【ハン本】ハン板で半島論の本を出そう!3【出版】

このエントリーをはてなブックマークに追加
607重要
■金時福
 韓国史で最も多忙だったこの十六年間は、日本社会の影響を集中的に受けた時代でもある。
海一つ隔てた日本社会は常に模倣答案のようなもので、韓国人は猛烈にそれを書き写した。
 韓牛増産を目標に牛肉を輸入し、その利益を国内畜産業者に分けるというアイデアは、四年前の
日本の牛増産策をそっくりまねたものであり、坪当たり八十万ウォンもするアパートの分譲価も日本の
アパートの値段や不動産政策をそっくりまねたものである。それだけではない。テレビ番組、化粧品の
種類や包装、ラーメン、ヤクルト、地下商店街、正露丸、ゴキブリとり、ホテルとサウナ、流水プール、
高校生の暴力、新聞の編集とコラム等々。
 既に韓国化したものも真新しいものも、ほとんどが日本を媒介にしたものである。新開発の商品の
品名や形に首をひねる必要はない。あまたの法令集の文章や専門用語に感嘆する必要もない。棒の
ように突っ立っていた歌手がある日突然激しいゼスチャーとともに歌い始めたからといって驚くこともない。
理由は簡単である。日本のそれをまねているのだ。
 癒着の範囲は人間に限らない。社会全体が、目に見えるものも、見えないものも日本の模倣で
蔓延しているのだ。その結果、日本の絆から解放された韓国は、逆説的なことに日本の模倣社会に
なってしまった。
『韓日関係の新たな転換期』韓国日報1981年8月14付
608 :03/09/25 20:05 ID:Ey2TEcEm
■崔慶禄(在日韓国大使)
 自分は韓国を愛するがゆえに親日である。

 私は幸運にも陸軍時代、よい上官に恵まれた。小野少将ばかりではなかった。朝鮮軍司令部の最後の
参謀長であった井原潤次郎中隊長も視野が広く、日韓関係を深く理解しておられた。私も
こういう指揮官になりたいと憧れていた。しかしこれらの人々はすべて亡くなられて今会うことはできない。何としても残念だ。

 戦前の日本人には信頼できる立派な人々が多かった。それに対して現在の日本の政治家は周囲に
気兼ねしてか、正直に本当のことを言う人が皆無に近い。
  私がもし日本の首相だったら、一日でよい。洗いざらい本当のことを発言してみたい。
それでやめさせられたら本望だし、それによって日本国民の目は覚め日本は本来の姿にたちかえるに違いない。

■金潤根
 日本との国交再開と同時に、日本の中小企業が馬山とソウル九老洞の輸出工業団地にどっと移入し、
工場を建設し生産活動を始め、雇用が増大すると共に、各種輸出商品の生産技術や生産管理技術を
見習うことができた。今は漁船の乗り手がいなくなり、衰退してしまったが、一時は韓国の遠洋漁船
九百余隻が世界五大洋に出漁していたものであった。
 これができたのは、日本の商社が中古漁船を延払いで提供してくれたからである。六十年代、韓国の
企業が技術者の訓練を要求すれば日本の企業は喜んで訓練させてくれたものだった。米国の技術よりも、
日本の技術のほうが韓国人には習いやすかった。日本の協力がなかったならば韓国の経済成長は
もっと遅くなっていたであろう。
『5.16と海兵隊』

■崔基鎬(加耶大学客員教授)
 李朝は、人類最大の災いであった。李朝社会の底流にある事大思想、あるいは利己主義、無責任な
不労所得生活などこそ最高の理想とする考え方を検証し、その李朝社会の荒廃ぶりを根本から分析し、
学ぶべきことを学ぶべきであるが、これが韓国人自身には難関なのだ。
609 :03/09/25 20:06 ID:Ey2TEcEm
■戴天仇(中国人)
 清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と南下政策を続けた。もし日本が
北進に努力しなければ、ロシアは必ずや朝鮮を侵略したであろう。腐敗せる朝鮮王室と両斑が
どうして露国を一掃し得たであろうか。故に日本の北進はやむを得なかったのである。日清・日露の
両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の存亡を賭した戦いであった。中国とロシアはともに
世界の大国である。小をもって大を抗す、しかも十倍の大に抗するのである。日本人が気狂いでない限り、
一歩退いて考えざるを得なかっただろう。<前進は生路であり、後退は絶路である>ということを
彼らはよく承知していたのである。
『日本論』1928年

■金鍾学(「韓日文化研究所」文化部長)
 例えば、今日は八月二十九日である。この日がどんな日か、日本の皆さんに解るであろうか。
韓国人にとってこの日は「国恥記念日」なのである。
 今から八十年前の1910年(明治四十三年)八月二十二日、日韓併合条約を調印し、
二十九日公布された。それ以来大韓帝国(日清戦争の日本の勝利で韓国は有史以来、初めて日本に
独立させてもらい帝国の地位を得た)は日本に併合され、消滅した。韓国人にとって悲しむべき屈辱の
日なのである。
 だから韓国人は、日本への怨念を燃やしてやまない。私はそれを残念に思う。日本人は
お詫びしたのでは日韓ともに実りはない。
 愚者は感情でものを考え、賢者は歴史の事実を教訓化する。日本はなぜ韓国を併合し、中国にまで
進出し、あの大戦争を起こすようになったのか。韓国はなぜ日本に併合されるような屈辱を味わわねばならなかったのか。
責任をすべて日本に転嫁したのでは、何の教訓も得られない。韓国の反省、責任もあわせて考えるのが
「国恥記念日」の意味である。

■鄭時東(韓日人協会理事長)
 第二次世界大戦を日本国民は団結してよく戦った。それが契機となってアジア諸国はすべて独立した。
この偉業は将来誰も否定できなくなるであろう。そして注目すべきことは、あれほど戦っていた日本が
敗戦と決まれば、整然と矛を収めたことである。この見事な収拾ぶりは世界の驚きであった。
610 :03/09/25 20:06 ID:fKU0Tf2H
狂韓
611 :03/09/25 20:06 ID:Ey2TEcEm
■崔南善
 昔から春秋に善戦はないといわれているが、今度の戦争(大東亜戦争)を善戦聖戦といわずして
何といえようか。大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに
行くことはなんと快心事であることか。日本国民としての忠誠と朝鮮男児の意気を発揮して一人残らず
出陣することを願う次第である。
『毎日申報』昭和十八年十一月二十日 

■徐英勲(元・韓国放送公社会長) 
 近世以来の受難な歴史の中で、島山先生(韓国独立の父、安昌浩)のような偉大な指導者がいることを
在日の方が知らないことを憂いて、この本を発行しました。
 日本は吉田松陰や福沢諭吉ら先覚者が出て明治維新を成功させて独立を守り抜いた。しかし、
韓国は余りに形式にこだわって改革を進めることができず、国を弱くしてしまった。島山先生は
吉田松陰に似ていて、古い封建体質を改造して国の力を強くしようとしました。責任は私たち自身に
あるのであり、日本を恨む暇があるならば、自らの実力の向上に努めるべきであると島山先生は
訴えていました。
 だから暴力に訴えるとか、日本人を恨むとかはしなかった。お互い、日本、韓国、中国がそれぞれに
立派になって東洋精神を持って世界に貢献しようと、島山先生は訴えておられたのです。
 その島山先生の精神に基づいて、アジアの文明の主人公である私たちが世界のために尽くそうではありませんか。
612 :03/09/25 20:07 ID:Ey2TEcEm
■安重根
日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。そのような
大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論ずることなく、みな心を同じく
して、賛同し服従したのである。
 もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の
心情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情の順序であり、
理に合うものであった。
 快なるかな、壮なるかな。数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで
大破してしまったのである。日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。
だからこのとき韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ。
『東洋平和論』
■クロード・ファーレル
 日本の刺戟により朝鮮は富み且つ沃土と化した。その平野は耕作され、岡には森林が植林されている。
道路と鉄道とは網状に構成され釜山と鎮南浦は申分なく整備せられているのである。
 満州国においても同様な進歩が認められるが満州国は朝鮮の様に国が何処から何処まで
一変したというのではない。朝鮮では日本の開化事業が四十年前に始まり、三十年前に漸く一段落
ついたのであるが、満州国では事業に着手してから、辛うじて七年になるに過ぎない。
 しかしこの七年間に国の災厄であった匪賊を抑え、−この真偽については新京の数名の
フランス宣教師に尋ねて見られるがよい−又他日沃土と化すべき耕作可能地七、八十万方キロの
四分の一を既に開拓したのである。最後に満州国に多い石炭、錫、マンガン、鉛、金、プラチナの
鉱山は既に踏査され、熱心な活動により既に採掘が始められているのである。又奉天には既に
世界最新型の製鉄所がある。
 尚、日本は世界の共同利権を脅かした匪賊を絶滅したのであるから列国は日本の満州国の実権を
握っていることを祝賀せねばならぬのである。
『アジアの悲劇』昭和15年6月15日発行 日光書院刊
613 :03/09/25 20:07 ID:Ey2TEcEm
■孫文
 ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題代弁者だった。
他のアジア諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。白人人種に
できることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。アジアには強い日本が
あるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に
権威をもたらしただけではなく、アジア全民族の地位を高めた。
『三民主義』



220 :k :03/03/16 03:26 ID:xR9LeiKY
■ダデシュカリアニ(アムール州総督官房付)
 朝鮮の都市は、その所在地と外観から見ると、おそらく商業への配慮よりも、戦略的及び行政的展望に
より造られたように見える。都市は商業の中心地からは遠く離れた行政区画の中心地にあり、行き着くのさえ
容易ではなく、大半が壁で取り囲まれた場所に選ばれており、通常の語義の都市と言うより要塞を
思わせる。ある都市にたまたま車道が走っていれば、その1本の車道は広く、比較的真っ直ぐだが、
それ以外は全てが途方もなく狭苦しい、曲がりくねった汚い道である。
 家屋は粘土張りの平屋で、屋根は瓦ないし葦で葺いている。室内の明かりは、油紙で上張りされた四角い
小箱である。家屋は床下から暖房され、焚き口になっている床の隅から別の隅に床下を石筒が這って
おり、そこから煙が排出される。このような暖房装置を備えるため、街頭には常時、煙が漂い、建造物の
外壁は煤けている。
 みすぼらしい茅屋の間に、際だつのは官吏の住宅である。屋敷は7〜9フィートの壁で囲まれ、前面の
庭とその中に建てられた家屋には一族郎党や召使いやが住み、官吏と家族は内側にある庭と住居に
住む。家屋は朝鮮建築と支那建築の折衷で、部屋には格子壁が1面あり、これには採光のために紙が
張ってあるが、都市でも村落でも他と異なるものは全く見かけなず、驚くべき単調さであった。この単調さは
村落と都市の全景にも君臨しており、都市も村落も同じ設計図に基づいて建設され、防壁の施された宿舎と言う観を呈している。
『朝鮮の現況』1885年
614 :03/09/25 20:08 ID:Ey2TEcEm
■クラウディオ・ビッラ(イタリア代表公式カメラマン)
 日韓共催は、はっきり言えば失敗だった。私は両国で仕事をしたが多くの点で違いを感じた。
たとえば競技場近くの表示一つとっても、日本は整然としているが、韓国は大雑把。

 韓両国は「友好を深めアピールした」といっているが、統一感のない共催は、むしろ2ヶ国間の
温度差を伝えるだけに終わった気がする。
 最も残念だったのは審判問題だ。その点で、間違いなく今回、W杯の価値は下がった。
その審判問題に開催国である韓国の試合が多く関係していたのは残念な事だ。
 欧州各国が持つ韓国のイメージは確実に悪くなった。プレー内容も、一般的なほめ言葉である
「スペクタクル」さに欠ける。応酬のクラブは韓国選手を欲しがらないだろう。

 私個人としては日本の単独共催の方が良かったと思う。いずれにしろ、次回06年ドイツ大会では、
この悪いイメージを払拭し、落ちたW杯の価値を高める努力が必要になる。
『東京スポーツ』2002年7月2日

■ウーレ・ウエットラー(ドイツ軍退役将軍)
 純粋に軍事史的見地から調べた結論から言うと、兵士の訓練度、司令官の質、全ての面で日本軍の
優秀さは群を抜いていた。民間人に対する対応も、占領軍であるにも関わらず、実に礼儀に富んだ
ものであった。

 戦争目的(大東亜共栄圏)や敗戦国であるという点から日本軍の残虐行為が強調されるのでしょうが、
純粋に軍事史の具体例として検証した場合、むしろ米軍の方の残虐性が目立つ。