日本の人は、個人であれ集団であれ
いつも何かに優位でないと安心出来ない性質、性分があったりします。
従って、その社会構成の秘めた部分が在日であって
いつでもどんな場面でもそれ以上の台頭は許さない。って感じでしょうか。
時に、そんな性分を深く認識した良識的な解釈や評価で臨み、
大きな許容と抱擁をもって討論しても、日本に都合がよく、
わたし達には不本意で残念な印象に映ってしまう場面もある。
ここハン板での皆さんとの長いお付き合いから、
日頃、ぎりぎりの選択を日本の人にみせるChunシィは、やはり素敵な論客。
私だけでなく多くの同胞を惹きつけますし期待もある。
でもミスはあります。きっと、「ちょっとしたミス」
プッコシィが先日の揶揄を憂う気持ちは、私にしても同じ思いです。
この社会が、敬遠したがる構成員「在日」の声を聞き意図を理解する。
日本の人はまさに、この新しい状況、感情を扱いあぐねている
在日の朝鮮民族にみる民族意識を反復的に迎え入れ
「反面教師」扱い出来る程の優しくも豊かな裁量はなさそうですね。