【軍で】アンジョンファン総合スレッド23【痩身?】

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136Number最新号AHNへのインタビュー
Number最新号AHNへのインタビュー記事全文1(一部略)
作成時刻 : 2003.05.15 13:57:41


聞き手は「五体不満足」でおなじみのOtotake Hirotada


―チームメイトのMoriokaが面白いことを言ってました。
AHN「何ですか?」

―アンジョンファンという選手は、本当はやんちゃ坊主で仕切りたがり屋のくせに、ちっとも自分をだそうとしない。
AHN「チームに来て、まだそれほど時間が経ってないこともあって気持ちをさらけ出すことは難しい。でも人と人との付き合いの中でそんなにあることじゃないでしょう。」

―あなたの場合、環境がそうさせた部分もあるのでは?
AHN「確かにファンの目というものもあるから、自分のやりたいことも満足にできない。そうした中で自分の人格や内面が変わった部分もあるかもしれない。他の人なら普通にやれることを僕にはできないわけですから。」

―ある韓国人ジャーナリストがあなたを誉めていましたよ。彼はたとえ取材者が遅れるようなことがあっても、心配して門の外で待ってくれているような優しい青年だ、と。
AHN「昔の話ですよ(笑)」

137Number最新号AHNへのインタビュー:03/05/16 04:06 ID:4SqAmb3p
―そう、昔の話です。イタリアに渡ってからあなたは変わってしまったという声もある。
AHN「向こうでは悔しい思いをしましたからね。」

―サッカー選手であるはずが、商品としてしか見られなかった。
AHN「サッカー選手である以上、商品として見られるのはある程度仕方がないと思ってます。ただ自分の場合は商品としてのみ視線を浴びていた。」

―自慢のルックスが徒となった部分も。
AHN「あいつなんてサッカーなんて上手くない。顔だけいいんだと言われ落ち込んだ時期もありました。」

―それでも、イタリアで得たものは決して少なくなかった。
AHN「試合に出られない中で、、ここで頑張らなければと自分を奮い立たせる気持ち、ひとつはそれを得ましたね。そして世界のサッカーの流れだとか、世界にはこんな素晴らしい選手がいるんだということを知ることができた。」

―また行きたいと思えます?
AHN「サッカー選手として自分の体力が続く限り成長したい。そのためには世界的なプレイヤーの技術を盗みたいんです。スペインやイングランドに行く。そこでプレイすることは自分を成長させることになる。」

―元々、韓国では異端児扱いされてきた。
AHN「当時、韓国はフィジカル重視するサッカーを目指していたんです。だから僕のように技術でサッカーをする選手は試合に出してもらえなかった。」

―代表では、特に冷遇された。
AHN「それでもプレイスタイルを変えようと思ったことは一度もないですね。試合に出られない時期が続いても、常に思っていたんです。今出ている選手より、自分が出た方が絶対巧くできるのに、と。」

―セリエAに行ったことで、ようやく認められた?
AHN「いや、韓国もW杯前から強豪国と試合することになって、ようやく技術サッカーをしていくべきだと感じ始めたのでしょう。」
―世論がようやく自分に追いついた。
AHN「いえ、考え方の違いです。フィジカルサッカーとテクニックサッカー。両方いっぺんに取り組むのは難しい。そこで自分はテクニックを選んだということです。」
138Number最新号AHNへのインタビュー:03/05/16 04:07 ID:4SqAmb3p
―あなたに最も影響を与えた人は?
AHN「一人に限定できないけれど、影響を与えてくれた人はたくさんいます。」

―では、最も影響をあたえた出来事は?
AHN「うーん・・・・結婚ですね」

―結婚!WCの歓喜でも、イタリアの経験でもなく?
AHN「ええ。イタリアに行って二年目を迎える年に結婚したんですけど、その当時イタリアですごく苦しい時期を味わってました。
でも彼女が一緒だったからこそ頑張れたと思うし、そいうパートナーに巡り会えたのは大きな喜びです。そのおかげで精神的も楽な状態でWCに挑めましたし。」

―指輪を見せてもらっていいですか?
AHN「この指輪はまた別の指輪なんですよ。WCでしていたものではないんです。」

―WCにしていた指輪は家にしまってあるんですか?
AHN「奥さんがネックレスにしています。」

―それは素敵な話ですね。
AHN「まだ結婚前に付き合っている時に買ったカップリングなんですけどね。すごく昔に買った指輪なんで、はめていると擦り減ってしまうのが怖くて、それでネックレスにしました。」

―結婚後は人間的に大きく変わったと聞きますが
AHN「本来はこういう性格ではなかったですからね。韓国にいた頃はよく飲みに行ったりしてました。」
139Number最新号AHNへのインタビュー:03/05/16 04:07 ID:4SqAmb3p
―引退後にやりたいことは?
AHN「サッカー選手の時にはできなかった経験をしたいと思っています。サッカ―スクールを開いて子供にサッカーを教えたり、あとは商売みたいなものもやってみたい。」

―住むのは韓国?
AHN「韓国は周りの人間もうるさいですし、自分を静かにさせてくれないでしょう。だから韓国に住むのはちょっと・・・。でも死を迎えるような時期にはやっぱり韓国に戻ってきたいですね。」

―ただ、韓国人として生まれたことには誇りを持っているのでしょうか?
AHN「まあ、満足はしています。・・・・でも、満足をしている部分としていない部分がありますね。全てに満足しているとは言うことはできない。」

―それはどういうことですか?
AHN「例えば韓国人だから受ける被害だとかに遭った時、自分は韓国人じゃなければなあ、と思う事はありますよ。」

―具体的に言うと?
AHN「差別。ペルージャ時代に受けた。無視されたり、屈辱的な言葉を浴びせられた。・・・・・例をあげればキリがない。」

―そういうことがあったんですね。
AHN「それは韓国人としてというよりもアジア人としてですね。最近では日本人選手も向こうで活躍してますけど、おそらく彼らもそういう経験を味わっているでしょう。」
140Number最新号AHNへのインタビュー:03/05/16 04:08 ID:4SqAmb3p
―結果、韓国人として生まれた自分を恨むようになった
AHN「自分がアジアの人間として生まれたから、この舞台で活躍できないのかなとは考えました。欧州の人間だったら、という考えが生まれたのは事実です」

―ただ、それを国家意識の強い韓国で言ってしまうと問題になるでしょう。
AHN「面白く思わない人は出てくるでしょうね。ただ、だからといって自分の意見を曲げたり隠したりすることをするつもりはありません。
サッカーの分野だけでなく、これから韓国という国が本格的に国際化を果たしていく上で、僕のような人間が発言していくことが重要になってくると思うんです」

―しかし、そういう差別が待ってると分かっていても欧州でプレイしたい?
AHN「そこでサッカーができるなら我慢すべきですね。これからアジアの選手がどんどん欧州に進出し始めれば、そういった差別もなくなっていくと思うんです。それに・・・。」

―それに?
AHN「あのWCイタリア戦でゴールで、自分の中のわだかまりみたいなものを消す事ができたんですよ。」

―アズーリを沈めた、あのゴールで。
AHN「自分が得点して勝ったということよりも、自分の中の何かを消せた。それが大きかった。」


―後書
つい先日のことだった、と清水エスパルスの広報担当者は言う。
「エスパルスで子供たちのサッカースクールをやったんですよ。AHNにも駄目もとで参加を打診したら、ぜひ行きたいと言う。
ただ一つの条件があるというんです。それが何だと思います?スクールが終わってから、子供達と遊ぶ時間を作ってくれと言うんですよ。これには驚きましたね。」
イメージだけが先行しているが、基本的にはサッカー小僧なんですよ、と嬉しそうに話してくれた。