おまえら八月十五日靖国参拝しませんか?in'03-13

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上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」
一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、
その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す
一、青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし

『ニューヨーク・タイムズ』38年12月9日 T・ダーディン
南京の男性は子供以外の誰もが、日本軍に兵隊の嫌疑をかけられた。背中に背嚢や銃
の痕があるかを調べられ、無実の男性の中から、兵隊を選びだすのである。しかし、
多くの場合、もちろん軍とは関わり合いのない男性が処刑集団に入れられた。また、
元兵隊であった者が見逃され、命びろいする場合もあった。
(中略)
 日本軍が市内の支配を固めつつある時期に、外国人が市内をまわると、民間人の
死骸を毎日のように目にした。老人の死体は路上にうつ伏せになっていることが多く、
兵隊の気まぐれで、背後から撃たれたことは明らかであった。

『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』38年3月16日
(フィッチの談話)
12月14日、日本軍の連隊長が安全区委員会事務所を訪れて、安全区に逃げ込んだ六
千の元中国兵――彼の情報ではそうなっている――の身分と居場所を教えるように要求
したが、これは拒否された。そこで日本軍の捜索隊が本部近くのキャンプから、中国の
制服の山を見つけだし、近辺の者一三〇〇人が銃殺のため逮捕された。
安全区委員会が抗議すると、彼らはあくまで日本軍の労働要員にすぎないといわれたので、
今度は日本大使館に抗議に行った(12月13日に日本軍と同時に南京に入城していた)。
そしてその帰り、暗くなりがけに、この使いの者は1300人が縄につながれているのを
目撃した。みな帽子もかぶらず、毛布だの他の所持品もなにひとつ持っていなかった。
彼らを待ちうけているものは明白であった。声ひとつたてる者もなく、全員が行進させられ、
行った先の河岸で処刑された。