●過去の検証!極悪日本兵、実は朝鮮人だった!●

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573朝まで名無しさん
朝鮮兵は、入営が昭和19年の秋以降にずれ込んだために、本土と朝鮮防衛の部隊に
入り、南方の戦地で死んだ者は日本兵に比して多くはなかった。既に船舶が底をついて、
海外には送り難かったのだ。初めて管理する朝鮮兵の扱いについて陸軍は通達を出し、
細部まで注意事項の厳守を求めている。特に目を引く項目は次の如くである。

一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭を叩いてはいけない。怨みを持って復讐することが気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。

一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の
朝鮮兵を入れて行動せよ。

 朝鮮人は李朝末期以後、神に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたが、ここに来て、
心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後
まで尾を引いている。東南アジアから朝鮮まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人3千5百人が
従事していた。弱者に残虐性を発揮する民族性の故か、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れて
やっていたらしい。敗戦後、個人的怨みで戦犯に問われ、死刑その他の重刑を受けた者が少な
くない。白人こそ報復と復讐の大家だったのだから。
(朝鮮軍司令部1904〜1945 古野直也著 国書刊行会