後世に語り継ぐべき半島人

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285マンセー名無しさん
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi28_text01.html

  実は松陰だけでなく、明治時代の日本人は「他国を取る」ということについて、現代人とは
凡そ別の考え方をしていたのである。東亜解放の先駆者として、西郷隆盛の精神を継承してい
た明治時代の荒尾精という人物も、明治15、6年頃、次のようなことを言っている。「支那に
行って支那を取ります。支那を取ってよい統治を施し、それによって亜細亜を復興しようと
思います。」(『東亜先覚志士記伝』 上巻)
 
  同様の話は、神道思想家の葦津珍彦氏が、その父君(葦津耕次郎)を回想した中にも出てくる。
「父は、しばしば語った。『(中略)朝鮮半島に、北方からの強大な圧力が及んで来ると、日本は
いつでもお びやかされる。今も清国、ロシヤの圧力が半島に及んで来てゐる。陛下も御心配に
ちがひない。韓国の人民は、専制者の暴政の下で無力に苦しんでゐると聞く。おれが一つ韓半島
に渡って、国王となり人民を救ひ、対北方の国防線を固めて、日本を無事の地におき、天皇陛下
の御心を休めたい。(中略)」かくして父は、下級通訳程度の速成韓国語を学び、半島に渡った。
(中略)明治時代には、こんな途 方もない妄想にとりつかれたやうな、わか者がいくらもいた。」
(「韓国紀行」、『葦津珍彦選集』第二巻)