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>>253 ========
話を元に戻すが、オーウェルの云ふやうに、社會主義の目標は金錢をもつてし
ては購へぬ「正義と自由の實現」であつて、實現しようとの意欲を支へるのは、
この世の不正や不平等を憤る強い正義感で、それゆゑ裕福な時代に社會主義は
無用なのだが、それは兎も角、例へばウィリアム・ブレイクが詩に詠つたやう
に、或いはディッケンズが小説に描いたやうに、十八世紀末のイギリスには
甚だしい貧富の差が存在した。議會に差出したハンウェイといふ男の陳情書
が遺つてゐて、それによれば、貧乏人の子は七歳にもなると徒弟として賣ら
れ、雇主は買取つた子供を酷使し虐待し、碌な着物も食事も與へなかつた。
子供にもやれる勞働の一つが煙突掃除だつたが、煙突掃除といふ仕事には常
に窒息や火傷の危險が伴つてゐたし、身體を洗ふといふ事が決して無かつた
から、多數の子供が皮膚に附着する煤が原因で皮膚癌になつた。而も、無一
文だつたから、竊盗や物乞ひをやるしかなくて、雇主はそれを奨勵する始末
であつた。
その頃、アメリカの或る新聞にかういふ廣告が載つた。「織物工、指物師、
靴屋、鍛冶屋、煉瓦屋、木挽、仕立屋、コルセット製造工、肉屋、家具製造
工、その他數種の職業に從事し得る丁稚を詰めた荷物、本日ロンドンより到
着。現金、小麥、パンまたは小麥粉と引換へに安價にて賣却したし。フィラ
デルフィア在住、エドワード・ホーン」。
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:04/02/06 09:41 ID:3d4N126H
G.オーウェルの言葉
http://www4.ocn.ne.jp/~canoe/orwell.htm 一九三〇年まで、凡ゆる點を考慮しても私は自分を社會主義者だと考へて
ゐなかつた。事實、それまで確固たる政治思想を持つてゐなかつたのだ。
私が社會主義を支持するやうになつたのは、社會主義社會
(planned society)の理論に對する賞讚からといふよりも、貧しい工場
勞働者が虐げられ無視されてゐる姿を見、嫌惡を感じたからなのである。
(『動物農場』ウクライナ版の序文)
325 :
:04/02/06 09:43 ID:3d4N126H
G.オーウェルの言葉
http://www4.ocn.ne.jp/~canoe/orwell.htm ヒットラーは人生に封する快楽主義的な態度の欺瞞を見抜いてゐた。
第一次大戰以降、西欧思想の殆どが、無論『進歩的』な思想ならその
全てが、人間は安樂、安全、苦痛の囘避以上の何ものも欲しないと、
暗黙裡に假定してゐた。さういふ人生觀では、例へば、愛國心や軍人
の美徳を容れる餘地はない。子供が玩具の兵隊で遊んでゐるのを知る
と、社會主義者は狼狽するのが常だが、ブリキの兵隊の代用品を見つ
けてやる譯にはゆかない。ブリキの平和主義者なんぞ何の役にも立た
ぬのである。ヒトラーはその快樂を知らぬ精神によつて、その事實を
竝外れた強さをもつて確信してゐた。人間は快適な生活、安全、勞働
時間の短縮、衛生、産兒制限、そして一般常識だけを欲してはゐない。
人間は、少くとも時には、軍鼓や國旗や愛国的觀兵式は無論のこと、
鬪爭や自己犠牲をすら欲するといふ事をヒットラーは知つてゐる。經
濟理論としてはどうであれ、ファシズムやナチズムは、心理的に見れ
ば、いかなる快楽主義的人生觀よりも遙かにしたたかなのである。恐
らく、スターリンの軍國主義的社會主義にもこれと同じ事が言へよう。
これら三人の偉大な獨裁者達は、いづれも國民に堪へ難い負擔を背負
はせる事で己が權力を強化したのであつた。社會主義が、そして不承
不承ながら資本主義さへもが、國民に對して「諸君に良き時代を約束
する」と言つたのに對して、ヒットラーは国民に向ってかう宣言した
のである。「私が諸君に提供するのは鬪爭と危険と死である」。そし
て、その結果、全國民が彼の足許に身體を投げ出したのだ。(中略)
我々が今戦ってゐるのは、さういふ敵なのである。彼の言葉がいかに
ドイツ國民を奮ひ立たせたか、それをゆめ見縊つてはならぬ。
(アドルフ・ヒトラー著『我が鬪爭』書評)