111 :
コピペ:02/07/03 00:51 ID:vbhyTmzl
日本語に「大地」を意味する[na]という語が本当に存したかどうかについては、
学者により異論はありますが、「地震」を意味する古語「なゐ」という語を分析する
ことにより、[na]という語を導き出すことは十分に可能です。「なゐ」は、
古くは「なゐふる」「なゐよる」の形で「地震が起きる」の意味で用いられており、
「ふる」や「よる」は「震る」「揺る」でしょうから、「なゐふる」は「ナヰがふ(震)る」
と解されます。このナヰの意味を推定するとしたら、「大地」しかありません。
こうして「大地」を意味する「なゐ」という古語が導き出せるというのです。
「地震」の意味は後世に語源俗解によって生じたものとして処理します。
112 :
コピペ:02/07/03 00:51 ID:vbhyTmzl
さて、この「なゐ」の語構造ですが、「くもゐ(雲居=雲のこと)」
「たゐ(田居=田んぼのこと)」などとまったく同じ構造ですから、そこから「なゐ」
は「な(大地)+ゐ(居)」であり、上代以前の非常に古い日本語として「大地」を意味する
「な」という語が存在したと推定することが可能になるわけです。
大国主命の別名オホナモチが「大+地(な)+持ち」と分析できることも、
いささか消極的ではありますがこの推測を裏付けてくれます。
113 :
コピペ:02/07/03 00:52 ID:vbhyTmzl
372 :娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :01/11/21 22:55 ID:e2dGukEG
次に、朝鮮語の[na]系の語ですが、『韓国語の歴史』(李基文著)によれば
高句麗語には「土壌」を意味する[nua]という語が存在したことが、
『三国史記』の地名表記から導き出せるのだそうです。この語は新羅語の「世」を
意味する[nu][nuri]中世朝鮮語の「国」を意味する[narah]
南方ツングース諸語の「地」を意味する[na]、そして日本語の[na]
と相互に関連付けられると李氏は主張するのですが、新羅語については意味的に
相違が大きいのでしばらくおくとしても、他の言語のものに関しては、
意味的にも音韻的にも非常によく似ていると言ってよいでしょう。
将来、日本語と朝鮮語やツングース諸語との間に言語的な系統関係を
云々する必要が生じた際には、本例は有力な証拠となることは間違いありません。
114 :
コピペ:02/07/03 00:52 ID:vbhyTmzl
しかし、だからと言って「奈良」の語源が朝鮮語の[nara]であると
主張するのは無理があり過ぎでしょう。半島のことばが日本の奈良の語源に
なるためには、遅くとも7世紀には[nara]という語が半島に存在した
ことを証明しなくてはなりませんが、前述のように、高句麗語は[nua]、
新羅語は[nu][nuri]であって[nara]には程遠いのです。しかも、
現代朝鮮語の[nara]にしても中世には[narah]と余計な語末の子音
[-h]が付いていたのですから、奈良と発音がまったく同じとは言えないのです。
115 :
コピペ:02/07/03 00:53 ID:vbhyTmzl
仮に百歩譲って[narah]が7世紀の日本語の中に入ってきたとしても、
当時の日本語には[h]という子音が存在しませんでしたので、このままの形では
受け入れることができなかったことは確実です。日本人は中国語の[h]を
受け入れる際に発音の近い[k]または[g]で受け入れています
(好hau→カウ、河ha→ガ)ので、[h]はとりあえず[k]で受け
入れるとして、音節末が子音で終わるのは当時の日本語としては甚だ具合が
悪いので、高句麗語の「鉛」を意味する[nam∂r]という語が日本語では
[namari]、同じく「谷」を意味する[tan]という語が日本語では
[tani]となっているように、語末に母音[i]が付加され、[narah]
は最終的には[naraki]のような形になったと推定されます。
これではどうしようもないですね。
116 :
コピペ:02/07/03 00:54 ID:vbhyTmzl
あ。上の「ナマリ(鉛)」や「タニ(谷)」について、私は別に高句麗語から
の借用語であると考えているわけではありませんので。日本語と高句麗語が
言語的に近い関係にあることは、以下に示す数詞との比較からも十分に窺えます。
日本語 高句麗語 朝鮮語
1 pito ーー hana
2 puta ーー tuwul
3 mi mil seis
4 yo ーー neis
5 itu utu tases
6 mu ーー yesse
7 nana nanun ilgop
8 ya ーー yedal
9 kokono ーー ahop
10 towo tek yel
117 :
コピペ:02/07/03 00:55 ID:vbhyTmzl
何せ高句麗語の資料が乏しいものですから比較できるのは4語だけですが、
それでも私の言わんとするところはおわかり頂けるでしょう。結局、上記の語は、
数詞とともに両者が言語的に極めて近い関係にあることを示す格好の
例であるというのが私の考えです。
118 :
コピペ:02/07/03 00:57 ID:vbhyTmzl
ついでに、中世朝鮮語の[narah]の成立について、専門外ではありますが、
ひとこと。本語については、李基文氏は[-rah]を接尾辞と認定しておられますので、
[na]が語の中心部分であることは間違いのないところでしょう。
問題は、この[na]がどの言語に由来する語なのかですが、ご存知の通り、
半島を最初に統一したのは新羅ですから、一番の候補は新羅語ということになります。
119 :
コピペ:02/07/03 00:57 ID:vbhyTmzl
しかしながら、残念なことに新羅語の「土壌」乃至「国」を意味する語は不明ですので、
それを立証することはできません。ただ、新羅の次の王朝である高麗が、建国の際に
高句麗の故地である開京に都を置いた関係で、新羅語の中にある程度高句麗語の
語彙が流れ込んだという事実を考慮に入れると、[narah]は高句麗語の[nua]に
接尾辞[-rah]が付き、母音調和の関係で母音[-u-]が脱落して生まれた語で
ある可能性もあるのではないかと思います。もしこの推測が成り立つとすれば、
[narah]という語自体を7世紀にまで遡らせることはできなくなりますので、
当然奈良の語源となることも不可能ということになりますね。
さてさて、真実は那辺にありや。
120 :
松田つД`)カーン様MVP:02/07/03 01:01 ID:yZ5tAshY
ところで、最近来日した韓国アイドル「チャン・ナ・ラ」(JNR)は関係ないの?
121 :
現代韓国語の起源が日本とか:02/07/03 01:03 ID:k7NwnM3F
ミ,,゚Д゚彡y━~~ 確か、韓国の古代後の発音って分かって無いんだよね。
122 :
:02/07/03 01:05 ID:r/r9YsVj
チョン・ナ・ラ
123 :
:02/07/03 01:05 ID:wEZye72P
「ナラ」って日本語の「おなら」から来てるんじゃないの?
124 :
:02/07/03 02:16 ID:iwShz4Eo
>>94-119 ごくろーさん・・
まさに「完膚なきまで」というやつですな。
つーかオカルト論破する物理学者のような(w
125 :
蝿皇子:02/07/03 02:17 ID:06foKtjX
>>89 すると、大和盆地にはかつて中央に大きな湖があったことと関連があるカモ?
126 :
:02/07/03 12:47 ID:lXes5pcb
>>80 それは都から東国へと「下るまでもない」
転じてくだらない
127 :
コピペ:02/07/03 15:43 ID:SQcRkVhZ
86 名前: 旭日 投稿日: 2001/06/19(火) 23:06 ID:kDulD0Mk
>>80 その説は、わたしもきいたことがある。クンナラ(大きい国)=くだら。ナラは都市とか国の意。ウリナラとかね。だから百済でないものはくだらんとこうなるのだけど、その説はまったく、くだらん。
正しいのは>81
>>82もいってるけど江戸は海岸の埋め立て地がおおいため井戸水に塩分がまじり、いい酒ができなかった。そこで京、大阪の上方から酒を送った。いいのをくだり酒=くだる
とこうなった。
128 :
コピペ:02/07/03 15:43 ID:SQcRkVhZ
93 名前: 娜々志娑无 投稿日: 2001/06/20(水) 00:48 ID:MuIjFRyo
旭日さんその他の皆さんには大変申し訳ないのですが、その説は俗説で
あって、正しい語源説とは言いかねます。
理由その1:「下らぬ」という表現は既に室町時代末期から使用されており、
江戸とは関係ない。
理由その2:「下らぬ」は当初は「わけがわからない」「意味がわからない」と
いう意味で使用されていて、「ばからしい」「取るに足りない」の意味で使用さ
れるようになったのは江戸時代も末期になってから。
で、現在の通説は、「下る」にもともと「文意が通じる」という意味があり、
それを打ち消して「意味がわからない」の意味になり、そこから更に「ばからし
い」という意味に転じた、であります。酒の「下る」「下らぬ」説は私も聞いた
ことがあり、大学の頃まではそう信じてました。語源説として確かによくできて
はいると思いますが、所詮は語源俗解(フォルクス・エティモロギー)ということ
のようで(^^;。
129 :
コピペ:02/07/03 15:45 ID:SQcRkVhZ
100 名前: あはは 投稿日: 2001/06/20(水) 08:51 ID:/nzkFJDM
くだる、くだらぬって、基礎的で古い言葉ですよね。
くだる【下る、降る】
1。雨が降る 2。時が過ぎる 3。世が移る 4。都から地方へ行く
5。降伏する、降参する 6。劣る、低級になる 7。低い、低くなる
8。さがる、下付される 9。へりくだる、謙遜する
日本人の上下高低の倫理基準から言うと、あまり良い意味はありませんよね。
つまり「くだる」ことはあまり良いことでは無い。
そうすると、「くだらない」ことは良いこと、良いものですよね。
ところが、現代では「くだらない」は取るに足らない、つまらないこと、
ものですよね。そうなると意味が何処かで変化したと考えるのが普通ですよね。
「くだる」が取るに足る、高級、良いもので「くだらない」が取るに足ら無い、
低級、悪いものに変わったんですよね。
「くだる」こと、ものが良いものに変わった時期、現象があったのでは無いかな?
【くだり諸白】上方から来た上等の酒
【くだり杯】 上方産の安物の杯――下ったものでも、安物もあったようですね。
130 :
コピペ:02/07/03 15:45 ID:SQcRkVhZ
101 名前: あはは 投稿日: 2001/06/20(水) 09:08 ID:/nzkFJDM
詰まるところ、古語の「くだる」も現代語の「くだらない」も
同じような意味になっちゃいますよね。
ところが、「ホンのくだらぬものですが」とはいうが「ホンのくだる
ものですが」とは言わなかった。(言ったかもしれない。)
「くだる」を「くだらぬ」で表現するのは、葦をヨシ、梨をアリの実と言う
くだるものが高級であるが故の「洒落(しゃれ)」ですよね。
そうして、その洒落が通じるための共通認識があった筈です。
131 :
コピペ:02/07/03 15:46 ID:SQcRkVhZ
102 名前: あはは 投稿日: 2001/06/20(水) 09:44 ID:/nzkFJDM
ところで、詰まる、詰まらないも同じような関係ですよね。
【つまる】
1.窮する
2.(打消し、反語を伴って)無駄だ、損だ、良いことは無い、面白くない。
本来、詰まるものと言うべき時に、つまらぬ物という明らかな矛盾を許す何か
、共通認識があったのではないでしょうか。
打消し、反語を伴った形を1歩進めた高度な用法、「詰まるものかは。」いや
「詰まらぬもの」と洒落で、変化したのかもしれません。
単に反対語と捉えるのではなく、むしろ反語に近い用法と見るべきでは
ないでしょうか?
132 :
コピペ:02/07/03 15:46 ID:SQcRkVhZ
103 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/20(水) 10:52 ID:o4dIjVhw
もしかして漢文を訓読して読み下し文にするとき、意味が通じてないものを「下らない」と言ったのかな?
133 :
コピペ:02/07/03 15:47 ID:SQcRkVhZ
108 名前: 娜々志娑无 投稿日: 2001/06/20(水) 21:34 ID:ntlWItmo
>>103 それが実情に近いようです。文意の通じる文章であれば、目は自然に「下る」
けれど、文意の通じない文章は、前後を行きつ戻りつして中々「下らない」こと
になりますからね。あははさんの
>>100から
>>101にかけてのお話は、語義や用法
の時代的変遷ということを無視した論であり、専門家の目から見れば乱暴この上
ない意見と言わざるを得ません。
>>102の「つまる」「つまらない」の論も同じです。「つまる」は本来「人や物が
空間の中で動けなくなる状態、行動や思考が行き詰まる状態」をいう語で、そこから
「物事や思考の動きが止まる→決着する・納得する」という意味も生じたのです。
それを打ち消したのが「つまらない」で、「納得できない」というところから「面白
くない、下らない」という意味になったというのが真相です。
134 :
コピペ:02/07/03 15:48 ID:SQcRkVhZ
ただ、あははさんの名誉のために付け加えると、日本語の打ち消しの中には反語
に近い用法も存在することは事実です。一般には「強意」と説明することが多いで
すが、意味的には似たようなものですからね。以下の語がそれに該当します。
おぼろけならず(=おぼろけ)、なのめならず(=なのめ)、とんでもない
(=とんだ)、滅相もない(=滅相な)
※「とんでもない」については「途でもない」から来たとの説もあります。
135 :
コピペ:02/07/03 15:48 ID:SQcRkVhZ
151 名前: あはは 投稿日: 2001/07/01(日) 07:24 ID:gShOVfvc
時間が経ってしまいましたが、今一度、乱暴な意見を提示させてください。
漢文読み下し論で行くと、「読み下せる」「下せない」が倫理基準となります。
「下せない」ものが悪いのだという倫理は「酸っぱい葡萄」であり、日本人、
アジア人の倫理としての、「高嶺の花」と著しく異なります。
152 名前: あはは 投稿日: 2001/07/01(日) 07:28 ID:gShOVfvc
続き
また、「下す」と「下る」には、本質的な差異がるのではないでしょうか?
そして、「下す」は「下らない」にはなり得ないのではないかな?
136 :
コピペ:02/07/03 15:49 ID:SQcRkVhZ
154 名前: 娜々志娑无 投稿日: 2001/07/01(日) 10:35 ID:WtIrK8uI
>>151あははさん
まず、「くだり」に「(縦書きにされた)文章」という意味があることを押さえ
て下さい。文章は何も読むだけのものではありません。当然書くものでもあるので
す。「酸っぱい葡萄」の心理が日本人〜アジア人の倫理と相反するものなのかどう
かは私は知りませんが、文章をすらすらと読んだり書けなかったりしていらつくこ
とは、誰しも経験のあることではないでしょうか。
137 :
コピペ:02/07/03 15:49 ID:SQcRkVhZ
歴史的に見ると、1400年頃成立の世阿弥著『風姿花伝』に、「さのみに細か
なる風体を尽くさずとも、大方の掛りすぐに下りたらんが、指し寄り花々とあるや
うに、脇の猿楽をば書くべし(あまり細かい芸の数々を色々やらなくても、大体の
風趣が素直にすらすらと理解でき、最初の部分がぱっと見物衆の目を引くように、
脇の能を書くべきだ)」とあるのが「すらすらと読み書きできる」意味での文献初
出例のようです。ちょっとわかりにくいかも知れませんので、別の用例を示せば、
1450年頃成立の『正徹物語』という歌学書に、「歌はうち詠むるに何となく詞
続きも歌めき、吟の下りて理を詰めず、幽にも優しくもあるが良き歌なり」とあり
ます。これは明らかに「すらすらと読み書きできる」意味です。
138 :
コピペ:02/07/03 15:50 ID:SQcRkVhZ
以上の例を見る限り、少なくとも15世紀の段階ですらすらと読み書きできるさ
まを「下る」と表現したことは明らかです。それを打ち消したのが「下らぬ」で、
「六、七字理ガ下ラヌゾ。字ガチガウタカ。」(『詩学大成抄』1570年頃)、
「Cono qiono guiriga cudaranu,l,qicoyenu.(この経の義理が下らぬ,また,聞えぬ)
この経・書物の道理,あるいは,ことをわけて述べた事柄がわからない.」(『日葡
辞書』1604年)あたりが古例となります。
ついでに言えば、「下す」にも、文章のわかりにくい部分に注などを施すことに
よって、具体的に自分の解釈を明らかにするという意味があります。用例は「旧史
ヲ補テ新意ヲ下テ注シタホドニ、小司馬史記ト云ゾ」(『史記抄』1477年)や
「説法ヲモセズ、一言モ下ヌ先ニ学者ヲ会得サスルヤウニ接セラレウズトナリ」
(『江湖抄』1633年刊)など。
139 :
コピペ:02/07/03 15:50 ID:SQcRkVhZ
157 名前: あはは 投稿日: 2001/07/03(火) 16:22 ID:KEjOihGw
スレ違いにて皆々様には御迷惑掛け候儀、平にご容赦。
「あまり細かい芸の数々を色々やらなくても、大体の風趣が素直にすらすらと
理解でき、最初の部分がぱっと見物衆の目を引くように、脇の能を書くべきだ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あまり細かい芸の数々を色々やらなくても、(その場合)大体の風趣が素直に
すらすらとは判らないが、最初の部分がぱっと見物衆の目を引くように、脇の
能を書くべきだ。」
時代に特出した能力を持った世阿弥なら、これくらいの割り切りで表現しそう
にも思えます。多少不遜にも見えますが、むしろ、世阿弥らしい。
また、「吟の下りて・・・・」は「歌い終わった後、あれはこうだ、これはあれ
だねと言わずに趣が心地良いのが良い歌だ。」と解釈しても、良いのでは?
ありがとうございました。非常に勉強になりました。深追いの無礼お許し下さい。
140 :
コピペ:02/07/03 15:50 ID:SQcRkVhZ
158 名前: 娜々志娑无 投稿日: 2001/07/03(火) 17:30 ID:V5SFSwSA
>>157 脱線ついでにあと1回だけ脱線させて下さい。>おおる
>あははさん
『風姿花伝』(第六・花修)の引用文の直前の下り(笑)をお読み下さい。
能の本を書くこと、この道の命なり。極めたる才学の力なけれども、ただ匠により
て、よき能にはなるものなり。大方の風体、序破急の段に見えたり。殊更、脇の猿楽、
本説正しくて、開口より「そのいはれ」と、やがて人の知る如くならんずる来歴を書
くべし。(以下、
>>154の用例が続く)
↓
能の台本を書くことは、この猿楽の道の生命である。最高の学識の力はなくても、
ただ工夫次第でよい能になるものである。大体の芸の数々については、序破急の段に
書いてある。特に、脇能は、根拠となる説話が正しくて、発端から「ああ、あのこと
か」とすぐに見物人がわかるような筋のものを書くべきである。
141 :
コピペ:02/07/03 15:51 ID:SQcRkVhZ
脇能というのはめでたい気分を演出することを第一とする能(『高砂』とか『鶴亀』
とかがこれに相当)です。だからこそ世阿弥は、脇能で奇をてらっては駄目だ、誰も
がよく知っている素材をむしろ積極的に利用して、内容はわかりやすく、かつ出出し
は華やかで目を引くように作るべきだと主張しているわけです。文脈から考えても、
あははさんのように解釈するのは難しいと思いませんか。
>深追いの無礼お許し下さい。
いえいえ。それもこれも学問(学び問い、問い学ぶ)の道ですから。
142 :
^^:02/07/04 14:59 ID:ikBSr3Bv
age
143 :
:02/07/07 19:30 ID:DwHjg6lm
夏に向けて必要
144 :
:02/07/07 19:34 ID:3kcDZP/H
チョンコの言い草 はききあきた
145 :
:02/07/07 19:37 ID:XMrO/dOn
ところで、ナラ以外のデムパは無いのか?
147 :
:02/07/08 06:26 ID:eehFATV7
148 :
定期:02/07/09 23:30 ID:OVD99SRk
保全
149 :
:02/07/12 00:54 ID:BcGiS4Yq
保全しる
150 :
:02/07/12 01:14 ID:EVm9zMdx
ウリナラは、
「売り」「ナラ=国」で、
売国の事?
151 :
:02/07/12 01:15 ID:7T5SCp/A
このネタ去年も無かった?
152 :
国子:02/07/12 01:19 ID:XYviQdXw
奈良を奈良と決めた当時は なら てよんだか?
153 :
全 考弓:02/07/12 01:27 ID:/lqQm+77
奈良仏教の僧侶の大半は半島出身なのは定説なんだが
154 :
はぽねす:02/07/12 01:29 ID:M7+oUR41
韓国人は鑑真和尚ってどこの人だかしらんだろうなぁ……。
155 :
はぽねす:02/07/12 01:31 ID:M7+oUR41
っつーか、故郷を懐かしんでなら故郷の名前をつけるだろ。たとえばニューヨークとかさ。
「国」なんて呼ばないよ(w
156 :
:02/07/12 01:40 ID:zvTRuisX
イタリアのスペイン広場をして「古代ローマはスペイン人の文明だった」とは言わんな。
157 :
:02/07/12 01:41 ID:jLxx+myq
奈良仏教の僧侶は、その多くが「帰化系氏族」の出身ということ。
それは半島系を意味するものではないし、まして新羅人ということではないです。
158 :
:02/07/12 01:44 ID:BcGiS4Yq
159 :
コピペ:02/07/12 02:25 ID:zC/RrScn
>>158 無駄な6年間でしたな。いとあはれ(;/\;)
このお方、どうやら音義説の信奉者みたいですね。音義説とは、一つの音に
一つの意味があるという説で、江戸時代に生まれた学説です。音義説を唱える
学者は数あれど、その主張は大抵ばらばらなんですよね。
音義説のおかしな点はちょっと考えてみればわかることです。古代日本語には
現代日本語に比べて一音節名詞が多数存在しました。例えば「あ」という一音節
名詞でしたら「あ(足)」「あ(畦)」「あ(我)」がありますが、この3語に共通する意味
なんてあります? 「か」なら「か(彼)」「か(蚊)」「か(処)」くらいでしょうか。共通
する意味なんてありそうにないですよね。このおっさんに対しては、あと60年くらい
がんがれ、としか言いようがないですな。それくらいがんがれば、「し(死)」が
すべてを解決してくれるでせう。