164 :
@一勝@ ◆rH.S9t2oO2 :
マジな話として
通信使が朝貢団とか決め付けてる人がいるみたいだけど、
当時日本の使節は自由に朝鮮国内を旅行できたわけですか?
首都まで行けなかったと聞いているがどうか。
中国の使節なら自由に首都まで行けた訳でしょ、
この差異は何に基因してるのかな。
165 :
:03/04/22 12:49 ID:4BVdt55J
>>164 >マジな話として
>通信使が朝貢団とか決め付けてる人がいるみたいだけど、
>当時日本の使節は自由に朝鮮国内を旅行できたわけですか?
>首都まで行けなかったと聞いているがどうか。
>中国の使節なら自由に首都まで行けた訳でしょ、
>この差異は何に基因してるのかな。
マジな話として、
日本としては行く必要が無かった。
朝鮮側にしてみれば、唐入りの時の恐怖があったので首都まで入れた
くなかった。両者の利害が一致。
166 :
春厨:03/04/22 12:52 ID:2Y025hjg
>>164 情報統制。
国内向けには、日本を蛮族としていたのに、
威風堂々たる武士集団が朝鮮国内を闊歩されると、
嘘がばれ、労働力である白丁が日本に流出するから。
...あれ?
167 :
(=A=):03/04/22 12:54 ID:7e8AtH5y
半島内の移動が困難なほど治安や道路が悪かったとか思ってしまふ
168 :
@一勝@ ◆rH.S9t2oO2 :03/04/22 12:56 ID:Unw0xdZk
>>165 > 日本としては行く必要が無かった。
> 朝鮮側にしてみれば、唐入りの時の恐怖があったので首都まで入れた
> くなかった。両者の利害が一致。
力関係が
日本>朝鮮
なら、日本人は有無を言わせず自由に朝鮮国内を歩き回れた筈でしょ。
また、中国には名家の女子を献上してたのに、日本人は朝鮮の女子と
交わることも許されなかった。
どう考えても中国対するのと同じような朝貢使節団とは思えないよ。
話が調和的でないもん。
169 :
なんだそれ:03/04/22 12:58 ID:A9nsTok1
女子の献上は、別に朝貢と関係ないんだが。
>>168 君は江戸幕府がどのような対外政策をとっていたのか知らないのか?
当時は鎖国体制だったのだぞ。それを根拠にして言ってるのかい?
171 :
@一勝@ ◆rH.S9t2oO2 :03/04/22 12:59 ID:Unw0xdZk
それに幕府は苦しい財政の中、朝鮮使節団をもてなす為に
莫大な出費をしていたんだよ。
172 :
はいはい:03/04/22 13:00 ID:A9nsTok1
>>171 莫大な出費は、歴代中国皇帝も朝貢使節のためにおこなっていましたよ。
173 :
:03/04/22 13:03 ID:Xax3/o/p
>>171 通信使の第一の目的は敵国視察。
日本に警戒心を持ってるから国内は見せない。
あと、あまりにみすぼらしい国内状況を知られたくなかった
というのもある。
174 :
@一勝@ ◆rH.S9t2oO2 :03/04/22 13:04 ID:Unw0xdZk
>>170 > 当時は鎖国体制だったのだぞ。それを根拠にして言ってるのかい?
鎖国体制??
まだそんなこと言ってまつか?
175 :
:03/04/22 13:07 ID:Xax3/o/p
>>174 幕府が通信使を招くのは、国内的に幕府の威厳を示すため。
朝鮮に行く意味など全く無い。
朝鮮に行って、何を得ることができるのか?
時間の無駄。
176 :
@一勝@ ◆rH.S9t2oO2 :03/04/22 13:12 ID:Unw0xdZk
>>175 そういうことじゃなくて
行けるのに意味が無いから行かない。
のと
許可無く立ち入る事が出来ない。
のとは
大いに意味が異なる(w
177 :
意味は異なるが。:03/04/22 13:15 ID:A9nsTok1
前近代の東アジアの感覚では、
「えらい人ほど、動かない」
なので、日本側が朝鮮国内に入れない(入れてもらえない)ことは、
威信とは何の関係もないんだよ。
178 :
:::::03/04/22 13:15 ID:kXczA2tb
通信使の一方的な往来という事実こそが、朝貢だという動かぬ証拠だ!
179 :
や:03/04/22 13:17 ID:jHR52nGP
>>176まったくそのとうりだよ。
日本=朝鮮に行きたくないから行かない
朝鮮=「貢物をもらって下さい」と来たから、入国を許可した。
何か問題があるか?
180 :
:03/04/22 13:17 ID:4BVdt55J
幕府の役人じゃなくて対馬の役人でしょ、釜山に行ったのは。幕府にし
てみれば、将軍に挨拶に来るのを受け入れた、と言う程度の認識。
181 :
:03/04/22 13:20 ID:4BVdt55J
>>176 >そういうことじゃなくて
>行けるのに意味が無いから行かない。
>のと
>許可無く立ち入る事が出来ない。
>のとは
>大いに意味が異なる(w
日本は、許可が無くたってソウルでもどこでも行けたんだが。
それとも、秀吉軍は朝鮮王朝の許可を得てからソウルを占領したのか。
初耳だ(w
182 :
:03/04/22 13:20 ID:Xax3/o/p
>>176 行こうと思えば、無理やり行けただろ。
侵略ととられただろうが。
ハメルの捕虜奪還の時でも、朝鮮側に一喝してオランダ人を
確保したし、外交力は軍事力だからな。理解しとけ。
183 :
:03/04/22 13:21 ID:bDNd4I6z
今日も痛い奴が居るね。
何度も同じ事ばかり・・・・・朝鮮人て壊れたレコードなの?
184 :
:03/04/22 13:23 ID:+1ne81zm
対等の立場だったら、
普通、交互に行き来するのが常識。
なのに、朝鮮側の一方通行。
いくらかかると思ってるのか。
朝鮮半島→日本の渡航費用。
当時の李氏朝鮮の財政だと、さぞかし苦しかったことだろうね。
そこまでして、日本側に文化を伝えようとしていた理由は?
185 :
@一勝@ ◆rH.S9t2oO2 :03/04/22 13:25 ID:Unw0xdZk
君たちは気合で反論するんだね(W
当時の日本は朝鮮から沢山学ぶものがあったんだよ。
だから朝鮮使節団はいわば文化使節団
それに対して中国は朝鮮から学ぶものなど何も無かった。
だから中国に対しては本当の朝貢団。
幕府は莫大な費用を使ってまでもてなしたそうだ。
186 :
:03/04/22 13:27 ID:Xax3/o/p
187 :
:03/04/22 13:28 ID:4BVdt55J
>>185 >君たちは気合で反論するんだね(W
歴史を歪めてまで反論しているのはキミなんだが(w
文化不毛の国から「文化使節団」ですか...。
188 :
:03/04/22 13:29 ID:+1ne81zm
>>185 相手が李氏朝鮮とは言え、一応外交だから、
もてなすのは当たり前だろうけどな。
しかし、中国への朝貢でヒィヒィいっている李氏朝鮮が、
どうして、日本へも莫大な費用を計上して、
通信史を送ったんだろうねぇ。
その辺の背景を教えてよ。
>>185 様々な”進んだ文化”とやらを伝えていただきありがとうございます。
役に立ったかどうかはともかく、頂いたことは事実だと思います。
わざわざ自費で渡航された方々をもてなすのは日本人として当然のことですよ。
お気遣いなく。
190 :
鞆の浦:03/04/22 13:32 ID:mYqUx8aN
朝鮮通信使てのは、まあスパイだよな。日本の新政権の内情をしるための。
徳川幕府としてはそれを朝貢使のように世間に思わせたんじゃないの。
彼らから何かを学んだという話は聞いた事がないが、朝鮮人参を売ってもらった
という話を聞いた事がある。(ソースはないんだが)
191 :
:03/04/22 13:33 ID:Xax3/o/p
朝鮮の技術レベル
日本の田舎で水車を見て感心し、構造をメモって帰ったものの
結局、水車一つ作れなかった。
しかも、日本に来るたび水車の構造を調べてた。
何度、チャレンジしてもダメ。
192 :
や:03/04/22 13:33 ID:jHR52nGP
誰か、散々ガイシュツのあれ貼ってあげたら。
朝鮮使節団の(電波)日記とか、
東洋のシャンゼリぜ(藁)の写真とか。
193 :
:03/04/22 13:35 ID:4BVdt55J
>>192 リクエストにお応えして
第11次朝鮮通信使節(1763〜1764)の一員だった金仁謙の日本紀行文、
「日東壮遊歌」金仁謙著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 より。
大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば 寂しい限りである」
江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船 にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
京都を見ての妄想
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり帝だ皇だと称し子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって礼節の国いものだ」
194 :
おっ ◆2sPFmNhxrY :03/04/22 13:36 ID:WfFqBsDQ
>185
で、何しに来てたの?
昔は航海も大変だったろうに、命を懸けてまで来る理由が教える為?
教えてもらいたいのであれば、お前等が命掛けて来いてなるのでは?
195 :
:03/04/22 13:41 ID:5X8p2eKL
ご機嫌伺いと、戦力や侵略再開するか否かの偵察のためでは
ないでしょうか。
彼の国、民族は弱い相手には威々高々に接するが
強い国には卑屈までな態度を取るでしょう。
>>194 鑑真とかさ昔から命がけで未開の蛮族に文明
を教えるためにやって来てたのさ。
というのは冗談。
ま、いろいろ勉強してみたら?
さようなら。
198 :
:03/04/22 13:44 ID:AjlCWij8
強制連行されたニダ!!!!!!
199 :
おっ ◆2sPFmNhxrY :03/04/22 13:47 ID:WfFqBsDQ
ありゃ!全部冗談だったのかよ・・・
200 :
:03/04/22 13:48 ID:iDAepCxv
朝鮮通信使は最後の1回は財政難で江戸まで逝けなかったそうな
大変だったんだねぇ、通信使
201 :
はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/04/22 13:49 ID:0T+7YFeQ
202 :
:03/04/22 13:50 ID:iDAepCxv
遣唐使、遣隋使も金かかっただろうな
む、授業終わって戻ってきたらいなくなってる。
で、誰か知ってる方がいたら聞きたいのだけど、
鎖国体制の日本は国交使を海外に派遣していたのでしょうか?
調べても藩ごとの対応が主で、オランダ・中国に関しては長崎での貿易のみとなってる。
江戸幕府直属の国交使が他国と交渉したとの記述が見つからないのですが。
>>202 隋も唐も倭人には甘かったらしいですねえ(w
まあ直接の利害がなかったってことなんだけど。
>>204 おや、コッソリ来たか(w
おまいらの崇拝する西尾幹二先生が「国民の歴史」
のなかで「鎖国体制」という言葉を否定してたよ。
そんなもの無いって、言い切っていたよ、詳しくは著作を読んでくれ。
ま、入試レベルでは「鎖国」という言葉は必要かもしれないけれど・・・
俺は西尾幹二、渡辺昇一、小林義範、のファンでそれしかよ
まないから頭の中が右翼的な偏った考えかもしれないな(w
>>206 こっそり来た言うなw
こちらは授業をしてきのだw
これでも一応教員なので。
「鎖国」という言葉は江戸後期の志筑忠雄の「鎖国論」から来ているのは知っている。
で、その前は「海禁」という言葉で表現されているのは昔調べた。
それであなたの「鎖国は無かった」という根拠を教えてくれまいか?
私としては、
1.特定の国との四口貿易のみだった。
2.一般人の渡航が不可能だった。
3.外国人の特定居住地(長崎出島等)以外での居住禁止。
の時点で十分「鎖国」と言えると思うのだが。
ちと君とは話たいのだが、良い?
こちらも得るものがありそうなので。
208 :
はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/04/22 14:16 ID:0T+7YFeQ
まぁ、それ以前に朝鮮通信使がもたらした文化でも教えてもらいたいもんだ。
唐人をどりを抜きにして(w
209 :
:03/04/22 14:18 ID:kD4H0+e6
日本は出所由来を大切にするから、
朝鮮から伝わった文化、技術ならそれを示す文献があるはずだけど。
朝鮮通信使から伝わった文化、技術の話は聞かないなぁ……。
渡来人から伝わったものは聞いたことあるけど。
江戸期の日本と李氏朝鮮が比肩しうるって考えている時点でダメなんだよねぇ……。
けっきょく、なにひとつ出せず終いか。