【自治】 ハン板自治総合スレッド3 【議論】

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元々部落民というのはシナ人のみで構成されていた。
徳川家康が江戸に移るまで、江戸と言う土地は密航してきたシナ人と朝鮮人を
収容する施設みたいな場所だった。
で、そのシナ人や朝鮮人の横暴に手を焼いた徳川家康は、
シナの集落をエタと呼び、閉鎖的土地に追いやって被差別民とし、
朝鮮人の集落を非人と呼び、エタと同じく閉鎖的土地に追いやって被差別民とした。
で、エタと非人の集落は往来が無いようにエタは西国に多くの枯れた土地を与え、
非人は北の国の枯れた土地に移らせた。これが始まり。
その後、罪を犯したものや村八分になった物が被差別民として部落に追いやられ、
今の配置にほぼ近づいた。
で、園部は非人集落は元々無く、エタ集落ばかりで半島出身者はほとんどいなかった。
反面、密航してきたシナ人が多く住むようになった。

罪人が被差別民に落とされる時、必ずエタではなく非人に落とされた。
つまり、朝鮮人は生まれながらに非人であり、当時からその行いが問題視されていた事が伺える。

補足として、エタ集落は小さいながらも農業をする事が許されていて、
エタ庄屋と呼ばれる自分の土地を持つ一般農民よりも裕福なエタ民がいた。
反面、非人は罪人の集まりであるが故、土地を持つ事も許されず、
エタ庄屋の小作人して働く者も数多くいた。
(この小作人の存在がエタと非人の分類分けを難しくした。)

ちなみに、カ○イ伝はエタ非人が自立していく様を描いた作品とも取れるが、
作者のその裏の事実を歪めて描いてる事にも気をつけて読んでいただきたい