさんからだった。50代で来日経験がある彼は、
路上生活する子どもに仕事を紹介するなど高藤さんの活動を手助けしてくれていた。
733道新第2社会面より:04/07/15 07:29 ID:4Bs5iGpr
>>732 続き
■支援拠点が開設
 「9月1日に子どものための人道支援センターを開設することを決めました」。
名称はナホコ・センター。「この名前はすべての日本の友人を代表するものです」
と書き添えてあった。
 ファルージャで英語通訳を務め、一緒に行動してきたカスムさん(26)は、
米軍に破壊された2つの学校を再建すると報告してきた。
「あなたがやろうとしていたことを私がやります」
 イラク人は依存体質が強いと高藤さんは思ってきた。
外国の援助に頼り切るのではだめだ、と友人たちに訴えてきた。
「私の言うことを分かってくれていたんだ。自立の芽が出ていたんだ」。
メールは自信回復の手がかりとなり、再びイラクと向き合う勇気を与えてくれた。
 スレイマンさんは22日に東京・中野で高藤さんと一緒に講演するため、来日する。
この機会に、イラクの子どもたちの支援について話し合うつもりだ。
 カスムサンとは毎日のようにメールをやりとりし、米軍攻撃による学校倒壊など
ファルージャの被害状況を調べてもらっている。人質事件で
全国から寄せられた支援金の一部を再建資金に充てようと考えている。
 「いろんな事を背負い込んで押しつぶされるのではなく、
そのすべてを抱きしめて生きていけるようになりたい」
 発生から100日近い時が流れ、高藤さんはようやく事件を乗り越えようとしている。