おまえら八月十五日靖国参拝しませんか?in'03-13
17 :
「2ちゃんねる」を利用してますね:
18 :
:03/07/07 00:18 ID:a1EmRKc2
第6師団 元上等兵・児玉氏 毎日新聞1984年8月15日の報道
集団射殺は児玉さんらが南京郊外の駐屯地から南約六十キロの蕪湖へ向けて出発した同月
(十二月----洞富雄氏注記)十六日頃行われた。児玉 さんらに、揚子江近くの小高い山に
機関銃を据え付けるよう命令が下った。不審に思いながらも山上に重機関銃を据え付けると、
麓の窪地に日本兵が連行してきた数え切れないほどの中国兵捕虜の姿。そこに、突然、「撃
て」の命令。機関銃が一斉に乱射された。
「まるで地獄を見ているようでした。血柱が上がるのもはっきり分かりました」。機関銃は
約五十メートルの感覚で「三十挺はあった」という。「なぜ捕虜を殺したのか。遺体をどう
処理したのか。他のどの隊が虐殺に加わったのか。私たち兵隊は何も聞かされなかった」と、
児玉さんはうめいた。
19 :
:03/07/07 00:18 ID:a1EmRKc2
野戦郵便局長 佐々木元勝陣中日記『証言による南京戦史』
夕靄に烟る頃、中山門を入る前、また武装解除された支那兵の大群に遇ふ。乞食の大
行列である。誰一人可憐なのは居ない。七千二百名とかで、一挙に殺す名案を考究中だと、
引率の将校がトラックの端に立乗りした時に話した。船に乗せ片付けようと思ふのだが、
船がない。暫らく警察署に留置し、餓死さすのだとか・・・・
麒麟門で敗残兵との一戦では、馬群の弾薬集積所で五名の兵が、武装解除した二百人を
後ろ手に縛り、昼の一時頃から一人づつ銃剣で突刺した(ここは聞き書き----洞富雄氏注記)。
(中略)
夕方頃、自分で通つた時は二百名は既に埋められ、一本の墓標が立てられてあつた。
(中略)
これは吉川君が実見したのであるが、わが兵七名と最初暫く応射し、一人(女)が白旗を振り、
意気地なくも弾薬集積所に護送されて来た。女俘虜は興奮もせず、泣きもせず、まつたく平然
としてゐた。服装検査の時、髪が長いので”女ダ”といふことになり、裸にして立たせ、皆が
写真を撮った。中途で可愛想だというので、オーバーを着せてやつた。殺す時は、全部背後か
ら刺し、二度突刺して殺した。俘虜の中に朝鮮人が一名、ワイワイと哀号を叫んだ。俘虜の中
三人は水溜りに自から飛び込み、射殺された。