★微笑ましい辛淑玉の言動を生暖かく見守るスレ★

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620名無しさん@3周年
「言いたい放談(辛 淑玉)」1998.7.4付東京新聞

「官」「公」「民」「私」の関係を見事に象徴している放送局「FMわぃわぃ」が、ギャラクシー賞(放送批評懇談会主催)35周年記念賞を受賞した。
この局は阪神・淡路大震災の時に被災者へ情報を伝えるメディアとして、追い詰められた市民が自らの手でミニFMとしてスタートさせた多言語の放送局である。
震災当時、こうのためにあるはずだったメディアは、被災者にはほとんど役に立たなかった。
このとき、民衆は「官」は「公」ではないことを思い出した。
戦後、日本国民は、「官=公」、「民=私」ととらえ、公は官が決めると信じて権限をゆだねてきた。しかし、その「官」は、地震で被災した民衆を置き去りにした。
 かつて「満州国」が崩壊したとき、民衆を置き去りにして、軍人や官僚、その家族が先に逃げた。
 広島に原爆が落ちた日は、すでに、呉の軍港から日本の艦艇が一斉に消えていたともいう。
 官とか放送局の一部の特権者が、情報を占有・操作してしまう姿を見て、「官」は官僚という「私」にすぎない、と学んだ記憶がよみがえったのだ。
 同時に、相互に助け合う「民」こそが「公」であるとも悟った。そして人々は独自の判断で、自分たちのために必要な、自分たちのメディア、「FMわぃわぃ」を立ち上げた。
 今でもそうだが、もし、市民が「放送局を作りたい」などと手を挙げようものなら、政・官の利権を維持するために、行政はチクチクと意地悪をし免許を先送りにする。
 「FMわぃわぃ」は、スタートの翌年、異常とも言えるスピードで、コミュニティーFMの免許を受けた。官僚が頭を下げて放送局の免許を差し出したといってもいい。
 これだけ多くの人に支持されているメディアを、公的に認めないままにしておくことができなくなったのだ。おかげで、ほかの放送局のように腐った天下りが来ることもない。
 阪神・淡路大震災は、官僚とは乖離した私的な存在で、危機的な状況の下では、いの一番で逃げる集団であると、再びみんなに気づかせ、公共放送元年をつくり上げた。
 そして、「FMわぃわぃ」は、本当の「公」が何かを天下に知らしめた。
 息詰まった公共メディアの、唯一、先進的な状況が神戸にはある。
(人材育成コンサルタント)