江戸時代の日本と北朝鮮って似てるね

このエントリーをはてなブックマークに追加
1E210168228165.ec-userreverse.dion.ne.jp
何かよく似てるね
将軍様もおられるし
2 :03/07/09 10:05 ID:Oa7LkreB
激しくハァ?な予感 AAは略
3安崎ニャゴキング ◆l2WIOpoMVA :03/07/09 10:06 ID:rDNK0ott
2カ?
4 :03/07/09 10:06 ID:lBvOqMEm
なんでふしあなさん?
5_:03/07/09 10:07 ID:CUF5JOMH
また頭痛がしてきそうなスレがたてられたわけだが。
6 :03/07/09 10:09 ID:r8kmYbgL
                    `ヽ、
                 `ヽ、`ヽ、
 ┼            `ヽ、`ヽ、`ヽ、              ──, ヽヽ
 ,-|--、ヽ      `ヽ、`   ヽ、                  /
 i_」  ノ           `ヽ、`ヽ、 ∧∧              ヽ_
                 `ヽ、 <  > ←ID:gIkxb/VN
                 `ヽ、/ 三つ
             ∧∧  /// `ヽ、
             (゚∀゚)/`ヽ、  | |
           ,..‐''"ii "  ./ | `ヽ、`ヽ`ヽ、
  _        | ┝ ||-┨/  | `ヽ、`ヽ   `ヽ、
 |_| | |     / ∧ ||   |  `ヽ、∪ヽ、`ヽ、`ヽ、`ヽ、    ─┼-
  ├i | |     ヽ,''i|口=彡'i   | ||`ヽ、   `ヽ、`ヽ、     α
  │|  」      ヽ' ||   'i  `ヽ、|`ヽ、`ヽ、`ヽ、        ノ
            |ノ||   'i  |`ヽ、   `ヽ、
            | ||  `ヽ`ヽ|`ヽ|`ヽ、
            'i ||   `ヽ|, ∪∪
             'i ̄|i``'''‐`ヽ、
             'i  | 'i`ヽ、`ヽ、`ヽ、`ヽ、`ヽ、        ┏┓┏┓
 才,_          |_._| 'i_ 'i_`ヽ、`ヽ、   `ヽ、`ヽ、     ┃┃┃┃
 /|/  )       /__,.|  | ̄\ `ヽ、`ヽ、`ヽ、        ┗┛┗┛
 | |  (_         ̄     ̄ ̄                ┏┓┏┓
                                     ┗┛┗┛
7李鳳愛 ◆MhDSJiayWI :03/07/09 10:09 ID:brfLAlo4
今日の麻木さん、綺麗だぁ・・・ハァハァ
8 :03/07/09 10:10 ID:sL7aUUlj
鎖国
武士(軍人)社会
将軍の独裁政治
9 :03/07/09 10:17 ID:a0nLaWaL
>>1が、このスレを盛り上げない場合、
工作員と認定する。(がんばれ)
10 :03/07/09 10:17 ID:INfnlPqc
>将軍の独裁政治

ハア?江戸時代が徳川の独裁?
11 :03/07/09 10:17 ID:B1yoOjnw
>>1
日本の普通の学校で日本史を教えられた人間には、
そのような発想は、死んでも浮かびません。
12EEO ◆F3eeEEOeOQ :03/07/09 10:17 ID:it4GByF8
江戸時代を武士社会とか言ってる奴は素人
13 :03/07/09 10:18 ID:U/hpiR9+
>>8
江戸時代の日本=朝鮮からの朝貢
北朝鮮=韓国の不正送金

>>1
僕は釣られて元気です!!
14E210168228165.ec-userreverse.dion.ne.jp:03/07/09 10:24 ID:gepk7iW0
江戸時代にテレビがあったら平譲放送みたいになりそうですが
15 :03/07/09 10:28 ID:kpqG0L7W
>>14
江戸時代をものすごく誤解してますね。
江戸時代は衛生面、経済面、人口、文化度、治安、
どれをとっても世界高水準だったんですよ。
そもそも300年も自国内だけで自給自足出来ていたことを思いなさい。
北朝鮮はたった数十年で破綻、他国に頼りっぱなしで、
今にも逆噴射寸前。
あんな劣等国家と一緒にすんな。
16真実は奇なり:03/07/09 10:29 ID:lDL5PqCH
>>1
不思議な発想だな
あの時代で世界でも一番平和だったのに江戸時代って
なにせ東海道を女の人が一人旅を出来るくらいに治安も良かった
(治安面で言うなら今より良いだろ?江戸時代は)
まぁ数十年に一度飢饉があるのは仕方ないけど
毎年飢饉がおきて国民の1〜2割が餓死する国と比べるとは........
17  :03/07/09 10:29 ID:U/hpiR9+
徳川将軍の独裁ってあったのか?
じゃあ北でも天一坊事件や大塩の乱、天草四郎の転生に
似た事が起こらないとな。
んでもって、金と銀の為替相場や、米の先物取引ににた
資本主義的な経済活動も存在してないとだめだし、歌舞伎や
都都逸、講談・落語といった庶民が生み出した様々な文化、文芸も
北にはあるんだろうな。
へぇ。
18 :03/07/09 10:30 ID:Nq+w0f24
現在、日本史板の「従軍慰安婦」スレに朝鮮人がきています。
猛者の参加きぼんぬ。

日本@名無史さん 投稿日: 03/07/09 10:27
>>106
お前はバカか?
捏造国家てのはおまえのただの思い込みだろ。
朝鮮人だろうが日本人だろうが捏造するやつはするししないやつはしないんだよ。
杉浦日向子たんマンセー
20 :03/07/09 10:32 ID:XaTAJLnK
>ID:gepk7iW0
取り敢えず類似点をあげろ。
将軍様だけでは弱すぎる。

そんなので良いなら警察のいる世界中の国は似てるってことになる。
21 :03/07/09 10:33 ID:+QteVK+t
>>18
どのスレ?URL教えれ。
22めるめ:03/07/09 10:33 ID:x06zvMmj
 1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネデ
ィは、日本人記者団からこんな質問を受けた。「あなたが、日
本で最も尊敬する政治家はだれですか」
 ケネディはこう答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」
[2,p3]

 おそらく日本人記者団の中で上杉鷹山の名を知っている人は
いなかっただろう。鷹山公は江戸時代に米沢藩の藩政建て直し
に成功した名政治家で、財政危機に瀕する現代日本にとっても、
学ぶべき所が多い。戦前は、小学校の修身教科書にも登場し、
青少年に敬愛されてきた人物である。

 上杉鷹山とは、どのような人物なのだろうか。そしてなぜケ
ネディは鷹山を尊敬していたのだろうか。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
23めるめ:03/07/09 10:34 ID:x06zvMmj
024 平和と環境保全のモデル社会:江戸

■3.ヨーロッパより進んでいた技術革新■
 近代世界システムとの最初の遭遇の時から、日本人は驚くべき適
応能力を示した。1543年に種子島に最初の鉄砲が伝えられてから一
年とたたぬうちに、日本人はその製造技術を修得し、十年もすると
日本中の鉄砲鍛冶が大量に生産を始めた。

 銃の改良自体もヨーロッパ以上のスピードで進み、螺旋状の主導
バネと引き金調整装置を発達させ、銃身の破壊を防ぐ鉄鋼の製造に
も成功している。鉄砲を使った戦法も世界一で、1573年、織田信長
が武田の騎馬武者を駆逐した長篠の戦いで見せた3000人の鉄砲隊を
三分隊に分けて、一斉射撃を繰り返す戦法は、基本的には第一次大
戦まで通用するものだったという。[2,p52]

 その12年後、フランスのアンリ4世が勝利を収めたクトラの戦
いで25名の鉄砲隊を各槍隊の間に配置した程度に過ぎなかった事
も見ても、鉄砲使用の規模と質において、当時の日本がいかに進ん
でいたかが分かる。ポルトガル、スペインも、日本の軍事力を見て
侵略を諦めざるをえなかった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
(「江戸」で、検索して読んでくれ)
24 :03/07/09 10:34 ID:kpqG0L7W
>徳川将軍の独裁ってあったのか?

ないね。
江戸時代の悪法として有名な、
綱吉の生類哀れみの礼にしたところで、
実は江戸近辺でしか遵守されていなかった。
同時代に生きたある名古屋人の日記には、
犬と人間の呑気な関係が書かれている。

また、武士の斬り捨て御免も単に制度上のこと。
現代の警官が、ピステル持ちながらなかなか撃たないのと一緒。
撃ったら「過剰防衛だ」なんのと叩かれるのと同様で、
本当に罪もない人を斬り殺したりしたら、
乱心者として詰め腹切らされるのが当然だった。
25めるめ:03/07/09 10:35 ID:x06zvMmj
■1.日本人のDNAに組み込まれた市場経済システム■

 アメリカがまだ植民地であった時代から、わが国には固
有の先進的な市場経済システムが存在し、世界に類を見な
い百万都市江戸を成立させていた・・・

 日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済
システムの経験が、しっかりと組み込まれている・・・

 鈴木浩三氏の「資本主義は江戸で生まれた」[1]は、我々の
祖先が、江戸時代にいかに高度な市場経済システムを作り上げ、
その上でたくましい経済活動を展開していたかを、活写してい
る。今回は、この本を頼りに、我々自身に潜むDNAを思い出
してみよう。そこに日本経済の再生のための重要なヒントが見
つかるだろう。
26 :03/07/09 10:35 ID:U/hpiR9+
北には大名がいるのか。
軍閥というのかな、こういう場合は。
27めめめ:03/07/09 10:35 ID:x06zvMmj
■2.天下普請のケインズ政策■

 天正18(1590)年、三河や駿河を本拠地としていた徳川家康
は、秀吉の命令で関東に移り、江戸に居を構えた。当時の江戸
は、海岸沿いは葦原ばかり、東は荒涼とした武蔵野に続くさび
しい土地だった。

 家康は関ヶ原の戦いで天下をとると、全国の大名に命じて、
江戸城の城郭築造工事、江戸市街地や水路網建設に当たらせた。
このように天下人が諸大名に命じて土木・建設工事をさせるの
を「天下普請」と言う。これは戦時の軍役と同じ扱いで、必要
な資金・人員のいっさいを大名の石高に応じて供出させ、工
事・役務を行わせるものだった。

 数年に一度命ぜられる天下普請は、大名達に巨額の財政支出
を強いた。それは幕府から見れば、敵対する可能性のある諸大
名の経済力をあらかじめ削いでおくという防衛的な目的があっ
たが、同時に、軍備にあてられるかもしれない経済力を、平和
な「公共工事」に向けるという意味もあった。

 また天下普請の間は大名は多くの家臣ととも江戸に滞在した。
そのための大名屋敷、武家屋敷群が建設されていった。これら
の建設工事が資材や労働力への巨大な需要を生みだし、さらに
膨大な工事関係者の生活を支えるための食品、日用品、娯楽な
どの消費需要が生まれる。江戸時代初期の70年間、このよう
な公共工事が集中的に江戸で行われた結果、需要が需要を生み
出す形で、江戸は高度成長を続けた。これは戦後の高度成長と
同様に、公共投資を呼び水にして、需要が需要を生み出すケイ
ンズ政策であった。
28めめ:03/07/09 10:36 ID:x06zvMmj
■3.参勤交代で盛り上がる消費需要■

 寛永12(1635)年に、参勤交代制度が始まった。大名達は一
年を江戸、一年を国もとで過ごす。これも軍役と同様に、禄高
と格式に応じた供揃いを義務づけられた。供揃いとは、そのま
ま戦闘に移れる武装した行軍行列のことで、飲料水と薪以外は、
武器・弾薬・食糧をすべて持ち歩かねばならなかった。

 参勤交代を含めた江戸在府に必要な経費は、大名の実収入の
5,6割を占め、大きな負担となった。大名達は国もとの米を
売り払って、貨幣を得て、それで江戸屋敷の生活費や諸経費を
支払った。殿様に随行して地方からやってくる大勢の家臣団も、
江戸での消費需要を盛り上げ、町人層を潤わせた。

 江戸屋敷での最大の支出は、幕府や他の大名との交際費だっ
た。江戸屋敷に常駐した「留守居役」は、天下普請の計画をな
るべく早く掴み、思わぬ案件が自藩に廻ってこないように幕府
の役人に根回ししたり、あるいは他藩と「談合」したりした。
そのために吉原や高級料亭での接待や、書画・骨董などの贈答
がさかんに行われた。こうした接待・贈答需要が、料理・服
飾・工芸などの産業を発展させた。

 江戸時代後半には、葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵師が活
躍し、「名所江戸百景」「東海道五十三次」などが盛んに出版
された。これらは参勤交代で江戸に集まった武士たちが国元に
持ち帰る土産であり、また道中のガイドブックでもあった。さ
らに江戸に全国から武士が集まることで、諸国の情報が集まり、
また江戸の最新流行ファッションや、長唄などの新曲が地方に
伝わった。
29 :03/07/09 10:36 ID:kpqG0L7W
ピステル×
ピストル○
30   :03/07/09 10:36 ID:WMGShSJ5
ノリエガ
31めめめ:03/07/09 10:37 ID:x06zvMmj
■3.参勤交代で盛り上がる消費需要■

 寛永12(1635)年に、参勤交代制度が始まった。大名達は一
年を江戸、一年を国もとで過ごす。これも軍役と同様に、禄高
と格式に応じた供揃いを義務づけられた。供揃いとは、そのま
ま戦闘に移れる武装した行軍行列のことで、飲料水と薪以外は、
武器・弾薬・食糧をすべて持ち歩かねばならなかった。

 参勤交代を含めた江戸在府に必要な経費は、大名の実収入の
5,6割を占め、大きな負担となった。大名達は国もとの米を
売り払って、貨幣を得て、それで江戸屋敷の生活費や諸経費を
支払った。殿様に随行して地方からやってくる大勢の家臣団も、
江戸での消費需要を盛り上げ、町人層を潤わせた。

 江戸屋敷での最大の支出は、幕府や他の大名との交際費だっ
た。江戸屋敷に常駐した「留守居役」は、天下普請の計画をな
るべく早く掴み、思わぬ案件が自藩に廻ってこないように幕府
の役人に根回ししたり、あるいは他藩と「談合」したりした。
そのために吉原や高級料亭での接待や、書画・骨董などの贈答
がさかんに行われた。こうした接待・贈答需要が、料理・服
飾・工芸などの産業を発展させた。

 江戸時代後半には、葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵師が活
躍し、「名所江戸百景」「東海道五十三次」などが盛んに出版
された。これらは参勤交代で江戸に集まった武士たちが国元に
持ち帰る土産であり、また道中のガイドブックでもあった。さ
らに江戸に全国から武士が集まることで、諸国の情報が集まり、
また江戸の最新流行ファッションや、長唄などの新曲が地方に
伝わった。
32 :03/07/09 10:38 ID:QEOtsoBT
日本の「鎖国」を情報封鎖と勘違いしてる馬鹿がまだいるんだけど
実際はオランダ(を通じてヨーロッパのネタ)や
支那の情報はかなり入っていたし、それを一般人も学習出来た。

だいたい徳川家は血縁の世襲だとでも勘違いしてんじゃ無いのか?
養子縁組が入ってることすら知らんのだろう。
1は小学生か?
33 :03/07/09 10:38 ID:kpqG0L7W
なんちゅうかこう、自分の口で言うのはなんなんだけどさ。
謙遜の度が過ぎると嫌味だし、謙遜を本気にとる人たちもいるからあえて言う。
日本人という民族は実に優秀だよ。
34  :03/07/09 10:39 ID:bLtu6FS3
パットン将軍、乃木将軍、ロンメル将軍
35 :03/07/09 10:39 ID:U/hpiR9+
吉原に匹敵する遊郭があるというニュースは
聞かないんだが。
アカデミー短編アニメにノミネートされた「頭山」は
江戸時代に落語の演目だったんだが、それに匹敵する
シュールな話を北ではやらないのか?
ああ、日常が頭山か。
36安崎ニャゴキング ◆l2WIOpoMVA :03/07/09 10:39 ID:rDNK0ott
 まあなんだ>>1は「将軍」の意味も知らんのだろう(w
 ほほえましい背伸びよのう(w
37 :03/07/09 10:39 ID:XaTAJLnK
>>32
小学校高学年でももう少しまとも
38るめるめ:03/07/09 10:40 ID:x06zvMmj
■4.民間による商業航路の発達■

 天下普請のための石材など資材の運搬、さらに動員した家来
や土木作業員の食糧供給のために水運が発達した。江戸城の石
垣築造では、西国大名31家が3千艘の運搬船建造と、それに
よる伊豆半島からの石材輸送を命ぜられた。

 また東北の大名は、太平洋岸を南下する東回り廻船航路で、
江戸まで米や資材を持船で運んだ。家康は東北大名達に命じて、
慶長14(1609)年、その中継地点である銚子に港を築かせた。
このルートによる流通が盛んになるにつれ、民間による海上輸
送の方が有利となり、東回り廻船航路での定期便が確立してい
った。

 また江戸の消費需要が盛り上がるにつれ、日本全国から多種
多様な物産が水運で運び込まれるようになった。清酒は摂津国
鴻ノ池(現在の兵庫県伊丹市あたり)の酒屋が慶長十五(1610)
年に、最初に江戸に持ち込んだ。当時、江戸では濁酒しかなか
ったため、清酒は飛ぶように売れ、はじめは人が背負って運ん
でいたのが、駄馬による輸送となり、寛永(1624〜43)になると、
船で運ばれるようになった。醤油も正徳年間(1711〜15)に、大
阪から持ち込まれて、高級調味料としてもてはやされた。

 上方の物産を江戸に運ぶために、大阪と江戸の間の民営の定
期航路が発達した。二つの組織がそれぞれの定期便を運航して、
明治に入るまで、競争を続けた。また江戸時代以前に確立して
いた北前船(大阪と日本海経由で北海道を結ぶ)、西廻り廻船
(大阪と瀬戸内、九州を結ぶ)と合わせて、日本列島全体を結
ぶ民間による定期商業航路が完成した。
39るる:03/07/09 10:40 ID:x06zvMmj
■6.両替商の銀行業務■

 両替商は、為替取引や預金・貸付け、手形取扱いなど、現代
の銀行とほぼ同じ事業を行っていた。江戸−大阪−京都の三都
間では本格的な為替取引が行われていた。たとえば、幕府の大
阪御金蔵から江戸への公金輸送と、江戸商人から大阪商人に支
払われる商品代金を相殺する形で、決済していた。

 商人は両替商に預金口座を開いて、稼いだ貨幣を預けた。現
代の当座預金にあたるもので無利子だったが、信用のある両替
商と取引がある事は、その商人自身の信用を高めた。両替商は
取引を希望する商人がいれば、身元や財産状況を徹底的に調べ
てから、口座を開いた。

 両替商の中には大名に貸付けを行うものもいた。諸大名は天
下普請や参勤交代で出費がかさむ一方、年貢収入は頭打ちだっ
たため、その財政状態は窮迫していた。そこで家老や留守居役
が藩主の代理人として、両替商一同を料理屋などで接待し、借
金を頼む。両替商達は、その大名の信用状態によって、貸出し
総額を値切ったり、時には断ったりした。また貸出しが焦げつ
いた時の危険分散として、何人かの両替商がシンジケートを組
み、貸付けを分担したりした。現代の銀行に大企業に融資する
のとまったく同じである。

 大名側は地位を利用して、借金の踏み倒しを行う例も少なく
なかった。肥後熊本の細川家などはその常習犯で、「細川家は
前々から不埒なるお家柄にて、度々町人の借金断りこれあり」
などと記録にも残っている。こういうブラックリスト情報は両
替商仲間にすぐ伝わって、組織的な貸し付けボイコットや年貢
を担保に求められるようになった。大名の権威も、市場経済シ
ステムの前ではかたなしだった。
40るめるめ:03/07/09 10:41 ID:x06zvMmj
■7.通貨政策による物価安定■
 諸大名は領地でとれた米を大阪で売って銀を得ていた。大阪
の米市場では需給関係から米価が決まり、その変動を見越した
投機や、先物取引(将来の一定期日にあらかじめ約束した価格
で商品を売買する取引)が行われていた。
 近代的な商品先物取引が本格的に成立したのは1865年のシカ
ゴ商品取引所だと言われているが、同所の発行する「商品取引
便覧」には、「1730年代に、日本の大阪において先物取引を含
む商品取引所が存在していたことは驚くべき事である」と、大
阪堂島の米市場を紹介している。[2,p88]
 大名側が増収方策として米の増産に励んでも、米の供給が増
えるほど米価が下がって収入は伸びない。その反面、その他の
商品の物価は上がり続けた。幕府は米価の維持のために、米の
買い付けを大阪の豪商に命じたり、大阪御金蔵の資金によって
自ら買い付けたが、それを売りに出すとすぐにまた米価は下が
ってしまう。
 幕府は困って大阪の両替商たちに米価維持策を相談した。両
替商達は、米が安いのは通貨の質が良すぎるのと通貨供給量が
少ないためだから、貨幣供給量を増やすように、と答えている。
この策を直接聞き入れたためかどうかは定かではないが、幕府
は実際に貨幣の金や銀の含有量を下げる貨幣改鋳を行って、米
価の上昇と、諸物価の安定にある程度成功した。
 現代でも円高を避けるために、政府が円売りドル買いをした
りするが、幕府の米買いによる価格維持策はそれと同じである。
また両替商たちはすでに通貨の質や供給量が物価にどのような
影響を及ぼすのか、すでに理解していた。通貨政策で物価の安
定を図るという現代マネタリズム流の手法は、20世紀の社会
主義経済での公定価格制などよりもはるかに先進的である。
41 :03/07/09 10:42 ID:g1xCBN3w
さようなら2ちゃんねる さようなら
>>41
さようなら

>>1は昨日の大奥を見て何か勘違いしているのでは?
43    :03/07/09 10:44 ID:FYAmt2f7
黒船が来た時も、江戸市民は恐怖感に襲われつつも、すぐに

"太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船) たった四はいで夜も眠れず"

なんてお上の無策を揶揄する狂歌を口ずさんでいたんだよね。

北朝鮮には、将軍さまの政策をおちょくるような小話とかないの?
44 :03/07/09 10:46 ID:U/hpiR9+
>>41
ばいばーい!
もう、こんなとこに迷ってくるなよ!
45 :03/07/09 10:49 ID:oPvtSpPr
>>1
江戸の日本と北朝鮮、類似点を探してみるけど、どうしても見つからない。
将軍という肩書きを持つ人物の存在を共通点にあげるなら、
ほとんどの国が北朝鮮に似ているなぁ。
46 :03/07/09 10:50 ID:fhVgRbky
共通点

「江戸が究極のリサイクル都市」と言う書き込みを見るが、北は人肉のリサイクル国家つう事で。
47 :03/07/09 10:55 ID:xS+ClFvT
しかし何だな。
在日の歴史教育がどうのとか言う以前に、

 レ ベ ル 低 す ぎ

なのは何とかならないのか?知識もその裏付けとなる資料も何もなし。
まあそれはともかくとして、自分の主張がいかに穴だらけで突っ込むにしても
どこから突っ込めばいいか迷うほど穴だらけってのは、知性をみじんも感じられない。

こんな在日ばかりでは、ハン板の趨勢にかかわる。もっと精進して欲しいものだ。
48(=^..^=)車 ◆qg7OupNIDA :03/07/09 11:13 ID:X4pq7HH3
>47
先日在日の人と話したんだけど
ひめゆり部隊の事知りませんでした。
(;´д`)とほほ

どんな芝居って言われた日には
( ゚Д゚)ポカーン


49 :03/07/09 11:13 ID:WcS9jlCU
★江戸のパノラマ&江戸城正門。両方とも1865年頃(撮影フェリックス・ベアト)
http://www.mid-tokyo.com/18/photos/07.html※スクロールして下さい
http://www.mid-tokyo.com/18/photos/15.html

↑の写真の30年後の1897年、ソウル南大門路。王宮のお膝元(東洋のシャンゼリゼ)
http://www2.nhcc.go.kr/photo/img/bmp/S1437.JPG

  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ   
 ∧_∧     ∧_∧     ∧_∧        
 (   )】      (   )】    (   )】  「きゃ〜東洋のシャンゼリゼ最高!」
 /  /┘    /  /┘    /  /┘
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     
50 :03/07/09 11:15 ID:XCvp0x4d
薩英戦争

薩摩藩砲台→届かず
英国艦大砲→薩摩藩砲台を飛び越えて着弾

核兵器に例えると、この一点のみ似ているかも。
51 :03/07/09 11:16 ID:yF74+N2R
>武士の斬り捨て御免も単に制度上のこと。
幡随院長兵衛の時(江戸時代初期家光の頃の事件)の判例に沿えば、切り捨てた方も
切腹っすからねえ。全然、御免じゃねえし(w
5250:03/07/09 11:29 ID:XCvp0x4d
薩英戦争じゃなくて下関戦争だった。スマソ

薩英戦争は双方に被害が出たそうです。
53(-_☆):03/07/09 11:30 ID:IOz7Wk7B
>>51

 そうだよ。
 完璧とは行かないまでも、当時の文明水準としては史上まれに見る理想郷を
実現できたのが江戸時代だ。

 北朝鮮と比べること自体ハチャメチャだよ。
54:03/07/09 11:35 ID:4bYKKcr1
心中があったぐらいで戯作になっちゃうほど平和で
安定していたみたいですから。

子供が考える一番勇敢な職業が「町火消し」だし。
なんてのどかな300年。
55 :03/07/09 11:42 ID:MOedlrhe

 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|─‐‐-、
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|    |
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|----‐
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|  ̄ヽi チラ・・・
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|д゚) ||
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|中濃 ||)
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄| ー ス/||
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|----'/
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|"U ̄
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

56せいら・ます・大山 ◆q.I9V7ewls :03/07/09 11:45 ID:PTLYziK/
>>54
その点、李朝500年は虐殺と汚辱の500年ですからねえ。
57 :03/07/09 11:46 ID:ZIs596ow
まぁ、21世紀と17世紀を比べるようじゃ駄目駄目ですな。
58 :03/07/09 11:48 ID:UhwBmyA0
>>1

糞スレキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
59 :03/07/09 11:48 ID:aObyjLgC
この板に在日なんてごく少数だろう。
嫌韓厨が立てた糞スレ。粘着やキモイ、社会的不適応者がいるばかり。
日本は良い国だが、2ちゃんは馬鹿の巣窟だな。
漏れも含めて(藁
60 :03/07/09 11:50 ID:dcQ/CGKw
日本の将軍様はね、色々と縛られていたんだよ。
北朝鮮の将軍様みたいに酒池肉林なんてしてない。
61 :03/07/09 11:51 ID:ZIs596ow
なら何故上げる(w
62 :03/07/09 11:51 ID:ahtIj29k
みんなでバトルロワイアルのゲームやろうぜ!
http://cgi20.plala.or.jp/omimayu/brmain.cgi
63 :03/07/09 11:52 ID:UkleQIFD
>>60
 徳川綱吉公と田沼意次の時代が50代くらい続いた勢いだないまの北鮮は。
64 :03/07/09 11:54 ID:U/hpiR9+
老中が清国に亡命したなんて話、聞いた事ないぞ。
3代目の竹千代に似た男が釜山で追い返されたってのも。
65 :03/07/09 11:55 ID:UhwBmyA0
>>63

田沼意次というと、悪名高くは歩あるけど資本主義に似ている経済方式を
いち早く取り組んだ改革者だとおもうのだが、どうだろう。
66資料1:03/07/09 11:56 ID:XFU6VwjF
「韓国人の『反日』台湾人の『親日』」黄文雄 1999年 光文社

韓国人は、もともと日本人と同じように教育水準が高かったと考えている人が多い。
しかし、それは大きな間違いである。日本は、江戸時代からすでに藩校や寺子屋が
かなり発達し、大衆教育が普及していた。
しかし、朝鮮半島は、書堂も学堂も普及していたと思われがちだが、そうではない。
李朝時代には、漢文教育が主流で、ハングルは一顧だにされなかっただけでなく、
禁止されていた。 両班以外の庶民の教育は反対されていた。
ことに両班階級の場合は、わざと漢字を煩雑にして、庶民が読めないようにしていた。
漢字が庶民や奴婢にかんたんに読まれたら、権威がなくなり、たまったものではないからだ。
だから儒教文化圏は、韓国にかぎらず、その社会構造が基本的に愚民社会を前提にしている。
科挙のための勉強が中心となり、読み書きできない人びとが多いのが定評である。
二十世紀に入ってから、辛亥革命以後の中国では、国民学校教育が提唱されたが、
真っ向から反対するのが文人であった。
67資料2:03/07/09 11:56 ID:XFU6VwjF
彼らに言わせると、一般大衆まで教育を受けたら、農民も労働者も文字が読めるようになり、
それこそ「斯文掃地」(文化が地に捨てて掃いたものとなろう)と、こぞって反対していた。
朝鮮半島の書堂で教えられていたものは、漢字の読み書きだけであった。
ハングルの使用が解禁されてから日は浅く、文章として体系化されていないので、
漢字・ハングル混じりの文字体系を確立するには、百年単位の歳月をかけなければならない。
それだけではない。農民も働き手の子どもが学校にとられるのを極力反対して、
校長が父母を説得するのが大変であった。
それは台湾でも同じであった。今世紀の初めごろ、朝鮮半島のみでなく台湾でも教育を受けたとみられる
学齢期の児童は数パーセントしかいなかった。
しかし、日本人が朝鮮で教育を普及させたことを認めたとしても、その教有の目的は、
「愚民教育」にあると主張するものも少なくない。なんと非論理的な、ただの言いがかりであろうか。
儒教文化圏の愚民政策社会に教育を普及させたのは、日本の教育熱であることを忘れてはならない。
それは論理で論じられるものではなく、数字で語られなければならない問題でもある。
朝鮮語は、東北、西北、中都、西南、東方、済州島の六つの大方言区分に分かれ、
李朝時代には言語的にはけっして統一されてはいなかった。
そこで、朝鮮総督府は、朝鮮語を体系化したのだ。両班は漢文・漢語を中心に、
諺文(おんもん)、諺語を排斥、軽蔑していた。
ソウル語を標準語として、漢字、ハングル混じりの文章を体系化したのは、
統監政治以後の日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものだ。
68 :03/07/09 11:59 ID:UkleQIFD
>>63

 資本主義という観点ではそうだろうが賄賂が横行するなど悪い面もあるからなぁ。

 綱吉公もそういう面では生類あわれみの令さえなければ・・・。
 
 でもいまの日本は鮮人あわれみの令状態だな・・・
69 :03/07/09 12:01 ID:yF74+N2R
あえて制度的な弱点を探すと、本来亜熱帯の植物で寒冷に弱い米を
政治経済の中心においたことかなあ。不作->飢饉が発生しやすい。
>>60
13代目の将軍だっけ、将軍に本来決められたスケジュールを律儀にこなそうとしたら
体力消耗しすぎて早死にしたとか何とか(w
>>63
田沼意次時代は悪政じゃない説もありますよ。
批判の絵草子などが大量にあるから悪政だと言われるけど、
それはその手の批判を書くのを取り締まらなかったからだとか。
次の松平定信時代は取り締まったから少ないだけ。
賄賂はイクナイけど。これも実際のとこ良く分からんし。
田沼意次は、天災が重なったのが不運だったねえ。
70 :03/07/09 12:02 ID:ZIs596ow
かな文字のある日本語って段階的に読み書きを習得できて結構
凄いかも。表意文字と表音文字を使いこなす言語って世界的に
珍しい?
すれ違いsage
71bh:03/07/09 12:02 ID:at4YkjLs
>綱吉公もそういう面では生類あわれみの令さえなければ・・・。

でもあれだって、かぶき者の撲滅には繋がったからなー。
 
 
72ななし:03/07/09 12:03 ID:y9BHYcWk
綱吉は犬を大事にしましたが北の将軍様は犬を食います。
73もとの濁り:03/07/09 12:05 ID:b+d5Yg+/
>>63
 田沼意次は言うほど悪くないぞ。
 どっちかってーと、彼が失脚してから、後の奴が自分の政策を正当化ためというのも
 あったそうだから。

 (個人的には、経済人であったが故に、「政治家」としてのすり合わせで負けた人だと思うのだが)
74 :03/07/09 12:06 ID:UkleQIFD
>>72
 それだ!
 いまの日本で生類あわれみの令を復活させよう!!
 この際、鯨を犠牲にしてもいいから鮮人と自然保護団体を戦わせよう。
75ぉ(携帯からカキコ):03/07/09 12:07 ID:g7yCDfEB
ハン板で中世日本史の勉強をするとはおもわなんだよ・・・ 板違いだが、良スレだね。ここ
76 :03/07/09 12:09 ID:FYAmt2f7
>>14
歌舞伎でも文楽でも、すぐにその時々の事件をネタに作品を作って、
上演していたから、たとえ江戸時代にテレビがあっても、
今の北朝鮮みたいな番組構成にはなりえない。
表向き、将軍様の治世の批判はタブーなんで、名目上、時代設定
だけは他の時代にずらしてはいたが、内容は結構、何でもあり。

参考までに、
http://homepage2.nifty.com/Mitleid/yotsuya.htm

 "・・・当時は、徳川幕藩体制の批判はもとより現実の事件をそのまま芝居の題材にすることが
 固く禁じられていました。ところが、江戸時代の劇場人たちは、そんなお上の厳しい取り締まりにも
 くじけることなく、芝居という形で現実社会の矛盾をえぐり出すことに腐心していました。とゆうか、
 現代のワイドショー(や2ちゃんねる?)の隆盛を見てもわかるとおり、スキャンダリズムはいつの世も
 庶民最大の関心事。こんなおいしい話を興行界が放っておけるはずがありません。

 そこで、赤穂事件を、400年前の南北朝時代に移し替えます。
 浅野内匠頭を塩谷判官に、吉良上野介を高師直(こうのもろのう)に置き換えて、
 「これは武士政権中枢で起きた事件の舞台化なんかではなくて、誰でも知っている『太平記』の
 物語なんですよ」という言い訳を考えたわけです。このパターンで、実際には、さまざまな現実の
 お家騒動や心中事件がバンバン舞台化されていったわけでして、江戸の舞台人たちの恐れを知らぬ
 舞台への貪欲さは、現代の映画人以上のものがあったと断言できます。"

今、江戸の戯作者がいたら、「拉致事件」や「少年犯罪」で作品を作ってるだろうね。

でも、このスレの最終結論が出るのは400年後だな。
その頃には、「日光江戸村」の北朝鮮版ができて、観光客相手に
律動体操を見せているかもしれない。
77 :03/07/09 12:11 ID:U/hpiR9+
>>75
江戸時代は近世。
中世は鎌倉・室町時代です。
78ぉ(携帯からカキコ):03/07/09 12:20 ID:g7yCDfEB
>>77 あれ? そうでしたか? つか、このレベルのスレで「勉強」とか言ってる辺りで、漏れの日本史知識を察してくだされ・・・
79名無し:03/07/09 12:29 ID:OEra1cLr
>>70
> かな文字のある日本語って段階的に読み書きを習得できて結構
> 凄いかも。表意文字と表音文字を使いこなす言語って世界的に
> 珍しい?

たしかヒエログリフも、表音文字と表意文字が有ったはずです。
80 :03/07/09 12:33 ID:vWAd5BH/
で、
1 名前:E210168228165.ec-userreverse.dion.ne.jp 投稿日:03/07/09 10:05 ID:gepk7iW0
はどこいった?
81 :03/07/09 12:45 ID:yF74+N2R
>>73
浅間山噴火->天明の大飢饉->印旛沼疎水路工事の崩壊による水害の三連コンボを食らったら、
政治的にどんだけ勢力があっても、無傷でいるのは、無理っしょ。
逆に、天明の飢饉を乗り切った手腕を褒めたいくらい。
確かに、紀州藩からの成り上がりだし身分制を軽視して政治的な敵を作るところは多かった
みたいですけど、大奥に太いパイプがあって、一橋卿とかと何とか渡り合えたとことかを
みると、政治屋的な能力も0ではないんじゃないかと。
>>76
石井輝男監督が好きそうなネタっすね。
>>77
3区分説だと、古代、中世、近代しかないんで、近世の定義は色々もめることもあるみ
たいです。
----
そういえば、田沼といえば、最初に北(ロシア)の脅威に備える必要性を説いた政治家でも
ありました。
82らら:03/07/09 12:48 ID:x06zvMmj
■7.通貨政策による物価安定■
 諸大名は領地でとれた米を大阪で売って銀を得ていた。大阪
の米市場では需給関係から米価が決まり、その変動を見越した
投機や、先物取引(将来の一定期日にあらかじめ約束した価格
で商品を売買する取引)が行われていた。
 近代的な商品先物取引が本格的に成立したのは1865年のシカ
ゴ商品取引所だと言われているが、同所の発行する「商品取引
便覧」には、「1730年代に、日本の大阪において先物取引を含
む商品取引所が存在していたことは驚くべき事である」と、大
阪堂島の米市場を紹介している。[2,p88]
 大名側が増収方策として米の増産に励んでも、米の供給が増
えるほど米価が下がって収入は伸びない。その反面、その他の
商品の物価は上がり続けた。幕府は米価の維持のために、米の
買い付けを大阪の豪商に命じたり、大阪御金蔵の資金によって
自ら買い付けたが、それを売りに出すとすぐにまた米価は下が
ってしまう。
 幕府は困って大阪の両替商たちに米価維持策を相談した。両
替商達は、米が安いのは通貨の質が良すぎるのと通貨供給量が
少ないためだから、貨幣供給量を増やすように、と答えている。
この策を直接聞き入れたためかどうかは定かではないが、幕府
は実際に貨幣の金や銀の含有量を下げる貨幣改鋳を行って、米
価の上昇と、諸物価の安定にある程度成功した。
 現代でも円高を避けるために、政府が円売りドル買いをした
りするが、幕府の米買いによる価格維持策はそれと同じである。
また両替商たちはすでに通貨の質や供給量が物価にどのような
影響を及ぼすのか、すでに理解していた。通貨政策で物価の安
定を図るという現代マネタリズム流の手法は、20世紀の社会
主義経済での公定価格制などよりもはるかに先進的である。
83:03/07/09 12:49 ID:x06zvMmj
■8.問屋株仲間は業界団体■

 商品経済の発達につれて幕府も年貢米を財政基盤とする体制
から、商品流通に財源を求めた。江戸中期の老中、田沼意次は
現在の同業者団体にあたる「問屋株仲間」を公認して独占を許
すとともに、その対価として冥加金、運上といった「間接税」
の徴収を始めた。

 問屋株仲間はもともと米、酒、塩、味噌、炭など、生活必需
品12品目の高騰を規制するために、同業組合として幕府が結
成を命じたもので、株とはその会員権をさした。田沼時代末期
の大阪では130にものぼる問屋仲間が公認されていた。

 問屋株仲間に入っていない業者が勝手に商売を行った場合は、
幕府に訴えれば処罰してくれた。また株仲間の一部が幕府の規
制に触れる行為を行うと、株仲間全体が連座して処罰の対象と
なったので、そのような事態を防ぐための自治活動が行われた。
新入りの仲間に対する厳しい選別過程はもとより、仲間の跡取
りの品行をチェックして、道楽者、怠け者を排除したり、嫁取
り、婿取りに対しても、全員の承認が必要だった。

 問屋株仲間は幕府の指導・統制を個々の業者に伝える「上意
下達」だけでなく、業界としてのコンセンサスをとりまとめて、
幕府に伝えるという「下意上達」の機関でもでもあった。これ
は現在の経済産業省が、業界団体を通じて間接的に各事業者を
統制するという現在のやり方と同じである。ただ間接税も業界
団体を通じて徴収するという点は異なる。

84:03/07/09 12:49 ID:x06zvMmj
■9.4百年にわたる市場経済システムの進化■
 公共投資政策としての天下普請、需要喚起策としての参勤交
代、通貨政策や需給調整を通じた物価安定策、高度な物流や金
融のシステム、間接税、そして業界団体による間接的な事業者
統制、、、こう見てくると江戸時代に発展した市場経済システ
ムは、現代にそっくりである。
 明治維新後の「文明開化」が急速に進んだのも、こうした近
代的な市場経済システムが実態としてすでに江戸時代から存在
してからである。経済史的に見れば、明治維新や大東亜戦争敗
戦という転機にもかかわらず、江戸時代から現代まで、わが国
の市場経済システムは環境変化に適応しながら、400年間に
渡って連続的に進化してきたものである。このあたりはロシア
や中国とは根本的に異なる。
 こう見れば、たとえば政府(官)と個々の事業者(民)の間
に業界団体(公)を設けて業界としての自治を求めるなどとい
う日本流のやり方が、アメリカ流「グローバル・スタンダー
ド」に欠落しているからと言って、一概に時代遅れの産物であ
るかのように見なすのはおかしい事が分かる。歴史の浅いアメ
リカの市場経済システムが、まだそこまで到達していないだけ
の事かもしれない。
 わずかここ10年ほどの経済の不振で、我らの父祖が400
年にわたって成長させてきた市場経済システムを弊履にように
投げ捨てて、「グローバル・スタンダード」に走るのは、歴史
に学ばない愚か者のすることだ。市場経済システムを、どう新
しい時代と環境に適応させ、その長所を強みとして発揮させて
いくべきか、と考えていくべきだろう。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
85七誌:03/07/09 13:15 ID:t424aQNL
俺は縄文時代に似てると思うな。奴ら野鼠を捕まえたりどんぐり拾って飢えをしのいでるんだろう
86.:03/07/09 13:22 ID:BTbbLEmW
江戸時代の農民っていつも厳しい年貢を取られて
飢え死に寸前の生活しるって感じで習ったんだがな
NHKで田沼意次を再評価してたね
>>86
白土三平のイメージがある
89 :03/07/09 13:48 ID:yF74+N2R
>>86
江戸中期に肥料を使用することで生産性が上がるまでは、確かに苦しかったかも知れませんが、
実際以上に苦しさと階級闘争を強調して教え込むのは唯物史観(マルクス史観)の影響かも。
白土三平は全学連の連中に受けていたらしいですし。そういう教育は、なんか意図的で嫌ですな。
といいつつ、漏れの先祖は一揆を起こして刑死した百姓だったせいか、家の親も左じゃないけど
似たような事を教えむ人だったんすけどね(w
90 :03/07/09 14:31 ID:aU2SivZd
>>86
作物とかはやはり天候に左右される面もあるから、
長い歴史の中では、地域によっては飢饉になる事もあったろう。
戦後の歴史教育では、そういう特殊な地域と期間をクローズアップし、
さもそれが常時の状態であったと思わせんとした。
91a:03/07/09 15:35 ID:gj+GnFUF
北朝鮮は常時飢饉と言ってもいいのか?
92::03/07/09 15:40 ID:9xOh5LHm
>>1

似てる。久米宏も言ってた。
93 :03/07/09 15:44 ID:jsyWRBLn
>>92
久米が「昔の日本もこうだった」と言っていたのは江戸時代だったの?




白鳳時代かとオモテタ
94学際運営委員長 ◆YjCIC1ZJAU :03/07/09 15:48 ID:QedicXLB
>>1
弥生時代の日本とだったら似てるんじゃない?
95 :03/07/09 15:50 ID:HScn0b0T
江戸時代は今よりも進んでたよ。
・完全リサイクルシステム
・完全自足自給
・当時世界最高の治安
・優れた人材の育成
などなど

今の日本など、残念ながら・・・(涙
96777:03/07/09 15:52 ID:iKRdcCmD
領地で一揆が起きた場合、殿様以下家老は将軍から
切腹を申し渡される事がある為、大抵は農民を恐れながら
善政をしいていた。

江戸時代を悪く言うのは、戦前は明治政府の正当性を示すために
故意に流布されたウソに由来し、戦後はマルクス史観によるものと
思われる。
97:03/07/09 15:59 ID:nU8LgxgJ
どこかの外国人の学者がいってたそうな。

「ヨーロッパの貴族になりたいとは思わないが、同時期の江戸市民には
是非なりたい。」

ソース:石川大輔の著書のどれか。講談社文庫かなにか
98 :03/07/09 16:00 ID:UkleQIFD
>>97

 まーキリシタンでなければ結構すみやすかったんだろうな。
99 :03/07/09 16:03 ID:fa3OKrw/
働く時間今よりも少ないしね。

20年前は、未来は週休5日で遊んで暮らす世の中だと思った子供心。
100_:03/07/09 16:03 ID:ZM7EHaEF
そもそもその将軍とこの将軍は別モノ。
たまたま呼び方が同じだっただけ。
英語ではちゃんと「General」、「Shogun」というように、区別される
101:03/07/09 16:12 ID:HomEikTx
>>1
わざわざ知能の低さを自ら晒すとは暇な奴だな。
江戸がどれ程清潔な都市だったか知ってるか?

江戸っ子が毎日銭湯に通ってた(酔狂な人で一日三回)時代にパリでは
毎朝、おまるに溜まった糞尿をアパートの窓から流してたんだそうだ。
勿論、家族全員の、一日分の、【糞尿】を。

よく池沼のファッション関係者らが、日本は香水後進国。おフランスを見習うざんす〜
とかほざいているが、それは、フランス人が臭かったから!
風呂にも入らずチーズばかり喰ってたら臭うに決まってるだろう!

ふん、日本が香水後進国? それは、

    当 時 の日 本 が 清 潔 だ っ た こ と の 証 。


102@:03/07/09 16:20 ID:x06zvMmj
■1.自力で栄えるこの豊沃な大地■
 1850年の時点で住む場所を選ばなくてはならないなら、私が
裕福であるならばイギリスに、労働者階級であれば日本に住み
たいと思う。[1]
 アメリカの歴史家スーザン・B・ハンレーの言葉である。海洋
アジアの物産に対抗して、ヨーロッパが暴力的収奪によって近代
世界システムを作りあげていた時に、日本はまったく別のアプロ
ーチによって、もう一つの近代文明を育てていた。これを江戸シ
ステムと呼ぶ事がある。それは庶民にとってみれば、近代世界シ
ステムの最先端、大英帝国よりも幸福な社会であった。
 その実態はどうだったのだろう? 19世紀後半に世界各地を
旅したイギリスの女流探検家イザベラ・バードは、明治初年に日
本を訪れ、いまだ江戸時代の余韻を残す米沢について、次のよう
な印象記を残している。
 南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の
赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したという
より、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、
煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、
ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、
アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な
大地は、すべて、それを耕作している人びとの所有するところ
のものである。・・・・・・美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な
地域である。山に囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。
どこを見渡しても豊かで美しい農村である。[2]
 ヨーロッパ人が、他の大陸の土地と人間を暴力的に収奪して、
豊かさを手に入れたのに対し、日本人は「自力で栄えるこの肥沃
な大地」を築き上げた。それはどのようなアプローチで可能だっ
たのだろうか。
103A:03/07/09 16:20 ID:x06zvMmj
■2.木綿後進国だったヨーロッパと日本■

 前90号で紹介したように、17世紀末にインド木綿がヨーロッ
パで衣料革命を起こしたのだが、東アジアにおいても、それより
やや早く、同様な現象が起こっていた。そこでの木綿生産は、
13世紀末の中国に始まり、14世紀末に朝鮮、15世紀末には
戦国時代の日本へと、ほぼ一世紀ずつ遅れて普及した。

 室町時代以前の日本人の衣料は、麻であった。綿布は麻にくら
べてやわらかく、保温性も良いので、特に冬季の衣料として、一
般民衆にも普及した。そのため15世紀前半からの約1世紀間、
日本は大量の綿布を朝鮮から輸入した。朝鮮だけではその需要に
応じきれず、16世紀半ば以降からは、中国から輸入するように
なった。ヨーロッパと同様、日本も木綿生産の後進国として、輸
入に頼っていたのである。[4,p62]


104B:03/07/09 16:21 ID:x06zvMmj
■3.黄金の国ジパング■

 何も売るもののないヨーロッパは新大陸から収奪した貴金属を
支払いにあてたが、日本はどうしたのだろうか。幸いな事に、戦
国時代に鉱山開発が進んだ結果、日本は当時、世界有数の貴金属
産出国になっていた。

 たとえば銀については、17世紀初頭において、日本を除く世
界の年間銀産出高が39〜49万kgだったのに対し、日本の輸出高だ
けでも16〜20万kgに達していた。[4,p35]

 銅についても、シナでは明の時代に貨幣原料の不足を来たし、
清代には日本への輸入依存を徐々に高め、18世紀初めには、ほ
とんど全量を日本銅に依存する状態になった。地大物博の国と呼
ばれたシナも、実は貨幣経済の首根っこは日本に押さえられてい
た。そして日本の銅銭は、シナのみならず、アジア域内交易に広
く用いられた。マルコポーロの「黄金の国ジパング」とは、あな
がち荒唐無稽な形容ではなかったのである。[5,p262]
105 :03/07/09 16:21 ID:e80WNVNN
王族なら〜略〜平民なら江戸
じゃなかったか?
106C:03/07/09 16:21 ID:x06zvMmj
■4.四大国際商品の国産化に成功■

 高価な輸入品を安く自給して、生活水準を高めたいと思うのは、
当然の志向である。前号で紹介したように、ヨーロッパは、アフ
リカから移送した黒人をアメリカ大陸のプランテーションで働か
せて綿花を栽培し、それをイギリスの紡績機で綿布に仕上げると
いう三角貿易で、綿布の自給体制を作り上げた。これが産業革命
の契機となった。

 日本も綿布の自給を図ったが、肥沃な土地と温暖な気候に恵ま
れ、国内栽培が可能であった。15世紀末の戦国時代から広がっ
た綿花栽培は、17世紀末から18世紀初頭にかけて、多肥・労
働集約的な農法の開発などで発展を続け、停滞するシナ、朝鮮を
凌駕するに至った。

 こうして、ユーラシア大陸の両端、木綿生産の最後進国であっ
たイギリスと日本は、19世紀を迎える頃には、綿業の最先進国
になっていた。[4,p62]

 海洋アジアのその他の物産についても、我が国は次々と国産化
に成功した。ペリーが日本に通商を迫ったときには、近代世界シ
ステムにおける4大国際商品、すなわち木綿、砂糖、生糸、茶は、
すべて自給していたのである。単なる偶然ではなく、これらの商
品を自給しようという所から、近代世界システムも江戸システム
も発展してきたからである。ただそのアプローチは、あまりにも
対照的であった。

107 :03/07/09 16:22 ID:v1RzyBCM
江戸が当時世界最大の都市だったってのは
ぜってえ韓国じゃ教わらないんだろうなw
108D:03/07/09 16:22 ID:x06zvMmj
■5.余裕の守り■

 江戸時代初期、東南アジア各地には日本町や日本人居留地が作
られ、幕府から許可を与えられた朱印船が、さかんに往来してい
た。1604年からの約30年間に365隻が渡航したという。このま
ま海洋アジアとの交易が発展すれば、我が国は江戸時代には海洋
アジアの一大勢力として、国際化していたであろう。

 しかし、暴力的収奪を常とするヨーロッパ人の割り込みが、そ
の発展を大きく阻害した。フィリピンのようなすぐ隣の土地がス
ペイン人の植民地となり、キリスト教布教を名目とした侵略性は
隠しようもなかった。

 徳川幕府は、キリシタンを禁制とし、海外発展よりも、内政充
実を選ぶ。一般にこれを「鎖国」というが、実際には、上述のよ
うに中国・朝鮮などとは活発な交易を続けており、またオランダ
を通じて、近代世界システムの動きに対する情報収集も怠りなか
った。

 それらの事象が意味するものは目本の、"守り"であると同時
に"余裕"である。外国の怪しげな諸勢力が侵入するのを拒絶す
る自由独立の意志の表現であると同時に、十七―十八世紀にか
けて主権国家体制をとり始めた西欧各国と歩調を合わせ、日本
が統一国家としての体制を確立せんとしていた証拠である。
[6,p13]


109E:03/07/09 16:22 ID:x06zvMmj
■6.平和の配当による高度成長■

 徳川幕府は、当初、豊臣政権の「七公三民(収入の7割を税徴
収)」の税率を踏襲したのだが、それらは城下町の建設、陸路・
海路の交通網整備、河川堤防の建設、新田の造成など、大規模な
社会インフラ整備に使われた。そしてそれらが終わるとただちに、
大減税を敢行した。四代将軍家綱の元禄の頃には、「三公七民」
と逆転していた。[6,p168]

 いわば、戦国時代の後の「平和の配当」である。上述した四大
商品の国産化成功ともあいまって、我が国は空前の高度成長期に
突入した。江戸幕府創設の直前、1600年の日本の人口は12百万
人だったのが、1721年には31百万人と2.6倍にもなった。生
活水準も向上し、平均寿命が延びた。[6,p92]

 この間の耕地は、225万ヘクタールから296万ヘクタールへと、
1.3倍となっている。1.3倍の土地で、2.6倍の人口を養
っていたのだから、土地生産性は2倍となったと言える。生活水
準の向上を加味すれば、それ以上だ。新大陸など他人の土地を欲
しいままに占有・収奪した近代世界システムに対して、江戸シス
テムは限られた国内の土地を最高度に活用したのである。

 歴史の教科書には、江戸時代に飢饉ばかりが続いたかのように
記述しているが、それは江戸時代の後半、人口が3千万を超えて
列島の収容能力限界に達し、また米作が北限の東北地方まで普及
していた所に、気候寒冷化が襲ったためである。飢饉を階級的搾
取の結果とするマルクス主義史観では、前期の高度成長も、庶民
の豊かな暮らしぶりも説明できない。
110F:03/07/09 16:23 ID:x06zvMmj
■7.汗と知恵による勤勉革命■

 江戸システムで土地生産性が大幅に向上したのは、より多くの
汗と知恵の投入の結果である。飼料のために広い土地を必要とす
る牛馬を減らし、人力で代替した。そのために土地や作業にあっ
た鍬などの農具が開発された。また都市部の糞尿や生ゴミが農村
に貫流されて、肥料として利用されるというリサイクルシステム
を確立した。これにより衛生的な都市生活と、農業生産性向上を
両立させる事ができた。[7]

 さまざまな創意工夫は多くの農書にまとめられ、各地に広めら
れた。それを読むために、一般民衆の就学率、識字率はヨーロッ
パ諸国に比べても段違いに高い水準となった。[8]。

 勤勉と教育を尊び、ものを大切にする我が国の文化特性は、江
戸システムの発展を通じて、形成されたのである。ヨーロッパの
産業革命(Industrial revolution)に対して、日本は勤勉革命
 (Industrious revolution)を行ったと称されている。
111G終わり:03/07/09 16:24 ID:x06zvMmj
■8.平和の海■

 春の海ひねもすのたりのたりかな
 高麗(こま)船のよらで過ぎゆく霞かな

 蕪村の句である。のどかな霞の海を朝鮮の船が行く。こちらに
立ち寄ってくれたら、退屈もしのげるのに、そのままどこかに行
ってしまう。日本は、朝鮮やシナ、オランダと盛んに交易はして
いたが、それぞれが互いに干渉もせずに、平和裡に棲み分けてい
た。

 1637-8年の島原の乱から、1867年の大政奉還までの230年間、
我が国は静謐な平和に包まれていた。しかし、ペリーの砲艦外交
で近代世界システムに巻き込まれた途端、日本は日清、日露、大
東亜戦争と過酷な戦争の世界に身を投じなければならなかった。

 230年間一度も戦争をしなかった江戸システムと、15世紀
以来の500年間に、約1年8ヶ月に1回の割合で戦争をしてい
た近代世界システムと、両文明の本質的な違いをここに見る事が
できる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm


112 ◆6aPlXzmMvA :03/07/09 16:24 ID:PeyOeZY7
北朝鮮のどこかには江戸時代の大阪みたいに全国から食料が集まるところがあったのか。

じゃ援助いらないね。
113 :03/07/09 16:25 ID:e80WNVNN
江戸時代港町で皮膚病じゃ内では無い人探すの大変だった。
とあったが。
これは入浴とは関係なし。
114 :03/07/09 16:26 ID:XU4rQH2B
>>1
オマエ「将軍」って言いたいだけちゃうんかと(ry
115 :03/07/09 16:28 ID:DtrSsgdU
「前近代の人間に生まれかわるとして、貴族だったらヨーロッパ。
庶民だったら江戸日本。」とかじゃなかったかな。
116 :03/07/09 16:31 ID:DtrSsgdU
>>107
日本の学校でも普通教わらない気が…
俺がはじめて知ったのライシャワーの「ザ・ジャパニーズ」読んでだった。
外国人に日本のことを教わる俺っていったい。
117 :03/07/09 16:32 ID:yF74+N2R
>>101
杉浦日向子の本で見たんだったと思うけど、江戸っ子にとって口臭がするといわれるのが
最大の侮辱だったそうで。
式亭三馬の宣伝していた化粧水にも匂い関係の文句があったような記憶があるので調べてみたら
蘭引きという技術があったようです。
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/001130.html
>蘭引き(らんびき)
>オランダ伝来の蒸留器。 花びら等を蒸留し、香りの良い化粧水を作っていた。

良く考えたら、香り袋ってものが江戸以前からありますし。香道もそうですな。
118@:03/07/09 16:32 ID:x06zvMmj
人物探訪:塙保己一 〜 盲目少年の志
 盲目の少年の学問への志は、周囲の人びとに大きく育て
られ、後の人びとに受け継がれて大事業を成し遂げた。
■■■■ H15.03.23 ■■ 38,539 Copies ■■ 762,031 Views ■
■1.「三重苦の聖女」と「盲目の国学者」■
 昭和12(1937)年4月26日、見えず聞こえず話せずの「三
重苦の聖女」と呼ばれたアメリカのヘレン・ケラーが、東京渋
谷にある温故学会のビルを訪れた。彼女はここに保管されてい
る盲目の国学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)の鋳像や愛用
の机に手を触れながら、幼いころ母親に日本の塙保己一の偉業
と不屈の精神を教わり、自分も発奮したとして、次のように語
った。
 塙先生こそ私の生涯に光明を与えてくださった大偉人で
す。本日、先生の御像に触れることができましたのは、日
本における最も有意義なことと思います。手垢のしみたお
机と、頭を傾けておられる敬虔なお姿とには心から尊敬の
念を覚えました。先生のお名前は、流れる水のように永遠
に伝わることでしょう。
 塙保己一は延享3(1746)年に武蔵国保木野村(埼玉県児玉
町)に生まれ、幼くして病により失明したが、江戸に出て学問
に打ち込み、41歳から30年以上をかけて日本の古書古本を
1273点収録した「群書類従」を編纂した。ここには法律、政治、
経済、文学から、医学、風俗、遊芸、飲食まで、あらゆるジャ
ンルの文献が収められており、群書類従なくしては日本文化の
歴史を解明することは不可能だ、とまで言われている。


119A:03/07/09 16:33 ID:x06zvMmj
■2.書物好きの按摩■
 当時は江戸幕府の保護のもとで、盲人だけの按摩や鍼(は
り)、三味線、金貸しなどの職業組合があり、厳格な徒弟制度
が敷かれていた。保己一(こう名乗ったのは後のことである
が)は15歳にして江戸に出て、検校(けんぎょう)という位
についている雨宮須賀一(すがいち)のもとに弟子入りした。
しかし按摩や鍼の修行には身が入らずになかなか上達もしない。
このまま雨宮に迷惑をかけるだけでは死んだ方がましだと、あ
る日、九段坂の近くの牛ヶ渕に身を投げようとした所をあやう
く家の下男に救われた。
 連れ戻された保己一を雨宮は激しく叱責した後に、こう聞い
た。
 お前は何かほかのことに気がいっているのではないか。
申してみよ。お前が国元を出て江戸に来たのはなにかしら
強い望みがあってのことだったろう。
 師匠のこの言葉に、保己一は泣きじゃくりながら、本当の望
みを口に出した。
 お師匠さま。私は学問がしたいのです。そのことばかり
考えてほかのことに身を入れることが出来ませんでした。
どうか、お許しくださいませ。
 そういう保己一の中に何かすごい力がこもっている事を、雨
宮は感じ取った。
 そうか、そうか。よく分かった。お前の頭のよいことは
よく分かっておった。実技のほどはからきし駄目だという
のに、医学書は一度聞いたら一字一句覚えてしまうお前に
は、実のところ驚かされたよ。盲人でも学問をして歌人や
学者になったものが今までにいなかったわけではない。だ
が、学問となったら、わたしには教えてやることが出来な
いよ。はてさて、どうしたらよいかのう。
 どうしたら良いか分からないが、とりあえず3年間は自分の
所で学問に励むがよいと雨宮は言ってくれた
120 :03/07/09 16:33 ID:DtrSsgdU
>>113
シュリーマンは、魚を生で食う風習のせいじゃないか、とか言ってたな。
121Bー1:03/07/09 16:34 ID:x06zvMmj
■3.ひろがる噂■
 それからの保己一は本を貸してくれるという人の噂を聞いて
は尋ねていき、読んでくれるという人を捜し求めた。
 雨宮検校の所に、珍しい書物好きの弟子がいるそうだ。
 そうそう、なりふり構わず書物を持ち込み、誰かれとな
くつかまえては読んでくれと頼みこんでな。その真剣さと
言ったら並じゃないっていうことだよ。
 やがてこんな噂が広まっていった。保己一の書物好きを知っ
て、下手な按摩ながらひいきにしてくれる人も出てきた。そう
いう人には保己一は心をこめて身体を揉み、それが終わると書
物を読んでもらった。お礼として按摩代はいただかないことに
していた。
 全神経を集中して聞いている様に読む人は感動し、一度聞い
た書物は全部覚えてしまい、次に訪ねたときは意味が分からな
かった箇所をたずねたりするので、読み聞かせた方が驚いてし
まう有様だった。
122Bー2:03/07/09 16:34 ID:x06zvMmj
雨宮検校の隣屋敷に松平織部正(おりべのかみ)乗尹(のり
ただ)という旗本が住んでいた。書物をたくさん持っており、
大変な勉強家であった。保己一の噂を聞いて、ひどく感心し、
自分から本を読んでやろうと申し出た。乗尹は公務が忙しいの
で、一日おきに寅の刻(朝4時)から卯の刻(8時)までなら
読んでやろうと言うのである。「どうかな、ちと早くて辛かろ
うが」という乗尹に、感激した保己一は「必ず伺います」と頭
を下げた。
「どのような書物が好きなのかな」と聞かれると、「一番好き
なのは歴史ものです。国の故事に暗くてはならないと思いま
す」と答えた。
 寅の刻といえば、外はまだ薄暗く、人々はまだ眠っている時
間である。乗尹の力のある声が響き、保己一は微動だにせずに
聞き入った。やがて日が昇り始めると、あたりに物音がし始め
る。時間がくると、保己一はお礼の気持ちに心をこめて乗尹の
肩を揉んだ。保己一にとっては待ち遠しい時刻となった。

123C:03/07/09 16:35 ID:x06zvMmj
■4.学者への道■

 しばらくして乗尹は、保己一に言った。

 わしの所には毎月、「源氏物語」や和歌の講義をしてく
れる萩原宋固(そうこ)という先生が来る。お前も一緒に
講義を聞いてみてはどうか。

「源氏物語」という本の名は幼い頃、母におぶわれて目医者に
通っていた頃に聞いた覚えがあった。保己一はとびあがる思い
で「はい、どうか私にも講義を聞かせてくださいませ」と答え
た。

 講義の日には座敷の隅に座って、じっと聞き入る保己一の姿
に宋固も心を動かされていった。そこで講義の後に、保己一を
呼んで今まで講義したことを尋ねてみた。保己一は的確に答え
ただけでなく、難解だった点をいくつか上げて宋固の意見を求
めた。宋固は問いに答えつつ、内心舌をまいた。

 乗尹は保己一をぜひとも宋固の門人に加えてやりたいと思い、
雨宮検校の所に行って、保己一の比類のない才能について話し、
きちんと系統的な学問をさせる必要を説いた。雨宮にも異存は
なかった。こうして保己一は宋固の門人として学者への道を歩
み出すことになる。
124D:03/07/09 16:35 ID:x06zvMmj
■5.自分に与えられた天命■
 保己一はいつも穏やかに人に接することを自分に誓っていた。
学問をするには短気を起こしてはならない、感情に左右される
ようなことではいけない、と思っていたからである。貧富で人
をわけへだてることはなく、犬や馬にさえ大声で叱ることもな
かった。日々の暮しは学問第一、粗末な食事に、冬でも足袋な
しで過ごし、少しでもお金ができると書物を買った。
 保己一の噂を聞いて、大名家からも藩で秘蔵している本を持
ち込んで、正統な典籍かどうか調べて欲しいという申し込みが
舞い込むようになった。あちこちに埋もれていた貴重な書物が
次々に保己一のもとに集まってくる。
 そうだ。古書、古本の保存研究こそ、まだ誰もやってい
ない事業だ。前人未踏のこの事業こそ自分の成すべき仕事
ではないか。
 こう気づいた保己一は、村田晴海の「和学大概」に古書古本
の研究の大切さが説かれているのを思い出した。
 すべて学問をするには古からの日本の国体を知らねばな
らない。国体を知るには古書の研究が必要であるが、そう
したことを好む人びとが少ないために古書が失われて、百
年もたったら全く跡形もなくなってしまうだろう。これは
太平の世の恥である。誰かこれを研究して後の世に残した
なら、それこそ国の宝となるであろう。
 あちこちに散らばっている古書古本は、放っておけば活用さ
れることもなく朽ち果てていくであろう。これらを叢書として
まとめた形で、新たに版を起こして出版すれば、後世の研究者
にとって大きな助けとなる。これこそ自分に与えられた天命だ
と思われた。安永7(1778)年の暮れも押しつまった深夜、保己
一33歳の時であった。
125倭駄サン:03/07/09 16:36 ID:FeTutnXw
オイオイ、全く違うだろ!将軍様と言っても徳川と金では違いすぎる
奴は抗日パルチザンでもなんでもなく単なるソ連軍人、江戸幕府は
傀儡国家とはだったわけ? 
126 :03/07/09 16:37 ID:yF74+N2R
>>120
そうなの?おれは梅毒の皮膚病の話かとオモータよ。
しかし、何故シュリーマン?
127 :03/07/09 16:37 ID:QWRKrX9D
関東大震災から80年の今夏、震災直後に大勢の在日朝鮮人が殺された事件を思い起こす写真展と講演会が県内で開かれる。
節目の年に薄れがちな歴史を見つめ直すのが狙いだ。

1923年の震災直後、朝鮮人が暴動を起こしたなどというデマが流され、県内でも、東京から避難途中の朝鮮人ら200人以上が殺された。
刑事裁判は一部行われたが、調査は不十分で、犠牲者数さえ未定だ。
「今も未解決といえます。歴史を薄れさせないよう、日本人も我々在日朝鮮人も学んで欲しい」と実行委員会の李昌勇(リチャンヨン)事務局長(41)。
展示パネルは約50点。大勢の犠牲者が無縁仏として納骨された本庄、熊谷両市の慰霊碑や、例外的に氏名の分かるさいたま市や寄居町の墓の写真が並ぶ。
手に手に竹やりを構えた自警団の写真も。背景にある植民地支配から、在日朝鮮・韓国人の現代像にも迫る。

企画段階から協力した元熊谷女子高教諭の石田貞(ただし)さん(71)は30年前から震災関係の聞き取りや資料集めをしてきた。
調査結果から県内の犠牲者は223〜240人と推定する。

「国や県の誤った通知やデマが流されたとはいえ、善良な民衆がなぜ虐殺に走ったのかに目を向けたい」と石田さん。
写真展は10、11の両日、さいたま市大宮区の大宮ソニックシティ地下1階展示場で、入場無料。
講演会は8月30日午前11時から熊谷市石原の市勤労会館で。朝鮮人強制連行真相調査団事務局長の洪祥進(ホンサンジン)さんの講演の後、
バスで慰霊碑を巡る。

http://mytown.asahi.com/saitama/news02.asp?kiji=4233
こんな日本に生まれて恥ずかしいよ
128E:03/07/09 16:37 ID:x06zvMmj
■6.「群書類従」■

 保己一は叢書の名を「群書類従」とした。価値ある古書の群
れを類に分け、系統的に位置づける。類としては「神祇」「帝
王」「補任」「系譜」など25。たとえば物語部には「伊勢物
語」「竹とりの翁の物語」、日記部には「和泉式部日記」「紫
式部日記」、紀行部には「土佐日記」「さらしな日記」、そし
て雑部には「枕草子」「方丈記」から聖徳太子の「十七箇条憲
法」まで、今日の我々が古典古文として習う多くの書物が収め
られている。

 しかし単に古書古本をまとめて再出版するというだけ作業で
はない。まず各地に散在している資料の収集だけでも一苦労だ。
たとえば平安初期にまとめられた「日本後紀」50巻が行方知
れずになっていた。それが京都の公家の所にあるらしいと伝え
聞いた保己一は、門人を京都に派遣して探させた。門人は京都
を探し回って、ようやく伏見宮家にとびとびの10巻があるこ
とを突き止めた。しかし伏見宮家は外部の人間に見せてくれな
い。

 そこで門人は策を練って、まず伏見宮家の家司と酒友達とな
り、そのうちに家に泊まてもらえるようになった。そしてそう
いう晩には書物を夜の間借りて読むことを許されたので、ひそ
かに10巻全部を写しとったのである。

 日本後紀は、日本書紀に始まる我が国の六つの代表的な国史
「六国史」の一つである。保己一の志とこの門人の熱意がなか
ったら、日本後紀は現在に伝わらなかったかもしれない。
129F:03/07/09 16:38 ID:x06zvMmj
■7.刊行開始■

 また集まった古書をそのまま印刷するわけではない。それが
原書であり、後世に残す価値のあるものでなければならない。
保己一は集めた書物をつねに3人の門人に読ませて、正しいと
思われるものをとっていった。

 印刷は板木で行う。専門の板木師が1枚の板に20字10行
を一頁として、左右2頁を逆向きに彫っていく。これが今日の
400字詰め原稿用紙の基となった。彫った後の文字の修正は、
その部分をえぐり取り、別の木片に彫りなおしたものを埋め木
する。板木は両面を彫り、1枚で原稿用紙2枚分となる。群書
類従全体では、この板木が1万7千枚以上となった。

 印刷は板木に墨をしみこませ、2回目の墨をぬった上に和紙
をのせ、竹の皮で滑りをよくしたバレンという用具でこする。
字の大きさや文字数により、力の加減を微妙に調整しなければ
ならない。

 天明6(1786)年2月、保己一はまず平安時代から鎌倉時代に
かけての説話集である「今物語」を刊行し、上々の評判を得た。
この「今物語」を見本として、群書類従の広告文を作り、予約
の募集を始めた。今物語と同じ仕立てで、12百余種の文献を
25の類に分けて、600冊余りの叢書とすること、毎月1、
2冊づつ刊行し、刊行部数は200部、値段は紙10枚で6分
2厘、仕立て4分5厘、等々。保己一41歳。志を立ててから、
はや7年以上の年月が流れていた。

130G:03/07/09 16:38 ID:x06zvMmj
■8.火にも負けず■

 寛政4(1792)年7月、麻布あたりから出火した火の手はなお
遠かったが、保己一は風の様子からこれは危ないと感じて門人
たちに避難を命じた。群書類従の出版のさなか、家の中は今ま
で苦労して集めた書物や、他家より借り受けた書籍で一杯であ
る。やがて火の手はとめどもなく広がり、保己一の家も全焼し
た。かなりの書物は運び出したものの、板木は多くを焼失した。

 焼け跡に立つ門人たちは絶望して、「群書類従の出版はもう
諦めるしかありません」と言い出す。「なにをいうか。みんな
元気な身体があるではないか。しばらくは中断するとしても、
また始めるべく手はずを整えていこうではないか。」

 時の老中・松平定信は文武両道に秀で、寛政の改革に当たっ
て学問を奨励していた。保己一は翌年、和学講談所および文庫
を建設する用地の拝借願いを幕府に出し、300坪の無償借用
が許された。また建物の建設資金350両も貸しつけ、さらに
毎年50両の資金援助もなされることとなった。今までは売上
があがってからそれを次の出版資金とするという形であったの
で8年間で43冊しか出せなかったが、この後、毎月4冊刊行
の見通しがたった。

 当時は旗本やご家人などの暮らし向きも苦しかったので、優
れた人材が和学講談所に集まって、写本や筆耕などの仕事に加
わるようになった。講談所ではいつも書を読み合う声、板木を
彫る音、さらさらと紙を繰る音が溢れていた。
131H:03/07/09 16:41 ID:x06zvMmj
■9.受け継がれた志■

「群書類従」670冊が完成したのは文政2(1819)年、保己一
は74歳となっていた。思い立ってから41年目のことであっ
た。同時に「続群書類従」の調査、書写が進んでおり、出版が
始められたが、保己一はこの2年後に他界した。享年76歳。

 和学講談所は維新後に明治新政府によって再建され、後に東
京大学史料編纂所となった。また続群書類従は明治35年に活
版で刊行が開始され、関係者の努力によって昭和47(1972)年
に完結した。

 盲目の少年の学問への志は、周囲の人びとによって大きく育
てられ、さらに後の人びとの心に受け継がれて大事業を成し遂
げたのである。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
132@:03/07/09 16:41 ID:x06zvMmj
■1.戦う西洋、平和の日本■

 戦国時代には世界一の銃砲生産大国だった日本が、江戸時代に入
ると、銃を捨て、平和な国造りに向かった様子を、前回の地球史探
訪で紹介した。
JOG(24) 平和と環境保全のモデル社会:江戸

 今回はその続編として、その後に建設された社会がどのようなも
のだったのかを見てみよう。同時代のヨーロッパでは、内では30
年戦争を行い、ドイツでは人口が1/2とか、1/3になるような
悲惨な状態であった。また外に対しては、植民地収奪に明け暮れて、

 はやい話がスペイン人が現れる前には、中央アメリカの推定
人口は7千万人から9千万人はいたとされているが、私がすで
に書いたようにスペイン人の侵入のわずか一世紀後には、35
0万人に激減している。またこれも推定であるが、3千万人か
ら6千万人に及ぶ黒人奴隷がアフリカからアメリカ大陸に連れ
去られ、その三分の二が航海途上で死亡して、大西洋に捨てら
れたといわれている。[1,p243]

 西洋が内なる戦争と外への植民地化に血道をあげていた頃、江戸
日本は260年余の長い平和と繁栄の時代にあった。その差は教育
水準に歴然とあらわれる。
133 :03/07/09 16:42 ID:HScn0b0T
日本史の授業じゃ、江戸がどういう時代だったかなんて、ぜんぜんやらないんだよな。
各将軍が何やったとか、そういう歴史的事実しかやらねぇ。
こんなんじゃ、自国に誇りを(ry
134A:03/07/09 16:42 ID:x06zvMmj
■2.群を抜く教育水準■

 専門家の推定では、幕末の嘉永年間(1850年頃)での江戸で
の就学率は、70〜86%。これを以下のデータと比較してみよう。

・イギリス(1837年での大工業都市) 20〜25%
・フランス(1793年、フランス革命で初等教育を義務化・
無料化したが) 1.4%
・ソ連(1920年、モスクワ)20%

 江戸日本の教育水準がいかに群を抜いていたかが分かる。なぜこ
れだけの差がついたのか、単に物質的豊かさだけなら、産業革命に
成功し、7つの海にまたがる広大な植民地を収奪したイギリスの方
が、はるかに有利だったはずである。その秘密を探ってみよう。
135B:03/07/09 16:43 ID:x06zvMmj
■3.お師匠様はボランティア■

 当時の江戸には、1500余りの寺子屋や塾があった。幕末の全
国では、1万5千にものぼる。僧侶や神官、武家、農民などが運営
していたもので、幕府は直接的には一切、関与していなかった。こ
れらの人々が自宅などに、10人から、大きいところでは100人
程度の生徒を集め、読み書き、算術、地理、さらには、農業用語や
漢文まで教えていたという。現在で言えば、正規の小中学校がなく、
すべて町中の書道教室や学習塾のようなものだけだったと想像すれ
ば良い。

 面白いのは、たいていの塾は、武家や僧侶、農民など、他に収入
のある人達がやっているので、授業料などは生活の足し程度でしか
なかったという点だ。生徒は「お志」として、都市部では多少の金
品や菓子折り、農村部ではとれた野菜などを届ける程度であったと
いう。現在なら、年金だけで食べていける定年後のお年寄りが、地
域への奉仕として、子供達を教える、というような形である。今流
に言えば、ボランティア活動であった。

 それでは、なぜ全国で1万5千もの塾ができる程、大勢のボラン
ティアの先生がいたのだろうか。それは、先生になると、たとえ身
分は町人でも、人別帳(戸籍)には、「手跡指南」など、知的職業
人として登録され、生徒には「お師匠様」と尊称で呼ばれ、地域で
も知識人、有徳者として尊敬された。優秀なお師匠様は将軍に直接
拝謁して、お褒めの言葉をもらうこともあったという。

 お師匠様たちは物質的には豊かでなくとも、近隣の人々に感謝さ
れ、尊敬されるという精神的な価値で十分満足できたのである。

136C:03/07/09 16:43 ID:x06zvMmj
■4.理想のマン・ツー・マン教育■

 もちろん、実力や人格に問題のある先生もいたであろう。しかし、
狭い地域内に、幾人かのお師匠様がおり、生徒は自由に選べるので
ある。現在でも、町内でどこの塾が良いというようなことは、評判
ですぐ分かる。つまらない人間が金目当てに塾を開業しても、生徒
は集まらない。生徒とその親から見れば選択の自由、そして塾どう
しで見れば、競争があったのである。

 子供達は、親が見込んだ先生、それも地域で尊敬される師匠につ
いて、何年にもわたって読み書きから、専門知識まで学んでいく。
いろいろな年齢の子供達が一つの部屋で机を並べ、それぞれの進度
で、師匠の指導を受けながら学んでいく。師匠には、一人一人の子
供の個性や能力がよく見えたであろう。それぞれの生徒に応じた指
導ができたはずである。
137D:03/07/09 16:44 ID:x06zvMmj
■5.7千種もの教科書■

 お師匠様たちの教育にかける熱意は、当時の教科書に窺う事がで
きる。江戸時代に作られた教科書は、実物が残っているものだけで、
7千種類以上もある。大まかに250年で平均してみれば、年間
30種類も出ていたことになる。

 内容も、商売人、大工、農民の専門用語を教える教科書だとか、
地方独自の地理や物産、生活習慣を教える教科書だとか、いろいろ
工夫をこらした独創的なものが作られた。

 和紙は信じられないほど丈夫で、丁寧に使えば、100年は持つ
という。それで教科書を作り、師匠が生徒に貸し与えていた。習字
の紙なども、真っ黒になっても、その上から書く。新しく書いた所
は、光ってそれと分かるので、支障はなかった。

 教科書にしろ、半紙にしろ、限られた資源を最大限に活用して、
その中で、十二分に知恵と情熱を盛り込んで、教育に向かっていた
様子が窺われる。

138 :03/07/09 16:44 ID:h6uwUg8v
農民は苦しかっただろうな。
教科書のグラフでも江戸後期には一揆が急増
表面化してない騒動だけでもかずしれず

...見せしめに磔、獄門 コワイコワイ
139E:03/07/09 16:44 ID:x06zvMmj
■6.お師匠様が現代の学校を訪問したら■

 さて、江戸時代のお師匠様たちが、タイムマシンで現代の学校を
訪問したとしたら、どんな事を思うだろうか。

 まずクラス全員に一律の内容を、一律のスピードで教えていく、
というのに驚かされるだろう。一人の師匠が生徒一人一人を何年も
かけて育てていく手作り教育に比べれば、今の学校は、まさに現代
特有の大量生産工場とそっくりだと言うのではないか。ついでに、
日教組では、教師を「労働者」だと考えていることを説明すれば、
さもありなんと思うに違いない。生徒は労働者によって、規格大量
生産される製品に過ぎないのだ。

 次に、公立校の教師が皆、公務員である事も信じられないであろ
う。人口120万人の江戸の町奉行はわずか290名で、行政、警
察、裁判、消防をこなしていた。現代では何十万人という教師が皆
「お上」にぶる下がり、民から税金を巻き上げて、教育をしている
のである。民間だけでできることに、なぜ、そこまで「お上」が出
しゃばるのか、理解できないであろう。

 第三に、公立校では、生徒が学校も先生も選ぶ自由がない、とい
うのには絶句してしまうかもしれない。江戸時代では、親がこれは
と思ったお師匠様を選んで、自分の子供をつけた。それに対して、
現代の子供達は、一定の年齢になったら「お上」の決めた学校に召
集され、決められた先生に割り当てられる。どんなひどい教師でも、
文句一つ言えない。

 「現代の学校とは、知識を無理矢理詰め込むだけの養鶏所では
ないか。」お師匠様たちは、自分たちの志とはあまりにかけ離れた
未来の学校と教師の有様に、愕然とするだろう。

140F終わり:03/07/09 16:45 ID:x06zvMmj
■7.自由と競争の中での理想追求■

 中学生が担任をナイフで刺し殺す、などという事件が起こって、
生徒の持ち物検査をしようとすると、すぐに生徒の人権問題だなど
と騒ぎ立てる向きがあるが、お師匠様たちから見れば、こんな非人
間的な教育環境に生徒を放置しておいて、何が人権か、とあきれか
えるであろう。

 教育の本質は、生徒が尊敬する先生に師事して、知識だけでなく、
人間としての生き方を学ぶことだ。そのお手本となるのが、「お
上」に頼らずに自らの志に従って、教育に私財を投ずるお師匠様た
ちのボランティア精神そのものだった。

 江戸日本の教育の地球史上でも群を抜く成功をもたらしたお師匠
様達の生き方は、これからの国際派日本人にも、重要な示唆を投げ
かけている。それは「自由」、「競争」、「選択」の中で、自らの
信ずる価値の実現に志していくという生き方なのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
141 :03/07/09 16:45 ID:XaTAJLnK
>>138
お前自分の3つ上くらい読め
142 :03/07/09 16:46 ID:HScn0b0T
>>138
一揆が起こったら、支配者側でも粛清があったわけだが
143 :03/07/09 16:46 ID:UkleQIFD
>>138
表面化してないのによく知ってるな。
144 :03/07/09 16:47 ID:8woSwQfU
>>143
ナイスつっこみ。
145 :03/07/09 16:51 ID:q0+PCrj5
ウリナラ式タイムマシーンで見に言ったに違いない
モチロンその頃の半島に地上の楽園を見たとか
古朝鮮は存在したとか言い出すに違いない
146 :03/07/09 17:01 ID:yF74+N2R
>>138 が教科書で見たってのは、このグラフかな、
ttp://ww3.tiki.ne.jp/~yang/kyokasyo/kyoka.html

ちなみに江戸時代に人口が何倍に増えているのかも調べて人口比の発生率もあわせて考えてみよう
(教科書の説明文風に)
ttp://www.toushi-club.com/kansoku/i1111a.html
統計のマジックを使えば、こういう考え方もできるなあと、ふと思っただけの戯言ですけどね。
147 :03/07/09 17:04 ID:Sqs9QVyd
>>145
またの名を「カプサイシン・トリップ」という。
作家の阿川が言ってたが、唐辛子は麻薬並に飛べるらしい。
148  :03/07/09 17:09 ID:x42u+DT7
>>147
阿川弘之か?そんなこと書いてたっけ?
阿佐田哲也は、徹夜麻雀明け、饂飩にビン入りトンガラシをザラーと
開け食べると云々というくだりは、あったような気がするが。
149 :03/07/09 17:14 ID:DtrSsgdU
>>126
シュリーマンの日本旅行記に、そんなこと書いてたのを思い出しただけなんだけどね。

「入浴や水浴びを欠かさない日本人。なのに皮膚病の人間が結構いる。
なぜだろう?魚を生で食べる習慣のせいじゃなかろうか。いや、俺は専門家
じゃねぇから確かなこと言えんけどさ。」

みたいな記述があった。
150 :03/07/09 17:20 ID:B1yoOjnw
阿佐田哲也では、唐辛子で中毒になることも書いてあったな。
冬場、金がないときは、立ち食いそば屋で唐辛子をそばに思い切り掛けて
喰うと腹もはり、暖もとれる。そこで、そんな喰い方を続けていると、
そのうち唐辛子の量を増やして、定期的な口にしないと落ち着かなくなる。
あげくには、そばに山盛りの唐辛子を掛けるようになる。
その頃には、一日中、頭がボーとしてくる、という。
151 :03/07/09 17:23 ID:v1RzyBCM
>>150
まさに朝鮮人じゃん
152126:03/07/09 17:29 ID:yF74+N2R
>>149
なるほど、旅行記の記述でしたか、ちょっといい加減な観察だけど、面白いっすね。
>>150
それは、ナルコレプシーが進行していただけなんではないかと…(w
153 :03/07/09 17:32 ID:MZO5Tw9w
洩れが阿川の書いた随筆で覚えているのは 年がいってから子供ができたが、妻が産む気で困った。 佐和子は弟に対して相当なブラコン。 という話だ。 「姉、ちゃんとしようよ」な阿川佐和子をかってに想像して萌え。(どんなゲームか知らないが)
154 :03/07/09 17:34 ID:q0+PCrj5
東南アジアの方々も辛いもの好きだが
離乳食は辛いもの取らせないでココナッツとかだもんな・・・
韓国では離乳食で既にキムチ食わせてるらしいが
子供のうちにカプサイシン取り過ぎは脳の方がかなり
ヤバイくなるとは考えないのかな?

155のらミスラさん:03/07/09 17:39 ID:jzpUgpLQ
 ∧ ∧  田沼意次にかんして言えば、あの悪評って、田沼の政敵が
彡彳^iヾ  流したデマゴーグだったってゆー話もあるのー。
 ゞ ーン

  江戸中期になると、お米の生産料が増えて、平均年貢率も三割をきって、
 政府にとっては実質収入減(お米のインフレ)で、財政難になったのー。
  地方に特産品を作るよう命じたりして、お米の流通量を減らそーとしたの。
 ちなみに今の特産品の多くは、その時代に特産品を作らせた結果だったり
 するのよー。

  で、それでも税収難だから、困った田沼は、商人に意見を聞いて、貨幣の
 金含有量を減らしてインフレをおこし、米価を調整したのー。

  そうした商人たちはインサイダー取引みたいなこともやっただろーから、
 そーゆー経済政策をわからない老中が、「あやつは商人から賄賂を取っている」
 みたいな噂をながしたらしーのねー。
  その老中が金の含有率かえて、また不況になったってゆーから、
 そのせーとーかもあったみたい。
156のらミスラさん:03/07/09 17:40 ID:jzpUgpLQ
 ∧ ∧  それから、江戸時代には、だいみょーといえども、あんまりひどい
彡彳^iヾ  統治をすると、老中とかがそのだいみょーを座敷牢に入れたり、
 ゞ ーン   謹慎させたりしたのー。

  それでも改心しないようなバカ殿は、きょーせー的に隠居させたりもしたのー。
 世にゆー「お家騒動」ってのは、こーゆーことだったりするのよ。

  お家騒動はお取りつぶしなんだけど、こーゆー「悪政を懲らしめるための
 クーデター」は、幕府も実は見て見ぬふりをして、事実上、統治システムに
 組み込まれてたりしたのー。

  それから、一揆は重罪なんてのもあやしー。公訴権とゆー意味で、
 一揆は確かに法的に罰せられる行為ではあるんだけど、住民の反対で
 藩の取り決めがご破算になったことってのも結構あるのー。

  どこだったか忘れたけど、理不尽な藩のよーきゅーに、お百姓さんたちが
 反発して、「このお触れの施行は三〇〇年延ばす」みたいな証文を
 書かされたりもしてるのー。
157 :03/07/09 18:10 ID:3EFlA2Uo
このスレ詳しい人が多そうだから教えてくれ
藤沢周平の「義民がかける」って実話ですか?
158 :03/07/09 18:27 ID:yF74+N2R
>>157
天保の改革の実話を基にしたようですけど、どこまで脚色してるのか分からないので
なんともいえないっす。
ttp://www.pref.yamagata.jp/ns/kairyo/pdf/kr0004.pdf
159 :03/07/09 18:32 ID:8woSwQfU
>のらミスラさん

勉強になるっす。
AAも可愛いね。
160 :03/07/09 18:41 ID:3EFlA2Uo
>>158
ありがとうございます。事実を元にした小説だったんですね。
あんまりスケールが大きいんで完全な作り話かもと疑ってました。
161  :03/07/09 19:51 ID:FYAmt2f7
北朝鮮はともかくとして、
韓国では、藤沢周平や司馬遼太郎のような歴史小説の
ジャンルって発達しているんでしょうか?
162 :03/07/09 19:53 ID:NSna0t1T
>>161 秀吉物、日帝物はありそうだな
163 :03/07/09 19:54 ID:nrZcJvUQ
そもそも、本の出版数が日本に比べて極端に少ない
164せいら・ます・大山 ◆q.I9V7ewls :03/07/09 19:55 ID:tb0MnkpU
>>161
みんな仮想戦記になるヨカーン。
165 :03/07/09 19:56 ID:b+d5Yg+/
>>161
「百済書記」

……というのはともかくとして、この手の大衆文化が育つにはもう少し時間がいるんじゃ
ないかと思います。

李朝時代は基本的にアレですし、日本統治下時代については断罪の対象。
で、ある意味著作がそれなりに自由になったのは「民主化」以降になりますからね。
166 :03/07/09 20:02 ID:nrZcJvUQ
史実を元に書かれてるのは少ないと思うよ
そもそも、フィクションの小説の内容が逆に
史実のように定説化されてるの多いじゃない?
例として
「東郷平八郎が李舜臣を尊敬してた」
は半島ではデフォらしいです。
167161:03/07/09 20:03 ID:FYAmt2f7
皆さん、レス有難うございます。
韓国版歴史教科書を踏まえて、リアルな物語を作るのは至難の業になりそう
ですよね。
168李鳳愛 ◆MhDSJiayWI :03/07/09 20:05 ID:brfLAlo4
>>167
日本人には、難しいだろうけど、
朝鮮人は、素でやってるぞ。
169 :03/07/09 20:21 ID:3JZ5Lo3i
「サムライ、百済起源説」 http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/webzine5.htm
百済武士サウラビの精神が、日本のサムライの武士道の精神的源流であることを見せて
くれる映画が、まさに「サウラビ」(監督 ムン・ジョングム, 製作 モーニング・カー
ム・フィルム)だ。

「サウラビ」という言葉は三国時代から「戦士」を意味する純韓国語だ。「サウル」は
戦い, 戦争を意味し、「アビ」とは父, 男性, 大夫を意味する。この言葉の起源を追っ
て作った映画がまさに「サウラビ」だ
170 :03/07/09 20:22 ID:3JZ5Lo3i
(ページの下の方)
では、何故「サムライ」の起源は「サウラビ」といった根拠薄弱な説が流布されるのだ
ろうか。私の説を紹介する。ソウルオリンピックを開催したとは言っても、いまだに
知名度の低い韓国を国際的に認知させるのに、韓国独自の文化を売る必要がある。
ところが、キムチなどのわずかな例外を除いて自慢することができる独自文化がないこと
を見抜いたのだ。とにかく朝鮮は伝統的なものより中華思想が蔓延していて、中国文化
重視、独自文化軽視が続いていた。そこで、広く知られた日本の文化を韓国起源として
しまえば、すばやく自国をPRできると考えたに違いない。その上、日本の支配下に置か
れて生じた劣等感も、日本の文化はもともと韓国のものであると考えれば、解消する
ことができたのだろう。そのように考えれば映画監督のこの発言も理解することができる。

製作者兼監督のモーニング・カーム・フィルムのムン・ジョングム代表は、去る21日に
ソウルプラザホテルで製作発表会を開いて、「韓国民族の魂と精神を再照明し、韓国人が
忘れていた民族の優越性と民族の魂を覚醒させることに焦点を合せる。」と明らかにした。
このようにして英語の辞典にも載っている samuraiは標的になった。その外にも剣道、
相撲、盆栽などの伝統文化が被害を受けている。

さらに映画「サウラビ」は、割腹自殺の慣習も半島起源という説まで唱えた。「三国時代
にすでに近衛隊の武士が忠節を象徴する割腹儀式が行なわれた」と監督は説明したいよう
だ。日本文化を野蛮だと言いながら、日本文化は全て韓国起源だと称している優越感に
積み上げられた韓国人の心理は複雑だ。”
171 :03/07/09 20:22 ID:3JZ5Lo3i
        ↑ 
なんて言ってるくせに、次では開き直り、と言うか日本陰謀説。
         ↓
どれが正しくてどれが正しくないと決め付けられない歴史の一部分であるから、容易に結論
は出ないだろう。しかし、次のネチズンの文を見れば、我々が何をしなければならないのか
感じることになるはずだ。

”我々が主張することが相手方に「道理に合わない主張」に聞こえるかもしれない。
しかし、我々は絶えず研究して開発しなければ、相手方の絢爛な「道理に合わない主張」に
幻惑されて我々のものを失ってしまうかもしれない。その例をキムチと独島に探すことが
できる。当然、我々のものだと考えたが、いま日本は絶えずこれを自分ものにするために
我々が見るには話にもならない研究を怖いほどしている。サウラビがサムライの起源とい
うことは話にもならないかも知らない。これを無条件に言い張ろうというのではなく、この
話が認められることが出来るように今よりはるかに多くの研究が必要だろう。

日本の学者によって韓国文化の起源説が相当な部分正しいことが確認されているが、彼らは
これを発表しない場合もある。むしろ、ある極右派学者は永遠に立証出来ないように資料を
消滅したり、逆に操作していたりする。我々が急がないと本当に二度と様々な起源説を最終
的に証明できないだろう。”
172 :03/07/09 20:48 ID:Cf1bskWI
>>171
いつものことだが、朝鮮人は順序が常に逆だな。
おい。


173名無し:03/07/09 21:40 ID:6pJU92mk
中華思想って常に蛮族(夷荻なんかだね)との対立の中にしか存在し得ない思想だからなぁ。
中国は共産思想によって一応(表面上はといった方が適当か)は克服しているけど、
小華の国李氏朝鮮の末裔、韓国はそれさえないから、
こういう不必要な主張をしないと自我を確認できなくなるんじゃないのかな。

世界で評価されている蛮族の文化がある
      ↓
蛮族には世界で評価されるような優れた文化があるはずがないから、
きっとそれは朝鮮の文化の模倣に違いない
      ↓
残念ながらその文化の根元は蛮族によって破壊し略奪されたから立証できない゙  

もうそろそろ、古い価値観と決別しないといけないと思うんだけどね。
電波は弱くなって、つまらなくなるかも知れないけどさ(藁

174 :03/07/10 12:32 ID:XtqVMHpM
中国という国は、旧体制と新体制の戦いの後、新体制が取って代わった時、
「旧体制は極悪、だから我々正義の新体制が立ち上がったのだ」
とし、それを証拠づける為、旧体制を必要以上に貶め、史料の改竄をした。
それを普通に行っていた。
朝鮮はというともっと苛烈で、完膚無きまでに旧体制の存在を滅却せんが勢い。

日本という国は、天皇という存在の下で体制がちょこちょこ変更されるだけだから、
改竄や滅却は行われない。なんというか、身内の争い程度の認識なわけだ。
身内だからこそ、
「お宅さまのお爺さまは厳格な御仁で素晴らしかった」
と言われると、
「いやぁ、お恥ずかしい、祖父などただの頑固者でして」
みたいに謙遜してしまうんだな。
「お宅さまの息子さん、欧州のコンクールで三位をお獲りとか!」
「いやぁ、お恥ずかしい。あれほど頑張ったのに三位、まだまだですよ」

しかし謙遜の通じる相手に対して行う「謙遜」はいいけど、
謙遜の通じない相手にやらかすと、ただの「自虐」としか取られない。
その辺を鑑みて、今後日本は歴史教育と体外対策に臨むべきだと思う。
175_:03/07/10 14:03 ID:7k6gHTNf
>>164
火葬戦記の間違いでは?(lol
176 :03/07/10 14:03 ID:ftPWknEN
>>174 確かに中国にはそういう面もあったのかもしれないけど、俺の好きなエピソードに
こういうのもあるんで、そこは評価してくださいな。
ttp://jimbo.tanakanews.com/AC.No.35.html
 春秋時代の斉という国で、斉国の権臣崔杼が前548年に斉国の国王・荘公を殺した。する
と簡という史官(官名を太史という)が「崔杼、其の君を弑す」と斉国の史書に記した。
 弑する、とは目上の者を殺すことである。崔杼は怒って「荘公が臣下の妻を盗んだから
殺したのである。"弑した"のではない、"誅した"のだ」と言って書き直しを命じたが、太
史簡は「荘公は貴方の主君である。主君を殺す事を"弑する"という」といって書き直しを
拒んだので、崔杼は怒って太史簡の首を刎ねた。
 当時の太史は世襲官だったので、簡の弟が太史になり、再び「弑した」と記したので、
崔杼は弟も殺した。そうして次の弟が太史となったが、彼も同じく「崔杼、其の君を弑す
」と記した。三人目の弟も殺したが、その次の弟がまた「崔杼、其の君を弑す」と記した
時、崔杼は恐ろしくなってとうとう書き直しを諦めた。真実は歪める事ができない。正義
凛然としている。
177 :03/07/10 14:09 ID:XtqVMHpM
>>176
私は中国好きなんで、そのエピソードは知ってます。
ただ、今の中国には、悲しむべき事に、その精神はあんまりない。
178 :03/07/10 14:11 ID:XtqVMHpM
あと、ここはハングル板であり、スレタイも江戸と北朝鮮をテーマにしている。
本当に比較したかったのは、5行目の朝鮮についての1行でした。
179はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/07/10 14:12 ID:wB8hLrge
>>161
あえていうなら対隋の高句麗戦記だったら、朝鮮人もファビョらずに読めるかもしれない。
あとは……うーん。ないな。
180 :03/07/10 14:15 ID:OZVlA/A9
だから昔の大陸を「中国」って呼ぶなよ。「シナ」にしとけ。
181 :03/07/10 14:21 ID:fRurdOtB
このスレのおかげで半島なんかと違って
いかに江戸時代の日本が優れていたか分かりました。
>>1は墓穴掘るのが好きだな。
もしかして>>1はこんな効果をねらった超高度日本人釣り師?
182 ::03/07/10 14:23 ID:+yoc+QhS
>>1
日本史を知らなさすぎだ。江戸時代の日本は経済的にも
精神的にも今の北朝鮮とは比較にならない位豊かであった。
江戸時代があったからこそ現在の繁栄した日本があると言
ってもいいと思う。
183 :03/07/10 15:24 ID:XtqVMHpM
>>181みたいな意見見ると、日本史オタとしては嬉しいかぎり。
最近他板で
「日本って文明開化前は貧しくて非文明的だったんでしょ?」
と素で言うてる子がいて悲しくなった。
いろいろ説明したかったけど、板違いもはなはだしかったから遠慮したけど、
悔しかったぁ。(。´Д⊂)
184 :03/07/10 15:57 ID:QO6t5RDv
ゾマホンも一番偉いのは江戸時代の日本人だ、と言ってたな。
まぁゾマホンに言われても、あまり影響がないわけだが。
185流離いの日本人:03/07/10 16:41 ID:607SVd0n
>>185
白人に「家畜」として扱われた歴史から考えると
ゾマホン君から言わせると「天国」のようなところなのだろう

そう言えば「織田信長」が黒人を一人家臣として貰い受けたという話

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8735/page017.html#lcn010

186 :03/07/10 22:28 ID:kfqzZZGK
>>176
宮城谷昌光の「晏子」にそのくだりあった
好きなシーンの一つです
187 :03/07/10 22:44 ID:uPtyaLsl
NHKの「コメディお江戸でござる」の江戸面白ばなしってコーナーで、
今日は朝顔の栽培のことやってたよ。
江戸では朝顔の栽培が大人気で、この時代にまったくの庶民が
花を栽培して楽しむ余裕があったのは、世界中でも日本だけだったそうだ。

植木屋の中には、朝顔の新品種の開発に打ち込んだ人なんかもいて、
昔から日本人は、ほんとにこういうの好きなんだなあと思ったよ。
残念なことに、開発された珍種の朝顔は残っていないものが多いらしいけど。

こういう話聞くにつれて、どこが北朝鮮と似てるのかと。。。
188名無し:03/07/10 23:00 ID:R0VGx3vs
「数寄は身を滅ぼす」
なんて言葉があるくらいで、
昔の日本の趣味人(江戸期)の根性の入り方は尋常ではなかったようですね。
幕末期にはラベル収集のために洋酒が良い値をつけていたくらいですから、
今の北朝鮮とは比べるのが失礼ってもんです、江戸期の方に。
189 :03/07/10 23:05 ID:qrwpzcsb
>>187
いまでは朝鮮顔が大人気
190安崎上葉 ◆giKoK4gH6I :03/07/10 23:09 ID:wBWD86VC
>>1
              \    │   ハァ?     .| ./ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/
___       ___ .\   |               |/ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
|ハァ?|       |ハァ?|  \.└――──―──/ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
 ̄∩( ゚Д゚ ) 〃 ̄∩( ゚Д゚ )\  ヽ(゚Д゚ )ノ  ./ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
  ヾ.    )    ヾ.    ) \∧∧∧∧∧/ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
  | | |      │ │ |  .<     激 >.| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  /
  (__)_)    (__)_) <    ハ し >.|    (゚Д゚)ハァ?  最 中   .| ./
────────────< な  ァ  く >────────────────
|o ゝ○ノ|     ::/^'ヽヽ:::::::< 予 ?    > / ○   _ ○\   /
.ヽ( )_,,ノ      |ゝ○_ノ o|:::::< 感      >(      ││   )<  / \ ア ?
^''     `‐'   ヽ..,,_( )ノ  ::l< !!      > \    丿 |   /   \
~~   ( / ̄ ̄ヽ    -‐‐‐--l-∨∨∨∨∨.  /     ̄ ̄   \    \____
 ,,,, |  |||!|||i|||!| |   ~^'‐..,,_/  /. ____.\(            )
(:::::}| :| |ll ll !! !.| |   ,,,,  イ ~''/  Ю)__) \           /
. ~~ | :|!! || ll|| !!:| | {:::::) ::l ./   | ゚Д゚.| ハァ? . \    |    |(゚Д゚) ハァ?
.   | | !     | l  ~~  l /    ^^^^^        \.   \    \⊂)
     `ー--― 'ノ     /                  \.   )    ) |

将軍の意味も解らん奴が戯けたことを。
191:03/07/10 23:11 ID:vEgzFg3L
江戸じだいにはイッキがあった。
あそこには無いだろ・・・。
192 :03/07/10 23:15 ID:S8Fpp6Se
そもそもがさ、黒船が来た時の

太平の眠りを覚ますジョウキセン

という川柳でもわかる。
「太平」やで。
193 :03/07/10 23:18 ID:2S5H5F5B
似てるといえば、そうだなぁ。洋服普及率くらいじゃない?
民族衣装ではない、西洋服ね。
194        :03/07/10 23:18 ID:DySnLqTz
>>187
ヨーロッパのチューリップみたいなもんか。
そういや、当時のチューリップの珍種って
単なる奇形や病気だった事も多かったそうな。
195 :03/07/10 23:21 ID:ftPWknEN
>>188
趣味は身分の差を乗り越えるのか古銭の収集家で有名な大名と一庶民が、古銭(富本銭)に
書いてある文字の解釈で論争をしたとか、無頼の徒である博徒が漢詩を趣味にしていたとか、
江戸時代の趣味人の世界は奥が深いですね。
別に高尚な趣味じゃなくても、江戸時代の大食い大会の壮絶さとかも、現在の大食い番組の
比じゃないくらいですしねえ。
196 :03/07/10 23:25 ID:uPtyaLsl
>>194
そうなんだ。
でも、その新種朝顔の絵があったけど、
素晴らしいものばっかりだったよ。
八重咲きとか、菊の花そっくりのとかね。
すごい努力と財力つぎ込んだんだろうな。
こういう一種のオタク気質みたいなのって、ほんと変わらないね。
197はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/07/10 23:30 ID:hnWODLYO
>>187
ロバート・フォーチュンが「ヨーロッパでは貴族の趣味であるガーデニングを日本では
庶民が楽しんでいる!」って驚いていたからな。
198 :03/07/10 23:35 ID:VVkGDQLx
>>184-185
ゾマホンは、頭いいぞ。
東洋史(中国)専攻してて、近代化の知識も豊富だぞ。
まえにベナンを例にした教育と社会構造について日本や欧米を比較して
博士論文出してたはずだぞ。
日本の寺小屋文化などを知ってるのは当然だろう。
199 :03/07/10 23:40 ID:VVkGDQLx
>>197
イギリスだったかな?ガーデニングの大家が理想とするのは
日本の庭園だと言われるくらいだからな。 かの国みたいに
自分達からマンセーする必要が無いのが、嬉しいやら恥かしいやら。

200 :03/07/10 23:52 ID:ftPWknEN
ttp://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index60/junbi.html
>朝顔の葉の色・形、茎の形状、花の色・形、花弁の重ねを順に記述していく命名法が確立していて、
>花や葉のくせを分離し、巧みに操っていたようです。これは現在の遺伝学に通ずるところでもあり、
>驚くべきことです。
うーんすごいな。
201   :03/07/11 00:23 ID:2pqCbpJ+
浮世絵にも庶民が生活を楽しんでいる雰囲気が伝わってくるものが多いよね。
歌舞伎を見たり、落語を聞く度に、江戸庶民って随分教養とユーモアーのセンスに
溢れていたんだなあと感心させられる。

http://www.tvz.com/nishiki-e/nishiki1/nishiki15.html
"江戸の広告や出版活動を調べて行くと、当時の人々の識字率の高さに驚かされる。
専門家の推計によると、江戸での就学率(寺小屋などへ通った比率)は七割を超えていたという。
ちなみに、19世紀中頃のイギリスで約二割、フランスなどでは一割に満たなかった
とされているので江戸の水準はかなり高かったといえる。江戸時代には正式な学校組織はなく、
私塾がその役割を果たしていた。「寺小屋」とか「手習い」という文字を習う為の塾がいたる
ところにあり、子供達が5〜6歳の頃から熱心に通ったという。浮世絵の題材にも自由闊達な寺小屋の
学習風景が良く取り上げられている。さらに錦絵にも手紙を書いたり、読んだりしている情景が
あちこちに登場する。
江戸町人は「文字」に関心が高かったのである。こうした環境のもとで印刷技術(木版技法)が
ますます洗練されていったのもうなずける所である。江戸は元和元年(1615)の大阪夏の陣以来、
250年間の永きにわたって戦(いくさ)がなかった。徳川将軍家による平時の長期政権が幕末まで続いた。
まさに「憂き世」から「浮き世」へ変貌したのである。これらのことが錦絵をはじめ独特の
江戸文化形成の背景となっていた。"
202 :03/07/11 00:50 ID:fjiEqCoB
ここはハングル板ですよ、必死で北朝鮮との共通点を探すのです
多少の捏造も可
203 :03/07/11 01:05 ID:xu3dCBES
>>202
>必死で北朝鮮との共通点を探すのです
電気が通ってない。
204 :03/07/11 01:14 ID:j+ftwet4
>>202
人が住んでた。
205にてる:03/07/11 02:46 ID:/SzR4SoU
昭和15年の日本とは結構似ていると言えるのではないか。
1)米国から経済制裁をうけている、またはうけそう
2)落ちこぼれ国とだけ友好関係 日独伊三国同盟=朝中露
3)国民の言論弾圧

206ニセ水戸光国:03/07/11 04:15 ID:FXDVPOvB
釈迦に説法と申しますが、このスレの皆様は
東京江戸博物館を訪ねたことがございますかな。
今年は家康公が江戸に幕府を開いて400年目の節目ですからな、
出し物にも随分と力が入っておりますようで。
お暇な方は一度は行ってみることをお勧めしますな。
面白き事、この越後の縮緬問屋の爺が請け合いますぞ。

忙しくて、とても、と仰る方々は
かわりにここを御覧になってはいかがかな。
ttp://www.edo-tokyo-museum.or.jp/index.htm
御心配召さるな、異国の御方でも迷わぬようになっておりますゆえ。

さて、ここはハン板、江戸時代の日本と現代の北朝鮮との比較スレで
ございますからな。
これを貼らねば片手落ちというもの。
ttp://www.museum.seoul.kr/html/kor/kor.html
品書きに日本語の釦がありますゆえ、はんぐるを読めなくても
問題ありませんぞ。

江戸と較ぶるべくは本来、平壌なのでしょうが、生憎と平壌自体と
その歴史を主題として扱った博物館を見つけられませんでしたので。
謝罪はしても、賠償はできかねるといったところですかな。


時代劇風のカキコって結構マンドクセ。
207 :03/07/11 04:38 ID:tgPfcWku
国防の必要を説いた「海国兵談」程度で
著者が国政批判として、処罰投獄された
時代なんだからどうみても独裁w
徳川様のやっていることの批判に繋がる程度で
処罰・投獄されちゃいます。北の将軍様国家と似たような体質ですねw
208軍務尚書安崎元帥 ◆FDJVFGDawc :03/07/11 04:41 ID:r+zBkBzt
日本じゃ百年以上前に終わった封建体制だが、それより酷い
執政を未だに続けてる北朝鮮・・・・

偉大だ! プ
209ななし:03/07/11 04:54 ID:Ll27NGS1
どこの国でもこの当時国政批判をしたらタイ−ホされるだろう。
ちなみに日本には藩政であり、徳川の独裁ではありません。
中央集権型地方自治です。徳川の政治も親藩のとの様が交代で老中になり政治をしました。
将軍は老中が決めた事を承認するだけです。また将軍に承認する能力がなければ大老職を特別に作り将軍の代理ができました。


一番違うところは国民を餓えさせない事を目標に政治をしたことです。一揆があればその国の大名は取り潰される事もありました。
もちろん天災で食料が無く餓えた時代もありましたが、人災で餓えた事はほとんど無かったのです。
江戸は男尊女卑と言われていますがそれも間違いです。
210軍務尚書安崎元帥 ◆FDJVFGDawc :03/07/11 04:58 ID:r+zBkBzt
まぁある意味江戸期くらい平和で豊かな時代も無かったわな。
性的にもあんだけ大らかな時代はもう二度とあるまいw
211 :03/07/11 05:01 ID:DQD1qf6s
>>207
北にみならず、南ですらその戦略書を上梓することすら
出来無い無知な民族から棄てられた民があなたですか?
そういえば、北では無いですがたかが親日サイト程度で
高校生が逮捕されてしまうなんていう国がありますが、
民主主義の国でそんな言論統制をする国があるなんて
信じがたいですね。
ね、>>207さん。
212 :03/07/11 05:02 ID:DQD1qf6s
>>209
これですか?

純理論的には日本政府は天皇によって代表されていた。
天皇は各大名に地方統治を委任しており、
それらの大名の中で最も有力なのが徳川家であるにすぎない
――ということになる。
 しかしながら、それは法理論上にのみ存在した虚構である。
「徳川藩」は日本全体の石高の4分の1を占めており、
実際的には「徳川藩」が日本政府の機能を果たしていた。
213 :03/07/11 07:34 ID:bJh6Vwfs
>202
>ここはハングル板ですよ、必死で北朝鮮との共通点を探すのです

がんがって探してみたが・・・

国民の国外への旅行が事実上禁止されている。

くらいしか共通点がなかった。

同時代で、もっとも豊かで、もっとも平和で、文化的にも発達していた江戸時代の日本と
同時代で、もっとも貧しく、もっとも悲惨で、文化のまるでない北朝鮮では、
共通項を探すのは難しすぎる。

先生、もうちょっと簡単なお題をくださひ(泣
214 :03/07/11 09:31 ID:D/pM0nu6
>しかしながら、それは法理論上にのみ存在した虚構である。
>「徳川藩」は日本全体の石高の4分の1を占めており、
>実際的には「徳川藩」が日本政府の機能を果たしていた。

補足すると、

しかしながら、それでも開国にあたり、徳川家は京都の天皇にお伺いを立てなければ
ならなかったわけで、天皇を無視する事は、日本国民を敵に回し、自らを朝敵の
位置づけにする事であった。日本の長い歴史の中で、天皇に刃向かった「朝敵」が
人心を得られたことはなく、必ず滅亡する不文律があった。
215 :03/07/11 10:01 ID:D/pM0nu6
付け加える。

どこの国の人間でも、宗教とは別に、自分の先祖や家系に対する敬意はあるはず。
日本人は宗教に関して接そうがないと言われているが、それは誤解だ。
日本人は仏教やキリスト教の云々を語る以前に、空気のように当たり前に
先祖崇拝をしている。なにしろ、日本人にとっての天皇家とは、大和民族の本家であり、
我々はその分家と考えて間違いない。
古事記に登場する八百万の神々は、「神」の名を借りた、我々の先祖であったの
だろう。多神教の歴史を持つ多くの民族と同様に。
先祖崇拝、あるいは本家を尊ぶ大和民族の心象から存続されたのが天皇家であり、
現に天皇家は、日本神道の最高神主の立場にある。

では何故天皇家は他の民族のように滅亡せず、その地位を保ってこられたのか。
これには持統天皇の時代が関係している。

持統天皇は骨肉の争いである壬申の乱を体験した。
これは持統にとっては弟に当たる弘文天皇と、夫に当たる天武天皇の争いであった。
また、その後、持統の息子の代にも皇位継承争いが起こり、その孫の時代にも同様の
ことが起こったのだ。
天皇は天皇の器に相応しい者が継ぐ、そういう風潮が天皇家を脅かそうとしていた。
(能力主義を続けていたら、天皇家は早期に滅亡していたろう)

そうして持統天皇は藤原不比等の協力の下、天皇にその「器」、「能力」がなくても
皇位を継げるよう、律令に定めたのである。
そしてこの律には穴があった。
天皇は「器」「能力」とは無関係に継げる分、周囲の群臣が力を持つことになる。
悪く言えば傀儡である。

以来1300年、天皇家が絶対権力を握った事など全くない。
216 :03/07/11 10:08 ID:D/pM0nu6
「傀儡」といえども日本はやはり少し他国と違う。
天皇を傀儡として使う筈の有力群臣が、しかしあまりにも天皇にその徳がないと、
天皇位辞退や、引退を勧めたりするのである。

「器」「能力」がなくてもいいというのは、あくまで
「天皇が幼児でも、血筋さえ確かならば皇位を継げる」
ためにであり、本気でどうしようもない性質の者は排除されたのである。

他国では、群臣が権力を持つ為には「王」に据えるのはバカならばバカなほどよく、
自らの利益の為ならば、国家の身代が倒れる事も気にしない。
そういう権力者が多い中、日本の天皇家はそうはならなかった。

天皇はあくまで国民の模範となるべきであり、
周囲で権力を持つ群臣も、例え瞑目にしろ、天皇家の補佐として恥ずかしくない
振る舞いを要求されたのだ。
217名無し:03/07/11 12:18 ID:PRJC1TI2
日本の天皇制の特徴は
栄爵を与える権利を保持しているが、
懲罰権を持ったことがないということじゃないかな?
ふつうの君主とは違い、法王に近い機能と考えた方がよいかも。
これは、実力のある家臣の隠れ蓑という主目的のほかに、
まれにみる政治的安定志向を日本という国にもたらしたという副産物があると思う。

たしか、将軍様の御父君金日成氏は日本の天皇制をモデルに、
自家を神格化している、と聞いたことがある。

しかしなぁ、日本の歴史の中で異質な明治天皇制をモデルに、
しかも劣化コピーしているんだから、救いようがないすね。
218 :03/07/11 13:53 ID:sPrBwJgm
>懲罰権を持ったことがないということじゃないかな?

なにしろ統治期間が長いから一慨には言えないけどな。
律令には死刑制度があるのに、
嵯峨天皇(だっけな?)の胸先三寸で死刑が行われず、
そのまま先例化して、数百年状態維持だったわけだし。
219山崎 渉:03/07/12 09:23 ID:gadRhocs

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
220*:03/07/13 18:21 ID:oTxAdyJR
モデルにしたのは、李氏朝鮮 では?
221_:03/07/14 11:47 ID:9peYVmHe
今の北朝鮮と李氏朝鮮末期とでは、国としてどっちがマトモなの?
222/:03/07/14 16:09 ID:viU6mQMM
江戸時代の日本と今の韓国ならどっちがいいだろうなぁ
223 :03/07/14 16:11 ID:pXPN9F5r
>>221
すげぇ難問だ…
議会のマトモさを買って末期の李氏朝鮮に1票。

>>222
確実に江戸。(都市部限定比較)
224 :03/07/14 16:18 ID:G6UReRSZ
>>221-222
ジョークスレで活用できそうな難問だな。
225 :03/07/14 16:24 ID:LjpMBQqi
>>222
何か、既視感が・・・・。
前にそんなスレなかったっけ?
226 :03/07/14 16:58 ID:AvG6IlQ1
>>217
>日本の天皇制の特徴は
> 栄爵を与える権利を保持しているが、
> 懲罰権を持ったことがないということじゃないかな?

いや、単純に立憲君主もしくはそれに順ずる政体でいいんでは?
実態権限が天皇になく、権威と権限を分離していることはかなり時代に先駆けていると思う。

また幕府も、日本式封建制度の適用というかたちで、中世欧州とは異なり、将軍家は諸藩大名
と、土地、軍隊を仲立ちとする封建関係を結んでいた。中世欧州は土地、人民、軍隊を仲立ち
とする封建制度なんだよね。(すごい乱暴な言い方だけど、間違ってはない)
227 :03/07/14 17:01 ID:vT7xMZjE
ローマ教皇は配下の教会に対する懲罰権を持ってるだろうが。
叙任権闘争をしらんのか。
228 :03/07/14 17:06 ID:0tt79tzZ
だれか詳しい人は、江戸時代日本の鎖国の理由知ってる人いますか?

江戸時代に鎖国した理由って、やっぱ昔の人も隣の国とは関わりたくなかった
からだと思うのは、俺だけか?
西洋文化はある程度距離を置いていたとしても積極的に知ろうとしてたし、、、
229山本六平 ◆bsViUL4o4k :03/07/14 17:19 ID:qDEOe1oL
>>228
歴史の見方にもよりますが、ある意味で鎖国なんてしていないのです。付き
合う国を限定し、それで何も不便は無かったのです。鎖国以前にはポルトガ
ルやスペインの船も日本に来ていましたが、当時の両国は言わば世界帝国。
そんな強大な国でさえ、日本が鎖国を宣言すると引き下がった。実は当時の
日本は、戦国時代を経て物凄い軍事大国であり、しかも経済的に発展してい
た地域でもあったのです。
長崎の出島でのオランダ人の扱いは「惨め」そのもので、例えば娼婦でも清
国人には美人が割り当てられ、オランダ人にはブスが割り当てられた。しか
もオランダは国際情勢などの情報を幕府に提出する義務もあったし、国と国
との交流と言う点では、日本が上位に立っていたのです。幕末に立場が逆転
して日本は開国したのですが、その時にオランダは英仏などから「日本に屈
辱外交をしていた」と、非難されていたのを知らない日本人も多い・・・
230ぬふふん:03/07/14 17:22 ID:/KpIXemV
まあオランダは、九日間の戦闘で日本軍に降伏するヘタレだしね。
231山本六平 ◆bsViUL4o4k :03/07/14 17:25 ID:qDEOe1oL
>>230
確か当時の日本陸軍の将軍がオランダ軍を評し、「こんな弱い軍隊、
見たことが無い」と言ってました。本当の話。
232 :03/07/14 17:32 ID:YY8EB5oQ
江戸時代って、知れば知るほど面白そうな時代だなぁ。
233 :03/07/14 17:33 ID:cGMWgxJN
そんなオランダですら世界帝国と呼ばれる時代があった・・・
韓国は?大朝鮮帝国ですか?

234 :03/07/14 18:04 ID:7XCb3f2l
江戸時代と当時の朝鮮は似てないけどね

ttp://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/edototyousenn.html
ホント日本人で良かった(ww
235ペルリ:03/07/14 18:14 ID:YAv3i7Xw
「アメリカ合衆国のイリュージョン」

米国が演じる舞台にとって、日本は最も歓迎すべき観客であり、
北朝鮮は最も警戒すべき同業者だ。
236 :03/07/14 19:12 ID:pXPN9F5r
>>232
江戸時代じゃないけど、信長の海軍はスペインの無敵艦隊より強かったって説もあるよ。
無敵艦隊が言う程のものでなかったらしいのだが。

明智に討たれなければ世界を強奪していたやも知れぬ。
237 :03/07/14 20:03 ID:7XCb3f2l
てか江戸って当時のローマの3倍くらい大きかったわけよ
凄い繁栄してたわけよ
北朝鮮は・・・・・・わけよ
238 :03/07/14 20:11 ID:SGS/jixi
世界最初の鉄製艦隊を率いた織田信長
239:03/07/14 20:25 ID:yMFN6LNX
>>228
基本的なことは学校で習わなかったか?一番の問題はキリスト教でしょ?

当時のポルトガルやスペインの商人は通商だけでなく、キリスト教の普及にも大きな役目を負っていた。
織田信長は禁止しなかったが、豊臣秀吉が1587年バテレン(伴天連)追放令をだし、1612には
徳川幕府も改めて禁教令をだしている。それほどキリスト教が危険視されていたわけだ。
そこに、島原の乱(1637年―1638)がおこった。キリシタンに恐怖した幕府は、乱直後の1639年にポルトガル
との通商を禁止。鎖国につながった。
240 :03/07/14 20:33 ID:a23aUvQn
>>232
歴史好き(時代小説好きでも可)が増えてくれるなら、この史上最悪ともいえる糞スレにも
存在意義があったといえるのではないだろうか。
>>227
日本版叙任権闘争ともいえる紫衣事件では、正反対の結末に終わってますから、
確かに、同じようなものとするのは変かも。
カノッサの屈辱とか見ても分かるように、むしろ教皇の方が生臭い。
241 :03/07/14 21:50 ID:LjpMBQqi
百聞は一見に如かずです。
江戸と北朝鮮を見比べて見ましょう。
お勧め観光コースです。
夏休み、東京にいらっしゃる方はぜひ。

江戸東京博物館(両国)→ シーバスで隅田川下りをしながらお台場へ移動
→ 船の科学館で北朝鮮の工作船を見学 → お台場か汐留で遊ぶ

>>1が、いかに妄言はいてるか実感できます。
ついでに日本に生まれたことに心から感謝できるでしょう。
242怪鳥音 ◆K1z/mB9tDA :03/07/14 21:52 ID:V82U7gme
とりあえず何百年も前の日本と現代の北朝鮮を比べることの
ナンセンスさを学んで欲しい。
243開明獣 ◆GBozFwX4Z6 :03/07/14 22:56 ID:6rNNCCL+
>>17
>じゃあ北でも天一坊事件や大塩の乱、天草四郎の転生に
                 ↑↑↑↑↑↑↑↑
って、何だよ。笑ったぞ。
244   :03/07/14 23:02 ID:9wRsrHCc
鎖国によって、日本固有の工芸や芸能の発展が促された面があると思うのですが、
現代の北朝鮮で、独創的な何かが生み出されている気配ってあるのでしょうか?
245スーパー正日君:03/07/14 23:04 ID:vYFmkQhv
>>244
新しいウンコの食べ方とか
246 :03/07/14 23:12 ID:opuKmSYD
>>244 律動体操
247 :03/07/14 23:12 ID:qskt4/pA
イモ米だろ
248:03/07/14 23:17 ID:U6fLhFo9
>>244
独創的ななにか?
律動体操があるではないか!

江頭がわざわざ北の学校に律動体操しに行ったが、むこうの生徒は全員完璧に
踊ったらしいぞ。逆に江頭は1番しか覚えていなくて・・・・
249  :03/07/14 23:31 ID:9wRsrHCc
律動体操、人気ですねぇ。
喜び組のダンスより独創性は確かに上。
独創的かどうかは別として、
マスゲームは世界でも結構高い水準にありそうですね。
でも、江戸時代とは結びつきそうもない。
250 :03/07/14 23:53 ID:3RKAsShu
あの国って水車も作れなかったってマジ?
251 :03/07/15 00:23 ID:dRV5XMBB
>>250
竜骨車を半島では百数十年前まで現役で使ってたよ
1000年前の技術なんだけどね
252山崎 渉:03/07/15 13:46 ID:aFUrBq1F

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
253邪魔崎渉:03/07/15 14:57 ID:20RKJTpA
     ∧_∧
ピュ.ー <ヽ ^^ > <これからもウリを応援して下さいニダ<^^>。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      邪魔崎渉
254名無しさん:03/07/15 23:02 ID:Qt6gXYMN
江戸時代の奥羽地方では
飢饉の時「十里四方動くモノなし」と言う記録が残っているのだが
今の北朝鮮もそうなっているのかな?
255異倭猿:03/07/15 23:05 ID:KNG4VVzH

似てますね。
256 :03/07/15 23:06 ID:vqNbQuPr
江戸時代からずっと生きてる人がいるスレはここでうすか?
257  :03/07/16 00:25 ID:nCNGuR7N
最近、「江戸時代は従来考えられているより豊かだった」
という内容の教育書(教師用の生徒への教え方の本)が発売されたよ。
題名は覚えてない。スマソ。
その出版社は教育書の最大手で、去年もプロジェクトXを題材にして
日本の誇りを教える、みたいな本が出てた。
教育界も変わりつつあるから、若手の教師に期待age
ま、一方で南京大虐殺の電波本もでてるけどね。
258:03/07/16 00:30 ID:5l5O74Pp
日教組は階級闘争史観で全てを説明しようとした気違い集団だからな。
奴等に取っては江戸時代も李氏朝鮮も同等に見えたのダロウ
259スレッガー:03/07/16 00:37 ID:2UQ8FB0c
>>249
全く関係ないが、江頭が北を訪れていた同時期、イラク戦争前のバグダッドでは
ジャーナリスト御用達のパレスチナホテルに、大川元総裁が滞在中だった。
その時、ホテルのロビーにいた大川元総裁に呼び出しがかかった。

「金正日様から大川様へお電話が来ております。」

世界中のジャーナリストで溢れていたロビーは、一気に騒然となったという・・・・。
江頭は北から将軍様の名前を使って電話をしたのだった。
全く無事に帰れてよかったなと。
260名古屋の:03/07/16 10:13 ID:DZWYe7R8
中京テレビにも将軍様がおられるので北朝鮮みたいだな
261:03/07/16 10:14 ID:CV8qJh7j
エスエイジーイーーSAGE〜〜
エスエイジーイーーSAGE〜〜
在日野郎は通名〜〜
公表してねぇえ〜〜〜〜
262いつもの名無しさん:03/07/16 10:25 ID:IDecejyj
>>261
エヌアイディーエーNIDA〜〜

の方がいいと思う。いや、それだけなんだが。
263・。・:03/07/16 10:26 ID:gQeQJtkJ
>>209
>どこの国でもこの当時国政批判をしたらタイ−ホされるだろう。■3.わが身の災難を顧みず■

 名君と呼ばれた徳川吉宗の享保改革が軌道に乗り始めた頃、
吉宗自身の始めた目安箱(現在の投書箱)に、山下幸内という
浪人者が一通の投書を行った。その上書は、全文、吉宗の改革
の諸政策を徹底的に批判する内容のものであった。

 その倹約政策を「しみったれたもので、天下を治める為政者
のなすことにあらず」と断じ、吉宗の鷹狩り好きに対しては
「いたずらに民を酷使するのみで無益である」と指弾した。

 吉宗が老中以下の主だった役人を集めて、この上書を見せる
と、彼らは「無礼きわまる」と怒りの色をあらわにした。とこ
ろが、吉宗本人は「今の世にもなかなか面白いことを言う者が
おるではないか」と言った。そして、この書を評して、

 この書面のごときは、いかにも無礼の極みではあろうが、
わが身の災難を顧みず、政治の是非得失を直言してくれる
のは、天下の政道のためには貴重なことだ。もしこのよう
な者を無礼であるという理由で処罰するならば、世人はも
はや物を言わなくなってしまうであろう。それこそが、幕
府の政治にとって取り返しのつかない損失となってしまう
のである。

 吉宗はこう述べて、山内幸内に褒美銀を与えて、その直諫の
志を褒め称えたのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog256.html

264ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 16:17 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
265 :03/07/16 16:19 ID:zkzdVdMV
江戸時代の人に失礼だ!
266チョソキラーXX ◆2vxwJyKU06 :03/07/16 16:22 ID:/4n7jE9H
>>1
氏ね。

200年以上も大規模な戦乱の無い「平和国家」を築いた徳川幕府の功績を無視するつもりか?
267第七法則??:03/07/16 16:22 ID:2y9IuJ5w
>>1
早く削除依頼出しなよ。
268ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 16:29 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する− 
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
269こるこるもあ:03/07/16 16:34 ID:mcYwwvDq
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY さんは何をしたいのか?
270ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 16:43 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
ttp://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
271 :03/07/16 16:44 ID:juH2qMgn
江戸時代の日本が一部の国としか国交を持たなかった上、幕藩体制
だったことの最大のデメリットが、飢饉の時の食糧問題。
東北地方で飢饉が起きても、江戸では大食い大会が行われてたり
海外から輸入すれば問題解決はずの飢饉も起きた
でも、北と違って自力で何とかしたけどね。
272ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 17:13 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−  
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
ttp://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
273ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 17:27 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−   
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
ttp://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
274ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 17:41 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−    
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
ttp://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
27599:03/07/16 17:47 ID:vsptRejn
>271

江戸時代における飢饉は天災の側面のほうが強い。
実際に飢饉前後の気温は平年よりもかなり低かったことは
かなり前から指摘されている。

確かに貿易等で解決できるという意見もあるが、
当時の航海水準では飢饉を完全に解決できるだけの食糧の輸入は不可能。
276ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 17:53 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
277ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 18:05 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する− 
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
278ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 18:17 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−  
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
279ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 18:29 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−   
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
280ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 18:40 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−    
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
281 :03/07/16 18:45 ID:M3E+NSrB
懐かしい手法の荒らしだな・・・
282ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 18:52 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−     
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
283 :03/07/16 18:55 ID:M3E+NSrB
2行目が泣かせるな。
スペース入れるのも大変だろ(w
284 :03/07/16 18:56 ID:M3E+NSrB
すまんすまん、一行目のスペースで連投規制を免れているな。
懐かしいのう・・・
285ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 19:03 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−      
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
286ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/07/16 19:15 ID:PZNsknxO
−強い者が、弱い者を支配する−       
それは生命を守る上で、仕方の無いことだ。
しかし最も強いハズのアメリカは、かつての戦争で沖縄人を崖に追い込んだように、日本にも政治的圧力を掛けてきている。
今や保護されるべき日本国民でさえ、その自殺率は世界トップである。
最後に、この世で最も強い力は、「愛」であると信じている。
その信念の力のみが、琉球民族の存亡の危機と、巨悪な支配から逃れることを許されるのだ。
http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html
287雑木林 ◆f05Y.GvRII :03/07/16 21:27 ID:o05dE9/2
NHKでシーボルトの見た江戸やっとるゾ。
288 :03/07/16 21:31 ID:0OEEzKLK
>>263
同じことを共産中国の毛沢東が「百家鳴放」と称して革命後の中国でやっ
たんだよね。
何を言っても構わない、自由な意見を中華人民共和国政府に上申せよとね。
政府批判、要人への非難そりゃ色々意見は出たさ。
でも数カ月後、中国共産党の言論界、知識人への大弾圧が始まったのさ。
本当は、毛沢東は知識人という奴らが大嫌いだった。毛沢東は頭が良くて
勉強も好きで図書館の司書をやっていたくらいだったが、大学には行けなかった。
だから、大学出のインテリを本当は殺しても飽き足らない奴らと憎んでいた。
そして、自分の本音を隠して罠を仕掛けたんだね。
知識人の自由な意見には、中傷もあったが、本当に有益な意見もあった。
ソ連と手を切り、自由主義の米国や日本と結ぼうという意見もあったくらいだ。
だが共産中国はそれを採用することは出来なかった。意見を出した人々を
弾圧して獄中に叩き込んだんだからね。


289保守:03/07/23 07:33 ID:q4aH99iq
あげ
290-:03/07/23 08:47 ID:0euuzC3C
100年前以上の江戸時代と現在の北朝鮮を比較することに恥と感じない
精神感覚が理解できない。おそらく今日本が江戸時代でも北朝鮮の国民は
江戸時代に亡命するかもね。
恥ずかしいという言葉が辞書にないのですか?
291七七七:03/07/23 08:57 ID:cb4SDtVW
>>290 恥と言う言葉が半島にもしあるとすれば
今ごろ従軍慰安婦などと言う婆どもはいないはず
けさもぶさまに控訴審敗訴のニュースで恥を晒していましたけど
しかし、相も変わらずアホな判事は多いな 
292:03/07/23 11:25 ID:c855O700
>>290
個人的には、どっかに江戸時代の日本があるなら、今すぐ移住したいぞ。
生魚が食える海沿いの村希望。
293 :03/07/23 14:21 ID:bIy0LHHe
>>292
行くなら幕府の直轄地、いわゆる天領がいいよ。
各藩の領地内では、幕府から疑いがかかるのをおそれて
賭博などの違法行為に対する取り締まりが厳しかったり、
藩の台所事情で年貢が高かったりと、何かと不自由があったが
天領ではかなり生活全般が自由にやっていけたそうだ。
294 :03/07/24 01:45 ID:H0rWuvQk
>>290
産業革命以前の世界で、屈指の農業生産力と手工業の技術を誇った
江戸時代の日本をなめていませんか?

どう考えても、江戸日本>>北朝鮮でつ。

100年前どころか300年前の日本にさえ、北朝鮮は勝てません。
少なくとも、庶民文化、農業生産力、生活水準、治安、民度で江戸の圧勝です。

>>292
旅行や別宅で滞在するなら江戸時代は最高でしょうが・・・
マンガと2chなしで生きていけないおいらには、江戸時代に定住はむりっす。
295-:03/07/24 14:37 ID:qVkgio49
290より>>294

まったくその通り、失礼致しました。
296 :03/07/24 17:15 ID:9TztHDxJ
>>1
なによりも江戸時代最後の将軍様は内戦とそれに突けこんだ外国の侵略を防ぐために
自ら政権を放棄して謹慎したんだぞ。どこかの国の将軍様とは大違いだ。
297 :03/07/24 17:22 ID:5CepchzS
>>294
 肥溜め汲み取りのにおいと身分制度さえなければ天国ですね。
298_:03/07/24 17:27 ID:7U85tmLR
>>297
はぁ?
ベルサイユ宮殿にでも逝け(w
299 :03/07/24 17:29 ID:Q2ZP/jFA
>肥溜め汲み取りのにおいと身分制度さえなければ天国ですね。

北の事?
300 :03/07/24 17:33 ID:Jec+bknS
>>297
まぁ、李氏朝鮮に肥溜めは無いわな
糞尿を道路にばら撒いてたんだから。。。
301 :03/07/24 17:33 ID:kEYW9FIo
>>297
ああ、現代だと「リサイクル」って言葉が当てはまるんだけど、
297には難しい概念&言葉だったかな?

302_:03/07/24 17:33 ID:jiTFWOMP
303 :03/07/24 17:34 ID:Jec+bknS
あ、北朝鮮か。
糞尿は大切な資源で、生産量が決まってるんだっけ?
304_:03/07/24 17:34 ID:HA1XnZ6O
>>293
駿府がそう。
大御所隠居の地のため甘やかされた。
400年後の今でも静岡の人間は
苦労知らずのボンボン的性格を受け継いでいる。
305 :03/07/24 17:35 ID:5CepchzS
>>298

 きわめて真っ当なことを言ったつもりだけど。
 フランスマンセーじゃないですがなにか?下水道が発達する前のヨーロッパのなんてもっとひどいでしょうに。

306 :03/07/24 17:36 ID:5CepchzS
>>301
おい、知ってるよそのくらい。

307 :03/07/24 17:38 ID:5CepchzS
>>299

>>300
当時の日本は清潔なほうですよ。ただあのにおいは外人にはたまらなかったようです。
308 :03/07/24 17:39 ID:kEYW9FIo
>>306
ん?
江戸の町中では、肥溜めのニオイが酷い。
と言いたかったんだろ?ID:5CepchzSは。
違うのか?
309puku:03/07/24 17:40 ID:lD+1mbex
いちちち言い合いすてんなヴぉけw つか言葉もちっと多くしたら? 
310 :03/07/24 17:41 ID:5CepchzS
>>308
ちがう。肥溜め回収のにおい。臭いのはあたりまえだろ。

311スレッガー:03/07/24 17:43 ID:d+YlnN9H
ま、糞の臭いは今よりは凄いはず。肥えを撒く時期になるともっと凄かっただろうな。

翻って江戸時代の人間が今の時代にタイムスリップしてきたとすると、
あまりの空気の悪さに卒倒したりしそう。

人間の体には今の時代の方が絶対に悪いと思うぞ。
312 :03/07/24 17:46 ID:MHmX156P
>>310
まぁそうだけど
それでも欧州の糞尿垂れ流しで疫病が流行したとこを見ると
衛星環境はよかったんだろうね。
ちなみに毎日乗馬クラブに通ってみてください。
すぐに糞のにおいはなれます。まぁ馬牛の糞の臭いはあまり強烈ではないですけど。
オレは末期では糞手づかみとか平気でした(w
つーことで毎日かんでれば臭いのもあまり感じなくなるのでは?
313 :03/07/24 17:54 ID:5CepchzS
>>311
実家のほうでは近年までやってたところもあったんで自分は肥溜めがどんな匂いか知ってる。

  米は今のほうがうまいかも。
  神社とかの神饌米をもらって食べたことがあるけど不味かった。


>>312
そうですねぇ。ガキのころを思い出すとそうだったかも。でも肥を撒くときはたまらなかったな(^^;。

  欧州はそのかわり下水道が発達したんでしょうけどねぇ。実家のほうは処理施設の建設の
 反対運動のせいでいまだに浄化槽ですわ。
31410代目:03/07/24 19:03 ID:tD1ZKuJA
>>228
幕府による貿易の独占と、キリスト教の阻止が理由だと習いました。鎖国と言っても
中国やオランダと相当額の貿易が行われていました。
>>257
藩による違いは大きかったそうですが、豊かな藩では、生産技術が江戸時代水準
だった(当然だが)にもかかわらず、大飢饉でも起きない限り領民が飢えることは
なかったそうです。大飢饉の場合、鉄道もなく、大型貨物船も少ない江戸時代には
どちみち十分な食料の供給は困難だったでしょう。それでもほとんど餓死者を出さ
ずに乗り切った藩もあるので、自称「共和国」と比べるのは無茶かと。
>>294
漫画に相当する大衆文学は存在しましたが、インターネットは無理ですね。
315 :03/07/24 19:54 ID:7hzLTXto
>>294
>江戸日本>>北朝鮮でつ。
「越えられない壁」が抜けてる。
316 :03/07/24 22:56 ID:F9z35CGN
>>297
でも産業革命後でもたとえばテムズ川なんか糞尿も一緒に流してましたしね。

江戸時代の隅田川では、物見の船で茶を沸かす時は川の水を
汲んで沸かしたといいます。飲める水が東京湾近くの川を流れていた
ということですよね。

身分制度は、制度の最上級に属す武士が一番貧乏し、最下級の
商人が一番金を持っていたということや、江戸の町民は無税であったと
いうことや、搾取されていたと学校で習ったはずの農民が、実際は苛斂誅求も
ほとんどなく、幸せに暮らしていたとか、そういう事実がかなり明らかに
なってきていますね。

一番恐いのは流行り病い。これさえなければ、すぐにでも江戸時代に行きたいっす。
317 :03/07/24 23:21 ID:3D8mNIut
21世紀の国と思えない北朝鮮金豚帝国と江戸時代の封建領は比べることも出来ないぞ。
片や「民主主義」「共和国」を称しながら、自由選挙も出来ず、身分制度さえある。
ところが江戸時代の各封建領には、身分制度はあっても、移動の自由、身分の異動さえ
可能だったし、お救い米、高齢者への顕彰制度と福祉制度さえ整っていた藩もあった。
なにより、為政者が「嘘大好き」と「嘘大嫌い」という違いが三百年の時間以上の差を
超えた差になっている。
318* :03/07/25 15:31 ID:MGvZX4Ey
イザベラ・バードの「朝鮮紀行」を読んだけど
「コメディお江戸でござる」の朝鮮版はできないな。
不潔と腐敗だらけ。
319 :03/07/25 20:28 ID:/5BPfz/a
北朝鮮は奴隷制の専制主義国家

比較するなら奈良時代の日本だよ
320 :03/07/26 00:11 ID:vAAJ/eN8
>>318
>「コメディお江戸でござる」の朝鮮版はできないな
あそこは「コメディ朝鮮人ニダ」を生放送でやっているじゃないか。
321 :03/07/26 00:26 ID:q73QcJ5Q

>身分制度は、制度の最上級に属す武士が一番貧乏し、最下級の
>商人が一番金を持っていたということや、江戸の町民は無税であったと
>いうことや、搾取されていたと学校で習ったはずの農民が、実際は苛斂誅求も
>ほとんどなく、幸せに暮らしていたとか、そういう事実がかなり明らかに
>なってきていますね。

 そういうことが言いたいんじゃないんだけどなぁ・・・。
まあ、いいか・・・。
322 :03/07/26 01:03 ID:5LQSwXau
>>316
南朝鮮では21世紀でも水道水が飲めませんがなにか?(藁

>一番恐いのは流行り病い。これさえなければ、すぐにでも江戸時代に行きたいっす。
一番怖いのは退屈だと思うけどなぁ。
江戸は同時代の世界で比べれば、ずば抜けて文化的で、娯楽にあふれているけれど、
人類史上娯楽の最高峰の一角を間違いなく占めている現代日本と比べると・・・

釣りやハイキングが趣味なら問題ないかもしれませんが、それ以外のものが趣味の人では
刺激に餓えてしまう可能性が少なからずあります。

なお意外と流行り病は少なかったように記憶しています。
まぁ、江戸わずらいの脚気と幕末のコロリを除けばの話になりますが。
323 :03/07/26 10:15 ID:D97fBDDA
まあ江戸時代の日本に似ているのは今の日本でしょう。

北朝鮮が似てるのは…

「 一 九 九 × 年 、 世 界 は 核 の 炎 に つ つ ま れ た !!

 海 は 枯 れ 、 地 は 裂 け ・・・・・・・・・・

 あ ら ゆ る 生 命 体 が 絶 滅 し た か に 見 え た ・・・・・

 だ が ・・・・・・・・・・

 人 類 は 死 滅 し て い な か っ た !!

 世 は 再 び 暴 力 が 支 配 す る 時 代 に な っ て い た」

という、

全面核戦争後の東京になら

        そ   っ   く   り   で   す   。
324名無し:03/07/26 17:57 ID:0lSZdP0E
>>318
> イザベラ・バードの「朝鮮紀行」を読んだけど

おいらも先週読了した、おもしろかった。

> 「コメディお江戸でござる」の朝鮮版はできないな。
> 不潔と腐敗だらけ。

大丈夫 理想的な時代に捏造されるから(藁
325Chun名無し ◆8rKRJPkXQ2 :03/07/26 18:01 ID:bx+eDlPy
>>318
購入済み。っても少ししか読んでないけれど、歴史好きには
たまらんです。こういう外国人の視点で描かれてるのって
面白いですなあ。
326:03/07/26 18:06 ID:yJzsMzs3
南朝鮮は普通に日帝統治前までは
 奈 良 時 代 の 水 準 だったのですが。
あの芥川の「羅生門」状態の奴w

歴史の過程として封建時代とかの近代をすっとばして
中世から急に科学技術と人権思想の民主主義かよw
どおりで彼等の言う「民度」が低いまくりなわけだよね。
日本でも奈良時代では確かに人をだましては死体から服をはいだり
犯罪は何でもアリだったもんね。
まぁ1400年以上前のことだけどね
327 :03/07/26 18:06 ID:Kq+mu5S3
タイトル「コメディお穢土ごすみだ」

しかし、李朝でコメディが成立するのか?
全部悲劇になりそうだ。
328 :03/07/26 22:48 ID:hlA+TPba
韓国は経済・政治体制共に第二次世界大戦突入時の日本。
北朝鮮は敗戦直前の日本って感じかな?
どちらにしろ、歴史上のある時点での日本の劣化コピーなんだよなぁ。
329 :03/07/26 23:20 ID:FiJJW8h3
>>327
李朝の民話には、ホーリー・フール(聖なる愚者)がいないんだよね。
日本の民話で言えば、吉四六さん、曾呂利新左衛門、一休さんなどに相当する
権力者を知恵でやり込めながらも、恨みを買わないコミカルな役どころ。
民話を考え出し、語り継ぐような教養人は、朝鮮ではみな科挙で人生すり減らし
ていたわけだ。
330 :03/07/27 02:57 ID:wWcMTMyV
>>328
朝鮮人はwholly foolですが何か?
331:03/07/29 12:37 ID:dPCmYbSj
19世紀の朝鮮半島と奈良時代の日本ならどっちがいいだろうなぁ?
332 :03/07/29 12:39 ID:L7VLHsQJ
>>331
後者
333せいら・ます・大山 ◆q.I9V7ewls :03/07/29 12:44 ID:YLRQW0jF
>>331
日本には奈良時代から伝わる文化とかもあるのに、比べものにならないと思う。
それよりも、
今の北朝鮮と、スペイン侵攻時の南米ではどっちがいいかとか、
北朝鮮の強制収容所と、ナチのユダヤ人絶滅収容所ではどちらが人間らしいかはどうよ?
334 :03/07/29 12:45 ID:tiqOAGr5


作者:名無的発言者


| さきはすまなかたアル
\_  __________
    V
  ∧∧___∧∧__
 / 中\   /中 \  \   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( `八´)  (`ハ´ )   |< 最近鍵とりかえた家多くて
 (    )__(    )  _| │ ワタシタチ収入少ないアル!!
_Λ  Λ_Λ  ̄ ̄ ̄/ //|  \__________
  ><丶`Д´>    /┃|.| |
  ̄ ̄ ̄\  )_/  ┃.|__|/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      | | ┃      < 何見てんだゴルァ
 ∧    |_) ┃        \__________
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| お互い大変ニダ。合作してガンバるニダ

335 :03/07/29 12:46 ID:r4dkAspT
>>330
座布団3枚
336 :03/07/29 12:52 ID:ag1iUMlV
民潭の掲示板のようなスレタイですな。
337 :03/07/29 12:55 ID:DkkdoduL
村でお寺の鐘を作ったら、大きすぎて持ち上げる事ができない。
みんなが困っているところに子供がやって来て
一度砂山を作ってそこに転がして上げ、吊るしてから
砂を除ければ良い、と提案する。その通りにやってみると
見事に大きな鐘を鐘楼に吊るす事に成功。
その噂は王様にも伝わる。すると王様はその子供を城にまねき
首を切ってしまう。そんな賢い子供が大人になったら、国の
安定を脅かすという理由で。
朝鮮の昔話でした。
338 :03/07/29 13:00 ID:L7VLHsQJ
>>337
   .く ´  ̄ ` フ
    トノノ)⌒))〉 
   ヽ!|l.゚ ヮ゚ノリ ヾ
    / `i丱´/つ∩ヘェ-ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェ-ヘェーヘェーヘェーヘェー
 │ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄│
 │10へぇなのだ │
 └──────┘
339_:03/07/29 14:46 ID:isVjUaO8
>>337
能ある鷹は爪を隠せって教訓かな?
隠しすぎて退化してしまったニダ。
340 :03/07/29 20:50 ID:Bclk/tuB
>>339
「出る杭は打つべし」でしょう。やっぱり。
341  :03/07/30 00:44 ID:rY3/7FNT
>>333
スペイン侵攻時の南米には、独自性豊かな文化があったから
いくらなんでも南米に失礼と思われ。

侵略の下でも「耐え忍ぶ民族の誇り」を持てると持てないでは天と地の差が。

比較するべき適当な対象がないでつね。あそこは。
342 :03/07/30 12:58 ID:Z0+11wZI
比較すべき対象はないですね。同意。
で、何で比較すべき国がないのだろうとと考えたとき、

「普通、あんな状態の国は滅びてるよね」

と思ったのですが、私は冷たい人間でしょうか?
343 :03/07/30 19:04 ID:QsZQHT6R
>>342
統治者の自覚が全くない政府のもとでも、国民はどうやら生き延びることは
出来るようだ。だが、モラルはまったく消し飛んでしまう。
344E210168228165.ec-userreverse.dion.ne.jp:03/07/30 19:09 ID:ud2zOhC6
おひさしぶりです。
自分の勉強不足で江戸時代を誤解していて恥ずかしかったです。
これスレを読んで勉強になりますた。
345_:03/07/30 19:10 ID:38t+rgsR
346怪鳥音 ◆K1z/mB9tDA :03/07/30 19:10 ID:He/yyd7C
>>344
fusianasanとは猛者よのう…
>>344
よく勉強した!   よくがんばった!    感動した!



これからもよろしく
348E210168228165.ec-userreverse.dion.ne.jp:03/07/30 19:12 ID:ud2zOhC6
まぁネットカフェですから
>>1は3週間ぶりに、戻ってきたわけだが。

おかえり
350_:03/07/30 19:14 ID:38t+rgsR
351  :03/07/30 23:17 ID:o37ASFcB
>>342
マジレスすると、朝鮮民族よりもうちょっとだけヘタレていた民族というのは
世の中にはたくさんいたはずです。

この「もうちょっとだけ」という紙一重の差が、民族として存続したか、
それとも他の民族に吸収or駆逐されたかの差なのですが。

逆に言うと、民族として区分が成立している限りにおいて、もっともしょぼい民族
であるといえます。

しかも、両隣が単独で文明圏を形成するほどの強大国二つだから、
よけいにみすぼらしく見えるんだよなぁ。
この点に関しては同情してもいいかもしれない。
352山崎 渉:03/08/02 00:13 ID:jXaXuOdL
(^^)
353あげ:03/08/03 17:53 ID:wywCpXSM
あげ
354 :03/08/03 18:05 ID:uKnb2he8
ログ読まずにカキコ

戦前の日本との方がまだ分かったな。
実力とかの問題でなく、体制とか、
一部の高官が腐ってるあたりとか。
355 :03/08/03 18:24 ID:wcAN0Gjt
江戸時代って270年続いたんだよ。

徳川幕府と今の北朝鮮を比較するのなら初代家康と2代目秀忠を
比較しないとフェアではなかろう。

この当時の徳川幕府と現在の北朝鮮の最大の違いは、その権力構造だろう。
当時の日本は2権分立が確立していた。宗教的な権威は天皇にあり、政治的
な実験は将軍が握っていた。そもそも将軍という地位自体が天皇の将軍で
ある点に注目したい。各地方(藩)は大名によって分割統治され、大名の権限は
かなり大きかった。大名が将軍に逆らえない様に、将軍の妻は江戸に住まわせ
(いわゆる人質だ)何年かに1度は江戸へ来ることを義務づけられた。
これを参勤交代という。当時の貿易事業は完全に幕府の直轄という訳ではなく
薩摩や堺などは自由貿易を行っていた。

問い:
・現在の北朝鮮で自由貿易を行っている都市名を上げよ。
・現在の北朝鮮の権力構造をのべよ。
356あじゃ:03/08/03 19:00 ID:gAXCt3yk
>1
これ以前誰かが言ってたな・・・筑紫哲也にどこはかとなく髪型が似てる人。名前忘れた。
え〜〜と、あ。鳥越だ!鳥越・・・
口癖のように言うんだよ。「北朝鮮は江戸時代と同じだ」って。。

でも基本的に江戸時代ってすごい繁栄すて豊かで面白い時代だったと思うよ。
調べれば調べるほど面白い。
でも学校じゃ、江戸時代=圧政、一揆、差別って感じだモンな。激しく萎える。
それと男尊女卑もそれほどひどくなかったらしい。とくに江戸ではね。
江戸時代の優れている部分はスルーしそういう一揆とかばかりクローズアップさせる教育は間違ってると思う。
357 :03/08/03 19:30 ID:UuAOMedb
「忠臣蔵」は、徳川政権のスキャンダルをネタにした娯楽作品である。
今の北朝鮮にはこういう作品はあるのかな。市民社会の成熟度は明らかに
江戸>北朝鮮

>>354 同意。戦争末期の日本=鬼畜米英、思想統制、敵性文化排除
まんま、今の北朝鮮&韓国
358名無しさん:03/08/03 19:49 ID:MZshjMhx
「都道府県別 江戸300藩の歴史」?
とか言う本に「江戸時代と(今の)北朝鮮は同じだ」
と言う記述があった。

もしかして著者は >>1 か?
359名無し:03/08/03 20:35 ID:wlCRxtDC
昔のことは幾らでも捏造出来るから北朝鮮がずっと良いに違いない
360リロード:03/08/03 20:40 ID:M5rz8GnQ
>>1 >>359
馬鹿発見
361 :03/08/03 20:43 ID:T4I/3IlN
北朝鮮は楽園天国だよ。逝く時も楽園気分で天国できるんだぞ。
だから私のために帰りたまえ。在日諸君。  >>金正男
362在日ニホン人 ◆6gYxGxJvo2 :03/08/03 20:47 ID:kcI36oXg
>355
何をいてるんだ、
江戸270年? それがどうした李氏朝鮮は500年だぞ!
長く続いたから平和で豊かっていうわけではあるまいて。

>356 358
江戸が今の北朝鮮と同じで、
戦前戦中が今の北朝鮮と同じで、
さらには異論を許さない空気になっている今の日本も北朝鮮と同じ、
と言う知識人が多くていや。
363GET! DVD:03/08/03 20:48 ID:L/cjDTEd
☆★ 新商品 ゾク・ゾク 入荷!! 急げ〜!! ☆★☆
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
☆★ 送料激安!  スピード発送!  商品豊富!   
★☆      http://www.get-dvd.com        
☆★ 激安DVDショップ 「GETDVDドットコム」 
★☆      http://www.get-dvd.com        
☆★ 今すぐアクセス Let’s Go!   急げ! 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
364 :03/08/03 20:48 ID:YG586jSb
>>359
金仁謙著「日東荘遊歌」(東洋文庫、定価3100円)

1764年当時の日本は明らかに朝鮮よりも進んだ国家でした。

(大阪港の感想)
「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるがここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」
(大阪の感想)
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され・・・」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」
※歴代の使節がその後も見物したけど、ウリナラでは作れなかったニダ・・・
(京都にて)
「人々の富める様は大阪には及ばないが都の西から東までの距離は三里に及ぶという」
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
(名古屋の感想)
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」
(江戸の感想)
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで
大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
365ふらここ:03/08/03 20:50 ID:etd4zOQh
徳川幕府と北朝鮮を比較すること事態おかしいんだ。家康が将軍というのは正式にいえば
征夷大将軍のことで、天皇から任命された官職であり、征夷とは未開の土着民のことだ。
要するに天皇に逆らう、従わない未開人を征伐する、その任務を与えられたという、武人
の最高位なんだ。源頼朝、足利もみんな征夷大将軍だったんだ。金正日の将軍は単なる軍
人の階級上の職であり、将官を束ねているだけだから、格が違う。
366足柄 ◆UbQNKbNB2M :03/08/03 20:59 ID:WqCubimr
江戸時代の朝鮮と北朝鮮が似ているスレはここでつか?
367(柳)ナマオイ ◆Snp3/EoYIU :03/08/03 21:12 ID:TP1c1G1a
>>366
黄門様!印籠出すの早すぎ!
368名無し:03/08/03 21:30 ID:YoUFWanu
アメリカにあっさり開国させられた江戸幕府と執拗に楯突ける北朝鮮では北朝鮮が格がたかい
369 :03/08/03 21:32 ID:FNs+CMy+
>>368
夜釣りですか。風流ですね…
ちゃんと釣れますか?
よってくるのは蚊ばかりのようですが、頑張って下さいね。
370(柳)ナマオイ ◆Snp3/EoYIU :03/08/03 21:32 ID:TP1c1G1a
>>368
その後の歴史を較べると・・・
371(柳)ナマオイ ◆Snp3/EoYIU :03/08/03 21:33 ID:TP1c1G1a
>>369
ぷ、ぷ〜〜〜〜ん(泣
372 :03/08/03 21:36 ID:YU6V5Aj5
徳川将軍の直轄地(天領)は日本の米の生産高3000万石のうち800万石。
300諸侯は徳川家のとの関係の遠近により親藩、譜代、外様とカテゴリーは
違うが、将軍家の圧倒的な軍事力や存在感には一目もニ目もおいていた。

一方、諸侯はその領地では徴税権も持って居たし、地方通貨(藩札)も発行する
独立国だった。領内では立法権、行政権、司法権も持tっておた。
江戸や京、大阪の徳川領には治外法権を持つ今の大使館や領事館、通商代表部に
あたる藩屋敷もおいていた。
今の北朝鮮はというより、昔から朝鮮半島は中央支配の専制君主制の国で江戸の
日本とは全く違っている。
あえて似ているというなら、東京政府の力が圧倒的な今の日本の方が似ているん
じゃないかな。
373-:03/08/03 21:36 ID:dnvAfxw9
>>368
江戸幕府であっても世界がわかった。
北朝鮮は情報化時代にあっても世界が読めない。
単なる無知。単なる虚勢だけ。本当はアメリカが怖くて震えている。
こんなの馬鹿でもわかる。
374在日ニホン人 ◆6gYxGxJvo2 :03/08/03 21:37 ID:kcI36oXg
>373
>こんなの馬鹿でもわかる。

じゃぁ分からないやつは何なんだろう?
375雑木林 ◆f05Y.GvRII :03/08/03 21:49 ID:EiyDjR/9
女房を 質に入れても 初鰹
という川柳があるくらい、
江戸の町民は初物が好きであったが、ある料亭で、まだ1月も終わりごろだと
いうのに、夏野菜である茄子を食わせた。もちろん初物。
で、なぜ真冬に茄子があったかといえば、ずばり「温室栽培」で作られていた。
江戸の農業は進んでいたのだ。また、年貢の引き上げを要求されたときでも
「少し待ってくれ、そのうち必ず納めるから」と約束し、その間、ひとつの穂に
より多く実がつくよう稲を品種改良して、年貢を増やされても自分の取り分は
減らないようにした。
つまり、江戸の百姓たちはバイオテクノロジーの魁ともいえる高度な農業技術
を駆使していたのだ。



それに比べて北朝鮮は・・・
376-:03/08/03 22:25 ID:zs5mBwpW
朝鮮は事大主義の国。
金正日は戦争になったらまっ先に逃げ出す。
377 :03/08/04 00:18 ID:lNsOd6bI
男尊女子について言えば、政治としであった江戸では、圧倒的に男の数が多かったのです。
それは、完全な嫁不足であり、ことのほか、女性は大事にされてたワケなんです。
商家の娘ともなれば、年頃になれば、武家屋敷に出され、かなりの教育を受けさせられたワケなんです。
378トシちゃん25歳 ◆TOSHI.Ujrg :03/08/04 00:50 ID:/5OFErU2
おいらん、とは





おいらの姉さんがつまって変化したものである。
379(柳)ナマオイ ◆Snp3/EoYIU :03/08/04 01:12 ID:ROgVu0T9
>>378

( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
トリビア?
380-:03/08/04 12:33 ID:aSXpgzMF
「俺の政府には国家を統治する能力がすでになくなっている」
という、一種凄みのある腹のくくりかたができた徳川将軍家と、
北の将軍様を比べてもなぁ。
381 :03/08/04 12:38 ID:kuTkAXA+
へ?
382 :03/08/04 13:11 ID:IenY7Fkj
結構前に江戸時代の日本と現在の韓国を比較した良スレがあったんだけどなぁ。
北朝鮮なんて話題にすらできないだろ。

ぶっちゃけ、江戸時代から世界最高レベルの大衆文化を持ち続けた日本と比較して勝てる国があるのかどうかが疑問。
383 :03/08/04 13:14 ID:kuTkAXA+
>ぶっちゃけ、江戸時代から世界最高レベルの大衆文化を持ち続けた日本と比較して勝てる国があるのかどうかが疑問。

それは江戸や大坂の一部の富裕層だけのもの
地方じゃウン子なめるような生活
384在日エート:03/08/04 13:18 ID:qfdpHSi/
>>382
日教組が一生懸命江戸時代階級闘争史観を叩き込んでいるのにさういうことを言うな!!
亜細亜の声に耳を傾けろ!
385六二式:03/08/04 13:19 ID:6vBDgzHY
>>383   ほれ!

「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (1998年 講談社学術文庫)
首都の第一印象(李氏朝鮮時代)
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
礼節上2階建ての家は建てられず、
したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、
荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、
おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。
悪臭紛々のその穴や溝の横に好んで集まるのが、
土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、
犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。
路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、
溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。
こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁ぶきのあばら家で、
通りからは泥壁にしか見えず、
ときおり屋根のすぐ下に紙を張った小さな窓があって人間の住まいだと分かる…
 かわら屋根の反り返った上流階級の家庭でも、
通りから見た体裁の悪さという点では何ら変わりがない。
386六二式:03/08/04 13:20 ID:6vBDgzHY
>>383   ほれ!

「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。では貴方の知
っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像して
みてください。するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な
姿となるでしょう。」「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝
鮮人は知らないのです。」
                シャルル・ダレ「朝鮮事情」平凡社東洋文庫
387六二式:03/08/04 13:22 ID:6vBDgzHY
>>383   ほれ!

1927年に朝鮮総督府の(秘)調査資料『朝鮮人の思想と性格』の中で次のように朝鮮人の
性格を規定している。
 ”放縦、奢侈、浪費、射倖、表面形式を好む、附和雷同、思想の模倣性、無元気、怯懦、
灰色、保身術、勇気欠乏、利己的判断、真剣味のないこと、感激性乏しい、依頼心、
独立心欠如、生理的感覚の鈍さ、生命を軽んずること、等々。”
 そしてその理由には、いやがる姑生に舞踊とか芸をさせるのに、それに応じないからと
いっては「真剣味がない」「感激性乏しい」としたリ、キムチを食べるのをみては「馬鹿に辛い
ものを乎気で喰」う、これは生理的心理的に「感覚が鈍い」のだとする。さらには少し精神的な
苦痛を与えるとすぐ自殺する。だから「生命を軽んずる」国民性としたのです。この時期の自殺
をみると20代が最も多く、原因も「精神錯乱」「生活苦」がほとんどでした。
388六二式:03/08/04 13:23 ID:6vBDgzHY
>>383   もっと欲しいかい? いくらでもあるよ

389コイツ何をシャカリキになってんだかw:03/08/04 13:24 ID:kuTkAXA+
あっふぉ > 六二式
390 :03/08/04 13:24 ID:MoU42sUf
>>375
まあ、バイオ関連で言えば、微生物そのものを売る種麹屋なんて職業が
平安時代に、既に成立していたくらいですから。

最近この記事読んで、ちょっと驚いた。
ttp://www.athome.co.jp/academy/microbiology/mic03.html
微生物の力を活用した日本人の発想の中で一番すごいと思う話が、江戸時代の
古文書の中にあります。
越中(富山県)五箇山地方の農家では、慶長10年(1605年)頃から、発酵に
よって塩硝(硝酸カリウム)、すなわち爆薬を作っていたというのです。
391 :03/08/04 13:26 ID:DSiu7T7j
>kuTkAXA+
キャデ臭い
392在日エート :03/08/04 13:27 ID:qfdpHSi/
何で江戸スレに李朝のコポペ貼るんかと思ったら383が伽寺公さまだったのね。

393 :03/08/04 13:29 ID:doMSYCac
キャデはKじゃなくてB臭いから、李朝コピペは効果ないんじゃ
ないかな。
394日本でも :03/08/04 13:30 ID:kuTkAXA+
つい15年前くらいまでは
大勢の人前で赤ちゃんに20代前半のママがチチを放り出して吸わしたり
外から部屋の中が見えるようなところでセク−スするような

生活もあったw
395 :03/08/04 13:31 ID:MoU42sUf
>>383
「北越雪譜」って知ってる?他にも地方の裕福な豪農の知識人は多いよ。
例えば、伊能忠敬は佐倉の商人だが、隠居の後に天文学にはまれるくらい
文化的で経済的な余裕があったって事。
あと、江戸時代の関西の文化の中心はあくまでも京都。
黄表紙の版元とかも大阪より京都の方が多かったはず。
396在日エート :03/08/04 13:37 ID:qfdpHSi/
キャデさんも息子の嫁に虐待されてストレス溜まっているんだよ。
お年寄りには優しくなさい。
ところで、このコポぺはニュースとても東板の何処のスレでのやりとりですか?

107 :日出づる処の名無し :03/08/01 01:47 ID:rrd5vrIi
ヤマトナデシコ(プ とやらが敗戦を機に日本の兵隊から
鬼畜米英の兵隊にお客を変えたってだけの話だろw
より金払いのよさそうなのを選ぶのは商売人の基本ってねw


108 :日出づる処の名無し :03/08/01 01:49 ID:rrd5vrIi
サハリンだの満州だのでロスケに「強姦」されたってのも実は自分で
おお〜きく股を開いてぶっといロスケのモノを受け入れて金やら食い物やらを
恵んでもろただけかもw体裁わり〜から犯されたまわされたっていってるだけとかw



109 :こいつは :03/08/01 02:57 ID:OgXCNKkx
ハン板のキャデラックですな。
ハン板で相手にして貰えないから極東に遠征とは恐れ入る。
397-:03/08/04 16:04 ID:ktPtMkEq
だいたい失礼だよ。江戸時代と北朝鮮を比べるなんて。
比較にならないよ。
当時は文化、芸術の町民文化が花開いた時代、自給自足して他国から食料援助
など受けていなかったし、毎日の様に餓死者など出さなかった。
江戸時代の徳川幕府に対して失礼だよ。遥かに北より進んでいたよ。
398:03/08/04 16:18 ID:+ULlnRRm
北朝鮮は縄文時代あたりじゃないの。
いやもしかすると石器時代かもね。

399 ◆k7DW5/MaZo :03/08/04 16:19 ID:/HvZsMP5
ttp://img.2chan.net/b/src/1059981318488.jpg

これでも見ておちけつ。
400 :03/08/04 16:21 ID:kuTkAXA+
>>397
国民の9割はイナカの百姓だっちゅーの
飢饉は慢性的で小作は食うや食わず
江戸と大坂の中の「いいとこ」だけの話じゃんか、それ
>>1のスレタイをよく見ろやw
401怪鳥音 ◆K1z/mB9tDA :03/08/04 16:28 ID:awArqdM8
>>398
シムシティリセット5分前あたりです。
402OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 16:31 ID:yZ5DkVrv
>>400
江戸時代の農民はそれほど酷い状態ではなかったよ
もちろん飢饉の時は悲惨だけどな
むしろ明治後期〜昭和初期の東北の農村のほうが悲惨かも
403足柄 ◆UbQNKbNB2M :03/08/04 16:32 ID:tTglpwqz
ID:kuTkAXA+はKTXスレから逃亡してこんなところで粗悪な油を売っているのか。
江戸と大阪以外の都市を挙げよ。
404(゜- ゜)っ )〜 ◆hTvfL9OoTU :03/08/04 16:34 ID:153zhCsC
キャデさん、どうも江戸幕府には恨み骨髄のようで。
405 :03/08/04 16:34 ID:kuTkAXA+
飢饉の時にコメを回送して救援しなかったのは
籓の軍事バランスに影響が出るのを恐れたため
幕府もしらんぷり
農村人口が江戸初期から幕末までほとんど増加しなかったのはその証拠
(たくさん産んで、たくさん死ぬ)
406 :03/08/04 16:36 ID:kuTkAXA+
ま、都市の富裕層は優雅で艶本なんかを楽しんでましたけどね

「妾の本心を確かめるには、フェラさせるのが一番!」とかw
407 :03/08/04 16:36 ID:61SR27EY
>>400
ご苦労さん。w
それにしては長く続いたね、江戸時代。
国家は外からでは滅ばない、内部から崩壊するんだよ、
半島や大陸みれば判るだろ。
408 :03/08/04 16:38 ID:kuTkAXA+
>>407
それだけ武士が庶民をイジメてたってことw
アノ時代の船では日本に来ること自体でコストがかかりすぎ
幕末になって見事にコケただろ?
409    :03/08/04 16:39 ID:EtA31bOD
>>400
全体的に見ても、江戸時代の日本の方がよかったと思うけどな。
各地に伝統芸能や工芸品が残っていることや、
地方の神社に算額が奉納されていることだけを考えても、
江戸の文化程度はかなり高かったのでは?
410雷鳥乃丘 ◆TMGEBCINQo :03/08/04 16:39 ID:NYQvy4o+
>>396
これはひどく興味深いコポペですね。

ところで、エート シは、他スレでのご乱心振りを見る限り
暑さで壊れちゃったかと思ったんですが、大丈夫そうで安心しました。
411生かさぬやう 殺さぬやう  :03/08/04 16:41 ID:kuTkAXA+
やさしい武士で「2公1民」
キビシイ武士で「3公1民」くらい

そりゃ、一生ビンボだよねw



412 :03/08/04 16:43 ID:MoU42sUf
>>400
奥の細道も読みましょう。
芭蕉が、東北のあちこちの豪農豪商にまぬかれてますねえ。
東海道の賑わう様も知らないの?
地方の文化人を本当に知らないの?広瀬淡窓も頼山陽も?

それと、人口増加のグラフを見たことないの?
ヨーロッパの人口増加のグラフと比較してみたらどうでしょうか。
413名無し三人目だから ◆eLNQwASUKA :03/08/04 16:44 ID:rpSkeZO9

なんだかんだ言ってもキャデは凄腕の釣り氏だな、独り言を呟いてるだけなのに
人の神経を逆撫でするのが実に上手い(苦藁
414駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/08/04 16:44 ID:vXd+yNOk
つーか、キャデなんだから放置しろよ(苦笑

415 :03/08/04 16:46 ID:kuTkAXA+
>>412
あんた、そりゃ百姓どもを直接or間接に搾取してた地方の金持ち限定の話じゃんか

だれでも長躯の旅行ができたと思ってんの?

ヨロパはペストで恐ろしいくらいに人が死にました
それとヨロパの多くはは寒冷地でおます
416 :03/08/04 16:46 ID:MoU42sUf
>>414
元から糞スレっすから(w
sage進行なら埋め立て向きかと。
417 :03/08/04 16:47 ID:kuTkAXA+
おしんの再放送くらい見れ
418 :03/08/04 16:47 ID:MoU42sUf
>>411
五公五民になると、一揆の原因になるといわれていたのに…。
419 :03/08/04 16:48 ID:kuTkAXA+
>>418
小作人から見て(言い忘れw
420_:03/08/04 16:49 ID:D4jHpLD/
421 :03/08/04 16:50 ID:doMSYCac
>>411
「2公1民」「3公1民」というのは初めて聞いた。
どこで習ったの。
422 :03/08/04 16:50 ID:kuTkAXA+
武士もエゲつない
定免法なんてやったから、気候が悪くて収穫悪くても
しっかりと取り上げていたw
423OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 16:52 ID:yZ5DkVrv
>>417
おしんのころの東北ってのが一番悲惨だったかもね
富の多くを満州と朝鮮にぶっこんだ
その結果東北が犠牲になった
朝鮮にぶっこむ金を東北にぶっこんどけば東北の貧困はなかった
東北の貧困がなければ青年将校の反乱もなく226もなかったろうな
424 :03/08/04 16:53 ID:kuTkAXA+
>>423
日本はロシアのご馳走w
425 :03/08/04 16:53 ID:6MEpLc7d
>>411
戦国から安土桃山時代の話じゃねえか、そりゃ。

とりあえず、ここの「江戸時代の日本人は余暇を謳歌していた」以降を読め。
ttp://member.nifty.ne.jp/katote/Leisure.html
426縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/08/04 16:53 ID:oOYVzV8t
一揆の他に逃散といのもあるからねえ。
427縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/08/04 16:54 ID:oOYVzV8t
>>423
おしんは明治時代だよな。
428OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 16:56 ID:yZ5DkVrv
>>427
うん 明治から昭和初期の農村って悲惨だもん
日本の左翼も右翼も貧しい農村の解放ってのがテーマだった
そのために資本家を潰して全ての臣民を天皇陛下の臣民として扱うってのが右翼
資本家を潰してプロレタリアート独裁ってのか゜左翼
ほとんど同じ事言ってます(w
429 :03/08/04 16:57 ID:kuTkAXA+
>>425
>江戸時代の日本人は余暇を謳歌していた

余暇を利用して、おばあちゃんを山に捨てに.............
430RX−77安崎 ◆8vgyqvA3/A :03/08/04 17:00 ID:PmKyl8tc
キャデのおっさんは、今日も暴発してるな。
431 :03/08/04 17:05 ID:yVokIji9
>>415
お伊勢参りや成田山参りを知らないの?
432縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/08/04 17:07 ID:oOYVzV8t
>>428
>ほとんど同じ事言ってます(w
そうなんだよねえ(w
433 :03/08/04 17:07 ID:MoU42sUf
>>417
>おしんの再放送くらい見れ

本放送で見た事あるけど、アレは、江戸時代じゃないよ。
1929年世界恐慌の時代なんだが…。
434 :03/08/04 17:07 ID:gWpYHaes
飢饉慢性な割には江戸期の日本は順調な人口の伸びを見せてるなぁ。
ttp://www.toushi-club.com/kansoku/i1111a.html

飢饉というのは成人も食うや食わずだから、乳幼児の多産多死では
この人口の伸びは説明できないわけだが。
435:03/08/04 17:10 ID:JHYc+Z2X
>>415
江戸時代では、百姓が搾取されていたかわいそうな存在だと
本気で信じてるのか?
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061492586/ref=pd_sim_dp_5/t/250-9152162-0993856
「貧農史観を見直す―新書・江戸時代〈3〉」 講談社現代新書
飢餓問題の本質――江戸時代における在来農法の生産力水準は、近代農法と比べても決して見劣りして
いるわけでなはく、一定の生産力を確保していたのである。むしろ、飢餓問題の本質は、幕藩領主の支配領域が
錯綜していたことになる。つまり幕藩領主の農民救済策や藩外への穀物の移出を禁じた津留などの制度上の
側面、さらには輸送手段の不備、情報不足などといった農作物の流通のあり方に求められるのである

ttp://www.meijitosho.co.jp/kensaku/bango.asp?bango=4139
「江戸時代”間違って教えてませんか」
近年の研究によれば,従来我々が抱いていた江戸のイメージは大きく復されてしまう。参勤交代,慶安の御触書や
士農工商の身分制,そして鎖国。これまで私たちが理解していた江戸の常識は,ことごとく間違っていたといっても過言ではない。
 参勤交代や鎖国は,日本の国土形成と発展にそれぞれ絶妙の役割を果たしていたし,身分制や年貢,百姓一揆
のこれまでの解釈は,あまりに単純で且つ誤解に充ちていた。 これらの事実は,戦乱の世の終焉と江戸の
安定政権の出現の中で相互に関連し,国土が豊かに発展していったことを鮮やかに示すのである。
 これまで,私たちが教えてきた江戸時代は,私たち自身が受けてきた歴史教育によって形成された歴史観によって,
あまりにも単純に,また過酷で抑圧されていたと描きすぎたのではなかろうか。 だとするならば,歴史教育における
江戸の授業の在り方も,授業を支える教科書記述も含めて根本的に見直さなくてはならない。
436 :03/08/04 17:11 ID:6MEpLc7d
『楢山節考』を本気にしてるのか?
あれはあくまで文学であり創作、ああいった風習は無いぞ。
あったとしても飢饉のときの緊急避難だろう。
ただ、民俗板からの引用だが、
>赤坂憲雄の説によれば(『山の精神史』だったかと思う)、
>遠野物語にある蓮台野は老人同士で暮らす場です。
>年を取ると村落共同体の仕事を免除されここに送られますが、
>自分の食い扶持分ぐらいは里に下りて耕します。
ということくらいはあったらしいが。

日本人はどこでも米作るからねぇ……東北もジャガイモあたりを栽培してたら
ああもひどい飢饉は起こらなかったかもしれない。
まぁ、北海道でも米作る民族だからジャガイモ勧められても米作ってたかもしれませんが。
437 :03/08/04 17:14 ID:MoU42sUf
ちなみに、おしん以前の貧乏ゆえの別離で一番有名なのは、
渡辺崋山の弟との別れだと思うのだが、彼は搾取された百姓
じゃないよねえ(w
438OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 17:21 ID:yZ5DkVrv
>>432
北一輝が言ってることなんて真っ赤っ赤だからね(w
439縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/08/04 17:48 ID:oOYVzV8t
>>433
1929ってことは、大正から昭和かあ。
ドラマ自体毎回みてるってことはなかったし、細かな時代設定まで気にしてみてなかったけど、
江戸時代とは思わないよな。
440地球市民@ ◆iAfsEadC/U :03/08/04 17:55 ID:aEKGMTd0
>>383
その当時、日本一の金持ちは、酒田に住んでおりましたが何か?
441-:03/08/04 17:59 ID:hF//7qyv
北朝鮮は食糧援助を受けながら、また他の重油や様々な物を援助を受けながら
餓死させているんでしょ。それも天災というよりも、農業政策の失政じゃないの
主体農法?訳のわからない手法で。江戸時代の飢餓は天災でしょ。
比較したら失礼だよ。江戸時代に。
442 :03/08/04 18:00 ID:MoU42sUf
>>439
すまん、直前のOH88氏の書き込みの方が正しい設定みたいです。勘違いしてました。
おしんの生まれたのは明治末という設定のようですから、おしんは1910年頃に、
生まれたことになるみたいです。
重ね重ね、すまそ。
問題の親子別離は、世界恐慌より前の米騒動の頃っすね。
443こっぱー君 ◆1hH9I8.S3U :03/08/04 18:03 ID:NF4gzFzF
>>411 >>421
きっと彼は日本の公教育を受けてないんでしょう。
そうでなければ、小学校高学年なら絶対やらないような
初歩的で幼稚な間違いをするわけがない。

きっと、彼がウケタ歴史教育ってのは「白頭光明星の誕生」とかなんでしょう。

>>429 >>436
ま、要するに日本・中国・インド・アイルランド・ユ−ゴなどで採取される民間伝承、
柔らかく言えば童話、をベースに戦後に創作された話ですわな。

桃太郎の童話をベースに鬼の実在を語るような物と言うか…
「一杯のかけそば」を論拠に、現代日本は飢餓と食糧難の国であると主張するような物ですな。
444 :03/08/04 18:04 ID:unrpSzju
江戸時代は庶民もフラっとお伊勢参りとか行けたわけだが。
そこいらの家が泊めてくれたりご飯食べさせてくれたりするから
金なくてもなんとかなったらしい。
東海道中膝栗毛の二人も長屋住まいの職人だし。
だいたいおしんの周囲にも餓死者なんぞいなかった。
445 :03/08/04 18:10 ID:MoU42sUf
>>443
つーことは、地理のほうも怪しいなあ。
>>440 の 酒田がどこにあるか分からなかったりして(w
キャデ氏、山形だぞ。江戸や大阪じゃないぞ。
446  :03/08/04 18:17 ID:CNvzpXta
”鴻池の犬”の鴻池はどうなっとるん?
447-:03/08/04 18:19 ID:hF//7qyv
21世紀にもなって、だいたいまともな農業も出来ない国と比較する方がおかしい。

そんな国が存在すること自体奇跡だ。
448縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/08/04 18:28 ID:oOYVzV8t
>>442
ご丁寧にありがとうです。
449縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/08/04 18:30 ID:oOYVzV8t
>>447
あそこの場合は、20世紀になってからまともな農業ができなくなったといった方が正しいかもよ。
450-:03/08/04 18:37 ID:hF//7qyv
国民を餓死させ。
麻薬、拉致、核開発、ミサイル輸出等を国家ぐるみで犯罪をしているゴロツキ国家
と比較するとは失礼だよ。江戸時代に。
どこが北朝鮮と似ているんだ。
451 :03/08/04 18:40 ID:8e2VhsY8
>>450
人が住んでるというのが朝鮮と似ているってことだろう。
452_:03/08/04 18:52 ID:+ORZjZCr
朝鮮では昔も今も
「もっと耕せば楽できるだろうに、なぜもっと耕さない」
「耕してもその分税を取られるだけだ」
453:03/08/04 18:55 ID:WCJNiA7x
北で町人(大衆)文化が花開いたという話は聞いたことがありません。
454斜め読み ◆ddCcroSSko :03/08/04 18:56 ID:jA1FKLFx
>>453
大衆動員文化、マスゲーム(w
455 :03/08/04 19:00 ID:kuTkAXA+
>>453
たとえば、「士農工商」の「農」って、なーんだ?

1 庄屋様+小作人
2 庄屋様
3 小作人
456斜め読み ◆ddCcroSSko :03/08/04 19:05 ID:jA1FKLFx
>>455
自作農は何処に消えたのですか?
457 :03/08/04 19:09 ID:kuTkAXA+
>>4456
この人

    お    お    ぼ    け


458:03/08/04 19:10 ID:kuTkAXA+
わしは


     こ     ぼ     け
459 :03/08/04 19:22 ID:SRNa/9b9
>>455-457
設問のおかしさを問われて答えられずに人格批判、と。
460 :03/08/04 19:27 ID:WGMJP5OY
>>459
キャデはヤクザ映画をソースに挙げる、おかしなオッサンだから、放置がお勧め
461( ̄ー ̄)ニヤリッ ◆dTQkcZeb9M :03/08/04 19:28 ID:zJQOjGuQ
>>458
「ただの馬鹿」の間違いだろ?(嘲笑)
462_:03/08/04 19:51 ID:ZaW8Illk

   お  ば  け  き  ら  い
463 :03/08/04 20:02 ID:vw3ntiaB
>>411
東北など地方の大名では
取りたてが厳しいところも
あったようだが、
関西は天領が多く、
近江にせよ、奈良にせよ
その豊かさは
今の村や町の風景にも残っている。
それに商業が発達していたという
こともあるのかな。
なにせ先物取引など大坂が世界で
最初だったわけだから。
船場の米相場のことね。。。
46410代目 ◆DpPTJAuQVk :03/08/04 20:11 ID:dtb8QKmO
>>383 >>400
地方でも藩によっては、庶民もかなりよい生活をしていました。普通の自作農が
冬になったら旅行に行ってみたり(夏は田の世話があるから旅行は無理だが)。
農民でもみんな(小作人も)名字を持ち、公式に名乗るのは禁止といっても墓には
刻んでみたり(たまに誤字があったりするが)。安定した生活は、都市と豪商の特権
ではありません。

>>405
人口の停滞は、むしろ、都市の少子化が重要だったような気がします。江戸時代の
都市部は家が狭く娯楽が多かったためか子供が少なく、人口はつねに農村からの
流入によって維持されていました。あと、医療技術の低さによる乳幼児死亡は、当時
世界どこでも高く、決して江戸時代日本だけの問題ではありません。

>>411
それ公称。年貢率7割という藩もあるが、検地などせずに、生産力の増強にあわせて
税率だけを上げているので、実際の収穫に対する税ではありません。実際、本当の
収穫高など、農民が米を隠してしまえば把握困難です。
465 :03/08/04 20:16 ID:Gpl86nu8
韓国と北朝鮮は戦中の戦時体制・統制経済のまま今に至っているだけ。
韓国には日本やアメリカからの物心両面の膨大な援助があり、北朝鮮は
ひたすら日本が残した資本を食いつぶした。
ただそれでけ。
466-:03/08/04 20:25 ID:j10sI3Xu
援助無しには国家として維持できない、物乞い国家、北朝鮮と
自給自足で援助など無縁な江戸時代と比較するなど失礼だ。
467OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 20:29 ID:yZ5DkVrv
まあ江戸時代は藩が独立採算でやっとったわけだ
だから藩主や家老に指導者としての資質がなければそりゃ領民は悲惨だよな
上杉鷹山のような名君なら領民は豊かになれる
バカ殿や悪徳家老が支配すればそりゃ領民は酷い目に会う
ただあまりに酷いバカ殿ならお家取り潰しになる
だから極端に酷い地域は少ない
気候条件等でどうしても貧しい地域はあったけどね

っでまあ北の場合はバカ殿が2代続いてしまったわけだ
468 ◆N/EC5x3FXM :03/08/04 20:30 ID:+/nBO9EX
>>467
馬鹿殿を一人しか輩出できないからなぁ・・・共産主義は。

469竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/08/04 20:33 ID:7YMRLyrn
共産主義のベスト独裁者ってカストロだよな。
肖像一切なし、激務して質素な暮らし。どっかの豚と
大違いだな。民族性だろうね。
470OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 20:35 ID:yZ5DkVrv
>>469
チトーじゃない?
471OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 20:40 ID:yZ5DkVrv
ちなみに江戸時代ま場合、あまり過酷な搾取をして一揆が多発したり流民が多発したりすると、幕府から処分されたわけ
家老が切腹したり、藩主が蟄居(隠居)させられたり、最悪藩がおとり潰し
だからあまり過酷な搾取はできなかったわけだ
472足柄 ◆UbQNKbNB2M :03/08/04 20:40 ID:tTglpwqz
>>469
とある留学生に”チェ・ゲバラは韓国系メキシコ人だ”と教えたら信じてしまいました。
革命同志の皆さん、ごめんなさい。
473        :03/08/04 20:47 ID:J89PzLI7
>>472
来年あたり、それが韓国での定説になったらどうする(笑)
474竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/08/04 20:47 ID:7YMRLyrn
>>472
崔ゲバラさん?
475 :03/08/04 20:48 ID:MoU42sUf
>>472
それより、アルゼンチンの立場がない。
476-:03/08/04 20:49 ID:j10sI3Xu
常識で考えても、今の北朝鮮の指導者、金正日は失格である。
しかし、今日テレビを見て腰を抜かした。北朝鮮の選挙に在日が
行って選挙していた。こんな指導者失格者を信任しにわざわざ
北に行って金正日を信任している。
信じられる?日本で北の悲惨さを充分承知しながら、原因が金正日に
あることを知りながら、信任している。
在日は日本に居るべきでは無い。すぐに北へ帰るべきである。
日本人は在日を信用出来ない。恐ろしい。
もし北と戦争になったら、在日は日本を攻撃するのか?
477OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 20:50 ID:yZ5DkVrv
足柄 ◆UbQNKbNB2M は世界中のゲバラ崇拝者から指名手配されるわけだが
478OH88 ◆lw588krs0A :03/08/04 20:51 ID:yZ5DkVrv
>>476
っていうかそういう蛆虫在日は再入国させなきゃいいのにな
479 :03/08/04 20:52 ID:SRNa/9b9
というか、何で北朝鮮に行けるのに帰ってくるの?
帰れないから日本にいるんだろ?
480358:03/08/04 21:49 ID:W3zZsZ/8
「都道府県別 江戸300藩の歴史」(?)
の本を探しに行ったが、すでになかった。残念

ちなみに著者は、
「江戸時代の百姓は生活が苦しく武士に搾取されほうだいだが、
 当時は海外との交流が無く。比較するモノがないので
 自らが苦しい生活をしているとは思わなかった。」
「これは今の北朝鮮と同じである」
と言う旨の事を書いていた。

う〜ん 本を買っておけば良かった。
481 :03/08/04 22:03 ID:qgZS23ch
>>480
>「江戸時代の百姓は生活が苦しく武士に搾取されほうだいだが、
> 当時は海外との交流が無く。比較するモノがないので
> 自らが苦しい生活をしているとは思わなかった。」

革命前のフランスの農民のほうが、明らかに理不尽な貧困にあえぎ
疫病に悩まされてきたんじゃないかとも思えるんだが…。

そもそも、一揆が起きたら、一揆を起こす原因になった名代や地主、大名までも
下手すりゃ御家断絶、ってのが基本じゃなかったか?

確か最近一揆をテーマにした映画があったよな。
『また左翼的な映画化よ』と思ったら、『本当の一揆とは』と言うテーマで
『割と知的で学のある農民』『闘争以前に、いかに苦境に喘いでいるかを訴えるためのスピード勝負』
とか。結構変化球な映画だと思った。 
482_:03/08/04 22:27 ID:+ORZjZCr
>江戸時代の日本と北朝鮮って似てるね

「偉大な将軍様のもとで団結しよう!」
とかいう浮世絵があったら笑える。
似合わねー(w
483_:03/08/04 22:50 ID:DHKqrYi1
>>481
確か、「郡上一揆」だっけかな。
484 :03/08/05 00:01 ID:emQ5WzYI
江戸時代の日本=当時最も文明が進んでいたと言って間違いない国

北朝鮮=いろんなところを間違った国

似てる!
485こっぱー君 ◆1hH9I8.S3U :03/08/05 00:10 ID:VudSs8t0
>>471
島原の乱とかね。
正確な資料は残っていないものの、7公3民以上の税を取り立てたと考えられる。
んで、切支丹を中心に一揆が発生、領主は斬首。

北の金ちゃんキングダムは、公=民 故に 10公10民 という社会主義のタテマエが
現実には 赤い王族=公 それ以外=民 と分離して、限りなく10公0民に近い状態となり
民衆は山ネズミや牛糞からほじくり出したコーンを食べる羽目になったワケだが。
486 :03/08/05 01:28 ID:eCgiP1OK
天皇は金正日に似ている、とか
北鮮体制は江戸時代に似ている、とか
妙なスレッドが林立しているが、
無理矢理日本と北鮮を同一視して、
抱きつき自爆を狙っているように見える。
487マジレスマン:03/08/05 13:37 ID:6lu8TFrd
>>337 なんか、ザビエル山田の斜め読みなネタみたいだなあ。どうせ
なら、星新一の方が、頭脳プレイなオチだと思うのだがね
488 :03/08/05 17:03 ID:R5qleSEe
ゲバ棒はウリナラ起源だったのか(W
モロトフカクテルも実はジンロの瓶が正統(W
489 :03/08/05 17:19 ID:ZjiK3QVg
ゲバ棒はゲバルト(ドイツ語で闘争)棒っす。
…、21世紀の会話とは思えんな(w
490:03/08/06 09:39 ID:6eDz5d23
もし金正日みたいな藩主がいたら速攻で切腹させられてるか
餓死者大杉
491小泉明マイラヴ ◆.7FhrQ4rjk :03/08/06 11:54 ID:OUOSAGq2
>>423 すべての時代が善政なわけがないよ。
492:03/08/06 12:50 ID:PYFTgou4
おいらのご先祖様はふぁんき〜な地方領主で、
江戸時代に自ら一揆を首謀して、お家取り潰しになったことがある。


でもすぐに許されて復活しますた。
493駄菓子屋 ◆DaGaSinnZg :03/08/06 13:41 ID:+6TurjLS
反証がすぐにガンガンと出てくるのがいいねぇ:−)
江戸時代の日本では、和算がちょっとした頭脳ゲームになってたし。
高等幾何・微積分などを、農民などの一般人がやってたんだから
すごい。西洋から伝わる前に、だよ。
で、朝鮮半島には、そういった数学・文学(俳句・短歌・小説)などの
庶民から支配階級にまで共通してたしなめるほどの文化って、なにか
あったっけ?
494ぼるじょあ ◆yBEncckFOU :03/08/06 16:25 ID:RyiUeM3r
       ■■■■■■■■
      ■■■■■■■■■
     ■■■■√ === │
    ■■■■√ 彡    ミ │
    ■■■√   ━    ━ \
    ■■■  ∵   (●  ●)∴│
    ■■■    丿■■■(  │
    ■■■     ■ 3 ■  │
    ■■■■   ■■ ■■ ■
    ■■■■■■■■■■■■
    ■■■■■■■■■■■■
     ■■■■■■■■■■■
        /⌒ - - ⌒\
      /⌒\ ・  ・ /⌒\
     /     \∩/     \
   /\/⊃   ∞'   ⊂\/\
  /  /   \_)*(_/   \  \
 |_/                 \_|
495:03/08/07 15:05 ID:koKRR629
あげ
496-:03/08/07 16:02 ID:dq9qoIoS
江戸幕府は北よりローマ帝国に似てる

北は殷王朝末期に似てるんじゃない?
497小泉明マイラヴ ◆wAVxvJHetM :03/08/07 16:13 ID:NEWJGYqi
犯罪者がいるな。
498(柳)ナマオイ ◆Snp3/EoYIU :03/08/07 20:00 ID:FiCT9dJU
>>496の発言に対し、
チュウ王が不快感を表明しました。
499 :03/08/07 21:20 ID:yKf71ThV
>>480
もしかして、その本って『江戸300藩 県別うんちく話』とかいいません?
著者の八幡 和郎って、HP見るとかなり微妙なアホ……というか、東京に対する
ひがみ根性が凄くて笑える。
500 :03/08/07 22:02 ID:QZs//fab
サツマイモを救慌作物にしていた江戸時代の日本と、そのサツマイモを
主食にしようとしている北朝鮮のどこがどう似てるって?
501480:03/08/08 00:23 ID:umMci8II
>>499 サンクス 多分その本だと思う。
本文はまともなので買おうと思ったが
あとがき? を読んで「ダメだこりゃ」
で買うのを止めた。
502 :03/08/08 01:07 ID:mXxepPDW
今米沢に居るです。
途中の福島までって雨でもないのにずっと曇ってて
霧がかかってたですね。で田んぼは青々としてたんですが
最近ずっとあんな感じなんですかね。
で、上杉神社のあたりをずっとみてたわけだけど、
503 :03/08/08 03:34 ID:qqQEJj0x
504 :03/08/08 06:11 ID:2Vb/sldS
>>503
いやぁ、最後の将軍様の写真にはまいった。
505Socket774:03/08/08 15:28 ID:k6q8/F6k
>>449

「20世紀の一時期を除いて」まともに農業ができたことのない国・・・だったような・・・。
506 :03/08/08 22:41 ID:EwcTcI0c
NHKで、戦前のカラーフィルム発見だって。
彩り豊かですごいぞ。
14日のNHKスペシャルで放映だ。
507・。・:03/08/08 22:44 ID:WluX5tZZ
>>506

なぜか、21世紀の北朝鮮よりも幸せそうだった。
508 :03/08/08 22:50 ID:WSsgrbZI
>>506
満蒙に日ソ不可侵条約を破って侵攻したソ連軍は、多くの人命財貨を奪うと
ともに、満映から全てのフィルムを持ち去った。
芸術作品と満州国の真実を隠ぺいするためだ。これからも、知られざる事実
が発見されると思うよ。
509日本国臣民:03/08/08 22:53 ID:AnwtswxP
>>508
スターリンがちゃんと保存してるとも思えないんだけど。
「本当は資料はあるんだ!でもスターリンがみんな持ってっちまったんだ!」じゃバカチョンと丸きり同じw
バカチョンのパクリなんて冗談じゃないんだが。
510 :03/08/11 13:08 ID:j0+yrp6o
保守?
511a:03/08/11 15:42 ID:thVr3fXw
512安崎ニャゴキング ◆l2WIOpoMVA :03/08/12 09:41 ID:S1vW4Yh/
 保守ついでに。
 2コ目:>>301
513山崎 渉:03/08/15 09:10 ID:TFq47lZw
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
514あげ:03/08/17 10:44 ID:80vIKYkZ
あげ
515 :03/08/17 11:09 ID:Wx7GHtHn
>>1
小学校からやり直せ。
516 :03/08/19 20:37 ID:lMduUDor
てすと
517a:03/08/25 16:52 ID:mgNtoQLi
age
518 :03/08/25 17:36 ID:bGOkglux
>>509
馬鹿はお前。
旧ソ連は、驚くほど物をちゃんと保管している。
(単に軍の倉庫等で延々と眠っていただけだが・・・)
このことは旧ソ連崩壊後に、各種分野で明らかにされつつある。

日本から調査団を出せば、あっけなく出てくるんじゃないか?
映画フィルムなどは。
519 :03/08/25 17:41 ID:0usweAVL
なんだっけ、地方の倉庫に二次大戦中の戦闘機の部品が大量に残っていて
最近、何機か組み立てて売ってなかったか?
520 :03/08/25 17:43 ID:IuPrzpSg
>>1
江戸時代の江戸では大地震での被災者には、御救い小屋という臨時の
避難場所を作って、幕府や資産家の大店からの食糧援助も出ました。

幕府は米をこういう時の為に、倉に大量に貯蓄していました。
この米は、時には食うに困った江戸っ子達に配給されたりもして、
このおかげで江戸っ子達の、宵越しの銭は持たない、が成り立っていたという
考えもあるくらいです。

北の将軍様にこんな考えはありますか?
521 :03/08/25 19:32 ID:mHIohNYF
>>518
詳しくは知らないけど、アウシュビッツの資料も出てきたらしいから、期待大かも。
522 :03/08/26 02:42 ID:yK12Navw
>>518
実はあまりに寒すぎて(といってもロシア全土でそうだが)、
空気中の水分による劣化が起こりにくいって、好条件もあるよ
523kkk ◆KwOayjtkcs :03/08/28 02:04 ID:mapYqHZu
吉宗の登場までは実質三公七民だよーん。
吉宗が財政建て直しの為に五公五民にして、そんで農民が切れて一揆が増え始めた。
524 :03/08/28 02:08 ID:Gskn/AmD
>>1のレスを見たら、歴代の公方様はファビョン起こしそうだ
525 :03/08/28 02:39 ID:yWYQPaam
よく、戦前日本の映画とか満映の映画とかが
ロシアで発見されるよな。
つい最近も、日本初の商用カラー映画だかが発見されみたいだし。
526 :03/08/28 03:30 ID:HAoZIfzL
龍(RON)という漫画を読んで知ったのだが、甘粕正彦って満映の理事長になってたのね。
527E210168228165.ec-userreverse.dion.ne.jp:03/08/28 10:21 ID:bu886GWV
徳川将軍でも池沼がいたみたいですがね。
江戸後期だからお飾りみたいな将軍様だったかな
528 :03/08/28 13:06 ID:iEmlYXeA
>>526
紅の傭兵の親父モナ〜(´∀`)
529北朝鮮は日韓併合前の李氏朝鮮と同じ:03/08/28 13:07 ID:H56B8bSj
中国の属国で搾取されていた李氏朝鮮は一握りの支配階級が贅沢をする飢餓の国だった。
日本の明治政府は朝鮮の安定のため、改革を何度も要請した。
しかし支配階級は改革をするつもりもなく、またその気があったとしても
財政が破綻していたので、全くどうにもならなかった。

そこで支配階級の一部は苦渋の決断をする。日韓併合である。
====================================
併合前に朝鮮から全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に
接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ
ていたことに衝撃を受け次のように述べている。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ
とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合
相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち
がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない
が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き
世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民
族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を
基に考察したのだ。
                 李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より
530小泉明マイラヴ ◆wAVxvJHetM :03/08/28 14:30 ID:05vMMA7O
>>507 無表情で地下鉄歩いて、横から手招きするヤシもいないしね。
531 :03/08/28 16:02 ID:iRy1Rl8z
age


532 :03/08/31 08:13 ID:WMHUdBiF
>>519
日本海軍十八試局地戦「震電」どこかに眠ってないかな。

ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/2631/
533 :03/08/31 10:00 ID:WMHUdBiF
>>520

安定期の江戸時代は、四代将軍家綱の大老を勤めた保科正之公の手になる
施策によるところが大。

人物探訪:保科正之 〜 清冽なる名君
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog277.html
534 :03/09/03 04:11 ID:GXeuBLts
すいません。朝鮮通の方教えてください。

http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=511772&work=search&st=subject&sw=

ここで、両班とおぼしき人物が載っている「猫車」について、とっても興味がわいてきました。

あれって、どうやって乗り降りするんですか?
運び手は、白丁の人たちなんですか?
あれで、登庁するんですか?
正式名称はなんていうんですか?

ご存知だったら、ぜひ教えてください。
535 :03/09/03 07:08 ID:8+lqNfNz
・・・もしかして>>1は暴れん坊将軍の話がしたかっただけなのか?
536 :03/09/03 13:19 ID:wCUkvCkJ
>>532
猫実工大の敷地のどこかに。
537_:03/09/03 14:17 ID:72hfwHDi
>>536
どーでもいいお話。
猫実という地名は存在します、「ねこざね」と読みます。
千葉県浦安市猫実…勿論工業大学は在りませんが。

あと、茨城県にもあったような記憶が……
538 :03/09/03 18:38 ID:Qo/Ns5Oq
しかし、ここで見る江戸と俺が教授された江戸の理解とは程遠いな。
農民は搾取され、一揆が頻発し、天皇や将軍など搾取階級は
エタヒニンなどわけもなく被差別階級を
置いて、庶民の不満をそらしていた。と習った。
まさに、今の北朝鮮のごとき江戸時代観を刷り込まれていた。
539kkk ◆KwOayjtkcs :03/09/03 20:12 ID:Gl9kpMuI
>>538
典型的な階級闘争史観=マルクス史観 だね
540 :03/09/03 20:15 ID:RPiHSWKQ
>>538
 エタ・非人は差別こそされてたがへたな武士よりも金を持ってたよ。
 もっとも被差別階級は生まれによってできる職業がきまってたから
 金持ちでないのもいたけど。

541 :03/09/03 20:37 ID:WrX7F4pK
昔の農家は結構白米が食えたらしい。
まあ、それも小作人までで水呑百姓はまれだったとか。

うちは小作人雇っていた農家で、戦前に茅葺を壊したときに
出てきた昔の出納票(?)見たいなのが出てきてそれに
くっきり書いてある。今は郷土博物館に入ってるよ。
542 :03/09/03 20:42 ID:FbTXjeB+
福祉に力を入れようとしたのも、徳川政権の大きな特徴。
疫病などで親を亡くした孤児などのために、幕府が当時世界でも例を見ない政府主体の孤児院を確か作っていたはず。
もっとも、その後の生類哀れみの令と共にうやむやになったらしいが・・・・
生類哀れみの令さえなけりゃ綱吉って世界でも有数の名君だったのにな・・・・日本じゃ不当に評価が低いよね?綱吉って
543名無し三人目だから ◆eLNQwASUKA :03/09/03 20:53 ID:X28lezeD
白土三平のカムイ伝もマルクス史観で描いていたけれど、江戸時代のことを
調べれば調べる程マルクス史観と全然違うんで、とうとう描けなくなっちまった
らしい(w
544いつもの名無しさん:03/09/03 20:53 ID:kyQaxXmo
>>542
戦国の遺風(野蛮)を一掃し、泰平の世をつくった
ちゅ事蹟が歴史学では評価されとる筈ですが…。
まぁ確かに一般には評価が低いですな。
545鴉 ◆uODiJzGa9c :03/09/03 21:29 ID:XIxigDHc
相撲、歌舞伎、落語、滑稽本、錦絵、瓦版、文楽、浄瑠璃、
・・・・その名を並べているだけで豊かな心になるような文化の華の
見事さよ。


さて、かの国に何がありましたか?
病身舞?
546 :03/09/03 21:56 ID:FbTXjeB+
 確か、腹が減ると自分の子供を食っちゃうというのがありました。
それが最高の親孝行らしいです。
なんか、ストレスの溜まったハムスターみたいだね。
547ミ ´Å`彡 ◆Qx04qfuZ.. :03/09/03 22:12 ID:xspcJDY/
 確かこのスレの上のほうでも書いてたはずだから繰り返さないが、
仮に教科書にあるようなマルクス主義史観の江戸時代が事実だったとしても、
当時農民が「苦しい生活」をしてない国があったというなら、それは
どこだったのかと問いたい。

 科学技術が進歩してなかった時代に農作業が重労働なのは当たり前だし、
不作に際して飢えが出るのも当たり前だと思うのだが。
548 :03/09/03 22:41 ID:2j37FAAe
おいらも浮世絵に興味を持たなかったら、学校で教えられた
もしくは、時代劇の中の江戸しか知らなかったかも。
確かに現代と比べればそりゃ、不便極まりない知れないけど
じゃあ、他の国ではどうだったか何て教えてくれないもんね。
ところで、東京の科学博物館で「江戸大博覧展」なる特別展を
やっていたのだけど、これが結構良かったよ。
モノ造り日本の原点を江戸に求めて、いろんな展示物と資料で紹介したやつ。
それを見ての感想だけど、一見無駄なモノにかける日本人の情熱を感じました。
でも、無駄を切り捨てない底の深さが江戸文化の神髄ではないかと。
549 :03/09/03 22:49 ID:FbTXjeB+
 ふと思い出したのだが、水戸光圀と赤穂浪士って綱吉の時代の人だったんだよね・・・・
赤穂にいたっては綱吉は助命派だったらしいが、法の厳守という点から結局切腹させたんだけどね。
日本の将軍って結構粋な方が多いよね。懐の深さってのがあるよ。
・・・・・・北朝鮮の将軍様って懐の深さというより業の深さを感じさせるようだが・・・・・
550 :03/09/03 22:56 ID:ZzrIIr5s
半島人以外は>>1みたいに思ってるんだろうね
でも半島人を除く世界の人は「北朝鮮と李氏朝鮮って似てるね」って思ってるよ
551 :03/09/03 22:57 ID:ZzrIIr5s
半島人以外は ×
半島人は   ○
552 :03/09/03 23:25 ID:J7jyCWcU
江戸時代って
 毎年百万人単位で餓死者が出たり
 他国へ亡命者が続出したり
したっけ?
553 :03/09/03 23:26 ID:J7jyCWcU
しまった。サゲだ。

犬将軍=五代目将軍綱吉>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ブタ金

だろ?ブタ金よりひどい独裁者っていたの?
554 :03/09/03 23:32 ID:FbTXjeB+
うちの近所の雅人くん(4歳)。
555「ど」の字:03/09/04 00:20 ID:+K29/3t3
>>553
 中国・三国時代の孫皓(呉を亡国させた君主)なら競るかもしれん。あれは酷い。
 他には寡聞にして聞かないな……。
556 :03/09/04 09:17 ID:P9tioKp4
今年は冷夏で米が足りなくなるかもしれないけど、餓死者が出ると心配してる
日本人などいない。

日本人でホントによかった。
557 :03/09/04 20:32 ID:fdduoYK/
綱吉の時代も、思うほど悪くなかったと思う。
「「生類憐れみの令」うぜぇぇぇぇ!!」とか、「「武道しる!学問しる!」て、藻前は蚊か!」
なんて、結構おおっぴらに言ったりしてたし。
558 :03/09/04 20:47 ID:fdduoYK/
今終わっちゃったけど、最後のトークで「当時の江戸湾を見たい」と言ってた。
「秋刀魚は来る、鯨は来る、いるかも来る」
「鯛やヒラメもいますよ」
豊かな海だったんだね。まるで竜宮城。
559 :03/09/04 23:10 ID:TfUJMwB8
>>557

まあ綱吉自身は相当な人格者だったらしいからね。
ただ根っからのお坊ちゃま体質だったから、限度を知らんかっただけ・・・・・
頂点に立った人間が真っ先に弱者を守り、福祉を充実させようなんて普通の支配者じゃ考えんからなぁ
560 :03/09/04 23:49 ID:Vzq5tYtM
>>553
カンボジアのポルポトかな。北朝鮮以上に急進的な共産主義政策をとり、
当時一千万人と言われたカンボジア国民のうち、250万人以上を虐殺した
狂気の独裁者。
殺した数では金親子も負けてないだろうが、1975〜1979年のわずか4年
足らずでこれだけの自国民を虐殺したのだから、現時点では正日君以上と
いえると思う。
561 :03/09/04 23:59 ID:Vzq5tYtM
まあ、ジョンイル君は現在記録更新中だから、これからも独裁体制が続くと
ポルポト以上の、ワースト独裁者になる可能性は十分あると思うよ。
562 :03/09/05 01:10 ID:VRjc87YD
>>560
ポル・ポトは内部抗争に負け、失脚すると自分の肖像や写真を全て処分させ、
自分自身も変装して変名し、行方をくらませた。
大虐殺の責任追及を恐れたわけだが、これは迫り来るXデイの金豚一族の
行動を予見するモデルケースとなるかもしれない。
563 :03/09/05 02:04 ID:aQFKcJ6Q
>>562
ポルポトってまだ生きてんの?
564 :03/09/05 03:30 ID:L745Cnx1
>>563
数年前に病死(したことになってるが、殺されたという説も)。
565名無し:03/09/05 04:30 ID:TTc2OUen
流石のポルポトも数百万単位で餓死者は出してないと思うんだが。
566 :03/09/05 05:21 ID:hH9+ZSSS
生類憐れみの令を出した徳川綱吉の方が雀を皆殺しにした毛沢東より
確かにマシではないかね。
同じことを言った当時の農学者は叩かれたらしいが。
567いつもの名無しさん:03/09/05 11:16 ID:UBFEbv6j
綱吉公の施策(生類憐の令)は現在の視点から観ると行き過ぎの感が
あるけれど、あれくらい強力に殺生禁止を打ち出さないと戦国の蛮風
を払拭できなかったちゅコトでせう。当時は辻斬りやらが頻繁に起きて
いた様ですからね。
御犬毛付帳は確かにやりすぎ。佞臣跋扈の元をつくった。
568 :03/09/06 01:36 ID:FwbK8KIt
>>567
なんかね、当時の江戸では、身寄りのない人なんかが道端でバタバタ死んでることも
あったらしくて、そういうのをやめてみんなで助け合おうって意図もあったとか、どっか
の大学の教授が言ってますた・・・。
569 :03/09/06 10:51 ID:vop5mSxJ
江戸はやけに災害に弱かったという印象があるんだけどどうなんだろう。
地震国だから震災はともかく、大火がやけに多くないかね。
570安崎ニャゴキング ◆ziTeyang/2 :03/09/07 14:23 ID:Xzd3q8cZ
>>569
 そんなに多くない。
 有名な大火はいくつかあるけどね。
 住宅が密集してる分、広がると被害が大きくなっちゃうんだよね
 火消しが整備されてからは広がるまえに対処できるようになったし。

 共和国は失火できる燃料や燃え広がる住宅密集地はあるのかね?
57110代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/09 00:16 ID:a0HEA63n
>>570
当時の都市では、一部の倉庫以外耐火建築は普及していませんでしたが、
火事の跡は大量の木材が速やかに運び込まれ、あっという間に復興した
そうです。材木商が儲けすぎたり、江戸っ子が浪費家になると言った副作
用はありましたが。ちなみに、明治時代に大阪で1万戸以上が焼けた大火
では、未明の火事だったにもかかわらず、死者はわずか6名でした。
>>540
基本的に、武士も職人も世襲制でした。小作人は、新田へ移れば自作農に
なれましたが。商人は、才覚で財産は大きく変わりますから、必ずしも世襲
とは言えないでしょう。
572:03/09/09 08:35 ID:gOkPQfrA
>>571
金に余裕のある商人は火災に備えて予め
スペアの木材を用意しておくことが多かったらしいからね。
火災そのものは悲惨でも、同時にやたら明るいイメージもあるのは
その後にすみやかな復興が約束されているからなわけで。

一部の地方はともかく、一般庶民の殆どが
生命の危険を感じる事もなくそれなりに文化的で平穏な日常生活を
300年近く営めたというのが江戸時代の凄さだと思う。
とはいえ、普通の国なら文化的かはともかく庶民が普段から死ぬほど
飢えることはないわけで、それで革命も起こさず500年以上もサバイバル
状態を続けてこられた彼の国の人々も逆に物凄いとは思うが。




573572:03/09/09 08:38 ID:gOkPQfrA
あ、彼の国の庶民のサバイバル状態は有史以来のことだったか。
574 :03/09/09 11:56 ID:VChRNx7v
北鮮は人口3000万人で500万人餓死だっけ?
ほとんど史上空前の水準だな。戦時でもないというのに。
農業革命後の世界においては奇跡的な数字とすら言える。

そういえば人口だけは江戸時代の日本と現在の北鮮は似てるんだな。
575 :03/09/10 11:50 ID:ggYgRTuk
>>574
江戸時代の日本の国土と生産力で、人口2000万人が自給可能な適正人口だったようです。

・・・朝鮮半島全部足しても北海道より狭く、北は農業生産に向いていないということを考えると
江戸時代の農業生産技術>>北朝鮮の農業生産技術であることを仮に無視しても、
現時の日本並みに工業化し、貿易で潤沢な利益を上げた上で農産物の輸入をしない限り
北朝鮮で人間が餓えて死ぬのは構造的必然でつね。

善政を敷いて36年間で朝鮮人を2倍に増やした罪について、やはり日本は謝罪と賠償を
求められるのでしょうか?
57610代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/10 19:55 ID:AjuPQjqk
>>575
さすがに北海道よりは広いですよ。韓半島。韓国が10万平方km、北韓が
12万平方kmで、合計22万平方km。北海道は8万平方kmです。いずれに
せよ、北の2000万という人口は、農業で食っていくには十分過剰ですが。
577 :03/09/10 20:09 ID:Y2rk+qnd
>>571
>商人は、才覚で財産は大きく変わりますから、必ずしも世襲とは言えないでしょう。
実際、大店は今で言う企業の体裁を得て、世襲ということはなくなったようです。
こういう大店では、本店−支店という形で展開するので、「のれんわけ」もなかったようです。

>>575
ベトナムに求められたら、どうしよう・・・・・
578:03/09/10 20:52 ID:Kh6Ny7x9
>577

>世襲

そういえば息子の出来が悪かったら、娘に婿を取らせその義理の息子に後を継がせるというのを聞いたことがあります。
娘もいなかった場合は有能な養子を取ったり、はたまた番頭をさんを養子に迎え入れたとか。
579在日ニホン人 ◆6gYxGxJvo2 :03/09/10 20:58 ID:pB3wlWKa
>575
ちょっと違いますね、
3000万人ではなく公式には2200万人です。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~yq3t-hruc/
・・・なお悪いじゃん。

>578
日本の場合は「家」の存続を重視しますから。
「家」が存続すれば「血族」でなくてもかまわないと言うところがあります。
580580:03/09/11 01:12 ID:2aKWYX88
581 :03/09/11 01:23 ID:sc5A4Qp7
結論: ああ、俺は日本人でよかった・・・
582577:03/09/11 06:57 ID:mQTG58xr
>>578-579
私が挙げたのは、店が発展しすぎて創業者の手を離れてしまったという、ちょっと特殊なケースです。
なので、世襲そのものがここでは否定されてます。
特殊、とはいっても、大阪では珍しくない形態だったようですが。
583正義の見方:03/09/11 14:42 ID:v72mNf2s
江戸時代が北朝鮮と同じだなんてどこを見てんるんだ、当時の江戸は百万都市で、世界一
の人口だったのですぞ。江戸はいまより文化的で個性的ともいえたたでしょう。幕藩体制
はいまより地方分権であり、藩の大名も自分で土地を所有しているわけでなく、徴税権が
あるだけなのです。治安を守る側が強盗に対して十手しか持たないのは江戸時代だけでし
ょう。北朝鮮みたいに密告社会で親まで密告する人でなし国と一緒にしないで下さい。
584 :03/09/11 14:54 ID:dfZI5/zP
>>583
十手だけ、ではなくて「十手」という身分証明書を持っていたって方が正確では
刺股やら六角棒のような長得物をまったく持っていなかった、ということはないだろうし
帯刀を許されていれば、それで身を守ることはあっただろう

その十手の代わりに「党員証明書」を手に武器を持たない「政治犯」を殺すのが北朝鮮
「切り捨て御免」どころか「強盗御免」を支配者が持っている国なんてほかに・・・
李氏朝鮮があるじゃないか(笑
585 :03/09/11 17:31 ID:aUXQLjRY
北朝鮮って言うより金氏朝鮮だな。
586 :03/09/11 18:23 ID:RQGlq3H1
一体どのような歴史教育を受ければ、朝鮮民主主義人民共和国≒江戸幕府という、
摩訶不思議な発想に到るのか興味深いです。

■江戸幕府
1603年家康が政権を握り、1867年15代目慶喜の代に政権交代するまで、約264年
続いた。

■北朝鮮
1948年日成が建国。1997年に2代目正日が後を継ぐも、建国から約55年目にして、
早くも大崩壊の恐れが・・。

江戸幕府は優秀だったから、比べるのも大人気ないけど。
58710代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/11 21:05 ID:KVcwx14U
>>582
大坂の大店では、番頭などを婿にして跡を継がせるのは、当たり前に行われて
いました。で、息子はどうなるのか?それは「若旦那」になるのです。若旦那は
文化の支え手となりました。また、若旦那がいると、主人はどうも、店の財産で
好き放題の贅沢はしづらかったようです。
もっと小さな店では世襲だったようですが、商売がうまく行くかは本人の才覚
次第ですから(むろん、運とか贈収賄などの要素もあるが)、商人に関しては
生活水準は固定していなかったと言えるでしょう。このような商人階級に好ま
れたのが、エロ本で有名な、あの井原西鶴の経済小説(日本永代蔵など)なの
です。

>>586
存続年数だけなら、朝鮮王朝の方が江戸幕府よりも長いのです。金氏朝鮮
だって、案外あと1000年くらい続くかもしれません。もちろん、庶民の生活と
言う面では、比較は無意味ですが。
588写真:03/09/12 00:14 ID:Sq3o0nUq
589 :03/09/12 00:28 ID:LoFkEA3T
恨500年といわれる李氏朝鮮があの民族にとって幸せだったのだろうか?
590 :03/09/12 12:17 ID:if26Ch9P
むしろ分裂期の方が文化的には高度だったのではないか。
中国に支配されるために統一した風にも見える。
591正義の見方:03/09/12 13:37 ID:hKIkYU1c
>>584
>十手だけ、ではなくて「十手」という身分証明書を持っていたって方が正確では
>刺股やら六角棒のような長得物をまったく持っていなかった、ということはないだろうし
>帯刀を許されていれば、それで身を守ることはあっただろう
与力は下級武士だから刀は差していたが、岡っ引は十手しか持てなかったのです。現在の巡査
が丸腰でいるようなもので、世界的にも例がないのではないか。刺股や六角棒は武器とはいえ
ません。時代劇で武士が町民を切り捨て御免などといってますが、理由なく殺せば武士でも罪
は問われたのです。人命尊重の思想は存外に高かったのです。
体制を批判するものはすべて収容所へ入れ、殺すという北朝鮮のような大名は江戸時代にも存
在しないわけで、金正日は将軍だけどこの上に誰もいない、最高位なのです。ところが江戸時
代は将軍は天皇が任命した位なのです。ここが北のぼんくら将軍と根本的に異なるところです。
592 :03/09/12 15:19 ID:3qUbG8hw
>>591
岡引や目明かしといった連中は十手なんて持てないよ。
あれは与力が自費で雇ってた連中なんで、「政府公認の治安維持担当者」の
証である十手は持たせることができませんでした。
現代でいえば、私立探偵や警備会社に警察手帳を持たせるようなもんです。
593_:03/09/12 16:33 ID:aQkHguC2
銭形平次を鵜呑みにするなってこと?
実際の岡引はヤクザみたいなもので町民には相当嫌われていたって話もあるね。
594スレッガー:03/09/12 18:31 ID:LQ9uVbSs
定廻り同心と同道の時は十手、捕縄を持つ事は許されてたみたいよ。
岡っ引にもランクがあって、大別すると小者と手先。
小者が准公認、手先が非公認。銭形平次で言うと平次が小者、その子分のハチが手先。

実際はかなりたちの悪い連中だったのは間違いないらしく、当時のある本には
岡っ引を見つけ次第、死刑にするべきだ、なんて過激な事も言われているし、
幕府によって目明し制度の廃止が何度も為されている。
595安崎ニャゴキング ◆l2WIOpoMVA :03/09/12 18:56 ID:M1qzRpF6
 共和国はそんなしちめんどくさいシステムを使わなくても、国民が自主的に犯罪者を取り締まってくれるニダ!
 よって共和国民の方が優秀ニダ!
596 :03/09/12 23:05 ID:3cZPLyas
>>591
まず英国警察は短い「棒」のみで、つい最近まで仕事していました

それに「長い棒」を武器とみなさないって、どうかと思うぞ
安保闘争のころの記録を見ると、角材が明らかに武器として使われてるし、
珍走の喧嘩のときも武器として棒(釘バットなんか)を振り回すだろ
それに「棒術」や「なぎなた」もある
597 :03/09/13 23:31 ID:q9DWGJ0k
町方の同心といえども基本的には
凶悪犯相手でも切り捨て御免権限はなかったんじゃなかったっけ?
その辺が制限されてて、特殊警察として火付け盗賊改めが出来た。
火盗改めは切り捨て御免の権限持ってたし…
ってまちがってたらごめんよ、鬼平好きなもんで…
交番の元になる辻番所も江戸時代だし、現代でも警官の発砲に厳しいのも
なんか江戸時代から継続してる気がする。
あと岡っ引が嫌われてたのは、自分の縄張り内の
商家とかに賄賂を強要するからじゃなかった?
強要は言い過ぎかも知れないけど、賄賂でいろんな便宜を図ったりしてたようです。
598あげ:03/09/20 11:04 ID:g6blq0f3
あげ
599スレッガー:03/09/22 20:08 ID:4U6AfROk
>>597
火付盗賊改には町奉行所の役人と違って、武官で荒々しい人間が歴任したんで、
捜査や犯人逮捕などの行動一つ一つが荒々しく、江戸町民にはかなり嫌われていたらしい。
この火付盗賊改が同様に嫌われ者の岡引をもっとも利用したとか。
与力同士の犯人捕縛競争が激しく、無実の人間を不当に犯罪者に仕立て上げて、
これを捕まえ手柄にしたって事もかなりあったらしい。

あとは、斬り捨て御免とは言っても、その時の状況を示す証言や証拠が必要で、
お上の何らかのお叱りもあるし、世間体も悪い。割に合わないってのが当時の武士の本音。
町人を斬り殺してのうのうと歩ける世の中でもなかった。







600スレッガー:03/09/22 20:09 ID:4U6AfROk
そういえば北と江戸時代の比較ってのなら、
トイレ事情の比較ってのが面白いと思う。

601:03/09/22 21:05 ID:ZnXU2Txk
>町人を斬り殺してのうのうと歩ける世の中でもなかった。

 手元にネタ本がないのでうる覚えだけれど、町人を切り捨てた侍が岡っ引きにつかまって、「旦那、どちらのご家来で?」と詰問され、主家に迷惑を掛けるわけにはいかないと腹を切ったとか何とか。
 幕府が、各藩のちょっとしたミスをネタに転封とかお取りつぶしにしようとしたので、かなり窮屈な生活をしていたらしいですね。
602age:03/10/01 23:31 ID:02iUZl7a
agr
603いつもの名無しさん:03/10/02 14:06 ID:pYhKdhVk
>>599
しかもちゃんとバッサリ斬らないといけない。
し損じて、反撃され傷のひとつでも負ったら、
武門の恥として切腹を申し渡される。

余程の侮辱でも受けん限り、大方のお武家
は平寧な生活を送ってたようでつな。
604あげ:03/10/11 10:12 ID:AxbZ3K8I
あげ
605 :03/10/11 10:22 ID:P3APYHXx
2年位前から場合により威嚇射撃抜きで狙っても良いらしい。
外国人の凶悪犯罪者相手に威嚇射撃していたら、警官側が殉職しちまうしな。

…つうか、全ての場合で威嚇射撃の後でなければ当ててはいけないって
規則が無茶なわけで、すこしマトモになったと言うことでせう。
606 :03/10/11 13:37 ID:53mDWD+M
江戸時代のトイレといえば汲み取り式便所だが、これのおかげで
当時のヨーロッパ諸国のような伝染病の蔓延を防ぎ、農作業用の肥料にもなって、
鎖国状態でも世界一の人口をキープできたという話もあるな。
北朝鮮は知らん。

607 :03/10/11 14:17 ID:V2rDLzzH
もっとも寄生虫の温床にはなったが
608 :03/10/13 00:16 ID:T8B0nfE/
植物には「窒素・隣・カリ」が必要であって、
肥は窒素主体で、カリが多少混ざっている肥料
隣やカリは植物を燃やした灰を撒いて補充する。

ちゃんと科学に沿った肥料を選んでいたらしい。


明治以降は南方から隣鉱石・南米からチリ硝石(窒素・カリ)を輸入して肥と
組合わせて使用。その後、肥は空中窒素固定法による化学肥料へと代替していく。
609.:03/10/14 06:50 ID:3Xce4OgP
★江戸のパノラマ&江戸城正門。両方とも1865年頃(撮影フェリックス・ベアト)
http://www.mid-tokyo.com/18/photos/07.html※スクロールして下さい
http://www.mid-tokyo.com/18/photos/15.html

↑の写真の30年後の1897年、ソウル南大門路。王宮のお膝元(東洋のシャンゼリゼ)
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=511772&work=list&st=&sw=&cp=1



  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ   
 ∧_∧     ∧_∧     ∧_∧        
 (   )】      (   )】    (   )】  「きゃ〜東洋のシャンゼリゼ最高!」
 /  /┘    /  /┘    /  /┘
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     

610:03/10/14 07:36 ID:EhBY0Isc
>>606
北朝鮮は、学校で生徒に先生が手で汚物をかき出せって命令してるよ。
(実話)
611いつもの名無しさん:03/10/15 14:15 ID:0ZapPibv
隣→燐。
612608:03/10/16 04:25 ID:h2caFjyT
>>611
うぎゃ、三隣亡 …鬱だ氏のう
613 :03/10/18 13:25 ID:TYsZhq++
age促進協議会
614名無しさん:03/10/18 20:17 ID:IGn4PmLG
征夷大将軍と将軍様の違いなど大奥と喜び組の違いでしかない。
615        :03/10/18 20:20 ID:bsQNbSAt
>>614
さらっと言ってるがその二つはだいぶ違わないか?
616 :03/10/18 20:25 ID:kxI5yWhk
>>1
勉強不足の子供の書き込みは痛々しい。
江戸時代の歴史的意義を3分以内にまとめて報告しな。おい。
617 :03/10/18 20:41 ID:c5kQv+4x
618わし ◆mGSDI.uc2U :03/10/23 15:07 ID:3Qu2HH+b
昨日は電話ありがとうな。
早く風邪を治して、いつもの元気な声を
また聞かせてください。
619 :03/10/23 22:39 ID:Up6IpqoM
>>614
IDがLGの奴が、何を言っても説得力が無い。
620 :03/10/26 07:51 ID:EBTW9m0m
>>606
単純に汲み取り式とは言っても、上水が整備される前の江戸では井戸がもっぱら
飲料水として使用されていたから、どこでもここでも設置して良いというもので
はなかった。
幾度かの伝染病の発生をみて、幕府は町方に命じて、便所を設置するのは井戸から
どれだけの距離をとるべし等の決まりを定めて、きっちり守らせている。
江戸が清潔な町だったという事実の背景には、それなりの努力があるんだよ。
621いつもの名無しさん:03/10/26 10:41 ID:nfLToRhH
>>620
塵芥を公的機関(に委託された業者)が定期的に回収したりね。
現代のゴミ収集のシステムと殆ど一緒。
622a:03/11/04 15:35 ID:nOMsd1E4
a
623なんだいあんた名無しかい?:03/11/04 20:54 ID:Qa3vucPd
江戸の水は「井路」っていって川上の水をひいてきた水道水だよ。
大部分が干拓地だからね。
そこから井戸のように汲んで使ってたんだってさ。
624 :03/11/04 23:11 ID:Ncjt3ku2
>>621
>現代のゴミ収集のシステムと殆ど一緒。
て言うか、当時はほとんどの物がリサイクルされていたので、ゴミ自体少なかった。
壊れた陶器を買い取って補修して売る商売もあったし、道端に落ちてる牛馬の糞は
子供が小遣い稼ぎに拾って売ってた。
凄いのは服で、新品→古着→仕立て直して子供服→オムツ→雑巾→煮溶かして浅草紙
のサイクルで、長くて数十年流通していた。
こんな調子で、ゴミの出にくい社会だった。
625ふふふ:03/11/05 00:25 ID:3zg4fFUn
「その国を見るには、ゴミ箱とトイレを見るといい」との
言葉がありますが、当時の江戸は現代の東京よりも「進んで」
いたかも。 
賞味期限が切れた瞬間廃棄される弁当と、温水・温風・
自動開蓋・自動水洗のトイレ。 現代社会は 「豊か」ではあるけど
「賢く」はないね。

626:03/11/05 00:50 ID:iKeDwuM8
「花のお江戸」っていい響きだねー
627スレッガー:03/11/05 01:05 ID:xWs8pMPh
女性の下着の使い古した物を、新たに頭巾に仕立て直してから
店頭に出して、それを殿方が買っていくって事もあったとか。

628いつもの名無しさん:03/11/05 09:49 ID:dbxPUgFa
ちゅても無条件でマンセーするのはちょっとね。
ある面では評価できても、グローバルに観りゃ
日本停滞の時代だった訳で。
戦国時代後期は世界最大の陸軍国だったちゅ
説もあるのにさ、幕末からこっち、南蛮紅毛に
圧されっぱなしぢゃないか。

>>624
それでも出るゴミで掘割が汚濁するちゅコトで、
塵芥収集のシステムがつくられたそうな。その
ゴミは海岸の埋め立てに使われたとか。
629 :03/11/05 13:07 ID:RDhmPUWD
>>264-286
知念靖雄容疑者(26)HNごるごるもあタイーホタイ━━━━||Φ|(|´|Д|`|)|Φ||━━━━ホ!!
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20031105ic04.htm
630
>>628
>ある面では評価できても、グローバルに観りゃ
>日本停滞の時代だった訳で。

グローバルっちゅーか、欧米と比べて、ね。
それも、近代工業化や科学の体系化という側面においてであって、本当に停滞か
どうかというのはまた微妙な話。
別にマンセーってわけじゃないが、開国のプロセスや開国後の発展を見てアジア
諸国と比較するに、「江戸時代は停滞の時代」とその進歩性を否定するのはどうか
とは思うのだよなぁ。