■■■「売国奴」野村進、ついに2ちゃん批判■■■

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672週間月曜日
          ちょっとお耳を拝借

 皆さん、野村先生を誤解されてはいけません。
野村先生は確かに、韓国擁護の発言をしばしばなされますが、そん
な事で一々目くじらをたてるのは野暮というものです。
彼は、韓国擁護派の文化人を自認しているるようですが、本人の
意思とは裏腹に、よく筆が滑って、意図する方とは逆方向に文章が
導かれていきます。
今から7年程前、私は、迷著「コリアン世界の旅」を読んで目か
ら鱗が落ちる思いでした。
 はっきり言って、先生に擁護されると、ろくな結果になりません。
 
 皆さんも是非、「コリアン世界の旅」を読まれることをお勧めい
たします。
       以下、「コリアン世界の旅」より抜粋     
673週間月曜日:03/01/10 22:56 ID:r9mm4cwt
     【 第二章・焼肉はどこからきたか〜 】

山田が開発した無煙ロースターを日本で始めて取り入れた店は、
日本でもっとも古くから続いている焼肉店でもあった。その店「食
道園」が大阪に誕生した一九四八年は、大韓民国と朝鮮民主主義人
民共和国が相次いで建国を宣言し、朝鮮半島の南北分断が固定化さ
れてしまった年である。創業者の林光植(後に「江崎光雄」名で帰
化)は戦時中中国で日本軍相手の商売をしていたが、日本の敗戦後、
家族とともに故郷の平壌から漁船の船倉に隠れて、一九四六年に引
かれたばかりの三十八度線を越えて南の仁川へ逃れ、仁川からソウ
ルへ、ソウル蚊ら釜山へ、さらに釜山から日本へと渡ってきた。大
阪の千日前で小さな店を開いた当初、目玉商品にしたのは焼肉では
なく、ふるさとの名物平壌冷麺だった。 (以下続く)

           1/11
674週間月曜日:03/01/10 22:56 ID:r9mm4cwt
「それから二、三年して焼肉の人気が出てきたのは、『かんて
き』をテーブルの上に置いてお客さんが焼きながら食べるようにし
てからなんですわ」林光植の長男で食道園・現社長の江崎正雄によ
れば、食卓の上で肉を焼いて食べるという調理法は、もともと朝鮮
半島にはなかった。「かんてき」つまり七輪に炭火をおこし、網を
載せてその上で肉を焼く、このやり方はあった。
「だけど、テーブルの上にかんてきを置いてお客さんに食べさせ
たのは、まあうちの親父が最初やろうね。こんなんいうたらおこが
ましいかも知らんけど、そういう意味で、ここが『焼肉文化』の発
祥の地なんですわ」 (以下続く)


《勉強になります。先生》2/11
675週間月曜日:03/01/10 22:57 ID:r9mm4cwt
 当時、食道園の常連にわ戦後を代表する二大スターがいた。美空
ひばりと力道山である。「天才少女歌手」で売り出したひばりはま
だ十代だったが、サングラスに大きなマスクで変装し、有名なス
テージママに付き添われてやってきた。力道山の方は、大阪巡業の
間はほとんど入り浸りで、応接間のテレビで自分の出ている番組に
見入ったり、周りに冗談を言って豪快な高笑いを響かせたりしてい
た。在日の間では周知のことだが、美空ひばりは父親が朝鮮人、力
道山は食道園の主人と同じ区、現在の北朝鮮出身の朝鮮人だった。
二人は出自を徹底的に隠して、戦後日本の“国民的英雄”になった
のである。 (以下略)

《本当ですか? 先生 》 3/11
676週間月曜日:03/01/10 22:57 ID:r9mm4cwt
日本の焼肉料理とは何だろうか。純然たる朝鮮料理とおもわれてい
るが、本当にそうなのか。実際にはすでに見てきたように、テーブ
ルの上で肉を焼いて食べるというやり方が始まったのも、タン塩と
いう人気メニューがうまれたのも、朝鮮半島ではなくここ日本の地
でのことなのである。付け加えるなら、ユッケに卵黄を載せて出し
たのも、牛センマイを千切りにして酢醤油で食べさせたのも、日本
でのことと言われている。韓国の焼肉店でもしタン塩が出てきたら、
それは日本から逆輸入されたメニューだと思って間違いない。
韓国で焼肉といえば、普通は「プルコギ」を指す。ハングルで「火
の肉」を意味するこの料理は日本の焼肉とは似て非なるものだ。
韓国では真ん中がこんもり盛り上がった鉄なべに、タレを絡ませた
肉をどっさり載せて焼く。この鍋は誇張すると、スペインのソンブ
レロのような形で、流れ落ちてくる肉汁はソンブレロのつばのとこ
ろで受け、肉を少しつけたり、後でうどんを煮込んだりして食べる。
日本の焼肉よりは、ジンギスカンに近い。(以下続く) 4/11
677週間月曜日:03/01/10 22:58 ID:r9mm4cwt
いま日本にある焼肉のスタイルを作り上げたのは、私は断言してよ
いと思うが、在日韓国、朝鮮人と帰化者たちなのである。食道園の
社長で全国焼肉店経営者協会の会長も務める江崎政雄によれば、全
国二万軒の焼肉店のおよそ九割が在日か帰化者とその子孫の経営で
はないかという。「焼肉文化」というものがあるなら、それはとり
もなおさず朝鮮半島から日本に来て住み着いた人々の文化なのであ
る。たとえば、食道園では従業員たちが平壌出身の先代からよく、
「肉は刺身と同じに扱え」とはっぱを掛けられていた。どうせ焼い
て食べるのだからという発想はしない。素材の良さで売れというの
である。牛肉をさらに並べる時も、刺身の盛り付けと同じくらい気
を配り、にんじん・ピーマン・とうもろこしで彩を添える。アカミ
ノ(心臓の肉)を生姜醤油で刺身のように食べさせる新メニューに
は、「こころざし」というネーミングを考案した。 (以下続く)

《素晴らしいセンスです 》 5/11
678週間月曜日:03/01/10 22:59 ID:r9mm4cwt
こうした刺身のような焼肉料理を、仲居達は和服姿で、掘りごたつ
式の日本間にしずしずと運ぶのである。うがった見方をすれば在日
や帰化者がこの国で生き抜いていくために編み出した適応の仕方を
まさしく体現しているかのようであった。
「だがしかし」と言うべきか、「それゆえに」というべきか、一般
の在日韓国・朝鮮人や帰化者のあいだで焼肉を生業とすることは、
戦後長らく隠すべきこと、恥じるべきこととされてきた。私が取材
した限り、特に在日一世は焼肉屋を経営していても、それを子供に
継がせたくないと考え、まったく無関係の仕事に就くことを望んだ。
店がどんなに忙しくても子供には絶対に手伝わせない、そんな不文
律があった。したがって、焼肉店には三十年、四十年と続いた老舗
がほとんどない。大阪の食道園や東京の清香園は例外中の例外なの
である。 (以下続く)

              6/11
679週間月曜日:03/01/10 22:59 ID:r9mm4cwt
このような行動様式の根底にあるものは、歴史的経緯でみるなら、
飲食業や食肉業を不当に卑しむ朝鮮民族の考え方である。儒教的価
値観の歪んだ表れであろうが、これはいまだに厳然と存在していて、
韓国で調理師といえば、厳しい地域差別の対象となってきた韓国南
西部の全羅道の出身者が圧倒的に多い。
              (中略)
 生肉を包丁で切りながら「こんな『白丁』みたいなことをするよ
うになって」と嘆くのは、さほど珍しい光景ではなかった。
『白丁』とは、朝鮮半島で牛や豚の屠畜に関わり、最下層の「賤
民」として過酷な差別を受けてきた人々のことである。
(以下続く)
> 「こんな『白丁』みたいなことを

《日本人ならさしずめ「こんな『部落民』みたいな・・という意
味合いになりますが、日本では、このようなセリフを吐く人は冷た
い目で見られます。》               7/11
680週間月曜日:03/01/10 23:00 ID:r9mm4cwt
在日同士の結婚の際にも相手が白丁であることが分かったとしたら、
その時点でほとんどが破談になる。全羅身南道生まれのある調理師
に、日本で焼肉店に勤めていることを故郷の家族は知っているのか
と尋ねると、「とんでもない! こんな仕事をしているなんてこと
は、子供にはとても言えません。日本の会社で働いていることにな
っているんです。」と気色ばんだ。
現在でもこうなのだから、過去は推して知るべしである。
            (中略)
今からは想像がつきにくいかもしれないが、在日には日本人のやり
たがらない「ボロ買い」「豚飼い」「土方」といった仕事以外には
生計の道が極端に限られており最底辺での生活の暮らしを余儀なく
されていた。「乞食のように生きてきた彼らは、日本人が食べない
牛の内臓を拾って食べたり、買ったりするようになったという」
(以下続く) ↑
   《こんな事書いて大丈夫なんでしょうか? 》 8/11
681週間月曜日:03/01/10 23:01 ID:r9mm4cwt
焼肉は職業として始められたのでなく、彼らの食生活から始まっ
たものである。つまり食生活から商売に発展した焼肉料理が在日韓
国人の代表的な料理になったのである。」
(中略)
日本人の間に焼き肉が広がっていく出発点が、焼け跡闇市の露天や
掘っ立て小屋にあったことは、ほぼ間違いあるまい。とりわけ「ホ
ルモン」と呼ばれる内臓料理は、当時の日本人の飢えた胃袋に貪欲
に吸い込まれた。
「もともと内臓は捨てるもん、ほうるもん、やったんですわ。ほう
るもんというのが、だんだんつまって『ホルモン』になったんです
わ」よく言われるのがこの「ほうるもん=ホルモン」説で、焼肉業
界関係者の間に広く流布している。これと似た別の説もある。
(以下続く)

        《勉強になります。先生 》 9/11
682週間月曜日:03/01/10 23:01 ID:r9mm4cwt
「戦前、日本人は牛の内臓を食べなかった。ロースや肉を食べるこ
とはあっても内臓は捨てていた。つまり内臓は屠殺場であらかじめ
埋めてしまっていたのである。その当時、韓国人のほとんどは、日
雇い人夫や乞食をしていたが、その中で濁酒を作って商売していた
人が、屠殺場で埋めた内臓を掘り出し、他の家々に分け与えて食べ
たのである。それが発展してついに売り物になった」
              (中略)
それはともあれ、引用文のような話から「掘るもの」がなまって
「ホルモン」になった、つまり「掘るもの=ホルモン』説が生まれ
てくる。この説を信じ込んでいる業界人も多い。しかし、どうやら
双方の説ともこじつけであるらしい。
(以下続く)

         《ふむふむ 》 10/11
683週間月曜日:03/01/10 23:02 ID:r9mm4cwt
神戸山手女子短期大学教授の奥村彪生の調査によれば、「ホルモ
ン」は内分泌物を意味するドイツの医学用語から来たもので、それ
が庶民の間ではもっぱら性ホルモンの意味で浸透し、ホルモンは内
臓から分泌されるから内臓を食べると勢力増強につながるという具
合に結び付けられていった。「ホルモン料理』という言葉は、すで
に昭和十年代には使われていて、その証拠に一九四一年に大阪の
「北極星」という店が「ホルモン煮』なるものを商標登録し、証書に
もちゃんと内臓料理は滋養強壮に良いと記しているのである。
(以下略)

       《勉強になりました 》 11/11