【春休み】はじめてのりんりせいけい【すぺさる】17
そもそも北方の異民族が何度も襲撃してきたからこそ長城というものが築かれたわけで。
長城というと秦始皇帝の「万里の長城」を連想するが、それ以前から北方国境に説する
各国は独自に防衛ラインを築いており、それを大々的に再構築して連結させたものが万里
の長城だな(既出のようだが)。とすれば諸侯も当然北方遊牧民の襲撃対象であったわけ
だな。周だけが被害国というわけではないのだよ。
>>836 > まあ蛮族だけど(笑)
ワロタ。
「十戸になっても秦を滅ぼすのは必ず楚」の故事にあやかり、
どんなに旗色が悪くなろうとも朝鮮の捏造を晴らすのは日本、
といきたいものですな。
年代がすでにめちゃくちゃ(w
558 名前:元史学徒 [2003/03/28(金) 14:02 ID:/KFoI4DE]
本スレ
>>835含め、どうでも良い雑学集
春秋期では、蛮族の侵攻という意味では北からの脅威が主だったようです。
*燕は斉桓公に、北の蛮族討伐を依頼していたりします。
西の秦は、蛮族に侵攻もされたでしょうが、逆に彼らを吸収することで勢力の拡大を行ないます。
南の楚は春秋期から「王」を号し中原を脅かしたので、まあ「蛮族のようなもの」という
言い方になるかと。
*南の楚に対しては、斉桓公・晋文公両覇王の時代で「抗楚連合」が組まれ、楚の中原進出を阻んでいます。
戦国期、三晋の中では趙が北に対していました。ただ、趙は撃退する一方で胡族を自国に取り込み国力を伸ばす、
という事も行なっています。
燕が戦国期に名を轟かせたのは、燕昭王代、かの楽毅が斉国をほぼ滅亡状態に追い込んだこと、ぐらいですかね(苦笑
843 :
:03/03/28 14:50 ID:aygFFyKK
まさかとは思うが
北方騎馬民族はウリナラ
とか言い出すんじゃないだろうな
844 :
地球市民@ ◆iAfsEadC/U :03/03/28 14:54 ID:vtKqgdfu
>>842 お節介さんご苦労様。
> 燕が戦国期に名を轟かせたのは、燕昭王代、かの楽毅が斉国をほぼ滅亡状態に追い込んだこと、ぐらいですかね(苦笑
何をおっしゃいます史学徒さん。燕といえば戦国末期、かの
蘇秦を迎え入れた時もほんの少し話題になったではありませんか(w
まじめな話では、始皇帝暗殺の刺客荊軻と太子旦の活躍(?)で
春秋戦国終演の一コマとして日本人にもなじみのあるところ。
私の時代では、漢文の教科書にも載ってたエピソードですな。
諸先生方ご苦労様です。
このスレを読んでいて気が付いたのですが、半島に封建制がなかったので、
周代の古代中国式封建制が理解出来ていないのだと思います。
そこで僭越ながら散々既出な事柄ですが、もう一度私が周と言う国家に付いて説明させて貰います。
中原を支配した周王朝は、
周王朝全体を複数の功臣(部下、幹部)に分け与え、
周本体とその功臣の子孫が支配する諸侯からなる、
周+諸侯+諸侯+諸侯+諸侯+諸侯=周王朝
と言う感じの体制でした。
そして周王朝(全体)の支配域=中原なのですが、
この中原は豊かである為、周王朝に服属しない様々な大小の勢力が略奪を行いました。
侵攻する勢力が小さければ現地の諸侯が対処し、
侵攻する勢力が大きければ周本体が音頭を取って諸侯を取りまとめて対処しました。
しかしある時(伝説では周の後継者問題で、本当の理由は定かではありませんが)、
周本体が何故かあっさり滅んでしまったのです。
勿論このような事態は青天の霹靂でした。
周王朝全体でみれば未だに大勢力ではありましたが、その要が砕かれてしまったのです。
そこで取りあえず諸侯は周本体を再建し、周王朝を維持する事にしたのです。
しかしその周王朝は要が砕かれた所為で、周王朝の質自体が変わってしまった訳です。
こうした状況でしたので、在日氏のご質問に関しても、
勿論周王朝(全体)=各地の諸侯は襲われていますし、
もしかしたら滅んでいた諸侯もあったかもしれません・・・
そしてそのような些事は少なくとも私には分かりません。
なので私はどのような断定も出来ないのです(断定をしたらそれは歴史ではありません)
もしその事がどうしても気になるようでしたら、
ご自分で史記などの文献なり歴史書を調べてみては如何でしょうか?
ですが、今回の要旨にはその襲われた、
もしくは滅びた諸侯は些事であるとの認識をお持ち下さい。
また、蛮族の侵攻に関してですが、
蛮族、蛮族と言いましても千差万別です。
ここでの蛮族は、
周王朝に服属しない存在を周は蛮族と規定している蛮族の事ですので、
周王朝全体とも戦う事が出来るような巨大な蛮族から、
周の諸侯でも対処可能な弱小蛮族まで様々な蛮族が存在しました。
そして周王朝に服属しない非定住の蛮族はその生活手段として、
「略奪」を行う為に周の領域、中原に侵攻する訳です。
勿論蛮族自体も様々な蛮族がおりますので、
武力で略奪をする蛮族もいれば、
そのスピードで周側が対処する前に略奪をする蛮族もいます。
周王朝はこうした様々な、
つまり勢力の大小、侵攻の質など、
本当に様々な蛮族全てに対処しなければならなかったのです。
さてそうした様々な蛮族の侵攻などの危機に対処する為に、
周王朝全体を維持する事が一番合理的だと諸侯達は判断し、
一端滅びた周本体を再建します。
しかし当然のように周本体は諸侯達への影響力は大分低下しました。
そして周本体の弱体化により周王朝全体が不安定化し、
そうした状況に危機感を覚えた諸侯達は、
解決策を模索します。
その解決策その1が覇です。
つまり諸侯の中で最も力も付けた諸侯が、
リーダシップを発揮して「覇」となり、
周王(周本体)を守り諸侯達と一致団結して周王朝全体の様々な危機に対処しました。
これが東周時代から春秋時代です。
諸先生方、散々既出な内容で失礼しました。
851 :
在日:03/03/28 18:26 ID:s5WR2IRX
つまり周とは中枢にあるけど、諸侯も含めて周であった。
じゃあ何度も攻められているのは、諸候であり
申がからんだ時に、初めて中枢の周国家が攻められたと?
852 :
:03/03/28 18:37 ID:aygFFyKK
初めてかどうかわからんけど、それでいいよ。
大事なことは、それで一旦周が滅んでしまったことだ。
853 :
:03/03/28 18:39 ID:OO8vI2AU
>>851 > 諸侯も含めて周であった。
そうです。
ただ周本体は政治的には周王朝の中枢にありましたが、
地理的には周王朝の支配領域の端っこの方にありました。
で、何故周が地理的には端にあったと言うと、
その理由は殷周革命にありますが、些事ですので興味がある場合だけ調べてみて下さい。
> じゃあ何度も攻められているのは、諸候であり
> 申がからんだ時に、初めて中枢の周国家が攻められたと?
何度も攻められているのは、周や諸侯を含めた周王朝です。
断言は出来ませんが、おそらく周も諸侯と同じように攻めれらていたはずです。
・・・断言は致しませんが。
ただここで重要なのは、周王朝の中枢である周本体が滅びた事です。
854 :
在日:03/03/28 18:48 ID:s5WR2IRX
>>853 じゃあ蛮族の進行で、諸候は周の中枢も責められたことを分かっていたのでは?
攻められた諸侯は、当然のように中枢が危ないという叫びが
各諸侯に広まるから。
じゃあ周が滅び以前から、各諸侯は、周の国力低下を承知していたのでは?
そして申と蛮族が中枢に攻めてきた時に、蛮族の攻撃を受けてない
諸候が、欠け付けて蛮族を蹴散らしたと言うこと?
855 :
:03/03/28 18:58 ID:OO8vI2AU
> じゃあ蛮族の進行で、諸候は周の中枢も責められたことを分かっていたのでは?
> 攻められた諸侯は、当然のように中枢が危ないという叫びが
> 各諸侯に広まるから。
どう言った意味でしょうか?
> じゃあ周が滅び以前から、各諸侯は、周の国力低下を承知していたのでは?
その可能性も零ではありませんが、恐らく違います。
因みに蛮族の侵攻は中原全体でほぼ恒常的にありました。
基本的に当時は連絡手段も戦闘手段も徒歩だったのです。
つまり
蛮族に辺境の村が襲われる>連絡が徒歩で行く>諸侯が兵を各地から集める
>集めた兵で現場に向かう>その頃には蛮族は逃げ去った後
これの繰り返しですので、
蛮族に攻められる≠弱体化
蛮族に攻められる=普通
だったのです。
> そして申と蛮族が中枢に攻めてきた時に、蛮族の攻撃を受けてない
> 諸候が、欠け付けて蛮族を蹴散らしたと言うこと?
そうです。
856 :
:03/03/28 19:01 ID:aygFFyKK
857 :
:03/03/28 19:07 ID:OO8vI2AU
>>856 失礼言葉足らずでした。
この時周王は殺され、周(本体)は滅びました。
しかし周王朝全体は健在だったので、この蛮族を排除後周(本体)を再建しました
858 :
:03/03/28 19:08 ID:aygFFyKK
>>857 ああ、在氏に言った言葉なので
気になさらずに
859 :
:03/03/28 19:13 ID:z+/pVaQP
>>854 >諸候が、欠け付けて蛮族を蹴散らしたと言うこと?
諸侯は来なかったみたいです。
結果、周の都は略奪されて、ひどい状態だったらしい。
で、その後、申は周の王(幽王)と、申の娘の子の平王という王を王位につけた。
平王としては、そんなになった都に行ってもしょうがないし、そんなとこにのこのこ
行ったら蛮族にやられるかもしれないので、西の方にあった成周(洛陽)という所
まで行って、そこを新たな都にするのであった。
で、幽王までの周は「東の方に首都がある周」だから、東周と言われ、平王の時代
からは「西の方に首都がある周」で、西周と呼ばれる。
860 :
857:03/03/28 19:14 ID:OO8vI2AU
>>858 ありがとうございます。
NHK
┏━━ ┌━━ ━━┓ ━━┐ ┏━━
エヴァタンキタ━━━━━| ゚ ゚ |━━━| ゚ |━━━| |━━━| 。 |━━━| ゚ 。|━━━━━!!!!!!!!!!
ヽ∀/ | ∀ ヽ /. ∀ | ヽ∀/
861 :
860:03/03/28 19:19 ID:OO8vI2AU
失礼、誤爆しました!
862 :
:03/03/28 19:24 ID:OO8vI2AU
>>859 そうなんですか! ・・・知らなかった。
じゃあ私は間違った事を断言してしまい失礼しましたm(_ _)m
やっぱりここは勉強になります。
863 :
859:03/03/28 19:46 ID:z+/pVaQP
>>862 いえいえ、私もそんなに詳しくはないので。
実際、>859に書いたのも、このスレを見てて幽王の死の前後がなんか
疑問だったので2,3日前に調べたとこだったので、たまたまです・・・。
あとちょっと、訂正・・・
>859
> 申は周の王(幽王)と、申の娘の子の平王
申→申侯
でした、すいません。
864 :
:03/03/28 20:03 ID:aygFFyKK
ちと小休止
褒似は幽王に寵愛されたが決して笑うことがなかった。
あるとき誤って狼煙が上がってしまい諸侯が駆けつけたがそれが誤りだとわかって呆然としました。
それを見た褒似は思わず笑った。幽王は大いに喜び、何度も狼煙を上げさせたので、
しまいには諸侯は愛想をつかして狼煙が上がっても参内することをしなくなった。
造反軍が本当に襲来したので狼煙を上げたが援軍は現れずに幽王は殺され、国都は陥落した。
幽王はオオカミ少年だったわけだ
都が壊れたのも痛いが
王と諸侯との信頼関係が壊れたことが
一番痛かったんじゃないか
561 名前:元史学徒 [2003/03/28(金) 19:09 ID:ZWhI9lXc]
本スレ
>>855へ補足
周代の移動・戦闘手段の中心が徒歩、というのは誤り。
当時の主力は「兵車」と呼ばれる馬に車を牽かせた物。
*当時の中原人の着物の関係で、「騎馬」に乗ることは無かった。
また、当時には既に烽火による連絡体制はあったので、蛮族に対して常に後手であった
訳でもありません。
*周幽王が無闇に烽火を挙げたせいで、肝心な時に諸侯が応じてくれなかった、というのは
(本スレで)前述。
867 :
859:03/03/29 00:16 ID:wgwjMa69
>>865 あ、ほんとだ。
やっぱ付け焼刃じゃ駄目っすね。
逝ってきます・・・
868 :
_:03/03/29 01:26 ID:UsrBSHve
自分は宮城谷昌光氏の小説で春秋時代好きになったんで
このあたりの事件なら「沈黙の王」に収録されてる
「豊饒の門」と「妖異記」を読むと理解しやすいかも。
『周王朝内の実力者のカクの君主が褒ジと結び、正統な王位継承者である後の平王の廃嫡に暗躍して、
晋は内紛で、秦は周に入朝したくて、それに巻き込まれ、
鄭公は周王を守るために虚報でも何度もかけつけて奮戦空しく戦死』
こんな感じ。
869 :
855:03/03/29 08:43 ID:f0gwDW8f
>>866 ・・・そう言えばそうでした。
在日氏へ、混乱を招くような事を書いてごめんなさい。
。゚(゚´Д`゚)゚。ファビヨーン
870 :
:03/03/29 10:20 ID:2V6xUUeR
その昔、周という国家共同体の中心となる国がありました。
長い間に周は自らの腐敗や蛮族の侵攻を受け一度国としての機能を失いました。
周と云う中心がなくなったことによる混乱を嫌った共同体諸国は、
皆で周王朝の皇子を擁護し、非力ながらも周を建て直しました。
何故4行で終わる話を1スレまるまる使っても理解できんのだ…
871 :
在日:03/03/29 11:22 ID:tVoUTX7s
>>855 つまり、周は何度も攻め込まれていたというのは、つまり諸侯も何度も攻められたという事になる。
この何度も攻め込まれていたというのは、周の中枢もだろ?
じゃあ各諸侯内でも、中枢が弱っていく様を知っていたのでは?
なぜなら、諸候も攻められているし、蛮族の強さを自覚しているから
周が危ないという感じになって、周に欠け付けてきた諸候は、周の中枢が
見れるという事になるから。
872 :
:03/03/29 11:24 ID:f0gwDW8f
>>870 おそらく世界観と言うか概念の話ではないでしょうか?
例えば福沢諭吉は当初「Free」が欧州文明の基本である事を認識していましたが、
その「自由」と言う概念が日本になかった為、理解に非常に苦労したそうです。
在日氏の学んできた歴史と我々が学んだ歴史とでは、
根本的に違う事は彼の国の国定教科書を読めば明らかです。
恐らく我々にとり基礎的な概念である上記事項、
例えば「国家共同体」とか「封建制」と言うようなモノが理解出来なかったのだと思います。
このような専門的な話をする場合(高校レベルとは言え歴史は専門です)、
お互いの共通の概念、共通の専門用語が非常に重要です。
つまり、概念の発明、若しくは他文明の概念の移植により、
我々日本人は日本語である程度専門的な話がする事が可能です。
勿論、人間の知的レベルに関しては千差万別です。
ですが思考方法はその国の文化、とりわけ言語体系にかなり依存しています。
現に呉善花氏が仰るには、
専門的な事を思考するのに母国語ではなく日本語で行うとまで言っています。
この事実は我々の先祖、
特に明治大正期の学者、文学者の偉業は幾ら讃えても過ぎる事はないと私は思います。
873 :
855:03/03/29 11:37 ID:f0gwDW8f
ご承知のように私は結構おっちょこちょいで間違えるのでその辺は考慮下さい。
> つまり、周は何度も攻め込まれていたというのは、つまり諸侯も何度も攻められたという事になる。
> この何度も攻め込まれていたというのは、周の中枢もだろ?
はい、断言は出来ませんが、そうです。
> じゃあ各諸侯内でも、中枢が弱っていく様を知っていたのでは?
恐らくNoです。
> なぜなら、諸候も攻められているし、蛮族の強さを自覚しているから
蛮族も強いですが、周もそれなりに強かったのです。
何故なら肥沃な中原を押さえていたからです。
そして中原を支配する存在にとって蛮族に襲われるのは毎度毎度の事なのです。
周以前も周以降2000年以上も中原の国家は常に「蛮族」に狙われ襲われているのです。
例え強くても
中原=豊か=襲われる
のです。
弱っている≠襲われる
強さ弱さは襲われるにはあまり関係ありません。
> 周が危ないという感じになって、周に欠け付けてきた諸候は、周の中枢が
> 見れるという事になるから。
別に内情までは見れないと思いますが・・・
874 :
:03/03/29 11:41 ID:SpwTLAe/
蛮族が攻め続けて次第に弱くなった
という考えをいい加減に捨てろ
周の時代はとにかく長い
お互い攻めたり攻められたりの関係だ
国がきちんと機能していれば
攻められてもすぐに回復するるんだよ
幽王の場合は女にかまけ過ぎて国政をおろそかにしたのが原因だ。
諸侯もそれが原因で次第に国力が衰えていっているのを見ているので
あながち間違いではない。ただそれは外患によるものではない。
内部の国王の問題だ。
875 :
:03/03/29 11:49 ID:gWV7WPSM
>>871 何がわからん?
もう周の次に行っていいか?
876 :
在日:03/03/29 11:51 ID:tVoUTX7s
>>873 周が蛮族に攻め込まれている時、周の中枢も攻め込まれていたのなら
各諸侯が欠け付けた時には、もうすでにいないというのは
ようするに中枢に駆けつけたという事では?
という事は、諸侯は中枢を見ているということになる。
877 :
:03/03/29 11:55 ID:gWV7WPSM
>>876 中枢をどういう風に定義しているかわからん。
街の中に入っただけで、その都市の抱えている問題などがわかるとか
思っているんじゃないだろうな・・・。
878 :
:03/03/29 11:55 ID:SpwTLAe/
>>875 そもそものきっかけが朱子学うんぬんなら
やはり諸子百家の話ははずせないと
と思うが如何
879 :
:03/03/29 11:57 ID:Fw0naFHo
>878
今はその諸子百家の話から大きく遠ざかってると思うんだが
880 :
:03/03/29 11:57 ID:gWV7WPSM
881 :
在日:03/03/29 11:59 ID:tVoUTX7s
だから諸候は知らせを聞いて、中枢に駆けつけてるんだろ?
駆けつけてないのか?
882 :
:03/03/29 12:02 ID:gWV7WPSM
883 :
在日:03/03/29 12:03 ID:tVoUTX7s
だから駆けつけた時には、すでにいないのだろ?
その駆けつけたというのは、中枢にもだろ?
じゃあ中枢の荒れた事情を知っていたのでは?と言う事だ。
884 :
:03/03/29 12:04 ID:gWV7WPSM
知っていたら、どうなると言いたいの?
885 :
:03/03/29 12:06 ID:gWV7WPSM
まあ、諸侯はかけつけていないと
>>859に書いてあるんだけどなw
どちらにせよ、しばらくして諸侯が事実を知ったことは確かだけど。
886 :
在日:03/03/29 12:08 ID:tVoUTX7s
>>885 違う。申とは別だ。申は関係ない。
何度も何度も攻められていた時期の話だ。
その頃から、諸候らは中枢の弱体を知っていたのでは?という事だ。
887 :
:03/03/29 12:11 ID:f0gwDW8f
>>883 徹底的に攻められて滅ぶ寸前まで行けば「荒れた事情」とまではわかりますが、
普段良く攻められている周(全体)にとって、
ちょっと攻められた程度では別にそんな「荒れて」はいませんよ。
ここで皆さんが問題にしているのは、
「周(本体)の腐敗」=周(全体)の防衛行動に支障が生じている、
と言うのであって、
周(本体)が衰退してもう滅亡間際な状態と言う意味ではありません。
888 :
:03/03/29 12:23 ID:gWV7WPSM
弱体していなかったし、政府の内情などを知る手段も難しい。
申のように后を出している国が、何とか知りえるぐらいだろうな。
889 :
:
>>872 丁寧な返答をどうもありがとう。
しかし自分は在日氏の
「理解できないものはあり得ない」
という姿勢が不思議でならないのだ。
およそ教えを請う人間の思考では「あり得ない」のだが…