281 :
さげ:02/04/04 21:32 ID:hROFCB1X
ちなみに古代では本は貴重品で印刷も出来なかったから
貰いに行く=写本しに行く
だった
写本が日本にあるということは、日本人が写した物と思われる。
仮名って当時の翻訳家たちの速記文字のようなものだったのでは?
282 :
:02/04/04 21:38 ID:k3pNjBcB
283 :
:02/04/04 21:43 ID:ts4qIiqZ
何かの記号だろ(笑
たった一文字だけカナをフル意味がない。
しかも仏教ではかなり基本的な文字だぜ。
284 :
名無しさん:02/04/04 22:21 ID:oKSdUFr1
>>258 チョンとは大昔から日本人を無条件に見下したがる習性を持っていたのか?
285 :
あやかし:02/04/04 22:27 ID:tXMjXOM/
>>284 いや、格下だ、野蛮だ、未開人だとさげすんできた日本人が、いつの間にか
半島よりも発展した文化を花開かせていたので、驚嘆&嫉妬したのではないかと。
まぁ、今でも格下、野蛮、未開人、猿、豚と日本人をさげすんでいるようですが(笑
286 :
蚯蚓 ◆7/rPtdAY :02/04/04 22:30 ID:U07f/7qV
『判比量論』日本のマスコミも集中報道
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/04/04/20020404000019.html 今回新羅の文書と確認された『判比量論』は、これまで日本人が新羅に行って
筆写してきたものと推定されてきた。しかし、大谷大学の宮崎健司教授が1997
年に紙の紙質と当時の状況などから、新羅で作られたものではないかという疑
問を提起。小林教授が今回、新羅人の角筆を確認したことから、この主張を裏
付けた。
『判比量論』からは数十種類の角筆が発見された。特に、漢字の発音を読み
取るための“文章の符号”と思われる角筆が多数発見された。これは日本で発
見された角筆の文章符号とは全く異なる形をしている。日本人が筆写した本で
あるなら、新羅式の角筆まで書き写す必要がなかったという論理だ。
287 :
蚯蚓 ◆7/rPtdAY :02/04/04 22:31 ID:U07f/7qV
小林教授の主張が報道されると、国内の学者たちも高い関心を示してい
る。ソウル大学の安秉禧(アン・ビョンヒ)名誉教授は、「根の字の15
世紀の発音は“ブルフィ”。新羅時代にこれを“ブリ”と読んだ可能性
はない。また、マを部の字の略字と見るのは難しい」と述べた。
韓国口訣学会の南豊鉉(ナム・プンヒョン)会長は「新羅時代に根を
“ブリ”と読んだ可能性はないが、マを部の字の略字として使った事例
は何回もある」とし、「角筆研究の権威者である小林教授が、新たな資
料の発掘を通じて日本のカタカナの新羅伝来説を主張したことは、極め
て興味深く、価値のあることだ」と述べた。
一方、美術史学者の姜友邦(カン・ウバン)梨花(イファ)女子大学
教授は「新聞に紹介された『判比量論』の筆致が闊達ですばらしい。新
羅人の書芸研究にとっても貴重な資料だ」と評価した。
288 :
竹埼委長 ◆NhBSXvKY :02/04/04 22:35 ID:+iAIMGbg
>>286 全部読むと全て推測だらけで、それで成り立ってるように思えるね。
すげえ電波な気がする。
289 :
名無し気味:02/04/04 22:45 ID:yg1eAyXG
小林教授は日本のカナが国内で発達したという定説を
朝鮮新羅からの影響もあるのではと考えられる
広い視野を持っている優秀な人では?
290 :
:02/04/04 22:47 ID:Ue7lRuJX
ああそのとおりだよ。
韓国のマスコミがまた我慢汁放出してるだけでしょ。
カタカナの起源云々まではまだ言ってませんよ。
>>286-287 >日本で発見された角筆の文章符号とは全く異なる形
>根の字の15世紀の発音は“ブルフィ”。
新羅時代にこれを“ブリ”と読んだ可能性はない。
日本の学?者がデムパを飛ばして、韓国人の学者が一言のもとに切って捨ててる。
まぁ、僕みたいな素人でも即刻ツッコミ入れるポイントだから当然か。
しかいまぁ、国辱もんだね。
だれか、この自称学者を絞めて来てくれないものでしょうか。
このボケを頃して、かわりに養鶏場のニワトリ1羽の命を救済した方が、
トータルとして平均知能が向上すると思うがいかがか。
292 :
:02/04/04 23:05 ID:6DBlHCAs
>>291 >>97よめ。
角筆の権威という事は本当らしい。
ただ、1歩間違えばどの学者も電波になりうるって
読んだことがあるからな〜
>>289 素人丸出しで朝鮮語ではどうたらと騙って、
韓国人に瞬殺されてるんだから、お話にならない。
ただいま旅行から帰って参りました。
>>97の書き込みでは、旅行中と
いうこともあって、手持ちの資料等に当たれないため、記憶に頼って
とりあえず書ける範囲のことだけを書きましたが、今回はその際触れ
得なかったことについて補足しておきたいと思います。
まず角筆文献について。小林芳規氏が角筆研究の第一人者であると
いう話は既に述べた通りでして、氏の著書『角筆文献の国語学的研究』
(全2巻、汲古書院)は平成3年度の学士院賞・恩賜賞を受賞しています。
この本、私も購入して持っていますが、2冊併せて1400頁という大著。
値段の方も48000円(税抜)と、貧乏研究者にはいささか辛い出費
でしたが、こと訓点に興味を持っている人間としては買わざるを得ない
第一級の研究書であることは間違いありません。まず皆さんに角筆文献の
概要と意義、研究の経緯について知っておいて頂きたいので、同書の前書き
から以下の文章を引用しておきます。
295 :
:02/04/04 23:13 ID:uzNZXlYa
切って捨ててる韓国人も8世紀の撥音については言及してません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
我が古代日本の中国文化の摂取には、大陸古代における毛筆とこれに続く
紙との発明によって漢字文化の育まれたことが、重大な役割を担っている。
これによって、毛筆の文献は、本邦でも、古代文化研究の許多の基本資料を、
遺産として今日に伝存させてくれている。その毛筆は、近代的な筆記具が
日常生活に定着するまでは、筆記具の中心的な存在であった。しかし、当時
でも毛筆による方式が唯一の方法ではなく、毛筆とは別にもう一種の筆記具と、
それを使って書かれた文献群との、今日に遺存していることが、近時判明して
来た。角筆とそれで書かれた文献とが、これである。
角筆は、象牙や竹製の箸のような筆記具であり、その尖端を以て和紙の面を
直接に傷つけ凹ませることによって文字や訓点の符号や図画を書いた。こうして
文字等を書く方法が、鉛筆のような近代的な筆記具の発明・使用される以前に、
毛筆とは別に行われていたのである。明治の変革期には古代文化に培った文物
の幾多が失われたが、角筆もそういうものの一つであり、角筆で書かれた文献群
も、その表記面の特異さが原因となって、忘却の彼方に置かれて来たのである。
角筆で書かれた文字等は、毛筆による墨色・朱色のような色彩ではなく、紙面に
凹みとして残された迹であるから、視覚に訴えることが弱く、通常の見方では
見落されてしまうことになる。その上、古代の文字は毛筆で黒々と書くものと
いう”常識”にも災いされて、従来の、古文献を対象とする研究においては、
全く見逃されて来たものである。
(続き)
角筆の文字で表現された言語内容は、毛筆の場合に比べて、凹みで書かれると
いう条件に伴って、一時的、備忘的であり私的な面が強く、又、毛筆の言語の
陰にあって、これを補う性格を色濃く持っているが、半面、毛筆の場合よりも、
日常性、無規範性を露呈し易い。従って、そこには毛筆によるとは異なった、
新しい資料的価値を包含していると考えられる。さすれば、この角筆で書かれた
文献群を直接の研究対象として取上げ、その文献の性格、その言語の特性を解明
することが必要となって来る。その結果が、毛筆文献から得られた従来の知見に
対して、如何なる相違を持ち、如何にそれを補い、併せて両者が如何に統合される
かも次なる課題となって来る。
筆者は、国語史、就中に漢文訓読史の研究を課題として、その基礎資料たる
訓点資料を全国の古社寺や文庫等に踏査し続けて、三十数年を閲したが、この間に
偶々この角筆を以て訓点を書入れた文献を知ることになった。二十数年前のこと
である。爾来、それが一再ならず見出されるに及んで、この種の文献群が存在
する予測を得るに至り、古文献調査に当っては、角筆の文献の発見にも注意を
払うようになった。幸いにも、洛西高山寺、山科の醍醐寺を始めとして、大津の
石山寺、京洛の東寺・大覚寺、大原の三千院の綜合調査の一員に加えられ、経蔵
をあげて総ての古文献について徹底的な調査をするという機会に恵まれて、それ
ぞれの二十余年乃至十余年にわたる調査において、各調査団員の協力もあって、
次々に角筆の文献を見出し、確認することが出来て、昭和六十二年三月現在で紙本
文献においては、計百五十五点の角筆の文献を知るに至った。近年は毎年十余点程
が見出されつつある。角筆で書かれた文献の点数が次第に増えるに従って、その
文献の内容も、訓点資料に止まらず、伊勢物語や平家物語の平仮名文や親鸞上人
関係の片仮名文の他、墨書本文を離れて、角筆の文字だけが白紙部分に書かれた
文献も発見されるようになった。資料として、角筆の文献が多種多彩になって来た
わけである。(以下略)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あと、角筆については、
http://www.lett.hiroshima-u.ac.jp/~kakuhitu/ の頁も参考になると思います。
次に角筆文献の発見の仕方ですが、角筆で記された文字は基本的に圧迫痕です
から、色々な方向から見るなどして、それこそためつすがめつして見れば肉眼
でも十分に発見可能です。とは言え、調査の場所は暗い寺社の宝物庫であること
が多いので、常に適切な光源を得られるとは限りません。そこで登場したのが
「角筆スコープ」という装置です。私は実物を見たことはありませんが、聞いた
話では、光を斜めから当てることで角筆文字を浮き上がらせるというかなり
単純な装置のようです。この装置がいつ作られたのかは知りませんが、私の
大学院生時代(十数年前)には既にあったはずです。当時、先輩が「広島大学
の大学院に進学すると、どこに行くにも角筆スコープを常時携帯しなくては
ならなくなるからねぇ(笑)。」と冗談を飛ばしていたことを思い出します(w。
以上を踏まえた上で、そろそろ本題に入りましょう。まず今回発見された
片仮名の「フリ」に似たものが文字であり、漢字の字画を省略した略体文字
であることは間違いのないところです。問題は、具体的にどういう漢字の
略体なのかですが、築島裕氏『平安時代訓点本論考・ヲコト点図仮名字体表』
(汲古書院)を参照して日本の訓点資料に見える片仮名と比較してみますと、
一字目については、平安初期の訓点資料に見える古い「ヘ」の文字と非常に
よく似ていることがわかります。初期の「ヘ」は今の字体と異なり、おおざと
の一部を切り取った「マ」に近い字体でしたから、少なくとも字体から見る
限り、この文字が最古の片仮名であったとしても不思議ではないとは言える
と思います。尤も、この段階でこの文字を片仮名とするのは時期尚早ですが、
とりあえず「部」の略体文字である可能性が高いとは言えそうです。二字目
の方はどう見てもりっとうであり、まずもって「利」の略体文字と考えて
問題はないでしょう。結局、これらの文字列を元の漢字に戻せば「部利」と
いう文字列になるわけです。
次なる問題は、「部利」が何を意味するかですが、本文の「根」の右傍に
角筆で付されていることを考慮すると、「根」に関する訓点であるというのが
最も確率が高そうです。「部利」なる漢語は存在しそうにありません(『大漢和
辞典』に見えず)から、残る可能性は音訳漢字です。音訳漢字と言うと、日本
の万葉仮名が有名ですが、朝鮮にも吏読や口訣のような音訳漢字は存在しました
ので、これだけではどちらのものとは断定出来ません。「部」は万葉仮名では
「へ」即ち[fe(pe?)]の音を表わしましたが、朝鮮漢字音では「部」は
[pu]と読みます。「利」はどちらも[ri]ですから、もし「部利」が日本
の万葉仮名であれば[fe-ri]、朝鮮の音訳漢字であれば[pu-ri]と
読める文字列ということになります。
カタカナの成立というのはある一瞬だったのだろうか?
それまで使用されていた角筆(ふりがな)を独立した文字として扱ったのが
カタカナのはじまりだったなら、フリガナの域を脱していない文字に
カタカナに類似しているものが存在するのは必然だし、その存在をカタカナの
起源に見立てることに価値はないと思うのだが。
角筆の起源が韓国にあったかもしれないと主張するなら、興味深いことを
言っていると思うが、やはりカタカナの起源が韓国というにはかなりの
無理があると思う。
そもそも、角筆が漢字の省略形を基本としているなら地方によって同じ音に
対して使用する字形に隔たりがあるべきだし。
今回の新聞報道を見る限り、状況証拠的にはどうも後者の可能性の方が高い
ようですが、仮に後者が正しいとしても、「根」の朝鮮語の発音が[puri]
だからこれは朝鮮語の語彙の音訳であるというのは問題がありそうです。
というのは、朝鮮語の「根」を意味する固有語が[p‘uri]であるという
のはあくまでも現代朝鮮語の話であって、古代語(=新羅語)もそうであった
という確証は何もないからです。それどころか、中期朝鮮語では「根」の固有語
は[pur-hui]であった(『李朝語辞典』参照)ことがわかっていますから、
古代語が[puri]であった可能性はゼロに等しいでしょう。当然、古代語の
語形は中期朝鮮語のそれとも異なっている可能性も高いのですが、仮に中期
朝鮮語のような語形であったとしても、「部利」から導き出される[pu-ri]
とは相違が大きいことはおわかりでしょう。まぁ朝鮮語の音節構造からすれば、
漢字では対日本語のように忠実な音訳は出来ないので、やむを得ずこのような
形になったのだと言えば言い逃れは出来ないことはないですが、苦しい言い訳
であることは確かですな。
ともかくこの資料に関しては、わからないことが多過ぎです。まぁいずれ
小林氏もこの問題については必ず論文をお書きになることでしょうから、
それをよく読んだ上で判断を下したいですね。角筆が書写の直後に記された
というのも不思議な話ですしね。大体、訓点のある文献を書写する場合、
まず本文を全部写した上で訓点を記すのが普通です。ですから、訓点を
記す時には本文の墨は乾いていますので、角筆に本文を書写した際の墨が
付くというのは状況的に考えにくいように思いますね。よって、角筆に墨が
付いているからと言って、本文の書写と角筆が同時とは言えないんじゃない
かなあ。つまり、日本で角筆が記された可能性も十分あるわけですから、
例の文字列は片仮名であって、新羅で修行した僧が新羅語を思い出して
記載したということも可能性としては捨て切れないかと。
国語学の一研究者としては、今回の発見は、仮にこれが片仮名そのもの
ではないにしても、日本における片仮名の成立を知る上で貴重な情報を
提供してくれる大きな発見であり、大いに歓迎したいと思います。ただ、
この発見が韓国によって政治的に使われることも必至なだけに、ハン板の
一住人としては複雑なものがありますな。鬱だ。
304 :
:02/04/04 23:34 ID:6DBlHCAs
こういう発見を政治的な介入なしでは
研究できない韓国の学者は不幸といえるのかな。
>>286 蚯蚓 ◆7/rPtdAY さん
ごちゃごちゃと資料を引っ張り出してレスを書いているうちに続報が来た
みたいですね。私が書いたようなことが韓国人の学者によって既に言及
されている…。学生さんが春休みなのに乗じて旅行に行ってさえいなければ、
先んずることが出来たのに。しかも、
>>279氏には私までデムパ扱いされて
しまっているし。自称とは申しながら、言語デムパハンターがデムパ扱い
されるなんて洒落にもなりまへんわ…(泣)。
306 :
:02/04/04 23:46 ID:uT56L2nF
>303
ありがとうございました。
う〜ん、今後の研究を待たないと詳細は分からないんですね。
自分もまた韓国がヘンな言いがかりをつけてくるんじゃないかと
それが鬱でたまりません。他の国の話だとこうまで鬱にはならないんですが。
307 :
阪神最強:02/04/04 23:56 ID:cGXyeVM9
ふーむ、つまり要約すると、わからんこと多いから論文でるまで待とう、
ということか。文理大にでも逝ってみようかな。
308 :
:02/04/05 00:08 ID:o3um2fYp
>>305 整理されてて、とてもわかりやすいです。有難う御座いました。
309 :
まあまあ:02/04/05 00:20 ID:78AyMp9L
>>305 友人の村崎百朗って奴が言ってるけど、誰だってデムパなんだよ。
あとは他人に迷惑をかけないデムパになればいいんだよ。
彼の国のデムパは日本に迷惑かけまくりだから……。
310 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/04/05 00:31 ID:8RIei35Y
>>303 韓国人が政治的に使うのは、必至ですね。
もうしてるし。
差別主義者の韓国人はほんと、真理の敵だな。
>>305 娜々志娑无さん、私の考えはちょっと違います。
これは、朝日新聞記者が角筆で落書きして「マリって誰だ」という
文化財保護キャンペーンをやろうとしたのに、学者が暴走してしまった。古代研究家の古田氏が偽書にひっかかったようなもんでしょう。
>>311 蚯蚓 ◆7/rPtdAY さん
ははは。例の珊瑚事件の再現ですか(w。
まぁ冗談はさておいて、どんな形にしろ今まで埋もれていた新資料が
出て来たことは喜ばしいことです。今後も関係資料を中心に調査は続行
されるようですし、この略体文字と片仮名との関係もいずれはっきりする
ことでしょう。ただ一言言っておきますが、漢字の字画を省略するのは
何も新羅の専売特許であったわけではありません。正倉院に収められて
いる大宝二年(702)の『御野国戸籍帳』には万葉仮名の「牟」「部」を
それぞれ「ム」「マ」と字画を省略して記した例があります。これなどは
今回の発見例を40年近く遡る例です。尤も、上記の例はあくまでも
万葉仮名の字画を省略して記したものであり、片仮名の用例には
含めるわけには行きませんが。
314 :
:02/04/05 01:36 ID:POq8nAFU
315 :
:02/04/05 01:43 ID:POq8nAFU
なんで韓国に残らなかったか
316 :
地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/04/05 01:56 ID:29t1Oh2y
>>314 与那国か、李登輝の投票の時に潜りに行ったなぁ。
317 :
:02/04/05 11:26 ID:Uso9OhJd
娜々志娑无さんの説明、わかりやすいです。
とりあえず、小林教授の論文待ちと言うことになるわけですか〜。
俺としては、
>>301の説明で古代朝鮮語と現代朝鮮語の発音が異なるという話が聞けたのが嬉しいっす。
318 :
:02/04/05 14:57 ID:BXQwFHQU
角筆だと偽造されたらどう判別するんだろうか。
石器の二の舞はごめんだ。
319 :
刺身醤油 ◆CAYS19PM :02/04/05 19:36 ID:7diwyNkY
わけあってage
一昨年来、11世紀以前の点吐口訣が角筆の形で続々と発見されている
今となっては、もはや旧聞に属する知見ではありますが、韓国の学界で
過去、口訣がどのように捉えられていたかを知って頂いた方がよいと思い
ますので、朝鮮語史の概説書として名高い李基文氏『韓国語の歴史』から、
口訣について解説している文章を抜き出しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「口訣」とは、ipky∂cの漢字借用表記である。これはしばしば「吐tho」
というものと同じものである。これらの語はすべて十五世紀の『世宗実録』
及び初期の諺解本に現われる。一方今日伝わる資料はすべてそれほど
古くないもので、口訣の伝統を探る道はない。
口訣とは、漢字を読む時文法的関係を表示するために挿入する要素を
言う。『童蒙先習』の一部を引用してみれば次のようである。
ニ ガ デアルガ
天地之間万物之中(ai) 唯人伊(i) 最貴為尼(hΛ・ni)
ハ デアル
所貴乎人者隠(nΛn) 以其有五倫也羅(ya・ra)
ここでわれわれは吏読で使われる「伊、為、尼、隠、羅」等が、口訣でも
使われることを発見する。しかし処格を表示する「香vは口訣に独特のもの
である。互いに差異もあったことを知ることができる。
(続き)
口訣が吏読と異なる点は、漢字の略体を使用したことからも見ることが
できる。上の引用に現われる口訣の略字を示すならば次のようである。
厂(香j、イ(伊)、ソヒ(為尼)、β(隠)、个(等)。口訣の略字中には日本
文字(片仮名)と全く同じものがあって、大きな注目を受けて来た。タ(多)、
ヤ(也)等。しかし不幸にもこの略体の成立年代を明らかにすることが
できず、これと日本文字との歴史的関連を証明しがたい。
『世宗実録』(巻四〇)に「上語リテ/2下季良ニ/1曰ク 昔太宗命ジテ/2権近ニ/1
著ケシム/2五経ニ吐ヲ/1」とあるが、これは権近が吐、即ち口訣を創案したと
いうよりは、五経の吐を定めたとするのが穏当であろう。古典の口訣を定める
ことはその正しい解釈と直結したものであるだけに、儒教を理念とする新王朝
樹立に際して、経書の口訣を定めねばならない必要性を感じたのであろう。
口訣の伝統はかなり長いものと考えられる。上で指摘したように『三国史記』
に薛聡が「以方言読九経」とあるのは、口訣と直接関連があるものと信じられる。
(同書64〜5頁)
322 :
?:02/04/05 21:14 ID:VcklTURm
あーぁ、またですか。
万葉集は韓国語で読めるってほざいてたけど、それが完全論破
されて静かになったと思ったら。やれやれ、今度は日本人を使った
日本文化に対する文化テロですか。あの手この手と繰り出してくる
なあ本当に。こんなもんサイババやネッシーを信じるのと同等のレ
ベル、まともな学問の対象になるわけ無いよ。どうせ統一教会か、
韓国の対日文化政策に一環でやってんだよ。心底怒りを覚えるよ。
323 :
00:02/04/06 00:09 ID:HIDILHod
このような電波学説テロに、まともに反論する学者が少ないのを良い事に
既成事実化されていくのが怖い、青少年に与える影響は計り知れない。
こちらも強力電波で対抗せねばならぬ日も遠くは無い。
で・・・・
ハングルの真の発明者は対馬のお坊さんだったてこと、
金日成の父は日本人でしたてこととか、とにかくいろいろ考えろよおまえ等も。
俺は根が正直なせいかあまり思いつかん。
電波には電波を!これでいこうよ、あまり品はよくないけど。
娜々志娑无さん、こんばんわ。
以前、サウラビに関して発言したものです。
今回の小林氏の発表に関して、またまた某掲示板にて在日の朝鮮語の講師の方に
質問してみました。以下がその返答です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リンクされている記事の「角筆」の資料は、最近にわかに注目を浴びているもので、日本に
おいてよりも韓国でさかんに研究が進められている分野です。
カタカナのルーツが朝鮮半島にあるかどうかはさておき、この角筆の文字がカタカナに
似ているというのは充分考えられることです。なぜなら、角筆の文字もカタカナも、その
起源はおそらく、漢文を読解するために漢文のところどころに朝鮮語(日本の場合は日本語)の
要素を漢字で表記して読みやすくしていたものが、だんだんと画数を省略していったもので
あると考えられるからです。朝鮮での「口訣」という文字も同様のものですが、これもやはり
カタカナと似た文字や同一の形の文字があることが知られています。
「漢文」という文法体系の全く異なる言語を読解しようとするとき、似通った文法を持つ
朝鮮語話者と日本語話者が考えつくことというのは、やはり似たり寄ったりなんでしょうね。
>>301では、「ヘリ」に見える文字列が「根」を意味する新羅語の固有語
を新羅流の借音表記で記したものであったと仮定すると、中期朝鮮語の
「根」の語形[pur-hui]と音の相違があり過ぎるということを述べて小林説
を批判しました。しかしながら、私のみならず韓国の朝鮮語の専門家も
そうでしたが、そもそも新羅語の資料があまりにも乏し過ぎるため、「根」
を意味する新羅語の語形は一切不明。仕方ないので15世紀の中期
朝鮮語を引っ張り出して来て8世紀中頃の資料と比較せざるを得ないと
いうのが最大のネックでした。
しかし、一言語研究者の身として、「ヘリ」が何を意味する文字列なのかは
大いに気になるところです。残念ながら「ヘリ」と読もうが「フリ」と読もうが、
それが日本語である可能性は今のところ低そう(あてはまる適当な和語が
見当たらない)ですので、取り敢えずは新羅語である可能性に賭けるしか
ありません。尤も、私は朝鮮語学は専門外、それどころかアンニョハセヨ〜、
ウリナラマンセ〜、ケンチャナヨ、カムサハムニダ、ヨボセヨ、シッパル程度
しか朝鮮語を知らない人間ですが、門外漢の思考実験として、「ヘリ」なる
文字列が「根」を意味する新羅語を表記した可能性は本当にジェロなのか
どうかを、多分にデムパを交えて検討してみたいと思います。ま、お遊び
みたいなものですから、どうか皆様、本気に受け取って私のことを裏切者
呼ばわりはしないでね(はあと)。
え〜、既に述べましたように、新羅語の語形が中期朝鮮語と同じ[pur-hui]と
いう語形だったとすると、「部利」という借音表記とは発音上の隔たりが大き過ぎる
わけですが、[pur-hui]が本来は[pur]と[hui]の二語から成る複合名詞だった
としたらどうでしょうか。そして先部成素である[pur]こそが「根」の意味を担う
本質の部分であり、後部成素の[hui]は接尾語のようなものだったとしたら…。
新羅語の「根」の語形として、例えば[puri]のようなものを想定することも可能に
なってくるではないですか。おぉ〜、どきどき。
問題は、[hui]に相当する接尾語を『李朝語辞典』で調べて見てもそれっぽい
のが見当たらないという点ですが、つらつらと朝鮮語の辞書を眺めているうちに
またデムパが走りました。中期朝鮮語の二人称複数の代名詞として[n∂-hщi]
という語があるのですが、その中に[hщi]という音節が含まれているではあ〜り
ませんか。この語は現代朝鮮語の二人称複数の代名詞[nс'idщl]に相当する
語ですが、先部成素の[n∂]だけだと二人称単数の代名詞になりますから、
後部成素の[hщi]は複数を表わす接尾語と考えることが出来そうです。これ、
例の[hui]との違いは母音、それも円唇性の有無のみ。めっちゃ近いやない
ですか。即ち、[hщi]と[hui]が同語源であると考えさえすれば、[hui]もまた
複数を意味する接尾語となり、めでたく中期朝鮮語の[pur-hui]は本来は
「根」の複数形であったと考えることも出来ちゃうってわけ。いやあ、デムパって
本当に楽しいですネ。ではまたお会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
327 :
名無しさん:02/04/07 00:45 ID:JZKgjoZV
良スレ浮上!
328 :
774RR:02/04/07 01:03 ID:pF8/ETLL
おもしろい。
>>326 おもしろい。特に書いてる本人がなんだか楽しそう。
330 :
: