545 :
前スレ8:03/04/04 22:55 ID:zP2KC4Vl
以下補足。
断っておくと、東北が「植民地」だったかというとそうじゃないと思う。
だけどその扱いが植民地に準じたものであったことは事実だ。
1935年に設立された北日本国語教育連盟は、その設立宣言の中で
「殖民地以外この北日本ほど文化的に置き去りを喰つた地域は外にあるまい」
と自らを準植民地状態にある地域と見做し、その地位向上を目指していた。
この「国語教育」ってのが実は曲者なのな。
長くなるので分ける。
546 :
前スレ8:03/04/04 22:56 ID:zP2KC4Vl
内地での国語教育は植民地教育を逆輸入する形で始まってる。
国語科の成立は小学校令が改正された1900年。1898年の台湾学校令のほうが先行
していた。
台湾での国語教育は日本語の普及を目指したが、内地でのそれは標準語の普及と
方言の矯正という形をとった。
東北地方の標準語教育に大きな影響を与えたのは1909年に出版された伊沢修二著
「視話応用東北発音矯正法」。伊沢はまた台湾の国語伝習所の創設者でもあった。
彼は序文の中で東北の方言を人体における「悪性の腫瘍」とみなし、その治療を訴え
ている。
彼にとっては台湾の土着言語も東北弁も「日本」から排除すべき悪習にすぎなかった。
一方、関西弁の矯正なんてのはほとんど問題にさえなってない。
547 :
前スレ8:03/04/04 23:04 ID:zP2KC4Vl
>>545-546 我ながらまとまりのねーレスだな。
要は列島は大日本帝国期にさえ均質な空間じゃなかったってこった。
548 :
jR:03/04/05 00:20 ID:P789q/91
>>544 >ヤマトタケルは九州や東国を征伐してたような。
>神話だけが天皇制を支えていたわけじゃない。
>大日本帝国はそれぞれの解釈について結構寛容だった。
>彼らを「天皇の赤子」の下にマターリ「国民」としてまとめていたのが天皇制。
国内の統一戦と外征という、後世での意味づけが違う。新羅は無理矢理ねじ込んだような扱いだったし。
それに、神話は重要なファクターだ。
三地域統合の象徴として用いるなら、どうしても再解釈する必要がある。
天皇制が日本列島の「市民宗教」だった事には何の異論もないが、問題は、朝鮮半島や台湾でもそうなる可能性があったか、ということ。
549 :
jR:03/04/05 00:21 ID:P789q/91
>>545-546 >要は列島は大日本帝国期にさえ均質な空間じゃなかったってこった。
元々日本列島に存在したのは水平的な共同体で、空間的には不均等で、極めて漠然としている部分があるのには異論がない。
あえて言うなら、貴族的・エリート的な共同体だろう。
ただ、方言の問題に関して言えば、エスニックな問題とは別問題だと思う。
例えば、沖縄は1920年代の「ソテツ地獄」の際、労働力が出稼ぎの為に大阪なんかに流出して、後にその大阪で、「生活改善運動」という形で琉球方言の是正運動が行われている。
1937年から創刊されていた『大阪球陽新聞』とか『球陽』なんかには、「(沖縄県人に対して)第一に方言は全然廃絶して貰いたい」
「(沖縄県人は)言葉が下手なために大変な損をしている。特に言葉には注意して貰いたい」
「郷に入らば郷に従い、同化してこそ発展飛躍はあると思う」
「風俗、言語、習慣は特に注意して早く同化して貰いたい」
「然るに彼氏(沖縄県出身の実業家)、五十幾才で帰郷家をたてて沖縄人になるそうですヨ」
という沖縄出身の名士層の言葉が載っている。
関西は経済的に豊かな地域だったから、他県への流出は少なかった。
東北も出稼ぎが多かったわけだし、幾分経済的な問題の方だと思われ。
550 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/06 00:04 ID:egFodanS
age
551 :
ショボーン:03/04/06 00:08 ID:QHTbM+XX
半島に生まれて(´・ω・`)
552 :
前スレ8:03/04/06 23:04 ID:8PDsrSmS
>>548-549 沖縄はその共同体の外部にあった。
沖縄で機能したものは半島や台湾でも同じく機能したように思われ。
手短でスマソ
553 :
jR:03/04/07 00:13 ID:gzizmZ2L
>沖縄はその共同体の外部にあった。
>沖縄で機能したものは半島や台湾でも同じく機能したように思われ。
こればっかりは、朝鮮神社の末路を見る限り楽観的には言えない。
問題は靖国神社なんだが、韓国人遺族の態度を見る限り、これも象徴として使うには難しいだろう。
やはり、包摂しようとした共同体の大きさと、その時期の問題があるんじゃないかと思う。
沖縄という比較的小さな共同体が統合されたのは、日本が国民国家を形成しようとしている時期だった。
市民権の共有も比較的早かったし。
それに比べて、朝鮮は比較的大きかったし、併合されたのは日本が<帝国>を形成している時期だった。
<帝国>がそのまま国民国家を形成した例は少ない。
オーストリア・ハンガリー二重帝国で、ドイツ人と完全に平等関係だったマジャール人も、第一次大戦後ハプスブルグ家が来るのを「丁重に」断っている。
オスマン帝国も「オスマン人」をつくれなかったし、ロシアも「ソビエト人」の形成に失敗している。
結局無理だったと考えるのが妥当だと思う。
554 :
jR:03/04/07 00:55 ID:gzizmZ2L
議論が行き詰まってきたなあ。
…仮定に仮定を重ねた想定だから仕方ないか。
反対の議論をした方がいいのかもしれないな。
「何故、韓国や台湾と違って、沖縄で復帰運動が生じたのか?」
暴政があったのは、国民党統治下の台湾も、軍事政権下の韓国も、アメリカ軍政下の沖縄もそうだった。
朝鮮・台湾と沖縄で、何が違ったのだろうか?
555 :
前スレ8:03/04/07 22:13 ID:xZOZCNzg
>>554 了解なのです。
と言っても小熊はお互い読んでるしな。とりあえず別の本からネタ貼っとく。
台湾では日本への復帰運動につながりかねない動きが存在した。
当初解放者として歓迎された国民党の無能と腐敗は、期待が大きかった分台湾人の
大きな失望を招いた。
この辺沖縄がアメリカに向けた素朴な希望と、実態から生じた失望に似ていなくもない。
2・28事件の際には、国民党=中国に対する反発から日の丸を取り出し、日本語で
軍歌を歌いだす台湾人まで現れた。日本のラジオで台湾人を支援する放送が流れた
なんて噂が広まったりもしてる。
それが続かなかった大きな理由はその後の国民党による徹底した弾圧だ。
特に指導的な立場になりうる知識人、有能な人材はことごとく殺されてしまった。
日本は最悪である国民党よりはマシ、と理解されたというほうが正しいだろうし、
知識人階級の抹殺がなければ必ず復帰運動につながったかというと疑問だがな。
556 :
jR:03/04/08 00:29 ID:IMK2qqqa
まあ、台湾島が日本に「返還」される状況なんか、万が一にも起こりそうになかったのは確か。
国民党は「本土(中国)反攻」を叫んでいて、李政権以前は台湾ナショナリズムも弾圧の対象だったわけだし。
それに、黄昭堂によると「台湾人」という意識は、帝国日本の支配を受ける事によって生じたそうだから、「中国人」にも「日本人」にもなりたくないと考えて当然だろう。
北朝鮮は論外として、問題は韓国。
戦前、あれ程勃興してたアジア主義が全く消滅してしまっている。
明治に一進会が日韓合邦を上奏したのも、「東亜」の連帯を意識してのこと。
左派が韓国を軍事政権と罵り、北朝鮮を「地上の楽園」と褒め上げていた様に、右派から何らかのアプローチがあってもおかしくなかった筈だが、特にない。
李承晩政権が反日を掲げ、「親日派」の摘発と弾劾を行っているなら、尚更「親日派」や反李承晩派と日本の右派との間に連絡があったり、或いは何らかの運動があってもおかしくはなかった。
呉善花の本によれば、当時の韓国人は、日本統治時代に対してそんなに拒絶意識があったわけでもないようだ。
しかし、何の動きもなかった。
これはやはり、もう既に韓国ナショナリズムが人々に浸透していた事を意味するんだろうか。
557 :
前スレ8:03/04/08 23:03 ID:ag8/mGq7
>>556 確かに史実として台湾の日本返還はなかったし、復帰運動さえ存在しなかった。
だけどその芽はあった。
徹底的に踏み潰されたがな。
沖縄で復帰論が優勢になるのは1951年以降。
40年代にはアメリカの保護下に独立を目指す動きのほうがむしろ主流だった。
当初解放者として歓迎されたアメリカへの失望と、朝鮮戦争特需を契機に経済的に
復興を遂げつつあった「日本」の求心力が高まったことが背景にあるわけで。
台湾・沖縄の帰属を決定したのは1945年8月までの日本の統治ではなく、それ以降
の経緯のように思われ。
558 :
jR:03/04/08 23:38 ID:0pApZJ0/
>>557 それはどうだろう?
弾圧によって「帰属意識」が消滅するなら、台湾ナショナリズム、つまり台湾独立派の存在がおかしくなる。
中華民国は、台湾の独立を許そうとしなかったわけだし、事実弾圧を行っていた。
台湾原住民すら、その民族的なアイデンティティが認められたのは最近のことだ。
彼らは弾圧では消滅しなかった。
だから、二・二八事件での動きは、国民党への反感に対する「だし」として日本が使われただけで、復帰運動の芽ではないと思う。
559 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/09 23:20 ID:b6KZtUk5
age
560 :
:03/04/09 23:55 ID:3Sq5KgXv
とりあえず、台湾関係でのコピペ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1049375099/ 42 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:03/04/09 22:18 ID:tv7vdrFP
天皇陛下御用米、花蓮で今秋に収穫へ
花蓮県吉安郷(日本時代は吉野村)は日本時代、皇室への御用米「吉野1号」の産
地だったことで有名だが、吉安郷農協は、「吉野1号」の後代である「吉野2号」を育
てている。苗の育成は順調で今年の秋の収穫が楽しみ。
当時、「吉野1号」は囲いをめぐらし、厳重な管理のもとで育てられた。収穫されたあ
とは注意深く袋詰めされ、花蓮港から専用船で日本に送られた。吉安郷は次世代の
「吉野2号」を「皇帝米」のブランドで全国に発売する。「吉野1号」は台湾の在来米と
熊本県菊地の交配種。「台中61号」などの蓬莱米はこの後代。「吉野1号」は終戦
とともに忘れられ、吉安郷は「台粳4号」の地に変貌した。しかし、一部でほそぼそと
「吉野1号」が自家消費用に栽培されていた。
ホッとさせてくれる話だな。
561 :
:03/04/10 02:28 ID:p6X4HTqm
>>556 終戦間際の李承晩は「親日」を上手く使っている。弾圧しているのは政敵が主。
特に軍及び警察関係は「親日」「反共」でまとめている。
それが日本とのクッションの役目をしている。
台湾のように国交断絶が起これば、どうなっていたかダナ >何らかの運動。
>>558 台湾に本来独立意識は無い。有ったのは統治時代の延長の自治意識。
逆に
>>557の帰属への芽(日本への思い)が、台湾ナショナリズムを創ったというべき。
はっきり形作られたのは、日本の中共国交樹立(台湾切捨て)の時というのが妥当。
それまで、「日本に飢えていた」と見るべきだろう。
台湾の戦後処理が沖縄や朝鮮のような状況であったなら、復帰運動は必ずあっただろうし、
当然、復帰、独立論も議論されたはず。
562 :
前スレ8:03/04/10 22:19 ID:6h4FnonF
>>558 2・28事件自体は反国民党運動であって、独立運動でも日本への復帰運動でもない。
だが外来政権である国民党の支配を否定すれば、行き着く先は独立と日本への復帰の
二者択一にしかなりえない。
実際には国民党の弾圧で、どちらも成立しなかった。
1947年の時点ではな。
どちらへ向かうか未定な時期に、日本の統治を評価する動きがあったことの意味は小さく
ないと思うぞ。
563 :
前スレ8:03/04/10 22:21 ID:6h4FnonF
まあ実際のとこ、国民党の弾圧がなかったと仮定しても主流になったのは独立派だと
思うけど。
2・28事件が国民党のDQNさから起きた以上、上の仮定自体ありえねーんだが。
564 :
jR:03/04/11 02:12 ID:7v9mXXmE
>>561 統治機構を担う人材は、日本統治時代に教育を受けている者しか居ないのだから、「親日派」を利用したのは分かる。
ただ、朴春琴なんかは親日派として手配されたりしているし、結局復帰運動は起こらなかった。
沖縄の場合は、大阪在住の沖縄出身者が復帰運動につながる動きを見せている。
朝鮮総連は話にならないけれども、当時流行の共産主義にかぶれなかった民団側に全く動きはなかった。
つまり、既に韓国人意識が芽生えていたんじゃないかと思うんだが。
日本の右派も、それらしき動きを見せなかったし(それどころじゃないか)。
>台湾に本来独立意識は無い。有ったのは統治時代の延長の自治意識。
自治意識の存在というのは、台湾島という領域にナショナリズムを見出している証だと思う。
そうでないなら、平野部の漢族、平野部の台湾原住民、山岳部の台湾原住民で完全にバラバラの意識を持っている筈。
>>562-563 結論としては、国民党の暴政は日本統治時代を懐古させる契機を与えた事は事実だけど、主流は結局独立派、という事かな。
565 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/12 23:12 ID:KD2IScWf
age
566 :
jR:03/04/12 23:46 ID:cVq12HiB
とりあえず、結論としては…。
・大日本帝国がそのまま国民国家になった可能性は、高く見積もれないこと。
沖縄の統合に成功したから、台湾・朝鮮も出来たかもしれない、という推測以上のものはありそうにないこと。
・朝鮮・台湾は、大日本帝国の解体後は、独自の国民国家形成を志向していること。
少なくとも、復帰運動の存在を認める事が出来ない。
つまり残念ながら、大日本帝国は法域・文化圏・ナショナリズムに関して、バラバラだったと考えざるをえないようだ。
戦前の日本は、「属領という重荷」を背負った国民国家という表現の方が適切かもしれない。
567 :
前スレ8:03/04/13 22:42 ID:lxZGBan5
>>566 史実に沿って考えていくとそうなる罠。>台湾の分離
だけどこの場合の史実ってのは当然戦後史も含むわけで、1945年までの統治から
必然的に現在の状況が導かれるわけでもない。
逆にアメリカの軍政に対する失望と、本土の経済復興がなければ沖縄が日本に復帰
したか結構ぁゃιぃ。
568 :
前スレ8:03/04/13 22:45 ID:lxZGBan5
国民国家の枠組みってのは不変のものじゃなくて、分裂や統合を繰り返しながら常に
再定義されていくもののように思われ。
その点今の日本国が持つ均質性と境界の自明さ、これはむしろ特殊な事例だ。
ご時世的にクルド人の独立運動が脚光を浴びてるけど、こゆ国民国家の内部と外部の
境界線上に位置する集団を抱える国家は決して少なくない。
569 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/15 08:28 ID:+DZNPV1G
age
570 :
山崎渉:03/04/19 23:26 ID:6trNHleM
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
571 :
山崎渉:03/04/20 01:35 ID:TLg7OP08
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
572 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/21 01:24 ID:YqSXQgT3
age
573 :
:03/04/21 19:40 ID:Svtd1EjS
ちょっといいかなあ。
法的適応の違いがあれば、それは即「植民地」という
コンセンサスがこのスレでできているみたいだけども。
例をあげると、香港と本土は法的にもかなり違ってきている
わけだよね。
イギリス統治時代と違い移住もきつく制限されているし
送り返される。
であれば今現在の香港は中国の植民地だということでOKなんですか?
大体違う国、民族が住む地域同士が何らかの理由で
くっついた場合に、いきなり法律からなにから同じにしろって
いうのはそもそも無理があるし乱暴だと思う。
そんなことをいうのであれば、地上に在る国はほとんどが、
何処かの植民地になりますよね。
575 :
jR:03/04/21 23:09 ID:eOT76vzn
>>573 >例をあげると、香港と本土は法的にもかなり違ってきているわけだよね。
>イギリス統治時代と違い移住もきつく制限されているし
>送り返される。
>であれば今現在の香港は中国の植民地だということでOKなんですか?
法域の違いがあっても、高度な自治制度であれば、植民地とはみなされないと考えていい。
香港は、英国型のコモンロー体制を維持してる。
基本的人権や財産権なんかも保護される事になってるし、独立した司法制度を持っている。独立関税地域でもあるし、香港特別行政区パスポートの発行を含む出入境管理も行っている。
植民地とは呼べないだろう。
ただ、報道の自由を失いつつあるようだし、いずれ「国内植民地」化する可能性がないわけじゃないが。
>大体違う国、民族が住む地域同士が何らかの理由でくっついた場合に、いきなり法律からなにから同じにしろっていうのはそもそも無理があるし乱暴だと思う。
当然。
>そんなことをいうのであれば、地上に在る国はほとんどが、何処かの植民地になりますよね。
残念ながら、これは肯定出来ない。
最近では、二つの「ネイション」に属する事が可能だし、珍しくない。
つまり、「バスク人」でありながら、「スペイン人」であったり、「ブルターニュ人」でありながら、「フランス人」であったり、「ケベック人」でありながら「カナダ人」であったりする。
日本でも、帰化した朝鮮人は、「朝鮮人」でありながら「日本人」だろう。
「バスク人」や「ブルターニュ人」や「ケベック人」にだけ特別な権利制限があったり、彼らの居住区が、本国とは別個の法域となっていて、彼らによる自治が出来ないのなら、確かに植民地。
勿論、中国支配下のチベットのような例もあるけれども、殆どという表現はあてはまらない。
576 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/23 11:00 ID:iNLIDxuw
age
577 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/24 10:40 ID:WBgfWqt+
age
578 :
:03/04/24 10:46 ID:vsuvXVAk
そんなことより地下鉄サリンの首謀国についてループしてください。
579 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/25 10:28 ID:aNyJW7ER
age
580 :
◆mhVmhVsXuY :03/04/26 10:08 ID:3jGwySHx
age
保守sage
保守sage
保守sage
保守sage
保守sage
保守sage
★女性にも名をつけることを奨め儒教の教えを蔑ろにした。
★近代的デモを教え、それまでの「殺人契」「香徒契」のような両班に対する
財産の奪取、婦女子の強姦の楽しみを無くした。(日本が侵略する以前は三・一
デモのようなものは無かった。)
★皮革産業を普及させ動物を虐待した。
★学校に子供を行かせない家庭を処罰して、貧民からささやかな働き手を奪った。
★「馬鹿と女の文字」ハングルを普及させ、高貴なる漢文を廃れさせた。
★勤労精神を強要し、「餓死しても働かない」両班の誇り高き「有閑精神」を破壊した。
コレ貼ったらSONGさんが怒り出した・・・。
588 :
ううむ:03/05/18 02:53 ID:mbYFAJnH
アゲ
590 :
山崎渉:03/05/28 09:15 ID:QJ5uAWmd
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
591 :
嫌韓派の集会■6月12日■:03/06/06 15:04 ID:eRP809nQ
592 :
===嫌韓派の集会■6月12日■===:03/06/06 17:21 ID:F05ZNuC5
593 :
:03/06/13 17:38 ID:RI9JBWSK
保守
594 :
:
hosyu