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[きらり阪神なひと]緑の春を伝えたい/2 徐元洙さん /阪神
◇地下壕の語り部 徐元洙さん
◇「日本人」になりきって見えた祖国の現実
「天皇陛下のおぼしめしで、達川元一という日本人になったんやで」
1941年、西宮市立商業学校(現県立西宮高)の教室で、担任が、創氏改名について、そう説明した。
在日朝鮮人の徐元洙(ソウォンス)さん(78)は心底うれしかった。これで差別もなくなると思った。
成績はトップクラス。軍事教練の分隊長や、天皇、皇后の写真、教育勅語などを納めた「奉安殿」の警備係
にも選ばれた。「完ぺきな日本人」に近付いた気がした。
しかし、壁は厚かった。同窓生92人のうち、徐さんだけが就職も進学もできなかった。喜々として学舎を後
にする級友の姿に、悔し涙がとまらなかった。
「それでも捨てる神あれば、拾う神ありや」。朝鮮半島にいた祖父が奔走し、朝鮮総督府の採用面接の
チャンスが訪れた。試験官の前で、「124代の天皇名」と「教育勅語」を暗唱すると、一発で採用された。日本人
でも難関だった“高級官庁”への就職。「同窓を見返せる」。うれしさで飛び上がった。
しかし、京城(現ソウル)にあった総督府に勤めると現実が見えてきた。学校や銀行の主要ポストのほか、
「ええ家やええ土地」は日本人が独占していた。一家の長男だった父が出稼ぎに出た理由も飲み込めた。同僚
たちに「朝鮮人に出世はない」と断言された。
「何で朝鮮人があるじなのに差別されるんや」
「独立」の2文字が頭を駆け巡った。
文・大場弘行(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030924-00000003-mai-l28
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:03/09/24 22:43 ID:WyBQHExT
北朝鮮元慰安婦描くビデオ 戦後補償考える手掛かりに
アジアの戦争被害者に今なお残る傷跡を映像で伝え続けてきたフォトジャーナリスト、伊藤孝司さん(51)=
三重県桑名市在住=が、北朝鮮の地方都市で暮らす元従軍慰安婦の日常と気持ちを描いたビデオ作品
「アリラン峠を越えて」を完成、今秋から全国で上映会を始める。日朝首脳会談1周年を迎え、拉致問題の影
にかすむ戦後補償問題を考える手掛かりとなりそうだ。
伊藤さんは1992年から11回訪朝して戦争被害者を取材。今回の作品は、以前から取材を続けていた
元従軍慰安婦の郭金女さん(79)を今年4月から5月にかけて、北朝鮮東部の端川市の自宅と、入院中の
咸興市の病院で取材した。
過去を振り返る苦しみや38度線の南にある故郷への思いが、郭さんの言葉で淡々と語られている。(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030924-00000222-kyodo-soci
454 :
:03/09/24 22:44 ID:WyBQHExT
炭鉱の黄金時代振り返る写真展「語りかけるびばい炭鉱の記憶」−−美唄 /北海道
炭鉱で栄えた美唄市の往時を振り返る写真展「語りかけるびばい炭鉱の記憶」(びばい炭鉱の記憶再生塾主催)
が同市の芸術文化交流施設「アルテピアッツァ美唄」で開かれている。炭鉱でにぎやかだった当時の街並みを納め
た写真や同市の歴史を説明するパネル計約140点が並び、訪れる人たちは懐かしそうに見入っていた。
会場には労働を終えた炭鉱マンの真っ黒な顔、山の斜面にへばりつくように建つ炭鉱住宅街、茶志内炭鉱の閉山
に反対する集会の様子などの写真が並ぶ。また、パネル展では、1944年の三菱美唄炭鉱のガス爆発事故で
死亡した109人のうち81人が朝鮮人だったことなども説明している。
同市の人口は約30の炭坑がひしめいた最盛期の40〜60年代には8万人を超えたが、今では3万254人(8月現在)に減少した。同展は10月5日まで(24、25の両日は休館)で、入場無料。【丸山博】(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030924-00000002-mai-hok