おまえら八月十五日靖国参拝しませんか?in'03-14

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44福田村事件(関東大震災虐殺は真実)
●死者10人説も
事件は凄惨(せいさん)を極めた。自警団のとび口が団長の頭に飛び、川に逃れ赤子を抱き上げて命ごいをする
母親を竹やりが襲う。泳いで逃げる者は、船で追われ、日本刀で切られた。発砲もあったという。
殺されたのは、二十歳代の夫婦二組と二歳から六歳までの子供三人、そして二十四歳と十八歳の青年の計九人。
母親の一人は妊婦。「死者は十人」とする研究者もいる。近辺で続発した虐殺の中でも、最も悲惨な事件となった。
鳥居の側にいた六人にも危険が迫った。全員、針金などで縛られ、川べりに連行される。投げ込まれる寸前、
馬で駆け付けた野田署の警官に保護された。土壇場の救出劇だった。

●村ぐるみ
現場は福田村だったが、襲ったのは同村と隣の田中村(現柏市)の自警団だった。「田中村の者が扇動した」との
証言もあり、石井さんは「正確には福田・田中村事件だ」という。
無論、襲った側も無傷では済まない。八人が殺人罪で逮捕され、三年から十年の懲役刑となる。が、大正天皇の
崩御、昭和天皇の即位に伴う恩赦で、全員、間もなく釈放される。
背景には、彼らを保護する時代の空気があった。取り調べの検事は「彼らに悪意はない。ごく軽い刑を求めたい」
と新聞に語り、村は弁護料を村費で負担。村民は義援金を集めたり、農作業を手伝うなどして留守家族を助けた。
犯人は村の「代表」の扱いだった。事実、中心人物の一人は、出所後、村長になり、合併後は市議も務めたという。
こうした千葉側の雰囲気は、事件をタブー視する空気を醸し、香川側の地元村や県も、なぜか「事件はなかった」
かのように扱う。こうして九人の死は、近親者の胸の中にしまわれた。