韓国や中国と仲良くしたい

このエントリーをはてなブックマークに追加
603右翼討伐人 ◆PJBNbht6to
http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/war4.htmlによると
 まず、南京の人口だが、20万とあるのは、あくまでも安全区内の難民の総人口であって、
南京の総人口ではない。

 安全区というのは、当時南京城市(南京は昔からの重要都市で、主要部は城郭に囲まれていた)に
あって中国人たちの危難を救うべく奔走した外国人たちが日本軍との交渉のすえ確保した、
一応の非戦区域のことである。
 当然のことながら、多数の中国人が難を逃れるため、安全区に流入し、様々な資料によると、
大体20万人程度の人口がいたらしい。
 しかし、安全区以外が無人だったかというとそんなことは無いし、事件発生当初は民間人以外に
中国軍将兵も多数城内に取り残されていたのである。

 南京の人口について「南京事件」(笠原十九司、岩波書店)に記載されている内容にしたがって
みていくと、「南京市政概況」に依れば、南京戦以前(1937年3月末)の人口は
100万程度であった事が確認されている。その後、日本軍による南京空襲などにより20〜30万人程度の
流出があり、11月の段階で50万人程度の人口が確認されているようだ
(国民政府軍事委員会後方勤務部宛て南京市政府書簡)。
 上海戦が中国軍の敗北に終わり、首都制圧により中国の抗戦意欲をそぐために企図された
南京戦が開始される頃には、かなりの市民が脱出しているのだが、逆に日本軍の進撃に
追い立てられるようにして周辺農民が城市内に流入しており、それ以外にも、
国民党政府軍の入城が15万人程度あった。
 つまり、事件当時、軍民あわせて3,40〜50万人程度の人間が南京城市に
いたようだが、周辺の農村地区においても略奪、虐殺行為が行われており、
ここの人口も加算するべきだろう。