日東壮遊歌 日本を見て驚く朝鮮人

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1 
金仁謙著「日東荘遊歌」(東洋文庫、定価3100円)

1764年当時の日本は明らかに朝鮮よりも進んだ国家でした。
朝鮮人の日本旅行の感想って今も昔も同じですね(www

(大阪港の感想)
「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるがここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」
(大阪の感想)
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され・・・」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」
※歴代の使節がその後も見物したけど、ウリナラでは作れなかったニダ・・・
(京都にて)
「人々の富める様は大阪には及ばないが都の西から東までの距離は三里に及ぶという」
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
(名古屋の感想)
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」
(江戸の感想)
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで
大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
2 :03/06/25 22:52 ID:L8eBBM0B
さんざんガイシュツだよな〜
新手の荒らしじゃないよね?
3ザパん ◆0aWdG8bH7g :03/06/25 22:55 ID:3jpn8e5c
>惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が
>倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
>子々孫々に伝えられていることである この犬
>にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し 四百里六
>十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 
>礼節の国にしたいものだ

この一文はハン板では知らない人の方が少ないぐらい有名。
4 :03/06/25 23:02 ID:lQ0Otmfz
>>3
そうか?w
5 :03/06/25 23:04 ID:SEsf1C2f
>>3
原文は「犬にも等しい」ではなくて「犬の陰茎のような」だったかと。
チョンって変態チックだなぁ・・・
6 :03/06/25 23:05 ID:BD7KZegm
>>4
誇らしいIQですね w
7ザパん ◆0aWdG8bH7g :03/06/25 23:06 ID:3jpn8e5c
>>4
歴史関連スレを覗いた事ある人はだいたい
知ってると思いますが・・・。
8 :03/06/25 23:07 ID:SEsf1C2f
このネタは既出だけど、

> 朝鮮人の日本旅行の感想って今も昔も同じですね(www

これは超納得した。
今でも日本に来て「ウリナラの方が・・・ウリナラの方が・・・」と言っているだけ
9 :03/06/26 01:28 ID:+ATbvsSW
韓国の教科書だと、江戸時代でも韓国が日本より優位と教えているらしいね
10 :03/06/26 12:19 ID:M8goowAZ
( ´_ゝ`)フーン
11 :03/06/26 12:25 ID:52JhZQQ+
>>9
SFだから。
12 :03/06/26 21:04 ID:eShmaCs6
>>11
Suguni Fabyon
13 :03/06/26 23:45 ID:+ATbvsSW
韓国人が本当の歴史を知るのはいつの日か・・・
14 :03/06/27 01:05 ID:akjevVOS
>>12
ワラタ
15 :03/06/28 01:11 ID:nkx9ANms
小学館文庫の「日本人ビックリ!韓国人の日本偽史」(野平俊水著)によると、
韓国人の歴史観はこんな感じらしい

古代〜1592年 : 朝鮮絶対優位期
1592年〜1597年(壬辰倭乱) : 引き分け
1597年〜1910年(江戸時代) : 韓国優位外交
1910年〜1945年(植民地)  : 一敗
1945年〜1997年 : 追い越し時期
1997年〜2001年 : (特に定義されていない)
2001年〜     : ライバル

まあ、>>1の記録がある以上、嘘だらけだが・・・
16 :03/06/28 01:32 ID:nkx9ANms
漏れ的にはこう考える。

先史時代〜古墳時代 : 朝鮮優位期
飛鳥時代〜鎌倉時代 : 朝鮮がやや優位
室町時代前期     : 互角
戦国時代        : 日本が優位
安土桃山時代〜江戸時代 : 日本が完全優位
明治時代〜1945年 : 日本人の奴隷
1945年〜1990年頃 : 日本人の記憶から忘れられる
1990年以降 : 日本の隣の後進国にキムチの国があるという認識
17 :03/06/28 11:21 ID:2s4HR6W7
Fabyon
18 :03/06/29 04:28 ID:/7F1F8R/
モウダメポ
19竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/06/29 04:34 ID:js29hZ4p
朝鮮優位って日本の資料みて優位って言ってるだけだからね(w。
卑弥呼の時代から実際は日本優位だろ。
20 :03/06/29 04:38 ID:Sq2vwGxn
先史時代 比較の意味無し
古墳時代〜飛鳥時代 政治的に日本優位、文化的に半島優位
鎌倉時代 対等または文化的に半島優位
室町〜江戸 日本優位、儒教のみは半島優位
明治以降 日本絶対優位
21yjh:03/06/29 05:02 ID:EV5wyZG9
半島人の考え。フロムNAVER

朝鮮通信使   群集が羨望の眼差しで見ていた。日本人は下半身褌だけの野蛮人

        幕府は通信使の接待費で財政破綻した。写楽(だと思う。)は通信使の一員。

天皇      百済人を祖とする。(伊藤博文がそのまま国王になったような感覚?)

        主に倭王、日王と呼ぶ。

日本文化    日本刀、侍、万葉集、東大寺、剣道ら多くの日本ゆかりの物が朝鮮起源もしくは
        朝鮮に関連するものである。
22 :03/06/29 05:04 ID:/7F1F8R/
>>21
ガクガクブルブル・・・
23:03/06/29 05:34 ID:EV5wyZG9
在日朝鮮人     国を捨てた裏切り者、白丁(奴隷、被差別階級)棄民とみなす。

          中田、イチローら在日同朋(根拠なし)の活躍を誇りとす

対日侮蔑後     チョッパリ(豚の足という意味だが語源はあまり知られていない)
          翻訳によってチョックパリ、チョックパリドル(豚足奴?)にもなる。
   
          倭(倭人)何故か日本を侮蔑する言葉に

日本への要求等    侵略の賠償金800兆円(だったと思う)くれれば全て水に流す。

           日本は北朝鮮を援助する義務がある。 中国の脅威に共に立ち向かうべき。

           日本人は本当の歴史(過去の悪事)を知らない、洗脳されている


           

                      

            





          
24_:03/06/29 06:00 ID:DUZTfmUf
>>9
本当のようだな
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=13899&work=list&st=&sw=&cp=
ポカーン( ゚д゚)

板違いだったらスマソ
25 :03/06/29 07:41 ID:UKPZjSH5
>>20
>室町〜江戸 日本優位、儒教のみは半島優位

向うの儒教って政敵を倒すため言葉のあやや揚げ足とり、重箱の隅をつつくなどというような
実生活とはかけ離れれた学問になっていた。百歩ゆずって儒教がさかんだったとしたら
王位継承の度に敗けたほうは毒殺、一族郎党殺害されたり奴婢にされるってのはありかよ。

孔子様が朝鮮の儒教を知ったら彼の国に儒教を伝えたのは誰かって責任を追求するぜ。
26 :03/06/29 08:38 ID:CiWLXhCd
>>25
まあ、孔子の儒学も元々は理想の政治のために考案されたものだけど、
具体的に政治の方法を定義していないから朝鮮人に都合良く利用されてしまうのかもね。
儒学の新体系の朱子学に至っては宇宙論になってしまってさらに実用性が低下したのかもしれない。
27 :03/06/29 09:17 ID:UKPZjSH5
>>26
朝鮮人は儒教に限らず、共産主義も民主主義も自分達に都合良く利用する習癖がありますね。
28ななし:03/06/29 09:39 ID:xgXu4pEW
先史時代は、米作の開始時期が日本の方が早いし、
土器や遺跡の出土・規模も日本に遥かに部がある。

温暖で雨の多い日本だから、畑に籾を撒けば熱帯種の米が収穫出来るし、
土器を作るために木を切り倒しても、ほおって置けば雑木林が再生しちゃう
という夢の様な土地だからなぁ。

巨大な貝塚等のゴミの山を作った生活レベルは尋常ではないよ。
この時代も半島に勝ち目は無い。
29 :03/06/29 10:03 ID:BADtJ2X2
軍事、経済、文化の3局面ごとに比較した方が良いのではないだろうか。

先史時代 軍事→不明、 経済→資源豊富な日本優位、 文化→黄河文明の影響で朝鮮優位

古墳時代〜奈良時代 軍事→日本優位、経済→日本優位、文化→半島優位

平安時代 軍事→朝鮮優位、経済→日本優位、文化→互角

鎌倉時代 軍事→日本優位、経済→日本優位、文化→互角

室町〜現代 軍事→日本優位、経済→日本優位、文化→日本優位


30 :03/06/29 10:59 ID:JIT7ETn3
漏れ的にはこう

弥生以前 不明(おそらく日本優勢)

弥生時代(末期) 軍事→日本優勢、文化・経済→中華植民地優勢

古墳時代 軍事→高句麗、日本優位 経済→日本優位 文化→百済優位

平安時代(前期) 軍事→比較不能 経済→日本圧倒 文化→比較不能

平安時代(後期) 軍事→日本優位 経済→日本圧倒 文化→日本優勢

鎌倉時代 軍事→日本優位 経済→日本圧倒 文化→日本優位

室町時代  軍事→日本優位 経済→日本圧倒 文化→日本優位

安土桃山〜江戸 軍事、経済、文化→日本絶対優位

明治  軍事、経済、文化→朝鮮は日本の扶養国

大正〜昭和前半 軍事、経済、文化→朝鮮は存在しないので比較不可

昭和後半〜現代 軍事、経済、文化→比較の対象外
31 :03/06/29 13:28 ID:XWd5SCyK
歴史を比較するんなら中国も混ぜた方が良いよ。
日本も韓国も中国の影響受けまくりだし。特に文化面で。
32  :03/06/29 13:38 ID:mAWZJ/b+
>>24
この絵に描かれているのって白丁達だろ。
ナンデこのこと指摘しないの?
33 :03/06/29 14:42 ID:AE0iNrrl

>>1

結局、現実は

この犬にも等しい朝鮮の輩は 皆ことごとく掃討され 百里二十州は 日本の国土とされ 天皇陛下の徳をもって礼節の国にされたのだ

がな(プゲラ

34 :03/06/29 14:45 ID:QAq35Voo
まさにコリアンジョークw
35  :03/06/29 14:45 ID:DZA8YGl/
縄文土器
この時代では、世界でも類のない精巧さです。
小学館のなんかの本より。
36 :03/06/29 14:46 ID:40ans1CW
>>33
そんな事を言ってると、お犬様から抗議されるぞなもし。
37 :03/06/29 14:47 ID:L7tvhULP
じゃ、お約束で。

★江戸のパノラマ&江戸城正門。両方とも1865年頃(撮影フェリックス・ベアト)
http://aquarius17.cool.ne.jp/dc2wp/up/box/sub.cgi/scene0130.jpg
http://www.mid-tokyo.com/18/photos/img/15.jpg

↑の写真の30年後の1897年、ソウル南大門路。王宮のお膝元(東洋のシャンゼリゼ)
http://www2.nhcc.go.kr/photo/img/bmp/S1437.JPG

  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ   
 ∧_∧     ∧_∧     ∧_∧        
 (   )】      (   )】    (   )】  「きゃ〜東洋のシャンゼリゼ最高!」
 /  /┘    /  /┘    /  /┘
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     
38 :03/06/29 14:49 ID:QAq35Voo
>>33
>礼節の国にされたのだ

この部分は間違ってるぞ
39  :03/06/29 14:52 ID:983iz+Sj
>>37
しかし改めて見ると、ソウルのアレなのはいいとして
江戸って綺麗な街だったんだな…
40 :03/06/29 14:54 ID:L7tvhULP
>>39
浮世絵で見るのもなかなかいいですよ。

■浮世絵に見る江戸の暮らし 全て1780年〜1850年の作品
●道
http://nagoyatv.com/ukiyoe/museum/hiro2/img/dl0212.jpg猿わか町よるの景 歌川広重
http://www.matsuzakaya.co.jp/corporate/history/edo/img/061.gif東都大伝馬街繁栄之図 歌川広重
http://www.nara-edu.ac.jp/ARCHIVE/UKIYOE/23.jpg安政乙卯十一月廿三日両国橋渡初之図 歌川国芳
●アミューズメント
http://nagoyatv.com/ukiyoe/list/kabuki/img/dl08.jpg歌舞伎小屋1 東都繁栄の図 歌川広重
http://www.hum.pref.yamaguchi.jp/seek/U06/U0069800.jpg歌舞伎小屋2 芝居町繁栄之図 歌川広重
http://www.banzuke.com/art/DohyoIri1845.jpg相撲小屋 歌川国貞   
●食文化
http://www.umakato.jp/archive/ede/images/06_2_ph.jpg寿司  縞揃女弁慶松の鮨 歌川国芳
http://www.vinet.or.jp/~w1-mondo/museum/uki-m/c-01.jpg蕎麦 歌川国芳
●祭
http://www.vinet.or.jp/~w1-mondo/museum/uki-m/b-10.jpg夜祭り 歌川広重(左下にタコ!海に花火!)
http://www.clovernet.ne.jp/~m_hotta/pictures/natsumatsuri/ukiyo1.jpg 天王祭 歌川広重 
●花火
http://www.adachi-hanga.com/edo/edo18.jpg名所江戸百景両国花火 歌川広重
http://www.dentsu.com/MUSEUM/edo/events/img/13L.jpg江戸両国橋夕涼大花火之図 歌川国虎
●その他
http://www.csse.monash.edu.au/~jwb/ukiyoe/women_bath.gif湯屋 鳥居清長
http://www.asahi-net.or.jp/~et3m-tkkw/ukiyoe-14.jpg凧揚げ1 歌川国芳 
http://www.asahi-net.or.jp/~et3m-tkkw/ukiyoe-10.jpg凧揚げ2 歌川国貞 
41ななし:03/06/29 14:55 ID:1MHGuggH
>>29
>>30
考え方にもよるが、
半島に現存する最古の書物が12世紀のものなので、
それ以前の日鮮の文化比較は論外と思われ。
42:03/06/29 14:56 ID:3Q5GIySH
>>37

写真に写っているのが在日のご先祖の白丁ですか?
43:03/06/29 14:56 ID:c2h5ef4C
江戸時代ってすばらしい!
44 :03/06/29 14:57 ID:L7tvhULP
>>39
元ネタはここですよ。
18江戸時代の東京
に入って、クイズに答えると他にもいろいろみれまつ。
http://www.mid-tokyo.com/
45 :03/06/29 15:01 ID:qyo6tqU9
>>39
当時の江戸は世界レベルでも見ても有数の都市ですからねぇ。
比べるのがかわいそうとも言えますな。
46 :03/06/29 15:04 ID:rTD+oNg0
朝鮮国王と日本国大君、当時の将軍は対等の礼をもって国書を交換しているんだけどな
4739:03/06/29 15:05 ID:983iz+Sj
>>40 >>44
サンクスです。なかなか面白いサイトですね。
>>45
知識としては知ってるつもりだったけど、改めて比較すると
江戸のレベルがよくわかります。特に比較対象がアレだと(w
48Chun名無し ◆8rKRJPkXQ2 :03/06/29 15:07 ID:qlHMZgz+
江戸ってゴミがあまり出ない、元祖リサイクル都市だったんだよね。
49 :03/06/29 15:13 ID:rTD+oNg0
>>48
1764年に朝鮮通信使が来たときは、真冬で、倭人が寒さにふるえながら
見物していたそうだよ。

なんだかんだ朝鮮通信使は人気があったんだよ

寝屋川の農民がお尻に敷くための「わら」を売って商売を始めたそうだ

朝鮮通信使一行が過ぎて見物人が帰ると、その農民は残されていた「わら」

を集め、肥料として一財産をつくったという話が残っているよ
50    :03/06/29 15:17 ID:pIXzOB1w
>>49
珍獣として?珍客として?
51 :03/06/29 15:23 ID:L7tvhULP
>>50
はっきり言いますが扱いは「ラクダ」と同じです。
52:03/06/29 15:23 ID:rVGV9XJa
しかし、見たままで素直に感嘆してる点は、この著者を一定評価してやってもいい気はする。

今の半島関連の連中は「植民地支配がなければウリナラは発展しているはず」だとか、
「日本の○○、と言ったって起源はウリナラ」とか言い出すから。

しかし、驚きのあまりとは思うが、表現がなんか「白髪三千丈」みたいな、
中国っぽい表現の印象もある気がする。
53 :03/06/29 15:24 ID:L7tvhULP
>>52
でも事実なんじゃないの?
万倍という表現に何の疑問もない。
54 :03/06/29 15:24 ID:rTD+oNg0
>>49
尊敬の対象としてに決まっているだろうが・・・

大阪には、みぐくるみたま神社というのがある。
そこには、1695年に奉納された朝鮮通信使の川御座船を描いた絵馬がある訳だよ

絵馬には当時朝鮮通信使を見て感激した倭人達11名の奉納者が名前を残している

1682年の朝鮮通信使一行を仲間とともに見物に行って、間近に見た朝鮮通信使の姿
に感激して絵馬を奉納したんだよ

当時の庶民が通信使から受けた文化的刺激がいかに強かったのか、この話でうかがい知る
事が出来るだろう?



55    :03/06/29 15:26 ID:pIXzOB1w
>>54
法則回避のためだったりして・・・
56 :03/06/29 15:27 ID:7pFvsJJy
>>49
島津氏の参勤交代に組み込まれていた琉球と同じようなものだったと思われ。
道中で見世物&徳川幕府の威信を知らしめるためのチンドン屋ってところか・・・。
 
しかし、同じ鎖国をしていたとしても、朝鮮は施設を送ってよこし、徳川は特に無し、さてどういうことだろう。
57;;:03/06/29 15:29 ID:YI7WUvNr
誰だったかなあ?
アメリカ人の女性歴史家が、もし選べるのなら
19世紀イギリスの貴族か、江戸の庶民になりたい
って言っていた。
生活を楽しむ術に長けて、粋で優雅だったそうだ。
58 :03/06/29 15:31 ID:Eyq+UP9t
大名行列があった時代に、尊敬の対象を物見遊山で見物するかねぇ。

ひれ伏して顔を上げることも出来なかったわけでもない。
庶民にとっては、珍しいものが通る、という程度だったのだろう。
59朝比奈:03/06/29 15:33 ID:kqacbJd4
時代を通じて
両班力、儒教力、党争力、事大力、火病力にて圧倒的にアジアをリードしていた朝鮮。
その絶望的な落差に、日本人は朝鮮を師とする事を苦痛に思い
自ら編み出した価値観、道徳による文化形成に逃げた。

フランスに留学したポルポト達はあまりの文明落差に絶望し、
共産主義という実験的システムの導入によって民族興亡の大逆転を狙った。

・・・もちろん、そんな奇跡は起こる訳もなく・・・
カンボジアな塗炭の苦しみに喘ぎ、日本はアジアの道から外れた礼儀のない国として世界が認めている。
翻って朝鮮はどうか。
北は屈指の政治大国として常に国際社会の注目を受け、
南は全世界に雄飛し、あらゆる民族との融和、相互理解をますます深めている。

私は提唱する。
日本人再教育計画を。
教師は、国外にも国内にもごまんといるのだから。
60:03/06/29 15:33 ID:rVGV9XJa
>53
気に障ったらすいません。
いや、万倍の話は、本当だろうな、と思います。
むしろ正確を期すなら、当時の江戸の人口は世界一だったから、
計算すればそれこそ数十万倍になっちゃうかも。

僕が言いたいのは、文から受けた単なる個人的イメージ、受けた感想に過ぎないです。
ぜんぜん厳密なモンじゃないので・・・。読み流して下さい。
61 :03/06/29 15:33 ID:6v6cJcLG
古い時代に朝鮮が日本より進んでいたのは、日本より朝鮮のほうが
中国に近かったからであって、朝鮮に力があったからではない。
今も昔も

      日本>>>>>>>>>朝鮮
62 :03/06/29 15:33 ID:txICNCGq
ていうか、その庶民って農民のことでは絶対ないぞ。
日本は武士が貧乏で商人が裕福だったからね。
実際もっとも文化的な生活をしていたのは商人だったし。
イギリス貴族だって日本の農民は絶対嫌だろう。
63 :03/06/29 15:33 ID:L7tvhULP
64_:03/06/29 15:34 ID:3CXE8xso
>>54
そんなに意固地にならないで楽になりなよ。
所詮朝鮮通信使ってのは日本に対する朝貢なんだよ。
65 :03/06/29 15:35 ID:L7tvhULP
>>61
しかもその朝鮮は現在とはまるで接続してないしね。

なんせ百済をペクチェって読むくらいだからな。
日本は百済をヒャクサイとは読まないのにね。
66  :03/06/29 15:35 ID:mAWZJ/b+
>>54
その朝鮮通信使のほうが日本の風景を見て驚いてるわけだが・・・

しかも11人って・・・・・・

少な・・・・・・
67愛国者 ◆vdwPCT2GkM :03/06/29 15:36 ID:yESdctwf
68 :03/06/29 15:37 ID:L7tvhULP
>>54
何でそれが尊敬の証拠になるの?
見世物のらくだや象も絵馬くらい奉納されてたと思われ。
69 :03/06/29 15:37 ID:7pFvsJJy
>>58
琉球は内地化が進んでしまってからも昔の民族衣装で参加させられてたよ。
 
朝鮮使節より象が献上されたときのほうが盛り上がったみたいだから。
象>>>超えられない壁>>>朝鮮使節 ってところか。
70:03/06/29 15:38 ID:rVGV9XJa

江戸の人口は、Mid-Tokyoの中には150万人となっていますね。
当時世界一の大都市
ソウルなんか屁みたいなもんです。
71 :03/06/29 15:38 ID:WIBsjTrm
チョソはそのころから反日で、敵情視察に来た側面もあるらしいしな。
72_:03/06/29 15:38 ID:VAyzwhq4
73 :03/06/29 15:39 ID:wrax7TNo
>>54
すばらしい資料だなこれ見て反論言うやつはどうかしてるな
まったく。おれたち日本人は早くみとめたほうがいよ。
74 :03/06/29 15:40 ID:L7tvhULP
>>70
しかも殆どが読み書きが出来るんだもんな。
小銭も使える。

すなわちソフト論を語れる社会になってたと言う事。
こんな中世は世界ににないよ。

中世の文化ってのはせいぜい、宗教文化と服飾文化くらいだからね。

でも朝鮮にはそれすらなかったけどね。
75 :03/06/29 15:41 ID:rTD+oNg0
あのな・・・倭人達よ

朝鮮国王と日本国大君、当時の将軍は、対等の礼をもって国書を交換している
んだよ、上も下もない訳だ。

朝鮮通信使は、大阪の淀川を上って、京都から陸路で江戸へ向かったんだけど

その間、に使った路は「朝鮮街道」と呼ばれているんだよ

この朝鮮街道は、関ヶ原の戦い後、徳川家康が上洛に使用した道であって、
諸大名程度の倭人では通行する事すら許されなかった路なんだよ

それが朝鮮街道なんだよ

いかに朝鮮通信使が日本にとって目上のVIPであったのかが分かるだろう?

ネーミングからして尊敬の念がにじみ出ているじゃないか?
76 :03/06/29 15:42 ID:L7tvhULP
>>71
日本人も朝鮮人を嫌ってたよ。



朝鮮の人物は一般に日本、支那の人々より強大で筋骨も強い。
食料なども日本人の二人前を一人で平気で平らげる。
然しその心甚だしく愚鈍で、臨機応変の態度が少しも見られない。
太閤の征伐にあって負けた原因は全くここにある。

林子平「三国通覧図説」(江戸期の文献)



今日の印象と全く変わりませんな(w

77 :03/06/29 15:43 ID:rVGV9XJa
釣り師さんは必死だなぁ
78 :03/06/29 15:44 ID:/Q9Vp2D/
子供みたいな釣り師だな ほんと必死で
79 :03/06/29 15:44 ID:L7tvhULP
>>75
そりゃ日本人は中国人とは違うからな。
相手を立て、譲るべきは譲るのが日本の習慣だからな。
それを真に受ける朝鮮人がバカだって事よ。
実際は「らくだ」。

朝鮮人が一番喜んだ見世物は猿回しだったらしいな(w
80 :03/06/29 15:45 ID:NfcAGyWh
朝鮮・解同?

すごいですね(w
81後孝明@準太上天皇 ◆YjCIC1ZJAU :03/06/29 15:46 ID:t6geKZ5f
>>75
でも将軍の上には天皇がいるんだけどね
82 :03/06/29 15:48 ID:rVGV9XJa
僕としては対等関係であろうがなかろうが、
VIPだろうがなんだろうが、
その特使さんが「思いっきりたまげて」当時の日本に驚嘆していた、
「ほめまくり」という事実はどうも変わらないと思うんですが。

百聞は一見にしかず→先の写真で一件落着でしょ?
83生粋の名無し:03/06/29 15:48 ID:vjmKE+f1
>>63
見物人、思いっきり「指差し」てないか?
84_:03/06/29 15:48 ID:3CXE8xso
>>75
逆に徳川がたから使節を出したことはあるのか?
85 :03/06/29 15:49 ID:L7tvhULP
>>84
なんか対馬から先に入れてもらえなかったらしい。
ま、汚い町を見られたくなかったんだろ。
メッキがはげるからな(w
>>83
らくだ。
86 :03/06/29 15:49 ID:txICNCGq
>>75
あのさー、今だって一応対等にしてやってるだろ。
おこぼれを当然のごとく考える韓国人の典型だな。
87 :03/06/29 15:50 ID:L7tvhULP
>>83
庶民に指差して笑われる大名行列はないからな(w

大名>>>>>>>>>>通信使=らくだ

だな。
88Prinz Eugen ◆gIhhsMANSE :03/06/29 15:50 ID:LD8iN/il
>>83
モナーがヒソヒソしているって図柄に見えるなぁ...(汗

通信使って、漢詩が山程来たなんて書いているから、てっきり尊敬していたんだと思っていたが、
依頼数は水増しだったのか?
89 :03/06/29 15:51 ID:7pFvsJJy
VIPとVIP待遇は違うだろ(w
朝鮮の国使が代表してくればそれなりに歓待はするだろ。
今だって一応パーティーを開いてやってるが、尊敬を集めているわけでもないし、特に重要ってわけでもない。
どちらかというと歓待する側の面子のためだけに開いてやってるっつうのが正解か、徳川も似たようなもん。
90 :03/06/29 15:51 ID:6v6cJcLG
あ  のな・・・倭人達よ

朝鮮国王と日本国大君、当時の将軍は、対等  の  礼をもって国書を交換している
んだよ、上も下も  な  い訳だ。

朝鮮通信使は  、  大阪の淀川を上って、京都から陸路で江戸へ向かったんだけど

その間、に使った路は「  朝  鮮街道」と呼ばれているんだよ

この朝  鮮  街道は、関ヶ原の戦い後、徳川家康が上洛に使用した道であって、
諸大名程度の倭  人  では通行する事すら許されなかった路なんだよ

それが朝鮮街道なんだ  よ

いかに朝鮮通信  使  が日本にとって目上のVIPであったのかが分かるだろう?

ネ  ーミングからして尊敬の念がにじみ出ているじゃないか?
91:03/06/29 15:53 ID:3Q5GIySH
チョンは、訪問する際に厚かましくVIP待遇を要求するのね
この前の酋長の件といい、進歩ないね。
92:03/06/29 15:54 ID:3Q5GIySH
>>90

今は、日本が下朝鮮の上だよ。
93 :03/06/29 15:55 ID:L7tvhULP
>>91
その上、文句をつけるんだよな。馬鹿じゃねえの?
そもそも国賓待遇するような品格ないし(w

94日向@後孝明 ◆YjCIC1ZJAU :03/06/29 15:55 ID:t6geKZ5f
>>91
そりゃ自尊心がミョーに強い民族ですから
95 :03/06/29 15:56 ID:Sq2vwGxn
少なくともその道に「格式があったから」朝鮮街道と呼ばれた訳じゃないよ(苦笑
96 :03/06/29 15:56 ID:rTD+oNg0
倭人は屁理屈言ってないで認めなさいね(プ

中山道とは別に、守山から彦根までは近江八幡と安土を通過する訳だが

この路が「朝鮮街道」と呼ばれているんだよ。

朝鮮街道は、天下の徳川家康が上洛に使用した道なんだよ

朝鮮通信使に対する敬意を尊敬が伺い知れるじゃないか
どうして認めないのだ?

道中では、随員と日本の学者や文人・庶民など多くの人々との交歓が
盛んに行われ、いく先々で朝鮮の文化を日本に伝えているんだよ

だから、尊敬されて「朝鮮街道」と倭人達が呼び出したのだよ
97妙高 ◆gIhhsMANSE :03/06/29 15:57 ID:LD8iN/il
>>90
朝鮮街道って、途中からは東海道と重なっているよね。
鮮やかな服装をまとった使節達。
人々はさぞかしそのエキゾティシズムに酔ったことでしょう。





めんどうくさくなってきた。

まぁ、当時の雰囲気は好きだな、この微妙な関係。
98_:03/06/29 15:57 ID:3CXE8xso
>>85
>>なんか対馬から先に入れてもらえなかったらしい。
それってずいぶん失礼な話じゃないか?朝鮮征伐のときこっぴどく
やられてるのに機嫌を損ねるとヤヴぁいかもとか考えないのかな?
でもまあ当時のソウルの町並みを見ると汚いところを見せたくない
という見栄の方が勝ったのかもしれないなぁ。
99 :03/06/29 15:57 ID:NfcAGyWh
75 :  :03/06/29 15:41 ID:rTD+oNg0

IDがNGO? ID:rTD+oNg0はピース暴徒の吉岡か?w
100妙高 ◆gIhhsMANSE :03/06/29 15:59 ID:LD8iN/il
>>95

nekosuki
101後孝明@準太上天皇 ◆YjCIC1ZJAU :03/06/29 15:59 ID:t6geKZ5f
>>96
まぁ、でも朝鮮国王と対等だった将軍の上には天皇が居たんだけどね
102 :03/06/29 16:01 ID:Sq2vwGxn
朝鮮王は、朝廷の方面軍司令官に過ぎない徳川と「対等な」関係を結んだんだから
天皇家の下と扱われるのは仕方ないよね。
103 :03/06/29 16:04 ID:Sq2vwGxn
>>96
ちなみに朝鮮街道って曲がりくねった汚らしい道だよ。

徳川は用心深かったから、何度も裏道を利用している。
その名残じゃないのか?「朝鮮街道」と呼ばれたのは(w
104 :03/06/29 16:05 ID:txICNCGq
中国は鎌倉幕府を単なる軍閥として認めなかったのと同じように、
江戸幕府も認めなくて、いちいち江戸幕府は朝廷に頼んでたんだよね。

>>96
韓国の文化じゃなくて中国の文化だろ。
朝鮮街道は侮蔑用語だよ、良く調べな。
105 :03/06/29 16:07 ID:QAq35Voo
関ヶ原の戦い後、徳川家康が上洛に使用した道ってほとんどが東海道だろ。
そんなんなら弥次さん喜多サンでも使ってるぞ。
その一部の朝鮮街道とやらが庶民に使えなかったというソースだせや。
106 :03/06/29 16:07 ID:txICNCGq
日本には売女街道とか侮蔑用語も地名になるだよ。
それを尊敬って勘違いしてるとは、韓国人はいやはや、、、
107:03/06/29 16:08 ID:rVGV9XJa
いや、街道の名前が朝鮮街道で、そりゃ良かったですねぇ。
あなたのプライドも満たされて結構じゃないですか。
認めないとかそういう事、誰も言ってないはずですよ。
108 :03/06/29 16:10 ID:QAq35Voo
>道中では、随員と日本の学者や文人・庶民など多くの人々との交歓が盛んに行われ、

庶民って...
思いっきり舐められとるやんw
指さされるわけだ。
109 :03/06/29 16:11 ID:txICNCGq
韓国人ってコリアタウンとかが尊敬用語とかマジで思ってんだろうか。
じゃあなぜ朝鮮人が侮蔑用語だと思ってるんだろ。
110_:03/06/29 16:11 ID:3CXE8xso
まあ朝鮮という言葉自体が日本では侮蔑用語だしな
おまえ朝鮮人みたいだな
朝鮮で作ったみたいに粗悪な品だな・・・等
111 :03/06/29 16:14 ID:QAq35Voo
最近、たしかにカンコクとかコリアとかも侮蔑の色彩帯びてきたよな。
そろそろ国名変えたほうが良いんでは?
112:03/06/29 16:15 ID:rVGV9XJa
侮蔑用語とか言う事になりますと、例の「キムチ野郎!」発言で
「これは差別発言か否か」と一時話題になったりして、
結局キムチ自体は差別語でも何でもないし、ただの罵倒発言という意見が多かったようで。

朝鮮という言葉自体に限っては、何も侮蔑用語ではない気が致します・・・。
良くないイメージがついていて、使用法で侮蔑にまつわってしまう傾向はあるかと、
思うのですが。
113黒ラブ:03/06/29 16:16 ID:rTD+oNg0
・・・なんで、おまいらそんなに必死なの(w

いいじゃねーかよ、当時の将軍と対等の立場にあったと言っているだけ
なのに、おまいらは必死過ぎるよ・・・

侮蔑用語だったとか無茶苦茶な屁理屈をこねているけど
じゃ、なんで大阪の松島少年広場には「九条島と朝鮮通信使の碑」があるんだよ?
公園の西側の竹林寺には、どうして金漢重の墓がいまもあるんだよ?

もう認めろよ、みっともないぞっ!

114 :03/06/29 16:16 ID:IVjLBvWl
>朝鮮国王と日本国大君、当時の将軍は、対等  の  礼をもって国書を交換している
>んだよ、上も下も  な  い訳だ。

「対等」なはずの国王の代理人が、
江戸城大広間の下段(上中下で一番格式の低い間)に這いつくばって四拝礼を連発ですか。
誇らしいです.ホルホル
115:03/06/29 16:17 ID:/7Nt/pMJ
>>110
まあ日本人という言葉自体が朝鮮では侮蔑用語だしな

444 :くわっぱ :03/06/29 16:00 ID:l7cQGxDj
韓国で住む場合は日本人差別が酷いのは・・・まぁ考えるべきでしょうが。
あちらの日本人に対する最上級の誉め言葉が「お前は日本人らしくない」ですからねぇ・・・。
116・。・:03/06/29 16:17 ID:9GuIiKek
日頃の行いが悪いからだな。
日本人は行いが良かったので、
「日本人」と堂々と名乗れるな。
なんなら、大和民族でも良いぞ。

朝鮮人→韓国人→コリアン→?
品行方正に生きたら、変える必要などないんだよ。
117 :03/06/29 16:18 ID:txICNCGq
そもそも当時朝鮮って中国の属国だろ。
中国にあらぬことを言いつけられて中国が責めてくるのが鬱陶しかった
んで一応普通に扱ってやったんだろうと思われる。
当然中国からの使節って意味合いがあったんだろう。
118 :03/06/29 16:18 ID:NfcAGyWh
>>113
だったら、鮮人が如何に堕落しきってしまったかを認めてくれよ。
119:03/06/29 16:19 ID:rVGV9XJa
黒ラブどの、すみませんが論点がよくわかりません。

何を認めれば、ご満足ですか?
120愛国者 ◆vdwPCT2GkM :03/06/29 16:20 ID:yESdctwf
>>54

 >1682年の朝鮮通信使一行を仲間とともに見物に行って、間近に見た朝鮮通信使の姿
 >に感激して絵馬を奉納したんだよ

おいおい、ソースを見たら断定してないぞ!

更に朝鮮通信使一行が、大坂の難波橋から京都の淀城へと向かった際に
乗船した船は、大名から借り受けた船と違うのか?

http://www.osaka-c.ed.jp/kak/kyoka/tiikipt/nihonnsi%20.htm
121ぴーす:03/06/29 16:20 ID:PrWzw+xx
あんまり関係無いかもしれないけどオランダのカピタン(キャプテン)も
将軍と謁見する時は土下座、すだれで顔見えない、会話はカピタン⇔通訳⇔老中⇔将軍
の待遇。で踊りとかもやらされたそうだ。
122 :03/06/29 16:21 ID:QAq35Voo
>>113
開国後やってきた西洋人の墓だってあるぞ。
もちろん庶民。
123 :03/06/29 16:23 ID:QAq35Voo
絵馬なんて難しい数学の問題解けただけでも、奉納しちゃうけどな。
あの当時は。
算額っていうらしいけど。
124ていうかさあ:03/06/29 16:25 ID:Sq2vwGxn
朝鮮通信使は、「我が国と違って」日本人は身分に関係なく皆字が読めると
驚いている。
この事により識字率10%台の朝鮮と開国の時に圧倒的な差がついていた事が重要だな。
125:03/06/29 16:27 ID:rVGV9XJa

僕的には「昔の日本人」と「昔の朝鮮人」が互いに尊敬しあっていた、
というのを認めるのにやぶさかではないですなぁ。
126 :03/06/29 16:27 ID:txICNCGq
>侮蔑用語だったとか無茶苦茶な屁理屈をこねているけど

侮蔑用語だよ。そもそも尊敬語と思うところにカルチャーショックを感じるが。
127:03/06/29 16:29 ID:rVGV9XJa
でも、言ったあとで「そんなことあるか?」という気もしてきた・・・。

例外はあっても、一般的には「ゾウやラクダ同様に」、
好奇の対象でしかなかったというのが正しいかもしれん・・・。
128 :03/06/29 16:29 ID:MucG+Et3
半島では百数十年前まで竜骨車が現役だったのだろ
1000年近く前の技術
日本は室町には水車技術が広まり始めてたが
李氏朝鮮の農村の生産性ってこういう技術格差見ると
悲惨だよなぁ
129愛国者 ◆vdwPCT2GkM :03/06/29 16:31 ID:yESdctwf
>>63 の画像を見たら、朝鮮通信使一行は”弓”は携えているが
”韓国刀”らしき武具の影も形も無いね。

これは貴重な資料だね。
130 :03/06/29 16:32 ID:C6far5AE
詳しい人に質問なんですが、人を指差すということは
昔も失礼になる行動だったんですか?
131 :03/06/29 16:34 ID:QAq35Voo
>>125
雨森芳洲や新井白石に関する本読むと日本人の武士階級は明らかに
チョソを軽蔑してたみたいだけどね。
雨森芳洲自身はそれなりに敬意を表してたみたいだし、儒学者なんかは評価は当初は高かった
みたいだが、徐々にスルーになったぽいが。
132黒ラブ:03/06/29 16:34 ID:rTD+oNg0
もう、勝手に汁っ!

二百年以上前は、お互いに礼節を尽くしてリップサービスしたり
VIP待遇したりしていたんだよ

どうして、日本万歳オナニーが好きなんだよ

オナニーしすぎで小便を八方向に飛ばしたって誰も尊敬しないぞ

歴史をちゃんと評価する事から始めろよなっ!
じゃ、そういう事だからっ!
133  :03/06/29 16:35 ID:oTPQi1BE
 朝鮮民族の文化的優位をことあるごとに主張するみなさんに、
日東壮遊歌を読んでいただき、その感想を書き込んでいただき
たいものです。韓国ではハングル訳とかでてるのでしょうか?
134妙高 ◆gIhhsMANSE :03/06/29 16:37 ID:LD8iN/il
>>133
あれは原文がハングルでした。
135 :03/06/29 16:38 ID:FRMjNRYH
>>132
勝利宣言ですか?
136 :03/06/29 16:39 ID:MucG+Et3
原文がハングル?
当時の日記は漢文ではないの?
両班がハングル使うことは恥じなのでは?

それとも日記を近年韓国で出版本の日本版だからって意味?
137 :03/06/29 16:39 ID:txICNCGq
>>132
韓国は独立国じゃなかったってことを認識すべき。
中国の後ろ盾がなければ朝鮮なんて無視だよ。

アメリカの教科書では朝鮮がはじめて国として独立したのは
1948年になっている。
「日清戦争で中国から日本に割譲された」って書いてあるよ。
138 :03/06/29 16:39 ID:Sq2vwGxn
>>黒ラブ
韓国の教科書の朝鮮通信使に関する記事を読んだ事あるかい?(わら
139 :03/06/29 16:40 ID:x4z+flzR
>>132
>歴史をちゃんと評価する事から始めろよなっ!

ちゃんと歴史を評価するために、お前もちゃんと資料に基づいて勉強しような。
いつまでも韓国の教科書と脳内がソースじゃだめだぞぉ?
140 :03/06/29 16:40 ID:NfcAGyWh
勝手にしろという御許しが出たようです。
141:03/06/29 16:41 ID:rVGV9XJa

黒ラブどのは「お逃げ遊ばした」というわけですかな?
142 :03/06/29 16:42 ID:LXOAB5ot
2ちゃん、ハングル板の住民になって
約一年。
その結果分かった事が一つ。
日本人と朝鮮人は決して理解しあう事が出来ないと
悟りました。

そしてこれだけはハッキリと言えます。



















朝鮮人逝ってよし。


143黒ラブ2号:03/06/29 16:43 ID:jvmXUjfQ

おまいらの相手つまんね。。。
144 :03/06/29 16:45 ID:NfcAGyWh
>>143
じゃあ、さようなら。
145 :03/06/29 16:46 ID:wsNfAiA3
「朝鮮街道」と聞いて、「女子大通り」の事を思い出した。
子供の頃女子大通りの案内標識を見て、女子という名前の大通りなのか、
女子大に行く通りなのかを真剣に悩んだものさ。

146 :03/06/29 16:46 ID:QAq35Voo
つか歴史をちゃんと評価するなんて言うなら、せめて一次資料もってこいよ。
「日東荘遊歌」に相当する奴をな。
147:03/06/29 16:51 ID:3Q5GIySH
儒学の地位も高かった、半島から儒学者も招いていた。

黒船来航で状況が変化、儒学より西洋を学べ。。。
アヘン戦争で、やぱり西洋だ

誰に寄生しようか窺う朝鮮に対して、国の独立の為奔走した日本
今となっては、礼を尽くす価値のない半島です。
148 :03/06/29 16:55 ID:txICNCGq
江戸時代は日本史上でも文化水準低し、退化時代って言われているけどそれでも
韓国とは比べようもない。
149_:03/06/29 16:56 ID:SjkF2Egn
ということは、過去にはかなり格差があった、日朝も、今日はあまり差がなくなってる。
しかも韓国には日本より高いビルも多い。韓国が日本より成長したってことだな。
150,:03/06/29 16:56 ID:IVjLBvWl
>>125
時の権力者がどんな朝鮮感を持っていたかで随分かわるかも。

秀吉が喧嘩を売るために呼びつけた朝鮮使節に対する庶民、公家の反応は非常に明快。
朝鮮使節に対し、公家は小馬鹿にしてるし、御所参内も拒絶した。
庶民に至っては、まるでうんこを棒でつつく感覚で、朝鮮使節一行をからかっている。

安土桃山期は先取の気風が漲り、さらに出兵直前ということで
「朝鮮何ぼのもんだ」という感覚が有ったろうけど、
朝鮮の使節に対する上記の反応は結構自然なものだと思う。

そして、ほんの数年で日本国中の有識者が朝鮮通信使を学問の師みたいな感じで持ち上げるようになるけど、
それは「幕府のお客様」に対する、おべんちゃらの部分もあったかと思われ。
151 :03/06/29 16:57 ID:QAq35Voo
黒船来航とアヘン戦争は順番が逆
さらに蘭学はアヘン戦争以前からかなりメジャー化してたよ。
152 :03/06/29 16:59 ID:/Q9Vp2D/
何か必死でみっともないね
朝鮮が、通信史の名の下、実は朝貢と変わらないのに
それを必死に否定しようと自己論理
歴史は変えられないのにね
153 :03/06/29 17:01 ID:MucG+Et3
「ビルの高さ=文明の格差」か
ある意味スゴイな













アタマの中身が
154 :03/06/29 17:02 ID:wsNfAiA3
>江戸時代は日本史上でも文化水準低し、退化時代って言われているけどそれでも
韓国とは比べようもない。

誰がそんな寝言を教えてるんだ?
日教組か?
155   :03/06/29 17:04 ID:fIDeiBkO
>>122
「八重洲」という地名はオランダ人で家康に仕えたヤン・ヨーステンからだよね。
彼の屋敷があったとかで、東京駅の近くに記念碑がたっている。
珍しい人が住んでいたり、珍しい出来事があれば、
それにちなんだ名前を付けることは結構普通なのでは。
156:03/06/29 17:05 ID:PrWzw+xx
【社会】 <途中狙い>ATMで預金下ろした客狙う 東京都内で続発 「8割近い約50件が韓国系のグループ」
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1056868086/-100
暗証番号を盗み見る役、見張り役などと役割を分担し、ATM(現金自動受払機)
で預金を下ろし、引き返す途中の客を組織的に襲う「途中狙い」と呼ばれる犯行が
東京都内で続発している。5月末で昨年に比べ31件増加。さらに、刃物で武装し
ているケースが増えている。警視庁は、捜査員に防刃服の着用を指示し、
取り締まりを強化した。
同庁捜査3課の調べでは、途中狙いの被害は昨年1年間で129件が発生。
中南米系の外国人グループが中心で、武器を持って抵抗するケースはなかった。
今年は1〜5月末までに65件が発生。すでに一部のグループを検挙したほか、
1人の逮捕状を取り行方を追っている。同課は「8割近い約50件が韓国系のグループ」と分析。
今月も千代田区内で女性2人が狙われ、盗んだキャッシュカードで計約250万円を引き出された。
グループの特徴は、8人前後で、スーツ姿で会社員を装っている。
ATMコーナーで狙いを定めた客の前後に並び
▽カードの暗証番号を盗み見る役
▽客が外に出た後に財布を盗む役
▽見張り役などに役割を分担している。

主に年配の女性を標的とし、逃走しやすいように駅近くで犯行に及んでいる。

2月25日には千代田区内の銀行のATMコーナーから出てきた不審な3人組に
捜査員が職務質問をしたところ、見張り役の4人が加わり包丁を取り出して乱闘となった。
捜査員と間違えられた通行人1人がけがをした。

5月15日には北区内で銀行内をうかがっていた4人組を捜査員が追跡したところ、
3人が刃物で威嚇してきたが全員を取り押さえた。

http://news.lycos.co.jp/topics/society/robber.html?d=29mainichiF0629m106&cat=2
157黒ラブ2号 :03/06/29 17:06 ID:jvmXUjfQ

日本が西洋から学ぼうと志したのは当時の一部の優秀な政治家たちのおかげ。
その他のほとんどの日本人はちょんまげ頭で切り捨て御免だの
今の北朝鮮みたく天皇陛下万歳だの必死でやってただけ。
もちろん、おまいらの馬鹿先祖達もw
その一部の優秀な先人の功績を、あたかも自分達のお手柄のように誇示するのは
在日の『在日認定』と同じレヴェルの発想。
基本的に日本人も朝鮮人も遺伝子レヴェル的には一緒。
ここの『日韓罵り合い』を見てもその事実ははっきりとわかる。
158 :03/06/29 17:06 ID:us+PRdlL
江戸時代は庶民が最も楽をして暮らせた時代(江戸に住んでいる庶民に限られるようだが)。
一日3〜4時間だか働くと、それで生活できた。遊ぶことすらできた
したがって、娯楽を含めた文化がそれこそ異常なほど発達した。


…のだがな。
159 :03/06/29 17:07 ID:txICNCGq
>>154
歴史を勉強したほうがいいよ。これは常識だから。
160  :03/06/29 17:08 ID:vHAbSiCU
無理して超高層ビルを建てても決していい事ばかりとも言えないような。
丸の内くらいが丁度いいよ。
161妙高 ◆gIhhsMANSE :03/06/29 17:10 ID:LD8iN/il
>>136
ちょうど図書館でその本借りているけど、副題、

ハングルでつづる朝鮮通信使の記録

解説に原典(複数ある)が写真で紹介されているが、それはハングル文字でかかれている。


つうか、この本、ハングルでかいたってのが売りなんですよ...
162 :03/06/29 17:10 ID:QAq35Voo
>>155
東京には面白い地名あるよな。安針町(旧地名)、半蔵門とか。
元々日本人は人の名前を地名に使うことは少ないそうだが。

>>159
昔の学説だろ。江戸時代は日本史上でも文化水準低いというのは。
163 :03/06/29 17:11 ID:txICNCGq
高層ビル=発展してるって田舎者みたいなダサい発想やめてください。
イギリスとかパリとかをごらんよ。
164黒ラブ2号 :03/06/29 17:11 ID:jvmXUjfQ
江戸時代は庶民が最も楽をして暮らせた時代(江戸に住んでいる庶民に限られるようだが)。

現北朝鮮は庶民が最も楽をして暮らせた時代(平嬢に住んでいる庶民に限られるようだが)。
165 :03/06/29 17:12 ID:QAq35Voo
>>157
朝鮮にはその一部すらいなかったわけだが。
それでどうして日本と同じと言える?
166 :03/06/29 17:12 ID:LUVqwKqn
>>155
そうなのか!会社の近くに「ヤン・ヨーステン」って店(飲み屋)があって、
なんでこんな名前なんだと思ったよ。ひとつ利口になった。
167 :03/06/29 17:14 ID:vHAbSiCU
>>157
切り捨てご免なんて実際には殆ど行われなかったんだよ。
日本人はそこまでキチガイではない。
168  :03/06/29 17:14 ID:983iz+Sj
黒ラブ2号の中の人は誰?
さる有名なコテハソ?
169   :03/06/29 17:14 ID:nG7nNDwb
親不孝通り(博多)>>>>>>>>朝鮮街道
170 :03/06/29 17:16 ID:QAq35Voo
>>164
平嬢に庶民が住んでいたとは知らなかったYO
成分のいい人間しか住めないんじゃなかったの?
171 :03/06/29 17:16 ID:MucG+Et3
切り捨てご免は自分の腹掻っ捌く勇気が必要だったんだよ
172 :03/06/29 17:16 ID:vHAbSiCU
>>170
今現在もそうだが。。。
173 :03/06/29 17:18 ID:QAq35Voo
>>167
キチガイと言うか、そんな事したら本人切腹&お家断絶だよ。
174黒ラブ2号:03/06/29 17:18 ID:jvmXUjfQ
165 :  :03/06/29 17:12 ID:QAq35Voo
>>157
朝鮮にはその一部すらいなかったわけだが。
それでどうして日本と同じと言える?

一部に優秀な政治家がいただけで、どうして
なんの取柄もない日本人がいきがってる?
175 :03/06/29 17:21 ID:QAq35Voo
>>174
正しい歴史教育を施してるだけだが。

一部の優秀な政治家すらおらず、なおかつ、なんの取柄もないにもかかわらず
いきがってる朝鮮人にな。
176 :03/06/29 17:22 ID:txICNCGq
日本は政治家は無能だよ。優秀なのは財界人。
明治という時代は財界が主導したからよかったんだよ。
戦国時代が文化的に栄えたのも同じ理由。
太平洋戦争は軍部と政治主導だから馬鹿みたいな戦争だろ。
177  :03/06/29 17:24 ID:983iz+Sj
>>176
>明治という時代は財界が主導したからよかったんだよ。

あのー、日露戦争は財界猛反対だったのって知ってます?
178 :03/06/29 17:25 ID:9A+3Pw2D
>>174
ま、朝鮮にも国を憂いて改革をしようと志した志はいたわけだ。
金王均のようにな。

それを清についておけば、何とかなると勘違いした保守派が
つぶしてみすみす改革の機会を失ったわけだ。

日本人は西洋をとりいれようと一部の政治家だけじゃなく、そ
れこそ庶民まで勉強に精をだしたわけだ。

その当時の朝鮮にいくつ学校があったか?
両斑はなにをしていた?

笑わせるのモ、たいがいにしろ!
179 :03/06/29 17:25 ID:t201nR8w
日本が劣っていたのが軍事で、文化・技術が完全に劣っていたわけでないし
平民からしたら西洋よりも遥かに暮らしやすい。
西洋から学ぼうとしたのは国を守るためだろ、
軍事力が強けりゃ良い訳じゃないが、強くなければ取り込まれる時代だったんだよ。
180黒ラブ2号 :03/06/29 17:26 ID:jvmXUjfQ
>>174
正しい歴史教育を施してるだけだが。

↑どこのウマの骨かわからん様な連中に施されたくない。。。

といきがる香具師にマジレスしてみる
181 :03/06/29 17:26 ID:QAq35Voo
>>176
財界人て誰よ。
著名なところでは渋沢栄一と岩崎弥太郎ぐらいしかしらんぞ。
それに彼らが政治を主導したと言う話も寡聞にして聞かんが。

あと太平洋戦争当時は逆に新興財閥が引っ張った部分もあるはずだが。
182 :03/06/29 17:27 ID:wsNfAiA3
明治政府の要人だった薩摩や長州の武士が全員財界人だったとは初耳だよ。
183ぴーす:03/06/29 17:29 ID:PrWzw+xx
安針はパイロットって意味だったよな、確か
184 :03/06/29 17:31 ID:wsNfAiA3
>>159
だから、それは日教組の階級闘争史観だろうが。
いまだにそんな寝言を真に受けてるとは、随分不勉強な奴だな。
185 :03/06/29 17:32 ID:txICNCGq
誰っていうか、財界の全体的な質の高さだね。
日本って民族的に政治じゃなくて経済に強い民族だと思う。
もちろんセコセコと個人業でどうたらこうたらっていうじゃなくて
インフラ(電気・ガス)の整備とか産業の急激な勃興、
整備の良さは財界の優秀さをよく示しているよ。
186 :03/06/29 17:35 ID:wsNfAiA3
参考までに補足すると、薩英戦争で英軍が上陸戦を始める事無く撤退したしたのは、
「上陸戦をやると必ず薩摩が勝つ」と判断したからだとアーネスト・サトウが書いてる。
西洋に軍事面で劣っていたのは、兵器だけだよ。
187 :03/06/29 17:35 ID:txICNCGq
>>177
日露戦争に勝てたのは、財界(経済・産業)の質がよかったからだよ。
188愛国者 ◆vdwPCT2GkM :03/06/29 17:36 ID:yESdctwf
>>178

金玉均も屍体凌遅刑にされたんだよな。
189 :03/06/29 17:37 ID:QAq35Voo
>>185
もういいよ君...
歴史知識なさ過ぎる。

そのインフラ整備だって内務省主導だぞ。
大体当時の三井や住友が倒幕維新に好意的だったとでお思いかい?
190:03/06/29 17:41 ID:xo4tnMuh
朝鮮街道、か。

古くは敦賀から京都に至る、鯖を運んだ道が「鯖街道」、
名古屋は栄の風俗?街が「プリンセス大通り」ってのを思い出しちまった。

191 :03/06/29 17:41 ID:txICNCGq
>>189
内務省が命令しても実際計画をたててやるのは財界だし。

たぶんきみが誤解してるだけだと思うな。
きみよりはおそらくはるかに知識があるよ。
192 :03/06/29 17:45 ID:wsNfAiA3
名古屋にも女子大通りという名前の道があったような・・・
193 :03/06/29 17:47 ID:QAq35Voo
>>191
じゃ具体的にどこの企業がインフラ整備受け持ったの?
一例でいいから教えてよ。

内務省のお雇い外国人や洋行組の役人が具体的な計画立案したんだと思ったが。
まさか大工さんが日本人だというオチじゃないだろうな?

別に日本の伝統的な技術者馬鹿にするわけではないが無理ありすぎるわ。
194 :03/06/29 17:48 ID:9A+3Pw2D
韓 - japmonkey<--(物笑い) 字も中国の copy. 着物も中国衣装の copy.
韓国食べ物キムチも自国食べ物だと言い張る倭人. 歴史も捏造して見付
かって世界的に恥をかいた捏造対局. 忘却に抜けた saru. 恥ずかしさが
何なのか分からない民族.


朝鮮人は挑戦人だな。
火病だ。。
195 :03/06/29 17:49 ID:txICNCGq
>>193
当然、企業家。
196sakitama ◆WpvKiNEcu2 :03/06/29 17:50 ID:jn541aQB
>>193

戦争前までの電力インフラ整備は財界主導が多いと思うよ。
東京方面は三井関係の東京電灯、九州・中部・関西は東邦電力だったかな。
197 :03/06/29 17:53 ID:QAq35Voo
>>196
ちゃうて。明治初頭の話だよ。

>明治という時代は財界が主導したからよかったんだよ。

こう言ってるぐらいだし。
198 :03/06/29 17:53 ID:/Q9Vp2D/
ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1047861412/l50
ハン板から逃げたと思われるチョソが台湾を嫌いにさせようと必死です
199 :03/06/29 17:53 ID:txICNCGq
日本の商業学校(のちに名前が高等商業になり、商科大学になる)
の卒業生はとっても優秀だった。商業学校のレベルも高かった。
有名なのは、後で一橋大学になる東京商業学校とかね。
200 :03/06/29 17:57 ID:txICNCGq
>>195は企業家が立案したって意味ね。
あと慶応とかも優秀な企業家を育てるとてもいい大学だった。
201 :03/06/29 17:57 ID:wsNfAiA3
明治時代は武士主導の軍事政権だろうが。
財界人が軍人に影響を与えられるようになるのはもっと後世になってからで、
大東亜戦争こそ、むしろ財界人の利権構造が適切な戦略を歪めていた。
当時の軍部はすでに武士が居なくなり、平民出身の学歴エリートで固められていたからな。

202 :03/06/29 18:00 ID:1f9pjpRt
>>186
>参考までに補足すると、薩英戦争で英軍が上陸戦を始める事無く撤退したしたのは、
>「上陸戦をやると必ず薩摩が勝つ」と判断したからだとアーネスト・サトウが書いてる。
>西洋に軍事面で劣っていたのは、兵器だけだよ。

スレ違いですが、薩英戦争はイギリスの日本観に影響を与えたのでしょう
か。情報お持ちの方、よろしく。

203:03/06/29 18:00 ID:kz3n20Tk
2号さんはなんでそんなに必死になっているんだ?
204alicenyu:03/06/29 18:02 ID:u0o+gZHj
朝鮮街道で検索してみた 別名”戦国街道”とも呼ばれるらしい
参考までにどうぞ
相島と朝鮮通信使
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/y-nakazawa/page9.htm

江戸時代の朝鮮通信使との交流−地域に残る通信使の足跡
http://www.osaka-c.ed.jp/kak/kyoka/tiikipt/nihonnsi%20.htm

ひとり歩きの朝鮮人街道
http://www.nakasendo.jp/chosenjinkaido/cho_01/cho1.html
将軍の代替わりや慶事に際し、朝鮮国王の親書を携えて来日した朝鮮通信使が往還した道です

横尾のHP
http://www.imasy.or.jp/~yasu-yok/indexmenu.html#hajime
  アジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙
  http://www.imasy.or.jp/~yasu-yok/church/tegami04.html
205 :03/06/29 18:03 ID:txICNCGq
>>201
明治全般と昭和初期は資本主義社会の全盛期だよ(現在はむしろ社会主義全盛期)。
戦争のときだけ軍国主義になるだけで。
大東亜戦争こそ、財界は嫌がって、労働者階級と軍部が望んだ。
財界で大東亜戦争をやりたがってたのって軍需産業系だけだよ。
軍部は学歴エリートじゃなくて軍人学校のエリートだろ。陸軍なら幼年学校から
ってやつ。
206 :03/06/29 18:06 ID:QAq35Voo
>>199-200
そこから輩出された人材が国を動かすには昭和にさしかかってると思うんだがね。
慶応出身の福沢桃介も大正昭和に活躍した財界人だし。電力王と言われたそうだが。
207  :03/06/29 18:08 ID:FXI/N6wj

昨日テレ東で

「韓国の○○という言葉が日本に来て¨わっしょい¨になった」

とかってペラペラ喋ってた男の人が居たんだけど
誰か知りませんか?
208 :03/06/29 18:09 ID:QAq35Voo
>財界で大東亜戦争をやりたがってたのって軍需産業系だけだよ

当時の財閥はみんな軍需産業持ってるぞ。零戦なんて三菱だし。
209 :03/06/29 18:09 ID:wsNfAiA3
>>202
英国は日本市場の利権を他の欧米諸国と競っていた。
一番手は対日貿易の歴史が長いオランダだったが、欧州での地位が低くなり、そこへつけ込んで幕府と関係を深めていたのがフランスだった。
英国はフランスが押さえつつあった日本市場の利権を覆す為に、薩摩と組んで幕府権力を転覆させる可能性に気づいた。
その契機となったのが、薩英戦争における薩摩武士の勇敢さと、戦後交渉で英国に隙を与えない狡猾さだった。
ちなみに戦後交渉を担当したのが、大久保利通。
大久保は停戦交渉の席で決して薩摩の敗北を認めず、領土的譲歩は断固拒否。
その上、英国に支払う金子の名目を「賠償金」とする事をも拒否。
結局「生麦事件で死亡した英国人の遺族に対する見舞金」という事で落ち着いた。
決して敗戦ととられる名目を与えなかった大久保の手腕をみて、英国は薩摩の実力に賭ける事にしたという。

210 :03/06/29 18:11 ID:wsNfAiA3
>>205
陸大と海大は帝大よりも学歴は上だった。
だから学歴エリートだろう。
211:03/06/29 18:11 ID:3Q5GIySH
ID:txICNCGq様へ

日露戦争の勝利の主要因が財界である具体例を所望いたす。
212 :03/06/29 18:12 ID:txICNCGq
>>208
財閥と財界はかなり違うし、軍需産業持ってない財界人のほうが
はるかに多い。
213sakitama ◆WpvKiNEcu2 :03/06/29 18:12 ID:jn541aQB
>>207

狂言の野村萬之丞だったかなタシカ
214 :03/06/29 18:13 ID:txICNCGq
>>211
金がなければどうやって戦争するの?
っていうか釣り?
215 :03/06/29 18:14 ID:fzy+9x6A
>>207
韓国のって所で既にアウトじゃん。
216 :03/06/29 18:14 ID:1f9pjpRt
>>209

レスどうも。薩英戦争の影響が気になっていたもので、勉強になりまし
た。今の外交官に大久保の気骨が欲しい。

217 :03/06/29 18:16 ID:QAq35Voo
>>214
だからかなり外債に頼ったんだがな。
君の歴史の知識って凄いね、尊敬おぼえたよ。
218 :03/06/29 18:20 ID:txICNCGq
>>217
くだらない点だ。
外債に頼っていたとはいっても、日本の経済基盤は明治で格段に進歩
していたのは事実だし、返すあてがあったから米英も金を貸したんだよ。
219 :03/06/29 18:24 ID:QAq35Voo
米英が当てにしてたのは日本の経済基盤ではなく
ロシアから取る賠償金だと思うのだがなぁ?
(´-`).。oO
220 :03/06/29 18:26 ID:FXI/N6wj
207>213
野村萬之丞?!本当ですか?
あれ、そうなんですか。
なんかメチャクチャ親韓だったけど。
「もう兄弟っていうか、ほとんど同じですよね〜!」みたいなこと言ってて
最高にきもかった
221 :03/06/29 18:44 ID:L7tvhULP
>>207
これだろ。

※ワッショイとワッソ
とんでないまちがいが本気で信じられているいい例の一つに、日本でお祭りなんかで
使われる「ワッショイ」という言葉が、韓国語の「ワッソ」(来た)からきたものだというのが
あります。いったい、なにを根拠にそういうことになっているのかわかりませんが、これは
まったくまちがっているんです。だれが最初にそう言ったか調べてみたら、この前亡くなら
れた在日の文学者の金達寿さんでした。それ以後、韓国の学者や在日の学者が堂々と
本に書いたりしているんですね。
しかし国語学者では、日本人でも韓国人でも認める人はだれもいません。そもそも、15
世紀にハングルが作られる以前、朝鮮では漢字漢文で全てが書かれていたわけだから、
その当時(高麗時代以前)の朝鮮語がどんなものであったかは、ほとんど解明されてい
ない。ハングル以前には吏読(りとう)・口訣(こうけつ)・郷札(きょうさつ)など、漢字を用い
て朝鮮語を表す方法がなかったわけではないが、それらはごく一部分で断片的しか残っ
ていない上、漢字の音と訓を複雑に交えた表記法なので、どの漢字がどう読まれたのか
などは正確に分かっていないし、またそれらが音韻の複雑な朝鮮語を正確に書き表した
とは考えられない。高麗時代の朝鮮語でさえ曇りガラスを通して見ているようなものなの
に、古代朝鮮語の姿などは、月も出ていない闇夜で物を見ているのに等しいくらいに分
かっていないのある。
呉善花・崔吉城『これでは困る韓国 』1997年より
222下に続く:03/06/29 18:46 ID:L7tvhULP
>>221
この関連のコピペ。

★伝統の大祭を弾圧し、捏造の珍祭を強要する在日

熊本の伝統的大祭ボシタ祭。
でもその呼称は今は使えません。(藤崎八幡宮例大祭という味もそっけもない呼称に変更)
「ボシタ」という掛け声も「ドーカイ」という掛け声に変えさせられてしまいました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
藤崎宮は、加藤清正が朝鮮出兵の時に祈願をした神社だ。
その後、「朝鮮滅ぼした」の意味で「ボシタ」のかけ声が始まった、という説がある。
90年7月。熊本の在日朝鮮・韓国人の団体が連名で、「ボシタというかけ声がを二度と使わないようにしていただきたい」と藤崎宮に申し入れた。
馬追いの団体からは、「滅ぼしたなんて意味で言ったことはない」と反発の声があがったが、宮司が「悲しむ人がいるのは神のみ心に沿わない」と説得。
その秋から、かけ声「ボシタ」は事実上禁止になった。
http://haojing.hp.infoseek.co.jp/bosita.htm
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ボシタが「滅ぼした」と言うのは風説に過ぎないようです。(語源は不明。性行為の意味とする説もあり)
また、仮に真実であったとしても、それは歴史時間であり、是非をするエリアではないと思います。
「名前」と「掛け声」を禁止された祭に一体、何の意味があるのでしょうか?
223上の続き:03/06/29 18:46 ID:L7tvhULP
>>222
一方で日本の祭の掛け声である「ワッショイ」が、韓国語の「ワッソ」(来た)から来たものであるとする珍説(在日の文学者の金達寿提唱)に基づき、関西興銀前会長李煕健容疑者(コマ開発不正融資で逮捕)が提唱した「四天王寺ワッソ」という珍無類のインチキ祭があります。
※ゴルフ場会社に20億円不正融資 (四天王寺ワッソ提唱の事も載っています)
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200201/25/20020125k0000e040028000c.html
資金不足で頓挫しかけたその大珍祭に大阪府と大阪市は多額の補助金(血税)を出しています。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003jan/31/K20030131MKD1Z100000045.html
また迷惑千万な交通規制を掛けています。警官の人件費もバカにならないでしょう。

伝統ある大祭を弾圧するのみならず、お得意の「日本を引き合いに出した自己回復」の為のインチキ祭を周辺住民に強要し、補助金まで要求する・・・。
こんな暴虐三昧がいつまで許されるのでしょうか?
224_:03/06/29 18:49 ID:kQuOVYLV
米英が日露戦争の戦争公債を引き受けたのは
柴五郎中佐のお陰ですよ
225   :03/06/29 19:05 ID:95w/xCtj
ボシタ祭りの復活運動とかないのかな?
いい加減な批判にホイホイ頭下げちゃうのは両国の為にならないのにな。
ワッソもバカ臭いな〜。言葉なんか平和でも変化して行くのに、あの国
と来たら自分から中国に媚び売って葬氏改名してるくらいなんだから、
来たとかどうのの言葉は古来のもの残ってねーっしょ。
訳の解らない批判はデンパの一言で無視すべし。
226 :03/06/29 19:17 ID:vYdhxg96
>>221
ワッショイについてFM石川でデムパ飛ばしていたので
抗議メールしました。デムパの内容は

「ワッショイ」の語源は「ワッソ」と言い放ち
「日本語にはハングル由来の言葉が多いんです。」
と言いながら、例に挙げたのは
「カルビ」と「ビビンパ」でした(w

その後、「ワッショイ」の語源には他説もあると
逃げをうち、「他説」の詳細には全く触れず
いつものようにメディアを利用した姑息な情報操作
でした。頭に来て抗議した次第です。

「嘘」でなければ正しくなくても良い
いわゆる朝鮮式です。

石川のメディアのスポンサーにはパチ屋が多く
その影響でしょう。もう情け無くて・・・。
227雑木林 ◆f05Y.GvRII :03/06/29 19:20 ID:eFAUR6Zi
こっちも祭りだったか・・・。
あー遊びに行くんじゃなかったな。
暑くて、かくらんしそうになったし、
クーラーの聞いた部屋でハン板見てたほうがよかった。
228雑木林 ◆f05Y.GvRII :03/06/29 19:23 ID:eFAUR6Zi
まあ、江戸の庶民(もちろん農民も)の民度は高かったわけだが。
和算の絵馬や、当時の新田開発や治水などの土木技術を
見れば分かると思うが。
229名無し :03/06/29 19:25 ID:fnKM7E9o
>>37
超遅レススマソ
東京(江戸)の町ってすごくきれいだったんですね。
もしかしたら今東京より美しいかな。

東洋のシャンゼリゼは絶句するすさまじさ(藁
230スレッガー:03/06/29 19:27 ID:e7PH6B9n
>>185
インフラの急激な勃興って、江戸時代あっての明治、大正のそれだよ。

江戸は今の生活基準(電気やガスなどの有無)を考えなければ、当時としては
インフラの整備はしっかりとしていた。

今の基準で江戸時代を見ると、そりゃ整ってないわな(w

231 :03/06/29 19:28 ID:QAq35Voo
東洋のシャンゼリゼつうか、あれ見て、芥川の羅生門思い出したわ。
232ぐりこ森長藩23号 ◆vdwPCT2GkM :03/06/29 19:28 ID:DVCxAaL1
>>224
おお! 柴五郎中佐!

柴 五郎中佐(コロネル・シバ 〜1899年北京での多国籍軍司令官)
http://www.kojinsha.co.jp/images/52338.jpg
百年前、義和団の蜂起で日欧米の列国公使館が戦乱の北京に孤立したとき
日本公使館駐在武官の柴五郎中佐は、列国の軍、義勇兵を見事に統率、二カ月
にわたる籠城戦を指揮して解放を実現し、新興日本の名を世界に高からしめた。
その折りの活躍をピークとした柴五郎の劇的な生涯は、村上兵衛著『守城の人』
に、あますところなく活写されている。

なおこの事変中、混乱に乗じた略奪や暴行は目に余るものがあり、紫禁城を略奪
から防ぐため日本軍は東華門、神武門、西華門を米軍は南門の守備にあたり、
規律厳正な日本軍管轄区域には、保護を求めて各地から大勢の支那人が集まった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog222.html
233スレッガー:03/06/29 19:30 ID:e7PH6B9n
>>230
訂正、インフラの整備と、産業の急激な勃興でしたね。

書き直してるうちに抜けちゃったよ。すまん。
234:03/06/29 20:05 ID:9GuIiKek
○オハイオ州は、日本語の「オハヨー」から?
○ワシントンは、日本語の「わしの豚(トン)」から?
○エドハリスは、「江戸」から?

なんでも作れるな。
235 :03/06/29 20:13 ID:L0Ip89ka
>231
漏れも羅生門を思い出しますた。
236 :03/06/29 20:15 ID:dZlOSxn5
>>231
わしはミツカンを思い出した。

237 :03/06/29 20:18 ID:zAAt1Asg
この手の「日本語の起源は○○」説に切れて
日本語の起源は英語だって本出したのは、
金田一京助でしたっけ?
238:03/06/29 20:19 ID:a4YIRLxZ
あと50年後くらいしたら、西暦2002年のWCの時は
ウリの方が文化は進んでいたって言ってそう
239・。・:03/06/29 20:21 ID:9GuIiKek
024 平和と環境保全のモデル社会:江戸

■3.ヨーロッパより進んでいた技術革新■
 近代世界システムとの最初の遭遇の時から、日本人は驚くべき適
応能力を示した。1543年に種子島に最初の鉄砲が伝えられてから一
年とたたぬうちに、日本人はその製造技術を修得し、十年もすると
日本中の鉄砲鍛冶が大量に生産を始めた。

 銃の改良自体もヨーロッパ以上のスピードで進み、螺旋状の主導
バネと引き金調整装置を発達させ、銃身の破壊を防ぐ鉄鋼の製造に
も成功している。鉄砲を使った戦法も世界一で、1573年、織田信長
が武田の騎馬武者を駆逐した長篠の戦いで見せた3000人の鉄砲隊を
三分隊に分けて、一斉射撃を繰り返す戦法は、基本的には第一次大
戦まで通用するものだったという。[2,p52]

 その12年後、フランスのアンリ4世が勝利を収めたクトラの戦
いで25名の鉄砲隊を各槍隊の間に配置した程度に過ぎなかった事
も見ても、鉄砲使用の規模と質において、当時の日本がいかに進ん
でいたかが分かる。ポルトガル、スペインも、日本の軍事力を見て
侵略を諦めざるをえなかった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
(「江戸」で、検索して読んでくれ)
240 :03/06/29 20:24 ID:qtaan6kn


なんせ江戸時代に世界で初めて先物取引をした
国だからな、日本は,,,,,,,,,,,


241 :03/06/29 20:28 ID:zAAt1Asg
>>240
そのときにできたのが、ローソク足。
日本が誇れる世界標準ですね。
242・。・:03/06/29 20:38 ID:9GuIiKek
■1.日本人のDNAに組み込まれた市場経済システム■

 アメリカがまだ植民地であった時代から、わが国には固
有の先進的な市場経済システムが存在し、世界に類を見な
い百万都市江戸を成立させていた・・・

 日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済
システムの経験が、しっかりと組み込まれている・・・

 鈴木浩三氏の「資本主義は江戸で生まれた」[1]は、我々の
祖先が、江戸時代にいかに高度な市場経済システムを作り上げ、
その上でたくましい経済活動を展開していたかを、活写してい
る。今回は、この本を頼りに、我々自身に潜むDNAを思い出
してみよう。そこに日本経済の再生のための重要なヒントが見
つかるだろう。
243¥・¥:03/06/29 20:39 ID:9GuIiKek
■2.天下普請のケインズ政策■

 天正18(1590)年、三河や駿河を本拠地としていた徳川家康
は、秀吉の命令で関東に移り、江戸に居を構えた。当時の江戸
は、海岸沿いは葦原ばかり、東は荒涼とした武蔵野に続くさび
しい土地だった。

 家康は関ヶ原の戦いで天下をとると、全国の大名に命じて、
江戸城の城郭築造工事、江戸市街地や水路網建設に当たらせた。
このように天下人が諸大名に命じて土木・建設工事をさせるの
を「天下普請」と言う。これは戦時の軍役と同じ扱いで、必要
な資金・人員のいっさいを大名の石高に応じて供出させ、工
事・役務を行わせるものだった。

 数年に一度命ぜられる天下普請は、大名達に巨額の財政支出
を強いた。それは幕府から見れば、敵対する可能性のある諸大
名の経済力をあらかじめ削いでおくという防衛的な目的があっ
たが、同時に、軍備にあてられるかもしれない経済力を、平和
な「公共工事」に向けるという意味もあった。

 また天下普請の間は大名は多くの家臣ととも江戸に滞在した。
そのための大名屋敷、武家屋敷群が建設されていった。これら
の建設工事が資材や労働力への巨大な需要を生みだし、さらに
膨大な工事関係者の生活を支えるための食品、日用品、娯楽な
どの消費需要が生まれる。江戸時代初期の70年間、このよう
な公共工事が集中的に江戸で行われた結果、需要が需要を生み
出す形で、江戸は高度成長を続けた。これは戦後の高度成長と
同様に、公共投資を呼び水にして、需要が需要を生み出すケイ
ンズ政策であった。
244 :03/06/29 20:39 ID:blnlnOqq
おいおい
このスレの始めの方で
平安時代は日韓の文化は互角って誰かいってたけど、違うだろ。
源氏物語、古今集などの世界に認められる文学の金字塔が朝鮮にありますか?
平安の頃から日本の圧勝だろ。
245。・。:03/06/29 20:39 ID:9GuIiKek
■3.参勤交代で盛り上がる消費需要■

 寛永12(1635)年に、参勤交代制度が始まった。大名達は一
年を江戸、一年を国もとで過ごす。これも軍役と同様に、禄高
と格式に応じた供揃いを義務づけられた。供揃いとは、そのま
ま戦闘に移れる武装した行軍行列のことで、飲料水と薪以外は、
武器・弾薬・食糧をすべて持ち歩かねばならなかった。

 参勤交代を含めた江戸在府に必要な経費は、大名の実収入の
5,6割を占め、大きな負担となった。大名達は国もとの米を
売り払って、貨幣を得て、それで江戸屋敷の生活費や諸経費を
支払った。殿様に随行して地方からやってくる大勢の家臣団も、
江戸での消費需要を盛り上げ、町人層を潤わせた。

 江戸屋敷での最大の支出は、幕府や他の大名との交際費だっ
た。江戸屋敷に常駐した「留守居役」は、天下普請の計画をな
るべく早く掴み、思わぬ案件が自藩に廻ってこないように幕府
の役人に根回ししたり、あるいは他藩と「談合」したりした。
そのために吉原や高級料亭での接待や、書画・骨董などの贈答
がさかんに行われた。こうした接待・贈答需要が、料理・服
飾・工芸などの産業を発展させた。

 江戸時代後半には、葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵師が活
躍し、「名所江戸百景」「東海道五十三次」などが盛んに出版
された。これらは参勤交代で江戸に集まった武士たちが国元に
持ち帰る土産であり、また道中のガイドブックでもあった。さ
らに江戸に全国から武士が集まることで、諸国の情報が集まり、
また江戸の最新流行ファッションや、長唄などの新曲が地方に
伝わった。
246うぇ:03/06/29 20:41 ID:9GuIiKek
■4.民間による商業航路の発達■

 天下普請のための石材など資材の運搬、さらに動員した家来
や土木作業員の食糧供給のために水運が発達した。江戸城の石
垣築造では、西国大名31家が3千艘の運搬船建造と、それに
よる伊豆半島からの石材輸送を命ぜられた。

 また東北の大名は、太平洋岸を南下する東回り廻船航路で、
江戸まで米や資材を持船で運んだ。家康は東北大名達に命じて、
慶長14(1609)年、その中継地点である銚子に港を築かせた。
このルートによる流通が盛んになるにつれ、民間による海上輸
送の方が有利となり、東回り廻船航路での定期便が確立してい
った。

 また江戸の消費需要が盛り上がるにつれ、日本全国から多種
多様な物産が水運で運び込まれるようになった。清酒は摂津国
鴻ノ池(現在の兵庫県伊丹市あたり)の酒屋が慶長十五(1610)
年に、最初に江戸に持ち込んだ。当時、江戸では濁酒しかなか
ったため、清酒は飛ぶように売れ、はじめは人が背負って運ん
でいたのが、駄馬による輸送となり、寛永(1624〜43)になると、
船で運ばれるようになった。醤油も正徳年間(1711〜15)に、大
阪から持ち込まれて、高級調味料としてもてはやされた。

 上方の物産を江戸に運ぶために、大阪と江戸の間の民営の定
期航路が発達した。二つの組織がそれぞれの定期便を運航して、
明治に入るまで、競争を続けた。また江戸時代以前に確立して
いた北前船(大阪と日本海経由で北海道を結ぶ)、西廻り廻船
(大阪と瀬戸内、九州を結ぶ)と合わせて、日本列島全体を結
ぶ民間による定期商業航路が完成した。
247、。、:03/06/29 20:42 ID:9GuIiKek
■5.変動相場制による取引■

 江戸時代の通貨制度は、「東の金遣い・西の銀遣い」と言わ
れ江戸の金貨と上方の銀貨が対等な本位貨幣として両立してい
た。また銅貨も少額の補助貨幣として使われていた。しかも、
これらの間の交換比率は変動相場制であった。このような3貨
制は世界的にみても非常に珍しいと言われる。

 変動相場制だから、江戸の商人が上方に注文を出すには、銀
相場が安い時、すなわち金高銀安の時に行うと有利だった。た
とえば、現代日本の企業が国際市場で石油を調達しようとする
と、石油の価格の動きと、円−ドルの交換比率の両方の変動を
考えなければならない。江戸の商人たちは、すでにそういう世
界にいた。

 江戸、大坂、京都には、多くの両替商が繁盛していた。貨幣
の鋳造は幕府が行っており、たびたび金銀の交換比率を公定し
たが、ダイナミックな市場経済には幕府権力も及ばない。両替
商たちは、日々の相場を見ながら、金銀の両替・売買を行った。

 相場は「立会場」で決まった。大阪・北浜にあった金相場会
所では正月三が日と五節句を除いて毎日、午前10時から1〜
2時間、「立会い」が開かれた。両替商達が少しでも利益を上
げようと、血眼になって、取引に熱中する。立会い時間が過ぎ
ると拍子木を打って知らせるが、取引が過熱していて終わらな
い時には水をかけた。これを「水入り」という。「立合い」
「水入り」という相撲用語は、当時の商業用語でもあった。

 コンピュータこそないものの、取引の内容自体は、現代の通
貨市場と本質的には変わらない。
248HJK:03/06/29 20:43 ID:9GuIiKek
■6.両替商の銀行業務■

 両替商は、為替取引や預金・貸付け、手形取扱いなど、現代
の銀行とほぼ同じ事業を行っていた。江戸−大阪−京都の三都
間では本格的な為替取引が行われていた。たとえば、幕府の大
阪御金蔵から江戸への公金輸送と、江戸商人から大阪商人に支
払われる商品代金を相殺する形で、決済していた。

 商人は両替商に預金口座を開いて、稼いだ貨幣を預けた。現
代の当座預金にあたるもので無利子だったが、信用のある両替
商と取引がある事は、その商人自身の信用を高めた。両替商は
取引を希望する商人がいれば、身元や財産状況を徹底的に調べ
てから、口座を開いた。

 両替商の中には大名に貸付けを行うものもいた。諸大名は天
下普請や参勤交代で出費がかさむ一方、年貢収入は頭打ちだっ
たため、その財政状態は窮迫していた。そこで家老や留守居役
が藩主の代理人として、両替商一同を料理屋などで接待し、借
金を頼む。両替商達は、その大名の信用状態によって、貸出し
総額を値切ったり、時には断ったりした。また貸出しが焦げつ
いた時の危険分散として、何人かの両替商がシンジケートを組
み、貸付けを分担したりした。現代の銀行に大企業に融資する
のとまったく同じである。

 大名側は地位を利用して、借金の踏み倒しを行う例も少なく
なかった。肥後熊本の細川家などはその常習犯で、「細川家は
前々から不埒なるお家柄にて、度々町人の借金断りこれあり」
などと記録にも残っている。こういうブラックリスト情報は両
替商仲間にすぐ伝わって、組織的な貸し付けボイコットや年貢
を担保に求められるようになった。大名の権威も、市場経済シ
ステムの前ではかたなしだった。
249 :03/06/29 20:43 ID:CHzHPlEq
平安時代の朝鮮半島には唐の先進文化が伝播していたと見られる。
あながち日本の圧勝とはいえまい。
250。・。:03/06/29 20:44 ID:9GuIiKek
■7.通貨政策による物価安定■
 諸大名は領地でとれた米を大阪で売って銀を得ていた。大阪
の米市場では需給関係から米価が決まり、その変動を見越した
投機や、先物取引(将来の一定期日にあらかじめ約束した価格
で商品を売買する取引)が行われていた。
 近代的な商品先物取引が本格的に成立したのは1865年のシカ
ゴ商品取引所だと言われているが、同所の発行する「商品取引
便覧」には、「1730年代に、日本の大阪において先物取引を含
む商品取引所が存在していたことは驚くべき事である」と、大
阪堂島の米市場を紹介している。[2,p88]
 大名側が増収方策として米の増産に励んでも、米の供給が増
えるほど米価が下がって収入は伸びない。その反面、その他の
商品の物価は上がり続けた。幕府は米価の維持のために、米の
買い付けを大阪の豪商に命じたり、大阪御金蔵の資金によって
自ら買い付けたが、それを売りに出すとすぐにまた米価は下が
ってしまう。
 幕府は困って大阪の両替商たちに米価維持策を相談した。両
替商達は、米が安いのは通貨の質が良すぎるのと通貨供給量が
少ないためだから、貨幣供給量を増やすように、と答えている。
この策を直接聞き入れたためかどうかは定かではないが、幕府
は実際に貨幣の金や銀の含有量を下げる貨幣改鋳を行って、米
価の上昇と、諸物価の安定にある程度成功した。
 現代でも円高を避けるために、政府が円売りドル買いをした
りするが、幕府の米買いによる価格維持策はそれと同じである。
また両替商たちはすでに通貨の質や供給量が物価にどのような
影響を及ぼすのか、すでに理解していた。通貨政策で物価の安
定を図るという現代マネタリズム流の手法は、20世紀の社会
主義経済での公定価格制などよりもはるかに先進的である。
251・。・:03/06/29 20:45 ID:9GuIiKek
■8.問屋株仲間は業界団体■

 商品経済の発達につれて幕府も年貢米を財政基盤とする体制
から、商品流通に財源を求めた。江戸中期の老中、田沼意次は
現在の同業者団体にあたる「問屋株仲間」を公認して独占を許
すとともに、その対価として冥加金、運上といった「間接税」
の徴収を始めた。

 問屋株仲間はもともと米、酒、塩、味噌、炭など、生活必需
品12品目の高騰を規制するために、同業組合として幕府が結
成を命じたもので、株とはその会員権をさした。田沼時代末期
の大阪では130にものぼる問屋仲間が公認されていた。

 問屋株仲間に入っていない業者が勝手に商売を行った場合は、
幕府に訴えれば処罰してくれた。また株仲間の一部が幕府の規
制に触れる行為を行うと、株仲間全体が連座して処罰の対象と
なったので、そのような事態を防ぐための自治活動が行われた。
新入りの仲間に対する厳しい選別過程はもとより、仲間の跡取
りの品行をチェックして、道楽者、怠け者を排除したり、嫁取
り、婿取りに対しても、全員の承認が必要だった。

 問屋株仲間は幕府の指導・統制を個々の業者に伝える「上意
下達」だけでなく、業界としてのコンセンサスをとりまとめて、
幕府に伝えるという「下意上達」の機関でもでもあった。これ
は現在の経済産業省が、業界団体を通じて間接的に各事業者を
統制するという現在のやり方と同じである。ただ間接税も業界
団体を通じて徴収するという点は異なる。
252斜め読み ◆ddCcroSSko :03/06/29 20:45 ID:X5nKIo28
>>249
唐との公式朝貢を断ち切り、独自の文化の道を歩き始めた先祖は十分誇らしいですよ。
まぁ、文化を比較してもしょうがないですが。
253おわり:03/06/29 20:46 ID:9GuIiKek
■9.4百年にわたる市場経済システムの進化■
 公共投資政策としての天下普請、需要喚起策としての参勤交
代、通貨政策や需給調整を通じた物価安定策、高度な物流や金
融のシステム、間接税、そして業界団体による間接的な事業者
統制、、、こう見てくると江戸時代に発展した市場経済システ
ムは、現代にそっくりである。
 明治維新後の「文明開化」が急速に進んだのも、こうした近
代的な市場経済システムが実態としてすでに江戸時代から存在
してからである。経済史的に見れば、明治維新や大東亜戦争敗
戦という転機にもかかわらず、江戸時代から現代まで、わが国
の市場経済システムは環境変化に適応しながら、400年間に
渡って連続的に進化してきたものである。このあたりはロシア
や中国とは根本的に異なる。
 こう見れば、たとえば政府(官)と個々の事業者(民)の間
に業界団体(公)を設けて業界としての自治を求めるなどとい
う日本流のやり方が、アメリカ流「グローバル・スタンダー
ド」に欠落しているからと言って、一概に時代遅れの産物であ
るかのように見なすのはおかしい事が分かる。歴史の浅いアメ
リカの市場経済システムが、まだそこまで到達していないだけ
の事かもしれない。
 わずかここ10年ほどの経済の不振で、我らの父祖が400
年にわたって成長させてきた市場経済システムを弊履にように
投げ捨てて、「グローバル・スタンダード」に走るのは、歴史
に学ばない愚か者のすることだ。市場経済システムを、どう新
しい時代と環境に適応させ、その長所を強みとして発揮させて
いくべきか、と考えていくべきだろう。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm

254  :03/06/29 20:49 ID:umU/2JIV
朝鮮の文化で評価出来るのは古代の金細工と高麗青磁&李朝白磁ぐらいだな
255スレッガー:03/06/29 20:52 ID:e7PH6B9n
>>249
平安時代は大陸の文化や物の取捨選択の基準に、
自分達にあってるかあってないか、これを考える事が顕著になった時代だよ。
何でも受け入れようとした半島とは、ちと違う状況になってるわけ。


256 :03/06/29 20:53 ID:txICNCGq
つまり日本の政治家は江戸時代以前から商人(財界)から金を
借りなければ何もできない無能で、しかも借りた金を返さなかった。
武士の能は刀を振りかざすだけ。政治的内政的に無能だった。
明治維新によって大名は莫大な商人への借金を踏み倒した。
日本の政治家は歴代無能。
257スレッガー:03/06/29 20:58 ID:e7PH6B9n
>>256
当時の百姓達、庶民が自分達で治水や新田開発、インフラ整備をしていた事実は
たくさんあるけど、そこまで極論も珍しいね。

日本の歴代の政治家は無能?って事は国民は滅茶苦茶有能って事かな。
258 :03/06/29 21:00 ID:QAq35Voo
>>256
ありゃ、まだいたんかい、この人

そんなに自説が否定されたことが悔しいのかね?
259 :03/06/29 21:06 ID:CHzHPlEq
>>252
>>255

自律的に選択した日本の文化が上で、事大に徹した新羅、高麗が下とは言い切れまい。
平安時代ごろなら支那文化のアドヴァンテージを軽視できないから、互角と見るべきではなかろうか。
260斜め読み ◆ddCcroSSko :03/06/29 21:08 ID:X5nKIo28
>>259
文化に単純な上下はないでしょ?
多様性があるとか、独自性があるとか言う言い方は出来るとは思いますが。
261 :03/06/29 21:09 ID:QgoTES1R
>>256
上杉鷹山

とりあえず基本中の基本。
これでぐぐってみ。
262 :03/06/29 21:13 ID:QAq35Voo
>>261
そっとしといたれ。
あれは勝利宣言なんだから。

txICNCGqでIDチェックすればわかることだが具体的な人名や事実は一切出てこない。
とにかく自説押し通しただけの人なんだよ。
263 :03/06/29 21:13 ID:txICNCGq
>>258
はあ?否定されてないよ。読解力ないな。
全然肯定されてるよ。ちゃんと上の文章読んだか?
きみが誤解してるだけだよ。政治家が無能って意味わかっただろ?

まだいたっていうか、違う板に行っていて、戻ってきた。
264タトゥー:03/06/29 21:16 ID:jvmXUjfQ

金豚を批難しながら汚職まみれの日本の政治家を全力でかばうスレはここですか?
265アリサ:03/06/29 21:19 ID:BVJArpp0
政治家は無能だよ。確かに。
266 :03/06/29 21:31 ID:zAAt1Asg
無能な政治家ってのは、国民が飢えているにもかかわらず、
専用機でハロッズに買い物に行くような人たちですよ。

たった200年かそこらで、ここまで大きくなれた国がどれだけあったか
を考えれば政治家や、役人、企業家の能力がどのようなレベルであったかは
わかりそうなモノですが。
267@:03/06/29 21:32 ID:9GuIiKek
■1.自力で栄えるこの豊沃な大地■
 1850年の時点で住む場所を選ばなくてはならないなら、私が
裕福であるならばイギリスに、労働者階級であれば日本に住み
たいと思う。[1]
 アメリカの歴史家スーザン・B・ハンレーの言葉である。海洋
アジアの物産に対抗して、ヨーロッパが暴力的収奪によって近代
世界システムを作りあげていた時に、日本はまったく別のアプロ
ーチによって、もう一つの近代文明を育てていた。これを江戸シ
ステムと呼ぶ事がある。それは庶民にとってみれば、近代世界シ
ステムの最先端、大英帝国よりも幸福な社会であった。
 その実態はどうだったのだろう? 19世紀後半に世界各地を
旅したイギリスの女流探検家イザベラ・バードは、明治初年に日
本を訪れ、いまだ江戸時代の余韻を残す米沢について、次のよう
な印象記を残している。
 南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の
赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したという
より、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、
煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、
ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、
アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な
大地は、すべて、それを耕作している人びとの所有するところ
のものである。・・・・・・美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な
地域である。山に囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。
どこを見渡しても豊かで美しい農村である。[2]
 ヨーロッパ人が、他の大陸の土地と人間を暴力的に収奪して、
豊かさを手に入れたのに対し、日本人は「自力で栄えるこの肥沃
な大地」を築き上げた。それはどのようなアプローチで可能だっ
たのだろうか。
268 :03/06/29 21:32 ID:cz+kv+op
>>256
そうだね、日本の政治家は無能だね

それに比べて朝鮮の政治家の有能なことと言ったら・・・







( ´,_ゝ`)
269A:03/06/29 21:33 ID:9GuIiKek
■2.木綿後進国だったヨーロッパと日本■

 前90号で紹介したように、17世紀末にインド木綿がヨーロッ
パで衣料革命を起こしたのだが、東アジアにおいても、それより
やや早く、同様な現象が起こっていた。そこでの木綿生産は、
13世紀末の中国に始まり、14世紀末に朝鮮、15世紀末には
戦国時代の日本へと、ほぼ一世紀ずつ遅れて普及した。

 室町時代以前の日本人の衣料は、麻であった。綿布は麻にくら
べてやわらかく、保温性も良いので、特に冬季の衣料として、一
般民衆にも普及した。そのため15世紀前半からの約1世紀間、
日本は大量の綿布を朝鮮から輸入した。朝鮮だけではその需要に
応じきれず、16世紀半ば以降からは、中国から輸入するように
なった。ヨーロッパと同様、日本も木綿生産の後進国として、輸
入に頼っていたのである。[4,p62]
270B:03/06/29 21:33 ID:9GuIiKek
■3.黄金の国ジパング■

 何も売るもののないヨーロッパは新大陸から収奪した貴金属を
支払いにあてたが、日本はどうしたのだろうか。幸いな事に、戦
国時代に鉱山開発が進んだ結果、日本は当時、世界有数の貴金属
産出国になっていた。

 たとえば銀については、17世紀初頭において、日本を除く世
界の年間銀産出高が39〜49万kgだったのに対し、日本の輸出高だ
けでも16〜20万kgに達していた。[4,p35]

 銅についても、シナでは明の時代に貨幣原料の不足を来たし、
清代には日本への輸入依存を徐々に高め、18世紀初めには、ほ
とんど全量を日本銅に依存する状態になった。地大物博の国と呼
ばれたシナも、実は貨幣経済の首根っこは日本に押さえられてい
た。そして日本の銅銭は、シナのみならず、アジア域内交易に広
く用いられた。マルコポーロの「黄金の国ジパング」とは、あな
がち荒唐無稽な形容ではなかったのである。[5,p262]
271C:03/06/29 21:34 ID:9GuIiKek
■4.四大国際商品の国産化に成功■

 高価な輸入品を安く自給して、生活水準を高めたいと思うのは、
当然の志向である。前号で紹介したように、ヨーロッパは、アフ
リカから移送した黒人をアメリカ大陸のプランテーションで働か
せて綿花を栽培し、それをイギリスの紡績機で綿布に仕上げると
いう三角貿易で、綿布の自給体制を作り上げた。これが産業革命
の契機となった。

 日本も綿布の自給を図ったが、肥沃な土地と温暖な気候に恵ま
れ、国内栽培が可能であった。15世紀末の戦国時代から広がっ
た綿花栽培は、17世紀末から18世紀初頭にかけて、多肥・労
働集約的な農法の開発などで発展を続け、停滞するシナ、朝鮮を
凌駕するに至った。

 こうして、ユーラシア大陸の両端、木綿生産の最後進国であっ
たイギリスと日本は、19世紀を迎える頃には、綿業の最先進国
になっていた。[4,p62]

 海洋アジアのその他の物産についても、我が国は次々と国産化
に成功した。ペリーが日本に通商を迫ったときには、近代世界シ
ステムにおける4大国際商品、すなわち木綿、砂糖、生糸、茶は、
すべて自給していたのである。単なる偶然ではなく、これらの商
品を自給しようという所から、近代世界システムも江戸システム
も発展してきたからである。ただそのアプローチは、あまりにも
対照的であった。

272:03/06/29 21:34 ID:zhSsFbwr
無能と人に言えるほどあんたは・・・(ry
と言わずもがなの事をあえて言ってみるテスト
273D:03/06/29 21:34 ID:9GuIiKek
■5.余裕の守り■

 江戸時代初期、東南アジア各地には日本町や日本人居留地が作
られ、幕府から許可を与えられた朱印船が、さかんに往来してい
た。1604年からの約30年間に365隻が渡航したという。このま
ま海洋アジアとの交易が発展すれば、我が国は江戸時代には海洋
アジアの一大勢力として、国際化していたであろう。

 しかし、暴力的収奪を常とするヨーロッパ人の割り込みが、そ
の発展を大きく阻害した。フィリピンのようなすぐ隣の土地がス
ペイン人の植民地となり、キリスト教布教を名目とした侵略性は
隠しようもなかった。

 徳川幕府は、キリシタンを禁制とし、海外発展よりも、内政充
実を選ぶ。一般にこれを「鎖国」というが、実際には、上述のよ
うに中国・朝鮮などとは活発な交易を続けており、またオランダ
を通じて、近代世界システムの動きに対する情報収集も怠りなか
った。

 それらの事象が意味するものは目本の、"守り"であると同時
に"余裕"である。外国の怪しげな諸勢力が侵入するのを拒絶す
る自由独立の意志の表現であると同時に、十七―十八世紀にか
けて主権国家体制をとり始めた西欧各国と歩調を合わせ、日本
が統一国家としての体制を確立せんとしていた証拠である。
[6,p13]
274E:03/06/29 21:35 ID:9GuIiKek
■6.平和の配当による高度成長■

 徳川幕府は、当初、豊臣政権の「七公三民(収入の7割を税徴
収)」の税率を踏襲したのだが、それらは城下町の建設、陸路・
海路の交通網整備、河川堤防の建設、新田の造成など、大規模な
社会インフラ整備に使われた。そしてそれらが終わるとただちに、
大減税を敢行した。四代将軍家綱の元禄の頃には、「三公七民」
と逆転していた。[6,p168]

 いわば、戦国時代の後の「平和の配当」である。上述した四大
商品の国産化成功ともあいまって、我が国は空前の高度成長期に
突入した。江戸幕府創設の直前、1600年の日本の人口は12百万
人だったのが、1721年には31百万人と2.6倍にもなった。生
活水準も向上し、平均寿命が延びた。[6,p92]

 この間の耕地は、225万ヘクタールから296万ヘクタールへと、
1.3倍となっている。1.3倍の土地で、2.6倍の人口を養
っていたのだから、土地生産性は2倍となったと言える。生活水
準の向上を加味すれば、それ以上だ。新大陸など他人の土地を欲
しいままに占有・収奪した近代世界システムに対して、江戸シス
テムは限られた国内の土地を最高度に活用したのである。

 歴史の教科書には、江戸時代に飢饉ばかりが続いたかのように
記述しているが、それは江戸時代の後半、人口が3千万を超えて
列島の収容能力限界に達し、また米作が北限の東北地方まで普及
していた所に、気候寒冷化が襲ったためである。飢饉を階級的搾
取の結果とするマルクス主義史観では、前期の高度成長も、庶民
の豊かな暮らしぶりも説明できない。

275F:03/06/29 21:36 ID:9GuIiKek
■7.汗と知恵による勤勉革命■

 江戸システムで土地生産性が大幅に向上したのは、より多くの
汗と知恵の投入の結果である。飼料のために広い土地を必要とす
る牛馬を減らし、人力で代替した。そのために土地や作業にあっ
た鍬などの農具が開発された。また都市部の糞尿や生ゴミが農村
に貫流されて、肥料として利用されるというリサイクルシステム
を確立した。これにより衛生的な都市生活と、農業生産性向上を
両立させる事ができた。[7]

 さまざまな創意工夫は多くの農書にまとめられ、各地に広めら
れた。それを読むために、一般民衆の就学率、識字率はヨーロッ
パ諸国に比べても段違いに高い水準となった。[8]。

 勤勉と教育を尊び、ものを大切にする我が国の文化特性は、江
戸システムの発展を通じて、形成されたのである。ヨーロッパの
産業革命(Industrial revolution)に対して、日本は勤勉革命
 (Industrious revolution)を行ったと称されている。
276終わり:03/06/29 21:36 ID:9GuIiKek
■8.平和の海■

 春の海ひねもすのたりのたりかな
 高麗(こま)船のよらで過ぎゆく霞かな

 蕪村の句である。のどかな霞の海を朝鮮の船が行く。こちらに
立ち寄ってくれたら、退屈もしのげるのに、そのままどこかに行
ってしまう。日本は、朝鮮やシナ、オランダと盛んに交易はして
いたが、それぞれが互いに干渉もせずに、平和裡に棲み分けてい
た。

 1637-8年の島原の乱から、1867年の大政奉還までの230年間、
我が国は静謐な平和に包まれていた。しかし、ペリーの砲艦外交
で近代世界システムに巻き込まれた途端、日本は日清、日露、大
東亜戦争と過酷な戦争の世界に身を投じなければならなかった。

 230年間一度も戦争をしなかった江戸システムと、15世紀
以来の500年間に、約1年8ヶ月に1回の割合で戦争をしてい
た近代世界システムと、両文明の本質的な違いをここに見る事が
できる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
277 :03/06/29 21:37 ID:UfyDVmCx
まぁ江戸時代、武士が承認から金を借りざるを得なかったのは、
武士の商売(経営)がそもそも下手だったっつーことがあるんだが。
んで何で下手だったのかってぇと、商いを毛嫌いしてたから、その手のことは勉強してなかった。
278 :03/06/29 21:40 ID:QgoTES1R
>>267-276
禿同。
特に銀と綿織物をおさえたのは、めっちゃデカい
アドバンテージであったと個人的に思ふ。
279一般:03/06/29 21:43 ID:BxTx1lAV
ごめん、みんな。
明治維新は1868年、日清戦争は1894年日本は清に勝って列強の仲間入り
したんだ。だから、三十年足らずで西洋と肩を並べたと言ってイイ。
その十年後にはロシアにも勝ってるの。なんでそんなことできたのか?
やっぱり政治家が優秀だったからじゃあございませんか?
今の政治は官僚がやってるから政治家批判してもダメよ。
280あるよ:03/06/29 21:58 ID:9GuIiKek
>>■1.Uesugi Yozan, who?■

 1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネデ


ィは、日本人記者団からこんな質問を受けた。「あなたが、日
本で最も尊敬する政治家はだれですか」

 ケネディはこう答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」
[2,p3]

 おそらく日本人記者団の中で上杉鷹山の名を知っている人は
いなかっただろう。鷹山公は江戸時代に米沢藩の藩政建て直し
に成功した名政治家で、財政危機に瀕する現代日本にとっても、
学ぶべき所が多い。戦前は、小学校の修身教科書にも登場し、
青少年に敬愛されてきた人物である。

 上杉鷹山とは、どのような人物なのだろうか。そしてなぜケ
ネディは鷹山を尊敬していたのだろうか。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm


281   :03/06/29 22:06 ID:95w/xCtj
>>280
だれかブッシュに聞いてくれないかな?
「あなたが、韓国で最も尊敬する政治家はだれですか」と。


意地悪かな〜?? 
282   :03/06/29 22:15 ID:BBv4QMFs
このころはまだ猫車なかったみたいだね
283 :03/06/29 22:30 ID:S7hSQuZ1
>>259
今の時代の基準、朝鮮人の好きそうな、民族独自の文化とかいう視点で見ると、
皮肉なことに日本のほうが上になるな。
平安時代の王朝文学は一応世界に誇れるからなあ。
284 :03/06/29 22:58 ID:f2HIme9u
>>283
一応どころか、あの時代にあれほどの文学が存在したのは日本だけだろ
285 :03/06/29 23:09 ID:NmQUFySN
>>284

隣にもう一つあるよ、
清少納言の香炉峯の逸話の出典になった文学大国が。
286 :03/06/29 23:11 ID:0EUw236n
滋賀では、朝鮮街道の事を「ちょんかい」と普通に呼んでるな
287 :03/06/29 23:11 ID:zSh9beA8
平安期は遣唐使が廃止され国風文化が花咲く時期です
唐では日本風の句が流行ったり宋代では日本の文物がもてはやされたり
この時期の半島文化と比べちゃ半島人には酷でしょ
288 :03/06/29 23:14 ID:tIqfSUJj
半島文化が中華に影響を与えたというものってあるの?
教えて偉い人。
289 :03/06/29 23:18 ID:zSh9beA8
>>288
かわいそうでしょ!!そんな質問しちゃ
僕の口から
「中原と半島の文化の流れは常に中原から半島への
一方通行です。逆流は半万年間ありませんでした。」
なんて言えないよ
290 :03/06/29 23:29 ID:Fo0HXrpv
世界最古のエロ小説(源氏物語)とか世界最古のエッセイ集(枕草子)とか、
平安時代の文学は凄いと言えば凄いけれど素直に誇るには微妙に引っかかる(w
291崔仁浩の妹あいぼんX:03/06/29 23:32 ID:tyBlK98r
>>65
     @ノハ@    
     ( ‘д‘)< 確かにお互い、そのことは無視したらあかんな
 ┏━━━━━━━━┓ 
 ┃┏━━━━━━┓┃
 ┃┃   古代史   ┃┃
 ┃┗━━━━━━┛┃
292lxl:03/06/29 23:33 ID:pxoDd0+9
   ∧ ∧              ∧ ∧
  (;`д´)            <`△´, >
 ⊂ ⊂  \          ⊂      )  
    ヾ               ヽ  ∪ 
_∧________  __∧_______________
 う・・・また始まった・・・    チョッパリどもめっ!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    奈良と京都は本来ウリの文化財ニダ!
                   教科書にそう書くニダ!
                  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
293 :03/06/29 23:46 ID:tIqfSUJj
>>289
そうなのか・・・
文化の通り道ってやつですね。

女真族は、中華文化を取り入れなければ中国の統治ができなかったわけで、
通信使ってのは半島に残る中華文化に触れるためだったのかも。
294 :03/06/29 23:58 ID:TuXH/ISh
>>1
朝鮮人はどうしてこの記録を抹殺しなかったのだろうか・・・
この資料のおかげでこの時代に両班の個人的な記録にはハングルがかなり使われていたことも分かるのが面白い。
295 :03/06/29 23:59 ID:zSh9beA8
第一の目的は幕府の権威を見せるための見世物だったのでしょう
清とは鎖国下でも貿易活動はしていたのですし
あの頃の半島は朱子学ぐらいしか進んでいなかったですし
通信史がもたらした文物の話は皆無等しい

296 :03/06/30 00:24 ID:8v+UIXtW
そういえば
韓国の国定教科書に
通信使がに日本に伝えた文化や文物って事例書いてあるの?
「通信使で日本に教えてあげた」
って、教育してるみたいだが
あまりにそれでは抽象的で具体的な実例挙げずにおしえてるのか?
詳しい人オネガイ
297 :03/06/30 01:49 ID:LT+wyze2
>285
こーろほーの雪は、御簾をなんかするんだっけ?
298 :03/06/30 02:37 ID:mjhMN6ZK
ジュースが美味である事を誇るストロー

それが朝鮮
299 :03/06/30 02:52 ID:mjhMN6ZK
平安時代の物語文学は世界でも突出した水準だが、文化とは物語文学だけの事ではない。
支那では空想の世界を描写する物語は小説と呼ばれ、嘘偽りとして蔑視された。
そんな支那人が重視した文学とは、現実世界を歌う詩だ。
それぞれ重んじる価値観が異なるのだから、平安文化ばかりが世界で突出していると考えるのは我田引水というものだ。




300三毛 ◆MowPntKTsQ :03/06/30 02:54 ID:Xuk+QZ0L
>>298
言い得て妙だ(w
301 :03/06/30 02:55 ID:xCQianQJ
>>298
ワラタ
302 :03/06/30 05:05 ID:Xe5RsMoL
>>299
>平安文化ばかりが世界で突出していると考える
そんなチョソみたいな日本人はいないと思う。
ギリシア神話や千一夜物語も面白いもんねー。
303 :03/06/30 07:55 ID:4qn4tuCY
>>298
座布団全部あげちゃいますw
304 :03/06/30 08:00 ID:n5vVjRAI
李朝なんて徳川幕府より長く続いたのにろくなもの残してない。それ以前の高麗朝にしても。
これ、秀吉と日帝に全部責任があるのかや?
305 :03/06/30 08:03 ID:kL/IyU1T
>>304
ない。全部両班のせい。
306愛国者 ◆vdwPCT2GkM :03/06/30 08:35 ID:Z18tXlcf
>>298
之ほど的確な例えを今まで聞いたことがあったであろうか!







つまり、ただの通り道ってことだね。
307ああああ :03/06/30 08:41 ID:bEWaYoy1
でも直に口付けて飲めば、ストローは不用。
308 :03/06/30 08:44 ID:8Eh2OMN7
>>307
>でも直に口付けて飲めば、ストローは不用。

それが遣唐使&遣隋使
で、菅原道真が唐に文化的に追いついたと判断して
遣唐使が廃止され国風文化が開花する
309rtr:03/06/30 09:02 ID:62nmIERm
 仁徳陵等の大きな古墳が日本にあるが、同等の規模のものが朝鮮半島に
あるのか。古墳時代、朝鮮優位といえるのか。

>先史時代〜古墳時代 : 朝鮮優位期
310ストロー:03/06/30 09:46 ID:j8NPOz96
207 :   :03/06/29 18:08 ID:FXI/N6wj
昨日テレ東で
「韓国の○○という言葉が日本に来て¨わっしょい¨になった」
とかってペラペラ喋ってた男の人が居たんだけど
誰か知りませんか?

>>221 : :03/06/29 18:44 ID:L7tvhULP
>>207
これだろ。←以下>>222>>233で延々と自説を展開

237 : :03/06/29 20:18 ID:zAAt1Asg
この手の「日本語の起源は○○」説に切れて
日本語の起源は英語だって本出したのは、
金田一京助でしたっけ? ←プッ

発音や使い方が共通している点から『わっしょい』の語源が『ワッソ』
というのはごく自然な説。
それを認めたくない一心で>>221が必死で反論するが、どれも的はずれ
しまいには『日本語の語源は英語』説をひきあいに出してくる。。。
哀れですね。。。





( ´,_ゝ`)
311 :03/06/30 09:49 ID:n4lVwN6W
釣りはやめれ
312 :03/06/30 09:54 ID:8Eh2OMN7
>>310
>それを認めたくない一心で>>221が必死で反論するが、どれも的はずれ
>しまいには『日本語の語源は英語』説をひきあいに出してくる。。。
>哀れですね。。。
確かに引き合いにだすようなもんじゃないな普通

>発音や使い方が共通している点から『わっしょい』の語源が『ワッソ』
>というのはごく自然な説。
で、自然な説ってさ当時の半島で使われてた発音を判らないで
現代の発音が似てるからって語源と言うの同じぐらい馬鹿

「サムライ」に「サムラビ」が発音に似てるから半島起源だっけ?















って「サムラビ」はわざわざ半島起源をとなえる為に創られた造語だがなw
313ああああ:03/06/30 09:58 ID:bEWaYoy1
ある意味オーパーツの宝庫ですね。
314ストロー:03/06/30 10:05 ID:j8NPOz96
「サムライ」に「サムラビ」が発音に似てるから半島起源だっけ?

↑脳味噌がこの程度だから話がこじれるんですよね〜w
発音だけじゃなくて『使い方』もって言うてるでしょw

祭りで、日本『わっしょい!わっしょい!』
半島『ワッソ!ワッソ!』

別に半島起源じゃなくてもいいけど、幼稚な反論やめてねw

315 :03/06/30 10:13 ID:+acS8JhU
つうか別に神輿担ぐ時のかけ声くらいどっちが起源でも良いけどねぇ。
たとえ半島起源でも半島の祭りなんか眼中にないし。
316 :03/06/30 10:19 ID:xLqvJI7y
「ワッソ」とは日本語で「来た」
なら「ワッソ!ワッソ!」は

「キタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!! 」みたいなもんか。



2ちゃんみたいだな。


317 :03/06/30 10:22 ID:8Eh2OMN7
314>>
省略部分も読めない脳みそ量ですか?
半島系は頭大きいから脳の容量あると思ってたのに
いるかは人間より容量多いのと一緒でつかわれないだけか?

http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/200204040294.htm
ちなみに君が大好きと思われる朝鮮日報から「ワッソ」の意味は「来た」です
調べてみましたが祭りの掛け声で半島での使用例は無いみたいです
発音だけじゃなくて『使い方』って?なんでしょう?
使用例をソース提示して出してくださいなw
318 :03/06/30 10:34 ID:8Eh2OMN7
ストロー君をしょぼくれちゃったかな?
検索の鬼と化して夕方までにソース
出して置いてくださいなおねがいします☆
319 :03/06/30 12:53 ID:ELWRHjhk
    \\  韓国わっそい 韓国わっそい  //
     \\ 韓国わっそい 韓国わっそい//
       \\ワッソイっ! ニダニダ!//
    (                        ∫
     ∞   /反\  /省\  /汁\   ∞
        < `∀´∩<`Д´ ∩>< ` д ´>    ブーン
      (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  ∞〜
   ⌒∞   ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
         (_)し' し(_) (_)_)

320 :03/06/30 13:00 ID:rOQMPcfk
侍文化発祥の時点で、その当時いまだに半島から
言葉を借りてると思ってる時点で痛すぎ。
321 :03/06/30 13:03 ID:BFdFVgI8
つーか朝鮮半島の言語は各地バラバラで、統一されたのは日本統治時代になってからだろ。

「ワッソ⇒わっしょい」説論者は、何時の時代の朝鮮半島のどこの地方から「ワッソ」が
伝わって「わっしょい」になったのか。というところを論じないと。

322 :03/06/30 13:22 ID:n5vVjRAI
ではストローは何の為についてくるのだ。
ジュースを飲んだあと、
コップは洗って棚にしまっておく。
ストローは即汚物入れに。せいぜいカエルの尻に差し込んで膨らますのに再利用する。
323 :03/06/30 13:29 ID:+acS8JhU
ストロー君は釣り。
>>298にちなんだハンドルだろ(w
324:03/06/30 14:43 ID:0aVclsXE
釣りなんか、おもしろいんですかね?

釣りキチの気持ちはワカラン!
325クリ:03/06/30 14:47 ID:lp8CfO4N
朝鮮は唇の祝福なんかうけてませんよ?
326 :03/06/30 15:44 ID:6cCHz2cV
まぁ、他でもスレッドでも大暴れしてる
ストロー君も>>317見たいな都合の悪い事言われる
スレッドはスルーするへタレなのね
327 :03/06/30 15:45 ID:6cCHz2cV
age
328ストロー:03/06/30 16:01 ID:j8NPOz96
>>317
ちなみに君が大好きと思われる朝鮮日報から「ワッソ」の意味は「来た」です

↑変な文章ですね。。。。w
329ジュース:03/06/30 16:05 ID:eRhvhWtN
カギ括弧の前で文が区切られていると読めば、普通に意味が通るがね。
330  :03/06/30 16:10 ID:PAmpTrhL
>>309
その時期は朝鮮優位でいいんじゃない?
鉄の生産地でもあったし、中華秩序の中にいた時代だったので、大陸>>朝鮮>倭って序列が日本人の中にあったと考えるほうが妥当。
半島からたくさんの職人達も渡ってきたし、ある種のブランド的なものだったと思う。

331 :03/06/30 16:10 ID:6cCHz2cV
実用例として
食卓におかずが来たときに「ワッソワッソ」
ウリナラマンセーネタが報道されたとき「ワッソワッソ」
だと面白い
332ストロー:03/06/30 16:11 ID:j8NPOz96

>>329 苦しい援護射撃ですね。。。吸うたろか?
333 :03/06/30 16:12 ID:4Q3lLHFK
百済が「中華秩序」に入ったのは、4世紀以降ですので、
それ以前の時代に関して「中華秩序の優位」を云々するのは
滑稽ですよ。
334 :03/06/30 16:13 ID:6cCHz2cV
>>330
中華封冊序列的には
中華>>日本に一地方の国>>半島
でしょ
文化は別にして
335 :03/06/30 16:14 ID:6cCHz2cV
>>332
で、実用例は?ソース憑きで
笑えるのお願いします
336 :03/06/30 16:24 ID:6cCHz2cV
ストロー君は
事の根幹を聞かれたらスルーか
寂しいいな〜
他のスレッドでは書き込みしてるのにね〜
検索できなかったのかな?
337ジュース:03/06/30 16:55 ID:F4dzZ0VR
倭国王→金印・・・でもイラネ!!今後は支那と対等って事でヨロシク!!
琉球国王→銀印・・・まあ、支那が海禁政策をとっていたお陰で経済超大国だし、当然かな。

朝鮮国王→封泥・・・マンセー!!ウリナラは小中華ニダ!!ウリナラの美女を献上するニダ!!

中華秩序って、こんな感じだろ?


338 :03/06/30 17:01 ID:6cCHz2cV
明朝、清朝あたりはこんな感じ
中華皇帝「5本指の竜の衣」>>琉球王「三本指の龍の衣」>>朝鮮王「鳳凰の衣」


339ストロー:03/06/30 17:04 ID:j8NPOz96
>>336

ageスレをメインに見てるもんで、別にスルーしたわけじゃあござんせん。
ちなみに『笑う気満々』でソース求められて、それでも
律儀に提示する程御人好しじゃあござんせんので。。。あしからず。
340 :03/06/30 17:07 ID:Wc39No94
江戸に観光に来たお上りさんの必携の書は「武鑑」。
大名の名前、紋、領地、石高、行列の飾りなどを記した書。
お上りさんたちは早朝に登城する大名の行列を武鑑片手に見物していたそうだ。
物見高いのは江戸の常。
たまにしか来ない朝鮮通信使は格好の見世物だったんだろうね。
珍しいもの見たさに黒山の人だかり。
通信使が大歓迎受けてると錯覚しても仕方がない。
因みに江戸の観光客用に「武鑑」のほかに江戸の名店番付のような書も出ていた。
隣りの国では庶民が食うや食わずだったのに江戸ではグルメブームだった。
文化文政時代(19C初頭)の話。
341sa:03/06/30 17:09 ID:hzaPNBaK
人物探訪:塙保己一 〜 盲目少年の志
 盲目の少年の学問への志は、周囲の人びとに大きく育て
られ、後の人びとに受け継がれて大事業を成し遂げた。
■■■■ H15.03.23 ■■ 38,539 Copies ■■ 762,031 Views ■
■1.「三重苦の聖女」と「盲目の国学者」■
 昭和12(1937)年4月26日、見えず聞こえず話せずの「三
重苦の聖女」と呼ばれたアメリカのヘレン・ケラーが、東京渋
谷にある温故学会のビルを訪れた。彼女はここに保管されてい
る盲目の国学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)の鋳像や愛用
の机に手を触れながら、幼いころ母親に日本の塙保己一の偉業
と不屈の精神を教わり、自分も発奮したとして、次のように語
った。
 塙先生こそ私の生涯に光明を与えてくださった大偉人で
す。本日、先生の御像に触れることができましたのは、日
本における最も有意義なことと思います。手垢のしみたお
机と、頭を傾けておられる敬虔なお姿とには心から尊敬の
念を覚えました。先生のお名前は、流れる水のように永遠
に伝わることでしょう。
 塙保己一は延享3(1746)年に武蔵国保木野村(埼玉県児玉
町)に生まれ、幼くして病により失明したが、江戸に出て学問
に打ち込み、41歳から30年以上をかけて日本の古書古本を
1273点収録した「群書類従」を編纂した。ここには法律、政治、
経済、文学から、医学、風俗、遊芸、飲食まで、あらゆるジャ
ンルの文献が収められており、群書類従なくしては日本文化の
歴史を解明することは不可能だ、とまで言われている。
342sa:03/06/30 17:10 ID:hzaPNBaK
■2.書物好きの按摩■
 当時は江戸幕府の保護のもとで、盲人だけの按摩や鍼(は
り)、三味線、金貸しなどの職業組合があり、厳格な徒弟制度
が敷かれていた。保己一(こう名乗ったのは後のことである
が)は15歳にして江戸に出て、検校(けんぎょう)という位
についている雨宮須賀一(すがいち)のもとに弟子入りした。
しかし按摩や鍼の修行には身が入らずになかなか上達もしない。
このまま雨宮に迷惑をかけるだけでは死んだ方がましだと、あ
る日、九段坂の近くの牛ヶ渕に身を投げようとした所をあやう
く家の下男に救われた。
 連れ戻された保己一を雨宮は激しく叱責した後に、こう聞い
た。
 お前は何かほかのことに気がいっているのではないか。
申してみよ。お前が国元を出て江戸に来たのはなにかしら
強い望みがあってのことだったろう。
 師匠のこの言葉に、保己一は泣きじゃくりながら、本当の望
みを口に出した。
 お師匠さま。私は学問がしたいのです。そのことばかり
考えてほかのことに身を入れることが出来ませんでした。
どうか、お許しくださいませ。
 そういう保己一の中に何かすごい力がこもっている事を、雨
宮は感じ取った。
 そうか、そうか。よく分かった。お前の頭のよいことは
よく分かっておった。実技のほどはからきし駄目だという
のに、医学書は一度聞いたら一字一句覚えてしまうお前に
は、実のところ驚かされたよ。盲人でも学問をして歌人や
学者になったものが今までにいなかったわけではない。だ
が、学問となったら、わたしには教えてやることが出来な
いよ。はてさて、どうしたらよいかのう。
 どうしたら良いか分からないが、とりあえず3年間は自分の
所で学問に励むがよいと雨宮は言ってくれた
343sa:03/06/30 17:11 ID:hzaPNBaK
■3.ひろがる噂■
 それからの保己一は本を貸してくれるという人の噂を聞いて
は尋ねていき、読んでくれるという人を捜し求めた。
 雨宮検校の所に、珍しい書物好きの弟子がいるそうだ。
 そうそう、なりふり構わず書物を持ち込み、誰かれとな
くつかまえては読んでくれと頼みこんでな。その真剣さと
言ったら並じゃないっていうことだよ。
 やがてこんな噂が広まっていった。保己一の書物好きを知っ
て、下手な按摩ながらひいきにしてくれる人も出てきた。そう
いう人には保己一は心をこめて身体を揉み、それが終わると書
物を読んでもらった。お礼として按摩代はいただかないことに
していた。
 全神経を集中して聞いている様に読む人は感動し、一度聞い
た書物は全部覚えてしまい、次に訪ねたときは意味が分からな
かった箇所をたずねたりするので、読み聞かせた方が驚いてし
まう有様だった。
 
344 :03/06/30 17:12 ID:Bh/1Dgkg
「ワッソ⇒わっしょい」はあらゆるところで完全否定されてるからなぁ。
345sage:03/06/30 17:12 ID:hzaPNBaK
雨宮検校の隣屋敷に松平織部正(おりべのかみ)乗尹(のり
ただ)という旗本が住んでいた。書物をたくさん持っており、
大変な勉強家であった。保己一の噂を聞いて、ひどく感心し、
自分から本を読んでやろうと申し出た。乗尹は公務が忙しいの
で、一日おきに寅の刻(朝4時)から卯の刻(8時)までなら
読んでやろうと言うのである。「どうかな、ちと早くて辛かろ
うが」という乗尹に、感激した保己一は「必ず伺います」と頭
を下げた。
「どのような書物が好きなのかな」と聞かれると、「一番好き
なのは歴史ものです。国の故事に暗くてはならないと思いま
す」と答えた。
 寅の刻といえば、外はまだ薄暗く、人々はまだ眠っている時
間である。乗尹の力のある声が響き、保己一は微動だにせずに
聞き入った。やがて日が昇り始めると、あたりに物音がし始め
る。時間がくると、保己一はお礼の気持ちに心をこめて乗尹の
肩を揉んだ。保己一にとっては待ち遠しい時刻となった。
346sage:03/06/30 17:13 ID:hzaPNBaK
■4.学者への道■

 しばらくして乗尹は、保己一に言った。

 わしの所には毎月、「源氏物語」や和歌の講義をしてく
れる萩原宋固(そうこ)という先生が来る。お前も一緒に
講義を聞いてみてはどうか。

「源氏物語」という本の名は幼い頃、母におぶわれて目医者に
通っていた頃に聞いた覚えがあった。保己一はとびあがる思い
で「はい、どうか私にも講義を聞かせてくださいませ」と答え
た。

 講義の日には座敷の隅に座って、じっと聞き入る保己一の姿
に宋固も心を動かされていった。そこで講義の後に、保己一を
呼んで今まで講義したことを尋ねてみた。保己一は的確に答え
ただけでなく、難解だった点をいくつか上げて宋固の意見を求
めた。宋固は問いに答えつつ、内心舌をまいた。

 乗尹は保己一をぜひとも宋固の門人に加えてやりたいと思い、
雨宮検校の所に行って、保己一の比類のない才能について話し、
きちんと系統的な学問をさせる必要を説いた。雨宮にも異存は
なかった。こうして保己一は宋固の門人として学者への道を歩
み出すことになる。

347sage:03/06/30 17:14 ID:hzaPNBaK
■5.自分に与えられた天命■
 保己一はいつも穏やかに人に接することを自分に誓っていた。
学問をするには短気を起こしてはならない、感情に左右される
ようなことではいけない、と思っていたからである。貧富で人
をわけへだてることはなく、犬や馬にさえ大声で叱ることもな
かった。日々の暮しは学問第一、粗末な食事に、冬でも足袋な
しで過ごし、少しでもお金ができると書物を買った。
 保己一の噂を聞いて、大名家からも藩で秘蔵している本を持
ち込んで、正統な典籍かどうか調べて欲しいという申し込みが
舞い込むようになった。あちこちに埋もれていた貴重な書物が
次々に保己一のもとに集まってくる。
 そうだ。古書、古本の保存研究こそ、まだ誰もやってい
ない事業だ。前人未踏のこの事業こそ自分の成すべき仕事
ではないか。
 こう気づいた保己一は、村田晴海の「和学大概」に古書古本
の研究の大切さが説かれているのを思い出した。
 すべて学問をするには古からの日本の国体を知らねばな
らない。国体を知るには古書の研究が必要であるが、そう
したことを好む人びとが少ないために古書が失われて、百
年もたったら全く跡形もなくなってしまうだろう。これは
太平の世の恥である。誰かこれを研究して後の世に残した
なら、それこそ国の宝となるであろう。
 あちこちに散らばっている古書古本は、放っておけば活用さ
れることもなく朽ち果てていくであろう。これらを叢書として
まとめた形で、新たに版を起こして出版すれば、後世の研究者
にとって大きな助けとなる。これこそ自分に与えられた天命だ
と思われた。安永7(1778)年の暮れも押しつまった深夜、保己
一33歳の時であった。
348sagr:03/06/30 17:15 ID:hzaPNBaK
■6.「群書類従」■

 保己一は叢書の名を「群書類従」とした。価値ある古書の群
れを類に分け、系統的に位置づける。類としては「神祇」「帝
王」「補任」「系譜」など25。たとえば物語部には「伊勢物
語」「竹とりの翁の物語」、日記部には「和泉式部日記」「紫
式部日記」、紀行部には「土佐日記」「さらしな日記」、そし
て雑部には「枕草子」「方丈記」から聖徳太子の「十七箇条憲
法」まで、今日の我々が古典古文として習う多くの書物が収め
られている。

 しかし単に古書古本をまとめて再出版するというだけ作業で
はない。まず各地に散在している資料の収集だけでも一苦労だ。
たとえば平安初期にまとめられた「日本後紀」50巻が行方知
れずになっていた。それが京都の公家の所にあるらしいと伝え
聞いた保己一は、門人を京都に派遣して探させた。門人は京都
を探し回って、ようやく伏見宮家にとびとびの10巻があるこ
とを突き止めた。しかし伏見宮家は外部の人間に見せてくれな
い。

 そこで門人は策を練って、まず伏見宮家の家司と酒友達とな
り、そのうちに家に泊まてもらえるようになった。そしてそう
いう晩には書物を夜の間借りて読むことを許されたので、ひそ
かに10巻全部を写しとったのである。

 日本後紀は、日本書紀に始まる我が国の六つの代表的な国史
「六国史」の一つである。保己一の志とこの門人の熱意がなか
ったら、日本後紀は現在に伝わらなかったかもしれない。
349sage:03/06/30 17:15 ID:hzaPNBaK
■7.刊行開始■

 また集まった古書をそのまま印刷するわけではない。それが
原書であり、後世に残す価値のあるものでなければならない。
保己一は集めた書物をつねに3人の門人に読ませて、正しいと
思われるものをとっていった。

 印刷は板木で行う。専門の板木師が1枚の板に20字10行
を一頁として、左右2頁を逆向きに彫っていく。これが今日の
400字詰め原稿用紙の基となった。彫った後の文字の修正は、
その部分をえぐり取り、別の木片に彫りなおしたものを埋め木
する。板木は両面を彫り、1枚で原稿用紙2枚分となる。群書
類従全体では、この板木が1万7千枚以上となった。

 印刷は板木に墨をしみこませ、2回目の墨をぬった上に和紙
をのせ、竹の皮で滑りをよくしたバレンという用具でこする。
字の大きさや文字数により、力の加減を微妙に調整しなければ
ならない。

 天明6(1786)年2月、保己一はまず平安時代から鎌倉時代に
かけての説話集である「今物語」を刊行し、上々の評判を得た。
この「今物語」を見本として、群書類従の広告文を作り、予約
の募集を始めた。今物語と同じ仕立てで、12百余種の文献を
25の類に分けて、600冊余りの叢書とすること、毎月1、
2冊づつ刊行し、刊行部数は200部、値段は紙10枚で6分
2厘、仕立て4分5厘、等々。保己一41歳。志を立ててから、
はや7年以上の年月が流れていた。

350sage:03/06/30 17:16 ID:hzaPNBaK
■8.火にも負けず■

 寛政4(1792)年7月、麻布あたりから出火した火の手はなお
遠かったが、保己一は風の様子からこれは危ないと感じて門人
たちに避難を命じた。群書類従の出版のさなか、家の中は今ま
で苦労して集めた書物や、他家より借り受けた書籍で一杯であ
る。やがて火の手はとめどもなく広がり、保己一の家も全焼し
た。かなりの書物は運び出したものの、板木は多くを焼失した。

 焼け跡に立つ門人たちは絶望して、「群書類従の出版はもう
諦めるしかありません」と言い出す。「なにをいうか。みんな
元気な身体があるではないか。しばらくは中断するとしても、
また始めるべく手はずを整えていこうではないか。」

 時の老中・松平定信は文武両道に秀で、寛政の改革に当たっ
て学問を奨励していた。保己一は翌年、和学講談所および文庫
を建設する用地の拝借願いを幕府に出し、300坪の無償借用
が許された。また建物の建設資金350両も貸しつけ、さらに
毎年50両の資金援助もなされることとなった。今までは売上
があがってからそれを次の出版資金とするという形であったの
で8年間で43冊しか出せなかったが、この後、毎月4冊刊行
の見通しがたった。

 当時は旗本やご家人などの暮らし向きも苦しかったので、優
れた人材が和学講談所に集まって、写本や筆耕などの仕事に加
わるようになった。講談所ではいつも書を読み合う声、板木を
彫る音、さらさらと紙を繰る音が溢れていた。
351sage:03/06/30 17:16 ID:hzaPNBaK
■9.受け継がれた志■

「群書類従」670冊が完成したのは文政2(1819)年、保己一
は74歳となっていた。思い立ってから41年目のことであっ
た。同時に「続群書類従」の調査、書写が進んでおり、出版が
始められたが、保己一はこの2年後に他界した。享年76歳。

 和学講談所は維新後に明治新政府によって再建され、後に東
京大学史料編纂所となった。また続群書類従は明治35年に活
版で刊行が開始され、関係者の努力によって昭和47(1972)年
に完結した。

 盲目の少年の学問への志は、周囲の人びとによって大きく育
てられ、さらに後の人びとの心に受け継がれて大事業を成し遂
げたのである。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
352 :03/06/30 17:21 ID:v2OzUfRe
>>340
今のミリオタ、飛行機オタが、基地祭巡りをしたり、珍しい来訪機の写真を
自慢し合うのと似ていまつ。
353��:03/06/30 17:46 ID:sB6WLpiD
>保己一

感動した。
354sage:03/06/30 18:00 ID:hzaPNBaK
■1.戦う西洋、平和の日本■

 戦国時代には世界一の銃砲生産大国だった日本が、江戸時代に入
ると、銃を捨て、平和な国造りに向かった様子を、前回の地球史探
訪で紹介した。
JOG(24) 平和と環境保全のモデル社会:江戸

 今回はその続編として、その後に建設された社会がどのようなも
のだったのかを見てみよう。同時代のヨーロッパでは、内では30
年戦争を行い、ドイツでは人口が1/2とか、1/3になるような
悲惨な状態であった。また外に対しては、植民地収奪に明け暮れて、

 はやい話がスペイン人が現れる前には、中央アメリカの推定
人口は7千万人から9千万人はいたとされているが、私がすで
に書いたようにスペイン人の侵入のわずか一世紀後には、35
0万人に激減している。またこれも推定であるが、3千万人か
ら6千万人に及ぶ黒人奴隷がアフリカからアメリカ大陸に連れ
去られ、その三分の二が航海途上で死亡して、大西洋に捨てら
れたといわれている。[1,p243]

 西洋が内なる戦争と外への植民地化に血道をあげていた頃、江戸
日本は260年余の長い平和と繁栄の時代にあった。その差は教育
水準に歴然とあらわれる。

355sage:03/06/30 18:01 ID:hzaPNBaK
■2.群を抜く教育水準■

 専門家の推定では、幕末の嘉永年間(1850年頃)での江戸で
の就学率は、70〜86%。これを以下のデータと比較してみよう。

・イギリス(1837年での大工業都市) 20〜25%
・フランス(1793年、フランス革命で初等教育を義務化・
無料化したが) 1.4%
・ソ連(1920年、モスクワ)20%

 江戸日本の教育水準がいかに群を抜いていたかが分かる。なぜこ
れだけの差がついたのか、単に物質的豊かさだけなら、産業革命に
成功し、7つの海にまたがる広大な植民地を収奪したイギリスの方
が、はるかに有利だったはずである。その秘密を探ってみよう。
356sage:03/06/30 18:01 ID:hzaPNBaK
■3.お師匠様はボランティア■

 当時の江戸には、1500余りの寺子屋や塾があった。幕末の全
国では、1万5千にものぼる。僧侶や神官、武家、農民などが運営
していたもので、幕府は直接的には一切、関与していなかった。こ
れらの人々が自宅などに、10人から、大きいところでは100人
程度の生徒を集め、読み書き、算術、地理、さらには、農業用語や
漢文まで教えていたという。現在で言えば、正規の小中学校がなく、
すべて町中の書道教室や学習塾のようなものだけだったと想像すれ
ば良い。

 面白いのは、たいていの塾は、武家や僧侶、農民など、他に収入
のある人達がやっているので、授業料などは生活の足し程度でしか
なかったという点だ。生徒は「お志」として、都市部では多少の金
品や菓子折り、農村部ではとれた野菜などを届ける程度であったと
いう。現在なら、年金だけで食べていける定年後のお年寄りが、地
域への奉仕として、子供達を教える、というような形である。今流
に言えば、ボランティア活動であった。

 それでは、なぜ全国で1万5千もの塾ができる程、大勢のボラン
ティアの先生がいたのだろうか。それは、先生になると、たとえ身
分は町人でも、人別帳(戸籍)には、「手跡指南」など、知的職業
人として登録され、生徒には「お師匠様」と尊称で呼ばれ、地域で
も知識人、有徳者として尊敬された。優秀なお師匠様は将軍に直接
拝謁して、お褒めの言葉をもらうこともあったという。

 お師匠様たちは物質的には豊かでなくとも、近隣の人々に感謝さ
れ、尊敬されるという精神的な価値で十分満足できたのである。
357e:03/06/30 18:02 ID:hzaPNBaK
■4.理想のマン・ツー・マン教育■

 もちろん、実力や人格に問題のある先生もいたであろう。しかし、
狭い地域内に、幾人かのお師匠様がおり、生徒は自由に選べるので
ある。現在でも、町内でどこの塾が良いというようなことは、評判
ですぐ分かる。つまらない人間が金目当てに塾を開業しても、生徒
は集まらない。生徒とその親から見れば選択の自由、そして塾どう
しで見れば、競争があったのである。

 子供達は、親が見込んだ先生、それも地域で尊敬される師匠につ
いて、何年にもわたって読み書きから、専門知識まで学んでいく。
いろいろな年齢の子供達が一つの部屋で机を並べ、それぞれの進度
で、師匠の指導を受けながら学んでいく。師匠には、一人一人の子
供の個性や能力がよく見えたであろう。それぞれの生徒に応じた指
導ができたはずである。

358_:03/06/30 18:02 ID:QfgQahYJ
359s:03/06/30 18:02 ID:hzaPNBaK
■5.7千種もの教科書■

 お師匠様たちの教育にかける熱意は、当時の教科書に窺う事がで
きる。江戸時代に作られた教科書は、実物が残っているものだけで、
7千種類以上もある。大まかに250年で平均してみれば、年間
30種類も出ていたことになる。

 内容も、商売人、大工、農民の専門用語を教える教科書だとか、
地方独自の地理や物産、生活習慣を教える教科書だとか、いろいろ
工夫をこらした独創的なものが作られた。

 和紙は信じられないほど丈夫で、丁寧に使えば、100年は持つ
という。それで教科書を作り、師匠が生徒に貸し与えていた。習字
の紙なども、真っ黒になっても、その上から書く。新しく書いた所
は、光ってそれと分かるので、支障はなかった。

 教科書にしろ、半紙にしろ、限られた資源を最大限に活用して、
その中で、十二分に知恵と情熱を盛り込んで、教育に向かっていた
様子が窺われる。
360a:03/06/30 18:03 ID:hzaPNBaK
■6.お師匠様が現代の学校を訪問したら■

 さて、江戸時代のお師匠様たちが、タイムマシンで現代の学校を
訪問したとしたら、どんな事を思うだろうか。

 まずクラス全員に一律の内容を、一律のスピードで教えていく、
というのに驚かされるだろう。一人の師匠が生徒一人一人を何年も
かけて育てていく手作り教育に比べれば、今の学校は、まさに現代
特有の大量生産工場とそっくりだと言うのではないか。ついでに、
日教組では、教師を「労働者」だと考えていることを説明すれば、
さもありなんと思うに違いない。生徒は労働者によって、規格大量
生産される製品に過ぎないのだ。

 次に、公立校の教師が皆、公務員である事も信じられないであろ
う。人口120万人の江戸の町奉行はわずか290名で、行政、警
察、裁判、消防をこなしていた。現代では何十万人という教師が皆
「お上」にぶる下がり、民から税金を巻き上げて、教育をしている
のである。民間だけでできることに、なぜ、そこまで「お上」が出
しゃばるのか、理解できないであろう。

 第三に、公立校では、生徒が学校も先生も選ぶ自由がない、とい
うのには絶句してしまうかもしれない。江戸時代では、親がこれは
と思ったお師匠様を選んで、自分の子供をつけた。それに対して、
現代の子供達は、一定の年齢になったら「お上」の決めた学校に召
集され、決められた先生に割り当てられる。どんなひどい教師でも、
文句一つ言えない。

 「現代の学校とは、知識を無理矢理詰め込むだけの養鶏所では
ないか。」お師匠様たちは、自分たちの志とはあまりにかけ離れた
未来の学校と教師の有様に、愕然とするだろう。
361owari:03/06/30 18:04 ID:hzaPNBaK
■7.自由と競争の中での理想追求■

 中学生が担任をナイフで刺し殺す、などという事件が起こって、
生徒の持ち物検査をしようとすると、すぐに生徒の人権問題だなど
と騒ぎ立てる向きがあるが、お師匠様たちから見れば、こんな非人
間的な教育環境に生徒を放置しておいて、何が人権か、とあきれか
えるであろう。

 教育の本質は、生徒が尊敬する先生に師事して、知識だけでなく、
人間としての生き方を学ぶことだ。そのお手本となるのが、「お
上」に頼らずに自らの志に従って、教育に私財を投ずるお師匠様た
ちのボランティア精神そのものだった。

 江戸日本の教育の地球史上でも群を抜く成功をもたらしたお師匠
様達の生き方は、これからの国際派日本人にも、重要な示唆を投げ
かけている。それは「自由」、「競争」、「選択」の中で、自らの
信ずる価値の実現に志していくという生き方なのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
362_:03/06/30 19:17 ID:QfgQahYJ
363 :03/06/30 22:17 ID:F1J17zzZ
>>335
130 名前:ストロー :03/06/30 17:26 ID:j8NPOz96

わっしょい!わっしょい!わっしょい!わっしょい!
わっしょ! わっしょ! ワッショ! ワッショ!
ワッソ! ワッソ! ワッソ! ワッソ!・・・


ほらね。w
364 :03/06/30 22:33 ID:BtuQDo5u
>>309
さすがにその意見はチョンに馬鹿にされても仕方がないと思うから、
漏れ達のような日本人の足を引っ張らないでくれよ。

日本の古墳時代は3世紀末〜7世紀前半の間だが、日本が歴史時代に入ったのは推古天皇(AD593〜)の時代からである。
つまり、歴史時代に入ってから50〜60年で古墳の習慣は終わったのである。
これが何を意味するのかというと日本の古墳時代はほとんど原始時代なのである。
原始時代の習慣を自慢しても仕方がない。

それに日本の古墳はただの土木工事であって、それほど自慢できるものではない。
ピラミッドのような建造物ではないし、始皇帝陵のような地下宮殿がある訳でもない。
副葬品も貧弱だ。
日本人の特性として、一度始めたものをつきつめるという性質が大規模な古墳の建造を可能にしたもののそれだけではないだろうか。
365364:03/06/30 23:01 ID:BtuQDo5u
補足だけど、朝鮮半島では古墳時代の終了が日本よりも早かったので、
公平な比較は無理ということ。
それと、この時代の朝鮮人の定義自体があいまいなので、そもそも比較することに無理があるだろう。
公平な比較は歴史時代に入ってから行うものであり、それ以前は参考である。
366 :03/06/30 23:15 ID:YgZS89o2
>>364
日本書紀によれば、孝徳天皇(在位645-654)が厚葬禁止令(646)を出している。
大体、古墳時代の終わりと合致してる。古墳が巨大化していったのは、豪族が
その権勢を周囲の示すためだと思われ、大和朝廷の支配が確立した後は
その必要性が無くなったからだと考えられる。仏教の影響も大きいでしょうね。
また6世紀ごろから大和朝廷が半島での影響力を急速に失っているので、
朝鮮半島の方が古墳時代の終了が早いのは自然な流れでしょう。

まぁ、当時の建造物には、縄文式の高層建築と言われる出雲大社や
独特の排水システムを持つ明日香の苑池遺跡なんかがあるんだけど。
367 :03/06/30 23:35 ID:ELWRHjhk
塙保己一は本当に凄いね。
だって、盲人の身でありながら群書類従という超絶の大叢書を編纂したんだから・・・。

何度も言うが「盲人」が「中世」においてこれだけ活躍できたのは日本だけだよ。

朝鮮?すぐに撲殺されてたろうな・・・。
368364:03/06/30 23:40 ID:BtuQDo5u
>>366
どうもでつ。
しかし、309のように古墳が大きい=日本優勢はあまりにも短絡思考で恥ずかしい。
朝鮮は前漢の楽浪郡の設置(紀元前108)で植民地とは言え、確実に歴史時代に入っている。
また、中国人の移民国家である衛氏朝鮮(紀元前190頃〜)も考慮すると日本より格段に歴史は古い。
もちろん、中国人によって歴史が作られたのが朝鮮の情けない歴史ではあるが、歴史の始まりが早いのは事実であり、明らかにストロー民族であるが日本よりも優位なのである。

日本の場合、歴史時代は紀元後593年からであり、歴史時代以前に明らかに実在する継体天皇からしても6世紀前半である。
実在の可能性がある崇神天皇でも4世紀頃の人で、やはり古代は朝鮮に大幅な優位があったことは否定できない。
369 :03/06/30 23:42 ID:ELWRHjhk
http://www.pref.saitama.jp/A02/BP00/ijin/33.html

塙保己一先生プロフィール。
370 :03/06/30 23:44 ID:ELWRHjhk
>>368
ま、仮にそれが真実であっても伝承に失敗した物は遺跡でしかないからな。
371364:03/06/30 23:47 ID:BtuQDo5u
>>367
塙保己一は中世ではありません。
近世です。
372 :03/06/30 23:48 ID:8gJ10Jj0
>>368

「中国史の範疇に先に組み込まれていたほうが優位」などという
基準は恣意的だと思うんだけど。

たとえばその「基準」で、ベトナムと朝鮮ではどちらが「優位」なの。
373竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/06/30 23:50 ID:esGewa4Y
>>368
おい、なんで朝鮮の場合は中国の歴史書で、日本の場合は
日本の歴史書に寄らないといけないんだ(w。
374 :03/06/30 23:50 ID:ELWRHjhk
>>371
といわれると思ったが、石原さんと同じように俺も「近世」という概念を認めてないだけ。
定義が不明だからね。
近代なら「地下資源」とか定義があるが。
375364:03/06/30 23:52 ID:BtuQDo5u
>>309から読んでくれ、そんな話をしているのではない。
議論をすり変えるな。
そもそも古墳時代の日本の方が朝鮮よりも進んでいたなんて恥ずかし過ぎる。
これだと歴史をねつ造している韓国人と何の違いがある?
376 :03/06/30 23:55 ID:MC/cwVAk
>>375
しかし、古墳や縄文式の建築物を無視しだすと、
「中国文化がより浸透していたのはどちらか」
しか比較できなくなるよ。

もっと慎重にいかないといけないのは間違いない。
377364:03/06/30 23:57 ID:BtuQDo5u
>>374
漏れは近世が存在すると思う。
この近世が存在することが日本と朝鮮に決定的な差を生み出したのである。
韓国人が「100年の差で日本に差をつれられた」と言うが、明らかに間違い。
庶民文化が発達した江戸時代があるからこそ日本が今でも優位なのである。
近世とは高度な分化が庶民に浸透する時代と言ってもいいのではないだろうか。
これはヨーロッパでも同様である(中国は近世の存在が微妙だ)
しかしながら、朝鮮は近世が明らかに存在しないのである。
378はてな。:03/06/30 23:58 ID:8gJ10Jj0
古墳時代の倭=日本が、朝鮮半島の王朝に軍事的脅威を与えまくり、
王族の人質をさえ供出させていたことを「恥ずかしい」と感じる
感覚のほうが分からない。
中国大陸における北方帝国と中華王朝の関係でも似たようなことが
あったわけで、この問題でも「中華のほうが文化的には常に優位に
あったのだ!」と強弁しているのは中国人のほうだったりする。
379364:03/06/30 23:59 ID:BtuQDo5u
>>376
中国文明が偉大な文明なのは間違いないし、その文化が浸透していた方が開けているのは確かである。
国力という点では、古墳の大きさからしても日本の国力はなかなかのものであったには違いないが、文化は駄目だろう。
文化の評価と国力の評価は別にする必要がある。
380 :03/07/01 00:03 ID:ElC6AKcI
>>377
だとしたら江戸時代は超近世とでも言うべき時代かも知れないね。
庶民が文化をあれほど要求した時代はヨーロッパにもないからね。
ま、もっとも江戸を中世と言ったことを咎めるのはあまりにも辞典主義すぎると思われ。
381勘解由:03/07/01 00:07 ID:p171nUSf
>>378
>中国大陸における北方帝国と中華王朝の関係でも似たようなことが
>あったわけで、この問題でも「中華のほうが文化的には常に優位に
>あったのだ!」と強弁しているのは中国人のほうだったりする。

南宋で生まれた朱子学がまさにそれじゃないかと。金にやられ、最終的
には元に滅ぼされるんだけど、「偉いのはこっちアルヨ」ってな感じ。その
朱子学を現代まで引きずっている韓国は哀れ。

382 :03/07/01 00:07 ID:atjavokY
>>379
中華思想で解釈すると、アンタの論も正論な訳で。
383 :03/07/01 00:08 ID:Rur86SZK
韓国のコンクリート製の遺跡の逸話について
ご存知の方はおられませんか?
384364:03/07/01 00:08 ID:+wM4RkvI
>>378
379でも書いたが、国力と文化は別である。
北方帝国と中華王朝の関係になるともっと複雑であろう。
北方帝国は国力も文化も下ではあるが、軍事的には中国を何度も脅かした。
これはゲルマンとローマの関係に似ているだろう。
385364:03/07/01 00:12 ID:+wM4RkvI
そもそもどっちが優位かと言う議論が良くないのかもしれない。
経済(国力)、文化、軍事、政治をそれぞれ別に評価するべきかもしれない
386 :03/07/01 00:13 ID:ElC6AKcI
>>384
文化的には当時の日本はオリジンであったわけだから・・・。
朝鮮は所詮中華の枠組みでしか捉えられないわけで。
むしろ「文明」って言った方が良いんじゃないの?
387MT:03/07/01 00:14 ID:F3QSi5SY
>>364
いや日本の古墳は、かなり技術水準が高いとみて良いと思う。
千年以上たっている古墳が、地震国日本で、ほぼ原形をとどめているのは、
かなり高度なこと。

大手建設会社の研究所も、測量図を元に試算していたと思うけど、
採算を考えないとしても、千数百年後にこれだけの形を保っているものを作れるか
自信がないとコメントしたはず。
388364:03/07/01 00:16 ID:+wM4RkvI
>>386
確かに独自性を考慮すると、あらゆる時代において日本>>朝鮮だろうね
389 :03/07/01 00:16 ID:LPXf+PeY
埼玉古墳群も原形とまではいかないまでもはっきりとした形で残ってるね。
390・。・:03/07/01 00:17 ID:TKAp8v3p
日本人の感覚では、国や民族に序列をつけるのを由としない。
原始的な生活を営んでいる原住民に対しても、
ある種畏敬の念を抱くことがあるからね。
長期政権で澱んでしまったという弊害もあったが、
江戸時代が続いていても幸せだったかもね。
民主主義という禁断の果実を口にしたために、
封建制度には戻れなくなってしまったけど・・

3913世紀の東アジア:03/07/01 00:19 ID:DNvcRMsm
>魏人の観察によると、大君主をいただく程度までに、政治的に
>成熟していた種族として扶余・高句麗・倭があげられ、
中央公論 世界の歴史6『隋唐帝国と古代朝鮮』

それ以外の種族は、政治的に成熟していない群小国、臣属国でした。
392364:03/07/01 00:20 ID:+wM4RkvI
>>387
それは日本人の特性である「限られた枠組みの中で極限を追求する」ということではないだろうか。
零戦もそうだし、日本製のテレビゲームもそう。
レベルが高いのは違いないが、同じ土俵であればということであって、古墳時代の日本が朝鮮よりも上と言うのは短絡過ぎるかと。
393 :03/07/01 00:23 ID:lKbgCIiE
>>392
凌駕していた、とか言ってるわけじゃないんだから、
いちいち「短絡」「短絡」いうのは短絡過ぎるんじゃない?
394・。・:03/07/01 00:25 ID:TKAp8v3p
見栄だけでビルを高く建てようとしている国があると聞いたが、
そんな馬鹿なことがあるのか?
古墳の大きさを競うよりも、
百倍愚かなことだと思うが・・
395364:03/07/01 00:25 ID:+wM4RkvI
>>393
他の人みたいにもうちょっと面白いことも書こうよ
396364:03/07/01 00:26 ID:+wM4RkvI
マレーシアの某ビルはもろにそれだと思う
397 :03/07/01 00:27 ID:lKbgCIiE
>>395
あなたも短絡過ぎる、ばっかりのような。

手元の正史三国志4(ちくま学芸文庫)の魏志東夷伝を
読んだかぎりでは、朝鮮半島は中国の支配下にはあったけど
文化が浸透していたとはいえないような記述なんだけども…。
398:03/07/01 00:28 ID:TKAp8v3p
ペトロナスタワー(?)って、まだ建ってるの?
テナントは、1・2に平均して入ってるの?
399364:03/07/01 00:33 ID:+wM4RkvI
>>397
書くことを書いた上での「短絡」なのだからいいだろう。
魏志東夷伝の記述はどうよ?
そんな朝鮮の記述が悲惨なのかね

>>398
建っているよ
毎年F1で見るからw
400 :03/07/01 00:34 ID:BI6GDH1f
ど〜でも良いけどよ確かに過去において日本が朝鮮より進んで居たとかは
わからんよ。
ただし日本側にしか記録が残って無い以上朝鮮が進んでいたとは言いがたい。
進んでいたとはっきり言うことは出来ない。
401MT:03/07/01 00:35 ID:F3QSi5SY
>>392
誤解の無いように、古墳が高度だからと言って、日本の方が上とは、言っていませんよ。
それは、総合的な判断が必要です。ただ、古墳の築造技術は、
素人が考えるよりも高度なものですよ、と言うだけ。
402 :03/07/01 00:35 ID:lKbgCIiE
>>399
>そんな朝鮮の記述が悲惨なのかね

中国の文化や風俗とは違っているということ。
だから「中国文化の浸透度」をもって日本と朝鮮の古代文化の
比較はできないのではないか、とは思う。
403364:03/07/01 00:48 ID:+wM4RkvI
>>401
確かにそうだけど、中国の揚子江文明(紀元前3000年〜)の高度な技術で作られた巨大な盛土やエジプトのピラミッドと比較すれば、特にどうというものでもないかと。

>>402
中国文明以前の朝鮮文化か・・・
ほとんど検証不能な領域だなw

そろそろ寝ます。みなさんお疲れ
404 :03/07/01 01:24 ID:4cl7sYaq
中華の端くれがあったのは確かだが
古代の朝鮮半島に朝鮮文明があったかどうかという
悪魔の証明を日本人がする必要は全く無いわな
405 :03/07/01 03:29 ID:DXCAxkz7
なんか微妙に話ずれてるな。364はもうちょっと考えてから書き込めよ。
406389:03/07/01 03:56 ID:LPXf+PeY
すまん
稲荷山古墳は、前方後円墳なのだが、現在は円墳のみしか残っていないそうだ。
407 :03/07/01 09:16 ID:bFsBBkyq
半島には当時の歴史書は無いが
広開土王碑とか倭の半島での影響力を裏づけする記録はある
半島では日本書紀は王仁以外の記述はリセットしようとけんめいですが
広開土王碑が日本書紀のリセット部分の裏付けする記述満載な為に
広開土王碑改ざん説とかトンデモ論出してますが昔の写拓が残ってる
し、中国のほうで改ざんの跡はないと認定されてるので
日帝の日本の優位に改ざん説は脆くも崩れ去っている。
広開土王は半島に数少ない英雄なので碑じたいを否定できないという
半島の歴史家はジレンマに陥ってます。

広開土王碑以外にも日本書紀の裏づけする当時の歴史書は中国にもあるし
後世のものなら半島の歴史書の多くに記述されている


408 :03/07/01 11:20 ID:34Mka6z0
そもそも古代朝鮮の記録が少な過ぎるので、比較は無理ではないだろうか?
409「ど」の字:03/07/01 12:55 ID:cnZog7Ij
 古代支那の価値基準で言うのなら、文献で判定すれば日本の方が「国力」は高かったはず。
 さんざっぱら挙げられている広開土王碑では、倭が恒常的に半島出兵していたことがわかるし。
 あと倭は当時隆盛していたクシャーナ朝(大月氏)と並んで金印を下賜されている国。

 古代の半島と日本を比較するのなら、支那文献は第三者としてそれなりに信頼できると思うが。
 どうでしょう?
410 :03/07/01 17:32 ID:ElC6AKcI
>>409
日本の国書と支那の国書しか古代の東アジアの文献は残されてないわけだからね(w
それが合致するという事は、「絶対に正しい」とは断言できないまでも、それを覆すにはそれなりの根拠が必要なわけで。
411 :03/07/01 22:04 ID:Ru06WxMv
>>408
そもそも古代朝鮮の記録が少な過ぎるのをいい事に、
「古代朝鮮は倭より優れていた、証拠は秀吉と日帝が燃やした」と
難癖を吹っ掛けてさえ来なければ、何の問題も生じなかった。
412 :03/07/01 22:42 ID:YIs1sod2

>>411
 俺(チョン)は中国の子供で、日本は俺の弟だ!って思っているチョンに
そんな考えなんてない!っつーの。



413:03/07/01 22:49 ID:LBCBApMd

>>411
そもそも秀吉と日帝が半島を荒さなければ、何の問題も生じなかった。藁
414MT:03/07/01 22:51 ID:F3QSi5SY
>>406
正確には、前方部が低くなっていますが、全く無くなっているわけではなかったと思います。
桜の季節に行くと、花が綺麗だったと思います。
415 :03/07/01 22:56 ID:lc8kc43+
>>413
荒らした覚えはないぞ。助けた覚えはあるが。
416 :03/07/01 23:05 ID:34Mka6z0
>>413
そもそも秀吉と日本帝国が朝鮮人を抹殺していれば、何の問題も生じなかった
と逝ってみるテスト
417:03/07/01 23:13 ID:LBCBApMd
そもそも日本人が秀吉は、ただの欲ボケじじいだったときづいていれば(ry
418 :03/07/01 23:15 ID:CiEpRAZK
>>416
それだ<`∀´>9
419 :03/07/01 23:16 ID:4cl7sYaq
>>416
信長だったら文化殲滅ジェノサイドをやりかねなかっただろうが
所詮農民出身の成り上がりのサル・・・

でもそのサル如きに徹底的に蹂躙されたと
おおげさに喚く半島人はその恥ずかしさに気付いていない愚か者
420 :03/07/01 23:17 ID:3hZadrUz
>>417
公共事業みたいなもんだ。
ほっとけば、自分を脅かすかもしれないし。
まだ秀吉の時代では、参勤交代は無理だろうし。
中国に行く途中で何かふんずけたと思ったら朝鮮だっただけの話。
まさかこんなに祟られるものだとは、猫もびっくり。
421sage:03/07/01 23:19 ID:K/nqA07h
>>407
>広開土王は半島に数少ない英雄なので碑じたいを否定できないという
>半島の歴史家はジレンマに陥ってます。

そもそも、そんな人を基本的に歴史家とは呼ばない!
捏造家ではないの
422 :03/07/02 00:13 ID:iCI0FYS8
>>413
日本はたった50年で廃墟から復活を遂げました。
おなじ期間かけても復興できないんじゃなくて、もともと
復興するほどの文化がなかっただけじゃねーの?
423 :03/07/02 00:52 ID:Nsdm3pIZ
>>422
隣近所と無闇に戦争しながら、砂漠の中に50年(もっと短いか)で近代国家を
作り上げた某民族もいますが。
結局、能力の問題じゃないの。
424 :03/07/02 00:54 ID:2KAqH6XQ
>>422
1945年に終戦で1970年代に完全に先進国になったので、25年というべきかも
425 :03/07/02 03:13 ID:WkJROK67
>>423
アメリカの分家というか、アメリカを操っつている香具師が全て面倒みてるだろ。
アメリカを怒らせたのは原爆の機密を盗みだした事くらいだよ。これだって米国の
関係者が終身刑になっただけだよ。
426_:03/07/02 05:14 ID:gSF3k4gF
もっとも不可解なのは、
半万年の豊潤な文化を育んできた一大国家の半島が、
何故常に文化をただ受容するのみであった下等国家の日本に、
あっという間にやられて併合の憂き目にあったのか?ってことだな、
半島人どもよ。
何でもいいけど、現在、日本は先進国、
かの国は、自称もしくは詐称先進国。
427 :03/07/02 08:47 ID:WkJROK67
>>413
日帝が荒さなかったら、間違いなくロシア領になっていた。
今頃コサックダンス踊りながらプーチン大統領マンセーって叫んでたぞ。
428 :03/07/02 08:49 ID:dW6Cccsb
そしたら欧米型植民地なのでそんな文化は伝わらないな
429 :03/07/02 09:02 ID:01K5rCZw
>>427
ソ連時代に、スターリンに中央アジアあたりへ根こそぎ移住させられたと思われ。







嗚呼、そうであったらどれほど良かっただろうか・・・・・
430 :03/07/02 09:19 ID:oVjxHi6r
>>427
そーすると、朝鮮人とドイツ軍が戦ってたかも知れないな。
チョーセンジンの政治将校みてみたい。小林源文の漫画で。
431多摩 ◆Nida/IPsDA :03/07/02 13:11 ID:AoUvq19Y
>>430
金日成はドイツ軍と戦ったという話しがあるね。
432 :03/07/02 16:56 ID:xF6sh5rG
金日成の場合、万有引力を発見したとかもう何でもありになってるからね。 かの国では。
433 :03/07/03 01:28 ID:VG0D6O/t
中央アジア一帯が核汚染されるのと同じ
やはり半島に閉じこめて未開人として生きていくのがよかった。
434 :03/07/03 05:48 ID:NW3BSJd6
中央アジアには唐辛子が無い。
だから流石のチョンも退化しない。
435 :03/07/03 10:25 ID:6MxUw0if
退化はしなくても堕落はする予感、つーか確信。
436 :03/07/03 20:49 ID:aocg7RW0
>>430
朝鮮戦争で、韓国人部隊が壊走したためにトルコの国連軍部隊一個大隊が
全滅したんだっけ。「味方」につけたらこれほど怖いヤシらはいない。
もしそこにいたのが、秋山将軍の騎兵部隊だったら、一晩持ちこたえて
反攻の軸になっただろうに(希望的観測)
437 :03/07/03 21:59 ID:IdanEghe
>>436
なんせ「哀号!」と叫んで遁走するそうだからな(w
438 :03/07/04 03:02 ID:feYvkd0R
>>436
秋山騎兵集団は勿体ない。大阪第3連隊でもじゅうぶんやれた。
439sakitama ◆WpvKiNEcu2 :03/07/04 03:07 ID:UyezorQV
>>429

http://www.tokyocinema.net/frunze.htm
チョーセン人は中央アジアへ実際に強制移住させらてますねえ。
やっぱり日本人よりもキツーイ魯助の支配のほうがお気に入りのようですが
440>>438:03/07/04 03:40 ID:M2XtLNiG
大阪8連隊でなく?
また負けたか8連隊、それでは勲章9連隊。
441_:03/07/04 03:50 ID:nmCC/iun
>>440
それ、大阪でなく京都の第8連隊。まっ、関西の部隊が最弱だったのには
変わりないけど。
ちなみに強さでは、九州>東北>関東>その他>>>>>>>>>>関西部隊
だったらしい。
442440:03/07/04 04:04 ID:M2XtLNiG
>>441 大阪 八連隊でサーチすると
「またも負けたか八連隊」という言葉が沢山出てくるけど。
ttp://pharma1.med.osaka-u.ac.jp/irie/kumamoto.html
ttp://www.shibazaidan.or.jp/nanohana/sinpo7-2.html
443名無しさん@4周年:03/07/04 04:09 ID:yjTJ+APv
日本を見て驚いた反日韓国人が、
日本の文化財を燃やさないかと、、まじめに心配。
やりかねない。
444((:03/07/04 04:51 ID:rcjHHMnF
関西人がもともと戦争に弱い訳ではないよ。
それだったら大和朝廷の征服はなかったはず。
関西人は天皇マンセーではないのが多かったから、
無駄死にしたくないと思ってたのが多い。
田舎者ほど天皇マンセーの宣伝にのって頑張って戦った。
江戸時代以前からゴッサンを生暖かく見てた関西人が
命がけになる訳が無い。
445高天原:03/07/04 07:11 ID:BIi6Xba4
大和朝廷を築いたのは関西人じゃなくて、
鹿児島だか宮崎だかに来た、天孫を名乗る一族だろ。

恐らくは日本最強の少数民族として名高い隼人と同様に、
沖縄から渡ってきたポリネシア、ミクロネシア系の民族だと思われ


446  :03/07/04 07:27 ID:v+4/5Z+i
18世紀には19世紀末ヨーロッパの大衆消費社会を
先取りしていた国(日本)と、
その国の必死の赤字投資によって
やっと文明化した連中(朝鮮)を比べるのは酷という物

・・・だな。
447「ど」の字:03/07/04 08:50 ID:pqmr3FaM
>>446
 17世紀には古代ローマに次いで上水道整備に成功し、狼煙通信の連絡を使ったりした商品先物取引市場があり……

 江戸時代日本と互角に比較できるのは、トライアヌス帝やハドリアヌス帝時代の古代ローマくらいのものだろう。
 江戸初期を除けば軍事は比較の談ではないにしても、初期は当時の世界最大の軍事大国(大マジ)だったし。
(現代日本と比べるのだって江戸時代に失礼だろう)
 貨幣経済も固有文字も普及していなかった朝鮮半島となど、比べること自体がアホらしい。

>>443
 すでに燃やされてますが(金閣寺)。
 あれを燃やした糞坊主が、確か在日じゃなかったっけ?
448 :03/07/04 08:58 ID:/jaPJVtW
>>447
最近どこかの仏像盗まれたよねえ、何件か。
放火もあったよね、何件か。
バカマスゴミはちょっとしか報道しなかったけどどうなったんだろ?
今頃仏像とか半島にあるのかなあと思ってるんだが。
10年後それを持ち出して、韓国起源のネタにするんかなあって思ってるんだが。
449 :03/07/04 09:00 ID:uDlBWuE6
>>447
水道ならモヘンジョダロでもあったと思うが。

結構世界各国調べてみると、ちゃんとした設備あったりする。
あんまり江戸をもちあげすぎるのもどうかと思うが・・・

朝鮮にはまったくなかったけど。
450 :03/07/04 09:00 ID:uNq3AS7w
>>447
金閣寺の在日説はデマじゃなかったかなぁ?
451 :03/07/04 09:01 ID:5zZ2PvTL
>>443
三種の神器である草薙の剣も盗まれそうになったと聞きマスタ。
452 :03/07/04 09:15 ID:6il/jcee
>>447
違うはず。
453 :03/07/04 09:59 ID:2fgDSLMm
>>444
都会の出身者で構成されていた部隊だったから弱かっただけ。
つよい部隊は厳しい環境で育った田舎者で構成されていた。

ちなみに、明治天皇の最初の行幸地として選ばれた大阪で、関西の人びとが
天皇に土下座したことが天皇神格化政策のはじまり
大久保利通は、天皇を国民に親しいものとしようとして反権力的な大阪を最初の
行幸地に選んだんだけど、大阪の人は天皇になれなれしくできなかった。
土下座せずに、立って見物しててイイヨ! と布告したんだけど土下座でむかえて
しまったんだね。
これに失望した大久保は大阪を首都にするのをあきらめたとか。

454ななし:03/07/04 10:03 ID:vs7yyTti
>>451 たしか新羅人の僧によって熱田神宮から盗まれて、新羅に帰る途中で
日本側に奪還された事件だっけ?
455「ど」の字:03/07/04 10:12 ID:pqmr3FaM
>>449
 玉川上水や江戸時代の五街道が出来た時代、ニューヨークでは井戸水を汲んでいたはず。
 そのニューヨークに水道が出来たのは、200年の後のこと。もう時代は幕末……。
 近代に至るまで、欧州の人々は古代ローマの水道と街道の必要性を理解できなかった。
 アグリッパの造ったニームの水道橋なんぞ、「悪魔橋」と呼ばれていたくらいで。
 ローマ帝国の遺物が再評価されたのは、19世紀フランス(とやや遅れてイギリス)をもって嚆矢としていたはず。

 モヘンジョダロやハラッパーの事例は、超古代文明ということでちょっと考えていませんでした。失礼。

 もしよろしければ、世界各国の水道の事例を教えていただけませんか?
 江戸や当時日本の各地に作られた用水設備のような大規模なものが、当時あったんでしょうか?

>>450
 そうだったんですか。情報ありがとうございました。
 今度もっと良く確認します。
456 :03/07/04 10:21 ID:v4kU3hQf
イギリスはローマ時代、最果ての辺境の地。
蛮族対策で作られた、五賢帝時代のイギリス版万里の長城が大切に保存されている。

ローマ軍が進駐して、イギリスの歴史時代がはじまったゆえにローマへの憧れが強い。


457:03/07/04 10:28 ID:y6wjpjno
誰かスレ立てて・・・。また拒否されたよー!!

【社会】特攻?天皇・皇后両陛下の車に軽乗用車がUターンして突っこむ…北海道
名前: 名無しさん
E-mail:
内容:
1 :☆ばぐ太☆φ ★ :03/07/04 10:05 ID:???
★天皇・皇后両陛下の車に軽乗用車が衝突

・4日午前7時20分ごろ、北海道富良野市内で、来道中の天皇、皇后両陛下が乗られた
 車と軽乗用車が衝突した。両陛下にけがはなく、両陛下は別の車に乗り換えて、
 15分から20分遅れで予定の訪問地に到着された。

 軽乗用車は北海道・室蘭ナンバーで、運転していた男は北海道警に確保された模様。
 両陛下の車列を追い越した後、Uターンし、道警の車両が止めようとしたが、両陛下の
 車にぶつかったという。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030704-00000002-yom-soci
458 :03/07/04 10:33 ID:aWxqwoHX
>>457
ハン板より極東向けだな。
459 :03/07/04 10:36 ID:aWxqwoHX
と思ったら既に話題になってた。
皇室がある国はカッコイイ 第八代 孝元朝
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1056284888/909-
460「ど」の字:03/07/04 11:56 ID:pqmr3FaM
>>456
 ハドリアヌスの壁(実用)と、アントニウス・ピウスの壁(非実用)ですね。
 北欧から流れてくる移民がガリアを侵略するのを拒止する、長い壁。
 結局、それほどの手当てをしても、セプティミウス・セヴェルス帝時代にはもう綻びていたんですけどね。

 今もローマ史資料や遺構はイギリス人がまとめたものが最も評価が高いそうですけど。
 やはり、歴史時代の始まりをもたらしたと言う点で、憧憬は深いのでしょうか。
461せいら・ます・大山 ◆q.I9V7ewls :03/07/04 12:00 ID:t+GGRlvA
ローマは水道管に鉛つかったんで滅びたとか聞いたことあるなあ。
よく知らんけど。
462「ど」の字:03/07/04 12:14 ID:pqmr3FaM
>>461
 あれはガセですよ。鉛の害は、当時すでに指摘されていた。
 ローマの水道は水を流しっぱなしだから、鉛害はほとんどないらしい。
 問題は、上流階級に広まっていた鉛の杯で葡萄酒を飲む風習。こちらは真面目にヤバかったらしい。
 味がまろやかになるとのこと。
463:03/07/04 12:18 ID:HI4rP/0Z
ぶどう酒の酸が鉛と化学反応して、甘味のある毒が出来るんだったかな?
464  :03/07/04 12:21 ID:pDERC0qb
465:03/07/04 12:34 ID:HI4rP/0Z
>>464
トンクス
まさしくその事ですな。
466 :03/07/04 13:26 ID:G3ptKmOA
あ、ベートーベンも鉛入りのぶどう酒のせいで
難聴になった可能性が高い、て言ってた。
467 :03/07/04 13:31 ID:fJv+Zs+9
最近、台湾のこのスレでは台湾を嫌いにさせようと必死な朝鮮人が常駐してます
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1048980408/l50

272 :美麗島の名無桑 :03/07/02 17:37
>日本人には恥の概念があるから話さないだけだよ。
>唯の売春を従軍慰安婦と言い張る半島の女とは違うのだよ。
え〜つまりこれは日本人の隠れたレイプ数はかなり多いと言う事ですか?w

290 名前:美麗島の名無桑 :03/07/04 10:08
>>286
台湾の密漁、梶原の娘の惨殺事件、尖閣諸島問題は脳内あぼ〜んですか?

294 名前:美麗島の名無桑 :03/07/04 11:36
>>291
領土問題、密漁、犯罪率の高さが問題無いかw
妄想全開ですね(藁

やっとwと藁を覚えたらしく必死にageながら使ってます
468多摩 ◆Nida/IPsDA :03/07/04 13:51 ID:AFPG8HEF
金閣寺放火炎上事件
昭和25年7月2日深夜、人々を驚愕させる事件が起きた。国宝建造物・金閣寺が放火により
全焼したのである。犯人・林承賢(当時21歳)は金閣に火を放ち、裏山に逃げ込んで
カルモチンを服毒、こん倒しているところを逮捕された。大谷大学に学ぶ学僧で、金閣寺の徒弟
だった犯人は「一切が無意味。悪いことをしたなどとは思わぬ」と、大胆にも供述、話題となる。
後に「醜い自分の性格と不自由な身体(吃音)に対する自己嫌悪から、美への妬みが抑えきれなく、
金閣と心中する覚悟で放火した。」と自供。承賢の母は事件後、現場近くの保津川に投身自殺した。
その後、林承賢は精神分裂病と結核を患い、昭和31年春、京都洛南病院で死亡した。この事件を
モデルとして同年、三島由紀夫が小説「金閣寺」を発表。今日見られる金閣寺は、昭和30年に
再建されたものである。
469 :03/07/04 14:39 ID:uNq3AS7w
>>468
>精神分裂病と結核を患い
このことから彼が朝鮮人でないのは明らか(w
朝鮮人なら鬱火病とコレラでしょうからな。
470_:03/07/04 17:30 ID:KqOX895v
>>468
自分の身体の障害を苦に放火って、そんな事件どっかの国にあったな…
「心中」といいながら逃げるところもそっくり(w
471「ど」の字:03/07/04 21:52 ID:pqmr3FaM
>>470
 三桁の人間を道連れにした、近松門左衛門が裸足で逃げ出すような大心中劇だったな。恐れ入るよ。
 しかも本人生き残るし。
 巻き添え食らった人々が大迷惑だったのは言うまでもないが、そいつらの家族もDQNな本性を晒してくれたよな。
 犬の骨や墓場の骨を拾って来たりして。

 こいつら人間の命を、思いの丈を、一体何だと思ってやがる!
472金多道=天智天皇:03/07/04 22:14 ID:xK3Qtn4q
>>471
それを昭和天皇に言ってやれ。 三種の神器のほうを日本人の命より
大切にした奴に。
473七七七:03/07/04 22:19 ID:0FTz2KE6
また歴史を知らないバカチョンが紛れ込んでいるようで。
恥かく前に帰れ、馬鹿チョン
474 :03/07/04 22:25 ID:ncGtjeaZ
通信使も猫班車に乗ってくればよかったのに。
日本人のド肝を抜けたに違いない。   違う意味で。
475_:03/07/04 22:46 ID:KqOX895v
そんな長距離走破能力はないと思われ。
ぜったい車輪がいかれる(w
大井川も渡れそうにないし…
まったく、実用性が伺えない謎のオーパーツだよな(w
476 :03/07/04 22:51 ID:lxbwAacc
創価・公明支持者は嫌韓派を許すか

『がんばれ公明党』というサイトのディスカッション掲示板で
マジか何かの実験なのか、嫌韓派の一人が2ちゃんのハン板ネタをコピペするという
かなり興味深いオモロイ出来事

ファビョーンする在日学会員、洗脳された親韓バカなどなど、
笑えるので見てやってください!俺は泣きましたw


ttp://homepage2.nifty.com/voice-komei/
477「ど」の字:03/07/04 23:11 ID:pqmr3FaM
>>472
 天皇陛下の手元に三種の神器があるとでも思ってるのか?

 ウェー、ハッハッハ。
478 :03/07/04 23:15 ID:dcMI4QPe
源平合戦の壇ノ浦の戦いで三種の神器は失われたんじゃ?
479 :03/07/04 23:30 ID:0idMAkBr
>>478
宝剣(草薙の剣、または、アメノムラクモノツルギ)は、
壇の浦の合戦で紛失したそうです。
他の2つはどうだか知らないのですが…。
480 :03/07/04 23:50 ID:We7MSnk2
>>479
熱田神宮にあるのは?
481 :03/07/05 00:27 ID:vAlEK8LK
>>480
レプリカ(w
義経が海士を動員して捜させたけど、剣だけが見つからなかったんじゃなかったかな。
482 :03/07/05 00:28 ID:mUewB3aL
>>480
一般には三種の神器は
八尺瓊勾玉は宮中に
八咫鏡は伊勢神宮に
天叢雲剣は熱田神宮に
納めされていると言われている

ただ草薙の剣の本物は平家のドザエモンと一緒に
壇ノ浦に沈んでいるので熱田神宮にあるのは
伊勢神宮から貰った他の剣だったと思ったけど
田県神社に奉納してある張り型は三種の神器には入らないのは確かだ
483 :03/07/05 01:06 ID:8s3ZjiFr
張り型ってなんだよ、失礼なヤツだな。張りぼてと間違えたのか、どっちにしろ失礼だけど(w
484 :03/07/05 01:21 ID:8s3ZjiFr
多分ここで、ふさわしい単語は”写し”かな。

ちなみに、平家滅亡当時、宮中にあったほうが、本物なのか、熱田神宮にあったのが本物
だったのかは諸説あったと思う。
今宮中に有るのは伊勢神宮から持ってきた別物なのは確からしい。
ttp://www.jinja.or.jp/faq/answer/09-02.html
485 :03/07/05 02:32 ID:cTrKz30K
八咫鏡は、平安時代に焼失しています。
藤原道長の日記には、その善後策を話し合った記述がありますが、
神聖なものだけに鋳直すわけにもいかず、そのままになったようです。
486 :03/07/06 13:57 ID:h9lUUXim
藤原隆信、信実に匹敵する朝鮮の画家っている?
487 :03/07/06 18:25 ID:/z9ynyfu
何も勉強していないサヨ劇団がくだらないミュージカルを上演して各地を回っています。
ジェームズ三木もサヨなのか?
http://www.town.shingu.fukuoka.jp/sopia/chebi.htm
朝鮮使が日朝友好のものだとかなんだとか、この板では論破されそうなことばかりです。
誰か見た人はいる?
488 :03/07/10 04:04 ID:k1ByIGrP
ジェームズ三木はかなり痛いサヨクです。
在日に地方参政権をやらないのはおかしいと週刊新潮で書いたりしてたし。
489小テストの採点だ。:03/07/10 16:03 ID:IkOtZfdp


413 :: :03/07/01 22:49 ID:LBCBApMd

>>411
そもそも秀吉と日帝が半島を荒さなければ、何の問題も生じなかった。藁

救いようの無いバカ。秀吉は元寇の仇を討ったんだよ。




424 :  :03/07/02 00:54 ID:2KAqH6XQ
>>422
1945年に終戦で1970年代に完全に先進国になったので、25年というべきかも


    君はよく勉強してる。すぐに戦前のレベルに戻っただけ。




474 :  :03/07/04 22:25 ID:ncGtjeaZ
通信使も猫班車に乗ってくればよかったのに。
日本人のド肝を抜けたに違いない。   違う意味で


       ワラた。ベアリングつけてやれ。


490 :03/07/10 16:14 ID:THd4J+zJ
つーか秀吉は明国制覇のために半島を通ろうとしただけ。
そもそも焦土戦をしかけ荒廃させたのは明と朝鮮。
その後復興できなかったのか、原状回復してなおあの体たらくなのかは定かではない。
どちらにしても、李氏朝鮮の実力だな。
491ぴーす:03/07/10 16:39 ID:vjfWhj3j
そーいや「韓国を朝鮮と呼ぶなら日本政府を幕府とよぶぞ」って言ってた奴が
いたな、それから少し後に北の「日本を倭とよぶぞ」の報道が・・・。

とことん【同じ人民族だな】と思わせる一こまでした。
492小テストの採点だ。 :03/07/10 17:14 ID:IkOtZfdp


490 : :03/07/10 16:14 ID:THd4J+zJ
つーか秀吉は明国制覇のために半島を通ろうとしただけ。
そもそも焦土戦をしかけ荒廃させたのは明と朝鮮。
その後復興できなかったのか、原状回復してなおあの体たらくなのかは定かではない。
どちらにしても、李氏朝鮮の実力だな。



なぜ秀吉が 明国制覇をかんがえたのか?
     天下をとった男が300年前の元寇、
     喜んで手下になった高麗、応戦した
     鎌倉幕府 北条時宗を知らんはずがない。
     頂点に立った軍人、政治家の頭に
     こびりついたこの恐怖感をぬぐいされるのは
     今、俺しかいないと秀吉は確信したんだよ。
     当時の鉄砲を始めとする軍事力、国力が
     恐ろしく充実している今こそ大陸勢力を
     一掃し、二度と矛先を向けささないように
     震え上がらせてやろうと考えたんだよ。
     平和になった後の失業対策とか言う奴いるけど
     そんなモンは2の次3の次。
493サイコ安崎MarkU:03/07/10 18:12 ID:p95zTYrh
なるほど地政学的にも納得できる 確かに近代史を見ても半島は日本に突きつけられたナイフ
494 :03/07/10 18:23 ID:bcQmXSoD
>>493
但し、突きつけるのはロシアか中国。
朝鮮人はナイフのブレードに付着した病原菌。
495 :03/07/10 18:42 ID:SrpOP0zP
 日韓いがみあいの精神分析 岸田 秀・金 両基
第二部 大和魂を生んだのは朝鮮通信使である

岸田:白石が朝鮮通信使に威圧的な態度をとった理由の一つには、朝鮮半島からこれ以上文化
   を伝えてもらう必要はないという判断があったんですかねぇ。

金 : あったと思います。その一方では、朝鮮王朝を通して国際的な情報を得ていましたし、
   交流が止まると困るので中止は出来ませんから二律背反、アンビバレント。幕府の存在
   をより大きくするために、接待経費を節約することを理由にして朝鮮通信使の規模を
   縮小し、朝貢に来たかのように見せればいい、という態度になったと思います。
    新井白石の朝鮮半島に対する意識が受け継がれて江戸中期になって、本居宣長や平田
   篤胤が「古事記」に日本のアイデンティティを求め、天皇の存在に行き着いた。
   宣長は美学として国学を発展させたのですが、篤胤は近代まで続く国粋主義を生み出す。
    平田篤胤は、中国の文字が渡来する以前に、神代文字というものがあった、と主張し
   実物と称するものを発表するんです。
    当時日本にハングルが伝わっていて、篤胤がこれを雛形にして神代文字を作った
   ことは、ほぼ定説です。いわば、江戸時代にジャパノロジー、国学が生まれたきっかけ
   を作ったのは朝鮮通信使なんだから、普通でしたら感謝すべきところなんですが(笑)
496サイコ安崎MarkU:03/07/10 19:02 ID:UmLov7Uz
凄い電波ビュンビュンですねW
497 :03/07/10 19:10 ID:A0SFfzbF
>>495
何者? この金とかいう電波?
498 :03/07/10 19:10 ID:lWabI8kj
>>487-488
ジェームズ美樹はサヨというより在だろう。
独眼竜政宗隙だったのに・・・(悲
499_:03/07/10 19:13 ID:18EiIlsI
>朝鮮王朝を通して国際的な情報を得ていましたし

江戸時代、幕府が世界情勢を知る術は、オランダ船が長崎奉行に届ける「オランダ風説書(ふうせつがき)」だけだった
というのが定説なわけだが。

そもそも朝鮮王朝も鎖国してたんじゃなかったか?
どーやって国際情勢を知ってたんだよ(w
朝鮮通信使か?(w
500 :03/07/10 19:17 ID:j/hDndUJ
Naverの韓国人に通信使で具体的に何を日本に教えたと聞いても答えが返って着ません
ただ、「通信使で文化を教えてやった」と抽象的にしか教わってないみたいですね

















まぁ、半島で著しく歪められた朱子学以外
まるっきし無いのだから具体的なこと事教えられる訳無いですね
501勘解由:03/07/10 19:21 ID:tp1bxWsc
>>499

朝鮮人の考える世界、

中華、ウリナラ、倭

502 :03/07/10 19:25 ID:SrpOP0zP
>>497
金 両基・キムヤンキ、専門は比較文化論、日韓史、87年外国人初の国公立大
(静岡県立大)の教授となり、99年からは常葉学園大に移り、教壇に立つ。
在日2世・在日韓国人して初めて韓国の銀冠文化勲章を受章
「日韓いがみあいの精神分析」 岸田 秀・金 両基
第一部 大和朝廷は百済の亡命政権である
第三部 朝鮮民主主義人民共和国は大日本帝国である

503 :03/07/10 19:25 ID:/ue7aHGC
>>499
氏の言う「国際的な情報」っていうのは中国様のご機嫌のことでは。
504 :03/07/10 21:26 ID:q2eWCngW
>>492
 天正遣欧使節が帰路に持ち帰った秀吉宛のスペイン副王の国書が、唯一の欧州産国宝
として残っている。羊皮紙に原色で彩色した美術的にも優れたものだが、大航海時代の
スペイン、ポルトガルの侵略の脅威は当然、秀吉の念頭にもあったと思う。
 うかうかすれば、南蛮人の侵略にあう時代。秀吉も「攻撃は最大の防御」とばかりに、
示威としての海外出兵を考えたのじゃないかな。
505 :03/07/10 22:55 ID:ZRjgfirM
>>492
明征伐はそもそも信長の構想だったのではないか、という説もあるね。
秀吉は、主君のプランを実行してみただけなのかもしれない。
506_:03/07/10 23:21 ID:dX23HoBR
秀吉とか信長、他にも戦国大名の手紙っていっぱい残ってるみたいだけど
どのくらいの史的、美術的価値で扱われてるの?
507 :03/07/11 02:49 ID:BhVsbXQB
>>506
史料価値は高いけど、美術的にはどうかなぁ。
そもそも、大名の手紙って、ほとんど祐筆(秘書というか書記)が書いたものだし。
508 :03/07/11 12:43 ID:NPORAZ/i
>>507
祐筆が書いても花押を書いた時点で本人の自筆ととなじだろう。
ただ本人の筆蹟等をあつめ性格判断とかやりたい向きにはどうしようもないが。
509_:03/07/11 15:03 ID:gdmQ8+wh
秀吉の手紙が残ってるって凄いんじゃない。
彼の後裔を滅ぼした徳川の世が200年以上続いたのに。
半島じゃ考えられない事ではないか
510 :03/07/11 15:03 ID:+MWKd/Iz
美術的には、当時の清書文としてそこそこの、史料的には、当時の公文書として
かなりの価値があるでしょう。
511 :03/07/11 16:19 ID:oBGk5Fwo
秀吉直筆は全部ひらがなだっけ?
512495:03/07/11 16:43 ID:sLagstq8
金 :朝鮮通信使は十二回続きました。最後に来たのが一八一一年です。そのあたりから、西欧
   の波が押し寄せて来るわけです。

岸田:ロシアの艦隊が北方に姿を見せはじめますね。

金 : それまでは朝鮮通信使を通じて国際情報を入手していた日本に、直接、西欧から船がやって
   来るようになりました。
    一方、朝鮮王朝も、十九世紀に入って、勢いが衰えてきます。派閥抗争に明け暮れて、中国
   を頼りとする鎖国政策をとり、国際情勢はうとくなる。そのためか自惚れだけは強かった。徳川
   幕府は武家政権で、「力」の原理で成り立っていましたが、朝鮮王朝はシビリアンコントロール
   でしたから武人より文人のほうが力がありました。学問の力で治めようとする。学問は時代に
   よって老化したり形骸化されるじゃないですか。形骸化したものを拠り所にしてプライドを持って
   いたんです。日本では学問という抽象的なもので生きてるわけにいかないという姿勢がある。
513 :03/07/11 19:19 ID:dOEak8yx
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20030617/mng_____thatu___001.shtml
> 江戸長崎屋に宿る夢 
> 鎖国時代の国際交流サロン

>  蘭学史が専門で、今回のフォーラムにも参加した片桐一男・青山学院大学
> 名誉教授(68)は「長崎屋は幕府のお偉方から商人まで、身分を超えて大勢の
> 人が出入りした交流サロンだった。蘭学者らが最新の知識を求めてやってくる
> 学術センターでもあった」と話す。
>
>  オランダ商館長らの江戸参府は、貿易独占のお礼として、将軍に貢ぎ物を
> 献上することなどが目的だった。一六三三年から一八五〇年まで、当初は
> 年一回、途中から四年に一回のペースで、計百六十六回行われた。
>
>  長崎屋は現在の日本橋室町四丁目にあり、商館長らは一回の参府で、
> 二十日間ほど泊まった。儒学者の新井白石、「解体新書」の杉田玄白ら、
> 当時の知の最前線にいる人たちが通い、どん欲に知識を吸収した。
514ぴーす:03/07/12 11:06 ID:Istg2Ugk
秀吉ってスペインに宣戦布告したってなんかに書いてたな。
515 :03/07/12 11:37 ID:zzj45UNi
>>513
>朝鮮王朝はシビリアンコントロールでしたから

前世紀最大のギャグ発見。
516 :03/07/12 11:45 ID:Bq5QvucJ
>>512
>朝鮮通信使を通じて国際情報を入手していた日本

将軍の代替わりの時にしか来ない通信使が、国際情報の入手手段?
ずいぶんのんびりしていたんだなぁ。(w
517竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/07/12 11:45 ID:k1/lqIcI
>それまでは朝鮮通信使を通じて国際情報を入手していた日本に、直接、西欧から船がやって
>来るようになりました。

これって本当か?こいつ電波だからあてにならん。
518_:03/07/12 11:53 ID:vOGzweiI
日本も、戦国時代の手紙が残っているとはいえ、当時とは文字(
つーか、ひらがな)と筆記具の違いによる字体の相違により、
かんたんに読めるわけではないところは少々わな。
 つまり、いうまでもないが、現代人にとって、古い手紙はやや
外国語みたいなもの。

 といっても、漢字を廃止して、活字で読み書きすらおぼつかなく
なりそうな某国と比較すれば、まだずいぶんマシだろうね。
519むにゅう:03/07/12 11:56 ID:ZG8WbMds
>>512
>朝鮮通信使を通じて国際情報を入手していた日本

長崎の出島からの方がはるかに多いよ。
本も情報も貿易品もたくさん輸入されていた。
520ななし:03/07/12 12:08 ID:fCWAIMGd
朝鮮通信使の目的は大陸の情報を日本に伝えるのでは無く、日本の情報を朝鮮が知りたかっただけだ。
秀吉の朝鮮出兵で日本が怖くてしょうがなかったんだよ。
521 :03/07/12 12:11 ID:7Bh3OWwa

というか、ポルトガルやオランダはスルーですか?
522むにゅう:03/07/12 12:15 ID:ZG8WbMds
>>492
>>504
>スペイン、ポルトガルの侵略の脅威
これに対抗するために、明と日本で軍事同盟を結ぼうとしたんだけど、明はスペイン、ポルトガルの侵略の脅威
を意識できなかったので、秀吉は明に戦争をしかけて日本との軍事同盟をむすばせようとしたんだよ。

秀吉は西欧列強の侵略に対抗するために大東亜共栄圏を作ろうとしたのだ。
523ぴーす:03/07/12 12:16 ID:Istg2Ugk
対馬の石碑に 「どちらが上にたつでもなく」みたいな故人の言葉を彫っている
のをTV特集日韓2000年の真実(番組名忘れたけど張本と大沢親分が出てる奴)の最後
にやってたが逆にみるとそれだけで日本が朝鮮を相手にしていなかったのがわかる。
 
524 :03/07/12 12:32 ID:f87sH8UG
秀吉は上海のすぐ下の寧波を首都とする気らしかった。
海上貿易を重視した秀吉らしいね。ついでに北京は天皇に献上するつもりだったらしい。

朝鮮からの情報ってのはおそらく女真族や明王朝のことだろう。
女真族は最近意気盛んであるとか、明は内乱続きだとか。
たいして詳しいことはないと思うが。

それより当時はポルトガルとオランダの方が重要だったし。
525  :03/07/12 13:03 ID:yHlvfiD+
長崎の出島からの情報は基本的に徳川幕府が押さえていたよな。

ところで、秀吉は九州征伐でキリシタン大名見て
それまでの西洋万歳から、危険な相手と認識を改めたと聞くが
526_:03/07/12 13:16 ID:Bwl+M/YE
>>495>>512
 朝鮮人ってのはなんでこうすぐばれる嘘をついてまで自分が価値ある
ものだと見せようとするのかね。しかも必ずと言っていいほど、相手を貶
めるのとセットにしてるし。こういう姿勢は尊敬の対象になるよりも賤視の
原因にしかならないだろうに。
527 :03/07/12 13:20 ID:h8p22L40
ポルトガル人が日本人を奴隷として大量輸出しているのを知り、貧民あがりの秀吉は激怒して宣教師追放令を出した。
宣教師は権力側の人間だ、本国が日本を侵略する気になったら進んで日本人宣撫に協力しただろう。

しかし、韓国人は「日本に文化を教えてやった」朝鮮通信使を本気で心の拠り所にしているようだね、
水車を見て驚き、真似しようとするがどうしても再現できなかったような通信使節を……
528ぴーす:03/07/12 14:12 ID:Istg2Ugk
少しスレ違いだけどこの案どう思う?

>63 
琉球を制圧→台湾を制圧→大陸へ
明軍も弱かったみたいだし地理的にも朝鮮よりは最前線基地としては有効だと思う。
大陸から朝鮮半島に責めるのは簡単だけど朝鮮から責めるのは難しい、朝鮮戦争でも
マッカーサーは相当苦労したらしいし。それに伝統的に中国は北からの侵略には慣れてる
から対策も簡単に取ってくる(万里の長城も満州付近に密集してる)。

兵站も歩いて半島を通過するよりは船を使った方が早く、労力も少なくてすむ。(略奪にあう
可能性も低い) 
 北海道並に寒い半島、満州で立ち往生くらうよりは台湾を取って
拠点にし、(温暖だから米も自生できる)防備の手薄な南から侵攻。
満州族と同盟組んで挟み打ちもあり。

すまん、沖縄=琉球=台湾と沖縄な、台湾と沖縄一緒にしてた



529 :03/07/12 14:19 ID:f87sH8UG
あの時代なら
海は兵站として不安定。台風とかよくあるしね。海流は逆だし。
沖縄台湾への海路は兵糧運搬として不適切だと思う。

530ぴーす:03/07/12 14:47 ID:Istg2Ugk
そうか、有難う。
531_:03/07/12 22:27 ID:yq/QbJh0
>>528
おそらく台湾を占領した段階で、兵隊が風土病にやられると思う。

しかし、国内に大名に与える封土が無い、というのが大陸出兵の理由なら
台湾じたいを占領するのは、なかなか賢い政策だとおもわれ。

1600年ごろの台湾には、オランダ人の砦しかなかったので
占領してしまえば、日本領ってことになっただろうね。
532 :03/07/13 09:53 ID:9iPe4t73
薩摩は、台湾に触手を伸ばそうとしなかった・・・。

訳をキボンヌ。

533ぴーす:03/07/13 10:18 ID:ji1QnXDJ
オランダ(欧州)と直接対決を避けたとか。 薩摩一藩で明との対峙は危険と判断した。
遠すぎて支配が行き届かないと判断した。 未開の土地をわざわざ開墾しようとする気にならなかった。

こんなとこかな。

秀吉のアホさは徹底的に糾弾したい。

534 :03/07/13 11:05 ID:LfqE5TF9
そう、薩摩はシビアに損得を勘定する。
朝鮮征伐の際も、領土的な見返りは全く要求していない。
朝鮮半島に領地を持っても赤字になるだけだと分かっていたフシがある。
台湾を無用と判断したのも、風土病を考えれば正解。
535 :03/07/13 11:16 ID:pcZIXIvG
>>509
豊臣家は滅ぼされ、秀吉が取り立てた大名たちは江戸時代初期にほとんど取り潰しに
されたが、徳川幕府は秀吉が残した文化、事跡を殊更に抹消しようとはしていないね。
織田家も地方小大名として存続しているし、武田の遺臣のように勇名をかわれ、徳川
譜代の井伊家に召し抱えられた例もある。
秀吉は敵対勢力を味方につける政略の天才だったが、家康も戦国時代の一族郎党皆殺しの
骨肉の争いの無意味さを、知り尽くしていたからこその一種の反対勢力懐柔策をとった
とも言えるだろう。
536 :03/07/13 11:36 ID:/Ut1ZPba
>>512
>金 :朝鮮通信使は十二回続きました。

たったの12回で天狗になるチョンって、、、、
537 :03/07/13 11:42 ID:SMgZJ8dE
徳川時代に、台湾かフィリピンを攻める軍が台風で沈んじゃったんじゃなかったけ。
538ver7:03/07/13 11:56 ID:2nq12Qnn
微かな記憶しかないのだが、
「朝鮮通信使が来ると虱が湧く」と書いた
江戸時代の書物が有ったはずなんだが。
江戸の庶民が書いたか、
庶民がそう言っているのを誰かが書いたか忘れた。
全くアヤフヤな記憶で申し訳ないが、
博識の方が居たら教えて欲しい。
539_:03/07/13 11:58 ID:2g2rDK3Y
540_:03/07/13 12:00 ID:2g2rDK3Y
541 :03/07/13 12:10 ID:/Ut1ZPba
野平俊水とかいう香具師の本読んでるんだけど、面白い年表があったよ。

      韓半島人の断続的な渡来
   3C
      日本列島開拓期
   6C
      百済と大和政権の連合期
   660
      鎖国の時期
-ここまで韓国絶対優位期-
  1592
      壬申倭乱
-引き分け-
  1597
      通信使の往来
-韓国優位外交-
  1910
      植民地
-一敗-
  1945
      葛藤期                                                               
-追い越し時期-
  1997
-なぜか空白(笑)-  
  2001
      友好、日本追い越し
-ライバル-                                                           
                                                               
これがチョンの歴史認識なんだそうな
542ch:03/07/13 15:09 ID:fgH0P/im
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=9828&work=list&st=&sw=&cp=1

↑朝鮮通信使の驚きをビジュアル化すると(少し年代は、ずれるが)
543 :03/07/13 15:12 ID:lJdu/yzT
>>541
既出
544 :03/07/14 06:02 ID:lGGuu3Eh
日本人があっと驚くようなトンデモ史観が韓国には多い。
そしてそれは多分に日本にも関わったものだ。
韓国の大手・東亜出版社は94年に「大朝鮮帝国史」という本を出版した。
(中略)同様の内容が、韓国陸軍の「民族史教育」で教えられており、
もちろん正規の歴史学者からは「考古学的な裏付けがない仮説を
全軍に事実かのように教育するのは性急なこと」と批判されている

大朝鮮帝国史
http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm
って訳で全軍すなわちこのサイトに書かれてる内容をほぼ成人男子全て
が教えられてます(苦笑


545 :03/07/14 13:00 ID:fz+FxxE3
戦史ならともかく、民族史ですか。
もっと他にやることあるんじゃないの?
546「ど」の字:03/07/14 13:39 ID:ayqcqcP6
>>544-545
 ふと考えた。
 軍隊内部での一般兵への思想教育でこんなことをやっているのはわかったが。
 士官学校ではどういう歴史・戦史教育をしてるんだろうか。
 まさか一事が万事この調子なのではあるまいな……?

 軍隊の指揮官が、客観的に物事を見られなくなったら、国家はおしまいだぞ。

 個人的には、欧米では必ず教えられる題材であるハンニバルの「カンネーの戦い」が教えられているか知りたい。
547 :03/07/14 18:13 ID:LiPqbBqM
>>546
韓国の士官がアメリカで恥じかいたってのが、ハン板のどっかのスレに書き込まれてたような覚えがある
548_:03/07/14 19:25 ID:CUgUilXg
>>547
恥の概略キボン
549 :03/07/15 12:47 ID:ZLROLRmo
>>544
素朴な疑問

黄河文明を興した彼らは、なぜ中原を捨てて貧しい半島に移住したのだろう・・・・
550 :03/07/15 12:57 ID:c2GuQXVk
それを言ったら誇り高い騎馬ミンジョクが大平原を捨てて、馬も使えぬ
山がちの狭い半島でセコセコ農作業してたのも謎だ(w
551 :03/07/15 13:03 ID:ysy5jCua
>>549-550
激しくワロタ
552山崎 渉:03/07/15 13:35 ID:20RKJTpA

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
553邪魔崎渉:03/07/15 15:11 ID:HapS2JHT
     ∧_∧
ピュ.ー <ヽ ^^ > <これからもウリを応援して下さいニダ<^^>。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      邪魔崎渉
554 :03/07/21 16:28 ID:IJNzbjGT
>>1
朝鮮人の日本に対する羨望と嫉妬が露骨にあらわれているね。
つくづく見下げはてた民族だよ。
555555:03/07/21 18:01 ID:ZKlfyPju
555はゴジラ松井
556レイヤード ◆LB5JRErEsc :03/07/21 22:35 ID:ALSwqMho
>>555
仮面ライダーだろ?
557 :03/07/23 15:48 ID:INqOCvrG
>>556
真っ当な社会人はファイズなんか知らんだろ
558 :03/07/26 23:46 ID:eXLl2NKq
>>557
まっとうな主婦が仮面ライダーに萌えるのが今の世の中です
559P-38:03/07/27 10:29 ID:tta10e0x
全ての在日とは言わんが、在日は言うなれば「外人」であり、先住民でも何でもない。
その「外人」が住まわせてもらっている国(日本)の事を殊更悪く言って恐ろしくな
いのかねえ?報道・メヂィアがもの判りよさそうな顔しているけど、彼らの本音が
出ると「よくも今までコケにしてくれたな!」となるだろう。大体日本国籍を取る
覚悟も無く、要求はするというのは勝手すぎる!それと日本が嫌いなら「祖国」へ
帰んな!
560 :03/07/27 10:43 ID:AY/ko1yR
うちの子が555大好きで私も子供に起こされ一緒にクウガ,アギド,龍騎も見てましたが・・・
561 :03/07/27 10:46 ID:2dz+IqA7
清時代以前の北京は便所がなかったので、子供も大人も
道端で糞と小便をしていた。そのために、道にはいたるところで
小便の川ができており、人間の糞を食う豚や犬があちらこちら
で闊歩していた。
人間様はその犬と豚がうんこをすると、持ち帰って市場で
肥料として売っていた。
562:03/07/27 10:50 ID:zE/LmYzB
>>559
朝鮮人はメディア、政府に叩かれそうになると
差別だ!という穏健団体と恐喝、暴力の過激団体の
二方面から行動を始めます
まずは警察と世論が排除を進めなければだめだろうな
563ヤフー韓国カテ:03/07/31 00:22 ID:rNm4eFyo
皆さん歴史にお詳しいですね。
韓国にもヤフーが有る事もあってか、(日本人は韓国ヤフーには参加できないらしいが)
ヤフーの韓国カテには在日ばかりでなく、
半島人も結構参加して歴史・経済・文化面・WC等・・・の討論を毎日しています。
現在はこんな感じになっています。↓は韓国人の投稿です。(日本人への反論)
皆さんのご参加お待ちしてます。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2bg4bf7de&sid=1835396&mid=6459
>小生の件の投稿は、当時の倭国が「如何にして」漢字を入手したかであって、「公的」には高句麗は関係ないですな

そうなんですが、もともとの話が古代における漢字や仏教の伝来について、
韓国と日本では大体2−300年の時差があるとした我輩の発言についてじゃありませんでしたっけ?
だから、高句麗の話をした。
東天王時代の土文があるが、これは確か2世紀初頭ですよな。

まー、中華では最近高句麗は中国であるといってるけど、我輩は同意しないので。藁

>比喩としては、宅配便屋さんが、なぜお中元やお歳暮を届けただけで、客に対して恩を着せるのか、不思議なだけ

ほれ、出た。
果たして宅急便の比喩は、適切ですか?
中国のものをただ渡したメッセンジャだった訳?藁
564 :03/07/31 03:14 ID:jYXaCuoy
>>561
知ったような事を書いているが、便所の歴史はずっと古く、唐の都、長安の遺跡
というか今の西安を掘ると便所と覚しき場所からは寄生虫の卵が束になってでてくる
そうだ。時代は忘れたが物事を考えるのに良い三つの場所の一つにもあげられている
事から東洋では便所の歴史は古いのである。


それから糞尿の値段だが江戸時代は商人の街より職人の住宅地の物のほうが
高かったそうだ。職人のほうがしみったれずいいもの食ってたからだそうだ。
それからすると人様の糞を食った犬や豚の糞は肥料としての値打ちはかなり低い。
実際がところ、東南アジアの田舎では人の糞は豚が食う。豚の糞は蝿が湧いてそれを
食べるため鶏が突っつき回す。鶏の卵は人様が食べる。そんなに臭くもないし
不衛生とも感じられない。
5651015:03/07/31 10:55 ID:fvclBKP4
朝鮮総連に銃弾撃ちこまれる! 出たぁ〜必殺の自作自演劇の炸裂。 この前の
チマ切り裂きといい、今回といい、自分たちに都合の悪い状況になるといつもこう
だ。 こりゃ右翼じゃないな。右翼は「北方領土返還」は言うが、「竹島から撤退
せよ、拉致被害者を帰せ」とは一度も言わんからな。 なぜか朝鮮半島には文句を
言わん。 なぜか? やはり総連・民団の息がかかっているのか? この次はどん
な「被害」が総連に及ぶか?まあ立場が悪くなると自作自演で事件を起こすんだろ
うな。チマ切り裂きも金○○という在日だったらしいぜぇ。
566山崎 渉:03/08/02 00:06 ID:OKDzUMvZ
(^^)
567キムチ:03/08/02 03:03 ID:7L1bginY
キムチ
568あぼーん:あぼーん
あぼーん
569  :03/08/06 15:57 ID:+ufgfyjA
>>537
確か、それは鄭成功救援軍。その話を聞いて将軍家光が「台湾へは私自ら行く!」と言ったのを
時の老中が止めたのは有名な話。
570  :03/08/06 16:02 ID:+ufgfyjA
後もう一つ:
幕府が台湾に行こうとしたのは自らの手で海路を確保しようとした可能性もある。
鄭成功の時代だと台湾が清の手に落ちれば実質上貿易は不可能であり
オランダも当てにならない・・・ところが失敗、立ち消えになって鎖国に
「追い込まれた」とも見ていい。
571あぼーん:あぼーん
あぼーん
572乳だしチョゴリ:03/08/11 13:37 ID:flaGzGsH
保全あげ
573山崎 渉:03/08/15 09:11 ID:VSeRMXHK
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
574  :03/08/25 21:49 ID:Jv2bjG+Z
あげ
575sage:03/08/26 19:31 ID:ydwxdxDm
>>569
嘘付け。つい、釣られてググっちまったじゃねーか。
576  :03/08/27 17:02 ID:hkJAZ64h
>>575
だけど、鄭成功救援に失敗してから鎖国に「追い込まれた」のは
あまり知られていない話でもある。

繰り返し言うようだが、鎖国令は自主的な選択では断じてない!
あれは外的要因によってそう追い込まれたのだ
577 :03/09/08 23:27 ID:xHmlAXH2
しかし、昔の朝鮮って酷いな・・・
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=511772&work=list&st=&sw=&cp=1

これって野蛮国でないの?

> 韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが
> 良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。
>
> 特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの
> 歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば、静かで
> 平和な国家を保てたろうと錯覚する。
>
> しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。

激しく同意!!!!

しかし、これは凄いな・・・乳丸出しじゃないか
しかもわざと乳を強調しているようにしか思えない
http://www5f.biglobe.ne.jp/~historia/chousen/img20030121211734.jpg
http://www5f.biglobe.ne.jp/~historia/chousen/img20030121211752.jpg
http://www5f.biglobe.ne.jp/~historia/chousen/img20030121211809.jpg
http://www5f.biglobe.ne.jp/~historia/chousen/4-13.jpg

朝鮮人の歴史ドラマは全部捏造なんだね・・・

漏れはここの画像は全て保存しました。
たまに朝鮮人に見せてやりましょうwww
578Uri名無しさん:03/09/08 23:30 ID:hQ9FRJIk
釜山の倭館までしかいけなかったくせに(w
579577:03/09/08 23:35 ID:xHmlAXH2
冷静に考えると、乳丸出しもいいかもしれないな。
今の韓国人女性こそ伝統の乳丸出しに戻すべきではないのか?
朝鮮人が日本にあれだけ迷惑かけているのだから、せめて乳くらい見せろ。
だったら漏れは毎月韓国に行って金を落としてもいいぜ!
580 :03/09/09 00:11 ID:Bex9Kifz
>>577
凄いですね!
美人じゃないから萎えだけど・・・
581 :03/09/09 22:40 ID:kyRbg9E5
ブラジャーしないとおっぱい垂れるぞ
582 :03/09/10 00:28 ID:UHWR7gjc
>>581
漏れは垂れ乳大好き
http://www004.upp.so-net.ne.jp/sweetpie/090kaoru.html

たまんねーーーー!
583:03/09/10 16:08 ID:WrboRJ+7
そういえばイスラム教徒が豚を食わなくなったのは
中国人が糞尿を豚に食わせているのを見たからだって
のを聞いたことがあるなあ・・・
584  :03/09/10 17:35 ID:GWnMvJNX
>>583
マジかよ!!!確かに7世紀頃ならアラブ人にそのような目撃談があったという事実が
有り得ぬと言うわけでもなさそうだが・・・

>>582
そこで持田を引っ張り出すのは反則という物だ・・・
密かに漏れも好きなんだよ。
585 :03/09/10 23:23 ID:UHWR7gjc
>>584
乳は垂れている方が絶対にエロイし、マザコンの巨乳好きにはたまらない。
顔がかわいくて乳が垂れているのが理想だね。
持田たんハァハァ・・・
586 :03/09/10 23:52 ID:wnkx86gW
>>585
持田薫?
587 :03/09/11 00:19 ID:QsX0zXYu
>>586
582の写真みれ
588 :03/09/13 03:27 ID:5NJqsT/Z
>>577
朝鮮人の乳出しスタイルは現代にこそ必要かと
589 :03/09/14 02:50 ID:HJtlDPET
ネタがないから乳の話か(w
590 :03/09/14 02:52 ID:N6wyREvr
>>583

単純に豚にはバイ菌が多いからじゃないのかな
他には犬のヨダレも駄目だと本で読んだことがある
591 :03/09/14 03:04 ID:ydVmuDbc
>>590
そだな、豚喰って死んだヤシとかいたんで、適当に理由つけた可能性大。
592 :03/09/14 05:11 ID:7hM09JIQ
>>578
いく必要ないから行かなかっただけでしょ。
日本側は対馬の人間に任せる。行くの面倒だったんじゃないの?
対してあちらはお偉方が将軍の就任祝いにわざわざやってくる。
上下関係が明らかじゃないの。
中国のお偉方が韓国の王族に定期的に参拝しに来たって記録残ってる?
593 :03/09/14 05:12 ID:7hM09JIQ
参詣と言った方が良かったな。
594名無しさん:03/09/14 06:10 ID:9Ypfc2iR
ビグザムで有名な迎恩門があるニダ、誇らしいですね、ホルホルホル。
595 :03/09/14 06:18 ID:Hlt+VsgB
>>578
行けなかったんじゃなく、呼べなかったが正しい。
朝貢や外交使節というものは、庶民や政敵の前で王の威厳を示し、政権の安定
を図るというデモンストレーションなのだ。
特にアジアではその意味あいが強く、「○王の徳を慕って○○国が遠路遙々使
者をよこしてきました」となり、その代償として、○王は○○国の使節に対し
沢山のご褒美を与えて労をねぎらうことになってる。
そして、その一連のやりとりにより、国民は王の徳の高さや情け深さに改めて
感じ入るという一種の政治ショーなのである。

朝鮮通信使を大々的に招くことで、徳川家は庶民に将軍の威光を示すことに成
功した。
同じく、朝鮮王の方もプサンからソウルまで日本の使節を練り歩かせることで
王の威厳を示したかったのだろうが、国土の防衛からやむなくプサンに留め置
かねばならなかった。

徳川家と朝鮮王のどちらが哀れな立場にあったのかはすぐ判ると思う。
596 :03/09/15 21:26 ID:2gZrAOys
>>583
千夜一夜物語の船乗りシンドバッドは、原作によると「中国人」だからな。
物語の主人公にできるほど、アラブ世界と中国との間に交流があったって、
ことだろう。豚タブー=中国人説は時間的に見ても、十分あり得る話だ。
597 :03/09/18 20:02 ID:W0q0olGj
>>595
なるほどね。
下手な事すると、上司(支那)に睨まれるものね。
598_:03/09/18 22:23 ID:hSKO0WZx
つーか、天皇の手下の将軍にわざわざ呼びつけられてるところがすでに…
599 :03/09/24 06:11 ID:83yppQvZ
スラムのような町並みや乞食同然の小汚い庶民を見られたくなかったつう説もある。

つまり、江戸や大坂の賑わいを見て、ゴミみたいなソウルが恥ずかしくなっただけw。
600 :03/09/26 01:04 ID:Fj13tKBw
浮上
601<`∀´ >:03/09/26 02:13 ID:PpkibzJz
>>564
付け足し。肥が一番良質で高価だったのが、大名屋敷。入札制もあったらしい。
肥のランキング
1.老人の肥
2.肉体労働を大してしてない人の肥
3.中年の肥
4.青少年の肥
5.子供の肥(これが一番嫌われたらしい)
602_:03/10/13 16:49 ID:DyJbotVD
あげとくか。
603:03/10/13 17:07 ID:x+gsKGdz
韓国が本当の歴史を教えだしたらどんな風になるかというと

日本にとっては単なる中国文化の通り道で、古代から中国にはペコペコ
同族争いが絶えず行われ、外国勢力が入り込むと国民は途端に寝返る
いつの時代の王朝も腐敗していて、海を越え山を越えて征服したことは皆無
誇るべき文化もこれといってなく、近代になっても自立できず
日本に統治され、日本から莫大な援助をうけてやっと近代化を行い
独立してもまた同族争い、日本からの莫大な補償金でやっと経済発展を行う
スポーツでも誇らしいものはない、何でもかんでもパクって自国製だと偽り
海外でも嫌われまくり、学術面でのノーベル賞は皆無
犯罪発生率は世界有数、国家は南北に未だ統一できていない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
っていうそれはそれは悲惨で自信もクソも持てない
歴史を教えることになるな。
そうするとやっぱり誰かの言った
「頑張った史観」
になるわけだな。



604 :03/10/13 17:21 ID:a3rN6vJ8
>>596
>船乗りシンドバッドは、原作によると「中国人」だからな。
お馬鹿さん発見。

インド人です。今で言うインド、パキスタン地域かな。
シンドは今のパキスタンのインダス地方の古い呼び名から
インドの呼び名に。
605 :03/10/13 17:24 ID:z24HN0yt
>>1
へー、小中華思想に囚われず実践的な視点で日本を見れる朝鮮人もいたんですねー。
ちょっと意外。
606 :03/10/13 17:26 ID:YupCYCNZ
>>605
つうか単なる妬みから来る愚痴という気がするが・・・(w
607 :03/10/13 17:40 ID:5SZYO8kV
当時は珍しいハングルで書いた記録だっていうから、本音が出やすかったのかもね。

いま、申維翰『海游録』を読んでいるんだけど、まあ威張りくさってること。
挨拶品が少ないとか、飯の味が薄くてマズイとか、どいつもこいつも漢詩が下手だとか憎まれ口ばかり。
それでも「女が美しい」とか書いてて笑える。お偉い儒者さんがなにに注目してるんだよ。
608 :03/10/13 17:41 ID:vjmBjlmv
時の天皇を袖にして通り過ぎて徳川に会ったのだから
天皇よりは通信士の方が身分が上だったのだろうな
609 :03/10/13 17:42 ID:YupCYCNZ
この狗にも劣る輩などと言う所は、相当恨み深い(朝鮮出兵によるものだろう)民族である事が分かるね。
610 :03/10/13 17:43 ID:YupCYCNZ
>>608
?????どうしてそういう解釈が出来るのかよく分からんのだが・・・(苦笑
611駄菓子屋 ◆DaGaSinnZg :03/10/13 17:46 ID:VfRahR4C
>>608
精神的なよりどころ→天皇
実力としての中心→将軍・執権(鎌倉時代)

日本人は鎌倉時代から、この分業体勢でやってきたの。
西洋だって、教皇(宗教)と国王(実権)のツートップじゃん。
それくらいのことが、分からんのか?
612 :03/10/13 17:49 ID:0wzqC/C6
>610
 真っ当に考える事が出来ないから
 いつも斜め上なんだよ
613 :03/10/13 17:52 ID:vjmBjlmv
>>610
江戸時代にあって、時の朝廷、天皇が完全に外交権を剥奪されていたこと
は、知っているよな?
天皇は『山城一国一城の主』に過ぎない。こう言ったのは、かの
「新井白石」だよ。

「天皇」は「江戸時代の間中」「禁裏」から「一歩」も出ることなく幽閉
されていて、「天皇」は「禁裏」にいはば「軟禁」されているも同然だった。
要するに、いてもいなくてもいい存在だったのだよ。
一般庶民が天皇に接することはあり得ず、天皇の存在の陰すら無かったのが
江戸時代、こんな下郎に通信士が面会するわけねーよ
614 :03/10/13 18:02 ID:IrjqgCtd
ちゅうか、将軍で十分だったんじゃないか?
天皇に会うのは500年早いって。
京都を通ったのは道の都合。
天皇に会えなかったのは通信使の格が低かったから。
将軍に呼び出される通信使ごときが天皇に会えるわけなかろう。
615 :03/10/13 19:10 ID:nB21GR8D
>>613
そんな天皇のお墨付きがなきゃ就けない「征夷大将軍」っていったいw
616:03/10/13 20:34 ID:g+OeW3RC
 それが伝統だもん。
 ああ、朝鮮人にはわからないか。
617 :03/10/13 20:37 ID:bdVOrRQl
朝鮮人には「権威」と権力」が分離した日本の政体は理解できないと思われ。
618 :03/10/13 21:49 ID:Dym8R2qL
そうか? 傀儡は半島や大陸のオハコだと思うが。
619 :03/10/14 11:36 ID:29agf91v
>>613
>江戸時代にあって、時の朝廷、天皇が完全に外交権を剥奪されていたこと
>は、知っているよな?

そうだったら、阿部正俊も井伊直弼も、徳川慶喜だって苦労はせんかっただ
ろうにね。

620 :03/10/16 23:21 ID:M6tHv3Zu
>>619
実態としては、天皇家は外交権を剥奪されていたにしろ、
徳川水戸家の光圀自身が、「大日本史」を編纂公刊して、徳川家の権力の
根本が天皇の権威にあることを知らしめてしまったからね。
621 :03/10/17 18:12 ID:Vptxe/W6
>>608
勅使は江戸城本丸上段の間で徳川将軍と対等に向き合うか、
勅使が勅旨を渡す時は勅使が上座、将軍が下座。
幕末期はこれ以外でもほとんど将軍が下座になっていたって大河ドラマでもやってただろう。

朝鮮通信使は上段の間どころか中段の間にも達せず下段の間止まり。
国王の書を渡す時も、将軍に手渡し出来なかった。

>617氏の言う通り、実際の政治力というより格式、権威という点で朝廷は大事にされていた。
なんてったって「形の上」(だけ)で天皇は将軍の任命者だからな。
単なる清の一辺境領主に過ぎない李氏朝鮮(日本側のカウンターパートは対馬の宗氏)のガキの使いが
朝廷の上になるんだよw
622Uri名無しさん:03/10/18 20:01 ID:IGn4PmLG
>>621
幕府の使節は李氏朝鮮の都のはいることさえ許されなかったが何か?
623        :03/10/18 20:09 ID:bsQNbSAt
>>622
徳川幕府って使節を送ってたっけ?
624 :03/10/18 20:34 ID:g9Ms8ICM
>>622
>幕府の使節は李氏朝鮮の都のはいることさえ許されなかったが何か?

外務省の外交官の代わりに「村役場の観光課」が相手をしただけ。その程度の存在。

行こうと思えば都でもどこでも行けたわけだが。それとも清正や行長は李氏朝鮮の
許可を得て都へ行ったのかい?

625 奸直人:03/10/19 17:24 ID:MsNn4Kwp
>>622
日本の使節は、宗氏の家臣が勤めてた。つまり
     ↓
>清の一辺境領主に過ぎない李氏朝鮮(日本側のカウンターパートは対馬の宗氏)

でしかないということだ。

幕府にとっては、
「将軍、徳川家のご威光にひれ伏す、李氏朝鮮」という記号としての朝鮮通信使は大切だが、
実際の李氏朝鮮との交流はそれほど大事なものではなかったということだな。
626名無し:03/10/23 04:13 ID:uHNFgxR0
「100年前のソウルの写真」は今どこで見られますか?
627  :03/10/23 08:03 ID:60rAgQJX
>>626
ハン板ポータルなら大抵のところで
628 :03/10/23 11:37 ID:Myn4G6Hp
>>620
光圀の朱子学好きが、結局は幕府を滅ばした遠因にもなる。
結果、薩長の田舎侍に天下を取られてしまった。
629 :03/10/23 11:52 ID:BilTymGR
>>628
>光圀の朱子学好きが、結局は幕府を滅ばした遠因にもなる。
>結果、薩長の田舎侍に天下を取られてしまった。

水戸藩自体もゴタゴタ続きになったしね。

630 :03/10/23 12:32 ID:NfXwSalM
つーか光圀もともと尊皇派らしいし(徳川家なのに)。
確かムーがソースだったので怪しいけど(汗
631:03/10/23 18:10 ID:qcy5UgoS
チョン校生は乳出しチョゴリを着るべし。
632  :03/10/23 18:15 ID:60rAgQJX
>>628-629
光圀がああなったのは、実言うと水戸藩が初代から御三家の中で
最も冷遇されていた事による「個人的恨み」に起因しているらしい。
633 :03/10/23 18:22 ID:8mI0G6FZ
大日本史の編纂自体、水戸藩の財政をかなり圧迫したみたいね。
634 :03/10/23 18:34 ID:9uLIO52v
本当は御三家というのは徳川宗家、尾張、紀州のことを指すとか
635 :03/10/23 18:37 ID:gWCVqGns
>>630
徳川家は一応新田氏の一族ということになってるので
そこから南朝びいきになったらしいね。
636 :03/10/23 18:38 ID:BEU10YvP
トリビア
副将軍という役職は存在しない
637_:03/10/23 18:54 ID:3J5uHCjy
>>631
既婚者じゃない限り無理です。
先生なら可能だが…(w
638ERROR:乳出して:03/10/23 19:02 ID:XJgRDMlJ
どっちでもいい,乳出せ。
639 :03/10/23 20:46 ID:BilTymGR
>>634
>本当は御三家というのは徳川宗家、尾張、紀州のことを指すとか

家康・秀忠の考え方はそれで、家光の代から将軍家が別格になって、
水戸家が加わったような。

640
>>632
>光圀がああなったのは、実言うと水戸藩が初代から御三家の中で
>最も冷遇されていた事による「個人的恨み」に起因しているらしい。

光圀は水戸家の次男として生まれた。本来は長男の頼重が家督を次ぐはずな
のだが、頼重誕生時には尾張家にも紀伊家にも男子がなく、次男の光圀が家
督を継ぐことになった。光圀は兄のことを気にかけ、兄・頼重の子を養子にして
水戸家を継がせ、自分の実子を兄の養子として高松藩松平家を継がせた。生
まれながらにして、「正統な後継者とは」と言う命題に直面したことが学問の道
に走るきっかけとなったのではないか。尤も、そこで朱子学に没頭したのは不
幸と言うほかはないが。勿論、幕府に冷遇されたのは指摘の通り。

思いっきり予断だが、子供の頃に見た「水戸黄門」に、高松で藩主に成長した実子
に会う場面があった。