後世に語り継ぐべき半島人

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日本に戻り、今度の朴大統領暗殺事件に關する留守中の新聞をざつと見ただけで、勿
論、中身など讀む必要はない、その見出しだけで、すべては解つた、いづれも「逆探知」
で豫測してゐた通りである。やはり日本は「守るに値するかどうか」などといふ空論に
うつつを拔かしてゐられる暇人の天國であつた。しかし、韓國は違ふ、反體制的と言は
れる野黨側の新聞、「東亞日報」でさへ、日本の報道に對して手嚴しい批判の論説を掲
げてゐる、當然であらう。間違ひの本はすべて朴大統領を「獨裁者」と見做してゐると
ころから發してゐる。しかも、さう斷定する根據は何處にもない。報道機關が屡々輕佻
浮薄の愚を演ずるのは多分に生計の爲であらうが、またその弱點に附け入る輕佻浮薄の
徒を歡迎する輕佻浮薄の性癖が新聞の持前とも言へる。金大中、金泳三、兩氏のことと
なると目の色を變へて騷ぐ日本の新聞を見れば、およそ見當が附かう。兩金氏は常に朴
政權の「獨裁」を非難、攻撃する。が、今まで日本の新聞は自分の頭で朴政權を批判し
たことは一度もない。十八年前の一九六一(昭和三十六)年五月十六日、朴正煕少將が
軍事革命を起したのはなぜか、その前の李承晩、尹ふ善、兩大統領時代、國情騷然とし
て民生安定せず、政財界が如何に腐敗してゐたか、そして朴政權のもとにおいて韓國の
近代化が如何に目ざましくその實を遂げたか、日本の新聞は一度もその事實を傳へない。
彼等の報道源はすべて金大中氏、或は金泳三氏による朴政權打倒の聲明文や、ソウルに
は一人も特派員を置いてゐないアメリカの新聞だけであり、その虚實、眞僞を調査しよ
うとさへしない。
(つづく)
186 :04/02/07 22:02 ID:DfEpVrDl
(つづき)
たとへば、今年の十月、金泳三氏は新民黨總裁の座を降されるや、「朝日新聞」は恰
もその非を責むるが如く、氏の朴政權打倒聲明を大きく報じたが、あれは新民黨内部の
意見對立から生じたものである。私は一九七五(昭和五十)年に金泳三新民黨總裁に會
つてゐるが、私の質問に對して、氏は殆ど何も答へられず、ただ緊急措置令第九號が言
論の自由を彈壓するものであり、その廢棄を強調するだけであつた。その點は金大中も
同樣である。そして、いづれも北鮮の脅威を認めず、その南進はあり得ないと斷言する。
しかも、さう斷定する根據を示さうとしない、當然である。任意の部屋を想像して見た
まえ、その床に一本の釘が落ちてゐるかも知れぬといふ可能性は充分にあり、その理由
を言へと言はれれば幾らでも言へる、が、反對に釘が一本も落ちてゐないといふ論據は
絶對に提出し得ない。まして、明日、或いは一年後となると、なほさらの事である。何
事につけ、有るといふ證明はなしうるが、無いといふ證明は不可能である。韓國におい
て、北朝鮮南進の可能性は無いと言ひ切る者は政治家として失格である。勿論、金氏は
かう言ふ、朴正煕の「獨裁」が北の南進を誘發するのだと。が、獨裁者金日成首領が南
を獨裁から解放してやらうといふ慈悲心を持つてゐるなどと、そんな途方もない夢を誰
が本氣にしようか。
(つづく)
187 :04/02/07 22:03 ID:DfEpVrDl
(つづき)
金大中氏が持てるのはアメリカの一部と日本だけである。韓國では日本が蝦(金大中
氏)を鯨(英雄)にしたと言つてゐる。金泳三氏にしても同樣の事が言へる。なぜなら、
カーター大統領が在韓米軍撤退を公約して後、新民黨の總裁は生眞面目で穩健派の李哲
承氏になり、大體、日本の民社黨に似た姿勢を保持し續けて來たのだが、先頃の總裁選
に敗れて再び金泳三總裁が實現した。が、その總裁選に不正があつたため、李哲承派が
訴へ、裁判の結果、不正の事實が立證されて、金泳三氏は總裁職を剥奪された、といふ
より、その資格が無效と認定されたのであり、その腹瘉せに自分の選擧區釜山で朴政權
打倒の運動を起したのに過ぎない。その經緯を報道したのは、私の知る限り、「サンケ
イ新聞」のみである。あらゆる新聞が、とまでは言はぬが、少くとも「朝日」がまたも
蝦を鯨にしたのである。その詳しい經緯はいづれ松原正氏が書くであらう。ただ「朝日
新聞」及び「文藝春秋」の讀者のために言つておくが、「朝日」が「絶讚」した總裁選
後の金泳三氏の態度を、野黨側の「東亞日報」が論説で嚴しく批判してゐるのである。
(つづく)
188 :04/02/07 22:03 ID:DfEpVrDl
(つづき)
朴大統領は獨裁者ではない、が、前に述べたやうに、「・・・ではない」といふ證明
は不可能である、私に出來るのは、「・・・である」といふ實例が提示された時、それ
を否定し得る反對の證明を行ふか、或いはそれが事實であつても、かくかくしかじかの
理由により、韓國においては他に方法のない必然惡としてそれを認めねばならぬことを
説得するか、そのどちらかである。が、日本の新聞も、アメリカの新聞も、朴大統領を
頭から「獨裁者」と決めつけ、その實例、もしくは朴政權の實態を具さに示してはくれ
ない。それに近いものとして私の耳に入るのは、(一)金大中拉致事件であり、(二)
金芝河投獄であり、(三)言論の自由の一部抑壓であり、それらを誇大に報じて日米の
民主主義と比較し、暗い韓國といふ印象を捏造してゐるだけに過ぎない。だが、金大中
拉致事件について、日本側にはそれを「主權侵害」の一本槍で抗議出來ない弱味がある、
といふのは、大統領選で朴正煕氏に敗れ、反朴遊説中の金大中氏の不法入國を、日本の
法務省はライシャワー氏の書簡一つで認めてしまつたからである。なるほどKCIAの
暴擧を是認する譯には行かぬ、だからといつて、友好國の正統政權打倒の意圖を持つた
者に、日本における行動の自由を許してよいと言ふなら、それこそ韓國の主權無視の表
明であり、結果としては日本側が朴政權打倒に手を貸したことになる。大方の日本人が
さう考へないのは、やはり朴政權を獨裁專制と見てゐるからであらう。
(つづく)
189 :04/02/07 22:04 ID:DfEpVrDl


(つづき)
詳細は四年前に書いた「韓國の民主主義」を讀んで戴きたいが、朴大統領が「私は人
にどう言はれても、あらゆる努力をして、(あの金大中のやうな人達には)大統領の席
を讓りたくありません」と言つた時、握り締めた兩の拳を机の上に置き、その間に稍前
のめりに顏を伏せ氣味にして、半ば自分に言ひ聽かせるやうに力強く言ひ放つた眞率、
沈痛な表情、その部厚い兩肩が、未だに私の眼底に殘つてゐる。それは私の生きてゐる
限り一生消えないであらう。如何に私が民間の一文筆業者であれ、いや、だからこそ何
でも書ける立場にある男である、それに向つて自分が「獨裁者」呼ばはりされてゐるこ
とを百も承知の上で、一國の元首がこれほど眞率の言を吐くといふのは稀有のことであ
らう。私は令孃朴槿惠さんの言葉を想ひ出す、「父を日夜、見るごとに、その肩にどれ
ほどの重荷を背負つて苦しんでゐるか、それを想ふとたまらなくなります。」大統領は
私にかうも言つた、「萬一、北が攻めて來たら、私はソウルを一歩も退かない、先頭に
立つて死にます」と。勿論、それは覺悟の問題で、朴大統領が戰死したら全軍の士氣に
關る。そんな幼稚な反問をする暇もなく、大統領は續けてかう言つた、「私が死んだ方
が、國民の戰意はかへつて強固なものになるかも知れませんよ。」私はその微笑のうち
にこの人の孤獨を看て取つた。
(つづく)
190 :04/02/07 22:04 ID:DfEpVrDl
(つづき)
最初の會見の時、約束は午前十一時から正午までといふことになつてゐたのだが、そ
の數日前に見て來た第二トンネルの話を持出すと、大統領は氣輕に立ち上つて、應接室
の片隅にある停戰ライン附近の模型の所へ私を導き、一本一本、そのトンネルの蓋を取
り除いて内部構造の説明をし、かういふ状況下で、大砲とバターの均衡を採るのが如何
に難しいかを語り、一口に民主主義、自由、平等と言つても、日米のそれと韓國のそれ
とを同一視する譯には行かないといふ話になつた。それは私の持論でもある、民主主義
の名の下に、全く政治指導力も外交政策も喪失してしまつた日本、そして日本よりはま
しだが、それにしてもヴィエトナム戰爭以來、大統領の指導力が弱まり、常にソ聯の後
手後手に廻つてゐるアメリカ、そのいづれも大小の差こそあれ、離島であるのに反して、
韓國は南ヴィエトナム崩壞後、アジアでは全體主義社會に直面する自由陣營の最前線基
地である、その苦惱を日米兩國とも全く理解してゐない、そんな話を幾つかの具體的な
例を擧げて話したことを憶えてゐる。
(つづく)
191 :04/02/07 22:05 ID:DfEpVrDl
(つづき)
約束の一時間が過ぎ、辭し去らうとする私を大統領は遠慮深さうに留め、「どうせ私
も晝食の時間です、私と同じ物でよかつたら食べて行きませんか」と言ふ。平生二食の
私だが、その好意を喜んで受けた。故人に對して、そしてまた一國の元首に對して、頗
る禮を缺いた話だが、私は敢へて書く、正直、私はその粗食に驚いた、オムレツは中ま
で硬く、表面がまだらに焦げてゐる。もし日本のホテルだつたら、「これがオムレツか」
と私は文句を
言つたであらう。が、それを平氣で口にしてゐる青瓦臺の「獨裁者」をまじまじと眺め、
軍事革命を起す前の朴少將は清貧濯ふが如く、大統領になつた後も、たまたま外出先で
當時の韓國に不相應な「豪邸」を目にすると、誰の邸かと問ひ、それが閣僚や高官のも
のであると解れば譴責したといふのは決して作り話ではないと思つた。事實、私はその
前後、朝鮮ホテルで一應及第のオムレツを食つてゐたからである。
(つづく)
192 :04/02/07 22:06 ID:DfEpVrDl
(つづき)
多くの人が忘れがちだが、朴正煕氏は農民の出身であり、日本統治時代、大邱師範學
校を一番で卒業し、暫く教職にあり、その後、滿洲軍官學校でも一番で通し、日本の陸
軍士官學校は三番で卒業、謂はば、日本舊軍の「軍人精神」が身に附いてをり、それが
舊軍憎惡の平和呆け戰後日本の知識人に好感を持たれぬのかも知れぬが、私の目に映つ
た大統領の人柄の根幹にあるものは舊軍の「軍人精神」よりも、寧ろ更にその源をなす
儒教道徳であり、それが日本の明治維新を達成した近代的合理思想と癒着したのであり、
したがつて親日家などといふ生やさしい言葉では表せぬほど、良き意味において遙かに
大方の日本人よりも日本的であつた。それ以上に忘れてはならぬことは、さういふ大統
領のもとで、韓國は初めて四民平等の近代國家になつたといふ事實である。言ふまでも
なく、李朝五百年は中國式封建制であり、それに續く日本統治時代においては韓國人は
官民いづれにおいても差別待遇され、戰後の李承晩、尹ふ善、兩大統領時代においては
アメリカとヤンパン(李朝貴族の出身者)の勢力から脱し得ず、政治の腐敗はその極み
に達した。朴大統領は維新革命後、何よりも外國とヤンパンの勢力を後盾にして自分の
地歩を固めようとする連中を嫌ひ、これを政治の中心から排除しようとしたのである、
民衆が慈父のやうに大統領を慕つたのは當然であらう。
(つづく)
193 :04/02/07 22:06 ID:DfEpVrDl
(つづき)
私は食事が濟んで三十分位して、食ひ逃げするやうだが、約束の時間を餘りに超過し
たのでと言ひ、再び辭去しようとしたが、「今日の午後は何も豫定がないから」と再び
押し留められた。既に私の腦裡には大韓民國大統領の姿は消え去り、知己、朴正煕しか
存在せず、それから更に一時間餘り話し込んでしまつた。氣樂になつた私は、當時の大
統領スポークスマン、現在の文化公報部長官金聖鎭氏から聞いた大統領の武勇談を想出
し、あれは事實ですかと訊ねてみた、といふのは、大統領一行がどこか視察に出掛けた
時、途中の岐れ路で普通なら直進すべきところを車は急に右へ迂囘した、「どうして遠
囘りするのだ」といふ大統領の問ひに金氏は「大學紛爭で警官隊と學生が對峙し、學生
側の投石が激しいので」と答へたさうだが、大統領は直ぐさま「構はない、戻つてその
道を行け」と言ふ、仕方ないので命令通りにしたところ、まもなく當の大學の前に差し
掛るや、大統領は車を止めさせ、眞先に飛び出し、一人で大學の正門に向つて歩き出し
たといふ。驚いたのは學生の方で、忽ち投石を止め、蜘蛛の子を散らすやうに逃げてし
まつたさうである、大統領はそのまま總長室に入り、直ぐ總長に來るやうに命じたが、
既に自宅に逃げ歸つてしまつてゐた總長が現れたのは數十分後で、氣拙さうな彼の前に
大統領は諄々と説諭したといふ、「かういふ時に總長が責任を執り、學生を説得しない
といふ法はない」と。
「やあ、そんなこともありました、勿論、それで學生が説得されるとは限りませんけれ
ど、總長たる者には騷動の經過を見てゐて、適切な措置を採る責任感がほしいのです」
それが大統領の答であつた。いざといふ時は、ソウルから一歩も引かないと言つた大統
領の言葉を私は心の中で噛みしめてゐた。これを人は「獨裁者」と言ふのであらうか、
それなら私は民主制より獨裁制を採る。
『福田恆存全集 第七卷 孤獨の人、朴正煕』(文藝春秋)