「韓国語」と「朝鮮語」は別個の言語

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前近代の段階では一つの言語共同体としてまとまっていたことばが、近代化の際に、おか
れた環境の相違によって別個の言語へと分化していく、という事例の紹介の続きです。

構成は下記のとおりで、>>104-107においてチベット語とブータン語、>>144-145
てトルキスタン諸語を扱いました。今回は「モンゴル語の分化と再統合」の前半を投稿し
ます。

 はじめに
 1.ブータン語、チベット語から分離する
 2.東西トルキスタン諸語
 3.モンゴル語の分化と再統合
 おわりに
2113.モンゴル語の分化と再統合-1:02/02/12 03:28 ID:HbseglOD
 (1)モンゴル語の系統と分布
モンゴル語の方言は、使い手たちの部族系統の面からは、モンゴル系とオイラト系に大別
される。地理的には、モンゴル系は北からロシア連邦ブリヤート共和国、モンゴル国、中
国内蒙古にかけて、オイラト系は西からロシア連邦カルムイク共和国、中国新疆省の博爾
塔拉州・イリ州和布克賽爾県、青海省全域、西藏のナクチュカ地区などに分布している。

モンゴル系の諸部族は伝統的に13世紀以来のウイグル式文字を使用していたが、オイラ
ト系の諸部族は17世紀後半、ウイグル式文字をオイラト系のことばにあわせて独自に改
良したトド文字を使用しはじめた。

現在、モンゴル語の諸方言の使い手たちが分布する地域は、モンゴル国、ブリヤート共和国(ロシア連邦加盟国)・カルムイク共和国(ロシア連邦加盟国)、中国などの国家に分断され、これらの国家別に「標準」が制定されている。

モンゴル語の諸方言は、その方言の使い手が所属する国家において制定された「標準」へ
の収斂が進行しつつある。これは、いいかえれば、モンゴル語共同体全体としては国家単位での分化が進んでいることを意味する。

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上記以外のモンゴル語の方言として、13世紀にアフガニスタンに進駐した軍隊の末裔・モ
ゴール族が伝える「モゴール語」が、近年まで存在した(梅棹忠夫『モゴール族探検記』
岩波新書1956年)。梅棹氏がフィールドワークを行った1955年の段階で、モゴール族の
メンバーの日常語としては急速に衰退し、「昔たまたまならい覚えたためにまだ使うこと
ができる者」が各地の集落にポツポツと残っている状況になっていたことが紹介されてい
る。

それからさらに半世紀ちかくが過ぎ、激動の時代を経たアフガンにおいて、「モゴール
語」はどうなっているであろうか。
2123.モンゴル語の分化と再統合-2:02/02/12 03:31 ID:HbseglOD
 (2)独裁権力に強要されたブリヤート語の分化-1
ブリヤート・モンゴル地方は近世にロシア帝国領に組み込まれた地域であったが、清朝に
支配された南隣のモンゴル・ハルハ地方とは密接な関係を持ち続けた。1910年以後 この
地域で「清朝〜民国とは別個の独立国」を目指す独立革命運動がはじまった際には、ブリ
ヤート・モンゴル出身のインテリ多数が参加し、新たなモンゴル国家にブリヤート・モン
ゴルも合流することは当然と考えられた。1910-1924年にかけてハルハを統治したボグ
ド=ハーン政権においては、ブリヤート・モンゴル出身者が枢要な地位に付き、近代文明
の概念をモンゴル語に導入する作業におおきな役割をはたした。

しかしロシア革命を制して成立したソビエト政権は、ブリヤート・モンゴルとモンゴルの
統合を許さないどころか、あまつさえ言語面においてもモンゴル語からの分化を強要して
ゆく。

ロシア帝国の瓦解後、ブリヤート・モンゴル地方は、ボルシェビキが主導権を握る極東共
和国の領域に入っていた。ソ連は列強による革命への干渉が1922年に終了すると、ただ
ちに極東共和国を吸収、ブリヤート人に対しては、ウイグル式モンゴル文字を廃止してロー
マ字を導入することを強要、1923-30にかけてラテン文字の導入が進んだ。
2133.モンゴル語の分化と再統合-3:02/02/12 03:32 ID:HbseglOD
 (2)独裁権力に強要されたブリヤート語の分化-2
1930年代に入ると、モンゴル人民共和国において指導的役割を果たしていたブリヤート
人のインテリを召還して根こそぎ粛正、1910年代からのモンゴル語の近代化・共通化の
担い手たちを物理的に消滅させたのち、1936年に開催した「ブリヤート・モンゴル語会
議」において、従来の、ハルハ(現モンゴル国に属する地域の呼称)を標準とする汎モン
ゴル共通語への指向を「プチブル民族主義」として糾弾、ブリヤート・モンゴル地方の中
でも特にローカル色のつよいホリ方言を土台としてブリヤート・モンゴル語の共通語を創
出する方針を決定させた。1939年には、ラテン文字にかわり、ロシア語のアルファベッ
トであるキリル文字が導入された。

この新方針においては、さらに、近代文明によってもたらされる新概念をあらわすのに
は、ソ連邦の一員としてロシア語の語彙をそのまま用いることを強要し、それによって近
代語彙の導入という面においても、古典語にない概念に対してモンゴル語固有の材料に
よって語彙を新造する方針を維持しているモンゴル本国のモンゴル語からの分化を加速さ
せた。1958年にいたり、ついに「ブリヤート・モンゴル」という国名・民族名・言語名
から「モンゴル」を削除させるにいたる。

1990年にソ連邦が滅亡した際、ブリヤート共和国のモンゴル系国民から「モンゴル」の
呼称を再び恢復しようという要望が提案されたが、このときモンゴル系国民は同共和国内
で少数派に転じており、いまだに果たすには至っていない。ただし「分化を強要」してき
た強権は消滅したことから、モンゴル国や内蒙古の関係者と連絡し、モンゴル語との一体
性を恢復ための活動がほそぼそながら始められている。
214:02/02/12 03:33 ID:HbseglOD
次回予告

3.モンゴル語の分化と再統合-4
 (3)モンゴル国と内蒙古のモンゴル語の分化と再統合