後世に語り継ぐべき半島人

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金玉均の人がら 葦津珍彦
金玉均と頭山滿との親しみには、幼友達ででもあるかのやうな友情があつたらしい。
頭山と孫文との間も、非常に深い信頼關係で結ばれたが、この二人の間の關係は、い
かにも日華兩國志士の交はりといふにふさわしい敬愛の念が著しかつたやうに思はれ
る。この二人の話の時には、いつも正確な通譯がゐた。ところが金玉均は、通譯なし
で何の氣がねも遠慮もなく交はつた。敬愛といふよりも親愛といふべき間だつたやう
に思はれる。頭山翁は、晩年にいたるまで、金玉均を囘想する時には、必ず次のやう
なエピソードを語つた。
金玉均にシナに行くのは危いからやめろと言ふがどうしてもきかなかつた。そして
わかれの品に、おれが祕藏してゐた短刀をもらひたいといふから「あれは三條小鍛冶」
の銘刀だからやらぬむと言つた。ところが金は、どうしても欲しいといふ。おれは
「やらぬといふものはやらぬ、やらぬといふ物が欲しければ盜んで行け」といつたら、
嬉しさうに盜んで、錦の袋に包んで持つて行つたといふのである。
これは諸書に見える有名なエピソードであるが、頭山といふ人が、いやしくも外國の
同志から、物を欲しいと言はれて「あれはやらぬ」とか「盜んで行け」などといふ言
葉で應答したといふのは、例外中の例外とも稱すべきである。
金玉均は、どんな無理でも遠慮なしに頼める「大侠」との分れを惜しみ、決死の旅
に出るにさいし、一般の友人へは關西旅行をするといひながら、頭山へは惜別の情禁
じがたく、大阪で船に乘るまで見送つてくれと頼んだ。金玉均といふ人は日本の豪雄
大侠の胸中にひそむ優しさを、底の底まで知りつくし經驗することのできた人のやう
に思はれる。
*『大アジア主義と頭山滿――日本人のための國史 四』(日本教文社)葦津珍彦