>>567 http://www5a.biglobe.ne.jp/~zawa/ris/kougi/japan-toko1.htm 中央の貴族が地方の民衆を、国が所有する農地の付属物・もしくは初期荘園の
小作人として中央集権的に所有するのが古代。
各地の荘園の管理人が私兵団(武士団・騎士団)を編成し、封建的領主として割拠、
地方分権体制が構築されるのが中世。(日本で言えば鎌倉時代は中世)
地方分権が究極まで進み、民衆が文化・経済の担い手へと変貌し、民衆を主役とした
中央集権体制が再構築されるのが近代。
李氏朝鮮は、地方の封建領主による群雄割拠のない、貴族による中央集権制です。
また公的奴隷制があり掌隷院により民衆の数割が奴隷として中央に登録管理されて
いました。農民は初期荘園制下の小作人として支配されていました。
日本で言えば平家台頭前の、平安末期の初期荘園体制に相当し、中世ではなく
古代に区分するのが正確です。
朝鮮半島の歴史を見て面白いのは、高麗時代中期には地方荘園を領有する
武家による、古代的中央集権制の崩壊が見られるのに、元の成立前後に
それがリセットされて、古代的体制が再建された点にあります。
高麗初期には文官>武官だったのが、1170年に地方荘園を基盤にした
武臣のクーデターにより武家政権が成立するんですね。
ここに元が侵入、中世的武家政権は元の傘下に入るわけです。
その後元が衰退すると、土地を持たない文官は親明派の李成桂を支持。
親元派である武家の解体と、その荘園の没収・文官貴族への再配分(科田法)を
行い、中央集権的な古代政治体制の再建をはたすわけです(李氏朝鮮の成立)
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/43-rinsetu2.html つまり 古代(高麗前半)→中世(高麗後半)→古代(李氏朝鮮) というのが
朝鮮史の特筆すべき特徴です。100年前の朝鮮は中世ではなく古代なんですね。