『大きな魚』
「だから、捕ってもいいでしょ?」
いつもは静謐を旨とするニホンちゃんが珍しく懸命に熱弁を振るっています。
今日はエリザベス家のロンドンルームで地球組の有志を呼んでの相談会なのです。
「ふん、ニホンは野蛮ダス。魚食いはこれだから生臭くて嫌いダス」
「ひ、ひどいよぉ……」
「おらはまだニッテイの恨みは忘れてないダス。黄色いサルごときがおらたち白の領地に侵入するなんて生意気ダス」
「そ、そんな昔のこと持ち出されても……」
理性的に主張するニホンちゃんに対し、白豪主義の伝統が未だ色濃く残るオージー君はひたすら感情的です。
一体どうしたのだしょうか?
事はちょっと前に遡ります。
その頃町内の池ではある魚の数がとても減っていました。
それでその魚を捕っていた主な家庭が集まり、絶滅してしまわないよう調整しようと相談を始めたのです。
しかしいつの間にか釣りに興味のない家までが何故か参加し始め、調整の話し合いのはずが全面禁止へとすり替わってしまっていたのでした。
「で、でも近頃はあの大きな魚は増えすぎて困ってるんだよ? この前も池から飛び出して地面に落ちていたよ。それに池の小魚が沢山大きな魚に食べられちゃって、町内の魚全体が少なくなっちゃってるよ」
「そんなの知りませんわ。私は反対だから反対だと申しているだけです」
なんといつもは仲がいいエリザベスちゃんまでニホンちゃんの敵に廻ってしまっています。
「エリザベスちゃんまでそんな……で、でもエリザベスちゃんの家やアメリー君の家だって昔は……」
「だからそれを反省して保護しているのですわ」
「そんなのずるいよぅ……」
実はニホンちゃんの指摘は当たっています。
大きな魚の数が減ったのは、大きな魚の脂をほしがったエリザベスちゃんたちEU班とアメリー家の乱獲がそもそもの大原因だったのです。
その後、釣りの趣味を無くし魚油を使わなくなった彼女たちは、自分たちの過失を一斉に町内全部に負担させたのです。
スゴくずるいのですが、EU班は町内でも権力者が多いのでほとんどの家が逆らえません。
「みんなの言うとおりニダ! ニホンは謝罪と……」
「カンコ、てめぇは黙ってるアル」
「は、はいニダ……」
チューゴ君は傍観の構え。
そして我らがカンコ君はいつもながらチューゴ家に従順な同調をしています。
残念ながら今回は出番が無さそうですね。
何故っていつも通り「ウリには大きな魚釣り半万年の歴史が……」なんて言ったら袋叩きに遭うのは明白だからです。
さて現在大きな魚を釣って食べているのはニホン家・ノルウェー家など極少数で、釣りに賛成してくれるのは15家くらいです。
逆に反対しているのはオージー・アメリー・エリザベス・ネーデル家を中心とする20家、しかも釣りに興味のない家がほとんどだったりします。
「ま、ニホンちゃんがそんなに頑固になるなら、ボクんちの池での釣りは禁止だな」
「もうアメリー君の池では釣りしてないよ。それに約束破ったのはアメリー君の方だよ? 何回か前の相談会で「ボクの意見に従わないと禁止にするぞ」なんて言うから仕方なく釣りは止めたのに……」
アメリー君は肩をすくめて溜息をついています。
まるで「やれやれ」とでも言っているみたいです。
律儀に大きな魚釣りをしなくなったニホン家に対し、アメリー家は「やっぱり気が変わったよ」と突然敷地内の池での釣り禁止を言い渡したのでした。
約束を一方的に約束を破った過去があるのにアメリー君は悪びれていません。
しかもアメリー君は、ラスカちゃんの家には特例で大きな魚釣りを認めていたりします。
これもスゴくずるいことなのですが、町内一の権力者には口を挟めないのでみんな黙っているしかありません。
「とにかくみんな、私がした調査を見てよ。すごく一生懸命したんだから!」
そう言ってニホンちゃんは皆に科学的に正しい資料を見せました。
そこに書かれている数字からすると、確かに大きな魚の内、ミンク魚とマッコウ魚は増えすぎています。
絶滅どころか池から溢れそうで、それらが食べる小魚の量は町内で釣る魚の総量の3倍から5倍もありそうです。
つまりは大きな魚を減らさないと、他の魚の方が減ってしまいそうなのです。
「そうですわね。これからすると確かに」
大きな魚が無いならお菓子でも食べればよろしいわ、なんて言い出しそうなフランソワーズちゃんも、その資料には目を見張っています。
「あーらフランソワーズちゃん。あなたも生臭なんですの?」
彼女の発言に口を挟むのは大抵エリザベスちゃんです。
当然、売り言葉に買い言葉が始まります。
「あーらエリザベスちゃん。前回の相談会で「こんな非論理的な相談会ならば俺は必要ない」なんて激怒して科学調査役をお辞めになったのは、あなたは一族の方ではなかったでしたっけ?」
「ぐぐぐっ……」
それを言われると弱いエリザベスちゃんでした。
二人のいつものコミュニケーションを放置しておいて、他の人はそれぞれ資料を検討しています。
「朕からしても問題ないように思うアル」
「チュ、チューゴ君が言うならその通りニダ」
ニホンちゃんの調べた正確な数字に参加メンバーのほとんどは納得しています。
このままだったらみんな理性的に判断を下し、ニホン家たち釣り好きの意見も認めてくれそうです。
しかしその時、アメリー君が後ろ手で合図しました。
「おい、グリーン。出番だ」
「ピッピッピッピッ〜、お任せあれ」
影のようにアメリー君に付き添っていた中国系アメリカ人のグリーン・平和(ピンフ)が懐から怪しげな香炉を取り出しました。
そこから変奇な煙が立ち上り、釣り反対家の方に流れていきます。
「ん? なんだか意識が……は、反対! とにかく釣りはんたーい!」
「私も!」
「俺もだ!」
急に反対派が騒ぎ出しました。
みんな目が据わっていて尋常ではありません。
ニホンちゃんは慌ててみんなを落ち着かせようとします。
「どうしたの? もっと理性的に考えようよ」
「そんなこと知らないね。とにかく大きな魚は釣り禁止なんだ!」
「大きな魚は鑑賞するためにあるのよ! それを釣るなんて非道な野蛮人!」
口々に感情的な言葉が出てきます。
特にエリザベスちゃんの錯乱ぶりは変でした。
「あんな可愛い大きな魚を捕るなんて可哀想ですわ!」
「それならエリザベスちゃんたちが捕っている牛さんや羊さんだって同じだよぅ」
「大きな魚は神様が捕ってはいけないとおっしゃってるからダメなのですわ! 牛は神様が食べてもいいって許してくれてるからいいのですわ!」
「そんなの勝手すぎるよぅ」
もはや理性とか科学なんて役に立たない議論になってしまっています。
自分たちの価値観を一方的に押し付ける反対派と、あくまで科学的調査と生活文化を主張する賛成派とでは平行線です。
「おいグリーン、もう一押しだ」
「ピッピッ、解りやした」
アメリー君が何かをグリーンに手渡しました。
グリーンはニンジャのように駆け回り、その束をいくつかの家の代表に握らせます。
そして耳元でこう呟きました。
「解っているな。もしアメリー様に逆らったりしたら、お前の家なんてひとたまりもないんだからな」
「は、はい……」
脅されているのは釣りの趣味なんて全くない弱小家です。
実は彼らはこの相談会に参加する意味なんて全くないのですが、多数決の票稼ぎのためだけに出席しているサクラ役なのだったのです。
一斉に盛り上がる反対派陣営の心ない罵詈雑言に、ニホンちゃんは泣き出しそうです。
そのときポンと肩を叩く手がありました。
「俺はニホンちゃんに賛成だな」
「ア、アイスラン君……」
そこに居たのは数回前の会議で不参加になっていたアイスラン家の男の子でした。
彼は、この相談会のあまりの馬鹿馬鹿しさに嫌気がさして、独自の路線を歩くと宣言して脱退中だったのです。
四面楚歌なニホンちゃんにとって、明確に大きな魚釣り賛成を表明してくれる彼は心強い味方です。
「どうしてあなたが?」
「これでも町内の一員だしね。理性的に話し合いで行きたいと思ってさ」
血の滾るヴァイキングの末裔の一つである彼がここまで我を抑えるのは相当の忍耐が必要だったでしょう。
「うぃ〜、ま、俺様も釣りにはちょいとうるさいしな。もっと考えてからでもいいんじゃねーか?」
相談を聞かずにウイスキーばかり飲んでいたロシアノビッチ君も発言してきました。
実は彼も公然と相談結果を無視して大きな魚を釣っていたりします。
アメリー君と同じく権力者なので、表だって口出しする人が少なかっただけなのですけどね。
「だいたいよー、どうして大きな魚釣りをしたこと無ければ池も持っていない連中まで参加してるんだ? 変じゃねーか」
ロシアノビッチ君の何気ない一言に、ビクッと体を震えさせた人も何人かいました。
元々釣り好きで且つ池所有者の集まりなのに、関係ない人が参加しているのは前述の通り誰かさんの暗躍のせいなのですけどね。
相談事が暗礁に乗り上げそうになったとき、チューゴ君が発言してきました。
彼は中立派なので、賛成・反対のどちらからも敵視はされていません。
「そろそろ時間だし、また今度と言うことにするアル。それまでに各人、意思を固めてくるよろし」
「そ、そうしましょうか」
「うん。じゃあ次は25日、場所は私の家の下関の間でいい?」
ニホンちゃんの提案に皆は頷きました。
その日は一応それで解散となります。
ニホンちゃんは家に帰った後、みんなを理性的に納得させられるだけの資料を再度検討することにしました。
本当にみんなが冷静に思考してくれれば苦労しないのに……ニホンちゃんの悩みは続きます。
神がどうとかならイン堂家は牛を食べちゃいけないので、イン堂君から見ればEU班のほとんどは野蛮人になってしまいます。
ニホンちゃんの家だって昔は四つ足の動物は食べないことになっていました。
しかもニホンちゃんたちアジア班の人は、カンコ君の犬食いなどは嫌悪しつつも文句は一言も言っていません。
それなのに白い肌の人たちは、自分たちの神様の言うことばかり押し付けて困ります。
アジア班には昔から独自の哲学や宗教観があり、それぞれの文化を尊重することを知っているのです。
でもEU班の人たちの多くはどうにもそれを理解してくれません。
「あーあ、気が重いなぁ。でも頑張らなくっちゃ。感情ばかりで町内の池の生態系が乱れたら、困るのは私の家だけじゃないもんね」
次の相談会に向けて、またニホンちゃんはより正確な資料作りを始めました。
その姿を陰険な表情で見る三組の目がありました。
「ちっ、ニホンちゃんめ。大人しくボクの家の食べ物を買っていればいいものを」
「そうダス。魚を少なくすれば、おらの牛肉だってもっと買うはずダス」
「ピッピッピッ……伝統と金を持っているアジア班の者など生意気なだけ。環境保護の名目の元、潰してしまうのが一番です」
現在ニホン家の食糧自給率は低く、ほとんどがアメリー家を頼っています。
さらにここで魚の量を少なくすれば、ニホン家の食卓に上る自給自足のタンパク源は無くなってしまいます。
するとニホン家は否応なくアメリー家の言いなりにならざるを得ません。
「ふっニホンちゃん、君の家は経済的には優秀だが、駆け引きってヤツはまだまだだね。世の中、理性だけで決まると思ったら大間違いだよ」
家族の一員に色々な人が居てそれをまとめ上げてきたアメリー家は、代々その手の権謀術数には長けています。
特に感情をコントロールする術は町内一とも言えるでしょう。
「ピッピッ……アメリー様、今度はトロ魚の禁止なども提案されてはどうでしょう?」
「いいね。ニホンちゃんちの寿司は全部我が家で売っているアボカド巻きにすればいい」
「その時はおらんちのカンガルー肉もお忘れ無く」
「ふっ、オージー、そちもheelよのぅ」
「いえいえ、アメリー君のお仕込みで」
白い二人と影一人はHAHAHAなどと愉快そうに笑っています。
とにかく勝負は25日からの相談会です。
科学と理性は、感情と金勘定に勝てるのでしょうか?
ソース:
……はあまりに有名すぎるのはいいですよね。
『IWC』『捕鯨』で検索すると山ほど見つかります。
ロシアノビッチ君の飲んでいる酒は
×ウイスキー
○ウォッカ
でした。
すみません。