【電波】朝鮮人親日派の系譜【厳禁】

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「地上の星」という事になると次の崔星煕という女性こそまさにそれに当たる。

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私は最後に名も無く地位も無い崔星煕孃の事を書かうと思ふ。私が崔孃に初めて會つた
のは昨年十一月二日の夜である。韓國政府の招待でソウルに來て以來、私は毎日人と
會ひ、土産物を買ふ暇が無かつた。韓國は紫水晶が安い。せめて自分のカフス・ボタ
ンでもと思ひ、その夜、ふと思ひ立つて泊つてゐたホテルの地階にあるショッピング・
アーケードまで降りて行つたのである。朴大統領の死後、外出禁止時間は午後十時か
らになつてゐて、私が降りて行つた時は殆どの店が閉つてゐた。が、一つだけ貴金屬
店があいてゐて、そこで店番をしてゐたのが崔星煕孃だつたのである。私がショウケ
イスの中のカフス・ボタンを指差し、崔孃がそれを取出した。値段を訊くと三十八萬
ウォンだといふ。「そんな高い物は買へない」と私が言ふと、彼女はそれより安い品
物を五つ六つ取出し、それを吟味してゐる私にかう尋ねたのである。
「お客樣は日本人なのに、なぜまだソウルにいらつしやるのですか」
「それ、どういふ意味?」
「だつて、大統領が亡くなられてから、北が攻めて來るかも知れないといふ事で、日
本人は殆ど皆歸つてしまひました。成田行の便は滿員で、金浦に着く便はがらがらだ
と聞いてゐます。それなのにお客樣はまだここにゐる……」
 私は、自分の滯在豫定は四日までだし、また自分は朴大統領を尊敬してゐるから、
いづれにせよ國葬が濟むまでは歸らない、まだ死にたくはないが、北が攻めて來たら、
かうして喪章を着けてゐる以上、仕樣がない、朴正煕氏の國民と一緒に逃げ囘るだけ
の事だ、と言つた。すると崔孃は、自分も大統領を尊敬してゐるが、お客樣は大統領
のどういふ所が好きなのか、と訊いた。そこで私は、何よりも不正を嫌ひ、身邊が清
潔だつた事だと答へ、朴正煕氏がいかに質素だつたかについて知つてゐる限りの事を
話したのである。
(つづく)
53 :03/04/08 17:03 ID:NDHV7ieq
すると思ひがけない事が起つた。崔孃がショウケイスの上のカフス・ボタンを一つ
一つ仕舞ひ始めたのである。日本の一流ホテルの宝石店に勤める娘に向つて、外國人
の客が日本の首相の質素な生活を稱へる事はまづ無いであらう。が、萬一それをやつ
たとしても、首相の質素を力説する客に高價なカフス・ボタンは賣り難いと、そんな
事を考へる娘は決してゐないであらう。
 崔孃はカフス・ボタンを仕舞ひ終ると、どの國にも缺點がある、あなたは韓國の缺
點をも見た筈である、それを話してくれといふ。私がそれに何と答へたかは省略する。
が、私が店を出ようとすると彼女が言つた、「あすは國葬で、お店も休みです。でも、
四日の九時半には私はここにゐます。もう一度降りて來て下さい」。
 私は答へた、「四日の午前中は人と會ふ約束があるし、それに歸國する日だから忙
しい。忘れてしまふかも知れない。でも、私は韓國が好きになつたからまた必ずやつ
て來る。その時は、飯でも食ひながらゆつくり話さう」。
 その夜おそく、私は國際電話で長女の危篤を知らされ、翌朝慌しくホテルを發ち歸
國したのだから、崔孃と四日に會ふ事はもとよりできなかつた。そこで今囘、私は文
化公報部行政事務官金俊榮氏に崔孃の事を話し、毎日お偉方に會ふばかりが「文化交
流」ではない、私は崔孃のために一日を割く、つまり「デイト」をする、先方と聯絡
をとつて貰ひたいと頼んだ。金俊榮氏は日本語を流暢に喋らないが誠實で率直な人物
で、やがてその金氏が調べてくれ、私は、昨年十一月の約束を果し、夕食を共にして
語り合ふ事ができた。彼女は老母と弟、妹との四人暮し、弟は高麗大學四年生、大學
院へ進みたがつてをり、妹も大學に通つてゐて、それゆゑ二十八歳の彼女がもう少し
の間家計を支へなければならないといふ。私は少々殘忍な質問をした、「しかし、大
學院を出るには、日本の場合と同じなら、最低五年かかる、弟さんが一人前になつた
時、君は三十三歳、完全に婚期を逸するではないか」。よい人に出會へば結婚すると
彼女は答へたが、それは當てがあつて言つてゐるやうには思へなかつた。
(つづく)
54 :03/04/08 17:06 ID:5KIBm7NB
私は崔孃相手に野暮な話ばかりした。野暮天なのだから、それは致し方が無い。だ
が、昨年十一月と同樣、朴大統領に對する彼女の氣持は少しも變つてゐなかつたので
ある。それを確かめて私はほつとした。そして實際、右顧左眄するお偉方よりも、こ
の名も無く貧しい娘のはうがよほど立派だつたのである。
別れしな崔孃は、自分は月に二日休めるのだが、そちらの都合のよい日に休みをと
つて、今度は韓國の大衆料理を御馳走したいと言つた。私は喜んで承諾し、十一日に
もう一度會ふ約束をした。そして立上り、彼女の家まで送つて行かうと言つた。彼女
は固辭した。委細構はず私はホテルの外へ出た。そこに丁度タクシーが駐つてゐる。
先に乘込まうとする私の背に崔孃が聲を掛けた、「あたしを送つて行くと、歸れなく
なりますよ」。
 私はぎくりとした。時計を見ると十一時、なるほど、彼女を送つて行き、歸りに運
惡く英語も日本語も通じない運轉手にぶつかつたらどうなるか、あちこち引き廻され、
外出禁止時間になつたら大變だ、一度だけだが韓國語しか喋れぬ運轉手の車に乘つて
閉口した事のある私は、咄嗟にそれを思つたのである。よし、それなら運轉手にタク
シー代をと、私が財布を取出すと、彼女は別のタクシーを拾はうとして走り出した。
運轉手も、ホテルのボーイも、怪訝な顏で私を見てゐる。これには參つた。「いいよ、
解つた……」と私が言ふと、彼女は戻つて來てタクシーに乘り込み、手を振りつつ去
つたのである。
(つづく)
55 :03/04/08 17:07 ID:5KIBm7NB
男に奢らせ、男に送つて貰ふ事を、當節の日本の女性は當然と思つてゐるであらう。
崔孃は豐かな暮しをしてゐない。私は女性の服や裝身具について全く無知だが、その
私にも彼女のイアリングが上等でない事くらゐは見て取れた。彼女の月給も大した事
はあるまい。十一日はどうしても私が奢らねばならぬ。
 だが、次に會つて、晝間、國立博物館の陳列品を見て廻り、夕方、武橋洞で燒肉料
理を食べた時、私は見事にしてやられた。委細は省くが、「それはいけない、男が拂
ふのが日本の……」と言ひつつ私が立上つた時、すでに彼女から金を受取つてゐた店
員は韓國語で何か言ふばかりで、どう仕樣も無かつたのである。
 崔孃は女だから、崔連植少將のやうに身命を賭す覺悟なんぞは語らなかつた。無論、
全斗煥中將のやうに命懸けの大事業もやれはしない。が、申相楚、鮮于W兩氏につい
て私は、「この二人の飮兵衞を時に頗る眞劒にならせるもの、それが韓國にあつて日
本に無いものだ」と書いたけれども、それは雀孃にも確かにあつたのである。「カー
附き、家附き、婆拔き」を理想とし、新婚旅行にはハワイくんだりまで出掛ける底拔
けに明るい日本の若い女性と異り、崔孃には何かしら暗い影があり、平生、何かしら
眞劒に考へざるをえぬものがある。そして「よりよく生きる」といふ事を彼女は念じ
てゐる。それは尊敬の對象があるからで、それが朴正煕大統領だつたのである。無論、
よりよい生活を心掛けて果せぬのが人間の常である。が、尊敬の對象がある限り、人
はひたむきに向上を圖るのではないだらうか。賢を見ては齊しからん事を思ふ、とは
さういふ事ではないだらうか。『道義不在の時代』(ダイヤモンド社)

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